2008年6月29日

幸福のダイバー ~写真を撮るのに疲れたので水族館に遊びに行く私の巻~

 
 
 
 新江ノ島水族館に行きました。
 小田急線片瀬江ノ島駅を降りて3分、自宅からそう遠くもないこの場所に私は出かけたことがありませんでした。
 
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「そうだ、水族館へ行こう」
 昨夜、恒例の土曜日のプチ撮影会のロケ地を探していて、ふと思ったのです。きっかけはある写真家の水族館の作品を見たせいなのですが、私は水族館へとっても行きたかった、だけどほとんどまともに見たことがなかった、と言うことを思い出したのでした。思い出してしまったら絶対行かなきゃいけないような気分になってくるから不思議です。撮るためのお出かけは疲れが来ていました。そうではなくて、見たいものを見に行って、行きたいところに行って、ついでに写真を撮ってやろうとむくむくと思うのでした。
 
 やってきて、江ノ島水族館の前にすくと立ち、入場料を2千円払って、潔く。私はふと笑いました。
「これは、休日の大人買いだ」
 そう思って可笑しくなるのでした。
 若いときは今よりももっと人間関係の密度が濃かったので、なかなか思うようには出かけられませんでした。付き合いが多ければ、それぞれが行きたい場所の分母が増し、私の行きたい分子の希望はなかなか反映されません。もちろんそれはそれで楽しかったし、殆どは自分が信頼する友や恋人だったので、彼らが行きたい場所に行くのは私の幸せでもあったのです。
 

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 ただそうやって年を重ねた私自身の行動範囲は狭くなっていて、自分が行きたい場所も思い出せなくなっていたのでした。 
 カメラのお陰だと思います。ただ老け込むところでした。Canonを抱えて私は、やっと大手を振って、かつて行きたかった場所へ行くのでした。年を取るのも悪いものじゃないな、なんて思いながら、贅沢な休日の大人買いをして。
 江ノ島水族館で一番綺麗だなぁと感心したのが、海月でした。これが可愛い。ずっと見ていてもあきません。
 
 
 
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  ↑上・左 海月を見つめるカップルが印象的。 下・右 子供も必死で見ています。
 
 イルカにペンギン、それから相模湾大水槽はやはり迫力がありました。ちょうどそこを見ているときに何かショーが始まるらしく、アナウンスがありました。「並んで前3列の皆さまだけ座ってください」と若いお兄さんも叫んでいます。わからないまま、私も並んでショーが始まるのを待ちます。
 時間になって出てきたのはさっき叫んでいた若いお兄さんとダイバーのお姉さんです。「フィンズ」と言うパフォーマンスだそうで、水槽の中の魚をダイバーのお姉さんが水中カメラで映し出し、その映像を見せながらお兄さんがお客様に魚の生態を教える、お気に入りの魚を見つけてもらい、魚を身近に感じてもらう、と言うような趣旨のものでした。
 ダイバーの方が岩陰から出てきた時は観客がどよめきます。深海のような大水槽の中をすいすいと泳いで様々な魚を映し出します。子供達はエイやいわしの群れや深海魚たちを間近で見れて大喜びでした。
 
 
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↑左・岩場の陰から出てきたダイバーのお姉さん。真ん中・魚を撮ってます。右・子供達のリクエストに応えようと、必死で魚を追いかけます。
 
 
 
 子供達が見たい魚をお兄さんに言うと、ダイバーのお姉さんはその姿を映し出そうと必死で魚を追いかけます。「横からじゃなくて真正面の○○の顔が見たい」なんて言う子供の親からのリクエストもあり、お姉さんは右へ左へ泳いでいきます。
 魚が餌を食べる時の音、と言うものも聞かせてくれました。マイクと餌を片手に持ち、魚が食べる姿を水中カメラに収めるのです。片手でカメラを持っているから時々ぶれます。アクシデントでカメラが曇ったりします。お姉さんは餌を持つ手の甲でレンズカバーをさっと吹いて、魚が食べる姿をまた必死で撮るのですが、たぶん「必死」と思うのは私くらいで、子供達は普通の光景として楽しんで見ていたと思います。私からすると、ひゃ~神業だなぁ、と思えてしまうので、お姉さんの行動がいちいち必死に見えてしまうのでした。いつしか、画面に映し出された魚の姿とお姉さんを交互に見ては応援します。「頑張れ!良く撮れてるよ~!」「もうちょっと右!」「ちょっとボケたよ!頑張れ!」などと心で声を掛けてしまうのでした。
 
 
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       左・餌を食べる音を撮り、魚が餌を食べる姿を写すダイバー。神業に見えました。。。右・魚追いかけ中です。
 
 
 不思議だなぁーと私はしみじみしてしまいます。ダイバーの免許を取って、このように人々を楽しませるためにその技を生かせる人、と言うのはどのくらいいるのでしょう。私の中ではTVでダイバーの方が出てくるたびにチャンネルを変える、と言うようなあまり芳しくない思い出しかないのですが、この方は自分の素晴らしい経験を他の人々の分け与える、そのためのお仕事をしている、そしてその姿を見て私は彼女を応援している、何だろうなぁ。この差は何なんだろうなぁ、と首を傾げるのでした。
 天職だったのか、本人の努力なのか、たまたまの運命なのか。理由はわかりませんが、世の人から見たら幸福な仕事なんだろうな、と感慨深く思います。
 そうして、なぜかダイバーのお姉さんが、かつての知り合いに見えてきて、仕方ないのでした。
 もちろんそんなはずはないのですが、私はいつの間にか、幸運な彼女が私の知り合いで、私は今ずっと彼女を応援しながらショーを見ているのだ、と。何だかそんな気持ちになってくるのでした。
 お姉さんはショーが終わっても、背中を見せません。水槽の中を、私達観客の方向をカメラで撮りながら後ずさり、そうやって前向きで後方に泳ぎながら岩陰に消えていくのです。
 私は彼女が映し出す映像と、岩陰に小さく消えていく彼女の姿をやはり代り番こに見ていました。
 たとえ私と同じ経験をしていても、私の知り合いがこのダイバーのお姉さんのように元気で生きているように思われながら。きっと今頃、たくさんの人々に素晴らしい経験を分け与え、自らの幸福を与えて生きているんだろうな、なんて嬉しく思いながら。お姉さんの姿が消え、ディスプレイの映像が切れるまで、そうして見ていました。
  
 
 
 
 
 
 

2008年6月26日

象の墓場に行く前に。

 
 
 
 今日の23時59分、私がここを休んだとき4ヶ月間ほど続けていたblogのレンタルサービスが終了する。
 基本的に無料だが、写真をアップロードするための僅かなオプション料金を払っていた。
 私はそこを始めるにあたって、数多くの、ありとあらゆる各社のブログを見に行ったのだ。決め手は知名度でもサービスでもなく、使い勝手でもなくて、ただ「そこで書きたい」と思ったからだった。そこはどこよりもきれいで可愛らしい、最高のblogに見えたのだ。文字のフォントや段落、デザイン、文字を表現するための雰囲気すべてが気に入った。そこで書かれる私の文章は、たとえつまらないものを書いたとしても、装丁の立派な本を手にした時のような、素晴らしいときめきを与えられるような予感がした。出来るならB5のノートに書きなぐるのではなくて、私はそんな(素敵と自分が思える)表現空間で文字のロードワークをしたかったのだろう。
 ここに戻ってきた後も、私は僅かなオプション料金を払い続けて、そこを残していた。時々見に行っては、うっとりした。
 いい仕事をしていると思うのだった。私の変哲もない日々の日記は、輝きを増して映し出される。そういう業界には疎いのだが、決して大手ではないと思う。それでも有名どころに負けてないなぁ、と感心しては、そうして郷愁に駆られるのだ。そこで懸命に書いていた頃の、たった4ヶ月の記憶が、愛しくて懐かしいのだった。その場所の表現空間のきらめきとそこでブログを書いていた時の私の心のときめき、未来への根拠のない希望のようなもの、忘れかけていたもの、それらを思い出して必死で追いかけていたあの短い時間の記憶と心情が一緒になって、不思議と哀しいほどに愛しくなるのだった。
 『このたび2008年6月26日(木)をもって、○○○ブログを閉鎖させていただくこととなりました』
 この一文を見た時は、だからずいぶんがっかりした。
 できればずっと残しておきたかったし、あんなにいい仕事をしていても(私にはそう見える)、生き残れないシビアな業界なんだな、と切なくなった。
 ところで、このように、たとえばここは僅かな料金が発生したからいいようなものの、もしも無料のブログサービスが突然閉鎖されたら、それはどういう意味を持つのだろう。ふとそんなことを考える。私のようにここという場所も持たず、一か所だけで書いていた人が突然場所をなくす、としたなら。
 たまたまお知らせのメールを見逃したか何かで閉鎖するにも気がつかず、
「久しぶりにブログでも書くか」
 と、訪れたら跡形もなくすべてが消えていたとしたなら。
 ブログ=日記が消えるということは、「私が生きてきた消息が消える」ということで、今の自分を形成する出来事や過去の記憶や大切な一部を突然もぎ取られたようなそんな気分になるものだろうか。
 私が生きていた事実(の一部)が何だか消えてしまったような。
 不思議な感じがする。そんな大きな意味を持たない人も多いかもしれない。でももし逆に、私が生きているのに突然ブログが無くなるのではなく、ずっとブログは続いているのに突然私が死んだとしたなら。そっちはもっと不思議で、私が消えても「私が生きていた消息は残っている」と言う、そう単純なものでもないように思う。
 顔も知らぬ、リアル世界の知り合いでもない人のブログが突然消えても、ああこの人書くのやめたんだな、というくらいにしか思わないだろうし、だからブログは残っていても全く更新されなくなったとしても、まさか死んだとは思わないし、たとえそう疑ったとしてもその事実は一生知らされることはない。
 更新されないブログはいつしか読みに行かなくなり、時々お気に入りを整理するときにそこは削除され、私の中でその人は、終わる。
 生きていようが、死んでいようが、ブログがあろうが無かろうが、長い間更新されなくなったら私は確かめるすべもない生死の事実を確認することもなく、私の中でその人を消滅させてしまうだろう。もしその人が本当に死んでいて、生きていた証が、足跡が残っているとしても、まるで象の墓場のような意味しか持たなくなってしまう。そうして、周りにはそのように突然ブログをやめる人も数多く存在し、私はもう何人も何人もの生きてきた消息を、象の墓場に送り込んだのだった。
 ある日突然、私の前から人が消える。泣くことも許されない漠然とした淋しさは、段々と感じないように意識して努めるようになり、実際に感じなくなり、当然のように受け止めるのだった。
 みんな、突然、私の前から消えていくのだと。
 そして私も、たぶん、同じように抹殺されるのだろう。
 ある人の中から、突然消えていく。
 ここでしか繋がりがない限り、私の消息を、私が死んだあとも大切に温めてくれる人々と出会うこともなく。
 私は死んだということも伝えられないまま、その人の中から消されていくのだろう。
 それでも私は忘れない、とか、それでもあの人のブログだけはたとえ更新されなくなっても、何カ月も何年も何十年もそこが残されている限り見に行くのだ、そうして、いつかまたふっと書いてくれる日が来ることをずっとずっと待っているのだ、とか。
 そういう決意めいたことを言いたいのではなくて。
 よくわからないが、何だか「それ」が嫌だということだ。
 ここは好きだし、そういう繋がりは信じていても、やっぱり「それ」は嫌だ、と。
 たぶんそう言いたかったのだと思う。
 ただ、あなたの横にいたいのだと。
 
 
 
 
 

2008年6月22日

支援するほど余裕のない今週末の私について。

 
 
 
 雨の週末。
 大抵一週間のもろもろは週末の休みでリセットし、また翌週もがんばろうと言うパワーが生まれてくるものだが、どうも今週はきつい。
 日曜の夜になってもパワーのかけらも見えて来ず、明日は会社行きたくないなぁ、などとぼやいている。
 やはり趣味と言うものは大切なのだ、としみじみと実感する。
 リセットできない理由がもうひとつ。後期高齢者医療制度支援金の額が確定しました。
 介護保険の納付分より多いんですよね、これが。
「年金生活者なのにどうして支援しなければならないのか」
 とニュースで嘆いていた60代のご老人。本当に酷い話だ、可哀想になぁ、と他人事のように聞いていたが、実際自分の健康保険の増えた額を見てみると、まったく他人事ではないことにはじめて気がついてしまうのです。
 税金の徴収額は増え、収入は増えず、(てか減ってる)その上物価の上昇で支出は増すばかり。
 これって、どうなの?と首を傾げる。
 こうなってくると、野党の後期高齢者医療制度のあの有名な批判、
「まさに姥捨て山よりも酷い制度です! 75歳以上の老人は死ねと言うのですか!」
 と言うアレが妙にトンチンカンに思えてくる。
 これって、75歳以上どころかそれ以下もやばいんじゃないの? 
 一部のセレブ抜かしたほぼ全部の国民に死ねって言ってんじゃないの?
 とかね。そんなふうに思われてくる。
 きっと雨のせいだと思う。
 いや、雨を理由に自分の中で先週の宿題分もろもろの感情がリセットできなかったので、何でも酷い方向へ考えてしまうのだと思う。
 普段なら、借金があるうちは死ねないからと、進んで借金を増やす方なのになぁ。
 支出を上回るほどの収入を稼いでやるわい! 見ておれ! と言う例のパワーが出てこない。
 困ったものだ。
 来週末は2週間分の想いをリセットしてやろうと今から企んでいる。
 写真を撮りに遠出しようか。
 雨でも何でも絶対に行ってやろうと思うのだった。
 
 
 
 
 
 ※閑なので写真を加工して遊んでみる。
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元課長・K女史の愛と苦悩の日々 ~花金の先帰り抗争編~

 
 
 
 今日は帰らない!
 だって、今日は、「花金」だもの!
 K女史は目を細めた。すでに仕事は跡形もなくすっかり片付いていたが、絶対先に席を立たないと覚悟を決めていた。
 帰ったあと皆で飲みにでも行かれたら、私の立場がないじゃないの。
 パソコンを食い入るように見つめている。
 
 K女史は昨年定年した。長年勤めていた商社で苦労と努力を重ねて課長職を手に入れて、女だてらに課をまとめて頑張ってきたが、嘱託社員となった今ではその役職も奪われて、ただのしがない一般職である。彼女に任されていた仕事はすでにA子に引き継いでいる。(A子は彼女の次にこの課に長く在籍する27歳の小娘だ)取引先からの貢物はすでにA子の手中に納められる。K女史はそれら銘菓やらビールやら珈琲の詰め合わせやらが営業職の男子社員からA子に渡される場面をにこやかに、しかし一抹のさみしさを覚えながら眺め、皆がすでにこの課の女性リーダーはA子に移ったと認識している事実をまざまざと知らされるのだった。そう、表の課のリーダーとしての顔だけではなく、裏の権力者の地位すらも、すでに彼女の手にはない。
 だからと言って若いもんになめられてたまるものか。K女史はパソコンに更に顔を近づけるのだった。
 私は会社に必要とされて継続契約をしたのだ。A子はK女史の仕事を引き継いだものの、担当を手に入れただけで満足して、実際の業務はK女子に任せきりだ。まだまだ出来やしない。あの子にはまだ無理だ。いきがっているだけだ。私がこの課にいなければ、仕事は廻らない。たとえA子が「萩の月」を皆に配ろうが、私が「ありがとう」と言う立場になろうが、だからと言って、なめられてたまるものか。長年勤めた会社の最後の花道を、(継続嘱託社員契約は1年である)馬鹿にされて終わってはたまらない。飾らずにどうしてくれよう。
 K女史はそう力んでは見たものの、実際の女史は常に明るく、気配りの行き届いたデキた女性であった。上が彼女を残したのもう頷ける。彼女は男性社員と同じように、A子と残りの女3人の若手に惜しみなく尽くしていた。上たるものが下を気遣うのが当然だと心得ていた。朝は早くきて、給湯室へいく。まずお湯を沸かして、皆がいつでもお茶を飲めるように、準備するのだった。課のムードが悪くなれば率先して場を和ませる。ムードメーカーでもあった。しかし、自ら気遣うことと、なめられ見下されてへつらうことは違う、と彼女は思っていた。彼らからの敬意があってこそ、花を持たせてあげることが出来るのだった。ここは譲れない、今日だけは譲りたくない、K女史は思った。
 A子に先に帰る気配はない。突然課の実権を握ってしまったA子は、まだまだその重荷を受け止め切れていない。とは言え、週の最後の一日の最後の最後くらいは新たな自分の座を示したいと願うのだった。派遣社員や後輩社員や新入社員や先輩とはいえ嘱託社員に「お先に失礼します」という気もなければ、「お疲れ様」などと言わせる気はさらさらなかった。そんなハメになったら土日ずっと気分が悪くなる。先に帰るときはA子は何日も前から策を練り、周りを引き連れて上がれるように飲み会を仕組んだりするのだった。(もちろん彼女に反逆的な誰か一人、または少ない数人にだけ「お先に失礼します」と言葉をかけるようにしている)今日は予定を入れていない。K女史の疑心暗鬼をよそに、彼女はさっさと帰えるつもりだったのだが、皆が席を立たないので、固まっている。男性社員は女性陣の無言の権力争いを見かねてさっさと上がってしまった。さて、誰か先に帰らぬものか?
 K女史はそっと振り向いて、後ろの島のA子の様子を伺う。肩に力が入っている。A子も引く気がないことはわかっている。時間は刻一刻と過ぎて行く。定時を30分も過ぎてしまった。7時のNHKのニュースに間に合いそうもない。8時からの太田総理は頭から見たいものだ。
 頼みの綱は派遣社員だ。K女史はA子の斜め前でやはり固まっている派遣社員を見た。目が光る。
 この派遣社員は数ヶ月前入ってきたU子と言う盛りを過ぎた年増の女性だった。K女史は彼女を味方に引き入れることに成功していた。いまや一緒に玉子屋の弁当を食べる仲である。U子が彼女を裏切るはずがなかった。
 言え!散々引っ張って、緊迫感を持たせてから、「お先に失礼します!」と言うのだ!
 K女史は心の中で叫んだ。派遣社員は社員が嫌がる仕事を一気に引き受けている。つまり仕事量が多い。仕事がなくても椅子に権力闘争のためにこびり付くA子たちと違い、本当に仕事があって上がれないのだ。A子はそれが気に食わない。仕事が多いからって、仕事が出来るような大きな面をされてはかなわない。意地でもU子より先に帰るつもりはない。私のほうが重要かつ大変な仕事を任されているのだ。K女史はその社員VS派遣の争いに期待していた。そこで緊迫してくれれば、自分にお鉢が廻ってくることもない。A子だって椅子にこびり付いているのはK女史との利権闘争のためではなく、派遣との沽券闘争のためだということで片付けたいはずだった。無言の圧力による駆け引きはしても、自分を本格的に敵に回す気などないことを知っている。悪意は低い方へ流れるのだった。この緊迫感は派遣がいるうちは大丈夫。彼女が帰ったときが勝負だ。K女史は考える。派遣社員が「お先に失礼します」と言って無事に帰ったら、沽券闘争に勝利を納めたA子は気を良くするだろう。そうしたらこちらに声を掛けてくるかも知れぬ。「Kさん、この間引き継いでいただいた仕事ですが、あれまだやってなくてすみません。(だから帰れないんですね!)こちらでやりますから」などと言うしおらしいことは言えなくても、世間話くらいは気遣って降ってくるかも知れぬ。そうしたら、二三言葉を交わして、場が和んだところでさっさと上がろう。太田総理に間に合わなくなる。もうそこまで来たら先に帰ってもかまいはしないだろう。いや、もしかして上手くいけば、向うが先に席を立つかも知れぬ。もしそうなったら月曜日こそは引き継いだ仕事をやってもらおう。
 K女史は口元を緩めた。相変わらず目はパソコンに釘付けであるが、後ろの島の気配に全神経を集中させている。
 派遣社員はまだ帰らぬか。
 派遣のU子は定時に終わらぬほどの仕事を抱えながら、残業すればするで「能力がない」と冗談めかして皮肉を言われるしがない立場なので、普段は一切残業をしないようにしている。ところが金曜の今日たまたま仕事の区切りが悪くて15分遅れてしまった。そうしたら無言の圧力闘争に巻き込まれてしまって、困惑しているところだった。ここで上がるのも何だかシャクである。そんな気分にむくむくなっている。なぜお前らは仕事がないのに、上がらないのか。その上、こっちが気遣ってへらへらと挨拶して帰らないといけないのか。何だ社員。とそんな気分に陥っている。
 A子は敏感にその気配を察知して、肩を怒らせている。隣の新入社員も参戦する。U子の横の入社3年目の社員もパソコンをじっと見つめている。いつもは派遣を除いて社員3人で世間話に花を咲かせるのだが、今は3人とも無言である。社員VS派遣の構図がどんどん際立ってくる。3対1だった。このままではやめる気でもない限り、U子がさきに折れるしかない。
 K女史はただ待った。時が熟すのを。派遣が席を立った。彼女の横を通り過ぎてトイレの方向へ歩いていく。戻ってきたら帰るだろう。無言の中、あまり急に帰るのも唐突なので、ワンクッションを置いているに違いない。振り向くと彼女のデスクの上の鞄が見えた。最近ロッカーの鍵が壊れて鞄をデスクの引き出しに入れているのだ。やっぱりそうだ。帰る気だ。太田総理に間に合いそうだ。ふふ。笑みをこぼす。
 5分立った。10分立った。
 ずいぶん長いトイレだな。K女史は不思議に思い始める。15分が過ぎた。無言でパソコンを見つめるには限界の緊迫感であった。思わず振り向く。
 見ると、鞄は消えて、派遣はいなかった。
 U子が帰ったのだ、と認識するまで、しばらくの時間がかかった。
 あいつ、ばっくれやがった。
 K女史は青ざめた。社員VS派遣の抗争はいつの間にか終了していた。この緊迫感は元管理職の自分と女子社員A子(達)とのものとすでに変わっていたのだった。
 おまけに派遣に無言で帰られてコケにされたA子は、ついさっきよりも肩を怒らせているではないか。
 K女史は色々なことをぐるぐると頭の中で計算したあと、観念して顔に満面の笑みを作る。大きな声でこう言った。
「あら~A子ちゃんまだ終わらないのぉ~?」
「ええ、この間引き継いだ仕事がまだ覚えられなくて」
 A子がむっつしりた硬い表情で答える。
「しょうがないわね~」(笑顔)
「覚えが悪くて・・」(むっつり)
「手伝おうか?」(笑顔)
「すみません・・・」(むっつり)
 K女史は笑いながら、がっくりと肩を落とす。負けた。またしてもA子にやられた。頼みの綱の派遣は逃げた。私がやらねば誰がやる。
 定年を過ぎた元課長のK女史は、今日も週明けでもいつやってもいい仕事を定時を過ぎてから抱え込む。世間話を降って場を和ませる。緊迫感が消えてなくなるまで。
 彼女はため息を吐く。年長者に対する敬意は本当にあるのだろうか。
 しかし、痛み分けだ。そのあとA子が他の女史社員を誘って食事に行くことはなかった。お茶に行くこともましてやK女史に対するちょっとした愚痴を言うことも。
 K女史の金曜日の面目は保たれている。
 
 
 
 
 
 

2008年6月15日

自分を信じる私、自分に疑問を抱きながらぶつくさ文句を言って懐かしい北鎌倉 を歩く、の巻。

 
 
 北鎌倉の円覚寺と明月院に行って来ました。
 北鎌倉のホームに降り立って気が付いたんですが、私が幼い頃住んでいたのは横須賀線(通称スカセン)沿いの町で、この辺は子供の頃に良く来た覚えがある、または来たことがあると見間違うほど当時住んでいた町の雰囲気に良く似ている、と言うことでした。本当の記憶か、記憶のすり替えか、いまひとつはっきりしないのですが、無性に懐かしい想いが込み上がってきます。
 まるで江ノ電のような、住宅街の細い道と直結する小さな改札を出ると、線路沿いのその道は、人々がぞろぞろと歩いています。皆あじさい寺へと向うのうです。
 
 

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 今日は正直写真を撮りに出かけたくありませんでした。映画を観たり、本を読んだり、他のことをしてのんびりしたい、そう切実に思ったのですが、まるで義務感に縛られたように家を出て、そうして学生時代の部活動を思い出していました。いやだいやだ、時間がワープすればいい、と思いながら練習して、全然楽しくなくて、ただ苦しくて、でもある日気がつくと、チームメイトの誰も筋力が付いていたり、ライバルより早く走れたり、いいシュートを決められたり、それまで敵うことのなかった強敵のチームに簡単に勝ってしまったりする。その瞬間は決して見ることも知ることも出来ないのですが、苦しい日々のなかふと気がつくと、いつの間にか今までの一線をすでに飛び越していて、今までの自分の限界を超えた力をつけている、と言うことがよくあったのでした。
 不思議なことに、ずいぶん長いあいだ私はこの感覚を忘れていて、そんなんで今まで良く生きて来たなぁと思うほど、まったく成功体験を味わえないまま、苦しいだけの日々をただ過ごしていたのですが、年を取り、この齢になって初めて、感覚がよみがえってきたのでした。
 これを続けていれば、いつか必ず越えられる。
 疑いもなくそう信じて、北鎌倉に降り立ちました。
 ところでなんで写真を撮るのが今回そんなにいやだったかと言うと。
 
 
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 カラー写真にチャレンジしたからです。
 あっさり単純、馬鹿みたいな理由ですが、どうもモノクロの時と違い撮っていて楽しくないのです。もちろんカラーならではの色や光の美しさも捨てがたい、だけどピンと来ない、色の綺麗な写真は写真愛好家なら誰でも撮っているし、別に私が撮らなくてもいいのではないか、私が表現したいものとは微妙に違うようだ。ならばモノクロだけで撮っていればいいのでしょうが、やはりモノクロは表現の幅が狭いのです。もっと正確に言うと、表現の幅の狭さによって評価される幅も狭いのです。私の表現になど興味のあるものは限りなく少なく(と言うか誰もいないかも)、私を知らない誰が見ても美しく感じられたり、風景を楽しめたりする写真の方が「よし」と評価されるのです。もちろん私は評価されるためだけに写真を趣味としているわけではないのですが、だからと言って自己表現のためだけに写真を撮っているわけでもないと思う今日この頃、やはりマイノリティーを極めるためにはマジョリティーを超えていたいと思います。そこを通過して初めての個性ではないかと。多くのものが評価する写真を撮れないものに、表現する自己があるのか、ってことで。こうして「ここ」では他を意識せず好き勝手なことを書かせていただいている私だから、他の場所では他を意識していたい、常に。そんなふうに思うのでした。
 しかし、カラー写真はどうしてこう私らしさを排除するのでしょう。誰が撮っても同じ写真じゃないか。ぶつくさと独り言をいいながら、丁寧に写真を撮ることだけを念頭におき、誰が見ても綺麗な、それが無理ならせめて誰にも不快感を感じさせないだけの普通な作品を心がけます。
 だけど、つまらない、まったくつまらない。撮っていてもただ苦痛です。
 
 
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 長年成功体験をしていないせいか、私が疑いもなく信じていることは間違っているのだろうか。
 自問自答します。夕刻にもなると、どうも怪しい。
 すでに「疑いあって信じていること」に変わっているのでした。我ながら可笑しくなって、苦笑いをします。
 見えなくても、進まないように思えても、歩き続けるしかないのです。
 私の道は私しか歩けません。
 
 
 
 
 

2008年6月14日

ブサイクで彼女がいないから犯行に走ったと言う秋葉原通り魔殺人犯は、だけど 俗的な理由を一切排除した化け物だと思う件について。

 
 
 
 秋葉原の通り魔殺人犯は自殺願望者だったそうだ。
 とあるブロガーの記事で知ったのだが、だからあの事件を起こした、と言う、その結論を導くために彼女は具体的な数字を挙げている。各国の人口当たりの自殺者の割合や、日本の自殺願望者の割合(これは推定)や、自殺者の多い社会状況の説明としてその年のGDPや所得の減少値など、正確で具体的だと感心しつつ、たどり着く結論にまったく共感できないのでせっかくの数字がまったく意味をなさないのだった。(もちろん私の場合である、自殺願望者だと言う意見に同感される方は多いと思う)
 私からすると、人を殺したかった、とか、有名人になりたかった、とかいう理由と同じくらいそれはありえない話だ。
 あの犯人が自殺願望者であるわけがない。自分が死にたいから無差別に人を殺してしまった、そんなわけがない。そんなタマだろうか。もちろん死にたいと言う理由もあったかもしれないが、それがすべてだとは思えない。あの犯人は、平和な、休日の光景を、叩き壊したかったのだ。
 歩行者天国と言う人々の楽しい休日の象徴を。彼が決して存在し得ない世界を。彼なしで今までもこれからも存続するであろう楽園を。
 その世界の風景を永遠にぶち壊してしまいたかったのだと思う。
 
 ところで、今日の太田総理(TV)でモンスターペアレントの話が出た。
 給食費を払わない親が増えていて、その理由というのがまた非常識で理不尽だと言うのである。
 車のローンに追われている。
 出してくれと頼んだ覚えはないから。
 義務教育だから。
 他にも払わない人がいるから。
 給食費をなぜ払わないかと言えば、最後の理由がダントツ一番だと思う。もちろん具体的な数字は知らないが、(試しに調べてみたが見当たらないので根拠のない仮定を続けてやろうと思う)日本人は他に倣う傾向がある。たとえ自分の本意でなくても、みんな(周りの人々、集団)がやるなら自分も同じようにやるし、どんなにやりたいことでもみんながやらないことなら決してやらない。
 個よりも集団の意志を重んじるという民族特有の素晴らしい特徴は、同時に、自分の意志を持たず流されやすいという悪い側面を合わせ持つ。そして、良い面が活かされて、素晴らしい力となる時は、たいていその集団意識が誇りとなる場合だ。日本人は誇り高い。恥を嫌い、名誉を重んじる。そのためにはどんな苦労もいとわず、努力を続けるのだった。
 給食費をすべての親が払っていた貧しい日本の頃、給食費を払わない子供は恥であった。それはイコール払えないという貧しさの証しだった。彼らは容易に蔑みや嘲笑や非難の対象となった。恥は子供たちから親へと伝わり、世間から白い目で見られ、後ろ指を指され、最悪の場合は地域社会から排除されるというような、社会的制裁を受けることもあったと思う。だから子供たちは恥を受け入れることを拒み、(映画ALWASでもあったように)健気にも、給食を食べないのは自分の意志であるかように装ったのだ。
 しかし今は払わないことがもてはやされる時代である。
 払わないことは貧しさの証明にはならず、給食費よりも外車のローンのほうが大切だと主張しても蔑まれはしない。唯一「モンスターペアレント」という言葉だけが、社会的制裁としての意味を持って、人となりを評価されるが、それだって戦後の給食費を払わない場合の比ではなく、決して彼らの誇りまでは傷つけはしない。逆に彼らは「払わなくても済むものを払っている真面目な親たち」と、他を蔑むことさえ出来るのだ。
 恥にもならず、名誉も侵されず、誇りを保っていられるのならば、「モンスターペアレント」が増えたって何の不思議もない。
 かろうじて面子を保ち、しかし決して誇りとして昇華しない集団意識は達せられないまま代償を授かるのだ。私は悪くない。みんなやっている。思考を停止し、怠慢からの選択を肯定し、民族特有の危うい側面へとシフトする。
 暴力では解決しないならば、魂を蝕むような陰湿ないじめが増えたって何の不思議もないだろう。
 貧しいという現象が意志ではないならば、制裁が増えたって何の不思議もないだろう。
 犯罪者は増える一方だ。
 
 それは、「犯罪」なのだ。
 
 残虐で異常な犯罪は以前もあった。それらは暗黙のうちに、家や地域の恥辱として、歴史の汚点として、葬り去られて来たのだ。今のようにもてはやされることなどなかっただけだ。
 たとえモラルがなかろうと、それが残虐であろうと、罪であろうと、
 「だってみんなやってるでしょ?」
 今は決して恥ずかしくなどないのである。
 
 秋葉原の怪物は、私達の偽りの世界をぶち壊したかったのだ。
 せめて貧しさ(人々との格差)を恥として受け止めないだけの、誰かがいれば違ったのだろうが。
 哀しくもそのような対象はなく、自ら選び取ることすらできなかった。
 恥辱に満ちた、そのくせ決して彼を受け入れることのないこの楽園を。
 誇りを持って、たたき壊したのだ。
 私たちは平和ボケしすぎているのではないだろうか。
 現代社会の産物とするのは簡単だが、その前に自らを疑うことは必要だと思う。
 彼は私たちひとりひとりの意思が作り上げたものではないのか、そんな風にも思うからである。
 
  
 
 
 
 
 
 

2008年6月12日

秋葉原通り魔事件の犯人がスレッドを立てていた掲示板全文を読んで思うこと。

 
 
 「強くなると言うことは、痛みに対して鈍感になると言うことだ」
 
 
 秋葉原の通り魔事件、ニュースを見るたびに悪態をつくのだ。
 ひでぇなぁ・・・ そんなに世の中がいやならひとりで死んでくれよ・・・
 いつしか、ため息に変わるのだった。
 
 金がほしい。女とやりたい。有名になりたい。
 
 格差社会のせいだとか、身勝手な犯行だとか、逆恨みだとか、どうしても短絡的に結論付けられない。
 いつもと違う。どこかが。
 私には犯人が泣いているように思えてくるのだ。
 
 行きつけのオフィス・マツナガさんのところで、犯人が犯行前に書いた掲示板の全文を読んだ。
 パズルの最後のワンピースが手に入ったかのような気分だった。
 読んだ後、私はしかつめ面になって、ぼんやりと煙草を吸って、それから泣いた。
 
 私達は、どうして彼らを救えないのだろう?
 
 排除され、淘汰されていく、持たざるものに対して、私達はいつでも何も出来やしない。
 自分でどうにかできなかったのか、と歯がゆく思ってはみても、彼らはこちらに手を差し伸べることさえないのだった。
 そんなものに対して、私達はいつでも見ているだけしか出来ない。
 
 でも、どうして私は救えないのだろう?
 
 傷はいつしか風化され、硬いイボとなって感じなくなり、やがて忘れていくのだ。 
 仕方のないことなのだと。
 他人のことになどかまっていられやしない。いちいち他人のことで胸を痛めていたら、生きてなどいけないと。
 割り切って。無感覚に陥って。
 そうして、事件を見て、悲惨さを知って、TVを指差しこう言うのだ。
「なんて、酷いやつだ!」
 
 誰も死ぬこともなく、誰も殺すことのない、別の選択肢がきっと有り得たはずで、私達ひとりひとりが、たとえひとりひとりは無力であっても、ひとりひとりの少しずつの力によって軌道修正ができたならば、きっとそれを選ぶことが出来たはずなのに。
 私は私の側の人間である彼(犯人)に対して何もしてあげられなかった。
 
 すべての傷は時間とともに癒されていく。
 しかし、傷は風化させるだけがすべてではなく、たとえ癒されなくても、剥き出しの痛いままの姿でも、だからこそそれを持つからこそ強くなれるときもあるのだと、そんなふうに思った。
 すべての持たざるもののために、彼らの涙のために。
 このような哀しい事件が、二度と起こらないように。
 人はもっともっと痛みを覚えていていい。
 弱いだけの私は、すべての痛みのために、泣きながら、そんなふうに思ったのだった。
 
 
 
 
 
 

2008年6月8日

景色の中の花と続く道の中での私と。

 
 
 恒例の撮影旅行へお出かけです。
 今日は紫陽花を撮りに江ノ電周辺のお寺を巡ってきました。
 

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 いつもなら撮りながら何かしら疑問や想いがふと浮かんで来て、その心の引っ掛かりを掘り下げたり、文字化して構成を組み立ててみたりして、夜のブログに備えるのです。ところが今回はそういうテーマとなるものが何も得られないまま、夕刻を迎えました。帰り間際に思い出して、あっと呟きます。よほど無心で撮り続けていたと見えます。
 思えば本格的に写真を撮りに出かけられるのは久々のことでした。
 私が唯一趣味の時間に当てられれる土曜日は、ここ二ヶ月ほど雨が降ったり曇ったりで、写真撮影に必要な光が得られない状況が続きました。天気予報を見て遠出する気にもならず、近場で短時間に済ませてしまいたくなるような機会が続いたのでした。
 今日の天気予報は晴れのち曇り。お日様のマークを見て、私は小躍りして喜んで、旬の紫陽花を撮りに出かけようと心に決めたのでした。
 ところで紫陽花は雨期の花だから、久々の晴れの日に意気揚々と撮影に出かけるまでもなく、雨に濡れた風情ある姿をこそ撮るべきものかもしれません。しかし私は雨の日に撮影旅行へ出かけられるような装備も経験値もありません。雨と曇りは近場、晴れは遠出、とおのずと決まってしまいます。晴れたに日に、本来の姿ではない紫陽花を撮りに行くのだから、紫陽花の花そのものの美しさや風情は求められない、ならばどういう状況下でその花が咲いているか、その絵の美しさと風情を写し撮れるかどうかが勝負だ、そう漠然と考えます。
 

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 花のマクロの世界は、人で言うと、その人の個性やその人の世界そのものです。
 強烈な突き抜けた世界観を持つ人に対して、私は敬意を覚えるたちなのですが、私自身は意外と臆病で、周りの中でその人の世界観がどう映るか、人々や場の状況によって活かされたり死んでしまったり、そういう適応反適応の変化を常に意識しています。自他共に、適応し、活かされた状況の独自の世界観のみをよしとする傾向があるようです。またその逆に人はまったく無個性なものでも、周囲の人々や状況によって異質に浮かび上がる場合もあります。これは当人の個性や世界観ではなく、強烈な世界観のものが活きたり死んだりする場合とは違う要素での組み合わせの妙で、周囲との適応不適応の度合いではなく、周囲の非適応のようなものでしょうか。原因は自己になく、他の存在から反逆を受けるかのように相容ることが不可能な場合です。
 写したい対象を最初のケースで捉えるか、後のケースで捉えるかで、花の写真も変わるのでしょう。花(の世界)を周囲の状況によって活かす、もしくは周囲の状況を通して際立たせる。出かける前は確かにそんなことを考えていたはずなのですが、なのに私はまったく無心で撮り続け、気がついたら、夕刻なのでした。
 撮りながらずっと、念頭に浮かんでいたのは、計測器のことです。
 つまり、絞り、シャッター速度、ISO感度、露出補正、それらの数字を上げ下げして適当な光量の絵を撮ること。それとカメラポジション、カメラアングル、フレーミングに光の向きを考えること。私の頭の中は少ない経験値からその適正値を計り続けていたのでした。漫画で描いたら、カメラを構えるたびにカシャカシャと頭の中で数字を叩く音が聞こえてくるかのような具合です。
 実際自分がしようとしていることと、実際自分がしていることとは雲泥の差があります。
 私は心無い、計測写真を撮り続け、しかしこれが今の私であって、未来の私を作る経験値になるのだと自分を慰めます。
 とりあえず、写真を撮るということの理論がわかってきたので、それだけが救いでしょう。
 私の旅はまだまだ続きます。
 
 

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2008年6月2日

「生首仁義」と夢のカルフォルニア

 
 
 
「自ら死を選ぶことも出来ない、かと言って生を享受するでもなく、何の目的もなくただ死んだように生きている。そんな君に自殺した友人を非難することが出来るのか。少なくとも友人は死を選べたのではないか」
 昔見たドラマで、KinKi Kidsの堂本剛が小木茂光演じる面接官にそんな言葉を投げつけられて、会社の面接にこっぴどく落とされるというシーンがあった。面接でそこまで深い、生死に関わる話をするのもどうかと思ったが、なぜか心に残っている。脚本は「ちゅらさん」や「ビーチボーイズ」の岡田惠和さん、タイトルは「夢のカルフォルニア」だったと思う。
 同窓会で久しぶりに会った友人が自分の目の前でビルの屋上から飛び降りて自殺する、そんなショッキングなシーンで始まるこの物語は、確かこのようなことが言いたかったのだと思う。
「あなたは生きたくて生きていますか? 死にたいのに生きているなら、死んでいるも同じことこと。それでも死ぬことなく生きているなら、死ねないならば、ならばもっと必死に生きてみましょうよ」
 もしくは、「自殺者はお前らよりよほど立派だ」。
 生きていたいわけでもない、望んで生まれたわけでもない。だからと言って即死ねるかどうかが問われていたように思う。恐れを克服し、自分の体を傷つけて死ぬことが出来る、残されたものの痛みも考えず、いやそれよりも強く純粋に、生を選べないなら死を選ぶ、その選択が出来るかどうか。
 ドラマの主人公の堂本剛は確か死を怖ろしいと思うのだった。友人の死にショックを受け、無残に残されたものの痛みを感じながら、しかしそれでも非難できず、友人を羨ましく思ってしまう自分がいる。彼には出来なかった。出来ないことを友はしたのだった。
 出来ないならば、生きましょうよ。もっと。
 創り手のそんな語りかけが聞こえてくるようだった。
 
 
 
 三吉演芸場に行ってきた。大衆演劇を初めて見に行ったのである。
 オープニング、幕が開いて、ぶ厚いメイクとかつら姿のど派手な役者さんたちを見たときは驚いた。まるで新宿のホスト軍団が何を思ったか白塗りの化粧をして、家の近所のスーパーで買い物をしている私の目の前に突然現われたかのような衝撃であった。買い物カゴを落とす。なぜ、ここに。彼らが。こんな格好をして私の目の前に現われたのだろう、と思わず自問自答してしまう。当たり前の状況を飲み込むまでに時間がかかるような、相容れない違和感。突拍子もなさに唖然としてしまったのだった。三幕目の歌謡ショーの頃には違和感と独特の世界観にすっかり馴染んで、お気に入りの役者さんにぼーっと見惚れては甘い歓声をあげてしまう有様だったが、はじめは引いた。二幕目の芝居がまた凄い。
 「生首仁義」と言うのだった。
 生首とはもちろん死んだ人間から切り取られた首のことである。生首を賭けたやくざの仁義の物語だ。たぶん舞台は江戸時代だろう。
 気の弱いやくざの三代目が、敵方のやくざの一味の姦計によって不祥事を起こし、その尻拭いのために自害すると言う内容なのだが、なにしろ虫も殺せぬほどの意気地なしの三代目と言う設定なので死ぬまでが長いのだ。「恐いよ、恐いよ」、「ひとりで死ぬのはさみしいよ、みんなに逢えなくなるじゃないか」と駄々をこねて泣くのだった。二代目の兄に諭されて、死を受け入れるまでがまず長い。そのあと、実際死ぬまでがまた長い。腹に匕首を差し込み、一文字に切りつけ、散々叫ぶ。「生きているときは根性なしだったが、死ぬ時は立派だったとみんなに伝えておくんなせぇ~」だの、「仮にもやくざの三代目、これくらい痛かねぇ~ってことよ~」と大見得を切る。それでも死ねずに、最後は自らとどめを刺す。最初は恐がって嫌がるのだが、結局覚悟を決めて自分の首を切りつけて、頚動脈を断ち切るのであった。「おっとさんとおっかさんが見えてきた。もうおいらさみしくねぇや~」(大見得)
 私は尻がむずむずして仕方なかった。
 大衆演劇にしては、やけにグロテスクじゃないか。
 男の仁義、強いてはそれを全うするために死を恐れず、進んで受け入れることの潔さを描いているのだろうが、どうもいけない。私がむず痒がって引いている間、周りの常連のお客さんたちはすすり泣きをし、何度も何度も涙を白いハンカチでぬぐっているのだった。
 私は堂本剛のドラマを思い出していた。
 死を恐れず、肉体を傷つけることの痛みも恐れず、自ら死ねるということは凄いことなのだろうか。
 惰性で生きることよりよほど価値があり、惰性で生きるものより評価され敬意を払われることなのだろうか。
 お国のためとか、組織のためとか家族のためとか、この芝居の場合は仁義のためだが、死を選ぶ理由にもよると思う。しかしそうではなくて、この芝居を見ていると、自らを切りつける勇気のある行為そのものを美談としているように見えてくるのだった。
 確かに三代目は頑張っていた。命のともし火が消えるまで、恐れと痛みと戦い、必死に自分を切り付けた。もともとは心優しい、根性なしの臆病者だ。年配の観客たちが泣くのも理解できた。彼は誰にでもいずれ訪れる死を恐れることなく受け入れること、死後の世界の素晴らしさまでもを観客達に訴え、諭してくるのだった。
 
 すすり泣きの老人達は立派に大往生していくのだろうか。
 死を受け入れることは怖いことではない。立派なことだ。あの世はこの世よりもいいところかもしれない。待っていてくれる人たちもいる。
 夢のカルフォルニアが聞こえてくるようだった。
 舞台が終焉に近付いて、私は大きな拍手を送る。相変わらず尻をむず痒く思いながら。
 あんなふうに自分の体を切り付けて果てるものと、他人の体をバラバラに切り刻んでトイレに流すものと。
 何か違いはあるのか、理解できぬまま。
 
 
 
 
 
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左・劇団KAZUMAの座長さんです。右・三代目を演じた東乱平さん、女装をすると別人のように美しかったです。
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舞台が終わったあと。役者さん全員で出ていらして、お客さんを見送り握手をくださいました。私も座長の一馬さんと乱平さんと握手。