2008年4月27日

白い軍団大活躍か? ~聖火リレー、負けず嫌い大国日本を走るの巻~

 
 
 
 聖火リレー見ましたか?
 私は今日こそ日本人であることを誇りに感じた日はありません。
 それは大げさですが、あれですね。日本人というのは極度の負けず嫌いですね。
 相手がバカなら、度を越えたバカになってでも張り合って、決して相手に譲りません。
 以下、聖火防衛隊「青い軍団」、海外での様子。
 
ロンドン聖火リレー聖火リレーサンフランシスコ
 
 以下、日本。
 
毎日新聞聖火リレー日本聖火リレー
 
 
 先日、24日に行われたオーストラリアの聖火リレーでも豪州側が「中国が派遣した聖火防衛隊に聖火を守る権利はない」と主張し、防衛隊を蚊帳の外にしていましたが、そのときでさえ伴走を許された青い軍団2名に対して豪州側警察官は10名に留まっています。
 で、日本はと言うと。「機動隊員5人と北京五輪組織委員会が派遣する聖火警備隊から選ばれた2人に囲まれ、さらにその両脇を警察官90人が伴走する」(毎日新聞)。
 伴走の人数めちゃくちゃ多いですよね。
 青い軍団の2名がまったく影薄くて笑えました。
 大体、中国のチベット問題によってこれだけの暴動が起こっているのに、なぜ彼らが勇敢に聖火を守る権利を守り、勇敢に阻止する姿をTVで全国に流す必要があるのでしょうか。
 おいしすぎますよね。そんなPR活動をさせてあげるのも広告(放送)してあげるのももったいないです。
 そう思っていた矢先の日本人特有のおいしいとこ(横)取りに、日頃おいしいところを持っていかれてばかりで怒っている私も思わずガッツポーズをしてしまいました。
 やるな、日本。
 そんな感想です。おまけに青い軍団のフォーメーションにも完璧に勝ってます。(上の写真見てくださいよ)
 日本の白い軍団の美しいフォーメーションに、思わずうっとししてしまった今日でした。 
 
 
 以下の写真もお勧めです。是非ご覧になって、一緒にうっとりしてくださいませ。
 
 
 

2008年4月26日

「無理な恋愛」 ~鳥としての自覚を持って鳥を愛すると言うこと~

 
 
 
 鳥が好きだ。
 長いこと、これはとても言い難いことだった。
 なぜなら、その頃ちまたではペットブームが始まった矢先で、どんな種類の犬や猫(等小動物)を飼っているかがその人のステイタスのバロメーターとなっていた。また、犬や猫と一緒に生きていく彼らは、その対象をとても深く愛しているようで、まさに家族の一員のようだった。
 地位は高いし、家族は多い。
 その時点で、私は圧倒され、気劣っていた。
 飼っていた鳥は十姉妹に文鳥に、インコ。しかもかごの鳥である。どう考えても、彼らの華やかさと愛情の豊かさによる正当な主張には対抗できそうもない。小さくなる。しっぽを巻いて退散してしまう。鳥を愛しているなどと公言したら、笑われるとでも思っていたようだ。
 私は忘れていたのだ。
 この世には、犬や猫にも劣らぬ程の、狂信的な鳥派の仲間達がいたと言うことを。
 そう、バードウォッチャーだ。野鳥を愛する人々である。
 
 なぜ、野鳥の存在を忘れていたのか。私の中では、「野鳥趣味=紅白歌合戦の野鳥の会の人々」といった単純な図式が出来上がっており、何となく野暮で時代錯誤の印象しかなかったのかもしれない。そもそも一緒に生活できる対象ではなく、野鳥としての鳥こそ本来の姿であるのに、ペットブームに踊らされて、ペットと言う狭い観点でのみ愛する対象を量っていた。自ら勝手にそもそも比較対象にはならない犬や猫と比べて、恐れ入っていたわけなのだった。
 
 写真を撮るようになってから、私は数々の鳥の写真を、何度も、何度も、目にするようになる。
 犬や猫よりも多くだ!
 私の最愛の対象が、小枝の上で可愛らしく小首をかしげ、堂々と空を羽ばたき、その姿を惜しげもなく私にさらしてくれるのだ。
 この感動をなんと言ったらいいのだろう。
 まるで恥ずかしくて、決して人には言えなかったオタク漫画が映画化されて全国区になったような感じか。コアな趣味だけではなかった。オタク漫画は世界に通用する文化だったのだ!
 そうだ。野鳥はオタクに似ている。そうして、対象の愛し方が野鳥の愛し方と似ている。
 今日ふとこの事実に気付いていて私は、少なからず驚いたのだった。
 と言うのも、私は鳥の写真を撮りたくて、(ある野鳥がいると評判の)公園へ出かけたのだった。
 
 
 
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 電車で二十分、徒歩で二十分のその場所にはたくさんの鳥たちが存在した。ウグイス、オオヨシキリ、ガビチョウ、ヒバリ、セッカ。しかし、250ミリ望遠レンズのみ、デジスコさえも持っていない私になど、その美しい姿をお目見えさせてくれることはなく、鳴き声だけが響き渡っているのだった。不思議なもので、見事な音色の鳴き声を聞いてしまうと、なおさら姿が見たくなる。私は声のするほうへ足を進めて、もちろん足音を殺してそっとそっと近づいていくのだが、たどり着いたときにはすでに消えている。姿どころか鳴き声さえもきれいさっぱり。静寂。
 野鳥写真愛好家たちは、最も初期の段階はやはりこんな思いをしただろうか。何度も逃げられただろうか。その静寂に襲われた空しさを知り、そして、諦めなかった。朝早くから山に森に入り、完全な準備をして、ただ愛する対象が現れるのを待った。時には足を使い、仲間同士で情報を共有し、愛する対象を追ったのだ。ひと目その姿を見ることが出来たなら心は躍り、尊い姿を記録する。何度も何度もまた山へ森へ向っていく。恋するもののように。
 そう、初恋をした少年か、オタクの恋愛に、とても良く似ているのだった。
 その純粋さ。手を繋ぐことも叶わぬ恋。一緒に生活(結婚)するどころか、自由に生きるその姿だけを追い求め、ただひたすら許容する愛。
 鳥を愛する者たちは、代償を求めないのだ。
 何と純粋な、自己完結的な、愛の姿だろうか。
 
 
 
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唯一撮れた写真、小さいです。これだけ近づくのがやっとでした。もう一歩寄ると物凄いスピードで逃げていきます。人馴れしてません。

 

 私はこの愛の姿を、長いあいだ恥じていたのだった。
 天女を想うさえない男のように。愛を恥じ、自分を恥じ、世間に顔が立たず、世俗の女性を愛するふりさえしていたのだった。
 俄然、鳥の写真に興味が湧いてくる。
 無理な恋愛をするバカなやろうと笑われてもいいかもしれない。私こそが無理な存在だったのだ。
 天の鳥を愛し、美しい姿を追う姿こそが、元来鳥としての私の自然な生き方なのであった。
 
 
 
 
 

2008年4月24日

死ね!と掲示板に書き込んだことがありますか? ~死刑制度の線引きについて ~

 
 
 
 法関係の書物でこんな文面があった。
「憲法の文言には格別の根拠がないとしても、なおそれを守るべき理由がある。いったん譲歩を始めると、そもそも(略)根拠がない以上、踏みとどまるべき適切な地点はどこにもない」
 つまり、ある問題を考える時、その問いの答を量るよりも、問いに対して交わされた数々の議論の、その伝統を認知することが大切であり、たとえ私達が伝統の意味をわかろうがわかるまいがたいした意味はなく、伝統が作り出した問題の線引きこそが大きな意味を持つと言うのだ。
 映画デスノートで六法全書のことをこう表現していたと思う。「正しくあろうと努めた人類の積み重ねによって生まれた書」
 そのような積み重ねを伝統と呼んでいるのかと思う。
 文面はこう続く。「この問題は国境の線引きと良く似ている。なぜそこに線が引かれているかにはさしたる合理的理由がないとしても、いったん引かれた線を守ることには、合理的理由がある」と。
 
 プロフと呼ばれるサイトで口論となった17歳の少年が、14歳の相手の少年を金属バットで殴ったそうだ。
 たまたま同じ知り合いがいて、現実世界で初めて対面した際に起こった事件らしい。
 たかが携帯サイトの喧嘩くらいでと思うかもしれないが、そうは行かず、このようなウェブのサイトをバーチャルな世界と言うと機嫌を損ねる人々もいる。いまや人々にとって、携帯やパソコンのサイトは仮想世界ではなく、彼らの生活に一番密接した世界でもあるのだ。
 言葉の上の過激さは、現実世界にも深く影響を及ぼす。掲示板では悪質な中傷や非難の言葉がいとも簡単に生み出され、「死ね!」と言う言葉さえもごく普通に書き込まれるのだった。
 私は飛躍しすぎていると思うが、もしそれらの世界が仮想ではなく一番近しいものと感じるのことが現代ならば、過激な言葉の意味さえも曖昧になって来はしないだろうか。
 
 くしくも来年から日本では裁判員制度が始まる。
 死刑、無期懲役等、刑の重さも一般市民が決めることになるのだ。
 そうして、昨日の山口県母子殺害事件の判決で、伝統による線引きは決壊された。
 (私はそう考えている)
 たとえこの先、死刑判決が増えようとも、伝統ではすでに現代の悪質で残虐な犯罪に対する抑止力はなく、時代が欲しているのかもしれないとしても。
 しかし、もう一度考えて欲しい。それは先人達、人々が死刑制度について考え、議論を交わし、正しくあろと努めたその歴史の積み重ねから生まれたものであり、それが決壊した今、いったん譲歩を始めると、そもそも正義と言う問題に答えがなく、線引きの根拠自体に意味なかった以上、すでに踏みとどまるべき理由はどこにもない。
 どうか良識ある人々が、人道主義的な観点のみに則って、感情的な判決を下すことがないよう願ってやまない。
 
 山口母子殺害事件の判決は、本村さんとあの被告とのあいだで、今生まれた必然だったからこそ感動的な死の意味があった。
 すべてにその必然が当てはまるとは言い難く、安易に死刑制度を容認するものでもない。
 本村さんの言葉をここでもう一度記したい。 
「どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています」
 どうか悪戯に死刑判決を喚起するような発言を、良識ある人々が控えてくれることを。
 そうして、死刑と言う判決を下さない社会について考えることこそを、大切にしていきたいと、深く、深く、願うのだった。
 
 
 
 

2008年4月23日

胸を張って死んでください! ~山口県光市母子殺害事件に想う~

 
 
 
 2008年4月22日、山口県光市母子殺害事件の判決が下った。
 この日を待っていた。私は帰宅してすぐウェブのニュースを探す。すべてを隈なく読みたかった。テレビをつける。
 
 広島高等裁判所は差し戻し控訴判決公判で、一審山口地裁判決を破棄し、被告に死刑を言い渡した。
 
 私は死刑制度廃止論者ではないが、正直驚きを隠せなかった。差し戻し控訴審だからあり得ない判決ではないが、本来無期懲役が妥当だと思う。年齢を考慮し、永山判決からの流れを汲めば、明らかに一線を越えていて、厳しいとさえ思うのだった。
 もしかして、見せしめになったのではないか? 増加する青少年犯罪によって、世間の批判的な風潮が高まっている現在、死刑を誘うような何かしらの社会的圧力があったのではないだろうか。どうだろうか。
 そんな疑問を投げかけながら、先を急ぐ。
 
 本村さんの目を閉じた写真を見たとき、私は不意に胸に熱いものが込み上げて、涙が出た。
 なんと穏やかな顔をしていることだろう。
 このような善い顔をするようになるまで、本村さんはいったい何を犠牲にされたのだろうか。いったい何を失い、どれだけのことを堪え忍んだのだろうか。
 本村さんの話す言葉のひとつひとつは、いつも私の胸に刺さり、そう、響くではなく突き刺さり、私は胸を痛めたり、その理性と高潔な見解に驚愕させられたりしたものだが、今日ばかりは違った。その顔を見ただけで、まるで心を揺さぶられるように、熱いものがただ込み上げるのだった。
 
 思えば、本村さんはあの事件にさえ出会わなければ、もっともっと、普通の、幸せな人生を歩まれていたことだろう。この9年間、何度もTVに映し出され、被害者遺族の立場を確立させるようなこともなかっただろう。
 人生というものは妙だ。
 明らかに幸福だと思われる道から外れてしまっても、嘆くことなく、その道と向き合って進んでいれば、その外れた事実にとことんこだわって生きていれば、必ず新しい道は開け、もしかしたら元の道にいたときよりももっともっと、人として成長していくことが出来るのだ。
 妻子を奪われ、その境遇に身を置いたからこそ、今の彼の姿があるのだった。
 もしも彼の妻子を殺害したのが、あの被告ではなく、もっと善人で、偶然の犯罪であったならば、本村さんはあんなに執拗に被告を追っただろうか。罪の償いを求めただろうか。
 そして、加害者の青年もまた、死刑の判決を受けて、穏やかな顔をしていたと言う。弁護団に、「裁判所はどう認めようと私の贖罪だ」と語ったと言うのだ。
 もしも彼が殺した母子の遺族が本村さんでなかったならば、彼は死刑を言い渡されていなかったかもしれない。泣き寝入りをする遺族だったら、追い詰められることも、あの弁護団に出会うこともなく、悪くて無期懲役、10年経って仮釈放され、決して「私の贖罪だ」と呟くことも、穏やかな顔をすることもなかったかもしれないのだった。
 
 もしも、私が疑問に感じたように、彼が見せしめであるならば―
 もちろんそんな風潮の生贄になることもなく、多くの残虐な事件を起こす青少年達と同じように、また罪を犯していたかもしれない。
 深くを想わず。贖罪と言う言葉も知らず。
 
 私は確信してこんなふうに思うのだ。
 彼の魂は、本村さんによって、救済された。
 人生も、人と人の縁も、妙だ。すべての出会いは必然であるのだと。
 本村さんは言う。
「どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています」
 
 残虐な犯罪が多発する今、被告の青年の肉体は、彼自身と、この狂った世の中のために贖われた。
 そして魂は、高く、高く、昇華されることだろう。
 本村さんと同じように。
 たとえ肉体が滅びても、魂は永遠と続いていくのだから。
 
 
 
 
 本村
 
 

2008年4月20日

ユニクロのアウターは自己の成長を促すのか否か。

 
 
 
 撮った写真を他者に見せたり、他者の写真を見ることは良くある。私の作品はその過程で相対化され、自分の中で絶対的な価値を持つことはまずなくなる。ましてや自惚れやどこかへ発表しようなどと言う夢想は、一瞬のうちに消え果るのだった。
 しかし、写真を撮りに行くと言う「行為」についてはこの限りではない。写真と言う趣味全体の、この過程の一部について、私は絶対的な存在なのだ。
 私が目であり、存在のフィルターであり、景色も、人々も、目に映るものはすべて存在としての被写体である。 
 私は写真を撮るという行為を他者とともに体験したことがなく、たぶんそのせいだろうと思われる。もし私以外の誰かが介入していれば、私の行為は相手の存在によって相対化されるはずだ。
 
 ところが、今日の話だ。
 麻生十番界隈の寺を撮りに行こうと家を出て、私はこの撮ると言う絶対的な行為の中で始めて相対的な感覚を味わったのだった。
 比較対象となり、私の価値を無に引き下げたのは他者ではなく、私だった。
 私は私の毎週末写真を撮りに行く行為自体を自己のアイディンティティーの一部にしつつあり、その姿をイメージ化していたのだが、まさにその心象の姿に今日打ち負かされ、行為自体の意味を見失いそうになったのだった。
 陽気のせいだった。
 
  
 
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 暖かい陽射を感じた私は、お気に入りのアウターを脱いで出かけたのだ。
 すると、戦闘服としてのコートやジャケットを脱いだ会社員のように、まさに制服を剥ぎ取られた軍人のごとく、ふと失ったのだ。行為よりも大きなアイディンティティーの一部をだ。
 知らぬうちに、私は私の写真を撮る姿を愛していて、そして今、醜いと感じていた。
 この事実の発覚が私を動揺させた。驚きを隠せなかったのだった。
 大好きな趣味を、それをする価値がない者と思わせられる、思わざるを得ない原因が、なんと冬物のアウターだったとは。
 毎週末心弾ませて写真を撮りに出かけていたのは、行為を愛していたのは、なんと安物の洋服に由来していたとは。
 愕然とする。私はこともあろうか、カメラを持つようになってから変わったと感じていた。自我から無駄なものが削げ落ちてきて、感性が以前にまして鋭くなったと。人間として成長した。すべて写真のお陰だ。見られるものとしての自己を滅し、対象(事実)をただ見る力を鍛えられたと。
 
 しかし、それは私の見た目のイメージによって裏打ちされた成長であり、私の虚像だった。
 
 そんなことに気付いてしまったら麻布十番と言う今日の舞台はまさにふさわしく思われて、もう美しく街並みを撮ることなどできないのだった。惨めな配役を経験する。そこにいるのが恥ずかしいのは、気付かされた外見が醜い私だからではなく、今まさに相対化されて意気消沈している本来の醜い私なのだった。
 私は逃げるように帰途に着き、別の町で春物のアウターを買う。
 傷をなめるように。その新たな戦闘服が気に入るようになるまで、時を待つのだ。
 自己の価値観を否定し、相対的に捉えることこそ醜いからこそ。
 
 
 
 
 
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2008年4月19日

ガソリン安くしてそれで日本を潰す気か。 ~ねじれ国会に思う~

 
 
 先日、4月9日の党首討論は面白かった。
 くしくも私の誕生日だったが、福田総理VS小沢(民主党)代表の議論を見させていただいたのは翌日の朝のことだ。残念だった。当日ならば、私は小躍りして喜んだことだろう。最高の余興だと。
 
 長い間生きてきて、仮にも一国の首相が野党の党首に泣き言を並べる姿と言うものを初めて見た。逆ではないのか?
「苦労しているんです。可哀想なくらい苦労しているんです」
 一瞬開いた口が塞がらず、そのあと、ガッツポーズに転じる。
 福ちゃん、よく言った。
「そういうのは権力、人事権の乱用と言うんです」
 福田総理からの「苦情」は政治家として切実な心情の吐露であり、また、私の言いたかったことの代弁でもあり、まるで国民レベルの幼稚な訴えのようにも思えて来るのだった。一気に福田首相に好意と親近感を覚える。政治家らしさと人間らしさ、相反するものを同時に感じてしまったのだった。
 
 大体、私は何か思い違いをしているだろうか?
 私なりの大前提を言わせてもらえば、日本は憲法に基づく立憲主義国家であり、日本国憲法で国会は、国権の最高機関、かつ、国の唯一の立法機関、と謳われている筈だ。
 ならば国民に選ばれた国会議員は、その国会で、権力と法と民意を、「調整」してこそ何ぼのものではないのか。国会と言うそのステージで。
 立法主義としての国家を守り、民主主義の代表として民意を反映させる。
 それが政治家の仕事ではないのか?
 誰が「国民のために」と言うほぼ綺麗ごとに近い人権主義だけをお題目のように唱えろと言ったのか。
 目先の利益に惑わされて、この国の運営は二の次か。
 またすべてのツケを国民に回して、「国民のため」と言うのはどういうわけか。(綺麗ごととしても成立していないではないか?)
 なぜ民意を反映させる代表が、民意を伝えるための話し合いを拒否するのか。
 話し合いなど意味がないから、従うだけになるからだと言うだろうか。だけどストライキと言うものは、そもそも民間の組織に対して国民が成すものであり、それは弱者の手段でしかない。
 なぜ民と官と法の調整役たる、国会の構成員たる政治家が、退席や欠席を繰り返すのか、意味がわからないのだった。
 ねじれ国会となった今こそ話し合えるときではないのか。
 国民に取り入って、政権をとることしか眼中にないのだろうか。
 そういうやからが政権を取った暁のこの国の姿は想像しただけで恐ろしい。
 
 政治家はありとあらゆる関係性の中で一番困難な調整役を務めるのが国民のための仕事だと常々思う。綺麗ごとの使命など要らない。
 もっと泥臭くてもいいとさえ思う。
 誤解を恐れず言うなら、汚職だってしていいと思う。そんなクリーンな人材が、利権争い渦巻く永田町で民意を反映できるわけなどないのだ、それだって「アリ」であって、非難すべきことではないとさえ思えてしまう。
 話が飛躍しすぎたが、とにかく遅すぎる。
 なぜこんなに市場が混乱する前に手を打てなかったか。国民にツケが回る前に協議できなかったか。道路特定財源、一般財源化協が国会内で初会合だって? 今日の話だが、遅すぎる。
 職務怠慢だ。税金を返せと今こそ言いたい。
 
 しかし、ところで、今度のことで一番驚いたのは、冒頭の福田総理の強かさだった。
 福田さんはこの混乱のどさくさにまぎれて、2009年より道路特定財源を一般財源化すると公言した。
 これはあの小泉首相をもってでも成し遂げられなかった聖域なき構造改革ではないだろうか。
 ねじれ国会による野党への歩み寄りだとはどうも思えないのだった。
 あんな泣き言を言いながらやるもんだ。
 余興にしては背筋が寒くなる想いだった。
 
 
 
   

2008年4月18日

斧やナタで家畜のように殺される人々の死の尊厳を想う

 
 
 
 死の尊厳など言うものを考えたこともなく、毎日ただ死にたいと願っていた時期がある。
 野たれ死にでも、殺されてでも良かった。出来れば痛くないほうがいいが、不意の一撃ならば一瞬で済む筈だ。我慢もしよう。
 そんなふうに思っていたのは青春の証なのか。若い頃、ビートたけしは家を一歩でも出て殺されてしまうのが怖くて、引きこもっていた時期があると聞いた。友人はかつて夜道を歩いていて後ろから足音が聞こえてくると、怯えて走り出したと言う。刺されるのではないかと思ったそうだ。
 青春とは人によっては最も異常に死を恐れる時期でもあるようなのだが、私の場合はまったく逆だったと言うわけだ。
 
 最近はどうかと言うと、思い出すのは電車のホームだ。
 私は都営地下鉄の狭いホームを歩くたびに、落ちるのではないか、と意味なく考える。実際、階段脇などは人と人がすれ違うだけでも決して余裕のある幅ではない、しかし即すれ違いざまにぶつかりでもして落ちる幅でもないのだが、毎回まるで落ちるところを落ちたように想像する。
 またはホームで電車を待って並んでいて、ふと、後ろの人に突き落とされるのではないか、と意味なく考える。そうすると、滑り込んできた電車の前に放り出された自分を想像しては、もう最前列にはいられない。後退したり、足を踏ん張ったり、とっさに掴まるものを探してはきょろきょろしたりする。
 万が一落ちたら、どこへ身をかわそうかと本気で考えている。電車が迫ってくるからほんの一瞬の判断が命取りだ。反射神経で動けるように今から想定しておこう。あの線路下の隙間なら私の体なら隠せるか、とか、曲線を描いた地下鉄の壁伝いに、まるで忍者のようにへばりつけるか、とか、そのためにあの縁なら掴まれるか、などと本気で考えてはあれこれと検討しているのだ。
 またはホームを急行電車が通過する際に、ふと、今腕を伸ばしたらどうなるだろうか、と考える。
 水平に伸びた私の左手はすり抜ける車体にぶつかり、一瞬のうちにもぎ取られる。体は線路の果てを見たそのままに、左手だけが一瞬で消えるだろう。痛いだろうか。ただ衝撃を覚えるだけかもしれない。腕を一本失った私は、しばらくは動きをとめて、静かになったあと崩れ落ちるだろう。血が噴き出た肩を見つけて、唖然として、何が起こったのかと目玉をひん剥くのだ。静止、そして悲鳴。
 落ちる。突き落とされる。身をかわす。一瞬で体の一部を失くす。
 こんなことばかりを考えている。電車が横を通るたびに。ホームに存在するたびに。
 あまりにもしつこく考えているので、もしかして自分はそれをむしろ望んでいるのではないか、とさえ思えてくるのだった。
 
 私は人生の中で、今一番、死を恐れている。
 しかも、ただの死ではなく。人間らしい死に方、死の尊厳について、考え、恐れている。
 
 痛みよりも、斧やナタでまるで家畜のように処刑されるのはイヤだ。
 拷問を浴びて、またはただ残虐に、まるでモノのように始末されるのもイヤだ。
 
 TVのニュースを見るたびに眉をひそめて、人間らしい最後を遂げたい、と、せめて最期くらいは、と願うのだった。
 そんな私だが、最近電車に乗っているとぐっすりと寝てしまう。車内に乗り込んだとたん、一気に気が緩み、人目も憚らず、死んだように寝てしまうのだった。恐れもせず。まるで無防備なその姿は、すでに殺されているかのごとく。
 しかし人々は決してこういうときの私を殺すことは、ない。
 夫や母親の寝込みを襲って殺しはしても、大勢の目の前で死んだように眠る私を殺すことはないのだった。
 夢を見て。このまま天へいけるなら。今殺されるのならありがたいとさえ思うのだが。
 人間の尊厳を守り最期を迎えるのはそう甘くない。
 
 
 
 
 
 

2008年4月13日

姥桜、散りゆく頃。

 
 
 
 住んでる町も、働く町も、桜はあらかた散りました。公園に咲く桜木の天辺にほんの少し、僅かな花びらを残してるだけです。葉桜の、まるで蛍光のごとく鮮やかな緑が、初夏の訪れを物語ってくれています。
 ふと、そんな新緑の美しさに心を奪われて、通勤途中の道で立ち止まりました。この時季の緑は本当に美しい。
 今週末は緑を撮りに行こうとぼんやりと考えていました。
 
 寝坊しないように時計のタイマーをかけて、明日に備えます。
 恒例のプチ撮影旅行が始まるのです。
 私はこともあろうか、桜の開花情報を調べていました。
 次の季節へ進まなければいけないことはじゅうぶん承知していたのですが、咲いているうちは撮りたい、と思う自分がいました。これは欲です。
 いいんだ、美しい新緑を撮って、そのついでに来年に備えた練習として桜をも撮ろう。
 そんな言い訳をして、眠りにつきました。
 しかし翌朝は案の定寝坊。出発が遅くなると、昨夜調べた未だ桜が咲いている山方面に行くのは厳しくなります。これは欲を捨てろと神々がおっしゃっているんだ。何でも偶然を必然に捉える私は、何度も桜を追うのをやめようと自ら警告するのですが、やはり呼ばれてしまうのでしょう。お昼近くにもなってからふらふらと自生の桜を撮りに丹沢方面に出かけていくのでした。
 
 その樹齢四百年の桜は、ちょっとしたハイキングコースを登った先の、小高い山の上に生えているのです。
 バス停を降りたのは満員の乗客の中で私きりでした。皆終点の観光地となっている山へ行くのです。私はてっきり観光地の山の別のハイキングコース沿いにあるのだと思い込んでいたので、まったく別の出発点だとこのとき初めて気がついて愕然としました。野鳥から森を守るために設けられた鉄柵にも驚きました。(通る人々が通る時だけ結ばれた縄を解いて鉄柵を開けるのです)たぶん烏とか有害な動物からの保護なんでしょうが、観光地ではなく、淋しい上に、ずいぶんと本格的な山モード全開ではないか。私はジーパンにブーツ姿で、装備も乏しく、非常食も持ってきていません。桜に呼ばれたとはいえ、軽率でした。しかも時刻は昼下がりをとうに過ぎています。
 不安を打ち消したのは、桜へと誘う標しです。看板や標識がハイキングコースのいたるところに立っていて、入口付近は派手な看板、山に入ると木の矢印型の標識と、様々な形で道しるべをしてくれるのでした。
 そのお陰か、昨日ウェブで調べた体験者の話によると四十分は歩くとのことだった桜の木、全部で四本あるうちの一本目にはすぐに出会えました。
 
 
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   山道です。          ありました!フェンスで近寄ることは出来ません。    意外と桜を見に(撮りに)来ている人と出会いました。
         
 
 
 未だ咲く野生の桜を見て思ったのですが、これはどう見ても姥桜です。姥桜と呼ばれる桜の木には当てはまりませんし、樹齢四百年だから、と言うだけからでもなく、ふと思ったのです。
 まるでたとえ近所の桜が散っても前日の雨でぬかるんだ山道を滑りながら桜を撮るため出かけていく、桜を堪能したいと言う欲を捨てられずに桜を追っていく、そんな私とふとシンクロしたかのように、何百年経ってもこんなに地味な、観光地にもならない山の斜面に咲き続ける、人々に保護され、金網やフェンスで守られて美しく咲き続けるこの大樹の桜が、「姥桜」と言う哀れな表現にぴったりと当てはまると思われたのでした。実際、姥桜というのは自嘲的な意味はなく、歳をとっても美しく咲き続けることを言うらしいのですが、しかし、本来の意味は用をなさない気がします。
 「姥桜」と言うのは哀れな女の俗称であり、また捨てきれぬ欲望=煩悩や執着ともよく似合う言葉です。
 私は立派に咲き誇る姥桜を眺めながら、とうに諦めかけていた「季節感溢れる新緑」のことをバッサリ忘れてしまいました。まぁ、どうせこの山には新緑らしき新緑などないのですが。
 
 この山にあるあと三本の桜を見ようと、足を進めます。ジーパンは転んだせいで泥まみれ、気がついたように時々はたいて落とします。
 汗が吹き出て、上着を一枚脱ぎました。腰に引っ掛けます。持参のお茶を飲む余裕もありません。
 二本目の姥桜が現われました。
 
 
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 二本目の桜の木は、やはり山の斜面に咲いてはいるのですが、後ろや横も人が通れる山道になっていたので、いろいろな角度から映すことができました。そのせいか、最初の桜の木よりは野性味を感じません。やはり人の目に多く触れれば触れるほど、自然も人も動物もすべて柔らかくなります。動物園のライオンだって同じことですし、人気作家(ブロガー)だって、野生種の桜だって同じことです。この姥桜の後ろには木で出来たベンチ代わりの板が置いてあって、花見のスペースがちゃんとあるのでした。
 私のあとからやってきたハイカーのカップルが腰を降ろします。老年の二人組みも眺めています。
「やっぱりソメイヨシノとは違うねぇ」
「あれもいいけど、これもまたねぇ」
 そんな会話が聞こえてきました。
 
 道に迷った時は桜の花びらが標識となりました。
 三本目の桜は既に枯れていました。
 かろうじて花を残してはいますが、花見の桜と言うわけには行かないようです。
 哀れをまた感じます。
 ここまで登って来たのに、たどり着いた桜はやはり私の町と同じように他の桜と同じように枯れてしまっているのでした。
 私はしかしこの桜が気に入って、お茶を飲み、一服をしながら、随分長い間眺めていました。
 
 
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桜の花びらの標識です。  三本目の桜、モノクロとカラーで。
 
 
 何度か行き交った、桜の花が目当てのハイカーとまたここで出会いました。彼が撮り終るまで、私は待機です。撮影を終えたのか、呟き声が聞こえてきました。
「もう少しまわりが開けているとよく撮れるんだけどねぇ。これじゃあね」
「そうですね」
 私は口調を合わせます。この先は行き止まり、上の方向は人が通れそうな道が見えなく、木々に覆われています。
「四本目の桜はどこにあるんでしょうね」
 ふと訊いてみます。
「さぁ、ここは初めてだから・・・どこでしょうね。ではお先に」
 つまらなそうに言って、去っていきました。
 四本目の桜はもっと咲いているかもしれない。私はそうも思うのですが、この三本目を見て、枯れた姿を確認して、そうして、満足なのでした。
 道なき道の先か、または来た道を戻って、別のコースを行けば最後の桜が見れる。ここに来た意味を果たせる。
 その筈です。わざわざ行き交う人に訊いてさえ見たものの、だけど、探すでもなく、来た道をそのまま戻っていくのでした。
 もっと上手く撮りたかったなぁ。
 そう思いながら。
 
 枯れた姥桜を見つけて、私の慾も燃焼したのでしょうか。
 まだまだそんな筈もないのですが、心の隅にもやもやする想いを抱えたまま、だけど不思議と満足して、帰途に着くのでした。
 
 
 
 
 

2008年4月9日

memory ~桜~

 

 

 今年もいい春でした。
 心の記憶を糧に、また頑張りますか。
 
 

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2008年4月6日

愛と花見は終いがない

 
 
 
 さて、恒例の週末プチ旅行である。
 先週は週頭に寒い日が続き、桜の散りが遅れたそうだ。
 こんなに長い間、満開を楽しめたのは久しぶりのようだ。例年、一週の週末花見を楽しんで、それで終いだったように思うが、もしかして今年は神が粋な計らいをしてくれたのだろうか、などと思ったりする。帰りの電車で運よく座れるのも、車が止まって道を譲ってくれるのも、すべて日ごろの行いのせいにしてしまう私は、桜好きな私のために今年は神がご褒美を与えてくれたのだと考えてみるのだった。そうだ、今年は頑張った。
 
 たぶん今年最後の花見、どこへ行こうかと必死で考える。先週の失敗もあり、今週は行く場所を選びに選びたかった。美しい桜が心底見たい。堪能したい。未だ咲く桜。抑えた欲望を赦されたような気がして、私は思う存分桜を楽しみたいと願うのだった。
 
 悩んだ末に、桜の開花情報で「散り始め」のマークがついていない、行き慣れた場所を選ぶことにした。散っていて欲しくない。初めての場所で、こんなはずではなかった、と思いたくもなかった。無難なお花見スポットの鎌倉へ足を運んだ。
 
 
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 鎌倉の桜と言えば、鶴岡八幡宮へと向う参道の段葛。ここの桜のトンネルだが、残念なことにずいぶんの花が散り始めていて、空を覆うほどの桜は見られなかった。それでも美しい。私はため息をついて、今年最後の桜を味わった。心が弾んでくる。桜は、どうしてこうも私を幸福な気持ちにさせてくれるのか。
 
 美しい桜だから大好きなモノクロは封印しようと思ったが、ついつい八幡宮をモノクロで撮りたくなる。参道から宮内に入った私は今度はカメラの設定をモノクロに変えるのだった。
 
 

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 真ん中の写真は樹齢一千年余りの大鴨脚樹(いちょう)、別当公暁がここに隠れ、ここから飛び出して、昨夜来の雪で真っ白に化粧した石段をゆく源実朝を殺害したことは有名で、私も子供の頃「草燃える」というNHKの大河ドラマで見たものだ。幼心にその凄まじさが心に焼きつき、そのせいか、この木が何かしらの(怨)念のようなものを発しているような、そら恐ろしい想いがしてくるのだった。ISO感度や絞りの設定を変えて、何枚も撮ってみる。(当然亡霊は映らない)

  しかし、写真を撮るようになってから私は良く神社や寺へ足を運ぶようになった。
 手の清め方や、参拝の仕方も、慣れてきた。
 今日も大切な人の健康を祈り、禍を祓い、この身をを浄めていただけるよう神々にお祈りをする。
 感謝の言葉を念じるのだった。
 
 参拝を無事終えるとまた桜堪能、今年の桜を記憶に焼き付けることに夢中になる。
 源氏池の桜が見事だった。満開ならきっともっと美しかっただろうが、しかし見れただけでも幸いだった。花吹雪が舞う。
 
 
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 今年最後の花見を堪能しつくした私は、来た時と同じようにまたひとつため息を吐いて、帰路へ向かう。
 次回この美しい姿を私に見せてくれるのは、いったい何百何十日後になるのだろうか。寂しさがよぎる。
 しばしのお別れだ。
 しかし、実景に過ぎない。
 まだまだ私の花見は続くのだった。