2006年6月25日

ホンカワさんのBMW/M3-ミッションインポッシブルの七変化-

 
ホンカワさんは私の初めての男友達である。
異性とも友情が続くことを、初めて、教えてくれた人である。
彼はいつも愛車のビーエムに乗っていた。
彼のアパートは某神奈川市内で、職場はそこから3キロも離れていなかった。それでも、毎日ビーエムの乗って出かけていく。サングラスをかけて、髪をなびかせて。まるでチャリンコのようだった。
 
ホンカワ氏の職場は市内の小さな工場だ。全国に散らばる工場のひとつを任されているのであった。
彼は毎日毎日朝の8時から夜中12時近くまで、縦型マニシングセンターや汎用フライス盤、NCフライス盤、そんな数々の加工機械の制御をプログラミングし、その機械に大きなアルミを乗せて、ひたすら精密切削加工を続けていた。
私は一度、彼の工場を見学したことがある。
夜の9時を回っていたが、(2交代制なので、1日中機械が止まることはない)若者がみな同じ作業服を着て、黙々と機械の前で単純作業を続けていた。
華やかさとは縁遠い。繰り返される機械の単調な音。時々散る火花。冷房もない。汗をたらして、ただ同じ行動を繰り返す。思考も消滅したかような静寂な表情。まるで修行僧のようだった。
そんな若者達は機械の調子が悪くなったり、何かちょっとでもトラブルが起きると、朝でも真夜中でも工場長に電話をかける。救いの手を、情け容赦ナシに、求めた。
そうして、ホンカワ氏の携帯はいつでもどこでもダースベイダーのテーマが鳴り響き、
そのたびに氏はサングラスを装填し、工場に向けて、全速力でビーエムを走らせるのだった。
ホンカワ氏は根が陽気な男だった。
そんな自分の現状を嘆くこともない、部下に食事中に呼び出されても、上司に睡眠妨害をされても、彼は黙々と仕事をまっとうした。
流行り物が大好きで、派手な外見とはうらはらに、いつでも自分の分をわきまえ、それを超えた野心は決して抱かなかった。自分の義務を、ただ果たした。
彼には愛車のビーエムがあった。愛車をかっ飛ばせば、すべてのストレスは吹っ飛んだ。
そして、その他に少しでも余裕ができると、大好きな映画を見に行く。
映画は癒しだった。ホンカワ氏は、私がひとりでレイトショーに行ってしまうと、本気で怒った。
「うそっ?!マジで見ちゃったの?見ちゃったの?なぁんでよ?!」
「待っていようと思ったんだけど、、、、早く見たかったんだよねぇ・・」
公開したばかりで、ホンカワ氏が見たいといっていた映画だった。
「ごめんね」
「裏切りもの~っ!」
情けない顔をしていた。
レイトショーにひとりで行くには勇気がいる。(カップルだらけだ)かといって、昼間のんびり見に行く休日も満足にない。そんな彼は、よく私をレイトショーに付き合わせたものだ。
ドライブと映画さえ与えられれば、いつでも笑って人生を過ごしていくことができたのだ。
ホンカワ氏は、知り合ってから4年目に九州工場へ転勤となった。
断らなかった。
そうして、私は映画友達をなくした。
彼は最後にひとつだけわがままを言った。シルバーの指輪が欲しい、と言ったのだ。
そのころ、男性がシルバーのリングをするのが流行っていたが、彼の指は一番細い指でも30号近くもあった。どこのショップもサイズがなかった。
15年以上もアルミと機械相手に働いているうちに、彼の指は普通の人よりもずっと太く変わってしまっていたのだ。
仕事も、心も、生活も、何ひとつ変わらない毎日を繰り返していたのに、
指だけは、無残にも、変わってしまっていたのだった。
 
 
『M:i:Ⅲ』、スパイ大作戦のリメイク、ミッションインポッシブルのイーサン・ハント(トム・クルーズ)が、3作目として戻ってきた。
今回の任務は、「ラビットフット」なる謎のブツを奪回すること、そうして愛するジュリア(ミシェル・モナハン、2日前に結婚した妻)を救出し、そのためには国際的な武器と情報のブローカー、ディヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)とその一味を壊滅させなければならない。
タイムリミットは48時間。頭には爆弾が埋め込まれた。
不可能を可能にする、ミッションが今始まる。
シリーズ1作目、「ミッションインポッシブル」は名匠ブライアン・デ・パルマの傑作だった。
冷戦は終わり、隠すべき情報は消えた。諜報員は過去の遺物だ。老年スパイの哀愁。静けさの中の緊迫感、スリル、霧のプラハ、「スパイ大作戦」のファンには受けが悪かったようだが、まだ、スパイ映画として存在していた。すべてに裏の世界の美学があった。
シリーズ2作目は、アクション映画の大家ジョン・ウー監督が本領を発揮した。有名なあのスパイ大作戦のテーマ(主題歌)は激しいロックとなり、ラストにはメタリカが流れた。
もやはスパイ映画ではない。イーサン・ハントはバイクをかっ飛ばし、カンフーのようなアクションを披露し、ワイヤーから吊るされる距離は伸び、仮面ライダーかウルトラマン(アメリカだからスーパーマンであろうか?)のようだった。
知恵も、ハッキングも、もはや必要ない。ハイテク機械がすべてのミッションを「可能」にした。
1作目でスパイという存在自体が消滅していたのだ。(という物語だったのだ)2作目で、そんなアクションとハイテクを売りにした映画になるのは、当然のなりゆきなのかもしれない。
そうして、本作だ。
今回、スパイイーサン・ハントはスーパーマンから「人間」となった。
これは、ただの人間である、ひとりの「男」の物語だ。
隠すべき情報も、感情もない。男は泣き、怒り、愛するものをただ必死で守るだけだ。
「シリーズ最高傑作」という呼び名も高い3作目だが、いったいなんのシリーズなのだろう?
私にはすべてが違う物語、違う主人公、に見えてしまったりするのだ。
これだけは言えよう。
スパイ大作戦、ミッションインポッシブル、だと思わなければ、何の問題もないだろう。
ヒューマンドラマとして見るならば、最高の作品である。
見どころは冒頭、主題歌と共にキャプションが流れるシーンだ。
相変わらずワクワクする。
導火線を伝う火花、あの映像も、これだけは3作品とも変わらない。
シリーズと名づける意味が、そこにだけあるような気がした。
 
 
 
初夏が近くなったころ、ホンカワさんは愛車のビーエムと共に、フェリーに乗って、本州を離れた。
最後に会った時、私がドンキホーテでやっと買ったシルバーのリングを、小指につけていた。
海の上からメールが来た。
「ねぇさん、お互い歳だから、体をいたわっていきましょう」
と書いてあった。
半年ほど前、ふと気になった私は、九州工場へ電話をかけた。偽名でホンカワ氏を呼び出した。
「ホンカワですか?お待ちください」
電話の向こうの作業員が言う。
「あ~すいません、ちょうど、たった今、帰ってしまったようです」
土曜の夜、8時を回っていた。
「変わらないなぁ・・・」と私はつぶやき、
レイトショーをひとりで見るために、映画館へと向かっていった。
 
 
 
 
 

2006年6月18日

サラブレッドなジプシーY画伯-DEATH NOTE(前編)の悲しき理解者-

 
Y画伯に初めて会った当時、よくこう思った。
「なんでこんな人がここにいるのだろう?」
彼女はまさに「はきだめにツル」といった存在だった。
 
Y画伯は38歳だった。
いつも分厚い本(意味のなさない感覚的言葉が並んでいる)とノートを持ち歩いていた。何十年前に買った古着と、スーパーで買う安い服を着ていた。
なのに不思議とお洒落だった。その色彩センスと、独特の着こなしは、彼女の細い体とショートカット、彼女の雰囲気にとてもよく馴染んでいた。
まるでゴダールの映画に出てくるパリジェンヌのようだった。(または当時流行っていた『ポンヌフの恋人』に出てくる少女だ)
Y画伯はいつも照れくさそうに困ったように笑った。いつも謙虚で、誰にでも分け隔てなく優しかった。
人見知りの私が、初めて会ったときから敬語を使う「必要性」を感じなかったのは、Y画伯だけである。
それは彼女の心が開かれていたからだ。
地位や経歴や社会的常識で武装していない。見栄もなかった。彼女にとっては、誰かにどう評価されようと、たとえ初対面の相手になめられようとも、大した問題ではなかったにちがいない。
芸術が彼女の指針だった。
Y画伯と知り合ってから、私はよく美術館へ行くようになった。(彼女が連れて行ってくれたのだ)
そうしてよく語るようになった。
彼女は私がたとえ何を言おうと笑わなかった。
多くの『立派な大人』たちのように、「考えすぎだよ」とは決して言わなかった。
そうして私が伝えたい100のことを、いつでも彼女は、ひとつ聞いただけで、正確に理解した。
カフェの160円の紅茶1杯で、私と画伯は粘るのだ。お互いの柔軟な思考を使い果たし、疲れ切るまで、何時間も、語りあった。青二才の大学生のように、真理を求める求道者のように。
Y画伯は今日も鮮やかで感覚的なファッションに身を包み、ティーカップをそっと唇に運ぶ。
細く長いその指を頬にあてて、首を傾げて、微笑むのだ。
「ダンナの彼女から電話があってね、奥さんですか?って言うの」
「で、どうしたの?!」
びっくりした。異色の話であった。
「どうやら平日はうちに来て、休日だけはそちら様に戻っていらしたんですねっ、って」
「こわいねぇ・・どうするの?まさか離婚するの?」
「う~ん、ダンナは離婚しないって言ってるから。彼女とは別れるみたい」
眉を寄せて、ふと微笑む。まるで他人事のようである。
それから15年の月日が経つが、Y画伯とダンナは週に1回会うという奇妙な夫婦生活を続けている。
(Y画伯のダンナは現在有名なイラストレーターであり、普段は都心のオフィスに寝泊りしているのだ)
ダンナは生活費を一切出していない。Y画伯はひとりで夫婦の家の賃料とダンナの駐車場料を払い、生活苦に追われ、年金を支払う余裕もなく、(老後はどうするつもりなのだろう?)
常に貧乏画家のような風情である。
しかし、彼女の知性と、気品は、誰にも奪えない。
私は、一抹の悔しさと共に、ああ、この人は人間がサラブレッドなのだ、と思わずにはいられない。
脳天を打ちぬかれた一言がある。
「そんな夫婦生活でいいの?」
ある日、私は怒ったのだ。私にはダンナが家庭を省みず、ひとりでのうのうと自由自適に暮らしているように見えたのだ。
Y画伯は、この踏み込みすぎた質問に、怒るでもなく、答えた。いつものように首を傾げて。
「う~ん、私にとって、ダンナは私の唯一の理解者なのね。私はわがままな人間だから・・ 
あとは何も求めていないというか。私の生き方を理解してくれているから、それでいいの」
Y画伯にとって、自分のいい面も悪い面も含め、自分という個を、その生き様を、ただひとり理解してくれているのが、ダンナであった。
そうして、Y画伯にとって、理解するもの、理解されるもの、という存在は、愛するもの、愛されるものという存在よりも、何十倍も尊く、重要な存在なのであった。
 
 
『DEATH  NOTE(デスノート)』、週間少年ジャンプから生まれた大ヒット漫画がついに映画化された。
主演は藤原竜也(夜神月=キラ)、松山ケンイチ(竜崎=エル)のふたりである。
(正直、このふたりの他は、すべて引き立て役としか映らなかった)
法律を学ぶエリート大学生月(ライト)はある日、死神が退屈凌ぎに人間界に落とした「デスノート」を拾う。そのノートに名前を書かれたものは、死ぬのである。
ライトは法による裁きに限界があることを知り、絶望のあまりに、六法全書を投げ捨てたところだった。
デスノートの効果を知った彼は、自らの正義感によって、影の処刑人と化し、犯罪者達の名前を次々とデスノートに記していくのだ。
この辺の入り口は実に巧い。突拍子もない御伽噺なのに、スムーズに入っていける。
それから、ライトが正義感ゆえの殺人から、ある瞬間、利己的な意図からの殺人を犯して、悪魔的殺人鬼へと変化する過程。素晴らしかった。
この心理の変化というものは、自然に描くのが難しい。似たようなシーンとして、最近では「スターウォーズ」の「エピソード3」で、スカイウォーカーがダースベイダーに変化していく過程が描かれたが、正直「無理がある」と思わざるを得なかった。どこか不自然だ。共感できなかった。
しかし、このデスノートでは見事に成功している。
180度の転換である衝撃的変化の過程も、疑問を感じる余地もなく、すんなりと受け入れられた。
これは創り手(監督や脚本)の手腕によるものだろうが、ライトを演じた藤原の演技によるところも大きいと思う。独特の思想に裏打ちされた熱い正義感(善への信念)、その賢さと若さゆえの冷たさと軽薄さ(悪の萌芽)、そんな矛盾を秘めた青年を、見事に演じきっていた。
彼ならありうる、と無意識レベルで思わせてしまう。
そして松山ケンイチ(エル)の存在だ。エキセントリックなキャラクターが、とてもよく似合っていた。
このキラVSエル、天才ふたりの頭脳戦も面白かったのが、
私が一番の見どころだと感じたのは、ふたりが対峙するラストシーンである。
片方は、相手のトリックと演技と意図がわかっている。
もう片方は、相手がわかっていることをわかっている。
互いに、もはや何を説明する必要もない。
同僚も、家族も、愛するものさえも、もはや入り込む余地はなくなった。
緊迫感と共に見詰め合うふたりは、ついに、敵という名の、真の理解者に遭遇したのだ。
私にはまるでラブシーンのように見えてしまったが、あなたはどうであろうか?
後編が待ち遠しい作品である。
 
 
Y画伯は、呑めない私が昼間からお酒を飲んで暴れたとき、真っ先に駆けつけた人である。
私がくどくどと苦悩を打ち明けると、いつも彼女は言う。
「××さんは人よりたくさん苦しむように生まれてきたんだよ」
「なんでだろう」
元気付けようとする彼女に安易に乗せられないように、私は警戒しながら聞いているのだ。
「書くためだよ」と彼女は笑う。
「書くために、××さんのその苦しみはあるんだよ」
「もう乗せられないよ」と私も笑う。
「だって私の文章読んだことはないじゃん」
「そうかなぁ・・・私、人を見る目はあるんだよ。ダンナもそうだった・・」
遠い目をして、呟くのである。
Y画伯は来年はじめての個展を開くことになった。
私は何を差し置いても駆けつけるつもりである。
彼女のよき理解者、ダンナ様にも会えるだろうか。
今から楽しみである。
 
 
 
 

2006年6月11日

マーシーの初恋-インサイド・マンの目的とは-

 
ある日、マーシーにナンパされた。
もう20年も前の話だ。時効だろう。私はマーシーにナンパされて、捨てられたのである。
今でも駅の改札口や街角で、彼女に似た人を見かけると、息が詰まりそうになる。決して彼女であったためしはないのに、20年ものあいだ、私は何人ものマーシーを見つけては、哀しくなったものだ。
 
出会いは突然だ。
ある日、ふたりきりで業務用エレベーターに乗っていたら、「×××好きなの?」と声をかけられた。
私の大好きなミュージシャンの名前だった。
マーシーは女だてらに175センチ近くも身長があり、白いヘインズのTシャツにリーバイス、長い足に長い髪、あごをすごしあげてにやりと笑うクセがあった。
そんな人を見下ろす目つき、クールで大胆な態度とはうらはらに、彼女はとてもシャイだった。
好きなミュージシャンや自分の話しをするとき、その正直さに真っ赤になって、照れ笑いをすることも多かった。私はマーシーのナンパに乗った。
「このバッチ?(自分のずた袋のようなバックを指差しえて)あなたも?」
「うん、大好き」マーシーは笑った。
音楽という共通語で結ばれた私とマーシーは、すぐに意気投合した。
お互い一人暮らしだったので、よく互いの家を行き来した。しょっちゅう電話したり、ライブに一緒に行ったりしていたのに、なぜか文通もしていた。(今思うと不思議だ)
ポストにマーシーの手紙を見つけると、私は嬉しくなったものだ。
ひとり暮らしの寂しさは、音楽とマーシーが、すべて受け止めてくれた。
夜になると、大好きな音楽を聴きながら、その深い感動やミュージシャンへの熱い想いをマーシーへの手紙にしたためる。そうして必ず、マーシーからも同じような手紙が戻ってくるのだった。
そんな私とマーシーの蜜月は、ある日、異変した。
マーシーに彼氏ができたのである。
そのころフリーターをしていたマーシーは、ほんの1ヶ月くらい警備員のバイトをしたことがある。その現場で働いていたのが、彼氏Kであった。
Kは住所不定、38歳だった。
私はKを見たことがないが、おそらくそれはマーシーのリアル初恋だったのだろう。顔を真っ赤にしては、Kの話を、少し退屈そうに、少し怒ったように、彼女は語るのだ。何度も。
彼女の話の中のKは、とてもやさしく、温かみのある気弱な男性で、しかし私には、どこか女性の扱いになれた、歳相応の男のずるさを感じずにはいられない、そんな男性だった。
多分それは、私の嫉妬も半分は混じっていたのだろうと思う。
Kは常にマーシーにやさしかった。常にエスコートし、誕生日には、彼女のために真珠のネックレスとピアスをプレゼントした。
マーシーからの手紙が減ったころ、ふたりは一緒に住み始めた。
そうして、Kは働かなくなって、マーシーの家でお酒を飲むようになったのだ。
マーシーはずいぶん経ったあとに、私に言った。
「人が人に優しくするには、目的があるんだよ・・」
 
 
『インサイド・マン』、問題作がお得意な、スパイク・リー監督の最新作である。
簡単に言うなら、とある銀行強盗の完全犯罪の物語だ。
銀行強盗は人質全員に犯人グループと同じ格好をさせて、捜査をかく乱する。面白い。
しかし、この作品で、焦点となるのは、そこではない。完全犯罪を計画して実行する犯人と、それを阻止しようとする交渉人(捜査官と弁護士)の知能戦でもなければ、
アメリカ人(映画)が大好きな、「最後に笑うのは誰だ」的な要素、-欺いたり、出し抜いたりして、馬鹿を見ず、ラストに最大の利を得る「勝者」の痛快さ-を描こうとしたものでもないようだ。
焦点は『目的』だ。
それと、『方法』だ。
「なんのために」、犯人は完全犯罪をたくらんだのか?
「どうやって」、犯人は完全犯罪を成し遂げたのか?
冒頭で犯人グループのリーダー(クライブ・オーウェン)が投げかけた謎は、最後に明かされる。
正直、その種明かしには、肩透かしを食らう観客も多いだろう。
逆に、焦点ではない、犯行(事件)の過程のほうが、何十倍も魅力的な映画であった。
物事のすべては目的のためにある。
プロセスを怠れば、決して目的は達成されない。
しかし、ある意味、目的はどうでもいいのだ。(またはどうでもよくなるのだ)
プロセス自体に価値があるならば。
そうして、価値を追ううちに結果(目的)がついてくることもある。またはついてこないときもある。
意外とスパイク・リー監督も、『焦点』よりも、その辺の目的とプロセスの関係性を描きたかったのかもしれない。
人間の行動にはすべて目的という意図がある。ひょっとしたらそれはコインの裏面かもしれない。
しかし、そういう裏だけでは割り切れず、図りきれないのが、関係性の中で、過程を通じて生きていかねばならない、人間という生き物なのだろう。
 
 
マーシーは3ヶ月ほどで、Kとの同居をやめた。
ある日、彼が帰ってこなかったのだ。
マーシーは私に決して愚痴を言わなかった。少し哀しそうに、事実を告げただけだった。
生活費に困ったマーシーは、Kからもらった真珠のネックレスとピアスを質屋に持っていこうと、引き出しを開けた。
宝石箱の中身は、空であった。
 
 
 

2006年6月5日

我が愛しき商店街-ALWAYS三丁目の夕日-

 
小学校1年生のとき、今住んでいる場所に引っ越してくるまで、私は横須賀の町で育った。
急行の止まらない、海に近い、小さな町であった。
その町で母は床屋を開いた。
「はち理容店」である。
 
はち理容店の隣は大家である靴屋さんだった。逆隣りは乾物屋さんだった。
この乾物屋さんに私は母に頼まれて、いつも卵を買いに行った。卵はひとつから買えたのだ。
「く~ださいな」と声をかけると、奥からおばさんが出てくる。店の奥が住処となっているのである。
今のコンビニのように、常に店員がレジの前に立っている、ということはない。
「く~ださいな」と声をかけ、こちらが買う意思をしめさないと、店員であるおばさんも、おじさんも、現れないのである。
私は子供のころから人見知りで、ほとんど言葉を発することができない子供だったので、この「くださいな」がなかなか言えなかった。おばさんが偶然出てくるのを、うろうろしながら待っていたことも何度もあった。
横須賀は山とトンネルの多い町である。はち理容店の前はトンネルとトンネルのあいだを繋ぐ道路になっていて、その道をまっすぐ行き、横断歩道のある十字路を右に曲がると、駅へと続く細い路地であった。
この路地が、駅前の一番にぎやかな商店街となっているのである。
細い川にかかる短い橋を渡ると、右の川べりには、母が週1回夜通っていた日本舞踊の先生の家がある。左手は文房具屋さんである。文房具屋さんには人のよさそうなおばさんがいて、私はこの文房具屋さんの前で、いつもひとりたたずむのである。
夕暮れ時になると、母からもらった10円玉を握り締めて。
10円玉が手の汗でびっしょり濡れてしまったころ、やっとおばさんがニコニコしながら出てくるのだ。
「どうしたの?」と今日も優しく聞くのである。
私は何も答えず、店先に並んでいるノートを見つめる。女の子が表紙に描かれた子供向けのノート、20円なのである。
おばさんは今日も少し困った顔をして、奥にいるおじさんに目配せをする。それから、また私を見て優しく微笑み、ノートを手にとって、そっと差し出すのだ。
「ありがとう」。その一言さえ言えずに、私はぺこりとお辞儀をして、走って家に帰る。ノートを抱きかかえるように、大切に持って。
母には言えなかった。怒られる。でも嬉しくて嬉しくて、恥ずかしさなどなかった。その表紙を開いて、白い紙に、私はお人形さんの絵や、空想の物語を描きはじめるのである。
姉は友達と遊びに出かけていた。私にはおばさんがくれたそのノートだけが友達だったのだ。
一度母にばれたことがある。おばさんかおじさんが話したのかもしれない。母は夕暮れ時、出かけようとする私に10円玉をふたつ握らせてくれた。
何も言わなかった。微笑んでいたようにも思う。なぜか私は少し悲しい気分になった。ゴメンナサイ、と小さな声でつぶやいた。
文房具屋の先はヤマザキのパン屋さんだ。クリスマス、誕生日、そんなお祝い事の日になると、母と姉と三人でケーキを買いに行く。小さな丸いケーキを買って、父と4人で、食べるのである。
その先の薬屋さん、そのまた先のタバコ屋さん、赤い公衆電話が置いてあった。揚げたてのコロッケやさん、初めてカレーコロッケを食べた。駅前の公園広場では毎年盆踊り大会が開かれる。公園の前にあるレコードやさん、懐メロのピンキーとキラーズや流行りのあのねのねが流れていた。そうしてその横の本屋さんで、母が初めて本を買ってくれた。
姉とふたり、風邪をひいて寝込んでいたら、子供向けの「蜘蛛の糸」を、(姉には「吾輩は猫である」を)買ってきてくれたのである。
母はこの本を選ぶために、本屋のおばさんとあれこれ相談をして、たくさんたくさん悩んだそうだ。
 
 
『ALWAYS 三丁目の夕日』のDVDがリリースされる。
この物語の舞台は昭和30年代、私が生まれる10年は前である。
それでも不思議と懐かしかった。
昔はあんなふうだった。
この映画を見ると、「どうして日本はこんなになっちゃったんだろう?」と正直に思える。
「文明はいいことだらけではない」と素直に思えたりもする。
そんなことを正直に思うのはいけないことなのかもしれない、ただの懐古趣味で、ダサくて、間違っていることなのかもしれない。
しかし、なんと言う大切なものを、日本は失ってしまったのだろう、と悲しくなるのも、確かに事実なのである。
パソコンを開けば、欲しい本はすぐに見つかる、欲しいブランドの洋服も安く手に入る。「くださいな」と顔のある相手に、声をかける必要などない。
子供のころ、まさに人見知りの私が願った世界であるのに、なぜだろう。
ALWAYSのあの町並みが、現代よりも何百倍も、輝いて見えるのはなぜだろう。
あの義理人情に、何度も泣いてしまうのはなぜなのだろう。
商店街という人々の集合体は、それ自体が、まるでひとつの優しい家族だった。
他人という名の、町という名の、家族であったのだ。
国という家族はなくなり、町という家族はなくなり、家の中でも家族を失いつつある現代。
もしかしたら、この映画は、誰か(家族)と見るより、ひとりで見たほうが、感動するかもしれない。
優しい気分になれるかもしれない。
 
 
25歳になったころ、私は子供のころに住んでいた、横須賀の小さな商店街を訪れたことがある。
どうしてだろう、その町が自分の原点であるような気がしたのだ。無性に見てみたいと思った。
はち理容店は、小奇麗な住宅となっていた。
乾物屋さんはマンションになっていた。
駅前の路地は、広めの道路に舗装され、スーパーとチェーン店の飲食店が並んでいた。
優しいおばさんのいた文房具屋さんは、跡形も見えず、
歩道橋と、町の匂いだけが、わずかに残されていただけであった。
 
 
 
 

2006年6月1日

『ミキ・ナカオ』の Led Zeppelin論 -ダ・ヴィンチ・コードの温度差-

 
『ミキ・ナカオ』、彼は私が初めて勤めた某洋服屋の店長だ。
当時、有名な日本人デザイナーは、英語ふうに自分の氏名を逆さに読み、その名のオリジナルブランドを持つのが常だった。
ナカオさんのぎょろっとした大きい目、いかつい体躯にオカマ口調、その強烈なキャラクターと、
ファッションに対する並々ならぬこだわり、造詣の深さをひやかして、ある日後輩のナルミ君がそう呼んだ。
ナカオさんがいない席では、みんな(主にバイトのサカセ君と社員のサトウさん、私、ナルミ君)
彼をミキナカオと呼ぶようになったのだった。

ミキナカオは大の酒好きだった。
今日も彼は夜の街へ繰り出す。
そうして、部下に向かって、洋服の話を熱く語り始める。
「始めて田舎から上京してきて、代官山のハリウッドランチマーケットに行ったときねぇ、ぼくはカルチャーショック的衝撃を受けたのよ。はっと自分のカッコを思ってね、ああ!はずかしい!なんて俺はダサいんだろう!ってね、もう愕然としたのよ」
「やっぱジョン・スメドレーが一番着心地がいいのよ、ニットは30ゲージに限るでしょ」
私は適当にタバコをふかしながら聞いていたので、ナカオさんの知識に満ちた、ファッションの歴史から着まわし術から有名店に学ぶディスプレイの仕方まで、その貴重なお話を余りよく覚えていないのが今となると悔しい限りだ。
しかし、そんなとき、ナカオさんがますます熱く語れるように、さりげなく話をふって、巧い合いの手を入れるのは、苦学生の熱血ウェスタンサカセ君と、全身アニエス・ベーのクールなナルミ君の仕事だった。
ナカオさんとあまり年の変わらないボンボンのサトウさんは、(彼もやはり服好きで)ときどき議論を吹っかけるので、ナカオさんは毛嫌いしていたふしがある。
それでも座は盛り上がる。たいていはナカオさんのおごりなので、私達部下は彼の話を、ありがたく拝聴するのがお役目だった。
そんなナカオさんが、ひときわ熱く語る話のネタがあった。唯一私達部下が手を焼いたネタである。
LedZeppelin(レッド・ツェッペリン)の話である。
このハードロックバンドを彼は(本人いわく)誰よりも深く愛していた。
酒の酔いが最高潮に達すると、今日も気持ちよさそうに、ミキナカオはZEP(ゼップ)の話を始めるのだ。
これにはさすがの百戦錬磨の世渡り上手なお調子者サカセ君も、何事にも動じない(彼女と愛人が鉢合わせしても顔色ひとつ変えなかった)ナルミ君もお手上げだった。
音楽といえば、サカセ君は初期のThe Beatlesにしか興味がなく、ナルミ君はそもそも流行りモノしか聴かないのだった。サトウさんと言えばそのころには、ミキナカオの一人舞台にうんざりしていて、腰を上げかけている。
三人は期待に満ちた目で私を見るのだ。
当時私はハードロックファンだったので、古典中の古典、Zepも当然聞きかじってはいたのだ、しかし当然そこは二十歳そこそこ、素人ファンに毛が生えた程度であった。
私は浅い知識を疾駆して、
「いいすね~で、その海賊ライブ盤には移民の歌は入ってるんすか?」などとへらへら笑う。
「入ってるのよ、当然よ。でも移民の歌より幻惑されてがいいのよ、1969年から1971年までのライブを集めたのね、BBCで放送されたときはものすごい反響だったの!ラスト何十秒かが、放送時間の関係で切れちゃったんだけどね、ぼくのには最後まで収録されてるのよ!あなた、聴きたい?」
聴きたいが、それほどすごく聴きたいわけではない、とは言えなかった。
「すんごい聴きたいっす!」
「明日持ってくるから!」
ミキナカオはニコニコ上機嫌である。
部下達は胸をなでおろした。こうしてその日もお役目を終え、平和な飲み会は終わりを告げたのであった。
しかし、この海賊盤を返すとき、ちょっとした事件があった。
いつものように酔っ払ったナカオさんが、なんと大事なレコードを電車の中に置き忘れてしまったのである。
彼は気も狂わんばかりだった。
「あなたの家にない?探してみてよ」
「いや、すみません、ないす、返しましたから・・・」
「そんなのわかってるのよ!わかってるけど、ないのよ!念のため探してみてよ!いい?」
そのぎょろぎょろした大きな目は、泣き出しそうに真っ赤だった。
私はナカオさんに殺されるのではないか、と思ったほどだ。
あなたに貸したせいで、Zepのレコードが消えたのだ、と彼が思っているのは明白だった。
私は恐怖のあまり、しばらく身を縮めていたのを覚えている。
 
 
『ダ・ヴィンチコード』、ダン・ブラウンの有名な小説の映画化である。
サイコミステリ、又はサイコサスペンスというジャンルの洋画にありがちな、宗教ネタの宝庫である。
無宗教者が多い日本人には、このよく洋画に登場する、欧米諸国の並々ならぬ信仰心と宗教に対する思い入れは、ミステリアスでさえあるかもしれない。
なんで、宗教ごときにそこまで人生をかけられるのか?
宗教について考えるとき、日本と欧米諸国とでは、LedZeppelinを語るときのミキナカオと、私とサカセ君とナルミ君サトウさんくらいの、気持ちの温度差はあると思われてならない。
日本には宗教を日常生活に取り入れる文化がないのだ。
親族の葬式のときにならない限り、自分の家系の宗派を知らない、なんていう人もいるかもしれない。信仰が根付いていない面も多々あるだろう。
また、日本でなら、天台宗と真言宗の宗派の教徒が、ダ・ヴィンチ・コードのように宗教的諍いを起こして殺しあう、などと言うことは、現代では考えられない。
しかし欧米諸国ではいまだありえる話なのだ。
この洋画における宗教ネタは、インテリジェンスで、神秘的で、いまだ解明されていない深い謎に満ちあふれている。題材だけとして見るなら、ため息が出るほど面白く、興味深い、最高のネタなのである。
狂信者と言うサイコ野郎(悪玉)と一般的かつ敬虔な主人公(善玉)との戦い、という善玉と悪玉の対立の構図も、わかりやすく創れるだろう。
私は多少の温度差を感じながらも(登場人物が全部サイコ野郎に見えてくるのだ!)、最高に楽しく見ることができた。
一つ難点を挙げれば、この膨大な知識の宝庫を「セリフ」だけで説明されるのはもったいない。
とにかく、謎解きの説明のセリフが多すぎるのである。
2時間の作品では限界があるのだろう、しかしミキナカオのありがたいお話を拝聴している時のような気分であったことはいなめない。
ストーリーの中で謎解きを味わいたい。
そういった意味でも、ぜひとも、これは原作のほうを読まなくては、と思わせる映画であった。
(私は映画を見てから原作を読むタイプである、たいていは原作のほうが面白いし、詳しく書かれているので、ネタバレしたあと映画を見に行くとがっかりするパターンが多い、映画独特の映像世界の価値が、薄れてしまうからだ)


ミキナカオと会わなくなってからずいぶん経ったころ、
私は何かの拍子でLedZeppelinのBBCライブのCDを買うことになった。
そのころ私はミキナカオの話をすっかり忘れていて、ライブの最高潮であるエンディングで、突然ぷつりと音がやんだので、びっくりしたものだ。
不良品だと思い、翌日店員に文句をつけたところ、
「それは有名な話で、BBCの放送時間が足りなくて・・(うんぬん)」と店員が説明し始めた。
ミキナカオのうんちくが証明された瞬間であった。