2011年9月19日

人間の成長に欠かせないものってなんだ!? ~全人類と抱擁しながら、日本神話を勉強する~




  三連休だ。暇になったからブログでも書こうと思う。

  はるか昔に読んだドストエフスキーの小説にこんな話があった。
  主人公が地下室のような穴倉に閉じこもった生活をしている。(多分精神的な意味でだ)彼は人恋しくなると、ほんの時々穴倉から抜け出して、世界の人々と交流を交わす。
  大抵は知人のサロンである。そこで、うんざりするほど人間の嫌な面を見て、味わって、人類に幻滅する。ああ、寂しい、全人類と抱擁を交わしたい、などという馬鹿げた考えを捨て去って、また自身の穴倉へと戻っていくのだ。

  唐突にそんな物語を思い出したのは、ここ最近、隠居したかのような生活を送っていた私にもそんな経験があったからである。
  同窓会が2回あった。4年ぶりで友達と会った。同じく久しい間柄の友人から突如メールが届いた。
  一度目の同窓会では初恋(正確に言うと3度目の初恋)の相手と出会った。
  一週間後に、二人でドライブに出かけた。彼は言ったものだ。

「俺は長生きするよ。死に水を取ってやるよ」

「DNAは残した方がいいよ。まだ子供生めるから、産みなよ。あ、結婚するなら仕事はしなくていいよ。俺は食わしてあげられるからね」


  で、私は、専業主婦になって、小説を死ぬほど書く時間を与えられるという、夢を見たのであった。

  少し話が反れたが、それらドストで言うところの「全人類との抱擁」が、昨日でほぼ終了したのである。(あと残っているのは、久しい友人からのメールの続きくらいか・・)

 
  今日になると、私は悶々と、人類の嫌な面をことさら細かく思い出しては、抱擁なんてしてたまるかよ、けっ、といった趣で、自身の穴倉で無益な回想を繰り返している。


  人類との抱擁がくそ馬鹿馬鹿しい、と思われる主に腹立たしい出来事は以下の二つ。


  ①名刺を欲しいと、名刺を渡していない人類Aに皮肉たっぷりに言われたので、渡したら、人類Aは私に名刺をくれなかったこと。

  ②飲み会が「割り勘」なこと。1時間遅れて参加して、ツマミもほぼ食べず、ソフトドリンク2杯飲んだだけの私と、最初からいて、たらふく食っては酒を10杯以上飲んだ相手とが同じ金額ってどうなの?(そこは幹事気を使おうよ)何だか利用された感がある。

  穴倉へ戻るには、妙にせこすぎる回想だなぁ、と書いていて可笑しくなったが、 免疫のない人間が世界と接する時はそういう些細な出来事が妙に引っかかるのである。

  が、そんな腹立たしいことを帳消しにするかのような、人類って素晴らしい!という出来事も多々あった。帳消しどころか、そっちの方が上回ると思わる出来事をいくつか挙げてみる。


  ①名刺を渡してもいないのに、先に携帯番号入りの名刺を渡してくれたクラス会の同級生B。
    (ただし、奴は同じクラスの女子の四分の一くらいと過去確実にデキている)

  ②クラス会の後、終わるのを待っていたプロポーズ男との二次会に付き合ってくれた友人C。
   (ただし、彼女はクラス会の気を使わない幹事と同一人物。うわばみなので飲むのが目的と思わる節あり)

  ③・・・・

  む・・ もっと上回るほどたくさんの人類愛を感じたはずなのだが、哀しいかな、今すぐ出てこない。もっと回想を進めれば、死ぬほど湧き出てくると思われる。


  同じく、人類の抱擁の一つとして出かけた文京区でのアカデミックな「勉強会」。
  こちらで、似たような話を聞いた。
  つまり、嫌なことがたとえあろうと、それを上回る良いことがあるという・・

  神話の話である。


  私は子供の頃から、万葉集だの日本書紀だの古事記だの古典が好きであった。
  子供の頃、クラスの書庫に置いてある子供向けのそれを熱心に読んだのに、長年すっかり忘れていた。
  ここ最近、また読み始めて、なんとまぁ、こんな面白い世界があるとはと、目から鱗のように夢中になっているところである。



  で、日本の神話にこんな逸話がある。イザナギとイザナミの別離のシーン。二人が決定的に別れる瞬間に、「死」と言う存在(以前から世界からの消滅はあったのか、恐らく現世の死に近い概念か?)が初めて生まれる。

  その時に、黄泉の国に堕ちたイザナミが呪いのように言い放つ。

「愛しい人、これからあなたの国のものを一日に千人ずつ殺しましょう」


  すると、イザナギがこう答える。

「ならば愛しい人、私は一日に千五百人産みましょう」(※15000人生まれる産屋をつくるだろう)

  一つの禍があるならば、その1.5倍の誕生(建設)を以て補おうという考えだ。



http://www.muse-product.ecnet.jp/popkojiki1.html



  私は思わず、ははぁ、と唸った。
  日本の神話が、たとえ無意識レベルであっても、日本人共通の思想の根幹をなしているというならば、なんとまぁ、ポジティブな国民性が浮き彫りになる話であることか。

  不幸に嘆く時間があったら、その1.5倍の幸福を手にする努力をすることだ。

  私は、人類との抱擁タイムをこれから、1.5倍増やそうかと考え始めている。(ちょっとそこは意味が違うような気もするが・・)


  もう一つ、神話勉強会で、日本人の思想の根幹を成す話を聞いた。
  それが有名な、アマテラスオオミカミの天の岩屋戸の話だ。
  日の神である天照大御神が、岩屋戸に姿を隠したため、高天原(たかまがはら・天上界の意)も地上も暗闇に包まれた。
  世界が夜だけになって、禍々しい悪神、悪霊が現れた。
  混沌とし、絶望に包まれたその中で、人々はどうしたか。
 
  笑うのである。

  祭りを起こして、酒を交わして、どんちゃん騒ぎをする。踊り、舞い、歌う。あまりにも楽しそうな笑い声に、好奇心を抱いたアマテラスが岩屋戸から顔を出したところを、引っ張り出して、無事世界は救われる、と言う話。



http://www.muse-product.ecnet.jp/popkojiki1.html




  これは、誰でも知っていると思うが、それが私たちの源泉なのだ、と改めて認識すると、日本人の底力の凄さを思い知る。


  喪失を味わったならばそれを上回るものを得る。生み出そうとする。
  絶望の淵に立った時は、笑う。笑顔を以て挑めば、また世界は太陽に包まれる。


  しかつめ面、神妙な面持ちでいることが敬虔とされる異国の宗教と比べると、違いは歴然とする。

  日本人はマイナスをプラスで補う。産み、笑うことで、死をも、絶体絶命の危機をも、乗り越える。
 名刺男人類Aも同級生Bも友人Cも、ただの酒好き、軽い奴らではなくて、みんな真剣に世界と挑んでいるのだなぁ、と関心すらしてくるのであった。(それもちょっとこの場合の話とは違うような気もするが・・)


  ところで、勉強会で講師をしてくださった高森明勅(たかもりあきのり)先生の本を購入した。
  その本には、いや、勉強会でもお話があったのだが、神話は「出来そこない」のものたちが成長する物語である、と言うことを教えてくれているのである。

  出来そこないの神々が、お話を通して、天上世界の統治主体たるにふさわしい神格を完成する。それはそのまま、私たち人間が至らなさを克服して、成長するための手法にも通じるものがあり、私はたいそう感心させられた。

  古事記解説は以前読んでいたが、人(学者の方)により、こうも解釈が違うものか。
  私はこの本を読んで、以前見えなかった、神話の道筋がはっきりと見えたような思いがしたものだ。


  詳しくはぜひ、本で見ていただきたいが、思いっきり端折って言えば、成長に欠かせない要素は、愛と条理を兼ね備えたものとなる、ということである。


  愛だけでは、失敗する。
  愛なく、条理だけによれば、同じくだめだ。

  物事を成し遂げるには、両方が必要で、それを弁え、知り尽くして、行動できるものだけが、次のステージへと行ける。


  こんなに愛情深いのに、何で人類と抱擁できないのか、よ~くわかりました。
  逆に、条理を知っていても、愛のない人間は、私よりも成長が難しいだろうなぁと同情する。

  (そちらの方が兼ね備えるのは大変そうである)



  

  ああ、面白かった、日本神話。


  古事記漫画版も買ったので、ぜひ、秋の夜長に楽しませて頂こうと思う。