2012年1月21日

ポトマック河畔の100周年に桜の返礼 日本再興はハナミズキの花と共に?!





桜のお礼、百年後も 米、被災地などにハナミズキ3千本  (朝日2012年1月20日)


 100年前の桜のお礼にお贈りします――。米政府は今春、日本からワシントンへの桜の寄贈100周年を記念して、東海岸バージニア州産のハナミズキ計3千本を東日本大震災の被災地と東京に寄贈する。キャンベル国務次官補が19日、講演で語った。



ワシントン桜の点灯式 駐米大使「私たちは再び咲く」 (朝日2011年4月5日)


 ワシントン・ポトマック河畔の桜が満開を迎えた3日、恒例になっている桜の下の石灯籠(いしどうろう)の点灯式があった。藤崎一郎・駐米大使はあいさつで、米国による東日本大震災の支援活動について「決して忘れません」とお礼を述べるとともに、日本人を桜にたとえて「私たちは再び咲きます」と、復興を誓った。







アメリカの首都ワシントンDCのポトマック河畔に、美しい桜並木があります。

3月末から4月にかけて、「桜まつり」が開催され、

全米からたくさんの観光客が集まります。

これは1912年、明治の終わり頃、

当時の東京市長の尾崎行雄氏が、アメリカ大統領タフト夫人の希望に応えて

3千本の苗木をプレゼントしたことから始まりました。

今では日米友好のシンボルとして、人々から愛される名所となっています。













「私たちは再び咲きます」

昨年、東日本大震災から1か月が過ぎた4月5日、

そのワシントン・ポトマックの満開の桜の下で、駐米大使の藤崎氏が誓いました。


私たちは再び咲きます。

この花のように必ずまた復興しますと。

日本人を桜の花に喩えたのです。




今日のニュースで、その100周年を記念して、米政府が当時と同じ3千本の

苗木を日本に寄贈したことが報じられました。




100年前の桜のお礼にお贈りします――。




「返礼」という花言葉を持つ、3千本のハナミズキです。

明治の当時もお返しに40本のハナミズキを届けてくれたことから、

その謂れを受け継いでの友好の証と言うことなのでしょう。






私はこの東海岸のハナミズキがポトマック河畔のように、

一斉に咲くところを想像しました。

被災地が復興して、東海岸産のハナミズキの花が美しく咲く姿を。



「私たちは再び咲きます」



あれはハナミズキの花だったのか。


ハナミズキの名所が、首都東京と被災地に出来て、

全国の日本人が訪れている。

友好のシンボルとしてはとても美しい話ですが、

半面、どこか腑に落ちないものがあります。


その景色は必ず日本と被災地の復興の記憶と重なることでしょう。




先日、東大の入学時期が秋になるという話がありました。

国際基準に合わせて、秋入学と秋入社を

この国のスタンダードにしていくと。優秀な外国人の人材獲得に焦点を合わせ、

経済界からの意向を考慮したという話をこのブログにも書きました。


桜の花を私たちの門出や再起という共通の記憶とすることは、

もう失われていくのだろうか、と案じていた矢先でしたので、

ハナミズキのプレゼントは尚更心に引っかかりました。






戦後の焼け野原のあの時と同じように、

ポトマック河畔の桜の五色桜の苗木をいただくわけにはいかなかったのでしょうか。




戦時中、日本人は40本の返礼のハナミズキを伐ったが、

アメリカでは大切に五色桜を愛でていたという恩知らずな経緯を鑑みても、

身勝手なお願いとは思いますが、

復興と新たなスタートのシンボルは、多くの日本人にとって、

未だ桜であると私は信じます。

この伝統を守りたいという思いがあるのです。



3千本の苗木は多いのではないでしょうか。





何と言うことはありませんが、わだかまりの残るニュースでした。











にほんブログ村参加してます。ぽち頂けると励みなります。
にほんブログ村 ニュースブログへ
にほんブログ村