2011年10月8日

Stay hungry, stay foolish. 死の頂を目指すにあたって。



  


  ジョブズ氏の、毎日を今日が最後の日のように生きなさい、という教えの中で、感銘したことがある。

  彼は死を「人生の到達地点」だと言った。

  常々私が人生という山の頂を死と考えていたことと重なる。
  意外だった。偉大な氏と私ごときの思想が重なるとは思わなかった。
  それが嬉しく思われたのであった。


  (聞き間違いかと思って、何度も映像を見てしまったほどである。※前記事に貼り付けあり)


  それで、もっと共通項が見つかるかと思い、彼の言うとおりに、今日が最後の日だとしたら・・・と考えてみることにした。

  氏は、毎日鏡を見て自分に問いかけたという。
  時間が限られていると思うことで、しなくてはならないことが見えて来る、それらの優先順位もわかってくる、日々精一杯生きよう、という話なのだが、哀しいかな、考えてみたけれど、その中では、氏の思想とは重ならず、私は「それを続ければいつか必ず一角の人物になれる」と思われるような前向きな目標は浮かんでこないのであった。


  私がもしも今日が最後の日だったら、したいと思ったことはこんなことだ。


  一日を静謐に包まれて過ごしたい。


  朝起きて、掃除をして、食事を済ませて、それから、穏やかに、今までの人生を振り返る。

  今まで書いたブログの記事を読み返して、人生の中で特に、ここ6年間に起こったことをすべて振り返って、その時々の感情や出来事を思い出したい。できる限り。


  そして、愛しい人への愛を確認したら、静かに消えたい。


  もしも、時間が1日ではなくて、1ヶ月ならば、私は、それはもっと叶うだろう。
  もしも、1年ならば、思い出すだけでは余る。
  私は全部の記事を書き直して、愛を(過去の想いを)な形に仕上げるだろう。


 
  未来ではなく、過去を繰り返す「最後の一日」を続けたとして、一角の人物になれるとはとても思えないのだが、それでも、がっかりしただけではなかった。
  それが、私が最後にしたいことだと理解できたのだから。
  私はこれから、積極的に過去を振り返って生きて行こうと、思うことが出来たのだから。


  いつか、到達地点を迎えるまで、私はひとつひとつの記憶と想いをなぞって生きて行こうと心に決めた。


  そう言われれば、ずっとそうだったのだ。


  私には未来はなく、思い出しかなく、いつかの為に、一つでも多くのそれを集める為に、ここを始めたのだということを、最近の不調ですっかり忘れていただけであった。


  ジョブス氏に感謝したい。


  願うは静謐な心情と。
  そして愛の記憶の再確認。


  ハートと直感に従って。

  Stay hungry, stay foolish.

  最後の日々を精いっぱい生きていきたい思う。




  (今日から、後ろ向きな記事の執筆と合わせて、過去記事の加筆修正を始めていきたいと思います)