2006年8月19日

戦争と平和 -それを言葉にするときの愛についてー

 
残業続きで頭が冴えない。
明らかに働きすぎだ。
しかし、誰かの泣き声を聞いてしまった。
ついてない。
夏休みだというのに。TVでは台風のニュースが流れている。
こんなときは何かを語りたくなる。
たったひとつの武器であり、一瞬にして我が身を滅ぼす無力なこの、
両刃の剣の言葉をもちいて、
何かを伝えたくなってしまう。
世界に向かって。
伝わらなくても、伝えざるを得なくなってしまうのだ。
 
 
戦争と平和について語りたい。それから愛について。
この話題は大嫌いだ。
えらそうに戦争の話をするほど、私は戦争を知らない。
愛はいつでも言葉にならない。
しかし、書きたいから書かせていただく。
伝わらなくてもかまやしない。 
 
大昔こんなテレビドラマがあった。
『私は貝になりたい』
見たことはない、ダイジェスト版でちらりと知っただけである。
確かこんな物語だ。
理髪店を営んでいるある男のもとに赤紙が来た。
男は家族を置いて、ある島の戦地へ行く。
アメリカ人の捕虜と遭遇する。
上司が命令する。
「殺せ!」
男は足が震える。これが戦争であることは知っている。しかし、人間が人間を「殺す」ことの意味がわからない。
「殺せ!」
上司の声がこだまする。
恐い。逃げ出したい。人間など殺したくない。
いっそ命令を無視して、自分が殺されてしまおうか?
しかし、お国と天皇のために、自ら死んで行くのが戦争だ。それこそが尊いのだ。
恐さと人間であることの信念から、自ら死んでいくのはどうなのだ? お国と天皇を背くというのはどうなのだ? 尊いのか?
いや、自分の尊さなどどうでもいい。
国民と兵士であることよりも、ひとりの人間であることを選ぶのならば、
その人間としての証である「家族」はどうなるのだ?
家は裏切り者の烙印を押される。妻と子供は非国民として扱われる。そうして主を失ってしまう。
この戦火のなか、生きてはいけないだろう。
「コロセ!」
男は上司とお国と天皇への忠誠心から、家族を愛する気持ちから、
泣きながらアメリカ兵を殺すのだ。
獣のような咆哮をあげて、
泣きながら、刀を振りかざした。
戦争は終わった。
平和が訪れた。
男は今、笑いながら理髪店を営んでいる。かたわらには子供と妻。
そこへアメリカ兵がやって来る。男は戦犯として捕らえられるのだ。
捕虜を無下に殺した罪は大きかった。死刑だ。
「殺したくなどなかった!」
「上司に命令されたのだ!」
「戦争だったのだ!」
男が叫んでも誰も聞いてはくれない。
国民さえも男を非難する。
泣いてくれたのは家族だけだ。家族だけを泣かせてしまったのだ。
男は絞首台への13段の階段を登る。
「次に生まれてくるときは、私は貝になりたい」と呟きながら。
 
感傷的過ぎる嫌いもある。
しかし、戦争とは、こういう普通の人々の物語で成り立っているのだ。
私達は戦争の話しをするときに、国と国との問題にしたがる。
そうして、犠牲となった国だけが人間(国民の痛み)を持ち出す。
それは違うような気がする。
戦争とは、勝った国も負けた国も犠牲になった国もすべて、人間による行為なのだ。
ほとんどの人は泣きながら人を殺して、泣きながら死んでいった。心の中で涙をかみ締めて、または本当に泣き叫びながら。
自分が信じるもののために、愛しい人たちのために。
しょんべんをちびりながら、吹けば飛ぶような矜持をかみ締めて、殺し、死んでいったのだ。
戦争とは、そんな大多数の人たちの惨めな惨めな物語だ。
殺すことが快楽だった人はいい。
自ら死んでいくことに陶酔できた人はいい。
尊い犠牲となって敬われた人はいい。
しかしそれは一部であり、ウソだ。
殺し死んでいった兵士も、戦火のなか死んでいった国民も、ほとんどは無駄死にだった。
尊くなんかない。
価値も意味もない。
ただ無駄に死んでいったのだ。
多くの人々が、戦争によって、命を無駄に捨てたのだ。
私は戦争に反対だ。私は平和を愛している。
しかし、わかるか? 
その無駄の意味がわかるか?
人なんか殺したくない。恐い。人間の命を人間が奪うなんて恐い。
『でも殺さなくてはいけない』
自分は死にたくなんかない。お母さんに会いたい。恋人を置いていきたくない。死は恐い。恐い!
『でも死んで行かなければならない』
それがどういうことだか、少しでも想像したことがあるのか?
 
外交カードとして過去をいつまでも持ち出す国に追従するかのように、
「平和」というお題目をかかげて、戦争を非難する左翼のような馬鹿はどこのどいつだ。
斜に構えて、オレは人間を殺したい、などとうそぶく右翼のような馬鹿はどこのどいつだ。
いいか? 
憎しみからでも正義感からでもかまわない。
虚無と絶望と人間不信からでもかまわない。
戦争について語りたければ語ればいい。
しかし、あなたが今、戦争のことについてあれこれと語ることができるのは、
冷房の利いた部屋で、そのシェルターの中で、ぬくぬくと、議論ができるのは、
戦争をした、多くの惨めな過去の彼らの、その犠牲があってこそなのだ。
多くのその命と引き換えに、あなたの今のぬるま湯のような世界はあるのだ。
その尊さがわかるか?
尊くない無駄死にによって作られた、その「尊さ」の意味を本当に知っているのか? 
 
 
私は戦争に反対だ。私は平和を愛する。
だが、もし戦争をしなければならなくなったら、愛する何かのために、私は人を殺すだろう。
もし戦争をしなければならなくなったら、愛する何かのために、私は自ら無駄死にを選ぶことだろう。 
泣きながら。
そうして未来に託すだろう。
 
 
私が過去から託されたから。 
 
 
だから私は過去の戦争を決して恥じない。
だから私は過去の戦争を決して否定しない。
過去の戦争の歴史があるからこそ今がある。
誰かが無駄死にをしていなければ、現代はなかった。
平和も秩序もなかった。
私の幸福は、敵国も味方国も含めて、多くの人間の犠牲によって作られたのだ。
平和を手に入れるためには戦って勝ち取れとか、戦争したほうがいい、とかそういう話ではない。
過去の重みを受け入れているだけだ。
戦争によって死んでいった多くの名も無き人たちに、ひれ伏すほどの敬虔な気持ちを抱くだけだ。
 
 
戦争をした日本を非難することは、今のあなたを否定することではないのか?
戦争を肯定することは、本心か? あなたの虚無ではないのか?
 
 
私は戦争に反対だ。私は平和を愛する。 
 
 
しかし、思う。
人間が戦争の話を持ち出して、自分の思想を伝えるとき、(年がら年中言っている馬鹿は抜かして)
 
彼らはみな泣いているのだ。
 
だから戦争の話をする。
人間の尊厳を一瞬にして吹き飛ばしてしまう戦争ほど、尊厳のある、厳かな比喩はない。
彼らの気持ちは本気なのだ。
それほど、泣いている。
伝えたい。
飢えている。
涙も愛も憎しみも、必ず飢餓感からやってくる。
 
 
しかし、愛されないのはあなただけじゃない。
愛したいのに巧く愛せないのはあなただけじゃない。
たとえば、このマンションの隣の部屋のお兄ちゃんも、
上のおねぇさんも、下の住人も、隣の一軒家の主婦も、隣のマンションのサラリーマンも、 
みな愛されていないだろう。
みな愛したいのに、肝心のその愛を見つけることができないでいることだろう。
充分に、満たされている人など、どこを探しても、この世にひとりもいやしない。
みんな愛されたいのに愛されない、愛したいのに愛せない、飢えた人たちばかりなのだ。
 
だから、愛せるのだ。
そんな愛されない、愛を見つけられないだめなあなただかららこそ、人を愛せるのだ。
愛を知らない人は、愛を想像(創造)することができる。
私は誰からも愛されなかった。
今だって誰からも愛されない。馬鹿にされ、裏切られてばかりだ。
そうして、いまだに愛の意味はわからない。
寂しい夜、何度も泣き明かした夜、だから、
たくさんの人を愛した。
いま、このブログを読んでいるあなたが、もし、愛に飢えていて、孤独を感じているのならば、
そんなあなたは、きっとたくさんの誰かを愛せるだろう。
その意味は本当にはつかめなくても、
そんなあなただからこそ、愛される幸福を人々に与えることができるだろう。
 
 
 
愛されなかった人は人を愛せないなんてウソだ。
愛されなかった人こそが人を愛せるのだ。
それこそが、真実だ。
名も無きあなたの。
 
 
 
 
 
「悲しむ人々は幸いである
その人たちは慰められる」
「憐れみ深い人々は幸いである
その人たちは憐れみを受ける」 マタイによる福音書5.1「幸い」より
 
 
 
 
 
夏休み明けはテレビ映画タイアップ企画
請うご期待! 
 
  

2006年8月13日

残酷な神が支配する

 
~残酷な神が支配する~ 萩尾望都
 
 
【夏休みの課題】
 
『残酷な神について考える』
 
世の中の出来事はすべて、残酷な神によって支配されている。
残酷な神の支配に便乗する人と、
残酷な神の生贄になる人。
どちらも踊らされているだけだ。
 
自分の裡の負の部分を、正のエネルギーに昇華させたいならば、
この残酷な神を叩き壊すことだ。
生贄を叩き壊しても、なんの解決も得られず、
生贄によって成り立っていた支配の均衡が崩れ、
負のエネルギーは行き場を失うだけ。
自分の首を絞めるだけである。
 
あなたも一緒に考えましょう。
 
 
ちなみに夏休み明けのネタは・・・・
あ~それも考えないと・・
知人からの要望は、「面白いが難しすぎる」「何が書いてあるかよく意味がわからない」
だそうで、もっと簡単なタレントやアイドルやテレビの話を書いて欲しいと・・・
ショック・・・誰にでも簡単にわかるように、ありがちなうちわネタにならないようなブログを志して書いていたつもりだったが。
この書き手と読み手の意識の違い。
ここでも残酷な神が支配している。
(残酷な神はきっと喜劇の王なのだ)
 
 
 
 
 

2006年8月8日

夏休みのお知らせ

 
 
いつも読んでくれている方々、どうもありがとうございます。
 
しばらく夏休みいたします。
 
また、秋風が吹くころ、お目にかかりましょう♪
 
 
 

2006年8月6日

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 観戦記 【ネタバレ】

 
うちのマンションの入り口の、郵便受けがあるところで、うんこをする輩がいる。
たまたま帰宅まで我慢し切れなかったのか、(物陰になっていてしやすいのか?)
それとも、そういう趣味の御仁が愉快犯的にしているのか、はたまた悪意ある行為なのかは、つゆ知らない。 
最近続いているのだ。マンション管理会社が委託しているメンテナンス会社に掃除に来てもらうのだが、うんこはすぐまたやってくる。
匂いがね~夏だしね~ちょっとキツイんよね、、、
しかし、もしこれがただの意味のないいたずらならば、ブライアン・ジョーンズこそやりそうだ。
 
家を出ると5時をまわっているというのに妙に日差しが強い。
あらら、夏だったんだっけね、などとおばちゃんのように呟きながら汗をたらして駅まで急ぐ。
目的地は某チネチッタである。
この某田舎をめざしてあちこちから、どこから沸いてきたのかと驚くほどのストーンズファンが集結し
ストーンズの一員だったブライアン・ジョーンズの伝説映画を一緒に見ては、郷愁と感動の熱い涙を流すのだろう
などと想像していたら、これががらんがらんなのである。
なんだ? 20人くらいしかいないじゃん? 
驚いた。
いつからこんなにストーンズは人気がなくなったんだろう?
私が若いころはねぇ~(おばあちゃん口調) 
初来日だといっては日本中が大騒ぎしてね、
5年ぶりに新作を発表したといっては某ロックバーにファンが集結してね、
一緒に新作を聞いたものなんですよぉ~(ぶつぶつ)
予約制じゃないので、チケットが売り切れて入場できないんじゃないかと、1時間も早く到着したのに、なんのことはない。
若い人のグループが少々、あとはロックスターのTシャツを着たオタク風の兄ちゃん、
それからひとりで見に来たらしきおじちゃまとおばちゃま(私もここの部類ですな)
それと、びっくりしたのが80近いおじいちゃんまでいるじゃないか。
あんた、ぜんぶ白髪じゃん! あらら、ヨボヨボしちゃって、そんな足元も危ういのに、ひとりでここまできたわけですか? 
だいじょうぶかいな。家で嫁さんと孫が心配してるよ~ 早く帰っておやりよ。
などと余計なおせっかい的心配をする。
ふと右うしろを見ると、今度はおばあちゃん。真紅のシートに腰をすえ、老眼鏡をかけて熱心にパンフレットを眺めている。
う~ん、あのシワ、70は超えてるよな、やっぱりひとりじゃん、どうしちゃったん? あーた、そんなにストーンズ好きかいな。
若いころはブライアンにキャー!とかいっちゃったクチですかい?
いっそ、年も趣味も合うし、さっきのおじいちゃんと一緒に見たらどうかね? そぃやさっきのおじいちゃんどこ腰掛けた?
ふたりセットでいてくれたほうが、こっちも余計な心配しなくていいんだけどね。
などときょろきょろしているうちに映画がスタート。
まず60年代のR&Bを演奏するストーンズが映し出され、
あらま、よく似たそっくりさんを探したものだね、服もおんなじじゃん?
イギリス(ロンドンか?)の景色もいいねぇ、陰鬱な天気に古い町並み、アルバムジャケットのイメージ通りだよ
と感心する。
ラストまでしっくり来なかったのは、主役のブライアンジョーンズだけである。
似ていることは似ているのだが、本人よりも筋肉隆々でやけに男らしい。
おまけにしっかりしていて、眼光が鋭く、「大人」過ぎる。どうみても、大魔王のような貫禄がある。
私のなかのブライアン・ジョーンズは餓鬼である。ユニセックスな小悪魔だ。
ひねた老人のような顔をして、しかしにっと笑うと無邪気な子供のよう。(もちろん歯はドラッグのせいで抜け落ちている)
そんな危うい、アンバランスな、パラノイア的なイメージなのである。
これは妙だな、と思っているうちに、物語はどんどん進む。
印象に残ったのはこんなシーンだ。
メンバーと訪れた先のモロッコで、ブライアンの彼女アニタとキースとの微妙な目線に気づいたブライアンはこう言う。
「キースと寝たいか」
「寝たいなら寝てもいいんだぞ」
アニタの耳元でささやくのである。
「これは実験なんだ、すべては変化していくんだ」
「やめてよ!」とアニタは怒る。「私はそんなのイヤっ」
「オレは友達じゃないか」とキースもしり込みする。
「お高くとまるなよ、寝たいんだろう」
「これは命令なんだ」
ブライアンはそうささやき続けるのである。
アニタとキースはまんまと寝てしまう。
するとブライアンは女を買って乱痴気騒ぎをし、「何をしているの?!」とびっくりして駆けつけたアニタに向かって、
「なんでキースと寝たんだ!」
「・・・・だってあなたが無理やり・・」
黙れ!とばかりに、アニタの顔をぼこぼこに殴る。
う~ん。これは・・・(絶句)
「あり」だよな。などと思ってしまう。
ありそうもない話のようで、男と女はこんなものなのだ。などと妙に感心する。
そうして、前回話した問題の死の真相。
ラストはブライアンが家の修理を請け負っていた建築士によって殺されてしまう、というあっけない結末。
なんだ? 思いっきり、はっきり、具体的に、他殺説じゃん?
拍子抜けした。
私はもっとミステリアスに見せてくれるものかと勘違いしていたのである。
ブライアンの死の真相を、事故死(自暴自棄になって飲んでらりってハイになってプールで泳いでの自殺行為)か
それとも誰かによる他殺か、その辺の謎を、意味深に提示してくれるものかと・・
こちらに問いかけるように、ドキュメンタリーふうに提示してくれるものかとばかり思っていたのだが・・・
「もしかしたらミックとキースが?」 「それともモト恋人のアニタが?」 「マネージャーが?」 「それともそれとも・・・」
などとカリスマの死の逸話を盛り上げてくれるような、そんな結末かと思ってたら、
しがない家の修理やさんに嫉妬されて殺されちゃいました、
って・・・・・ はっきり結論つけちゃって。
それって「アマデウス」をパクって10倍くらい低俗にしたようなオチじゃん??
しかもいつから他殺説が当たり前の真相になってたわけ?
私がロックを聴かないおばちゃんになってるあいだだろうか? 浦島太郎になった気分よ、ショックだなぁ~ 
あわててパンフレット買いましたよ。
読んだら何のことはない、警察の(再捜査や再検屍による)公式発表でもなし、音楽業界やブライアンに関わる人たちの暴露本を文献にしただけらしい。
よかった。。。。 しかしなんでこんなロマンのないオチにしたのかね?
監督曰く「他殺説などもう衝撃的ではないし、彼の死の真相よりも、ブライアンという人間を実感してもらいたい」
そのわりにはあの結末はないよな・・
実感しようにも、ミステリアスなカリスマのイメージ台無しじゃん? 
「犯人も告白しているし、それが真相でした」 じゃ想像力もかきたてられないし、、、、
ああ、私のブライアンはいずこへ・・・
妙に寂しい気分で映画館をあとにした私だった。
そんな寂しさも吹き飛ばすかのような帰りの夜の街と、電車である。
ラッシュアワーの人ごみには慣れているが、最近まったく休日に町に出かけていなかったのである。
夏休みということも忘れていた・・・ 遊びに行く若者達と(その帰りの)ファミリーで、街も構内もごったがえしているのである。
薄手のひらひらの服を来たおねぇちゃんたち、ジャニーズのようなユニセックスなおにいちゃんたち、
あんたらこんな夜からどこ行くの? バージンと童貞を捨てに×島に遊びに行く、浮かれた高校生みたいじゃん?
こっちはファンキーなおねぇちゃん、あんた何人? いまどきその髪型はいかがなものか・・ あっちはいまどきヘビメタ少年?
おっと、花火を見に行った帰りかね、浴衣を着たおねぇさんに家族連れ、そういや盆踊りが流れてくるね。
黒づくめのクールなファッションのおねぇさんもいるよ、ヒールは8センチ? しかし黒もレースじゃ娼婦みたいに見えなくもないがね・・
酔っ払ったおじさんは騒いでるよ、いったいココはどこなんだ? ほんとに日本か?
異国の夜の繁華街のような雰囲気に圧倒されつつ、いつから日本はこんなに多様化したのかと驚きつつ・・
逃げるように、人ごみをくぐりぬけ、ひたすらひとり家を目指す私だった。
そうして、マンションの前には今日もうんこがあって、そのくさい臭いも懐かしく思えたりして・・
うんこ懐かしがってどうするんかいな、しっかりしろ、私。
 ハァ~ ブライアンは若くして死ねて、幸福だったろうな。
生活することも、年を重ねることも、ときに惨めなもんさ。
あんたは天才だよ、ブライアン。
もうすこし、他人と自分に厳しくなければ、もっと違う人生があったろうけど、
あんたは天才だから、それでいいと思うよ。
なんてひとりごちて。
エンドロールの「Times Is On My Side」にちょっぴり泣けちゃいました。
 
 
さて、次はなんの映画を見ようかね?