2006年5月28日

書を捨てよ、映画館へ行こう!

 
本を読むことが、知識欲のなせる業(わざ)なら、
映画を見ることは、忘却欲のなせる業(わざ)である。
 
本を読んで知識を得る。→ 苦悩の根源と、意味が少し見えてくる。→ 解決策を考える。→ 行き詰る。(誰しも必ず!)→ 行き詰ったら映画を見る。→ すべてを忘れ、気分転換する。
→ また本を読む。→ 少し見えてくる。→ 仮定を変えて考え直す。 → 行き詰る。(必ず!)
 
この繰り返しの中で、
欲望とそれに付随する苦悩を少しずつ昇華させていく過程の中で、
私にとって、一番大切な役割を果たすのが、『映画鑑賞』なのである。
 
しかし、忘却欲って・・?そんなものあるのか、と今広辞苑で引いてみた、
感覚的欲望が一番近いような気もするが、五欲、六欲、すべて微妙に違うようだ。
でも、この欲望は確実にある。
でなければ、オヤジ向けの一杯飲み屋やキャバクラが、あんなに多く、町々そこそこに点在するわけがない。
渋谷の町に、夜な夜な、若者達が集まっては、騒ぎ、夜を明かす、そんなお馬鹿をするはずがない。
社会不適応者になった中年に近い若者層が、自宅にこもってパソコンを見続けるわけがない。
出口のない苦悩は、騒いで呑んで、目を背けて、忘れるほかはないだろう。
しかし、永遠に目を背けることはできない。
苦悩を忘却したら、必ず、また、進むのだ。
そうして、必ず、はしごを一段登ることだ。
そのための、忘却なのだから。
そうだ、せいぜい楽しもう。
 
 
外は、梅雨だが、もうすぐ明ける。
みんな、書を捨てよ、映画館へ行こう。
 
 

2006年5月15日

『言葉の魔術師 ドストエフスキー』~悪と純が交錯する、その魂をかけた人類 賛歌~

 
ドストエフスキーはロシア文学最高峰の作家である。
そうして、世界最大のストーリーテラーでもある。
ドストエフスキーといえば、堅苦しい純文学のようなイメージがあるがそうではない。
今で言う、サスペンス小説である。スティーヴン・キング顔負けの、手に汗握る世界なのだ。 
そんな読者を決して飽きさせぬ、ドキドキハラハラのストーリー展開のなかで、彼は自分の思想を描くことを貫いた。
 
それは、神の存在と、悪(人間)との戦いである。
 
ドストエフスキーは愛する神を信じるがゆえに、
または神を信ずることがどんなに難しいことなのか、それを読者に示すために、
この世にありうる限りの、人間のありとあらゆる悪を、執拗に、徹底的に描いて見せた。
このような狂気に近い、残忍で、冷徹な悪が、この世に存在するのか、と思わず驚愕するほどの壮絶さである。
『死の家の記録』、『地下室の手記』、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』。
特に『カラマーゾフの兄弟』は、ドストエフスキーのストーリーテリングと、思想とが、見事に融合している作品である。読んでいる最中に、その才能に、恐怖を感じたほどだ。
読んでいて、思わず鳥肌が立ってしまった作家は、生まれてこの方、ドストエフスキーただひとりである。
神と対峙させるほどの人間の悪を見知っているのだから、ドスト自身も相当の悪人なのだろう。(と思わざるを得ない)
しかし、ドストは、あらゆる人類が理想とし、永遠に求めてやまぬような、神のごとき純真で普遍的な善の姿を、
ひとりの人物として実体化し、見事に息づかせ、その作中で何度も表現することに成功している唯一の作家でもあるのだ。
私は彼の根本的な部分は、きっと、ただの純粋な善人なのだろう、と信じている。
信じてはいるが、純粋な心と、その明晰な頭脳との矛盾、相反する彼の特徴は、
やはり少し人間離れしているような、そんな空恐ろしい想いもするのである。
当たり前だが、凡人ではない。
 
ちなみに、実際のドストはかなりの、意地の悪い、残忍な皮肉屋だったそうだ。
以前、その生涯を記した『ドストエフスキーの部屋』という本を読んだが、
これには思わず「やっぱり・・」と笑ってしまった。
人類全体は愛してやまないくせに、個人は嫌う。
同じ部屋に、二日も一緒にいられない。
女には逃げられる。
ギャンブルにはまり、いつも金に困っていて、わずかなお金欲しさにくだらない作品を書き残したことも何度もある。 
しかし、まぁ、どうでもいい。
彼には、読者に鳥肌を立たせるほどの、才能がある。
そうして、時に狂信的に、時に純粋に、一途に神を愛している。
人類を愛している。
その一生を費やして、その魂を削って、あれだけの壮大な、素晴らしい、人類讃歌を書き上げたのだから、
もう個の人間性がどうであろうとも、たとえ何を犯そうとも、そんなことは問題ではないのだ。
 
行動はどうでもいい。
言葉は言葉でしかない。(信じる価値はないだろう)
彼の作品を読むときは、魂を見よ。
あの地獄の業火も浄火に変える、愛に満ちた魂を、一瞬でも見知ったならば、きっと神でさえも、
その罪すべてを、赦してしまうだろう。
 
 
人間として生まれてきたからには、「ロシア文学」を知らずに死ねようか?
「読め!」
くすくす笑いながら、これしか言えないけど、
もし読んだならば、きっとあなたも、彼の魔術に、鳥肌が立つだろう。(それは請け合い)
 
 
 
『言葉の魔術師シリーズ お・し・ま・い 』
 
 
 
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やったーーーー!!!おわったぁ!!!長かった、つらかったぁ~、涙、涙
ホントはラストに「ルソー」を書きたかったけど、もう無理無理、笑
しばらく休養して、次回からは、『書を捨てて映画館へ行こう!』シリーズすたぁとぉ~
映画のお話を始めます!!
これは気楽に書けるぞぅ♪♪
まったみてね~ん☆ 
 
そうそう、ちなみにロシア文学はドストだけじゃなく、チェホフとかゴーゴリーにゴーリキー、トルストイ、
すごい作家がいっぱいいるのよ☆☆
 
 

2006年5月14日

『言葉の魔術師 シェイクスピア』~その苦悩を楽しむ新境地~

 
「シェイクスピアを知ることは人生を知ることだ」
という言葉があるが、まさにそのとおりだと思う。
ウィリアム・シェイクスピアほど、庶民になじみの深い偉人はいないだろう。
四大悲劇と称される『ハムレット』、『リア王』、『オセロ』、『マクベス』、
または悲恋物語『ロミオとジュリエット』、喜劇『じゃじゃ馬ならし』、『真夏の夜の夢』、
誰でも一度くらいはテレビや映画で見たことがあるだろう。
ジョセフ・ファインズ、グウィネス・バルトロウ主演の映画『恋に落ちたシェイクスピア』(『ロミオとジュリエット』)や、設定を現在に置き換えた、ディカプリオ主演の映画『ロミオとジュリエット』、イーサン・ホーク主演の『ハムレット』なども記憶に新しい。
古典で言えば、ミュージカル『ウェストサイド物語』(『ロミオとジュリエット』)や、黒沢明監督の『RAN‐乱』(『リア王』)なども有名である。
不思議なことに、これほど庶民的で馴染み深いのに、どこか堅苦しく、難しく、立派過ぎて近寄りがたいイメージがあるのもシェイクスピアの特徴である。
そんなシェイクスピアを、私がこよなく愛するのは、有名だからでも、立派だからでもない。
彼の言葉の魔術が、世界最高峰だからである。

そうだ、彼の言葉には、自己の苦悩のみには収まりきれない、雄大さがある。
普遍的で、共感性のある、人間のあらゆる苦悩が、凝縮されている。
そうして、これは演劇の台詞だからと言うこともあるのだろう、シェイクスピアの書く言葉は、しびれるくらいにカッコいい。
『To be or not to be』 (なすべきか、なさざるべきか、それが問題だ・『ハムレット』)
などと、思わずその言葉を口に出してしまいたくなるのだ。
シェイクスピア自身は、台詞に陶酔したり、台詞を誇張したりすることを、『ハムレット』の作中で、婉曲にからかっている。
しかし、それでも、その悲愴で、壮大で、最高に美しい言葉の数々を、プロの演技者にだけ与えておくのは、もったいない。
言葉が生み出すリズムに乗って、その時々の自分の心情を言い表すことは、ある種の救いとなるだろう。
決して、苦悩に酔いしれることもなく、過剰に激することもなく、
今日も、そっと呟いてみる。

問題のある人物を想うときは、
『おお、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?』 (ロミオとジュリエット)

信じられていた相手に、裏切られたときは、
『ブルータス、お前もか』 (ジュリアス・シーザー)

並々ならぬ相手とやりあわなくてはならない羽目に陥ったときは、
『向こうが高慢なら、こっちも負けずに傲慢だ!』 (じゃじゃ馬ならし)

怒りと悲痛と絶望のあまり、激情に身をゆだねたいときには、
『風よ、吹け、うぬが頬を吹き破れ!』 (リア王)

罠にはまり、窮地に陥ったときには、
『ああ、神様、お慈悲です!』 (オセロー)

すべてをむなしく感じたときには、
『消えろ、つかの間の燈し火!人の生涯は動きまわる影に過ぎぬ。あわれな役者だ』 (マクベス)
 
運命に身を任せるときは、
『来るべきものは、いま来なくても、いずれは来る。いま来れば、あとには来ない。あとに来なければ、いま来るだけのこと― 肝心なのは、覚悟だ』 (ハムレット)


こんなひとり遊びをしていると、私の小さな苦悩は、人類全体の普遍的な苦悩へといつしか還元されてしまう。
そうして、何ともなしに、気分が軽くなってきたりするのだ。
シェイクスピアの魔術にはまった瞬間だ。
シェイクスピアの物語(悲劇)は、主人公が奸計にはまって、またはその愚かさから、
信じるものを失ったり、復讐を遂げる、という趣旨が多い。
しかし、決して忘れてはならぬことは、
結局、代償に見合うだけの救いは得られず、正義の士も、悪の化身も、互いに破滅を遂げてしまう、ということである。
「人を呪わば、穴ふたつ」とはよく言ったものだ。
シェイクスピアはそんな不条理な結末を見据えながらも、
深刻に、自らの痛みを持って、
普遍的な人類全体の苦悩を、描いて見せたのである。
偉大な作家であり、世界最高の娯楽芸術作品だ。
出口のない苦悩には、持って来いである。



次回は『言葉の魔術師  ドストエフスキー』~悪と純が交錯する、その魂をかけた人類讃歌~

2006年5月13日

『言葉の魔術師 プルースト』~記憶の中の現実、その失われた時を求めて~

 
ここ数年、記憶(障害)をテーマにした書物や映画が人気である。
『半落ち』、『私の頭の中の消しゴム』、『博士の愛した数式』、『明日の記憶』。
これらの作品を見ると、人間の自我と対人関係にとって、記憶というものが、いかに重要な問題となりうるかということがよくわかる。
人間ならではの、深刻な問題なのだろう。
 
マルセル・プルーストは、そんな人間の記憶に固執した作家である。
彼の断片的な記憶は、ある日、紅茶に浸したマドレーヌを食べた瞬間に、その甘い味覚によって、封印が溶けたかように、一気にすべてが甦る。
こんなことは良くあるだろう。なにかの「きっかけ」によって、忘れていたことをリアルに思い出すのだ。
私の場合は、ある日突然、通勤途中に、季節の変わり目を告げる「匂い」を感じることによって、記憶のなだれが押し寄せる。
5月の初夏の風、その匂い、この季節は家族の記憶が圧倒的に多い。
元気な母、その優しい笑顔。まだ強い存在だった、頼もしい父。私の分身であった愛しい姉。家族で訪れた初夏の海。新学期のあとの、落ち着いた、穏やかな時間。
人生に対して、何の悩みも、不安もなく、愛と大きな存在に、ただ守られていたあの頃。
幼い頃の想い出は、なぜか、「完璧な幸福感」の象徴として、私の前に鮮やかに甦るのだ。
その幸福な思い出を喜びとともに懐かしみ、しかしそのあと、深い悲しみが訪れる。
それはもう記憶でしかないのだ。当時だって、幸福などではなく、それは現実ではなかったのだ。
しかし、子供のころを完璧な幸福と認識して思い出している今の自分にとって、それはもう記憶のなかの現実でしかありえない。それが哀しい。
そうして、現在を見てみれば、意思の疎通もかなわなくなった母、老いて小さくなった父、違う家へ嫁ぎ、母となり、遠い存在になった姉、そして一人で現実と戦う自分がいるだけ。私が、すべてを守らなければならない、過酷な現実があるだけなのだ。
あの記憶の時間に戻れたならば! 戻りたい! 
もし一瞬でも戻れるならば、悪魔にさえも心を売るだろうに!
郷愁の念に押しつぶされそうになる。
現実ではなかった記憶と言う名の時間のなかに、私は現実を見出そうと必死になるのだ。
 
 
家族がいないなら、友達との思い出でもいい、もしなにかひとつ、そんな記憶を持つ人がいたならば、
プルーストの『失われた時を求めて』を読んでみるといいだろう。
プルーストはそんな思いに捕らわれたすべての人々のために、『失われた時を求めて』と言う作品を書き残し、授けてくれたのだ。 
彼は記憶の中で遊ぶ。その記憶を「完璧な幸福」に塗り変えて、ひとつひとつを懐かしみ、いとおしむ。
時には記憶に苦しめられる。記憶でしかないと言う現実にぶつかったり、記憶が現実ではない「完璧な苦悩」を生み出すこともあったりする。
記憶に裏切られるときもある。塗り変えても塗り変えても、塗り変えられない新たな現実(=真実)が、不意に訪れたりすることもあったりする。
それでもプルーストは記憶遊びをやめない。
「失われた時」を求め続ける。
そうして、いつしか時は循環し、記憶の中の現実こそが、彼の実在する世界となるのだ。
 
また、プルーストの物語は、人間観察のいい勉強にもなる。
人間と言う生き物の複雑で繊細な心のひだを、これほど丁寧に、愛を持って、書き記した作家は他にはいない。
心理学の専門書を読むよりも、よほど、人間と言うものが、見えてくるだろう。
そうして、人間が、あらためて、いとおしくなるだろう。
『失われた時を求めて』は、全7編からなる、とても長い小説である。
プルーストが、その一生をかけて、書き記した、膨大な著書だ。
読書家のバイブルのように扱われ、ファッションで読まれることも多い書だ。
しかし、おそらく、若い人には、この本の価値は、本当にはわからない。(かもしれぬ)
記憶と言うものが、自己にとって、どんなに大切なものなのか、
それを切実に、実感として、肌で感じ取れる歳に至ったときに、ぜひとも読んで欲しい(または読み返して欲しい)一冊(何十冊!)である。
 
 
人間は記憶がなければ生きていけない。
幸福な思い出を、その記憶によって造らずして、人生に、希望を見出すことなどできようか。
しかし、反面、人間は記憶がなければ、死ぬこともない。
記憶によって苦しめられ、発狂したり、自殺する人もないだろう。
人間であることの証なのに、証だからこそ、記憶と言うものは扱いが難しい。
そう思うと、冒頭で話したような、記憶障害はどうだろう。
映画や小説の主人公達は、果たして不幸だったのか。
もしかしたら、幸福だったのか。
人気を博すのも当然の、詩となり、絵となる、題材なのかもしれない。
 
 
 
来週は『言葉の魔術師 シェイクスピア』~その苦悩を楽しむ新境地~
 
 

2006年5月12日

『言葉の魔術師 カフカ』~迷宮への入口、恐ろしきその不条理の世界~

 
もしあなたが、ある朝目覚めたとき、巨大なムカデになっていたらどうだろう。
もしあなたが、ある朝目覚めたとき、何も悪いことをしていなく、誰からも告発されていないのに、逮捕されたらどうだろう。
そんな不条理な世界を描いたのが、フランツ・カフカである。

普通なら、こんな物語は、小説として成立しない。
このようなありえない現象が起こりうる、無理な設定を成立させるためには、
①ディックやアシモフのようにSF小説にする。
現象が起こりうる時代背景を作者自身が創造し、読者に納得させる。
②鈴木光司や貴志祐介のようにホラー小説にし、オカルトの現象にする。
ただし、オカルト現象を読者に納得させるための、心理学的科学的遺伝子工学的根拠を、論理的に示さなくてはならない。
③発想の転換を図り、現実感の稀薄さを売りにする。
村上春樹のような世界観を創りあげ、現象はいっそ異次元空間の出来事にでもしてしまおう。
(読者論理的に納得してなくても、その世界観にはまってうっとり?)
といった具合に、頭をひねらなくてはならない。
ところが、魔術師カフカは成立させる。
不条理に陥った原因もわからぬまま、不条理を否定も肯定もせぬまま、突然始まったその妙な現象に必死で対応してしまう主人公と、周囲の反応とが、事細かに描かれていくのである。

正直、この天才カフカの小説は、どんなオカルトホラー小説よりも恐ろしい。
「変身」では、突然巨大なムカデになった主人公は、悲しむまもなく、最愛の家族からやっかいものとされる。
その姿に困惑し、また唯一の働き手をなくして生活にも困窮し始めた家族らは、ムカデになどなった主人公にうんざりしはじめるのである。
「審判」では、逮捕された主人公は、なぜか今までどおりの生活を許可される。
しかし、会社や町の人々はみな彼が逮捕され、起訴された事実を知っていて、彼は以前のように堂々と名を名乗ることさえできなくなる。
彼の社会的立場は、体裁を保つのがやっととなり、真綿で首を絞められるように、徐々に、徐々に、窮地へと追い込まれていくのだ。
走っても走っても思うように進まない真っ暗な悪夢のなかで、泥沼を急ぐような焦燥感。
今まで信じて疑わなかった当たり前の日常が、足元からガラガラと崩壊していくような恐怖。
そして、掻き立てられた不安がただ募り、孤独のなかへと沈んでいく。
これはカフカの心の闇だ。
彼の不安神経症の心の裡を、鮮やかに、明確に、ひとつも漏らさず、言葉で示した彼の世界だ。
カフカは、読み手によって180度さえ変化する、独断的な解釈を否定する。謎は謎のままで、ただの文学上の物語として扱われることを所望した。
しかし私は確信する。作品への正しい解釈には、死ぬまでたどり着けなくても、
彼は、歴代のどの作家よりも、病んでいる。
そうして、彼の不安の原点は、「自分の存在が、罪悪(原罪)である」という観念であると。


「変身」のラストで、主人公はすでに迷惑をかけるだけとなった家族から遠ざかろうとする、
そんな折に、家族から投げつけられた林檎が原因で、死んでしまう。
その死によって、家族はやっとすべてから解放され、希望を見出して生きていくのだ。(かのように書かれている)
「審判」のラストでは、主人公は最高裁判所についに行くこともなく、(最高裁判所は迷宮の出口の象徴。
神、または悪魔の住処の象徴かもしれぬ)
二人の男(処刑人)によって殺されてしまう。(かのように書かれている)
恥辱だけが生き残っていくような意識の中で、自らを「犬のようだ!」と言い残して。

カフカにとっては、家族も、社会も、それらを超越した普遍的な存在さえも、
原罪のある彼を赦し、受け容れてくれる実体ではありえなかった。
誰か愛の実在を、示してあげることは、できなかったか。
なぜ、作中の結末で、不条理な裁きを、し続けなければならなかったのか。
見事なその作品が、なんとも憐れである。



次回は『言葉の魔術師 プルースト』~記憶の中の現実、その失われた時を求めて~

2006年5月11日

『言葉の魔術師 アメリカ文学編』~ヘミングウェイ(と三島由紀夫) VS ウィ リアムズとサリンジャー~

 
歴代の魔術師たちを、格闘技で対決させたら、面白い。
と言っても、私は格闘技にはまったく無知なので、プロレスとボクシングとをごちゃまぜにした、手順無視、ルール無視の、
こんなハチャメチャな場面を思い描くのだ。

 (場所:某日本国某東京文学道館 観客500人程)
 (ふいに場内に大歓声が上がる まばゆいライト、観客席からひとりの男が登場)
 
「赤コーナー、××パウンド、アメリカ文学級チャンピオン、ア~ネスト・ヘミングウェイ!」
 (ファンを押しやりながらリングにあがったヘミングウェイ、軽く手を上げる)
 
実況・古達 『やってきました!ディフェンディングチャンピオン、アーネスト・ヘミングウェイ!なんとそのいでたちはスーツにノーネクタイ、白いシャツ、髪は無造作にまとめ、あご髭をはやしています!山本さん、これは、今時のちょい不良(ワル)おやじを気取っているのでしょうか』
解説・山本 『ははぁ~ちょっとそんな感じもしますかねぇ、気になるのは右手に携えたライフルですが、、』
実況・古達 『ええ、ライフルはちょっと気になりますね~、おっと、肩に引っ掛けていた黒いガウンを観客席に投げ捨てたーー!!と、ファンが飛びついたーー!!』
解説・山本 『いやぁ、さすがアメリカ文学級を制覇するだけのことはありますねぇ。「老人と海」「日はまた昇る」をはじめ、その作品は今だ根強い人気です』
実況・古達 『ええ、作風と同様ハードボイルドな王者、なんとも雄雄しい姿ですねぇ。今日は相棒フィッツジェラルドが怪我のため、ひとりでの防衛戦となりますが、頑張ってほしいですね~』

「青コーナー、同じくアメリカ文学級、テネシー・ウィリアムズ&J・D・サリンジャー!」
 (テネシー・ウィリアムズとサリンジャーコンビが登場する。チャンピオンに負けぬほどの大声援)

実況・古達 『やってきました!挑戦者!劇作家ウィリアムズと隠遁者サリンジャーの超繊細コンビです!おっと、ウィリアムズは黄色いガウンの下に何か光らせています、あのダイヤモンドのような神々しい輝きは、ピューリッツァー賞のトロフィーだぁーーー!!これはすごい!まさに「欲望と言う名の電車」!腰紐に巻いて股間にぶら下げておりますッ!』
解説・山本 『あれはいけませんねぇ、、、思わずレフリーが注意をしました、当然ですねぇ。チャンピオンも1度ピューリッツァー賞を獲っていますが、こんな自慢の仕方はしませんからねぇ』
実況・古達 『おおっと!!傷つきやすいウィリアムズ、突然のイエローカードのごとく示されたこの忠告に、がっくりうなだれた!両手をマットについたーッ!どうなる、どうなる、まだ試合も始まってないのに、すでに、「熱いトタン屋根の上の猫」状態か、ノックアウト?か、ウィリアムズ自らレッドカードを下すのかーー!!』
解説・山本 『いやいや、古達さん、レフリーが好みのタイプらしかったみたいですよ、上目遣いでこっそりウィンクしています、やっぱりゲイだと言う噂は、本当だったみたいですねぇ、、』
実況・古達 『・・・(気を取り直して)、サリンジャーのほうはしきりに観客に話しかけるぞ!自作「ライ麦畑で捕まえて」や他で何度か描いた、ホールデン・コールフィールドのキャラになりきっているのか、やたらヘナチョコ風だ、腰が低いぞ~!』
解説・山本 『携帯電話を取り出しましたね~彼の得意技は、誰にも相手にされなくても、まったく意に介せず、誰彼かまわずコンタクトを取リ続けるボンバー、ですからねぇ』
実況・古達 『ははぁ、山本さん、その攻撃にはチャンピオンも思わず参ってしまうかもしれません』
解説・山本 『繊細コンビはどうも心理攻撃が多そうですからね、観客もとばっちりを食わないように気をつけないといけませんねぇ』
 (場内に突然の歓声)
実況・古達 『おおっと!!なんだ、なんだ!試合直前に、チャンピオンの助っ人が登場だ!これは日本からの刺客、三島由紀夫じゃないかぁ~~~!!!男のダンディズムを追求したヘミングウェイに、同じく美学の王者が救いに出たぞーー!これはどうなる、面白くなってきたーー!しかもそのいでたちは、さすが美学の王者だ、ガウンの変わりに大島紬を引っ掛けて、おおっと、中は、出たーー!軍服だーーーーーーーーー!!』
解説・山本 『出ましたね~、あれは大尉の軍服ですかねぇ、いや、若者好きだから少尉でしょうかねぇ、しかも手には日本刀を携えてますねぇ、 ライフルに日本刀、これはなにか事件がおきそうな予感がしますよ~』

カーン!(ゴングが鳴る 試合開始)

実況・古達 『始まりました!世紀の一戦!リングの上はチャンピオンヘミングウェイと劇作家テネシー・ウィリアムズが対峙しております、おっと、チャンピオン、突撃した~!一気に先制攻撃だ!お得意の、情景描写キック!ハードボイルドチョップ!「キリマンジャロの雪」ボンバーーーー!炸裂!
ウィリアムズ、思わずよろめいて後ずさった!おっと、胸を打たれたか、苦痛に顔をゆがめて、胸を押さえ、かきむしった!叩いた!なんと吉本新喜劇状態か、自ら打たれた胸を打って打って打ちまくる~~~~!!どうしたことだーーーー!』
 (観客くすくす笑い出す しかし次第に、あまりに痛そうなので、顔をゆがめ始める)
実況・古達 『これは痛そうだ!胸が痛いぞ、ウィリアムズ!観客も思わず胸を押さえています!ウィリアムズと一緒に胸をかきむしり始めました!おーーーっと、応援席のファンは苦痛が感染したかーー、ついに号泣し始めました!』
 (ウィリアムズ、観客の様子をちらりと見て、口の端を持ち上げる なんとなく満足げな様子)
実況・古達 『おっと、それを悔しそうに見ていたサリンジャーが、リングに躍り出た~!ウィリアムズとタッチしました!チャンピオンに踊りかかる、と思いきや、逆にチャンピオンに踊りかかられ、ぼこぼこにされています!ヘナチョコすぎるぞ、サリンジャー、いやいやコールフィールド!おっと、レフリーが携帯していたマイクを奪い取った!なんだなんだ、とつぜん演説を始めました!殴られても、殴られても、観客に向かって喋るのをやめません!
山本さん、これはなにをしでかそうというんですかねぇ』
解説・山本 『いやいや、彼の得意技の特徴は、孤高の哲学を披露することなんです。見て御覧なさい、観客が耳を傾け始めました。あらら、調子に乗って自作の本、「ライ麦畑で捕まえて」を観客席に投げ始めましたねぇ』
実況・古達 『投げられた本を、観客がわれ先にと奪い取ろうとしています!まさに動物園の飢えたチンパンジー状態だ、人間から投げられたバナナを死に物狂いで奪い合っているかのようだー!』
解説・山本 『ものすごい影響力ですねぇ。さすが天下のサリンジャー、この観客から、第二のジョンレノン殺害犯が生まれないといいですがねぇ・・』
実況・古達 『そのとおりですねぇ~ おっとここで、三島がヘミングウェイと交代だ!リング中央に躍り出る、と思いきや、いつのまに持ち込んだのか、コーナーに姿見の鏡を置いて、その文学同様、見事に改造された肉体を、ただ眺めております!ポーズをとって、上腕二頭筋と三頭筋をチェック、ポーズをとって背筋をチェック!これは美しい、美しい!三島本人も思わず、うっとりしておりますッ!!!』
解説・山本 『おやおや、ヘミングウェイも鏡を見始めましたね、自らのダンディズムをチェックしているのか、苦悩の表情をつくり、しげしげと眺めていますねぇ、、おっと、ファンまでも手鏡を取り出して見始めましたよ、古達さん!これはどうしたことでしょうねぇ、みな鏡を見てうっとり状態だ!』
実況・古達 『山本さん、私の仕事とらないでください』
解説・山本 『こりゃ失礼』
実況・古達 『おおおお!!そのうっとりの恍惚感が最高潮に達したか!ヘミングウェイ、ライフルを手にしました!三島は日本刀を手にした!鞘を抜く、自らに向ける!おおおおおおおおおお・・・」

ズダーーーン!!(猟銃が暴発する音)
ドブシュッ!ずぶずぶずぶ・・・(刀が肉を裂く音)
「キャーーーーーーーーーーッ!!!イヤン」(ウィリアムズの悲鳴)

実況・古達 『・・・・・・・(無言)』
解説・山本 『古達さん、古達さんっ』
実況・古達 『はッ、大変失礼いたしました。わたくし、一瞬われを忘れてしまいました。
なんとーーーーーー!!!ヘミングウェイが苦痛に顔をゆがめたまま、その頭部を打ち破りましたーーー! 三島はうっとりしたまま、腹部に刀を突き刺したーーー!!!と、腸が飛び出したーーー!脳みそ炸裂したーーー!リングのマットの上は、これはいったいなんの戦いの血なのでありましょうか、ただどろどろと血まみれだーー!血みどろだーー!まさに赤いマットのジャングルで~♪状態だーーーーーー!!
ウィリアムズ、またしても胸を叩き始めた、掻きむしり始めました!興奮したサリンジャーはさらに演説をの声を張り上げています!観客は大騒ぎだーーー!ウィリアムズと一緒に泣くわ、サリンジャーと一緒に騒ぐわ、チャンピオンと三島の応援席では、二人のいさぎよさにうっとりしながら拍手喝さい!!!
これはわからなくなってきました!どうなる、どうなる、この試合、いったいどっちが勝ったのか!どうなってしまったのか! まさか勝ったのか、挑戦者、ヘナチョコ繊細コンビ!
(古達、動転した様子で)山本さん、これはチャンピオンがダウンと言うことになるんでしょうかね?』
解説・山本 『そうですねぇ、しかしパフォーマンスは上でしょうなぁ』
実況・古達 『・・・パフォーマンスなんですか。死んじゃってますけど』
解説・山本 『しかし、エンターティナーとしてみたら、ウィリアムズとサリンジャーのほうが上でしょう。なんせ彼らは、まぁいい悪いかは別にして、鏡は見ていませんから。始終観客のほうに向いてましたから』
実況・古達 『なるほど。で、どっちが勝ったんです?(キレ気味)』
解説・山本 『まぁ、どっちの戦いも素晴らしいというところでしょうなぁ、、、しかし、なんだかお腹がすいてきましたね』
実況・古達 『(シカトして)はいっ。アメリカ文学級チャンピオンタイトルマッチ、実況はわたくし古達、解説は山本コンコンチキでお送りいたしました』
解説・山本 『古達さん、帰りにモツ鍋でも食べてきましょうか、脳みそソテーもいいですなぁ・・』

 (悲鳴と泣き声が響く 遠くでサイレンの音)
                                              了



次回は『言葉の魔術師 カフカ』~迷宮への入口・恐ろしきその不条理の世界~