2006年4月22日

『言葉の魔術師 哀しき女流作家たち』

 
女流作家が好きだ。
女としての幸福よりも、作家であることを、第一に考える彼女らは、
人生のあらゆる絶望を見知っている。
人間の醜さも知り抜いている。
それでも母性という本能のなせるわざで、すべてを包み込み、静かに受け入れるのだ。
そんな彼女らが書く小説には、必ず、底辺に哀しみがある。
虚無と、そこはかとない哀愁が、漂っている。
フランソワーズ・サガン、コレット、樋口一葉、田辺聖子、林真理子、吉本ばなな、曽野綾子。
(私が特に愛するのは、その七人だ)
みな、哀しい。
きっと、それが、私が愛してやまない理由だろう。
 
何人かについて話そう。
サガンは「悲しみよ、こんにちは」という衝撃のデビュー作で知られた、フランスの作家だ。
彼女の哀しみは根が深い。それらを知るには、「ブラームスはお好き」という作品がオススメである。
コレットは同じくフランスの、おそらく世界で一番の、「女流・言葉の魔術師」だ。
彼女の書く文章は、官能的で、美しい。ただ、ひたすら、脱帽するばかりである。
もし、その魔術に惑わされたければ、「シェリ」「青い麦」を読んでみるといいだろう。
田辺聖子は大阪の不細工なおばさんである。(失礼)
辛らつなユーモアにあふれ、「ハイミス」という女性の姿を何度も繰り返し描いて、大衆文学の新しいジャンルを確立した。さらに、この人は自他共に認める天才だ。難しいテーマも、ユーモアに交えて、さらりと描く。「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)」で芥川賞も受賞している。
この「感傷旅行」を読んだときの、衝撃は計り知れない。歴史をまたいで、読み継がれていって欲しい作品である。「感傷旅行」「日毎の美女」をオススメする。
そうして、私が一番愛してやまない、曽野綾子である。
この人は徹底的な「作家」である。
エッセイも数多く出しているが、それらの本音を読んでしまうと、正直、小説の世界観が台無しになる、と私は思っている。
(意図的に仮面を剥いで、魔術の種明かしをしているとしか思えない、読者の楽しみをあっさりと奪うため、作品に対する深い感動と憧憬が薄れ、嫌悪感さえわいてくるのだ)
作家に徹しているときの、自らプロの女流作家で在るときの、彼女が私は好きだ。
 
曽野綾子は、文学賞を一切もらったことがない。
一度もらいそうになったが、辞退した。
どれだけ人気を博しても、優れた作品を描いても、ただの大衆作家という位置づけなのである。
しかし、彼女のすごいところは、安易な希望を決して描かないところである。
あれだけ、悲惨な結末にして、その深い洞察力と巧みな筆力で真実を描き出しておいて、
大衆文学であり続けられる作家は、私は他には知らない。
それは、彼女の言葉の魔術と、ストーリーが素晴らしいからだろう、と思っている。(ストーリーは特に長編小説)
美しくも儚い言葉の数々で、その確かな文章力で、決して読者を飽きさせず、
有無も言わせず、一気に結末まで読ませてしまう、そんな魔力がある。
偉大なるストーリーテラーである。
すべてが素晴らしいが、「天上の青」が面白い。
 
いつか暇ができたなら、あなたも、女流作家たちの本を読んでみるといい。
彼女たちは、みな作品の中で、泣いている。
その美しい涙を、もし味わうことができたなら、
あなたも、言葉の魔術から、
決して逃れることはできない。
 
 
ゴールデンウィーク明けは『ヘミングウェイ(と三島由紀夫) VS サリンジャーとウィリアムズ』
 
 
 

2006年4月21日

『言葉の魔術師 宮沢賢治』

 
雨ニモマケズ  風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ  
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク  決シテ瞋(イカ)ラズ  
イツモシズカニワラッテヰ(イ)ル
一日ニ玄米四号ト  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ  ジブンヲカンジョウニ入レズニ 
ヨクミキキシワカリ  ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ  小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ  行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ  行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
 
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
彼の作品を読んだことがない人でも、この詩は、一度くらい目にしたことがあるだろう。
それほど有名で、何度読んでも、心を打たれる、美しい詩だ。
なぜ、詩なのか。
宮沢賢治といえば、童話作家だ。
私にしても、かなり狂信的で、ちょっとオカシナ童話作家、という認識しかなかった。
自ら「心象スケッチ」と呼ぶ彼の童話は、岩手の大自然(イーハトーヴ国)が主人公で、
まるで命を授かるその自然たちが、自らの意思を持って、われらおろかな人間たちに襲い掛かってくるかのような、おそろしい迫力がある。
私はゴッホの絵を思い出す。
あの何度も描かれた、自らの肖像画や、ひまわりの絵を。
狂気に近いその迫力に、ただ、ひれふし、恐れをなすばかりだった。
そんな私が、賢治の魔術にはまったのは、「春と修羅」という彼の詩集を読んでからだ。
これには正直、ノックアウトだった。
その言葉の美しさには目を見張るものがあった。
巧く説明できぬのが歯がゆい。たとえばその天にも祈りたくなるような美しい情景が、鮮やかに浮かび上がる、「有明」。
 
起伏の雪は
あかるい桃の槳(しる)をそそがれ
青ぞらにとけのこる月は
やさしく天に咽喉を鳴らし
もいちど散乱のひかりを呑む
   (波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶)(ハラサムギャティ ボージュ ソハカ)
 
この人は、私が思うような人とは違うのではないか、
只者ではない、
そうはじめて気がついた。
賢治の巧妙な仕掛けに気づき始めたのだ。
 
これは童話として書かれているが、ただの童話ではない、
狂気とも見える中に、論理的で、巧妙な、彼の意図が隠されている。
 
私は彼の仕掛けを探し始めた。その作品を読み直し始めたのだ。
だが、それは、私の乏しい知識力では、かなわぬくらい難しかった。
彼は化学や物理学や地学や天文学や宗教や、すべての知識を総動員して、言葉に謎を仕掛けた。
理解力や、思考力だけでは、彼の魔術にかなうことはできなかった。
只者ではない、ということだけを気づかされ、彼の魅力のとりこになっただけであった。
しかし、ある日、その賢治の謎を解いた本を発見した。
意外にも武田鉄也が書いた小説、「賢治売り」(学習研究社・刊)という本である。
私が辞書を片手に、賢治の童話と取っ組んだように、武田鉄也もそうしている。
作品の中で、武田がモデルの主人公は賢治の謎を、思考力を頼りに、ひとつづつ解いていくのだ。
私は思わず、「ブラボー!」と叫ばずにはいられなかった。
それは、賢治が死んでから、今まで、誰もやろうとはしなかった、未知の分野だ。
「ただのオカシナ童話作家」と、多くの読者のように片付けず、武田は真剣に賢治と取り組んで、見事に解明し、それをまったくべつの小説にまで、仕立て上げたのだ。
(そんなわけで、私は、誰がなにを言おうとも、武田鉄也を尊敬してやまない)
ただ、哀しいことに、彼が解いた賢治の作品は、小説の構成上、4作品に限られている。
ぜひ続きを読みたいものだ。
 
不思議なのは、賢治はこれらの美しく、難解な作品を、ただ、毎日書き記していたということだ。
誰かに読ませるあてもなく、(生前一部を自費出版したがまったく売れなかった)
誰かから賛美されるわけでもなく、
誰からもほとんど理解されず、
唯一の熱烈な読者であった、最愛の妹を亡くしても、
ただ、書き続けた。
その体が病に蝕まれるまで、
たったひとりで。
そうして、彼が死んだあと、原稿用紙の山だけが残された。
それは、賢治から、すべての人類に宛てられた、膨大なラブレターだった。
神でさえ敬意を払う、
力強い、人間の、愛の証だ。
 
 
 
次回は『言葉の魔術師 哀しき女流作家たち』

2006年4月20日

『言葉の魔術師 太宰治』

 
言葉の魔術師と呼ばれる作家が好きだ。
彼ら(彼女ら)は、その命名どおり、美しい言葉の数々で、見事で巧みな文章力で、
読者を虜(とりこ)にする。
そして、読者の心の琴線に触れることができるのだ。
 
日本における、言葉の魔術師の第一人者は、太宰治と、宮澤賢治だ。
それを言うなら、ノーベル文学賞さえも受賞した、川端康成だろう、と言う方も多いと思う。
しかし、彼の文学は、精巧で、美しくて、本物過ぎる。魔術とは呼べないだろう、と思っている。
魔術師と呼ばれるからには、仕掛けと嘘がなくてはいけない。
その手にかかれば、赤のものも白になる。
道端の石ころも、立派なダイアモンドと変わるのである。
 
太宰治ほど評価が分かれる作家はいない。
傾倒する読者と、徹底的に批判する読者が、当たり前に共存する、不思議な作家である。
若い子は「今はまっているのは太宰治です♪人間失格っておもしろ~い」などと恐れを知らぬことを平然と言う。
ある程度お歳を召した読書家は「徹底的なナルシストだ。反吐が出る」とのたまう。
(ちなみに村上龍も何年か前そう言っていた)
今はずいぶん良くなったと思うが、生きている当時、太宰は文壇からもほとんど見放されていた。
死後長い間、太宰の話はタブーとなっていたようにも思う。
無理はない。
酒を飲んではくだを巻き、自殺未遂で何度も世を騒がせ、薬物中毒、愛人に隠し子、作品はデカダンス、「私に芥川賞をください」と選考委員に手紙を書いた。
醜態をさらし続け、挙句ぷっつり自殺である。
さらに、死ぬ間際には、「どうせもうすぐ死ぬし~、最後にぼく言いたこと言っちゃうもんね~」とばかりに、文壇とその中心人物たち(おもに志賀直哉)を徹底的に糾弾した。
そんな太宰は、しかし、当時の人気流行作家だったのだ。
死後何年たったのだろうか、彼の書く文章は、今もなお、読者の心の琴線に触れ続けているのだ。
 
 
私自身はどうかと言うと、若いころはありがちに傾倒した。
津軽まで、生家を見に行ったほどである。
30代が近くなったころ、急にうんざりしはじめた。
特に死ぬ間際のころに書かれた小説は、醜悪だとさえ思い、読むに耐えなかった。
年を重ね、人生のつらさを知れば知るほど、口惜しくなってきたのである。あんなに作品を愛して、その世界を信じたのに、彼は自殺をしたのだ。
「人生から逃げたのだ」と言う事実が私を太宰熱から醒めさせたのだ。
しかし、多くの知識人たちのように、太宰を切り捨てる気にはなれなかった。
なぜなら、そのとき私は、太宰が自殺した年に、至っていなかったからだ。
もしかしたら、人生と言うものは、私が計り知れないほどの、まだまだつらい現実が待ち受けているものなのかもしれない。太宰はその深淵を見たのかもしれない。
そう思われたのだ。
彼が死んだ歳まで、もしそれまで私が生き続けていることができたならば、そのときは、声を大にして、こう言おう。
「弱虫!負け犬!卑怯者!お前はなぜ死んだのだ!」
「読者を残して、なぜ死んだのだ!」
「嘘だ、嘘だ!」
「お前が描いて見せた結末は、ささやかな人生への希望は、すべて、ぜんぶ、
嘘っぱちだったんじゃないか!」
必ず、そう言ってやろう、と心に決めていた。
 
そうして、私は去年、太宰が死んだ歳になった。
今年、太宰が死んだ歳を越えたのだ。
 
昨年、私は、久しぶりに太宰の小説を読んだ。
罵倒してやろう、と心に決めていたのに、それはできなかった。
傾倒したときも、醜悪だと目を背けたときも、あまり注意を払うことのなかった、新たな太宰の一面を、そこに見つけたのだ。
それは、言葉の魔術師太宰治の、あふれるほどの生命力である。
したたかでたくましい姿であった。
あんなに繊細な心を持つ人間が、何度も死のうとした人間が、
どうしてあれほどの、みなぎる、力強い、生に対する執着を持ち続けていることができたのだろうか?
私にはわからない。
もしかしたら、それこそが彼一流のサービス精神なのかもしれない。彼がエンターティナーであったことこそが、そのゆえんなのかもしれない。
読者を愛す心が、文学を愛する心が、どんなに醜悪でつらい人生があろうとも、
彼をなお、生に執着させたのだ。
力強さを与えられたのだ。
太宰は確かに、人生を愛していた。
 
私は少し泣いてみた。
それから、可笑しくなって、笑った。
太宰にいっぱい食わされるのも悪くはない。彼の魔術が、それほど華麗で、見事だっただけだ。
ファンであり続けよう、そうして、太宰の分も、一日でも長く生きるのだ、そう心に決めた。
爽快な気分だった。
 
 
 
次回は『言葉の魔術師 宮澤賢治』
 
 
 
 
 
 

2006年4月18日

『言葉の魔術師 前奏曲』

 
人間である限り、欲望から逃れることはできない。
そして、すべての欲望の根本(入り口)であり、すべての欲望を昇華させるための突破口となるのは、
知力をもたらす『知識欲』である。
私は、そう信じて疑わない。
本の話からはじめたい。
 
 
幼いころから本が好きだ。
本さえ与えておけば、わがままも言わず、おとなしくしていた。
今でも、気分が晴れないときは、まず映画館か本屋へ行く。
(ここは流れ的に「本屋へ行く」と断言したいが、実際今は映画館のほうがひいきなのである)
紙が印刷された、本の独特の匂いを味わうと、
まるで小学校に入学したての、
真新しい教科書をはじめて手にしたときのような、
ワクワクした気分を思いださずにはいられない。
 
これから、私は、知識を得るのだ。
 
それはどんな知識だろう、なんにせよ、私の知らない世界であることは確かである。
科学、化学、生物、地学、哲学、宗教、歴史、文学。
世の中には、私が一生かけても読みきれないほどの膨大な学問と、それに関する書物があるのだ。
専門学者や作家たち、そして、過去の偉人たちが、私たちのために書き記した書物である。
私は思わずうっとりする。
この膨大な書物を読み解かしていくことだけが、
私が、この世に生まれてきたすべての目的(使命)ではないだろうか、とさえ思えてくるのだ。
そうして、この膨大な書物を私たちの手に残すために、彼らが費やしたであろうさらに膨大な時間、
その孤独に思いを馳せると、
その惜しまぬ努力と労力を想像すると、
思わず、感謝の念に満たされ、敬意を払わずにはいられない。
 
 
そんな私が好きな本のジャンルは文学、しかも大衆文学だ。
芥川賞と直木賞の違いをご存知だろうか?
広辞苑によると、芥川賞は『芥川龍之介記念のため1935年文芸春秋のもうけた文学賞』
とある。
一方直木賞は『直木三十五の大衆文学における先駆的功績を記念して1935年に文芸春秋社が創設した賞。春秋2期、新進・中堅の作家に授与』
と明記されている。
一般的に知られているのは、芥川賞は文壇の優れた文芸作品に与えられる。
直木賞は新進、中堅作家の優れた大衆作品に与えられる。
と言う説だ。
しかし、近年、新進の若手作家がデビュー作でいきなり芥川賞を獲るというケースも多い。
もちろん、若くて優れた作家が多くなってきた、ということなのだろうが、
低迷した文学界の救世主として、話題づくりの一環として、
授与される場合も、もしかしたらあるかもしれぬ。
直木賞に関しては、これまた不透明だ。
東野圭吾のように本来獲るべき実力があっても、なかなか獲ることができなかったり、また本来ならば芥川賞を獲るべきの実力がある作家でも、直木賞に甘んじるというケースも多々あるように思う。
さて、そういった業界の意図と意向はさておき、
私が考えるこれらの賞の違いは、
『結末に救いがあるかないか』
である。
 
大衆文学はどんなに絶望的な内容であれ、必ずラストに小さな「希望」を用意する。
文芸作品にはそれがない。
絶望したままの、あるがままの物事や心の姿をただ映し出し、客観的に書き記し、終焉する。
私はこういう文芸作品を読むと、思わず消化不良を起こしそうになるのだ。
「これでおわりかよっ!」
と、さまぁ~ず三村バリのツッコミを入れたくなるのだ。
小難しい論理と立派な思想、美しくて正しい言葉の羅列を、ページ途中からなかばうんざりしながらも、ただの義務感から読まされ続け、ラストまで付き合わされて、
挙句、消化不良では、、、、
いったい何のための、誰のための、文学か?
 
(いや、申し訳ないが、そう思わせる文芸作家も多々いるのである。しかしこういう作家は歴史的に見ても、文壇と評論家からは絶賛されている場合が多い)
(もちろん結末に救いを用意しなくても、大衆文学として見事に成立させる、偉大なる作家もいる。ベストオブストーリーテラー曽野綾子がいい代表例だ、しかしこの話は後ほど・・)
 
そんなわけで、読者を楽しませ、その言葉の魔術で読者を虜(とりこ)にし、
思想から結末まで、エンターティメントを決して忘れない、
そんな私の大好きな、各国の大衆文学と、大衆作品について次回から語っていきたいと思う。
 
 
第一回目は『言葉の魔術師・太宰治』
 
 
 

2006年4月17日

ブログ再開のお知らせ

 
ちゃっちゃら、ちゃっちゃららちゃっちゃら・・♪
(オールナイトニッポン風)
 
 
こんばんは!あなたのレイラです♪
今宵もビールが美味しいねぇ。
(下戸ですが)
わたくし事ですが、今日はノー残業ディー☆
これが、月に2回なんですが、
はぁ~、、いっそ毎日にして欲しいもんだよねぇ。爆
 
 
さて、一身上の都合により休業しておりましたブログですが、
またしても、一身上の都合により、
これから、第二部と称して、再開したいと思います。
今までが第一部ならば、テーマは「近況報告&マイ根本的思想のご紹介」。
で、これからの第二部のテーマは、「思想の垂れ流し的エッセイ」。
 
マイフェバリットブック、ミュージック、ムービー、プレイスetc...について
いろいろ書いていこうかと思います。
 
 
なお、
『私のキャラクターに不快を感じる方は、一切読まないでください』
(責任は一切負いません)
(ストレス発散に勝手に利用されるのも一切お断りいたします)
 
but それでも恐いもの見たさでこっそり読んでしまった方には、
私から第三部への入場券をこっそりプレゼントいたします♪
 
第三部???
そんなもんねーよ!
(自分で突っ込んでみました、笑)
 
まぁ、あるかもしれません。
先のことはわかりませんが。
(あるとすれば、「小説編」です♪)
 
ちなみに、第二部の予定は週に1,2回のペースです。
宜しくお願いいたします。m(__)m
 
 
しかし、、、ここのブログ、25個しか記事がかけないんだよね~
誰かどっかにいいブログサイト知りませんか?
1000個くらい記事が書けるところがいいなぁ。。。
そのうちブログの女王になりそうな勢いだから。
↑ならね~よ!
(はっは、なんかおもしろいな、マイ突っ込み)
 
 
 
では、おやすみなさい。
みなさま、今宵も良い夢を・・・ちゃっちゃら・・♪
 
 
 
 
 
.
 
 

2006年4月4日

すべての救われる人たちに・・

 
突然ですが、しばらくブログはお休みいたします。
 
ほんのわずかなあいだでしたが、読んでくれた方たち、本当にどうもありがとうございました。
 
今度、再開するときは、
私が今まで出会った、愛しき人々を、ひとりずつ、回想していきたいなぁ、、、
なんて思ってます。
(もちろん小説仕立てでね♪)
 
皆様の健康と幸福を、心より、お祈りしております。
 
 
最後に、わたくし事ですが、実はもうすぐ誕生日なので、
この場をかりて、私から私へと、
あと、昨年言いそびれたすべての人たちへ、
この言葉を贈ります。
 
 
『 happy birthday
 and special thanks for you 』
 
今日と言う日が、あなたの素敵なお誕生日となりますように。
 
 
  

2006年4月3日

ムイシュキン公爵

 
愛はすべてを超えるものだ。
たとえば、肉親との絆や、情も、社会的な地位も、過去も未来も、すべてをなげ打ってでも、
そこへ翔けつける。
そんな物語はいくつもある。
ムイシュキン公爵の話をしよう。
 
ムイシュキン公爵は無知で、無垢で、社会にある当たり前の利害関係や、貴族階級の常識や、人の悪意がわからない。
貴族達はそんな彼を見下し、嘲笑し、いつしか「白痴」と呼ばれるようになるのである。
そんな彼に、心の清さを見つけ、それを愛した女性があった。
位の高い家の娘で、賢く、高潔な女性だった。
ふたりはいつしか愛し合い、とんとん拍子に、婚約まで話は進む。
ところがムイシュキン公爵は、突如、彼女のもとから姿を消してしまうのだ。
すべてを捨てて、自分を頼ってきた、ある不幸な女のもとへと、行ってしまうのだ。
 
 
ドストエフスキーの「白痴」。
歴史的に有名な物語だ。
しかし、私には、この話が解せなかった。
ムイシュキンはなぜ愛を取らない?
(分裂した彼は最後に気が触れて、本物の白痴となってしまうのである)
愛を貫くこともなく、世間も友人をも、すべてをなげ捨てて、なぜ不幸な女への情を取るのか。
しかもムイシュキンはその女と結婚を決めたのだ。(この結婚は実現されなかったが)
無垢で純真だという設定だって、それはおかしくないだろうか。
そう、無垢で純真なら、一途に愛する人を思い、選び、結婚するのではないだろうか。
理解できない面が多々あった。
愛について考えるとき、いつもそれは、あまりにも深く、不可解で、言葉にはならない。
そうして、若かったから、頭と肉体が、なおさらそれを理解させなかったのだ。
 
 
それから年月は過ぎ、
ムイシュキン公爵の愛に首をかしげた日から、
私は、あまりにも遠くへ来てしまった。
今の私なら、なんとなく、わかる。
あの物語の主人公の気持ちが。
まだまだ愛を知ることは遠い。しかし、少しは世間を見たと思う。
そうだ。人間への情と言うものは、愛情も、友情も、同情も、肉親への親愛の情も、たいして変わりがなかったのではないだろうか。
どれが一番で、どれが後回しかなど、比べられるものではなかったのではないだろうか。
だから、ムイシュキン公爵は、きっと、自分を一番必要としてくれたひとのもとへと、走ったのだ。
彼の情は、男女の愛を、超えていたのかもしれない。
それこそが、すべてを超えた愛だったのかもしれない。
 
たくさんの子供がいたら、一番泣いている子供のもとへ走っていくだろう。
たくさんの病人がいたら、一番苦しんでいる人のもとへ駆けつけるだろう。
今の私もそうするだろう。
たとえ、どんなにそこが地獄でも、
私を必要とする人を放って、私が必要とする場所へ行くことは、もう二度と、ない。
きっと、それが、これからの私の人生だ。
 
 
しかし、哀しくはない。
夢想だけなら、千里も翔べる。
それだけは、誰にも、とめることはできないだろう。
 
 
 
 

2006年4月2日

母の愛

 
母は日に日に元気になってきた。
たずねていくと、嬉しそうな顔を見せ、起き上がって、ベットに腰掛ける。
もう歩行器を使わず、介助だけで、トイレに行ける。
リハビリ病院に転院する日が近づいてきた。
 
「お菓子をビニール袋に詰めていかなくちゃ」と真面目に言う。
「遠足みたいだね。どこに行くんだっけ?」と聞いてみると、
「○○○だよ、だめだよ、今日行かなきゃ」
と私の知らない地名を言う。
「昨日来たのは誰だっけ?」
「△△△だよ」
「私は誰?」
「×××」
いとこの名前を言う。ときどき幼なじみに名前になる。
今日は廊下の窓越しに、ふたりで病院の箱庭を見た。
車椅子を押して行き、一緒に花壇を見下ろした。
「綺麗だね」
「・・・」
生きていてくれただけで、嬉しいと思う。
老いた母の車椅子を押す日が来たことを、哀しく思う理由などないはずだ。
なのに、気がついたら、泣いていた。
母が、ずいぶん遠くに行ってしまったような気がした。
 
しかし、その考えはすぐに打ち破られたのだった。
 
夕飯の時だ。
母はずいぶんうまく箸を使えるようになったが、まだときどきこぼす。
介助して、食べさせてあげていると、何かを言いたそうに、時々こちらをうかがうのだ。
隣のベットにいた看護婦が、オムツの交換をするのだろう、ベットのカーテンを閉め、姿を消すと、
母は箸を奪い、私にそっと言った。
「これ、食べなさいよ」
おかずの蕗を上手に箸で取って、口元へ差し出した。
「これはお母さんのご飯だから、私はいいんだよ」
そう言っても肯かず、早く!と言いたげに、箸を差し出す。
私は蕗を食べた。
「美味しいね」
と笑いかけた。
「しっ!」
看護婦さんを気にして、
そうしてまた蕗を取り、私に食べさせようとするのだ。
「お腹いっぱいだよ。私は下でさっき食べたからいいんだよ」
「そうだっけ」
「そうだよ。お母さん食べな」
母はやっと肯いて、自分が食べ始めた。
 
愛は変わらない。
 
それは尊いことだ、と、
今の母に、あらためて、教えられた。
 
 
 
 

病院にて

 
今日は姉とその子供達が泊まりに来ました~♪
(私が行くはずだったんだけど・・)
 
病院でのひとコマ。
(ふたコマ?)
 
2006/04/01

赦すということ

 
20代のころ読んだ本で、衝撃的な言葉があった。
そのころ私は生まれてきたことを悔やんでいた。
そんな時期の話である。
 
本の内容はこうだ。
某外国に男があった。遊び人だった。
ある日、彼は自分の過失のせいで、最愛の姉と義兄を事故に合わせ、亡くしてしまうのである。
悔やんだ彼は、残された姉夫婦のふたりの子供を引き取り、聖職者となる。
罪の赦しを請うために、敬虔に生き始めるのである。
恋人はセックスもしたがらない男に、退屈を感じて去っていった。
世間は冷たかった。男はたびたびの場面で非難されり、嘲笑されたりした。
二人の子供との関係も難しかった。
男は努力して、努力して、努力して、
ついに疲れ果て、こう言うのだ。
「神父様、いったい私は、いつになったら、赦されるのですか」
目には絶望の涙があふれていた。
神父は驚いたように男を見つめて、答えた。
「あなたが、赦すのですよ!」
 
この言葉が私の人生を変えた。
自分のつらさで心がいっぱいのとき、彼はどこかへ行ってしまうが、時間が経つと、いつでも私の心へと、戻ってくるのだ。
言葉は言葉でしかない。
それでも、愛しい私の言葉だ。
 
赦されることは永遠になくとも、赦すことは今すぐにでもできる。
そうしてそれだけが、
生きるための、救いとなるのだ。