2007年2月26日

かえし歌

 
 
日曜の今日、母と姉と姉の子供たちと私で百人一首をした。
正確に言うと小倉百人一首、31音の和歌を母が唄うように読みあげる。懐かしかった。子供の頃よく祖母の家で百人一首をしたものだ。
母は思い出話に花を咲かす。昔の記憶は衰えていない。夏の夜、太鼓の音が聞こえると、母は家を飛び出すのだ。盆踊り大会で自慢の踊りを披露するのだった。母は子供の頃から日本舞踊を習っていた。
私は踊りがうまくなかった。子供を連れて実家へ戻り、久々の夏祭りに心躍らす母の邪魔にならないよう、ひとりでふらふら遊びに出かける。
御輿は男の子のものだった。
山車を引くのだ。
祖母の町の、本町の1丁目から4丁目を、桜の造花で飾られた大きな山車を引いて歩いたものだ。
1丁目には大好きな下駄屋さんがあった。母が鈴の音のなるぽっくりを買ってくれた。
2丁目はいい匂いのするパン屋さん、いつでも焼きたてのパンの香りが裏手の路地を漂っていた。
3丁目は初めて文庫本を買った本屋さん、4丁目はお正月にお年玉を握り締めて走ったおもちゃ屋さん。
4丁目の先に大きな川がある。長く、立派な橋がわたっているのだが、山車はそれを超えない。
超えると、祭りの管轄区が違うのだった。
一緒に山車を引くのは小さな男の子たち。まだ神輿を担げない。青やオレンジのはっぴを着ている。それから大きな女の子。
小さな女の子は山車の上にちょこんと座らされている。
見上げると、彼女たちは足をぶらぶらさせて楽しそうに笑っているのだ。
私と少年たちは一緒に商店街を山車を引いて歩くのだ。
ずっと先まで。
 
あの上に座ってみたいと思ったことがある。
あの川を越えてみたいと思ったことがある。
 
山車は集合場所の山車を引き初めたところとは、まったく違うところで終わりを告げるのだ。ずいぶん離れた遠くまで来てしまったように思ったが、たぶん子供だったからだろう、そこはお祭りを主催している自治会の本部で、子供たちはその終点地でジュースとお菓子をもらうのだ。
少年たちはご褒美のお菓子を抱えて所在無さげだ。
彼らの母親も夜の準備で忙しいのか、見当たらない。
陽は傾いて、みんな家へとちりぢりに散っていくのに、ここがどこなのか、家はどっちだったのかもわからない様子なのだった。
祭りと書かれたはっぴの後姿が、さみしそうだった。
 
 
 
 

2007年2月24日

眠らない夜

 
 
眠りたくない夜、自分のブログを荒らして遊ぶ。
退屈凌ぎの私の人生の中で、初めてだろう。
時間がもったいない、と思う。
 
眠りに落ちて、潰れてしまうこの一瞬の、時間が惜しい。
 
 
 

堕天使の涙

 
ルシフェルは類まれなる才能を持つ天使だった。
彼は自惚れが強く、自分こそが天の父になれると思い込み、自分に従う天使たちと共に反乱を起こした。
全天使の3分の1が彼に従ったと言う。
残りの3分の2、ミカエル率いる天使軍が勝利を収めた。
ルシェルは地に落ち、ルシファーとなった。
そうして、地の底に居場所を作り、サタンとなったのだ。
 
ミカエルはどんな気持だったのか。
私が思うのはそのことだ。
サタンとなったルシファーは肉を持って地にやってくる霊を貶めようと、誘うのだ。
この世の戦いはすべて、彼の仕業だと言う。
ミカエルとルシフェルの戦いはなんだったのか。
ルシフェルだけではなく、彼によって地の底へ落ちていく人々をミカエルは救えなかったのだろうか。
 
ただの物語だ。
しかし、私はよく不思議に思うのだ。
 
私がミカエルだったら―
ルシフェルだったら―
 
もし、あなたなら。
どうします?
 
 
 
 
 

ガラスと鋼の心を持つ

 
 
人間の心はガラスでできているのか、鋼でできているのか、わからなくなる。
 
繊細に扱うと、痛い目にあう。
手荒にすれば、壊れてしまう。
 
たぶん私がそうなのだ。
 
 
 
 
 
 

淘汰される幸せ

 
 
最近良く思うのは、「淘汰」されると言うこと。
もともとは私が現在勤めている会社の社長がどこかのインタビューで答えていたのだ。
「絶えず変化していかないと、社長と言うのは会社から淘汰されていく存在」
確か、そんなような話だった。
 
私は子供の頃から体が強いほうではない。
精神面もそうだ。
昔遺伝子の話を読んで、私はきっと劣性遺伝子を持って生まれてきたのだ、と思ったものだ。
優性の部分は全部姉に持っていかれた、と。
(大きくなってから姉と話したところによると、姉も同じようなことを考えていた)
 
「淘汰される恐怖」と言うのは、絶えず、ある。
だから人より頑張るのかもしれない。
 
しかし、もし、社長と呼ばれる存在でさえも抱える恐怖であるならば、たいていの人はそんな思いを抱いていると言うことだろう。
ならば、絶えず淘汰されることと戦うことにより淘汰されていく私は、そんなたいていの人の気休めにはなっているのかもしれない。
 
あなたが勝利者になりたいならば、私は喜んで負けよう。
 
そんなふうにも思う。
 
 
 
 
 
 

18センチのソースパンを買った日

 
 
18センチの片手鍋を買った。
ソースパンと言うらしい。
そもそも私は愛用の片手鍋があった。あれは16センチだったのか、今日買ったものよりも小ぶりで、もう少し浅かった。白くて、可愛らしい熊のイラストが描いてあるのだ。10年以上は使い込んでいた。作るのはどうせカレーやビーフシチュー、メニュー限定であった。後はフライパンしか使わない。それで十分だった。
小さな割には万能なだった。きゃつは一人暮らしで全部食べきれない私のために、冷蔵庫にそのまま納まってくれた。私は翌日また温めなおして食べることができたのだ。
ちょうど私サイズだった、と言うことだ。
私はその愛用の鍋を使い込んで、白い色がくすんで来ると、スポンジのたわしの面できゅっきゅと磨いたものだ。
 
あれは2004年の年末、彼の運命は変わった。
私が実家に帰ったのだ。
一緒に実家へと引っ越した片手鍋は流しの上の棚に仕舞われることもなく、そのまま我が家で使われることになった。
母は私に輪をかけてずぼらだった。彼は絶えず、お味噌汁やら煮豆やらに満たされていて、休む間もなかった。色はだんだん白からは程遠くなってきた。(ベージュと言ったところか?)私は彼が変わっていくさまを、少しだけ寂しい気持ちで眺めていた。
もちろん実家へ帰ったが最後、私は料理などしないのだった。母に文句を言う資格もなかった。使ってくれてありがとう~と感謝するくらしかできないのだ。
 
そうして、昨年、その母が倒れた。
 
はじめ私は奮起して料理をした。
母の居ない穴を埋めなければ、と頑張ったのだった。
少ないレパートリーを愛用の片手鍋で作った。
しかし父は見向きもしない。母が倒れたあとの精神的ショックが大きく、食欲どころではなかった。おまけに、父は気に食わないのだった。「母の台所」で母の居ない隙に、私が料理をしていることが。
炊いたご飯は手付かずで残された。まぁ、それはいい。仕事が終わって帰宅をしてから、チャーハンにして翌日のお弁当に持っていけた。だが、シチューは無理だった。3日間、一人で夕飯にしていたら、飽きた。
父はオリジン弁当でお惣菜を買ってきて食べている。
いつか父の心の氷も解け、仲良く夕飯を食べるか、と期待したが、そのうち、飽きた。
「親子ごっこはやめよう」
と言う父の一言で張り詰めていた心の糸は切れた。私もオリジン弁当へとなだれ込んだ。
そのうち父は作り物の惣菜にうんざりしたのか、はじめからそれが狙いだったのか、誰も立たなくなった台所を支配し始めた。
自分で料理を作り始めたのだ。
それがどう見てもまずそうなのだった。味噌汁にはだしの元が大匙2杯くらい入れられた。砂糖と塩を間違えているとしか思えないものもあった。
食え、食え、と言うのだが、食が進まない。食べないと、「俺の作ったものが食えないのか」と怒るのだった。
私の愛用の片手鍋も父の新たな趣味の犠牲となった。
彼はしょっちゅう使われるようになった。
父は料理は作るが洗い物はしないのだ、男性とはそんなものだろう、おかげで我が家の鍋と言う鍋は全部借り出された。
実験台になった彼らはたいてい焦がされて、底におこげのような物がこびりついているのだ。タワシで洗ってもなかなか落ちなかった。
 
気がつくと、私の愛用の片手鍋は真っ黒だった。
ベージュどころではない。もとの白色の跡形はなく、イラストの熊さんも黒人のように変わっていた。
しかし、またしても私は父に文句を言う資格もなく、人生の無常を感じながら、一抹の寂しさを深めただけであった。
 
初夏が来て、母が家に戻り、私は近くのマンションへ越すことになった。当然私は愛用の鍋を連れて行きたかった。
第一鍋は高いのだ。礼金敷金で素寒貧になった私には彼が必要だった。
引越しの準備をしているとき、鍋にはお味噌汁が入っていた。
引越しの当日の朝、鍋はジャガイモとにんじんの煮物で満たされていた。
私は彼を奪回できないまま、実家を後にした。
 
私は新しい鍋を買わなかった。
お金もなかったし、父との陰険な鍋戦争で見るのも嫌になっていたせいもある。
しかし、ないと困るので、100円ショップで安い片手鍋を買った。ちょっと煮込むとすぐに真っ黒になってしまった。
 
半年くらい経った頃だろうか、実家へ帰ると、キッチンに目新しい圧力鍋が置いてあった。
どんな料理も手軽に作れる、銀色に輝くそれは、どう見ても2万から3万はしそうな代物であった。
「買ったんだよ」
父は満面の笑みだった。
料理本を広げてはあれこれ研究をしている、その様子を楽しそうに語るのだった。
そうして、一人暮らしをしてから長い間使っていた私の愛用の片手鍋は、キッチンの隅の隅。
相変わらず黒いまま、放置されている。
 
 
 
 
 

日本をダメにした男は誰だ

 
休日前なので、のんびりと過ごしている。
正確に言えば、「休日」なので。
 
テレビでは、朝まで生テレビが流れている。
まだ放送していたんだな、と感心しながら、見る。
今日はパネラーが全員女性だ。
テーマは、「日本をダメにした男は誰だ」、だそうだ。
 
 

2007年2月18日

雛人形決戦の日曜

 
 
子供の頃、よく母からこんな話を聞いた。
「お雛様はね、早く出さなきゃだめ」
なんでと聞くとは母は笑うのだった。
「早く出せば出すほど、早くにお嫁さんになれるのよ。ぎりぎりだとね、いき遅れちゃうの。仕舞うのも早くしないとやっぱりそうなるのよ」
そうなのかぁーと子供心に思ったものだ。
お雛様をないがしろにすると、嫁にいけん!
ちょっとしたオカルトのようだった。
私は姉が生まれたとき祖母が買ってくれたという雛人形を大事に大事にし、雛祭りよりずいぶん早くに出したものだ。とくにお雛様と三人官女は可愛がった。丁寧に顔を拭いて、長い髪の毛を撫でてあげたり梳いてあげたりしていた。(今思うとそっちのほうがオカルトのようだが・・)
お内裏様には興味がなかった。
なんとなく可愛らしくない。男の人形はたいていそんなものだ。面白味がないのだった。
 
いつの頃からだろうか、雛人形を大事にしなくなってしまった。
たぶん三十路半ばを過ぎた頃だろう。
あんなに可愛がってやったのに・・
という思いがどこかに生まれてきたせいもある。
また、いい年して、いそいそと、しかも言い伝え通りに雛祭りよりずいぶん前に雛人形を出している自分がアホくさく見えてきたのだった。
ただの言い伝えじゃん・・・
そんなふうに冷めてしまった。(まぁ、冷めるのが遅すぎたくらいではあるかもしれない)
お雛様もあまり可愛がらなくなった。
おかげで彼女の髪の毛はざんばらに乱れ、さらにオカルトじみて来た。
この頃になると、私は雛人形を見るのが怖くなってきた。
姉がお嫁に行くとき、本当は嫁入り道具の一つとしてもって行きたいと願っていたのに、私が渋ったのだ。
だって、確かに姉の雛人形だったけど、私のときは買ってもらってない、持って行かれたらどうするんじゃ!私は嫁に行けんじゃないか!と思ったのである。
姉は諦めた。自分の娘のために新しい雛人形を買い、一件落着、そうして我が家の年代物の小さな雛人形はうちに残ったのだが、共に残された娘(私)はちっとも嫁に行かないし、雛祭りの前にいそいそ出してやるでもなし、出せば出すで可愛がってもやらないのだ。
私は雛人形たちが雛祭りになるまでの、天井裏に仕舞われた箱の中でひっそりとしている間、ふつふつと怨念をたぎらせているような予感がしないでもなかった。胸がさわさわし始めた。
「このやろ! 早く出しやがれ!」
「大事にしやがれ!」
と怒っているような気がしてきたのだ。
そうして最大の負い目は、私は人形たちに新しいお祝いの対象となる女の子を与えてあげることもできないのだった。
私と一緒に老いていくのかねぇーなどと思うと、いっそう彼女らが不憫に思えてくる。
思うとなおさら恨まれているようで、やはり腰が引けてくるのだった。
 
そんなこんなでここ数年雛祭りをろくに祝わず、その頃になると家を空けがちにして、3月3日直前に出してそそくさと仕舞うということを繰り返していたのだが、今年の私は違う。
逃げてはいけない!
彼女らと向き合わなければ!
私は休日の今日、実家へと向かった。心は「雛人形決戦」である。
いざ、出陣!と、意気込んで実家へ行くと、母がにっこり笑っていた。
「見てごらん、出しておいたよ」
なんと、懐かしの雛人形は、我が家のサイドボードの上にちょこんと座っていた。
母が出したのだ。
「あれ~出そうと思ってたのに、出してくれたの?」
「遅かったかねぇ・・」
母は悲しそうにつぶやく。
「そんなことないよ、去年よりぜんぜん早いよ」
去年は母が倒れたあとなので、出さなかったのだった。
 
私はなぜか涙ぐんでしまう。
母は記憶をなくしても、ちゃんとお雛様を出しておいてくれるのだった。娘のために。
ありがたい。
素直にそう思った。
 
私はお雛様を写真に撮る。
髪は相変わらずざんばらだった。
でも撫でないのだ。
そのままの姿を目の裏に焼き付ける。
もう恐くはなかった。
 
 
 
 
 

2007年2月17日

がんばれ!新人

 
 
パソコンを買い換えたので、好むと好まざるとに関わらずVISTAになった。
マックのOSは使えない。私はWindows3.1(だっけなー)の時代からマイクロソフトWindowsだ。
まだ買ったばかりなので、機能をまったく使いこなせない。
XPより不便である。
さすがにうんざりして、本屋に出かけた。立ち読みでは理解しきれず、VISTA攻略特集の雑誌を購入して帰宅する。
新機能のデスクトップのガジェットを、邪魔だからと時計以外は削除していたのだが、本を読んで意外と便利だと知る。
さっそく天気(予報)とカレンダーと付箋とCPUメーター、スライドショーを「表示」にする。
WindowsAeroインターフェイスを有効にすれば半透明の表示もできる。
(・・・と、ここまで書いた後、無効にして見ても半透明表示はできました、失礼)
マウスポインタを近づけると表示されるが、通常はほとんど隠れているので心配したほど邪魔にはならないようだ。これから新しいガジェットも仕入れて活用しよう。
スライドショーはお気に入りの写真を表示させる。これもなかなか癒される。
 
なんかいいんじゃないの?Vista。
 
などと思いはじめてきた。
ガジェットひとつでその気になるのだから、これから機能をもっと知っていけば、もっと好きになるだろう。
何かを好きになるのは簡単だ。
少し、手をかけてあげればいい。
 
 
 
 

私が生まれて初めて買った文庫本、『吾輩は猫である』 のお話

 
 
『迷亭』君。
迷亭君は美学者である。迷亭先生、とも呼ばれている。金縁の眼鏡をかけて、煙草をぷかぷか燻らす。人をからかってばかりいる。
それ以外は一切不明、職業も私生活も。
私の知りうる限りの物語の中で一番好きなキャラクターである。
 
『吾輩は猫である』
という小説が好きだ。
これは小説と呼べるのかも定かではない。ストーリー性はほとんど皆無。長い物語ではあるが、唯一連続したストーリーがあるのは金田令嬢と寒月君のラブロマンス(と呼べるなら)くらい、あとは登場人物がお喋りばかりをしている、それを猫が観察しているという設定の物語である。
この登場人物のキャラがみな濃い。
一筋縄ではいかない人たちばかりだ。
まず、名無しの猫が帰属している家の主人苦沙弥(くしゃみ)君、教師である。しょっちゅう胃痛に悩まされ、胃に良いと呼ばれるものを片っ端から試すがちっとも良くならない、隣の子供にまでからかわれ、そのたびに本気で怒り出す、金持ちや権力も意に介さず、我が道を行く、融通の利かない頑固者の男である。隠遁者のような存在だ。
その苦沙弥先生の門下生だった寒月君。今は先生より立派になっているそうだが、しかしモノにならない博士論文ばかりを書いている。学問の研究材料はどう聞いてもギャグとしか思われない(首吊りの縄の法則だったり・・)が、本人はいたって真剣真面目である。この寒月君、羽織の紐をいじくりながら苦沙弥先生の元を訪れては、世のなかが面白そうな面白くなさそうな、女にモテてるようなモテてなさそうな、雲をもつかむようなたわ言を繰り返していくのだ。つかみどころがない。
寒月君の紹介により出てくる、越智東風君、おちとうふうではなく、おちこちという名前が韻を踏んでいることに非常にこだわる、文学美術をこよなく愛する変人。即興の詩を作ったり、前衛的な演劇(なのに近松の世話物だったりする)を発表するのが趣味である。誰がどう聞いても大失敗としか思われない発表会や彼の作品は、いつも自慢話として紹介されるのだ。寒月同様いたって真剣。話し手と聞き手の温度差に、読んでいるこちらは腹を抱えて笑ってしまう。
それから迷亭の知り合いだったか、哲学者の八木独仙君。名前のとおりにヤギのようなあごひげをなでる癖がある。人を思わずはっとさせ、深く頷かせてしまうような真理に満ちた話をしたり顔で述べる趣味がある。人格者の風合いだけは立派だが、よく読むとたいしたことはない。(てかギャグかも)
 
これらの強烈なキャラクターが登場する、まさにキャラクター小説である『吾輩は猫である』のキャラクターの集大成が、冒頭の『迷亭』である。
彼はすごい。
出鱈目な話を捏造し、誰彼かまわず吹き込んでは、相手がそれを真面目に信じて影響を及ぼされる様を金縁眼鏡の奥の目を光らせながら見ているのだ。面白そうににやにやしながら。もとがいい加減な話であればあるほど、相手が引っかかれば大喜悦の体である。
まさに「ほら吹き男爵」を地で行く男だ。
なぜ彼が人をからかってばかりいるのは不明だが、漱石の説明によるとこうある。
「この美学者はこんな好い加減な事を吹き散らして人を担ぐのを唯一の楽にしている男である」
寒月の学問や越智東風君の文学美術や独仙君の思想論と同様に、趣味のようなのだ。
この『迷亭』君の好い加減さは半端ではない。
もし、現代彼が存在していたら、真面目で信じやすい私はいっぱい食わされてばかりだろうし、またそれが全部が全部悪意ではないのだ、やられた、と腹を抱えて笑いながら、彼にいっぱい食わさてしまうだろう。
決して私だけではないはずだ。現代に生まれた彼ならきっと、お笑いのコンテストか何かのグランプリだって獲れるに違いない。
とある宗教によると、好い加減というのは、加減がいい(良い)ということであり、対極に偏りすぎずに中庸を極めているということでもあるそうだ。
 
私は若いときからずっと、自分が悩みでいっぱいになったり、哀しみに暮れたとき、いつもこの『吾輩は猫である』を開いたものだ。
苦しみと哀しみ以外は何も目にも心にも映らなくなったとき、この書を取った。
頁をめくり、苦沙弥先生や寒月や越智君、そうして迷亭の活躍を見て、笑い転げ、元気になるのだった。
彼らは私の理想郷だった。
昔も今も。
 
 
 
 

春よ来い

 
 
そもそも私は死ぬ気などさらさらないのだが、時々こんなふうに思う。
もしも、私が生きていく中で関わったすべての人々が、私の存在を殆ど忘れ、私が生きていようが死んでいようかまったく知らないし興味もない、という状態になったならば。
その時は、死んでやろう、と。
これは孤独や憎しみからではなく、そういう状態ならば死にたい、という意味だ。
よくニュースを見て不快に思うのはこんな台詞。(コメンテーターやVTRで登場する知人たちのものだが)
「○○さんはそういえばそんなタイプの子だった」
「転職を繰り返して、どうやら社会不適合者だったらしく・・」
「最近暗い様子だった」
ニュースでは自殺者のことを好意的でなく報道する場合が多い。
まるで何かの事件の加害者のようだ。
(まぁ、自分を殺したんだから仕方ないが・・)
 
私は自殺というのは恐ろしいものだと思う。通常の恐怖心を持っていたら、普通はできない。恐怖心よりも苦痛や愛が上回り、通常の心理状態を超えられない限り、行動には及べないだろう。
そんな恐怖心も平常心も卓越した刹那の頂点で、悟りを開いた修行僧のようにやっとのことで自ら死を選ぶというのに、死んだあとまで自己を汚されるのは考えただけでげっそりする。
私の死は誰にも知られずに、誰にも迷惑をかけない状態で、静かに行われなければならない。
私の死のあとに訪れる、その死による波紋を極限までなくさなければ、その保証がなければ、きっと死ねないだろう。
私の死の尊厳ために。
生き残る人たちのこれからの生のために。
それが私の自殺の美学である。
 
ところがだ。
そんな意思とは裏腹に、私の行動はかなり目立つのだった。
すでに会わなくなって何年も経つ友人たちも、電話をすればまるで昨日会っていたかのように親しげに話してくれたりする。決して忘れてはいない。
おまけに人がいいのか馬鹿なのか、会社の中では派閥争いの駒にされたり、当て馬にされたり。(また変なところに正義感が強く、問題を見過ごせない性格なので、ついでしゃばってしまうのだった・・)ひっそりと生きるには程遠い。
私は愕然とする。
 
死ねない・・・・
 
こんなに目立ってしまう私がどうやってひっそりと自殺の美学を遂行できるだろう?
 
いつ彼らは私を忘れてくれるのだろうか?
その前に、そもそも私は死ぬ気などさらさらないのだが。
しかし、「死ねない」という状態はやるせない。
どんなに人生がつらくとも、私にとって自殺という選択肢はないのだった。
私が人々の記憶から完全に消え去る日はいったいあるのだろうか?
そのためには、私はこの先何十年間、死んだようにひっそりと、生き続けなければならないのだろう。
 
 
人の視線や記憶は、私に死を与えない。
わたしはそれらによって、生かされているのだった。
愛でもなく、憎しみでもなく。
 
 
 
 
※ よく人はこの世の「自然」に生かされている、という教えを聞くが、私にとっては「記憶」のほうが大きいような気がするなぁ。
  記憶がなかったらみんな死ぬんじゃないかな。たぶん間違った考えなんだろうけど。
 
 

もしも私が常に廃品回収されるゴミだとしたら?

 
 
あるブログで廃品回収の記事を読んだ。
あまりよく覚えてないので、もしかしたら趣旨と違うかもしれない、確かこんな話だ。
少年や少女が地域活動の一環で廃品回収をする。全部が全部、義務ではなく、ボランティアで参加する子供たちもいるそうだ。
情けは人のためならず、いいことをすれば回りめぐって自分のためとなる。本当に偉いと感心してしまった。
私もそのように生きなければ・・・
 
一日そのことを考えて、ふと思った。
しかし―
 
『ゴミは廃品回収されたいのだろうか』
 
もちろん何の有益性もない代物だ。そのまま放置されていても、市民が不愉快な思いをしたり、町の景観に影響を及ぼす。ボランティアの一環で、善意ある方々が片付けてくれるなら、みな願ってもないことだろう。
だけど、もしかしたら、ゴミはそこに転がっていたいかもしれない。
そのゴミ、というか「廃品」のある景色を見慣れた人たちもいるかもしれない。
その廃品を遊具代わりにして遊ぶ子供も、もしかしたら。(最近公園が少ないからね・・)
ぽかぽかの天気の日に、そんな子供を眺めたり、その場に訪れる鳥とお喋りしたり、虫と仲良くしたり、そこに佇むことが廃品はとても好きかもれない。
まぁ、廃品に心があればの話だが、笑
心ある人間としての私は、時々そういう秘密基地のような、廃品が転がる場所が好きだったりする。
 
 
人間の思いやりとか善意というのは、時にはエゴだ。
社会の秩序のためとか、町の美観のためとか、リサイクルして尊い資源にするとか、そういう理由で廃品は回収される。常に。
そこにはゴミに対する敬意はない。
たとえ元は自分たちが排出したものだとしても、使っていたものだとしても。
もちろん無邪気に廃品回収をしたり、ゴミを片付けたり、掃除をする子供たちには何の悪意もない。
そこには善意しかないだろう。
だから尚更つらい。
廃品回収が善意のボランティアとして成り立つのが社会ならば、むしろ私は商売のほうがいい。
「片付けてもらっている」
という善意が、時に廃品たちを惨めにさせるのかもれない。
 
 
 
 

2007年2月13日

シオヤに捧げる私の誇り ~いやいやホントあの頃は良かったねぇ・・~

 
 
シオヤの期待は高かった。
部長の私はみなを精神的に支え、リーダーシップを取り、そうしてシオヤが顧問であるハンドボール部、その彼の王国を完成させる為の重要なキーとしての役割を果たすことが義務であると考えていた。
シオヤには野望があった。
関東地区で、彼の指導者としての名声を轟き渡せることであった。
教員のリーグではまだ現役のプレイヤーとして活躍していたが、彼の引退は近かった。もう高くは飛べない。体力も衰えていた。
残す道は指導者のしての自己の確立だったのだ。
私は毎朝毎晩、休みもなしに練習した。
チームは強くなってきた。
しかし、シオヤの期待レベルには程遠い。彼は関東大会制覇、インターハイ制覇を目標に掲げていた。
チームメイトは続々と故障していった。
シオヤは叫んだ。
「ヒロコ!お前はヒロコじゃない!ヒロシだ!」
自分を男だと思ってがんばれ、しっかりしろ、という意味だ。
ヒロシと化したヒロは故障した足の痛みを堪えて走り続けた。ボールを追った。
そうして、靭帯を破損し、引退試合に出れなくなったのだ。
思い出すのは夏の合宿だ。
私は故障してコートの脇で(二人組みとなって)ずっとパスの練習をし続けているメンバーの変わりに速攻の練習をし続けた。
練習するメンバーが足りないので、すぐに自分の番となる。また二人一組の練習だが、奇数しかいないので、ひとり余分に順番が回ってくる。
私は余分なひとりとなった。
なぜなら「部長」だったから。
みんなの苦しさがわかったから。
速攻のシュートを終えると、一緒に速攻を終えたメンバーよりも早く走って先にポジションに戻り、そこで待っているメンバーと合流し、また速攻を始める。
休む間もない。弱音は吐けない。
クタクタだった。
しかし、なぜかそこまでしても、私の体は故障しないのだった。
夏の合宿が終わるとシオヤは言った。
絶望にくれた顔をして、悲嘆に暮れた表情をして。
「この合宿ではリーダーとなる存在がいなかった、俺は、俺は・・」
「がっかりした!」
がっかりしたのは私のほうであった。
 
私は学生時代が終わる日を指折り数えた。
このつらい練習が終わる日が来ることだけを夢見始めた。
 
そのうち私は練習をサボることを覚えた。
みんなのように体は故障はしない。しかし精神が故障し始めている。
辞めるわけにはいかない。それは逃げることでもあった。チームメイトを見捨てることでもあった。
だから時々練習を休んだ。
そうして自己の限界との帳尻を合わせ始めた。
 
シオヤは私をやめさせようとした。
「最近休みがちだし、ナオミと部長を交代したらどうか?」
ナオミは副部長だった。彼女に異存はない。私に遠慮して黙り続けている。
私は一晩考えてから、部長を続けることにした。
それを捨てることは肩の荷を降ろすことであり、願ってもなかったが、何かが拒否をした。
私の内部の何かが悲鳴を上げた。
「やめるな!」
そう叫んでいた。
だから引退試合まで部長を通してやった。
シオヤは憎憎しげに私を眺めていた。
引退した日に、男子の部長と女子の部長(私)のもとへと電話をかけてきた。
「大変だったけどな・・ご苦労だったな」
私は皮肉をこめて言う。
「私ほど先生に迷惑をかけた部員はいなかったと思います」
シオヤは、あはは、と笑って、返事をしなかった。
「そんなことはない。お前が部長をしてくれて、よかった」
と嘘でも言えんのか、と思ったりしたが、それを言わないのがシオヤのいいところだ。彼は十分に傷ついていた。
私たちは男子も女子もインターハイどころか、関東大会へもいけなかったのだった。
 
卒業前に部員全員で飲んだ。
居酒屋の座敷でみんなで思い出を語り明かす。
補欠にならなかったのは最上級の学年の部員がただ少なかったから、という部内の認識だった、戦力外のヒトミが言った。
「私はへたくそでした。みんなにもついていけませんでした。
でも、私の誇りは、練習を一度も休まなかったことです!」
瞳がきらきら輝いていた。胸も反り返っていた。
全員が後ろめたそうに俯いた。
だめな私を代表に、ほとんど全員のメンバーが故障したり勉学を理由にして、練習を休んでいたのだ。
私は彼女を強い人だと思った。
暫くは、彼女と自分を比べては自己嫌悪に陥った。
 
しかし、10年ほど経った頃だろうか、私はふと思った。
シオヤは私のすぐ後の代の部長も気に食わなかったのか期待に添わなかったのか部長を辞めさせて、副部長を部長にしたのだった。
その子はハンドボール部をやめてしまった。そうしてヤンキーになったとか、ならなかったとか。かなり荒れた。
OB会ではシオヤは遠い目をしてつぶやく。
「あの頃が、一番輝いていたんだ」
シオヤにとって、あの指導者としての野望に燃えていた、その希望を私たちの世代に託した時代が、一番の青春だったらしい。
その後のシオヤは散々だった。チームは弱い。娘は非行に走り、教員の彼の顔をつぶした。
「あの頃がさ、良かったよ」
正直にそうのたまうシオヤが私は大好きだ。
そうして、私の誇りは―
 
「私はだめな部長でした。みんなにもついてけませんでした。
でも、私の誇りは、決して部長も部活もやめなかったことです」
10年後、胸を反らしてそう言うのだ。
 
 
  
 

2007年2月12日

人はみなひとりで生きているわけではない ~幻想としての「言葉を超える実在 の彼」を愛する私~

 
 
最後の彼氏と付き合っていたとき、私と彼は毎晩インターネットメールのやり取りをしていた。
携帯メールのない時代だ。
その頃私はたいした人生を歩んではいなかったのだけど、その彼のメールを見ることだけを楽しみに生きていた。
メールというのは不思議だ。
たとえば今そこに彼がいなくても、まるで私のすぐ傍らに彼がいて、私に優しく語りかけてくれているような、そんな気分にさせられる。
これが手紙だとこうはいかない。
私は「便箋」を持っていて、そばには「封筒」が落ちていて、それには「消印」と「住所」が書いてある。
彼の言葉が書かれた手紙には、時と場所が確かに存在し、違う場所から遥か彼方の私の元へと、過去から今この瞬間へと、届けられたということがすぐにわかってしまう。
だけどネット上のメールは違う。
メールを開いた瞬間、実在の彼が私の耳元で私のためだけに語りかけてくるのだ。
 
私は寂しさを忘れた。
孤独な夜を私だけの彼とわかちあうことができた。
 
それを証明するかのように、ある夜、彼が私の部屋から帰って、そのすぐ後に彼からのメール(会う前に届けられたもの)を見てしまったことがある。そのとき私は、たった今起こったばかりの別離による寂しさを忘れるためにメールを開き、返事を書き始めたというのに、ちっとも孤独が癒えなかった。
実在の彼はまだ私の部屋から帰宅したばかりであり、たぶん今頃駅前の商店街辺りを歩いており、この私の傍で私に語りかけてくるメール、その彼の言葉は偽者なのだとはっきりと自覚してしまった。彼の不在がわかったのだ。
 
「ここ」には彼はいない―
 
現在の私はほとんど誰ともインターネットメールのやり取りをしておらず、自閉症気味のネット生活を送っているので、こういった「すぐ傍で語りかけてくるメール」に慰められることもない。
その代わりにブログを書く。
その代わりに誰かのブログを読む。
または何かのサイトの記事を。
それらはまるで、誰かが私のためだけに、私のすぐ傍らで、私に語りかけてくれているかのようなのだ。
 
もちろんネット上のものであり、不特定多数のために発信させられるもので、それにだって時と場所はあるのだ。今この瞬間に書かれたものではない。
だけどそんなことは問題ではなく、そういう気分にさせられる、それが私にとっては重要であり、好きな要素ということだろう。
思い込みでも、妄想でもいいんじゃないか?
幻想でもリアルじゃなくても。問題じゃないんじゃないのか?
私はまるで自分に語りかけてくるかのようなそれらによって、時に慰められたり、時に勇気付けられたり、深く傷ついたりするだろう。
だけどひとりじゃない。
たった今この瞬間に、私は誰かの不在を忘れ、誰かとともにいる。
 
 
そんなふうに私を満たしてくれる媒体は他にあっただろうか。
幻想や夢想を与えてくれる世界はあっただろうか。
 
 
思想ではなく、感動でもなく。
 
真実でもない。
 
なのに―
 
 
私はインターネットやメールやブログが好きだ。
そこから響く言葉が好きだ。
もしその言葉の世界が「新聞」ではなく「本」ではなく「手紙」でもなく、私の世界の「彼」ならば。
私は死ぬまで彼を愛そう。
ともにいよう。
 
ふと、そんなふうに思った。
 
 
 

2007年2月11日

『守護神』の使者

 
 
生まれてからこのかた、ろくすっぽいい目にあったことがない。
そういう星の下に生まれ、顔に「不幸」と書いてあるのではないか、と疑うほど幸運が逃げていく。
しかし、不思議と逆境に強い。
普通の人ならくたばっているような場面に遭遇しても、そのときは倒れるが、決して再起不能には陥らない、時が経つと自然に浮かびあがる。
何か大きな力に守られているのではないかと思い始めた。
とは言っても、人間関係が下手だったり、男に逃げられたり、病気がちだったり、精神面が弱かったりは相変わらずするのだ。
だけど、借金で首が回らなくなったこともなければ、今日食べる飯に困ることもない、家族も友も元気だ。
お金も地位も名誉もたいして欲しいとは思わない性格に生まれついている。(私を支持し、愛する人のためにそれが必要だと思ったことはあるが、自分は要らないのだ)
にっちもさっちもいかなくなったときは、何かしらの救いの神が訪れる。
そうして、その神は必ず、私をいいほう(良き現状)へと導いてくれるのだった。
 
 
「守護神」、はあるのだろうか。
職業的な聖人のことではなく。
もしそういう架空の存在が実在したとして。
もしそのカリスマ的な彼の強大なパワーを誘き寄せることができるとしたなら。
それだって強大なパワーだ。
守護神だって人を選ぶ権利くらいはあるに違いない。
きっと根っからの貧乏神ではないし、不幸者ではないのだ。
「幸福」とさえ呼べるかもしれない。
もっと早くその事実に気がついていれば、私こそがその使者になれただろう。
そうして一緒に守れただろう。
ライ麦畑で、そこから零れ落ちていく人々を。
 
 
(そう言えば、自分が強運だとは漠然と思ってたけど、、、、強運と幸福は同じなのかなぁ・・・??)
 

2007年2月10日

VISTAだかVAIOだか知らないが

 
 
パソコンを買い換えた。
2003年から愛用していたマイマシンが壊れたのである。
彼は私と付き合ってやっていくのに疲労を感じ、私の代わりに壊れたくれたのだ。
 
私は愛する彼の好意に感謝して、その死を受け入れた。
修理には出さない。
丁重に買ったときの箱に閉まって埋葬する。
 
新しいパソコンは憎憎しいやつだった。
慣れてないせいだろう。
私の癖も知らない。勝手に自分の意志で動き始める。
(これから教育が必要だ)
なによりも私が旧マシンの彼氏に託していた私が生きるために絶対的に必要としてた情報も、愛着も、一切排除しているところが気に食わない。
おまけに面も小さい。ボディはでかいくせに。ウィンドウが見づらくて仕方ない。
ないない尽くしだが、しかし早い。
さくさく動きやがる。
(そこが生意気でまた気に食わないのだ)
 
 
自分の代わりに『モノ』(物質)を壊したのは初めてだ。
これに懲りて、二度と何も壊さないと心に決める。
自分も相手もだ。
明日になったら気が変わらぬよう、新しい彼に教育しながらともに歩んで生きていく。
 
 
大事にしてやるよ。
 
 
私はVAIOのボディを優しくさすってみた。
 
 

『自分を信じる』

 
『信じる』ということについて。
 
某知人はかつてこう教えてくれた。
「人を信じてはいけない。でも信用はしていい。それは信じて(自分にうまく)用いることだから」
またかつてある本は、
「信じるものは救われる」
昨日はこんな言葉を聞いた。
「信じるということは、その人を信じた自分を信じるということよ」
 
みんないろいろなことを考えて生きている。一生懸命に、自分なりに。
私も負けちゃいられません。
 
 
 

面食いな私の『不細工+禿げ+チビ+貧乏人の彼氏』~好きは単純なのに恋って なんて難しい、よね?・・・~

 
 
私は繊細だ。誰かの気持ちや、周りで起こっていることを敏感に察知するタチで、細かいことを気遣ったり、くよくよと気に病む。
そのくせ、誰かや周りの恋愛に対する想いについては無知だ、まったく鈍感である。無垢とさえ言えるだろう。(よく言えばね・・)
自分が恋愛感情抜きに、人としてのいい面や尊敬できる面を見つけるとすぐ相手を好きになってしまうせいかもしれない。
みんなそうだと思っている節があり、誰かが誰かに対しての「好意を見た=好き」という結論につながらない。
なのでしょっちゅう一途に相手を想っている誰かしらを傷つける。
無邪気にその人の前で、その人の想い人と仲良くしたり、「○○さんっていいな、好きだなぁ」などと公言してしまう。
これは「人として」という意味で、「異性として」ではないのだが、人として好きな人のことを公言する人は非常にめずらしいらしく、イコール恋愛だと思われて、いつも誤解されたり周りを傷つけたりする。
 
おいおい、もっとみんな愛し合おうよ!
 
などと「トレンディドラマ」のような台詞を叫んでみても、「陣内」さんのように、女子から白い目で見られるのがオチだろう。
そんな時点になってやっと気づいて、このときのショックはとても大きい。
「○○ちゃんは○○君のことが好きったのか!」
ガビーンとか、ガーン、とか、漫画のふきだしのような音が脳内に響いてよろけそう。
線でいっぱいの(青くなった)ちびまる子ちゃんの顔のような状態になる。
「好きだった」ならまだ救われる場合もあり、実は「付き合っていた」などという展開もある。こんなとき、私は自分の愚かさ加減に呆れてしまい、ショックで寝込むことさえある。(これがまた失恋のショックだなどと妙な勘違いをされて、更に事態が大きくなる場合あり)
 
そういう馬鹿な自分を知っているせいなのか、それともただの平和(事なかれ)主義者なのか、私は誰も好きにならない人を好きになることがとても多い。その人が誰からもモテないという意味ではない。私の行動が害を及ぼす範囲内の知人が誰も好いていない人という意味で、恋慕の想いが彼らとかぶらない人、という意味である。
かぶっているのを知った時点で想うのをやめることもある。また、かぶらない人へと感情を転化していく。
こうして私はどんどん自分の気持ちを周囲の気持ちによって修正していき、『イケメン』→『ちょっとイケメン』→『ちょっとブサイク』→『ブサイク』→『ブサイク+ハゲ』→『ブサイク+ハゲ+チビ』→『ブサイク+ハゲ+チビ+貧乏人』という具合に、果てしなく恋する人のレベルを落としていく。(あ、これあくまでも外見プラスアルファの話ね、周囲に害を及ぼすのがその基準である場合が多いので)
そしてそのうちふと気づく。待てよ、と。
 
「私って、面食いじゃん!」
 
たどり着いた『ブサイク+ハゲ+チビ+貧乏人』にまったく自分のタイプではないものを発見して、またしても愕然とするのだ。
 
「私ってどこまで馬鹿・・・」 (←もちろんちびまるこ状態)
 
相手に対してもまったく失礼な話だろう。
当然恋はうまくいかない。馬鹿は死ななきゃ直らない。
こんな話をしていたら、以前知り合いが教えてくれた。
彼女は私よりも10歳以上も年下だったのだが、とてもしっかりしていて、聡明で、私はよく彼女から教えを請うていたのだ。
 
「たまには、いいんじゃない?」
「なにが?」
「周りを傷つけてもさ、好きな人を求めて」
 
(言葉はこんなじゃなかったかもしれないけどそんな意味のことだった)
 
「ガーンといったれよ。私はその人が好きだー!って」
 
あれから何年経つのだろうか。
彼女の教えは役に立ったのか、立たなかったのか、私はいまだに独り身である。
ええ、もちろん、尊い教えを生かすことができなかった自分のせいである。
 
 
恋って難しい。
彼と自分だけがこの世界に生きているわけではないのだ。
 
 
(だけど恋するとその人しか見えなくなる)
 

2007年2月8日

『一秒前のジェットコースター』

 
 
特にネタもなく、最近平和なせいか、特に言いたいこともない。
こういう日は過去に日記を読み返したりして、何か感情や主張が訪れるのを待つ。
または正反対であろうタイプの人の文章を読む。そうすると反論と言う形でむくむくと言いたいことが湧きあがるのであった。
で、今日はそのどれも当てはまらないのでぼんやりと過ごす。本当に平和だ。
過去に書いた小説を読み返す。
思わず唸る。いったい何の影響だろう。言わずともがな、その頃はまっていた作家ではないか。文体まで良く似ている。しかし主人公は、これは誰だ?
こんな出だし。(かなりウケる)
 
『たとえば彼女のようなタイプの存在は、僕は敬遠していた。たいした理由じゃないんだ。僕はただ単純に恐かった。それだけなんだ。
もしも気が向いて、ほんとうにただそれだけの理由なんだけど、ふと気が向いて、優しい態度でも見せたりしたなら、そんな僕の心の隙間に付け入ってそっと入り込み、気がつくと離れられない状態になっていて、果ては愛という名目のもとに僕を縛り付けそうな、そんな気がする。
もしも僕が彼女に飽きて、彼女意外の人に興味を示したり、冷たい態度を取ったりしたなら、そんな僕の不貞をなじり、凄まじいほどの嫉妬をし、僕を恨むようなそんな気がする。その恨みと言うのは、きっと半端じゃないだろう。僕への執着は執念から怨念となって、地の果てまで僕を追いかけるだろう。
ああああ、恐ろしい。
そんなのはごめんだ。
だから今まで、僕はなるべく関わり合いにならないように、いつも無関心なふりを装っていた。うまくいっていたんだ。彼女に逢うまでは。
その日、僕がアパートに帰ると、彼女がそのドアの前に立っていた。午後から降り始めた雨が、強く傘を叩くそんな夜更けだった。
彼女は偶然の雨から身を守るすべも持たず、濡れたその全身から雨の雫を滴らせ、僕の帰りを待っていた。そのあどけなく、澄んだ瞳を見た瞬間、僕はどうにかなってしまった。それもそうさ。彼女は頼りなさそうな、心もとなそうな、いじらしいほどの情けない顔をして、ぼくを口説きにかかったんだ。無言の口説きというものは、多分あるものなんだ。
実際、彼女は何ひとつ言わなかった。しかし、僕はあっさりと彼女の手に落ちた。
今思うと、それは彼女の作戦だったに違いない。だからあれほど敬遠していたのに。どうかしていたんだ。彼女もそういうタイプだった。
僕はその日、誰かと一緒にいたかったんだ』
 
ははぁ・・・
「アパート」って言うところが古いさね・・・ 今書いたら、きっと「マンション」だね。
などと突っ込みを入れる。
この小説の設定では「僕」は中古レコード屋(これも古いさね・・・)で働くフリーター君で、かなりの美青年のようだ。当然ナルシスト。
大好きな少女漫画の影響もあるのかね・・・
彼には「ギタリスト」と言うあだなの友人がいる。これがちょっとした変人らしい。口元から覗く前歯はヤニで黒い。
以下、飲み屋での僕とギタリストのやり取り。
 
「俺はジェットコースターが恐い」 彼は真面目な顔をして言った。
「ジェットコースター?」
「そう、遊園地にある例のそれさ」
「遊園地になんか行くのか?どういうカッコで?」
「このままさ。ジェットコースターに乗るために出かけていくんだ。
ありとあらゆるものを試した。どれもなかなか良く出来ている。人間の恐怖の限界を捉えているんだ。それ以上でもそれ以下でも商売にはならない」
「わからないな。だいいちどこが恐いんだ」
「その一秒手前がいいんだ。落ちる瞬間のさ。乗ったことはあるか?」
「あるだろう。あったと思う。落ちる瞬間の手前というのは・・つまり?」
「つまりさ、それはゆっくりと上昇し始める。このゆっくりと言うのがまず恐いんだ。地が遠くなっていく。人も家も木々も小さくなる。それは重力によって地上に縛りつけられることに慣れた人間にとって、自分の存在の不安感と危機感を掻き立てられるんだ。少しずつ自分の存在が確かではなくなる。少しずつ自分が世界から見放されていく」
「なるほど、で?」
「感心するポイントじゃない。続きがあるんだ。で、恐怖心が少しずつ高まっていく。そのとき突然、その心もとない自分を乗せた心もとない箱が衝撃とともに止まる。がたん!俺は思うんだ。あ、落ちる!箱は前に傾き始める。落ちる。落ちる、ついに落ちるぞと思った瞬間、ここがピークだ。やつは俺を乗せたその箱を真っ逆さまに突き落とすんだ。心臓がふうぅと収縮して、俺の体はどこかに置き去りにされたかのように俺の意識と一致しなくなる。それは恐いぞ。まるで、箱じゃなくて自分が放り出された気分だ」
「感心していいだろうか」
「まだだ、つまりな、その落ちていくときの恐怖心を覚えているわけだよ。どんなにそれが恐ろしいか。すると、次に乗ったとき、その恐怖心を恐怖することになるんだ。わかるか?」
「なんとなくね」
「だからジェットコースターが下降を始めるその一秒ほど手前が、何よりも恐いんだ。現在の恐怖と過去の恐怖による概念が二重の恐怖心となって、それは俺の瞬間の恐怖を最大限に描き立てる。つまりはそういうことだ。俺はその瞬間を味わうのが好きなんだ」
「恐怖は好きになるほど楽しいものなのだろうか」
「楽しくなんかない。好きなだけだ。この平和な日本でどこにそんな恐怖がある?恐怖の限界を味わえる?自分を見失う直前の凄まじい恐怖を覚えたことがあるか?」
「ないね」
「明日、遊園地に行くか?」
「いや、僕はジェットコースターを恐いと思ったことはないんだ」
 
このギタリストの恋人(彼女)とナルシストの僕君がちょっといい雰囲気になっちゃうんですね、そのあと。
そうして、冒頭の彼女が不審な行動を取る。
嵐の中、ギタリスト登場。
「彼女が死んだ」
えっ、と、まぁ、僕といい雰囲気になった彼女が事故死をしちゃったりするわけですよ。
僕は恐くなるんだな。
そうして恐怖の概念が現在の恐怖と重なった瞬間に、彼はもう一人の彼女を追って交差点に飛び出す。
僕の頭は混乱していて、どっちの彼女かわからなくなってたりもするのだけど。見つめられ。彼女のほうへと向かっていく。
無言の誘いと言うのはあるものなんだ―
 
んで、僕はまんまと車に撥ねられちゃうんです。
 
これ、オカルトを書きたかったのか何なのか不明なんですけどね、オチはね、ここ。
 
『激しい衝撃が襲い、鼓膜を劈く音が遠ざかる意識の中で聞こえた。僕は死ぬんだ。最期に彼女の姿が見たい。彼女は可愛い。本当はずっと好きだったんだ。彼女は僕を見ていた。しっぽを軽く振り、四本の足を器用に動かして、そうして僕から去っていった。
事故現場から立ち去るなんて彼女にはお手の物さ。彼女は身のこなしが早いからね。
今度生まれてくるときは彼女のような存在になろう。猫がいい。人間なんてまっぴらだ』
 
『僕の死体を、雨の粒が激しく打ち続けていた』
 
ちゃんちゃん・・・
 
おやすみなさいませ。
良い夢を、皆様。
 
 

『無題』

 
 
最近少しだけど、自分が好きだ。
醜い欲望が少しだけ無垢に近づいているような予感がする。
ただの気のせいかもしれないけど。笑
 
このまま、突っ走ってしまおう。
ブレーキもかけず。
突き抜けようと思う。
 

2007年2月6日

『空のビードロ』 ~通勤電車で泣くとストレス発散しますよね・・?~

 
 
通勤電車で本を読む癖がある。
今日も帰りの電車で読んでいて、不覚にも泣いてしまった。
涙をぬぐって、鼻をかんだ。何度も。周りの目が気になった。勇気があれば、もっと号泣できたと思う。(残念だ・・)
読んでいたのはこんな物語だ。
 
 
舞台はお江戸日本橋。
松之助は廻船問屋長崎屋の主人の「めかけ」の子だ。
正妻に跡取りが生まれ、母親は松之助を連れ、別の男と夫婦になった。
母が死に、義理の父とぎくしゃくした末に、松之助は奉公へ出される。
その奉公先で彼はある事件に遭遇し、「冷たい冬の氷水に手を突っ込んだような気」持ちになる。
 
(ただひたすら毎日がつらいだけなら我慢が出来たんだ。だがお嬢さんのやり口は・・・・)
 
『ひやりとした感覚が過る』
『底のない不安を見たような気がした』
 
松之助は奉公先の一家を殺してしまおうと思う。
鼠取りの薬を井戸の水汲み用の桶に入れようとする。
 
『悪いと言う気持ちなどもてなかった。なるようにしかならないと、乾いたような残酷な考えが浮かぶ。己らしくないと思う。だが井戸へ向かう足は止まらない。』
 
『一人きりだと言うことは恐ろしいものだと人事のように思った。母が生きていればこの手は止まったかもしれない。(中略)もうすぐ人に顔向けが出来ないような、極悪人になる。それを他事のように、遠くから見ている己自身がいた』
 
 
そんな松之助を我に返らせたのは青空色のビードロだった。
ある日、彼が拾った誰かの落し物。
偶然彼の着物から転がり出て、それは、『夜の儚い光を跳ね返した』。
このビードロの描写が美しい。
心が洗われるようだ。
 
『全てが青く清らかになっていた。
深い水底から月の世界を眺めれば、こんな感じなのだろうか。
見慣れた井戸のたがですら、淡く青い光をまとって美しい。庭の石ころが玉のようだ。ありふれた小さな花は、蒼い唐渡りの細工物かと見まごうばかり。
そうして月は、あまりにも清浄とした天の色で全てを青く清めていた』
「なんて・・・・ただきれいなんだ」
 
松之助は涙を流し、井戸端に散らばった鼠取りの薬をかき集め、静かに寝間へ戻って行った。
 
しかし、そのあと奉公先が火事で燃えてしまう。
義理の父の家も焼けてなくなっていた。
ついに身ひとつになった松之助は、せめてどこか奉公先を紹介してもらおうと、実の父のいる長崎屋へと赴く。
そこでこの物語のシリーズの主人公である「若だんな」と出会うのだ。
弟は笑顔で兄を迎える。
「来てくれたよかった。火事の後、どうなったか心配をしていたんですよ、兄さん」
 
『驚きで声が出ない。長崎屋の若だんなに、兄さんと呼びかけられようとは思わなかった』
 
戸惑う松之助、食べたこともない菓子を進められ更に焦った彼は、落ち着こうとして、もはやお守りのようになっていたあのビードロを握り締めるのだ。
そうして発覚する。そのビードロを落とした人こそが「若だんな」、松之助の弟だったのだ!
 
 
こうしてあらすじを書いていると、どうも少女漫画のような設定だとも思う。うまくいきすぎだとも。
しかし、この物語に有無も言わさず読まされてしまうのは他でもない。
人が描かれているのだ。
冷たさや欲や弱さも、哀れさもすべて、目を背けずに描き出している。
 
 
こんなふうに私は人を見れるだろうか?
人を理解できるだろうか。
自分が恥ずかしくなってくる。
 
 
子供のときからずっと、奉公に出てからずっと、腹がくちくなるまで飯を食べたことのなかった松之助。
彼の冷えた心を温めてくれるのは、白い飯だけだった。
ラストの2行を読み返して、私は何度も泣いてしまう。
鼻をかんでからまた読み、思い出したようにまた泣くのだ。
 
 
『若だんなの手が、震える松之助の肩にかかった。
その手は暖かくて、毎日一番身を暖めてくれた飯よりも暖かくて、松之介をほっこりと包み込む』
 
『松之助は二人の前で畳に突っ伏して、泣き出していた』
 
 

2007年2月5日

『恋する惑星』 ~ChungkingExpress~

 
 
『その時ふたりの距離は0.1ミリ、57時間後、僕は彼女に恋をした』
 
 
この映画を初めて観たのは、眠れないある夜。テレビをつけたら偶々放送していた。
私はこの映画を知っていて、以前からずっと観たいと思っていて、全然知らないのに、一目見て「あの映画だ」と確信した。
そうしてすぐに録画をしながら、見始めたのだ。
 
私は一目で恋をした。
 
擦り切れた録画のビデオを、―なぜならそれは繰り返しその日の番組を録画していたから― 大切にして、
なんで新しいビデオで撮らなかったのかと後悔しながら、繰り返し観た。
 
DVDを買ったのは、ずいぶんあとだった。
 
昨日と今日、私はまたこの映画を繰り返して観ている。
私の人生はいつも見てばかりだ。
あの夜と何も変わらない。
 
同じ映画を観ても、人それぞれ違うのだろう。
そのあと何を感じるか、どう行動するか、なんて。
私は一目惚れした映画のために、香港に行くこともない。
旅立つのはいつも心だけだった。
 
 

2007年2月3日

礎はどこへいった?

 
 
大好きな占いによると、今年は運勢が悪い。
覚悟はしていたが、確かに最近何をしても裏目に出る。
こういうときは事態を回復しようとじたばたしても無駄だと諦める。さらに事態が悪化してしまうだろう。ことさら開き直る必要はないが、じっと耐えて風向きが変わってくるのを待っていようと決める。
ただ、永遠と待っているのは、それを想像しただけでぞっとするので、期間を限定する。
1年、今年1年、せめて耐えてみよう。
来年は運勢もいい(これも某占いによる)そうだし、今年は収穫は諦めて、修行のとき、畑を耕してひたすら明日の糧のために勉強をしている時期だと思うことにする。
はーしかし勉強ってつらいし、飽きちゃうんだよねぇ・・
一年長いな・・
 
がんばれ、私。
 
 

籠に小鳥を 心に鬼を飼う

 
 
もしも私がひきこもりのニートだったりする。家から一歩も外に出られない。または家でも会社でも一切の自由がなくて、囚人のように、奴隷のように、毎日同じルートを一定の条件下で働かされていたとして。
 
息をしているだけのような、毎日。
 
そんな私は何をするだろう? 万が一たったひとつの自由が赦されていたら。
 
私は迷わず鳥を飼う。
 
または金魚でもハムスターでもヤモリでも。
小さくて、自分の意のままになるペットを飼って、籠に閉じ込める。
 
時々気が向いたとき、外に出して一緒に遊んであげる。
時々籠に閉じ込めたままずっと出さず、餌をも惜しむ。
 
私に馴れてなついたら可愛がってやろう。
芸を仕込んであげてもいい。
 
そうして自分が閉じ込められた籠を忘れ、小さな籠の中の神となり、憂さを晴らしてやるのだ。
 
もしも、彼がなつかなかったら殺してしまおう。
ほんの少しの哀れみと、大きな悲しみと共に。
そうして、口笛を吹きながら、新しいペット買いに行く。
 
まぁ、幼い少女をさらって来て、監禁するよりましだろう。
私はいい人間だ―
 
そう自分を慰めて。
 
 
 
 
さて、今日は節分です。豆を蒔いて、鬼を退治しましょうね、皆さん☆