2008年5月30日

憲法九条を貫く生き様というもの。

 
 
 先日、春から一緒に働き始めた新入社員と私との存在価値について書いた。
 この大学を出たばかりの若い新入社員によって、その対極にいる私は日々様々なことを考えさせられるのだが、そのせいか、つい彼女の行動を観察してしまう私がいるわけだ。
 自分が若いときはどうだっただろう、そうやって昔を思い返しては、現在とも過去とも比較しながら、彼女が初めて接する社会(の場)に慣れて行く様を見ているのだった。
 私はどこの職場に行っても、私のような人がいないかと探している。損得勘定が少ない、バカのようなタイプの人間だ。しかし、新入社員も例に漏れず、当たり前の手順を踏んで五月末に至るのだ。初めての社会に戸惑いながら、自分の(社内での)ポジションを少しずつ確立していく。仲間を作って(同期との連帯を大切にして)横軸を固める。先輩社員や上司に可愛がらるよう努めて、縦軸を固めていく。ちゃんとその場その場で今誰に一番良くしたら(思われたら)いいか、自分の利得になるかがわかっている。彼女は約二ヶ月ですっかり職場の雰囲気に馴染んでしまった。様々なことを把握して、私よりもよほど上手く立ち回るのだった。頭がいい。と言うか、たいていの人間はみな当たり前の自己防衛の性質として、本能として、こういう思考と行動を怠らない。上司に反感を買ったり、安易に同僚に憎まれる行動をとるようなことはしないのだった。
 私は平和主義者を自負しているが、良くそのような馬鹿な行動をする。利得を考えて行動せず、力のあるものの庇護を拒んだり、仲間を作ったりしないので、そういう無派閥的な無抵抗的な単独行動をする私は誰からもあっけなく攻められて落城するハメになる。平和を望むがゆえに戦う事態になることも多い。
 長いあいだ、私はこの自分の性質にほとほと呆れていた。馬鹿だなぁと心底思うのだが、同盟国も自衛隊も武器も持たないまま生きてきた。
 冒頭の新入社員のような一般的な例が、国に例えると「日本」だとしたならば、彼らこそは真の平和主義国家であろうに、自分はまやかしだなぁ、とうな垂れるのだった。ずいぶん自分に自信をなくして、手厳しくなっていたわけだ。
 ところで、日本は憲法九条おいて、1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の国交権は、これを認めない、と謳っている。
 自衛隊と言う名の武力と核以外のほとんどすべての武器を持ちながらこれはなんだ、憲法違反ではないか、とおっしゃられる意見もあると思うが、私はそうは思わない。あれは規則ではなくて理念(原理)だと考えているのだった。
 すべての人間が新入社員と同様に自分の社内のポジションの確立、つまりその社会的場所において自己の利得を向上させたいと願っているとしたならば、無抵抗で無防御な相手を見かけたらどうなるだろう。そのような誤ったシグナルを送ってしまった相手は、ほぼ100%侵略される。侵略したいもの同士の間で争いさえ起こるだろう。その時点で腹を立てて反撃しても遅いのだ。ならば初めから抵抗して防御していればよかっただろう、と言う話で、誤解を与えたもののほうが悪い。本当に平和を望んでいるなら、いつでもすべての人間と同様に、誰とでも対等に戦えるだけの力を持っていなければいけないのだ。会社で平和に過ごしたいならば上司とも同僚とも戦えるだけのポジションを確立させておくことが必要だ。争いをなくすには、武力と武器があったほうがいい。争いをするためにではなく、争いを起こさないための抑止力として、武力が必要なのだと。
 日本は九条の理念を守るために、ずいぶん大げさな軍隊を持っているものだと常々思うが、それが憲法に反しているとは思えない。
 あくまでも、あれは永久に戦争を放棄した平和主義国家のための、必要不可欠な武力なのだろう。
 
 今まで出会ったすべての新入社員の平和的な生き方に、私はやられっぱなしであった。逆に戦いが起こるばかりだった。
 このままではいけない、と武力を持とうと志したこともあった。
 しかしどうも腑に落ちない。それは私が望んでいることではない。そもそも武力を行使したり武器を使用したりすることが嫌いな性格だから平和を愛しているのに、平和でいたいから武力と武器を備えるなんて本末転倒ではないか?
 二十代の、社会人生活初の新入社員より劣る自己の無防備さに打ちひしがれたとき、ふとこんなふうに思ったのだ。
 
 同盟国と自衛隊と武器を持たずに、平和主義国家を作ることは可能だろうか?
 
 もちろん私は国ではないから平和的な生き方を貫くことをだ。
 派閥にも属さず、仲間も作らず、出世も望まず、若い社員やバイトにまでなめられてこき使われる(侵略されるという意)状態になっても、無能と烙印されずクビにもならず共同体としての場から淘汰されずに平和的に生きていくことは可能だろうか。たとえば中国のような状態になっても、反米反日感情を持たずに平和的に、先進国に庇護されるのではなく対等に、国際社会と付き合っていけるだろうか。それこそが私が目指していたものではなかっただろうか。
 ここしばらく、私はそのことばかりを念頭において過ごしていた。もう争いはこりごりだった。
 もちろんそんな生き方をしても、自分の社会的立場の利得は得られない。日本のような先進国にも金持ちにもなれない。一生「勝ち組」と呼ばれることもないだろう。しかし、試してみると驚くほどに内面の充実感があるのだった。
 
 私の武器は、戦わないと言う生き方だけである。
 相手がそれでも侵略しないとしたら、その生き方への敬意でしかない。
 そんな相手に対して力をふるうことの罪悪感と敗北感を喚起させるほどの、私の生き様そのものでしかない。
 武力を持たずに、戦わずして、生きていくことは可能だ。その器を持てばいいだけの話だ。
 そう気付いて私は、長年自分を恥じて責めていたことをこそ、恥ずかしいことだと確信した。
 もっと信じるべきだったのだ。
 異質な自分を。
 私は今まで出会った人々とは前人未到の生き方を試みる。
 もう新入社員と比べることもないのだった。
 
 
 
 
 
 
 

2008年5月25日

物の怪の森

 
 
 
 三十メートル間隔でやっと一店舗あるような閑疎な商店街の終着間際を左にそれると、自然公園の入口が現われます。
 公園というよりは森でしょうか。そこは地元では少し畏れられているようなふしがあり、母は未だに、
「あそこへ入ってはいけない」
 と口にするくらいで、その付近は緑溢れる景観とは裏腹に地価も安めなのでした。
 最後に行ったのは、もう十年以上も前だと思います。先週行くことがなければずっと行くこともなかったかもしれません。あまりの静けさと森の深さに慄いて、逃げるように帰ってきた覚えがあります。
 先週、恒例になっている週末の撮影旅行をそこにしてから、私は思っていたよりも怖くないと長年の考えをあらためたのでした。柳を幽霊だと見違えて、怯えていたようなものです。良く見れば、どうということもない、自然豊かなただの公園でした。
 近場にそんないい場所があるなら、わざわざ遠出する必要もない、私は今週も自然公園に向います。決められたことのように、当然のこととして。
 ふと、商店街の先に公園の入口を見つけたとき、不思議な感覚に陥りました。
 
 それまで目にしていた、商店や住宅やアスファルトの車道、郵便ポストに自動販売機に電柱、それら日常の生活を象徴するものたちと無関係に、突然エアポケットのように緑の道が現われるのです。公園の名前(「○の森」という)の看板が道の脇に立っているのが唯一人間社会の関わりをうかがわせるのですが、そらすらも取ってつけたような不自然さを感じさせられ、ふと陥った違和感を拭い去れないまま私は緑の中に吸い込まれていくのでした。
 一歩踏み込むと、まず空気がひんやりとして、音が止みます。360度、緑の世界です。あのエアポケットのような入口を境に、違う世界に来てしまったようなのでした。
 私は安易にこの公園を怖くないと決断したことを後悔していました。公園にしては森が深い。まるでけものみちではないか。
 しかしまだ入口付近、犬を連れた散歩途中の老人や、若い親子連れの姿が見受けられ、どこかで気のせいだという心の声もするのです。
 ただの公園じゃないか。もしそうじゃないとしても―
 どきどきします。非日常の世界に胸の高鳴りを覚えている自分がいたのでした。
 

IMG_4483

 
 ところが、火曜の雨のことを私は忘れていました。先週とはまったく違う公園の様子に私は驚かされたのでした。
 細い木々が傾き、草木がなぎ倒されています。先週咲き乱れていた花菖蒲は枯れ、こちらも倒れています。自然公園で一番賑やかな広場、先週子供達が水遊びをしていた橋も手摺が倒され、池の水が減り、濁っています。カワセミがかくれんぼをして遊んでいた池向うの湿地帯の草木も刈られたように梳かれているのでした。一見ではわかりません、何かが違う、と思ってじっと見ているとまったく違う絵が浮かび上がってくるだまし絵のように明らかに様子が違うのです。
 一週間のうちに何が起こったんだろう? 思い出してみましたが、そう酷い嵐や大雨は思い当たりません。
 初夏の輝きに満ちていた公園がなぜこんな荒地のように色あせている(見える)のか、私には理由が思い当たらず、またその不思議さと生々しいむき出しになった自然の様子が、またしても公園を非日常に気化してゆくのでした。
 
IMG_4497IMG_4508
先週咲き乱れていた花菖蒲が枯れてしなっています。ただ時期がきて枯れただけのようですが、良く見ると草木も倒れ、どこか異様なのでした。
 
 
 私はますます不思議な感覚に陥ったまま、森の奥へと進んでいくのでした。
 鳥が鳴きます。見上げても姿は見えず、あきらめてまた進むと、鳴き声が高くなります。まるで引き止められているようです。私は自然の形相を現した獣道に一人たたずんで、空を見上げ目を凝らします。ぱっと黒い影が飛んでゆきました。
 何の鳥かは残念ながら見分けられませんでしたが、明らかに鳥の影が私の真上を飛び越えて、木々の中に消えてゆきました。羽をそろえ、嘴から一直線になって飛び立ち、しばらくすると羽を見事に羽ばたかせて。
 先週鳥を求めてふられた私です。影とはいえ、この鳥の出現に私は気を良くしました。恐さも淋しさも忘れ、深い森をどんどん進んでいきます。今度は音がしました。見ると、目の前の低木の枝に何かがうごめいているのです。緑の葉に隠されて良く見えませんが、鳥だと私は確信しました。静かにカメラを構えます。
 望遠レンズを通してかろうじて鳥の姿が見えました。深い緑の葉が邪魔をして全体の姿は見えません。飛び立つでもなく、低木の枝の間を行ったり来たりしているようです。そのたびに私はファインダーから目を逸らして鳥を探し、位置を確認してから望遠レンズを見る、という行為を繰り返しました。最後に飛び立つまで、全部の姿は隠されたままでした。どうも遊ばれているような気がしてきます。しかし、ますます気分は良いのでした。もはや公園とは思えぬ、人の手の介入しえない自然の姿を現した森で、声だけではなく鳥が姿を見せはじめた。
 私は自分がこの森に気を許され、以前よりも親しみを覚えられて、そうして森から誘われているような気分になるのでした。
 
 
 
IMG_4540IMG_4514IMG_4544
 
 
 時折、深い森の中で人々とすれ違います。
 彼らはたとえば山で出会うハイカー達とは違い、無防備でした。何の装備もなく、自然に対応するものを身につけず、ペットや本やお弁当といった彼らの日常をこの森に持ち込んで、そうして一様に静かで、言葉も発せず、自然と融合しているというよりは打ち負かされているかのように、大人しく存在しているのでした。
 ふとそんな人間達に出会い、彼らを見ていると、私の感覚はだんだんとおかしくなっていたのでしょう、彼らが人に見えなくなってくるのでした。
 第一、ここに人の日常(生活)があること自体が不思議に思われます。ここは非日常の、隔離された世界で、無防備に存在する彼らこそは、もののけではないだろうか。
 化けた狸や狐というような童話的なものではなく、彼らは人ではなく、人の形を装った自然の化身が人の生活を真似て見せているだけで、ここはそういう世界でこそあり、今ここに存在する私は唯一の人間で、彼らの中に迷い込んだのだ。そんな気分がしてくるのでした。
 ああ、そうだ。ここでは私だけが人なのだ。
 恍惚に包まれた瞬間、私は出口を迎えました。入ったときと同じ、異次元の入口のようなあの細い道を見つけ、私はがっかりとうな垂れました。夢から醒まされたようでした。
 もとの世界に戻ったあとも、私はカメラをしまうことなく、一服したり、入口傍の自転車置き場をうろうろして、名残惜しいというよりは未練たらしくいつまでも考えます。
「もう一度入ろうか?」
 大雨に降られて逃げ出すまで、そうして考えていたのでした。
 
 
 
 
 
 

2008年5月18日

女神としての鳥を求めて。

 
 
 
 腹が立ったのは水戸の白鳥と黒鳥殺しの事件でした。
 相変わらずニュースばかりを目で追っています。
 私はてっきり、犯人が自分より弱い存在の、無抵抗のものを、わざわざ選んでは殺しているのだと思っていたのですが、白鳥と黒鳥は犯人と対峙した際に、美しいその羽を広げて精一杯の抵抗をしたと言うのです。そして犯人の少年は、その抵抗したところを殺すことこそが楽しかった、と語ったのでした。
 全身から熱いものが込み上げて、血液が一気に逆流し、頭に昇りました。少年に、凄まじい憎しみを覚えたのでした。
 もしも、私が被害者ならば、諦めて(または恐怖の念から)無抵抗となった状態で殺されるよりも、立ち向かうと決めて決死の抵抗をした際に、その労力をあざ笑うようにいとも簡単に捻り殺されてしまったら、その方がよほど死んでも死にきれない、悔しい思いをすることでしょう。
 残虐です。そうして、鳥は私にとって自然の神々の遣いなのです。
 白鳥が大きな羽を広げた姿はそれは美しく、神の使い、もしくは自然に生息するすべてのものに畏怖と敬意の念を感じさせられるに充分で、またそれは奥ゆかしい彼らが普段決して見せることのない、唯一の、美と力の誇示なのです。
 その圧倒的な、威嚇としての美と生命力を踏みにじり、泥を塗って汚すことこそが楽しかったとは、少年が人間とは思えなくなってくるのでした。
 恐ろしい、人間とはそのような恐ろしい存在だったのでしょうか。たまたまこれが私の敬愛する鳥だからというだけで、恐ろしい事件は毎日飽きるほど起きており、人間とはそうやって常に何かを壊し、自然をも破壊し続けなければ存続しえない生命だとは思ってみても、どこかそら恐ろしい思いが拭い去れないのでした。
 かと言って、対する自然はどうかと言えばこちらもやはり恐ろしく、中国では大地震が、ミャンマーではサイクロンが猛威を振るい、まるで愚かな人間に報復するかのごとく、日々目を覆うような惨状を呈しているのでした。
 
 こうして雨風をしのげて、水と食料に困ることなく、生きている、そのことだけで私は幸福なのだ。そんなふうに満足し、生活の目標レベルは日に日に落ちてきて、まともに生活できることこそが奇跡だと感じてしまう。せめてこの美しい今の地球上での生活を、思う存分享受し、堪能しておかなければ、後世の人類や、破壊されゆく運命の自然に対して申し訳がたたないと思われてくるのでした。
 私はしかつめ面をやめて、気分転換をかねて近くの公園に散歩しに出かけてゆきます。
 先日、野鳥の撮影に興味を覚えた私ですが、またしても鳥達には出会えません。美しい白鳥の姿を撮りたい、残したい、と切実に思いましたが、この季節、そして家の近所にそううまい話があるはずもなく、私は諦めて新緑の美しい尊い様や咲き誇る花々を撮るしか能がないのでした。それでも捨ててはいないのです。この林道の先にある池に、または林の奥に、鳥達が存在し、鳴き声だけではなく、生命力溢れる自然の姿を見せてくれるのではないか、今の私とこの地のために。そんな期待を抱いているのでした。
 
 
 
IMG_4363IMG_4376IMG_4380
IMG_4394IMG_4396IMG_4384
 
 
 
 林道を通り抜け、野鳥観察スポットにたどり着きますが、やはり鳴き声だけしか聞こえてきません。
 県道を乗り越えて、木製の橋を渡ると、ひっそりした林とは対照的な、明るい、自然公園の光景が現われて、多くの家族連れの人々の姿と、子供のはしゃぐ声が私を包み込んだのでした。池では魚釣りをしているようです。陽を浴びて、穏やかな気持ちになり、私は階段を下り池に近付いて、そこで花菖蒲の群生と出会いました。この公園では有名だと聞いていたのですが、あまりの美しさに小さな声を上げて駆け出します。水辺に咲き誇る姿を夢中で撮り続けていると、声がしました。
「向うにカワセミがいるよ」
 振り向くと、年配の女の方がにこにこして立っていました。前に広がる池の右側の岸を指差しています。
「みんな大きなカメラ持って撮ってるよ。行ってご覧よ」
「ほんとうですか」
 ならば行ってみます、と言うように、私はにっこりとうなずきました。だけどなぜか照れくさくて、二三枚花菖蒲を撮ってから、やっとのことで池の先を見やります。
 そこには大勢のバードウォッチャー達がいました。三脚に大きなデジスコ。池の岸に並んで、いっせいに対岸の草木に覆われた湿地帯にレンズを向けています。見ると、対岸には青く光る二羽のカワセミがせわしなく飛んでいます。夫婦で追いかけっこをしているようです。水面を蹴り、草木に隠れました。
 
 
 
IMG_4427IMG_4426
IMG_4434IMG_4428
 カワセミ待ちの人々、大きなデジスコを構えて、カワセミが現れるのを待っています。右下の湿地帯にカワセミが隠れてます。

 

 私は鳥の出現に心が高鳴り、今こそ天を仰ぎたい気分であったのに、なぜかこのカワセミ待ちのカメラマン達を見つけて驚愕し、思わず笑ってしまいました。みな一様に、同じようなカメラを構え、真剣な面持ちで、小さな小さなカワセミが現われるその瞬間をひたすら待っているのです。カワセミを追うのも忘れ、彼らの姿ばかりを撮ってしまいます。近付いて、すぐ真後ろをすり抜けました。今、かわせみはいません。ニコン、キャノン、カメラのメーカー名を心の中で読み上げながら覗き込むと、彼らは何をしているのかというと、液晶ディスプレィを見つめているのでした。何も語りあわず、先ほど撮ったのでしょう、カワセミの写真をディスプレィに表し、拡大したりしてはカワセミの表情や写真の細部をチェックしているのでした。ニコリともしません。真剣そのものでした。

 彼らはあと何時間カワセミを待ち続けるのでしょう。忍耐強く。ここで。
 私は少なからず意外だったのです。鳥を撮るのは容易ではない事は知っていましたが、このようにカメラを構えて同じ場所で待ち続ける、まるで釣り人のように。獲物を取るのは一瞬だけどそのために、一瞬の何十倍もの多くの時間を要するのだと、このとき初めて、頭ではなく目と心で理解したのでした。
 ただ、釣り人はもっと悠々として、どこか枯れた様相さえ感じさせるのですが、この野鳥ファン達はそうではない、威圧感のようなものを発しているのです。
 前者が総務部や庶務課の万年係長ならば、後者は営業部のお飾り部長のようです。勤務年数は長いが最近めっきり業績が落ちて配属に困って形だけの部長にすえられたものの、することもなく、みな営業に出て誰もいないデスクの前で目だけぎらぎらさせて食い入るようにパソコンを睨んでいる。営業職の先の島では女子事務員達が煙たがっているのに気がつかないふりをして、必死で威厳を保っている。何だかそんなような勘違い的な威圧感を思わせるのでした。まったく失礼な話ですが、どこか生命力というもの、執着や慾やまだ枯れていないもの、人間として自然と対峙するもの(融合ではなく)を感じさせられるのです。
 私はカワセミと出会えた。しかしそこには彼女を崇めて、包囲する人間が私より先に多数存在していた。
 この事実がどうも私を冷めさせてしまうのでした。
 第一私はカワセミは好きですが、カワセミファンはあまり好きではないのでした。あれは、ブランドです。洋服が好きだといいながらシャネルばかり着る人のようにも思えます。確かにシャネルは素敵ですが、洋服が好きならシャネルでなくてもいいのではないかと思ったりもするのです。
 私は花菖蒲を撮りに戻りました。
 美しい花菖蒲を思う存分撮るのでした。最近教わった前ボケや後ろボケを意識しながら、いかに花を綺麗に撮れるか、ない知恵を振り絞って考えるのでした。
 
 
 
IMG_4409IMG_4414IMG_4438
IMG_4454IMG_4437IMG_4463
 
 
 
 突然、大粒の雨が降り出しました。
 自然の美を堪能していた私は、大急ぎでカメラをリュックに仕舞い込みます。過ぎたかも知れません。
 走り出して、帰路を急ぐのでした。直前に振り向くと、カワセミ待ちの人々はまだ同じ場所に、同じように佇んでいました。
 人間の努力と忍耐には頭が下がる思いです。自然を畏れず、時になすすべもなく破壊させられても、それでも自然を愛して、崇拝する人間たち。
 自分もその一人なのだと知りながら、どこかで私は対岸の人々を見るような、非現実的な、不思議な思いに駆られるのでした。
 自然を愚弄する人間と、自然を崇拝する人間と。その狭間でどちらにもなりきれず、ただ共存を願いながら。
 他人事ではないと。何かが出来るはずだと考えてみても。
 今の私はどちらよりも無力で、小さい小さい、存在でしかなく。
 やり場のない願いは、僅かに災害の募金をするくらいが精一杯なのでした。
 
 
 
 
 

2008年5月12日

私の生き易い転落人生。

 
 
 
 勤め先に新入社員が入って来たと以前書いたが、これがとても考えさせられる機会となった。
 雨のため、恒例の撮影旅行へ出かけれなかったので、私は思い切りへこんでみたりする。
 思えば、彼女ら新入社員と私との差はどれほどのものか。これから仕事を覚え社会人として成長していく、古い言い方で言えば金の卵の存在と、もしもこの職場を辞めたらどこか他で使ってくれるところがあるかどうかも疑わしい自分との、存在価値の差と言うものだ。
 しみじみ身にしみて考えて、それでも若い頃には戻りたくない、(つまり後悔はしていない)と思ってはみても、ふと、なぜ私はこんなに生きづらい人生を自ら選んで、自ら好んで苦労しているのかと思ってみたのだった。
 学生時分には仲間がいた。気の置けない、まったく同じ境遇の、同じ社会的立場の、つまり同じ種族の人間で、彼らに囲まれていれば、私は苦労など感じることもなかった。もしあっても、すべては当たり前の(仲間が味わっていることと同じ種類の)苦労であり、当然乗り越えれられるものだった。普通はここで、某金の卵の新入社員のように就職をする。そうして、同じ新入社員の仲間とつるみ、同期会などを作っては情報交換をし、励ましあいつつ何年も働く。違う種族のおばさん(お局様)や上司のセクハラに遭遇しようとも、同期同士支えあい、時には互いにいい刺激となって、切磋琢磨し合っては成長していく。で、数年後(女の場合に限定してみる)、結婚退社する。まぁこの過程は現代では一歩間違えば難しいところだが、歴史的観点から一般的な例と考えてみよう。すると今度は主婦同士の仲間になり、家庭と子供と言う共通の悩みを抱えた同じ境遇の同じ種族と励ましあい、ともに生きていくことだろう。種の違うものは自分の世界(観)から排除して、自分こそが「まとも」だと信じて生きていくことが出来るわけだ。なにせ周りはすべて同じ境遇で同じ価値観の人々なわけだから、疑問を挟む余地などないのだった。 
 つまり、今の私が生き辛いとしたならば、学生時代のあと、某金の卵新入社員と同様のステップを踏まなかったからであり、どの過程においても、種の違うものと同じ世界において共存しなければならなかったからこそなのだった。仲間の存在しない、個を不安定にする環境に、自ら身を置いていたからだと言えるだろう。
 なぜ、生きづらい人生を選ぶのか。なぜ、いつも楽をしないのか。
 自分を安心させてあげることに慣れていない。
 もしくは、自分の世界を見誤っている。
 
 そこで、私は楽をしてやろうと仮定してみる。
 私は私の種のいる場所へひとっ飛びで行ってしまうのだ。もう違う環境に身を置いて我慢したりなんてしない。
 私の世界観を持つ人々がいる場所へ、その世界へと行ってしまうのである。
 
 もちろん、いい年をこいて、OLなどしない。事務員の一般職など女性蔑視の、もしくは女性の権利迫害の最大の職務だ。私は年を重ねた離婚暦がある、もしくは独身女性の多い、デパートのマネキンなどをするのだ。もちろん郊外のデパ地下に限られる。肉屋とか総菜屋とかだ。アパレルは同じ境遇でも顔とスタイルに自信のある種族が集まるので仲間には入れてもらえないのだった。都心もいまやデパ地下人気で若者が集まるのでNGだ。もしくは、場末のバーの雇われママかヘルプのホステスになる。またはキオスクのおばさんだ。一番しっくりするのは旅館の仲居である。つらい過去を背負った、謎多い、哀しい女達のたまり場に行き、しかもそれも長居は出来ず温泉街を転転とする。そうだ、女寅さんのような人生を享受するのである。
 「楽だなぁ~」
 と私は呟いて、次の瞬間愕然として、俄然首を振るのだった。
 絶対それはイカン、そんな人生はだめだと思う。もしそんな楽な環境に身を置いてしまったら最後、私は更に自堕落になり、きっと破産寸前のバカな男に引っかかって男遊びをしたり、挙句有り金全部持っていかれたり、金に困って夜逃げをしたり、とにかく今よりもっともっと転落人生を歩むに違いないのだった。 
 なぜ、生きづらい人生を歩んでいるのか、何となく理解できたように思う。
 そもそもスタートが間違っていた。
 普通に就職しなかった時点で、どこかで別の種族との同じ世界での共存と言う現実を乗り越えなければいけなかった。ずっとボタンを掛け違えたまま、我慢だけをして、単に辛いだけの人生を歩み続けたわけなのだった。
 
 こうなったら、今さら自分の種族が本来居るべき場所へは戻れない。と言うか、たとえ楽でも転落してまで行きたくないし(それはなおさら辛い)、かといって今さら異人種との共存も難しい。これより先は、歳を取れば取るほど年々難しくなるだろう。
 辛いだけの人生を歩むよりは、いっそ、その過程で得たもので、新たな自分の種族を見つけるしかない。
 場末の私が行き着く、違う種族がより少ない安定した場所。
 そう、それは、「引きこもり」だ。
 若者のニートを思い浮かべて、何言ってんだと思われるだろうが、これが大真面目である。引きこもりを真剣に職業にすることも可能だ。違う種族との対人関係が辛いゆえに年々人見知りが激しくなり、人と関わらないゆえに更に人との喋り方を忘れる、悪循環を重ねる、こういう人々は私の他にも多くいると思われる。引きこもれば他人種とは遭遇しない、しかもいまやネットを使えば仲間も増やせて金も儲けられる。(金儲けは「かも知れない」としておく) 
 どうですか? 仲間がいないあなた、引きこもりますか? 一生?
 私の場合、とてもいい案なのだが哀しいかな、資本となるお金がない。引きこもりだって軌道に乗るまでは元気な両親とか、持ち家とか、貯金とか、資本と資産が必要なのだが、私には逆に面倒を見なきゃいけない親と負の財産しかいない。
 ひとしきり悔しがって、ならば作家になろうかな、と考えてみる。
 同じ引きこもり職業でも、金よりも性分よりも、もっと多大な「才能」という資本的条件を兼ね備えたそれら種族に、私は今よりも世界を見誤っていると自分を笑ってはみるものの、私の世界(観)には一番似合っていて、一番生き易い生き方のように思えてしまうのだった。
 昔、生き易い人生を得るために、必死で勉強をして哲学者になったという人の本を読んだが、生き易い人生を選ぶには生き難い今よりももっともっと辛い学びの日々が待ち受けていることだろう。
 しかし、その辛さを支える忍耐は決して消耗されないのだ。
 現在のあなた、いえ、私の忍耐よりもずっとマシではないだろうか。
 好きなことを一生懸命やってごらんよ。
 などと、バカな夢を見る、雨の週末。
 きっと自らバカ(狂人)になれるものこそが、生き易い人生の達人なんだろう。
 
 
 
 

IMG_4307

 

2008年5月6日

裁きと死刑制度を思う。

 
 
 
 人を裁くことによって、人は人から裁かれる。
 人間関係を上手く、そつなくこなし、円満にするためには、決して人を裁かないことだ。
 そういう話を良く聞く。
 
 私は神ではないので、自分が酷い仕打ちを受けたら、相手に対して不愉快に思う。キレそうになる。それでもギリギリまで我慢をするのだ。なぜなら、関係性を保ちたいからだ。
 もしも、私を不愉快な目に合わせた相手が、私の社会性保持や対人関係性維持のための努力の対象となる共有した場を持たない人間だったら。
 私は我慢をしない。自分に有害な相手と関係性を保つ意味もなく、つまりイヤな相手と無理して付き合う必要などないからだ。
 そこで思うのは、同じように私が被害者でイヤな相手の不愉快な行為が加害者的レベルだった場合のことだ。
 あなたならどうだろうか?
 その人が義母であったり、会社の同僚であったりしたら、許して、我慢するだろうか。それとも会社を辞めるか。それとも告発して戦うだろうか。
 もしも、夫だったら? 会社の社長だったらどうだろう?
 またもしも、赤の他人だったら? ウェブ上の付き合いだったら。別の学校や地域や組織に属するものだったら。相手を裁き、徹底的にやりあうだろうか。
 この場合の裁くと言う行為は、やられたらやり返す、と言う意味に似ている。目には目を。歯には歯を。許してなどたまるものか、と反旗を翻して復讐をする。
 
 相手を裁くことは容易だ。
 自分が被害をこうむっていながら、大人しく許していたら相手は図に乗る。こいつは泣き寝入りするタイプだと甘く見ることだろう。そうなったら相手は同じことを繰り返して、自分以外の他人にも被害を加える危険性がある。人は誰でも必ず利他的な温情と正義感とを持っているので、それは許せないと思うだろう。自分が受けた傷みと同じ傷みをまた誰かに与えるなんて許せない。それでは自分が報われない。自分の代でカタキを取ることが一番の近道だ。許してはいけない。
 二度と同じことが繰り返されないようにならなければ、自分は救われない。
 これはまったく正論であると同時に、危うさをはらんでいる。裁きは安易な感情発散(自己満足)の手段にもなり得るのだ。
 ある有名なブロガーの記事を見て思ったのだが、私がなぜ、山口県光市母子殺害事件の遺族本村さんの9年間の行為と被告の死刑判決(裁き)に感動したのかと言うことだ。
 
 本村さんのケース(母子殺害事件の長年の経緯のこと)において、死刑判決後、被告の青年は穏やかな顔をし、「これは私の贖罪だ」と言った。自らの命を持って罪を償うと言う事実を、静かに受け入れていたようだと言うのだった。そして彼の裁きは司法による勝利ではない。個人本村さんが9年間かけて、司法と戦い、仲間を増やし、告発し続け、被告を追い詰めたことによる勝利なのだ。
 加害者が穏やかな顔をするに至るまで、相手を裁き続けたを言うことは、私にはない。
 関係性があるものならば無理をして我慢をし、または愛を持って赦す。関係性が薄いものならば、感情を持ってただ裁く。もしくは泣き寝入りをする。こんなやつと関わるのはごめんだと切実に願うだろう。
 しかし本村さんは徹底的に裁いたのだ。それが自分と被害者と社会の正義のためだからと言うだけではなく、無関係の相手に対して、関係性を持って裁いたのだ。
 相手の魂が救済されるまで。
 
 自分の社会的地位や存在自体を脅かさないと確信した相手に対して、人間と言うものは残虐だ。そういうものには容赦しない。
 しかしその容赦ない行為のほとんどが、自分が受けた傷を癒し、自分が救済されるためなのだ。
 綺麗ごとをもってしてではなく、相手が救済されるまで、自分の人生を賭けて、相手を裁けるものはいるのだろうか。
 自分が救われるためだけではなく、相手が罪を悔いあらためることこそを目的として、自分の全存在をもってして、相手を裁けるものはいるのだろうか。
 
 制裁を目的とした死刑制度はいらない。
 その最終的判決に至る道によって、罪を持つものが悔い改め、遺族同様に救済されなければ意味がない。
 至る道で得るものが同じならば、たとえ死刑だろうが無期懲役だろうが同じことだ。
 しかしそのためには、死刑と言う最終判決が在りうるという仮定が絶対に必要だ。(でなければ至る道が存在し得ない)
 本村さんのように、最期まで悔い改めないという道を選んだ相手さえもが、自ら裁かれるに至るまで、死を受け入れるに至るまで、相手を裁いてみたいものだ。
 それは奇跡だと私は信じる。
 
 
 
 

2008年5月4日

札幌のご当地ラーメン食べに行って、東京荻窪の中華そばを食べる私の巻

 
 
 
 若い時分、良く父親とけんかをしたものです。
 そんな時、反抗する私に向って父はこう言いました。「お前は自分が親より偉いと思っている」
 私の偉そうな態度がよほど頭に来たようでした。
 しかし、私からすると、偉いつもりも何もなく、ただ足掻いていたのでした。家族の意志や価値観は尊重しなければならない、敬わなくてはならないとは思うのですが、切実に違う道を見つけたかったのです。いい年をして、いつまでたっても自分の価値観ややり方を押し付ける(ように思えた)父親に、私は飲み込まれそうで、それが嫌で、必死に抵抗していました。
 自立したかったのです。もしくは、すでに自立していたのに、その事実を軽んじられ、いつまでも支配下に置かれているようで、不愉快だったのです。
 父は私の意見をまったく無視していました。
 耐え切れなくなった私は家を出て、長いあいだ、父と母とは別の生き方を歩んでいました。母が倒れなければ、ずっとそうして、違う道を生き続けていたと思います。ある日、母がくも膜下出血で倒れ、死にはぐって、元気になった後、それからでした。私は父と母と同じ道を、自立依存とは別の次元で、協力して生きていかなければならないことに気付いて、ようやく親子らしく父と母とで良く出かけるようになったのでした。私からすると、サラリーマンの定期的な家族サービスのような、一種の義務行為で、でも恐らく両親から見ても同じようなことなのかもしれませんが、私たちいびつな家族は、ゴールデンウィークや夏休みに一緒に出かけるようになり、そうして、けんかは消えました。
 そうなってみて初めて気がついたのですが、父親は今も私の言うことはまったく聞かないのです。相変わらず自分の価値観ややり方で物事を進めてしまい、たとえば親子で出かける先もそれらの計画も、すべて自分で決めないと気が済まないのです。つまり、父は昔から悪気などなく、ましてや私を支配下に置こうとする気もなく、ただ、そういう人だったということです。自分がいいと思うことや行ってみて良かったと思う場所に、誰か人を連れて行って、その人を喜ばせてあげたい、と言うような。自分の価値観に絶対の自信があるから、良かれと思ってそれを人に勧めてしまう。やり方や言い方がちょっと強引だったと言うだけで、私の生き方に口を出したのも、まったくの好意だったと言うことです。
 先日の花見に行った位から、私は父の性分に(やっとこの年になって!)気付いてきたので、ゴールデンウィークの計画はすべて父親に任せました。
 すると父とは母は以前ラーメン博物館と言うところに行ってそれがとても良かったと言う。そこへぜひ行こうと言うのでした。
 ラーメン博物館!!!
 何ですか、それ、どういう趣味ですかね。しかも新横浜って田舎じゃん。(まったく興味なしの私の内心の感想第一声です)
 
 
IMG_4282
これがラーメン博物館です!
 
 
 いや~。ちょっと想像と違ったんでびっくりしました。
 私はビルの中に流行りのご当地ラーメン屋さんの屋台が連なっている殺風景な場所を想像していたんですが、これが映画のセットのようなのでした。ちゃんと鳴戸町と言う名前の町として存在していて、その中には鳴戸橋という駅があり、鶴亀町(鶴亀公園)と言う広場があり、妖しい飲み屋街のマイト街があり、住宅街の蓮華町があり、地下鉄に交番に郵便局に銭湯に駄菓子屋さんに映画館に露店にカフェに不動産屋さんがあり。凝った創りのひとつの町になっているのでした。そうしてことごとく、昭和なのです。Always~三丁目の夕日~のような懐かしい町並みが所狭しと存在しているのでした。
 ラーメンを食べに来ると言うだけではなく、人々は紙芝居を見たり、懐かしい隣の家の軒先のテレビで力道山を見たり、けん玉をしたりと、大人も子供も楽しんでいるようです。またなんと言っても、昭和の町のセットの一つ一つが芸が細かい。ふらふらそこを歩いていると、セットと言うことを忘れてしまうのです。本当に昭和の、鳴戸と言う町に迷い込んでしまったようなのでした。
 
 
IMG_4137IMG_4155IMG_4163
IMG_4151IMG_4210IMG_4170
   ↑これが昭和の懐かしい町並みです!まったく芸が細かいです!
 
 
 三丁目の夕日の主人公のような気分になって、つまり童心に戻って、お腹いっぱい美味しいラーメンを食べ終わった頃には私はすっかりこの町のとりこになっていて、それがとても意外なのでした。不思議な思いが込み上げてきます。
 なぜなら、私が一人で行動していたら、ラーメン博物館になど絶対に来ないからです。
 だってラーメンは一人一杯食べるのがせいぜいだと思います。特に私は胃袋が人並みで、何杯も食べ歩いたりしないタイプです。そんな一杯しか食べない私が、なぜラーメン博物館と呼ばれる様々な種類のラーメンを食べられる場所に来る必要があるでしょうか。(それにご当地ラーメンはご当地で食べた方が美味しいでしょうし)
 しかし、私は大満足して今ここに存在していて、そうしてそれは以前ここに来て良かったと思う人が私を連れて来てくれたからで、つまり、まぁあれだけけんかをした父の価値観も押し付けがましいやり方もまんざらではなかったと言うわけで、と言うかとっても良かったかもしれないと言うことで、そんな事実に私は今頃気がついてしまったと言うことでした。
 これが彼氏とか、友人だったりしたならば、私は今頃気がついたりせず、若い時分からその人の言うがままにラーメン博物館だろうと、うどん博物館だろうと、素直に付いて行っていたと思います。そうして訪れた場所が気に入っても、何の不思議も思わず受け入れたと思います。彼氏ならば、少し惚れ直すと言った程度でしょう。
 父親だから、両親だから意外なのでした。
 意見をまったく無視していたのは、父ではなく、私のほうでした。
 
 
 
IMG_4218IMG_4225IMG_4242
IMG_4238IMG_4227IMG_4280 
↑これが鳴戸町です!!!まさに三丁目の夕日です!!!しつこいですが芸が細かいです。
 
 ここまで、父親との関係性のみに言及しましたが、実を言うと私はけっこうこの傾向があるのです。
 彼氏や友達でも親しくならないと本当の意味で信用しない。だから、ラーメン博物館かよ!みたいなところには付いて行かない。(抽象的な表現だと思ってください)心を許さないと最初から付いて行かないから、逆に親しい相手の価値観は無条件で受け入れてしまいますから、今回のように意外にも不思議にも思うことがないのかもしれません。
 特に年を重ねるとこの傾向が強くなり、これは私だけではないと思うのですが、自分の行動範囲のテリトリーみたいなところが決まって来る。危険(だと思われるよう)な場所や、良く知らないことは、避けるようになりがちです。ある意味、それは当たり前の過程でいいことなのでしょうが、自分の好きなものを食べ、好きなものを見て、好きなことをし、自分であることを貫くのもいいでしょうが、こういうちょっとした意外感とか、不思議感とか、そういうのも面白いものだなぁとしみじみと感じたりもするのでした。
 やはり一人の考えることには限界があり、どうしても狭くなりがちですね。
 自分が普段行かないところに行って、自分ひとりだったら思いも付かないものを観て、着て、食べて、楽しんで、そういうのも、とてもいいものだなぁ、なんて。
 ちょっと枠を外してみようかな、なんて思います。
 たくさんのラーメン博物館が、私を待っているかもしれませんね。
 
 
 
 
 ※ちなみにラーメンの写真撮り忘れました。大変失礼致しました。
 
 

2008年5月2日

求む、明るいニュース! ~せめて北京オリンピックに期待したいですが、それもまた 凄そうですよね…~

 
 
 
 ニュースから目が離せない。
 春真っ盛りだ。新緑が芽生え、鳥がさえずり、色とりどりの花が咲き乱れても、そんな唯一の明るい事柄さえも時勢には勝てない。
 白鳥は死に、チューリップは刈り取られる。恐ろしいニュースばかりがはびこるのだ。
 福田内閣の支持率低下は留まるところを知らず、政局も市場も混乱し、人々は憎しみ合い、殺し合う。地球環境問題は日に日に深刻化して、弱い者は次々と淘汰されていく。
 世紀末だ。滅亡へのカウントダウンが限りなく小さな数に近付いていく。
 
 私はその破滅の形相を見て知ることで食い止められるとでも言うかのように、食い入るようにニュースを見るのだ。
 奇跡を信じて。
 明るい話題はやはり現われはしないのに。
 
 こうなってくると、先日「背筋が寒くなった」と評した福ちゃんの顔がモンスターのように見えてくるから不思議だ。
 化け物じみてきて、恐ろしくなって来る。混乱のドサクサに紛れて、何をいったい進めているのか。私達はどこへ連れて行かれようとしているのか。
 太田総理は即刻衆議院を解散させろと騒いでいたが、何の解決策にもならない予感がする。なにせ新しく政権を取るかもしれない政党があの民主党だ。この現状になんの歯止めの役にも立たない政党だ。なおさら混乱させるしか能がない政党なのだ。実は、これは一番私は頭に来ていて、ふがいなさ過ぎると思うのだった。せっかくねじれ国会になるほどの力を持ったと言うのに、なぜ有効に使えないのだ。何の役にも立たず、いっそうの混乱を招くばかりで、与党独裁(的な法案等政治的活動)の抑止力的効果を果たす存在として何の機能も果たしていない。抑止力的というより本当にすべてを足止めちゃって、むしろ足を引っ張っているだけなのだ。民主党がもう少しマシな動きをしていたならば、今頃は声を上げて総選挙を求めるものを。小沢さんには期待していただけに、残念でならないのだった。
 
 ヒーローはどこにいるのだろうか。
 政治家には頼れない。
 このカウントダウンは、誰かが、ハリウッド映画のようにぎりぎりで止めてくれると信じてみても。
 市民は老いも若きも疲れている。生きているのがやっとの人も多いようだ。
 答えが出ぬまま、勉強する。こうなったら、自分だけでも正気でいようと思うのだ。人々と世の中が混乱している間に、負の財産を大量に背負った私は少しでも追いついて、隙あらば追い越してやろうと企むのだ。少しでも成長して、先へ進んでおこう。亀のように黙々と、兎の暴動を横目で見ながらぼちぼちと。
 しかし、この様子では、たとえ成長して生まれ変わって神のごとき存在に慣れたとしてもだ。
 そんな日が万が一来ようとも、たどり着いたその地は地獄のような予感がする。
 天国がまだ残された世界であることを祈るばかりだ。
 
 ヒーローはどこにいる?
 そんな未来を憂いながら新宿へ行く。
 久しぶりだった。新宿三井ビルの下のキャノンQRセンターにデジカメのセンサークリーニングをしてもらいに行ったのだったが、私はしばらくこの方角を避けていた。東口ではない。
 新宿副都心、超高層ビル街だ。
 かつて上り詰めた成功者の終着点的場所であり、そうしてかつて私にはその地で目映く耀く一人の知人がいた。
 ここは、私の、「悲しみよ、こんにちは」なのであった。
 この高層ビル街に佇むと私は、苦しくて、胸を千切られるほどの哀しい想いが込み上げる。
 ある日、その、一人の知人を殺したのだ。
 
 もちろんサガンの小説のように本当に自殺などしなかった。
 しかし、あの小説がそうであったように、それはやはり事故ではなかったのだ。
 それは、私が抱えて生きていかなくてはならない罪の中で、最も重い、悲しみだった。
 
 副都心は新緑が目映い。
 緑は老木と杉の木だらけの森よりも深い。
 だけど、カウントダウンは外ばかりではなかった。
 いくら抜け駆けしようと、逃避しようと、他人事ではなく。
 私は自分を省みて、ふと思う。
 ヒーローはどこにいる?
 滅亡へと向う音は、内部にも確実にはらんでいて、そして自身がその開始スイッチを持っていると言うことを、誰しも、決して忘れてはならないのだと。
 
 
 
 
     IMG_4064IMG_4072
     IMG_4086IMG_4070
     上左↑新宿のキャノンQRセンター、修理サービスの窓口ですが、クリーニングは無料です。上右、下左都庁です。
     下右↑植えられた木々の新緑が目映く美しかったです。あいにく午後から雨に降られましたが、
     久々にのんびり散歩をして、綺麗に整備された、美しい都市だと想わされました。