2007年12月29日

ニュースもろもろ

 
 
 オダギリジョーと香椎由宇が結婚発表の記者会見を開いた。
 香椎はつい先日小栗旬と噂になっていたが、まるでそんな話など初めからなかったかのように、公認の秘密を暗黙の了解のごとく皆おくびにも出さない。
 オダギリは来年海外での撮影が続くそうだ。発つ前に彼女を安心させたかった、と語っていた。
 確かに安心させておかないと、若く美しい彼女のことだ、何をしでかすかわからない。本人にその気がなくても周りが放っておかない。今をときめく俳優とまた噂にだってなりかねないだろう。
 とりあえず式は来年でも、自分のものだと世間に公表しておくのは賢い選択だ。
 しかし、オダギリをその気にさせた香椎が一番賢いと思うのは私だけか。
 
  
 小泉チルドレン、杉村太蔵議員が党公認を得られるかどうか正念場を迎えている。その後、自身のブログで吠えたりしたので、ますます無理だろうと言う気配が強まった。
 一部には「大物に化けるかも」と言う貴重な意見もあるようだが、私的には逝ってよし。初めからただのラッキーボーイ、勘違い甚だしく見苦しい。手厳しいようだが、己を知らないものは政界から消えて欲しい。
 そして、議員バッジをはずしたあとは、是非M-1にチャレンジして欲しい。
 『代議士・杉村太蔵』の虚像は捨てて、『お笑いタレント・タイゾー君』として新たな道を歩んで欲しい。
 小泉さんのマネがウケる。毎回、発言するたびに私を大笑いさせてくれる君なら優勝だって夢じゃない。
 
 
 最近近日本はフィギュアスケート大国のようだ。
 フィギュアと言えば私の若い頃は、『愛のアランフェス』(ペアのフィギュアを題材にした槇村さとるの漫画)、美しいのは漫画の中だけ、日本のフィギュアと言えばスポコンと言ったふうで、欧米や北欧系の選手にはどうしたって敵わない。どうしてもこうも違うんだろう? 生活スタイルか食事の差だろうか・・・ と妙に哀しい気分になったものだ。
 ところが、現在フィギュアが盛り上がっている。今なぜ、しかもなぜ日本で、と言うくらいに人気なのだ。
 不思議に思って良く見てみると、驚かされた。昔とはまったく違うのだ。特に浅田選手は美しくなった。
 動きを美しくするためにバレエの練習を強化したそだが、その甲斐あってしなやかで、一つ一つの動作が滑らかだ。安藤選手の迫力には負けているが、あの完成度の高い演技は素晴らしいものだと感嘆させられた。
 浅田選手、優勝おめでとうございます。美しい演技をどうもありがとう。 
 
        真央
 

2007年12月24日

懐かしい町、新宿。

 
 
 何十年ぶりのような気がしましたが、新宿へ行ってきました。
 昼間新宿を歩くことはまずない。遊ぶことも買い物することもない。なので、無性に懐かしかったですねぇ。
 十年位前かな、友達とよく行っていた構内のコーヒーショップ、もちろんカフェなんて言う洒落たものではなく、昼間は珈琲屋、夜は飲み屋の小さい店にふらりと入る。安いモーニングを頂きました。
 まだあったんだなぁこの店・・・とまたまた懐かしい。
 
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 夜はビールとおつまみが豊富、カウンター席があるので女性一人でもふらりと入れる雰囲気です。
 朝のモーニングは安くて超美味しくておススメなので、是非どうぞ。JR東口改札出てすぐ三十秒位かな。
 
 ★BERGさん http://berg.jp/index.htm ルミネエスト(旧MYCITY) B1  
 ※その後、このBERGさんがオシャレじゃないという理由でルミネさんから立ち退きを迫られていると知りました。
     何とかいい方向へ進めばいいなぁ。あの場所にあり続けて欲しいです。 
 
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 新宿は朝も夜もずっと凄い人、人、人でした。
 歩くスピードが遅くなる。気のせいかもしれないのですが、渋谷や六本木や人の多いほかの町よりも歩くスピードが遅いような気がします。みんな周りを見回してはもたもたしている。どこかぎこちない。迷っている感じ。
 新宿は迷子の都会のようです。
 
 
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 夜は駅前のライトアップを見てきました。本当は西口から南口にかけての新宿テラスシティのライトアップを見たかったのですが、一日ここにいたら、クタクタになりました。通常以上のパワーを使ってしまった。
 人々のエネルギーを吸収して、今日も新宿の夜は、華やかに、更けていく―
 
 また遊びに来るね。
 おやすみなさい。
 
 
 

2007年12月23日

『X'masと鈍感力』

 
 
 最近『鈍感力』に長けてきたように思う。
 ネット社会でのコメントのやり取りでは少々意地悪をされても動じなくなった。簡単なことだ。結果を見ないようになっただけである。(意地悪をされていることに気がつかないのだ)
 が、現実の社会生活ではまだまだコタエる。
 やはり直接顔を見ている、声のイントネーションがわかる、相手の気持ちが直接伝わってくる、文字と言う言葉以外の表現すべてで。
 それはきつい。
 大好きな爆笑問題の太田さんが言うには、その方が悪意は伝わりにくいのだと言う。言葉以外の表現が直接わかれば緩和される。その場でコミュニケーションが取れれば誤解も解ける。文字だけの言葉で一方的に伝わる方がきついのだと。(だからネットの掲示板等はたちが悪いと)
 しかしそうだろうか。
 私も太田総理の意見には賛成だが、ふと疑問に思った。
 彼の持論は相手に言葉ほどの悪意がない場合に限るのではないか、と。
 もしも相手に言葉以上のが悪意や失望や嘲笑がある場合は、言葉以外の表現でモロに伝わってくるのだろう。つまり、言葉は優しいが、態度が示している、と言った具合に。だから根が敏感な私にはリアルの方がよほどたちが悪いような気がしてきたのである。
 
 先日女の友人から1年ぶりくらいにメールが来た。
 食事に誘われた。
 予定を聞かれたので、相手に合わせて調整すると答えた。すると、彼女は21日の金曜と25日のクリスマスの二者択一を提案したのだった。
 正直驚いた。クリスマス前の、連休が始まる直前の金曜の夜と、もろクリスマスの日などに、女友達から誘われたことはない。彼女には彼氏がいる。当然そこは外してくると思っていたのだった。
 どちらかと言えば25日の方がマシだったので、では25日にしよう、と返事したところ、彼女は笑うのだ。
 その日を選んだ私が彼氏のいない(または誘われない)ヒマな女だと、まぁ自分もだけど、でもねぇ、といった調子の高笑いするメールが戻って来たのだった。
 どうなんでしょうね?? こういう場合、クリスマスに女ふたり、と言うのはそんなにコタエるものなのでしょうか? 私より10歳以上も若い友人はたぶんコタエていて、それを気取られないように、素直に応じたヒマな私を笑うことで自分の傷を隠していたのかもしれないのですが。
 私は彼女の微妙な女心と傷ついている自尊心が何となくわかりながらも、こういう場合はお互い傷を舐め合って、何事もないかのように会って楽しく食事するのがルールじゃないの? と思ったりもしたのだった。
 自分の傷を隠すため(または癒すため)に、乗った相手を笑うのはどうなのか? と。
 
 で、話を元に戻すと、こういう友人のようなタイプの同僚(隣人)がけっこういるのだった。
 私の価値基準では信じられないようなタイプの人間がこの世にはうじゃうじゃいるのだ。
 自分のミスを隠すために相手のミスを指摘する。
 自分の傷を癒すためなら、誰かと一緒にこちらを笑う。
 自分の自尊心を守るためなら、こちらを非難し、悪口を言う。
 
 思うのだが、一番初めに私がはっきりと21日と25日は駄目、と言わなかったのが悪いのだ。
 こちらの都合で食事の約束を取り付ければ良かったのだろう。
 しかし、そうしないからと言って。
 
 あんたらいったい何なの??
 
 
 最近、言葉だけのやり取りでは結果を見ない私は、ばっくれた。
 1年ぶりの友人から落ち合う場所の希望を尋ねるメールが、来たが返事をしない。
 リアル社会ではそうも行かない。
 当たり前だが、本物の『鈍感力』を身につけるしか術がない。
 
 
 
                       R0012222 R0012347
            ミッドタウン2 東京ミッドタウン1
 
 

2007年12月18日

ありよしきなこさんのこと。

 
 
 可愛いです。
 絵本も楽しかったです。
 ぜひどうぞ。
 
                   ありよしさんありよしきなこ画集http://www2.odn.ne.jp/~caz25510/index.html

極上の記憶を持って墓場へ行こうと決めた私の下らぬ人生について

 
 
 恵まれた者や偉人ならともかく。
 私にとって人生は、選択の余地がなかった。
 我侭な女友達に似ている。
 望んだように受け入れて、楽しんでいなければ、蜜月は続かない。
 もしも望みを言おうものなら、意にそぐわぬ関係自体が消えうせて、明日はやって来なかった。
 
 だから私は過去を愛し始めたのだ。
 
 くだらぬ瞬間を笑顔で写真に刻み込み、後で愛しげにアルバムをめくる、そんな作業のようだった。
 「こんなに笑って、楽しかったのね」
 「こんなことがあって、楽しかったね」
 自分にも他人にも言い聞かせる。
 
 過去は従順な男友達だ。
 最悪の現在を。選ぶ余地のない未来を。
 過去となった瞬間、私は塗り替えていく。
 
 過去は決して裏切らない。私の意のままに姿を変える。
 そのとき初めて、私は私が生きた人生を、自ら望んで選んだものだと信じることが出来るのだった。
 
 未来は自分で決めるものだ。
 しかし、未来が来る前にそれを選べる者は一握りでしかない。
 凡人の私は、せめて、過去を創造し、選び取ろう。
 エントリーされなかったものはいらない。
 記憶を塗り替え、最高の人生を選択するのだ。
 
 
                                  

2007年12月16日

中目黒散策

 
 
 今日はオシャレな町、中目黒へお出かけして参りました。
 オシャレな町、と言いましたが、TVの受け売りです。実際の中目黒って、ちょっと、かなり、セレブではない。大昔、70年代フォーク全盛時代の(貧乏)学生街のようなところではないかしら。下町と言う感じかな。TVとの格差とに少々驚いたのですが、実際の町並みのほうが私の好みでした。
 
   
   おばあさんが手押し車(スーパーの買い物籠入れ風)を引いていました。左は目黒川。
 
 目黒川はしかしさすがに綺麗です。長いこと暗渠として放置されていたこの川は、2001年より「目黒川緑道」として整備されました。(駅から5分ほど歩いた正覚寺の前にある川の資料館でその歴史を見ることが出来ます)水は澄んでいて、鴨やゆりかもめなど、水鳥がたくさん泳いでいました。
 
正覚寺。黄葉の落ち葉を住職さん?が掃いていました。
 
 
 駅前は猥雑、と言った表現が良く似合うように思いました。「汚たねぇなぁ」とこちらのほうが汚い言葉で呟きながら、どこか懐かしい気持ちで歩きました。
 
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 正覚寺でお参りをし、夕陽を待たずに帰りました。
 今回もPASMOだけで過ごした撮影日でした。
 お腹空いた~ 笑
 
  

 

2007年12月14日

童話・『かえるの王さま』

 
 
 カエルになった王子様はゲームばかりしている。
 彼は希望を捨てたのだ。
 
 ゲームの中には可憐な姫君。
 彼女を成長させることが唯一の楽しみ。
 
 王女になって羽ばたけば、カエルは王子に戻るのだと教え込み、しかし姫は方法が見つけられない。
 右に進んでは壁に激突、左に進んでは敗れて寝込む。
 そのうち諦め剣を捨て、やはりゲームばかりを始めるのだ。
 
 ぴこぴこぴこぴこ。
 
 飼い主に似てきた彼女を見て、王子はがっかり。
 思わずゲームを放り出す。
 
 ディスプレイの中の姫はびっくり。
 カエルがいないとない知恵絞って考える。
 カエルがいないと消滅さえしてしまうと焦り始める。
 
 ぴこぴこぴこぴこぴこ。
 焦る。焦る。焦れ。
 カエルを王子に戻すのだ。
 
 『ねぇ、だから。あと何日ゲームしてくれる?』
 
 
 姫は馬鹿過ぎた。どうにかせねば。
 王子はゲームの開発に余念がない。
 
 
 

2007年12月11日

そろそろ年の瀬。と言えば・・・

 
 
 ちょっと古いのだが、年の瀬を真面目に考え始めた私にとっては旬なネタで、『紅白』。
 今年の司会は男ふたり、紅組・中居正広と白組・笑福亭鶴瓶で、紅白の司会が両方とも男と言うのは51年ぶりのめずらしいことなのだそう。
 で、この鶴瓶なんだけど、なんでまた鶴瓶? と思った人は結構多いはず。どう見ても旬なタレントではないし、紅白と言う柄でもない。
 しかし、思い出してみてほしい。去年のNHKの醜態を。
 まぁ醜態と言うとオーバーなのだが、結構な騒動になりましたよね、オズマのバックダンサーの乳出し(ボディスーツね)。やっぱりあれ以上の醜聞インパクトを求めれば、しょっちゅうパンツ脱いで股間晒して騒動起している鶴瓶しかいないでしょ。
 NHKは去年のことなんて屁とも思っていないってアピールですよ。
 んで、「あの鶴瓶」が今年の紅白司会で国民の認知を得れば、去年のオズマもおのずと「あら、大したことなかったわね・・」的なムードに流れていくこと間違いなしです。(別に鶴瓶がモロ出しするわけじゃないだろうけど、イメージ戦略として)
 目くらましみたいなものかな? 意外とセコくいろいろと考えているんだな、NHK・・・ やっぱり関係者は去年大変だったのかな、なとどよけいなお世話的な心配をしつつ。
 それにしても中居君痩せましたよね。
 あんたガンじゃないの?! と思ってしまったのは私だけでしょうか。
 日に日にみのもんたに似てくる中居君、あなたの名司会で是非年の瀬も国民を湧かせてやってくださいませ。
 
 
 
 
 
NHKは12日、大みそかに行われる紅白歌合戦の司会者発表を行い、紅組司会者にSMAP中居正広(35)白組司会者に笑福亭鶴瓶(55)を起用することを明らかにした。紅・白司会者をどちらも男性が務めるのは1956年にアナウンサー2人が担当して以来51数年ぶり。中居は昨年に続く登板で、通算4回目。鶴瓶は初めての紅白司会となる。総合司会は松本和也(40)住吉美紀(34)の両アナウンサーが務める。記者会見で、初司会となる鶴瓶は「そばで歌を聴けるのは本当に楽しみです」と語り、中居は「歌手の皆さんに楽しく、気持ち良く歌ってもらえるよう努めたい」と話した。2人を起用することについて、NHKは「歌の力を伝えるため、幅広い視聴者から親しまれ、話術にたけている人を選んだ」と説明した。
 

2007年12月10日

蜃気楼 ~あるいは待ちぼうけ~

 
 
 雨の中待ちくたびれて、一人傘をさして歩き始めた。
 ずいぶんしょぼくれた気分だったけど、オーライ、それでも足取りは力強く変わっていった。ゆっくりと、一歩ずつ。
 
 けれども、スカイブルーのタクシーを見かけたのだ。
 それは私のために創られた魔法の乗り物。彼に飛び乗ることが出来れば、目的地まで一飛びだ。
 
 知ってしまった私は足を止めてしまう。
 いつまでも道の途中で待ってしまう。
 通り過ぎるのは乗客を乗せたオレンジのタクシー。
 雨の中待ちくたびれて、もう歩くことも出来ず。
 私は切実にたどり着きたいのに。
 誰よりも。
 
 それでも路上に飛び出しタクシーを停めさせて、乗客を引き摺り下ろす勇気もなく。
 コロシやゴウカンのリスクを背負って、ヒッチハイクする度胸もないままに。
 
 いっそそれはなかったのだと。
 スカイブルーのタクシーは私の幻覚だったのだと。
 誰かが教えてくれればいいと願う。
 
 
 
 
 

2007年12月9日

冬本番

 
 
 今日は先週末に引き続き、公園にお散歩に出かけました。
  
                  
 
 自然が多くて、いい雰囲気です。週末休みに山を登るのはさすがに体力的にも自信がないので、こういう市井の公園はとてもありがたい存在です。
 枯葉がたくさん落ちていました。まだまだ紅葉も多いのですが、葉を落とした木々も目立つようになりました。
 冬なんですね。
 

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↑上 淋しい冬景色  ↓下 禿げた木の上に停まるたくさんの鳥、騒がしかったです。
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 まだクリスマスツリーさえ出してない私ですが、そろそろ年の瀬の準備をしなくては・・と感じました。あとは、真冬用のコートも調達しないとね☆
 
 
 
  

2007年12月7日

もしかしたらその方がよほど幸せなのかもしれないが、そうでない私の幸福なゴ ミ溜め的人生

 
 
 昔、吉本ばななの『哀しい予感』と言う小説があった。ああいうのに弱い。終焉を予感させる関係性と言うものに哀愁を覚え、感傷をかき立てられる。誰でもあるだろう、楽しい出来事を思い出に変えて、心の奥に大切に仕舞っておく。しかし、私の場合、この哀しい予感のない思い出にはそう執着しないようだった。
 私が大切に仕舞っておくのは、決して長くは続かないもの。偶然の縁や先に逝くであろう人々、願ってはいないのにいつか終わるとわかってしまうもの、それらの愛しい刹那を記憶に刻み込み、心に溜めていくのだった。
 
 それだけでは不安が癒えず、まだ満足できない私は、更に形あるものに変えていく。
 思い出を写真に、チケットに、切符に。レシートに、プレゼントの包装紙にリボン、短くなったキャンドルに。
 言葉を日記に、物語に。状況だけを変え繰り返し、書き綴り、連ねていく。
 いつか私が一人になった時、大切な思い出にまつわるそれら記念品を一人眺めて愛しむ、ただそれだけのために、多分他人(ヒト)から見たらゴミであろうものの数々を一人集めているのだった。
 哀しい予感の伴わない記念品はすぐに消えてしまえるのに。それだけが残り、未来の私を創造し、かたどっていく。
 
 もしかしたら、私にとって、人生におけるすべては、必要のないゴミのようなものかもしれない。
 でもそれを失ったら私はどこへもたどり着けない。動物やロボットにでもなってしまうだろう。
 かけがえのないそのものだけが、いつも。
 私を導くのだった。  

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2007年12月3日

『14歳』 ~千原ジュニアの小説を読んで~

 
 
『目の前にたくさんの穴があいている。
みんなその穴に指をつっこむ。
そのたくさんの穴の中にたった一つだけ向こうに貫通している穴がある。
みんなその穴を探して指をつっこむ。
僕はたまたまそれが一つ目だったんだ』
 
 
 千原ジュニアの『14歳』を読んだ。ブックオフで100円だった。安すぎる。これが私の評価だった。
 
 主人公は明日のジョーが大好きな14歳、その漫画を何度も繰り返し読んでいる。彼は矢吹ジョーのように真っ白に燃え尽きるまで戦うことの出来る自分だけのリング(すべてを賭けて勝負できる場所)を求めている。しかし、実際の彼はジョーにおける「ボクシング」に当たるものを見つけることすら出来ない。ドヤ街どころか、孤児院さえ抜け出せず、毎日部屋にこもってはTVのスナアラシと向き合う日々―
 両親や周りから見たらおそらく悲劇的な、現在進行形の日常が淡々と綴られ、そして過去のエピソードが小刻みに挿入される。彼の傷のフラッシュバックのような一場面、その光景が形を変えて繰り返される。小さな少年の痛みの深さが伝わって来るようだった。
 傷と、焦燥感。
 過去の痛みと未来への不安で、狂いそうな少年は、しかし決して難しくない言葉で私に訴えかける。
「あのおばさんは僕と喋りたかったんじゃない。青い服と喋りたかったんだ」
 彼は青い服という表現を使う。青い服とは彼の入学した偏差値の高い進学校の制服のことで、学歴社会における優越性や小さな共同体の中での体裁、ある種の権威を象徴している。それらをジョーにおけるボクシングのように、少年が選んだ価値観(戦いの場所)だと誤解された隣人に彼は苛立ちを覚える。彼が「黒い服」(地元中学の制服の色)ではなく「青い服」を選んだのは象徴から自分を守るためだけで、そこでの戦いに参加するためではなかったのだ。
 少年には青い服のルールなどどうでもいい。
 彼が戦う場所はそこではない。
 そうわかっているのに、彼は青い服から与えられる「ルール」に従わなければならず、それを拒んで教師からボールペンで頭を刺される。彼はこのときのことを後で勝負の武器とした。「鉛筆を削るためのナイフを取り上げ、文章を書くためのボールペンで僕の頭から血を流したあの先生の」こと、そのときの思いと痛みを彼は漫才のネタとして昇華させた。しかし、その痛みさえも、正論は関係ない「ただのその場所のルール」に従えない彼自身が生み出した痛みだった。もしこれが彼自身のリングで、彼のボクシングであるならば、ルールとしての教師の言葉に従っただろうし、教師も自分の言葉を正論でやり込める「僕」を傷つけることもなかっただろう。だからこそ少年は、一刻も早くと焦りながら、自分の場所を探し続けるのだった。
 
 個人的に不思議だったのは、主人公の少年が目標のすべてを「レース」と言う言葉で表現していることだ。
 レースと言うからには競争だろう。もちろん人生はレースなんだろう。しかし、どこか徹底した焦燥感に違和感を覚えた。少年にとって自己実現すると言うことは、社会や他者との戦いであり、そしてすべての目的が優劣の比較対象となっている。自分だけの、他(者)との勝敗のないレースは存在し得ないようだった。私自身が若いときはどうだっただろう? と考えてみたが、社会や他者を絡ませた目標は抱いていなかったように思う。(目標自体も抱かずただ生きていただけなんだろうが・・)その辺りが共感を覚えることが出来なかった要因のようだった。
 それでも、少年の痛みは伝わってきたし、葛藤も理解できた。感動したのはラストだ。
 千原少年の兄の存在であった。
 
 兄は周りから弟の事を聞いていたのだろう、それでも何も語らず、ただ弟にリングとグローブを提供した。そして「少年のボクシング」に当たるものを実際に示して見せた。
 兄は言う。「明後日までにネタを書いて来い」
 驚いた。笑いと言う舞台は兄の戦場のはずだ。そこに弟を招き入れるならばまずは様子を見て手伝わせるだろう。だが兄は違った。弟に無償で場所を与え、二人の世界を一から創造させようとしたのだった。
 少年、千原ジュニアはパンパンに溜めていたものを噴出させる。兄弟「ふたりの戦場」における武器作りと勝いですべて。
 兄がいなかったら、彼は僅か14歳でたくさんの穴から貫通する一つを見つけられなかったかもしれない。私や誰かと同じように、たくさんの穴に指を突っこんでいたかもしれない。
 私はこの兄を持った彼のことを、幸運を身に纏った本物の天才だと信じたのだった。 
 

ジュニア

  
 余談だが、これは自伝に近い私小説だ。決して物語ではない。
 この先彼が作家としても開花することが出来るのか、是非長い目で見守っていきたいと思う。
 

2007年12月2日

師走の紅葉

 
 
 紅葉を見にお出かけしてきました。
 
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 秋らしからぬ暖かい日が続いたせいか、やっと染まったと思ったらもう枯葉、そして冬の落ち葉。
 期待せずに撮りに行きましたが、それでも緑や黄色の樹の中にぽつんと佇む紅葉した樹木を見つけると胸が高鳴りました。
 デジカメや携帯カメラでみんなパシャパシャ。
 私も愛機を取り出して参戦です。
 どうやったら綺麗に撮れるか悩みながら、太陽を背にしたり、向き合ったり、いろいろな角度から撮ってみました。
 撮っていて気がついたのですが、(いささか遅すぎるかもしれませんが・・)楓と言うのは桜の木に良く似ていますね。幹や枝の姿がどことなく・・ なので、美しい春桜を撮っているような気分になってしまいました。ますます季節感がありません。笑
 
 
 
 ところで、なんと私、財布を持っていませんでした。目的地についてから気がついたんです。
 (こっちもいささか遅すぎますね)
 幸いPASMOと飲み物は持参していましたが、おなかをグーグー鳴らしてしまいました。
 もちろん撮り終わってからですけど。(写真を撮ってる時は夢中で、こちらも気付きませんでした・・)
 
 僅か4時間半の小旅行でしたが、楽しかったです。
 満足できた一日でした。