2006年3月30日

SMAPとなるまで

 
KAT-TUNのDVDを見た。
素直に見とれ、カッコいいと思った。
可笑しい、と笑うだろうか。
最近、彼らのファンなのである。
 
「ジャニーズタレント」と言うものに、昔から偏見があった。
ただ若くて、可愛いだけだ、と思っていのである。
その偏見を変えたのは、SMAPの存在と、「SMAPへーそしてすべてのジャニーズタレントへ」と言う題名の、ジャニーズ暴露本だ。
 
あの事務所は、代表取締役社長ジャニー喜多川の、個人的趣味から成り立っている。
全国から美少年を集め、合宿と称して合宿所に連れ込み、セクハラをする。
そうして、デビューを餌に、その少年達を食っていくのだ。
知っている人は多いだろう。
この話は有名である。
しかし、本からリアルな実態を聞かされると、今までただのアイドルだと思っていた、彼らを見る目が確実に変わってくる。
ひげが生えたり、すね毛が生えたりしないよう、女性ホルモンの注射を打たれる。
必ずジャニーのひざの上に座っている、お気に入りの少年の存在を、いない、見えない、フリをする。
全員が社長の愛人(又は予備軍)と言う立場の、ライバル同士なのだ。
 
少年達は、いったいどんな気持ちなのだろう。
それでもデビューしたいのか。
そうして、彼らをジャニーズ事務所に連れて行くのは、ほとんどがその母親なのである。
噂を知らないわけはない、そんな大人たちなのだ。
スターを夢見ていた少年たちが、真実を知ったとき、
親に身売りされたような、その絶望の深さは、いったいどれくらいのものであろう。
 
 
私はこの話を聞いたとき、
自分の趣味とビジネスとを合致させるジャニー喜多川という人物に、悪魔のような才能を感じた。
普通なら、ただの変質者、で終わりである。
逮捕されてもいい事柄だろう。
それを、被害者本人からも、その親からも、ファン(世間)からも、業界ビジネスからも、(一部被害者の会を除いて)
何の文句も出ず、あるいは熱烈に望まれて、自己の社会貢献の一環として、公然とできるのである。
素晴らしい。
そして、恐ろしい。
おまけに、彼の手には莫大なお金が入るのだ。
 
そんな中、ジャニーズアイドルの彼らは必死に歌うのである。
間抜けなサテンの衣装を着て、ひらひらと舞うのである。
わずかなお金をもらい、満足な睡眠時間も与えられず、絶えずライバルと競わされ、
それでも、ただ馬鹿みたいに、ひらひらと舞うのである。
悔しさや絶望をエネルギーに変え、
きっといつかは・・・と業界のトップを目指すのだ。
去っていくものもある。薬におぼれたものもある。ジャニーさんのひざの上に乗る少年も年々変わっていくだろう。
そうして、遠きはフォーリーブスの時代から、たのきん、光GENJIに至るまで、どこか世間や業界で見下されていた感のある彼らジャニーズアイドルを、
決定的に変えたのは、SMAPだ。
SMAPは、ひらひらと舞いながら、天下を取った。
アイドルとしてではなく、本当に才能のあるエンターティナーであることを示し続けた。
地位を築き上げたのだ。
もうジャニー喜多川も、手は出せまい。
取締役であるはずの彼さえも頭が上がらぬほどの、実質的な権力を握っているからだ。
固い友情(信頼関係)と、一途な、絶え間ないその努力で、
歴史の果てに、ついに、SMAPが勝ち取ったのである。
 
 
KAT-TUNもぜひそうなって欲しいものだ。
そのときになれば、すでに若くない私が、彼らのDVDを見た、と言っても、
笑う人間はひとりもいなくなるだろう。
私はそんな彼らを見て、自分を叱咤激励する。
いつか私もSMAPとなるまでは・・
と明日を頑張ることだろう。
KAT-TUNを、そしてSMAPを、ショービジネスの世界に生み出してくれたジャニー喜多川に、
感謝しなければならない。
 
 
 
 
 
 

2006年3月29日

誰がために生きるのか

 
よく新宿の居酒屋で、朝まで語り明かした。
20代の頃である。
メンバーは8人。
男4人、女4人と言う内訳である。
最初は合コンみたいなものだった。
ところが回を増すごとに進化していき、いつのまにか、「朝まで生討論会」と化していったのだ。
 
主題は、深いことを語るのが大好きな、フリーターのガクちゃん(♂)が考える。
自称ヘヴィメタル、ロンゲのアイザワさん(♂)が、それにおちゃらけたツッコミを入れる。
体重73キロ、童貞、オタクのシノザキ君はニコニコして聞き流し、食いに走る。
必殺女殺しの流し目が得意なプレーボーイのタガワ君は、先輩であるガクちゃんとアイザワさんの討論に微妙に巧い合いの手を入れながら、すきあらば・・と女のメンバーを狙って粉をかけていた。
 
ガクちゃんにひそかに惚れていたエミちゃんは、いつも眠そうにしていた。本当に寝ていたときもある。
アサカワちゃん(♀)は、自分が参加できる話題だけ、楽しそうに参加する。
アイドル並みに美人のシラカワ女史は、会話の内容についていけず、始終きょどっていた。
私は「○○さんは秘密主義者だ!」とガクちゃんにからまれながらも、適度に会話に参加し、相槌を打っていた。
 
繰り返される主題はこれである。
「人生とは何ぞや」
 
ガクちゃんは頬を高潮させて、つばを飛ばしながら、イキイキと語るのである。
そうして、人生の定義から話は始まって、次は、
「何のために生きるのか」
と言う問いに行き着く。
一番年上のアイザワさんが、そんな真剣なガクちゃんをからかって、「有名人になって金を儲けるためだ」だの、「たくさんの女と寝るためだ」などと茶化すと、ガクちゃんはがっくり肩を落としてしまう。
「アイザワさん、、ふざけないでくださいよぅ・・・」
真剣になみだ目なのである。
その次に行き着く主題は、
「愛とは何か?」
と言う問いだ。
人生の定義(問い)→それは目的があるはず(推論)→目的とは何だ?(問い)→愛ではないか?(仮説)→愛とは何だ!(問い)
と、言う具合に議論は進行していき、その命題を求めて、ケンケンガクガク、
朝まで安居酒屋で粘り続けるのである。
 
しかし、今思うと、男連中はともかく、よく女の子連中が終電で帰らなかったものだ。
きっと、みんなと一緒にいるだけで、ただ楽しかったのだろう。
若いと言うことは素晴らしい。
仲間といれば楽しいし、お金はなくても会話だけで、充分に、楽しい時間を過ごせるのである。
 
その後、ガクちゃんは就職した。
いきなり工場の現場主任を任され、あるパートのおばさんに、
「僕のやり方が気に食わないならやめてください」
と言い放ち、おばさんパート連中の逆襲いじめに合い、またしてもフリーターに転落。
 
アイザワさんは長年同棲していた彼女に、別れを告げたが、
「私はこのままでいいの、あなたとずっと一緒にいたいの」
と詰め寄られ、年貢の納め時と観念して、結婚した。
 
エミちゃんはガクちゃんと一回ホテルに行くも捨てられ、
彼女のいるタガワ君の2号となるが、嫉妬の果てに自殺未遂騒動を起こし、
今はお金持ちのだんなを見つけ、幸せな1児の母である。
 
アサカワちゃんは結婚相談所に入り、素敵な相手を見つけたが、
10年たった今もただ付き合い続け、結婚する気配はない。
 
シラカワ女史は消息不明。
シノザキ君は今も童貞のままである。
 
 
 
討論会では言えなかったが、
何のために生きるのか、と言う言葉よりも、
誰(た)がために生きるのか、と言う言葉が、私は好きだ。
 
 
 
 
 
 
 

2006年3月28日

写真

 
 
今日は写真掲載に初チャレンジ!
 
リラックマを抱いた○○と、私と××と○○。
(「姉の子供」のブログを見てね☆)
 
うまく載せられるかなぁ~
 
載せられました!(1分後)
 
う~ん、変顔したつもりなんだけど、、、いまいち失敗、笑
 
ちなみに、私と別れた後、○○は泣き出してしまったそうです。。。
(可愛いすぎる・・・)
 
2006/03/27

必殺・マルキ伝説!

 
今日もくたくたに疲れて果て、自宅のある駅まで到着する。
この駅から家までの道のりが好きである。
どこか懐かしい、郷愁を感じさせる風景である。
薄暗い路地、電柱に灯った橙色の光、小さな商店、キリンビールの古い看板、
木造立てのアパート、駐車場のフェンス、その先には旧246号線。
通勤は遠い。都心に引っ越したい、疲れているときはカプセルホテルに泊まりたい、と願うこともある。
だが、今日一日が終わり、ここに戻ってくると、なぜかほっとするのである。
この町の一員であること、そうして、ここに受け入れられていることを嬉しく思う。
私の大好きな田舎町だ。
 
そんな田舎町のうちのマンションには、気狂い伝説がある。
私が勝手に名づけている。
必ず、気狂いが住み着くのである。
 
初めて、そのおばさんを見たのは確か22歳くらいのときだった。
衝撃だった。
上の6階から妙な叫び声や、怒鳴り声がするのは聞こえていた。
母から「上にマルキがいるんだよ!」とも聞かされていた。
だが、それが頭のおかしい人であることはわかっても、
マルキと呼ばれる人の実態がわからない。
リアルにイメージができなかった。
そんなある日、家まで帰宅する道の途中で、突然彼女は現れた。
私の前からまっすぐ歩いてきたのである。
通り過ぎるまでの1分あまり、恐いもの見たさで彼女を見つめ、
あわてて目を逸らし、また見つめ、挙動不審にそんなことを繰り返したのを覚えている。
彼女はTシャツを着て、ひざ下丈のスカートをはいていた。
秋か、初冬だったと思う。
いかにも寒そうなのだが、その顔色は赤黒く、まるで日焼けしているように見えた。
「何だ、馬鹿野郎!」
「この野郎!」
と言う言葉を繰り返している。
怒鳴り声をあげながら、ゴミ袋を手にして歩いているのである。
ゴミ袋からは生ごみの強烈な臭いがし、その生ごみの汚汁が破れた袋から滴って、
彼女が歩いた後には、点々と、臭い水滴痕が残っていた。
(後で知ったが、彼女はいつも生ごみを持ち歩いていた。その強烈に臭い水滴の痕は、彼女が通った証なのだ)
髪は肩の下まで長く、妖怪の鬼婆のようにぼさぼさである。
怒りと言うネガティブなエネルギーを体全体から放出している、強張った顔つき、乾いた唇、特にぎらぎらと輝いた小さな目が恐かった。
こんな人が同じマンションに住んでいたなんて!!
そのときの衝撃は計り知れない。
 
そのから、10年近く経ったろうか、突如彼女は姿を消してしまった。
強制収容所に行ったのか、道端でのたれ死んだのかは、定かでない。
実家にもようやく春が来た、と思った。
(そのときは親と同居していず、近くのアパートに住んでいたので)
ところが、このすぐ後に、またマルキがやってきた。
今度は男である。
年のころは45、6。いつもニヤニヤ笑っている。
そんな彼は自分のエリアを守るために、(と管理人に説明したそうだ)
一日中大音量の音楽を鳴らす。朝も、昼も、当然真夜中も。
(最近耳栓にも慣れました~)
音楽に飽きると、ぽくぽくと木魚のようなモノを鳴らす。
(ぽくぽくはスピーカーから聞こえるのである)
彼の家の扉の前を通り過ぎるときは、必ず、ラジオの大音量がする。
玄関にラジオを設置してあり、たぶん外に向けて流しているのだ。
ちなみに、それは外敵から身を守るためだそうだ。
(↑これは私の想像、笑)
 
なんでうちのマンションにはマルキばかりが集まるのか、、、、
誰か説明して欲しい。
なにかの因果か、因縁か。
たとえば10年後、その男がいなくなった後も、また誰かがやってきそうな気がする。
そうしてそれは、私かもしれない。
 
10年後の私はああなるのだ。
ゴミ袋を提げて歩いていたあのおばさんのように、
長い髪を乱し、怒りの叫びを上げながら、ぶつぶつと・・・
町を練り歩くのだ。
いつまでも・・
 
 
おお、こわっ!
 
 
 
 
 

2006年3月26日

姉の子供

 
恒例の病院に姉とその二人の娘達が来た。
子供は癒される。
もう食べてしまいたいくらい、可愛い。
 
帰りのバスの中で、ちょっとしたおふざけをした。
この二人の子供は、母親(姉)をめぐっていつもけんかをしているのである。
甘え上手の下の子供が、姉にいつもまとわりつき、
(また下の子がかわいいんだぁ~これが)
しっかり物のおねぇさんである上の子供は、なんとなくいつも一人でいるというパターンが多い。
疎外感を感じることも多々あるのだろう。
そうして、時折、下の子を殴ったりする。
愛着人物(対象)を満足に得られないストレスを、暴力と言う妙な形で発散する。
母の愛情を勝ち取る面では、下の子に頭が上がらないのである。
バスの中でも、下の娘が姉にへばりついていた。
一番うしろの後部座席に、4人で座っていたのであるが、
窓際に私、子供、姉と言う感じで並び、甘えベタの上の子が私のすぐ隣であった。
その隣にいた下の娘が「鼻を鳴らして」(←姉と上の子いわく、下の子はこういう性格なんだそうな)
上の子を押しのけて、ニコニコと私に擦り寄ってきた。
上の子は不満そうである。
そこで私はちょっとした意地悪をした。
わざと上の子と肩を組んで、顔をくっつけ、
「今××(上の子の名前)と仲良くしてるから、だめ~」と言ってみた。
上の子も、笑いながら、このおふざけに参加して、
「みなみな(私のこと)と仲良くしているから、こっちこないで~」
と言う感じに下の子に言って、彼女を軽くつきはなした。
下の子はこのおふざけが面白く、きゃっきゃ笑っている。
そしてまた母親に鼻を鳴らして、くっつく。
私はその子の肩をちょんちょん叩いて、わざと顔をこっちに向けさせ、
「きゃ~」と楽しそうに笑いながら、また上の子供と肩を組んでぴったり寄り添った。
下の子がそれに加わろうとこっちに擦り寄ってくると、
「○○(下の子の名前)はだめ~!」と、上の子が押し戻す。
子供達はこのおふざけに興奮し、姉と4人できゃっきゃと笑っていたのだが、
下の子はバスを降りてから急におとなしくなってしまった。
 
レストランに入っても、
いつもは何を食べようかとワクワクして、顔を輝かすのに、
今日はおとなしくしている。
あからさまに不機嫌そうである。
「どうしたの?」と姉に聞くと、
「さっきのが気に食わなかったみたい、寂しいとシャツの袖をかむんだけど、びちょびちょに濡れてるから」
と言う。
見ると、ロングTシャツの袖口は濡れきっていた。
あわてて、ご機嫌を取ったが、なかなか直らない。
なにを話しかけても、笑いかけても、恨めしそうな顔をして、こっちをじっと見る。
食事の後、買い物をしたいと言い出して、ショッピングモールの雑貨ショップに入っていく。
そこで、入学祝にと言って、リラックマのぬいぐるみを買ってあげたら、
やっと少し笑顔を見せた。
でもいつもとは格段レベルの低い、なおざりの笑顔であった。
(いつもはをねだった物を買ってあげると満面の笑みで擦り寄ってくるのである)
「意外と○○は忘れないで、覚えているんだ」
「女王様でいたいんじゃない?」
と姉が言う。
自分が中心でいたくて、(これは子供なら当然)
されたことをいつまでも根に持つ、執念深いタイプらしい。
私は自分のおふざけを反省した。
 
電車に乗り、別れ際が近づいても、○○は私に笑顔を見せず、おとなしい。
笑いかけても、あやしても、そっけない。
「こりゃご機嫌損ねちゃったなぁ」と気にやんでいたら、
ふと、
「みなみなうちに(泊まりに)こないの?」
と小さな声で言う。
「きて」
と小さな手を差し出して、私の手をぎゅっと握り締めた。
軽い衝撃が走った。
「みなみなは明日仕事だから、だめだよ」と姉が言っても、
その小さな手を離さない。
「うちから行けばいいじゃん・・」
と泣きそうな顔をする。
おとなしい原因は、執念深さだけではなかったのだ。 
 
子供って・・・・
なんて可愛いんだろう。
 
○○意地悪してゴメンね。
来週はきっと泊まりに行くから。
リラックマ抱いてよく寝てね。
 
こうして、下の子の魔術にはまり、上の子のことをまた少し忘れる私であった。。。
やられた・・・
××も大好きだよ。
 
そうして、二人の可愛い天使をこの世に送り出してくれた姉、
どうもありがとう。
今日も癒されました。
 
 
 
 

2006年3月25日

今日は・・


  
  今日は今にも桜が咲き出しそうないい天気。
  毎週末恒例になっている、母の病院へと向かう。
  母は日に日に元気になってきた。
  先月8日、くも膜下出血で倒れたときは、
  正直もうだめかと思ったが。
  だって、大学病院の脳外科医たち、脅かすんだもん。。。
「くも膜下はレベル5で分けられて、○○さんはうちへ運ばれてきたとき4~5のあいだでした」
「危険な状態なので、手術ができるか様子を見ます」
「手術をしますが、うまくいっても、言語をつかさどる部分に出血しているので、
  もう意思の疎通はできなくなるでしょう」


  手術後 (これが9時間かかった・・・)
「最善は尽くしましたが・・・
  やはり左側の脳細胞が壊れていました。もう言語は理解できません」
「右手、右足は動かなくなるかもしれません、良くてかたマヒ状態です」
「このままずっと目を覚まさず、もしかしたら植物状態かもしれません」
  1週間後 (寝たきりで意識を回復するまで2週間と少し・・・)
「悪いほうの脳が肥大化しています、体積の関係上持ちきれません」
「このまま肥大化するとあと数日で確実に死にます」
  とかなんとか、言ってたんだけどなぁ、、、
  1ヶ月と半分過ぎた今、
  ご飯は食べるし、テレビは見るし、話すし、
  ちょっとぼけたこというけど、こっちの言うことちゃんとわかっているみたい。
「10+3は?」と聞いたら、「13」と答えたし、
  昨日なんか歩行器を使って、トイレまで歩いて行ったそうな。。。
  恐るべし・・・わが母の生命力・・
  会社の上司に泣く泣く「もうすぐ死にそうなんです」と言って、
  みんなの同情を買い、10日近くも4時で早退していた私。
  意識の戻らぬ母の手を握り、今までの親不孝をわび、神に祈り、
  筋肉が衰えないよう、必死で足をもみつづけていた私。。。
  泣く泣く、、、、、
「おかぁさ~ん!!」
  と。。。。
  涙返せーーー!!
  てか、ぶっちゃけ会社に言いづらいっすよ・・
  いまだに、意識が醒めてないことになってます。
  ごめんなさい、おかあさん。。。
  まさかあんなに元気になるとは、父も姉も親戚も、夢にも思わないっす。
  でもでもっ、元気になってくれたことは、本当に本当に嬉しいんですよっ。アセッ
  カミサマ、本当に願いをかなえてくれて、どうもありがとうございました。
  しかし、関係ないが、大学病院の脳外科医たちはみなイケメン、、
  頭もいいうえに、あんなにカッコいいなんて、どういうわけなんだろう??
  謎だ。。。。
  (今日も目の保養になった・・)