2014年1月8日

世界全体の平和を実現するということ





 安倍首相、また強弁…韓日・日中首脳会談不発の責任転嫁
(2014年01月07日08時28分 中央日報/中央日報日本語版)

  日本の安倍晋三首相は6日、韓日・日中首脳会談について「困難な課題や問題があるからこそ前提条件をつけずに首脳同士が胸襟を開いて話し合うべきだ」として「韓国や中国も同じ姿勢をとってほしい」と話した。
(中略)
 安倍首相は全世界からあふれる批判を避けようとしていた。全ての発言からは「もう二度と戦争の惨禍に苦痛を受けることのない時代を作らなければならない」「(日本は)アジアの友人、世界の友人らと共に、世界全体の平和の実現を考える国にならなければならない」と強調した。靖国参拝直後の会見で明らかにした弁解をまた繰り返したのだ。

 その一方で、平和憲法の改正や集団的自衛権の行使推進に対する意欲は隠さなかった。「制定されて68年が過ぎた今、時代の変化を受け入れて(憲法)解釈の変更や改正のための国民的議論をより一層深めなければならない」として「韓国や中国などにも丁寧に説明すれば、理解してもらえると確信する」と主張した。さらに「世界の平和と安定のために、今まで以上に積極的な役割を果たしていく」と話した。





 韓国の新聞社があからさまに悪意のある言い回しをするのはいつものことなので置いておくとして、安倍首相の言う「世界全体の平和を実現」するために憲法改正は本当に必要だろうか?

 解釈の変更ならわかる。が、改正となるとルビコン川を渡るがごとく、意味が大きく異なってくる。この点においては、中央日報に同意してしまうのである。

 私は今の日本国憲法が大好きだ。出来れば変えて欲しくはない。だが、日本が丸腰でいることを原理(もしくは準則)としていることで、それが原因でアジアの紛争が起こるならば、改憲はやぶさかではない。
 集団的自衛権の行使が容認されていないこともそうだ。今の9条では、自分だけが助かればいい、という態度を表明していると思われても仕方がない。

 問題は、私が日本国憲法を原則や準則ではなくて、あれは理念ではないかと、信じている点である。
 世界の平和を実現するための超経験的な最高の理想的概念であり、世界全体の平和にとって必要不可欠なモノなのではないか、という思いがどうしてもぬぐい去れないのである。

 試しに前文を抜粋してみよう。ここには、自らのあり方だけではなく、他国の、世界(いづれの国家)のあり方も書かれてある。




 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。





 世界の平和の実現方法は様々である。

 現代ならば、現代の自然との戦いも考えたほうがいいのではないか。つまり地球の環境を守るということ。

 安倍内閣がかつて掲げた環境立国として、憲法の崇高な理念を実現することはできないだろうか。地球の温暖化、資源の危機、生態系の危機等を考えれば、国家間の争いのことだけを考慮して、日本国憲法を変えるのは疑問が残る。紛争の解決だけが世界平和ではない。たとえば、CO2削減の目標は高く掲げ、緑を増やして、自然共生社会の実現を目標とする。

 それも、世界の平和の実現になりはしないか?

 もちろんそうなれば、当然自然を破壊する国家間の戦争などできない。いずれの国家も自国のことのみを考えて、他国を無視してはならない。憲法の他国を思う気持ちを地球環境に置き換えてみるとしっくりくる。
 現在の日本国憲法は確かに妙だ。紛争を必要以上に起こしかねないチキン憲法である。それでも、この理念はやはり必要である。現代こそ、世界の平和の実現のためになくてはならないものではないか、と言うのが私の結論である。9条は解釈の変更だけにとどめていただけることを切に願う。