2008年7月27日

「葛飾柴又散策」 ~炎天下の中、相対性理論を否定しながら必死に七福神を巡 り祈る私の巻~

 
 
 
 テレビをつけるとかぶりものをした明石家さんまが喋り倒していた。今年の27時間テレビ(ひょうきん夢列島)のテーマは笑顔、何かと暗い話題が続くので、さんまさんの笑顔で日本中を明るくして欲しいと言うことで、19年ぶりに総合司会に抜擢されたそうだ。
 確かさんまさんはもう50歳をとうに超えていると思うが、素人や若手やアイドルをいじって、寝ずに喋って、良く頑張るものだなぁ、と感心してしまう。この危機的状況の日本の救世主として選ばれるのが、彼なのだから、中高年も捨てたものではない。私も頑張らないとなぁ~と励まされるのだった。
 しかし、ふと考えると、中高年や老人に頼ってばかりが現在の日本のような気もする。老人が死んだら農業も漁業も工業も伝統芸諸々もどうなってしまうのだろう、と心配する今日この頃、中高年と老人が溢れている「葛飾柴又」に遊びに行ってきた。
 
 
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 左・柴又駅です。懐かしい雰囲気が漂います。中・帝釈天へ向う参道の入口。右・参道から帝釈天を望む。
 
 
 今回は柴又七福神を制覇してやろうともくろんで朝早くから出かけた。いつもは午後近くからやっとのことで出かけるのだが、こう毎日殺人的に暑いと、比較的安全な時間帯は午前位しかないと思われる。七福神めぐりで死んだら洒落にならない。朝からとっとと廻ってしまおうと、前回の失敗から学んだ「凍らした水」とリュックとCanonを抱えて京成線に揺られるのだった。
 柴又七福神は全部まわるのに約2時間かかる。観蔵寺(寿老人)→医王寺(恵比寿天)→宝生院(大黒天)→万福寺(福禄寿)→帝釈天(毘沙門天)→真勝院(弁財天)→良観寺(宝袋尊)と続く。寅さんで有名な柴又の帝釈天は、この七福神の毘沙門天に当たるのだ。京成高砂駅からスタートし、七福神の観蔵寺、医王寺、宝生院、万福寺、帝釈天、真勝院を廻って、寅さん記念館の隣にある山本亭に行って、江戸川の矢切の渡しを見て、七福神最後の良観寺でお参りをして、柴又駅近辺でお昼を食べて帰ってこようと予定を立てる。終了予定は13時、さて、ずいぶん強行突破のスケジュールだったが、巡れたのか私。
 
 
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 上段・左から観蔵寺、医王寺。中段・左か宝生寺、万福寺、帝釈天。下段・左から帝釈天、真勝院、良観寺。
 
  
 
 無事、制覇してきました。タイム的にも最終地点の柴又駅に辿り付いたのが13時15分頃だったのでクリアと言ったところでしょうか。本当は12時には終了し、お昼を食べて13時のはずだったのだが、まぁよしとする。
 一番大変だったのは、メインの帝釈天のひとつ手前の万福寺。これがどう歩いても見つからない。(狭い下町の住宅路にぽつりと立っているので、簡素化された地図では見つけにくいのだ)柴又の4丁目の境から8丁目の境までぐるぐる歩いていて、やっとのことで見つけたときには、あった!と大喜び、「柴又6丁目に自信あり!」と、そんなところに詳しくても社会的に何の役に立たないがなぜか詳しくてまた詳しいことがやけに嬉しいと言う変な人の境地に陥るほどだった。あれだけ6丁目をぐるぐる歩いたよそ者(他県民)は私くらいではないか。この万福寺の思わぬ誤算で、大幅に時間が押し、太陽がじりじりと真上へと上がって来た。山本亭から江戸川河川敷に出る頃がピークだ。真昼頃、炎天下の中、日陰が何もない、駄々広い道を延々と歩くのがかなり辛く感じた。家に帰ると肌がぴりぴりして真っ赤だったが、たぶんこの河川敷で焼けたのだと思う。
 
 なぜそこまでして七福神を巡りたかったのか、別に秋や冬でも良かったのではないか、と思うのだが、これが理由が良く分からない。なぜか、今回りたかった。七福神の神々に願いを込めて来た。切羽詰った至急の頼みごとでもないが、なおざりには決して出来ない大切なことを、今この時期に願いたかった。周りからの期待度はまったく違うが、多分さんまさんが一生懸命笑うのと同じようなことなのかもしれない。
 
 それと下町。前回森山大道さんの素晴らしい写真に刺激を受けて、大好きな下町をあんなふうなモノクロで撮ってみたいなぁ、と思ったのだった。
 結果は散々で、相変わらずの私らしい写真しか撮ることができない。どうにか視点を変えて、心と技を磨いて、今までのパターンを超えない限り、「あの域」には一生かかってもたどり着けないのだろうなー」としみじみ思う。しかし、そう絶望的でもない。最近、私はアインシュタインの相対性理論と言うものをあまり重要視しなくなった。
 正式に言えば、その感覚のようなこと。私は事実よりも感覚を実際とみなしすぎる傾向があって、つまり大抵は「自分が思うほど悪くない」ことが多いのだった。
 毎夜走るマラソン、軽快に気分良く走れた日よりも、苦しんで苦しんで先へと続く一歩がなかなか出なくて、もっと先へ!もっと!と焦る日の走りのほうが、タイムは良かったりする。もちろんそういう日はタイムが悪いことも多々あるが、それでもそれが100パーセントではない。感覚によるすべてが時間的事実や真実より勝ることはまずないのだった。
 どんなに進んでないように思えても、前とは違う。努力した分は決して無駄にはなっていない。進まなくて、イライラして、放棄しそうになるときは、たとえ自分の目には見えなくても、前に進んでいる、必ずそうなのだと言うことを思い出すと、どこかほっとする。よっしゃ、また歩こう!と言う気持ちになれる。走れないときはそれでもいいのではないか。一歩ずつ確実に進んで行こう。
 
 
 
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 上段・左・帝釈天の参道。情緒溢れる商店街が立ち並びます。下段・山本亭と矢切の渡し。江戸川河川敷はとにかく暑かったです。
 
 
 
 最後に寅さんを撮って帰宅です。「さくら、おいちゃん、達者で暮らせよ。また来るよ」って感じでしょうか。柴又駅前に優しい目をして立っていました。
 柴又散策楽しかったです、寅さん。また来ますね!
 

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2008年7月21日

森山大道とゆるい深川散策の私的格差の巻

 
 
 
 今週末のプチ撮影旅行は、深川・門前仲町に出かけてきました。
 私は下町の風景が大好き。今週末、ちょっとした出来事があり自分の中でひとつの区切りをつけていました。「モノクロ解禁!」
 好きなものだけにこだわってばかりいてはいけないと、あまり興味のわかない被写体や苦手な撮りかたにも挑んでいましたが、これからは思うままに好きなもの撮っちゃうもんね~!とばかりに大好きな下町に出発。谷中、本郷、深川、どこへ行こうかと悩んで、ちょうど前日に(タレントの)DAIGOの深川散策ロケを目にしたことを運命のごとく感じて、深川へレッツゴー☆してきました。
 
 

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 地下鉄、門前仲町の駅を出るとすぐに赤い大門が目につきます。成田山新勝寺東京別院、深川不動の入口で、この大門から深川不動不動堂までの参道百五十メートルは「人情深川ご利益通り」と呼ばれているそうです。と、事前に下調べして行ったのですが、大江戸線を出ると、都心メトロ駅特有のビルに囲まれた駄々広い道路が交差しており、商店街もちらほら、全然下町っぽくない雰囲気に愕然。おまけに赤い大門など見当たりません。永代通りと清澄通りの交差点を渡っては戻り、また渡っては戻り、田舎もの丸出しで行ったり来たりうろうろします。呟くのは「赤い大門、赤い大門・・・」。
 ないじゃん!
 この日も相変わらず暑い日で当然30度超え、熱射に晒されてイライラしてきました。交差点でお兄さんが不思議そうに眺めていますが、気にする余裕もありません。日陰に避難して下調べの資料と、清澄通り沿いにあった現在地点の書いてある地図を見てやっとのことで位置関係を把握します。どうやら地下鉄の門前仲町と言うのは、東西線のことを言っているようで、大江戸線でやってきた私はだから出口を出てすぐに大門を見つけることができなかったようです。1分歩いて、すぐに大門発見。たったこれだけのことに、汗を滝のように流します。
 散々苦労したからこの大門を撮ってやろう、と勇んで思えば真ん前にでかいワゴン車が止まってるし、待っても待ってもどかないし、ちょっと先が思いやられる深川ツアーでしたが、終わってみると、妙にあっさりしたものでした。
 目当ての箇所(撮影スポット)は、そのあと、大門の悲劇(?)が嘘のように、あっさり見つかります。特に調べなくても、歩いていたら目印の看板が見えてきます。人も少なく、撮影も苦労しません。また撮ること自体もまったく深く考えず、楽しみながら撮ることが出来ました。
 
 
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 上の段、深川不動堂と富岡八幡宮です。中の段、真ん中・八幡橋、右・日本一大きい神輿。下の段、伊能忠敬伊像と大関力士碑。
 
 
 勇んで出かけた割には妙にゆるく楽しんで来ました。やっぱり下町は癒されるのかな、と思いつつ。どうもただの趣味と割り切った観も否めませんが。
 ところが、まぁ、こんなものかなぁ、と帰って来て、翌日久しぶりに長年来の友達と逢ったのです。彼女は良くこのブログにも登場する、美術関係の造詣が深い方なんですが、散々喋って、玉川沿いを散歩して、お茶をして、帰り際に本屋に立ち寄ったわけです。最近私が勉強している会計関係の本を、私も読んでみると言うことで、「どれがいい?」と聞いてくれ、恐れ多くもお勧めしたあと、「私も○○さんのお勧めの本を教えて」と訊ねたら勧めてくれたのがこれ。多分、駅中の小さな本屋のこと、たまたまこれがあったからでしょうが、
 
 
 
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 森山大道論、と言う本です。
 中身は森山さんのモノクロの写真数五十三点と十二名の方々が彼と写真についてを語ると言うもの。このモノクロ写真が迫力あるんですよね。
 自分の写真見直して、「小さくまとまっちゃったなぁ・・」と大げさなため息をつくほど突き抜けてました。
 でもおかげでむくむくと、もっと撮りたい!と言う意欲が出来てきたので、来週末、また勇んで街にお出かけしてこようと思います。
 待ってろよ、下町!
 
 
 
 
 

2008年7月20日

凄まじき、人間賛歌というのれん ~宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」を見て~

 
 
 
  親方はなつの作ったホオズキを叩き潰した。
 TBSドラマ、「あんどーなつ」のワンシーンだ。
 浅草の和菓子屋「満月堂」で修行中のなつは、余命いくばくもない老人のために、彼が若い頃食べ、今なお食べたがっていると言う満月堂のホオズキ(和菓子)を親方に内緒で作ったのだった。
「お前は自分が何をしたのか、わかっているのか」
 ホオズキは封印された菓子であった。
 親方はなつに、「お前のここでの仕事はこれで終わりだ」と告げる。修行の身のなつが自分が作った菓子を満月堂の箱に入れて客に渡すと言うことは「のれんを汚すことだ」と言うのだった。
「満月堂の和菓子はいつ食べても同じ味でなければいけない、自分がその味を作れるようになったのは、この店の代々受け継がれてきた歴史と伝統のお陰であって、この菓子は自分が作っているのではない、満月堂ののれんが作らせてくれているのだ」と。
 なつはその職人達が受け継いできた満月堂の歴史と、店の信用を踏みにじったのだった。
 
 
 映画、「崖の上のポニョ」を見て来た。
 宮崎駿監督が前作「ハウルの動く城」から4年ぶりに創りあげた新作である。
 ジブリの前作「ゲド戦記」を見て、食あたりを起こした私だ。ジブリののれんを借りたまがい物を食べさせられた私が、今回は本物の「ホオズキ」を食してやろうと意気込んで映画館へ出かけてきた。
 映画館は大盛況だったが、ポニョを上映するミニシアターに入ると驚くほどに中はガラガラ、チケット売り場に行列していた親子連れはほとんどがポケモン目当ての観客達だったらしい。往年の宮崎アニメファンらしき成人男性(もしくは女性)も見受けられない。上映中、館内がわいた様子もない。家に帰ってYahoo!の映画のユーザーレビューを見ると、酷評が目立つのだった。
「偉大な監督は年と共に作品は凡庸化していく」
「ナウシカやラピュタのような作品はもう作れないのか」
「宮崎さんのファンとしてこれまでの作品を汚すようなものを作らないでほしい」
 宮崎駿監督がまるで終わったような言い方だ。他にも、ストーリ性無視の子供騙し、キャラクターグッズの売り上げを優先考慮したとか、宮崎アニメにしては精度が低い、などなど。おや、これではジブリののれんを汚したのは、息子じゃなくて宮崎駿さんのほうではないかと首をひねるのだった。
 私には古くからの宮崎アニメを見て育った人々(中でも強烈な一部のファンか?)の方がよほどのれんの歴史だけにしがみついて、現在を見ていない、すでに終わった人々、に思えてくる。
 宮崎駿監督は進化している。原点に立ち戻ったと言うのは、アニメの本質である絵的な部分の話だろう。
 彼の情熱は、年々、老いれば老いるほど留まるところを知らず燃え盛っていくように思えた。年々冷えていく若者とも、時代とも、まるで逆行するかのように。
 
 宮崎駿監督が何より凄いと思うところは、彼の思いの引き出しの多さだ。
 だてに長く生きていない。彼にはありとあらゆる経験から得た感情と、思いが溢れていて、しかも普通の人々なら失ってしまう思いも、時代が失わせ風化させてしまう思いも、すべていまだ失うことなく持ち得ているごく稀な存在だと思う。少年の心を忘れない純真さとか、そう言う陳腐なほめ言葉を言いたいのではなく、若い世代ならば一しか知らない思いを彼は年の功で十知っており、しかもその知りえた思いを失うことなく生きていると言う言葉通りの事実であって、だから多くの若者が既成の概念を打ち壊して新しいものを創造することしか出来ぬことと対照的に、監督は過ぎ去った時代を今に甦らせ、人々に郷愁と愛おしさを感じさせたり、忘れていた感情を思い出させたり、それによって人々を再生させたり、過ぎ去った時代と世代と、現代の時代と世代とを結びつけることが出来るのだった。破壊と創造だけでなく、一度融合させて、その上で新たなものを創りあげる。それが出来る芸術家はなかなかいない。
 多分ゲド戦記を作った息子の吾朗さんにとっては、彼が生きてきた思いの中で名作として表現し得たのがあの物語であって、名作のステレオタイプを模倣すると言うよりは名作パロディーに近いものを創りあげるしか出来なかったわけだが、あれは人生の中で知り得た思いのたけの違いが出てしまったのではないかと思うのだった。父親への憎しみと言うのれん、そういう思いにも固執しない方がよりいいのれんを作れると思うがどうだろう。
 宮崎駿監督は今までに得た、失うことのなかった思いの多さを巧みに生かして、ありとあらゆる人々に自分のメッセージを伝えるすべを知っている。私はこの監督と同じ時代に生まれたことを、ひょっとしたら奇跡的な幸運だったのではないか、と年々強くそう思うようになった。たぶんあと十年もしたら、もっと、その思いを強めることだろう。
 しかしなぜ、彼の作品を私よりもよほど古くから知っていて、宮崎アニメを見て育った世代が今の彼の作品に絶望するのか。不思議でならないのだ。あの情熱に揺さぶられるものはもうなくなってしまったのだろうか。本当に?過去の思いでとどまっていると、老人にも置いていかれるのが現代なのか。年配者のほうがよほど、熱い。私は「崖の上のポニョ」を今回見て、晩年のピカソや岡本太郎の姿を思い出し、監督と重ね合わせてしまった。凄まじいエネルギーを感じたのだった。
 宮崎駿監督がこの作品で描きたかったのは、溢れんばかりの「人間賛歌」だ。
 ここには、負のエネルギーが一切存在しない。ポニョにわがままによってほころびた世界でさえ、愛によって再生する。ほころびる前よりもよりいっそう美しい、海底の町の姿として描かれている。
 世界を壊してもいいと。警告を発し続けていた宮崎監督に私は赦された思いがした。愚かでもいい。人間はそうしなければ、もはや自然と共存できない。しかし、そこには私利私欲や、憎しみや、狂気は存在し得ない。決して、介入させてはならない。
 監督のパッションを感じるのだった。突き抜けろ。周りを気にして小さくまとまるな。本当に好きなら世界が綻んでも貫いて見せろ。しかし、決して忘れるな。愛を持て。その貫く思いに愛があるならば、決してどんな結果が待っていようとも世界は救われるだろう。
 もう狂気によって世界がほころびるのはたくさんだ。人間はそうではない、もっと美しい、素晴らしい生き物なのだと、自覚してもいい頃ではないろうか。私たちは何でも出来ると。
 これは現代の人々への溢れんばかりの希望のメッセージだ。監督のそのパッションを人々はどう受け止めるだろうか。感じることが出来るだろうか。いとも簡単に芸術となりえる負の力ではなく、思いやりや情や愛、懐かしい記憶、愛する自然たち。常に善の力を信じ、貫いて作品を作り続けてきた宮崎アニメののれんは今最も激しく息づいている。それが一部ではなくすべての人々にどう伝わるのか、楽しみではあるのだった。
 
 
 あんどーなつの続きを書いておこう。
 伝説の菓子「ホオズキ」が封印されたのは、果実のホオズキが江戸時代に堕胎剤として使われていたことが原因だった。今でも妊婦には縁起が悪いと言われており、満月堂には跡取り息子が出来なかったのだった。だから満月堂は人々に愛されていた菓子を作らなくなった。
 なつはそれらの事情を知っていても、ひとりで、親方の目を盗んで、ホオズキを作ったのだ。修行中の身でありながら、のれんに値しない菓子を作った、その愚かな行為はなぜだったか。
「今なら間に合う」
 どうしても生きているうちに、満月堂のホオズキを食べたがっている老人の心を満たしてあげたかった。
 この事件をきっかけに、親方は封印されていたホオズキを作ることになった。そうして満月堂は「夏の新作」として、そのホオズキを店頭に並べることとなったのだった。
 時代の封印は解かれた。くしくも過去と今とを結びつけることとなったなつは浅草の縁結びの神様にお礼を言う。
 
  
 
 

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2008年7月14日

日曜の夜、愚痴を言う。

 
 
 
 「お前のままではいけない」と常に言われるのだった。
 だめだ、だめだ、そんなんじゃだめだ、もっともっと頑張りなさい、と彼は言うのだった。
 そのくせ、出来ないで落ち込む私に、「テメェ自分が出来ると思ってるから落ち込むんだろう」とはっぱをかける。
 落ち込む前にさっさとやれよ、ゴラァ!とまた怒るのだった。
 私のままでもいいのだったら、もっとのんびり生きているんだけどなぁ。
 
 生まれたままのありのままの自分のままで生きていいことを基本的人権と言うんじゃなかったかしら?
 誰のために頑張ってると思っているんだか、なぁ~
 
 
 
 

2008年7月12日

独創力とアイスクリームと欲望と。 ~昭和記念公園で突然の雨に降られる私の 巻~

 
 
 
 アイスは卑猥だ。
 観光地のソフトクリームもアイスキャンデーもハーゲンダッツも色事を連想させる。
 知り合いの元カノはふたりでお泊りの時だけアイスクリームを買ったという。彼女がコンビニに行けば、今日はお泊りOKの合図なのだそうだ。
 そういう私はかつて冷凍庫に6本から10本入りのアイスキャンデーを常備していた。毎食後デザートにしていた。彼と逢う時だけハーゲンダッツ(または高めのカップアイス諸々)を食べた。その夜は特別に贅沢を許されるわけだった。待ちに待った休日前夜、彼と逢い、美味しいアイスを食べる。至福のひと時だった。
 
 昭和記念公園はまさにそんな場所だった。
 休日前夜と、彼とのデートと、アイスクリーム、その三つが揃っているような夢の場所だ。
 あまりにも素材に恵まれすぎていて、私は何をメインに撮っていいのかわからない。主旨も見つけられず、とりあえず広大な園内を歩き回って、手当たり次第撮る。
 さざなみ広場で百合の花々を、バードサンクチュアリーで必死に鳥を、ハーブ園から水鳥の池に出て遭遇したカモの親子を歓喜の連写、広大なみんなの原っぱで牧場と見間違う美しい緑の大地を、日本庭園の池の橋でまるでカワセミのような美しい蜻蛉を。
 みんなの原っぱを横断している頃から頭が働かなくなっていた。ご馳走を食べ過ぎたのか。アングルも構図も、基本の絞りや露出補正さえなおざりだった。丁寧に撮る事ができない。息を切らし、よろめくような足取りで、熱に浮かされたように歩いていた。熱い。熱い。とにかく、暑かった。
 暑いくせに、今が夏でよかったと思った。これが広場一面に花が咲き誇る春先だったら、ダウンしていたかもしれない。私は溢れる素材をまったく活かせぬまま、休憩もとらず、空腹と喉の渇きを覚えながら写真を撮る。ふと思い出したようにリュックからエビアンを取り出せば、ポットの湯のように熱かった。今気温は何度あるのだろう?
 
 思えば立川近辺にはいい思い出がない。
 大昔、ほんの一年半程東京に住んでいた時、主な遊び場にしていたのが、友人や同僚の多かったこの界隈だった。南武線、武蔵野線沿線のローカルな場所で、私は惨めな青春を過ごしたのだ。その頃生まれて初めて出来た彼氏は、武蔵小金井に住んでいた。美大に落ちて、写真の専門学校に通っていた。貧乏学生の彼が一度だけ伊豆旅行へ連れて行ってくれたことがある。交通費がないので、バイクでタンデムして。あの時も暑い夏だった。小銭を出して、ソフトクリームを買ってくれた。
 
 
 
 
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 左・昭和記念公園の西立川口です。レインボープール目当ての入場者が多かったようです。右・さざなみ広場の百合。色とりどりでした。
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 左・池から道に上がってきて私の目の前を横断する鴨。人馴れしているのか、おちょくられてるのか。右・歩いても歩いても緑の道です。
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 左・北海道のような広大さ。ここは牧場かしらと思わず呟いてみる。。。右・日本庭園の水際の紫陽花と池。とにかく園内がだだっ広いです。

 

 

 「東京は23区以外には行ってはいけない」と言う標語を作ろう。きっと立入り禁止区域を犯したに違いない。西立川駅のホームに降り立ったとき、若き日の若いがゆえの惨めな記憶を思い出して、しかめ面をしたのだった。何でこの場所にいるのだろう。街撮り専門のシティー派や自然を愛する野生派を目指していたのではなかったのか。そこは(私にとって)とっくに終わったはずの場所であったのに。なぜなら私は斬新な街撮りや野性味溢れる光景どころか普通に美しい写真も撮れないからだった。今どき珍しいJRの駅のホームの喫煙コーナーも妙に懐かく感じられた。感傷に浸りながら、苦々しい思いで煙草を吸い、私は「独創性、独創性」と呟くのだった。
 たとえどこにいようとも、私である限り、私の写真しか撮れない。(自分は自分でしかいられない)
 自ら無となり、マジョリティに埋もれて生きて、なお、自分であり続けること。それを表現し続ける努力の総評が独創力と呼べるものであること。
 以前トーク番組で爆笑問題と京大の教授や学生達が話していた内容を思い出して、自らを勇気付けるのだった。
 
 私はへとへとだった。
 何かエネルギーを摂取しないと倒れそうだ。
 日本庭園を出るとこもれびの丘という森のゾーンがあるのだが、そこを撮りに行く体力が残っていない。かと言って、西立川口から帰途に着くにはまた来た道を戻らなければならず、「レインボープールまで1050m」と言う表示を見て愕然とするのだった。右へ行くか、左へ行くか、まわらない頭で悩んでいると、園内を走る鮮やかなパークトレインとすれ違う。飛び乗りたかった。贅沢は禁物だ。同様に園内で高い食事も取りたくない。軽食で下手に胃袋を満たすのもイヤだった。食事はいつも撮影旅行を終えたあとの、ご褒美としての儀式なのだった。暑い。
 私は売店でソフトクリームを買った。久しぶりのことだったが、深く考えることもない。手軽に高カロリーでエネルギーを補強するには一番許される範囲の贅沢だと思った。すると、食べ終わらぬうちに、ガラッと天気が変わったのだ。雲が空を覆い始めた。ゴオォォと大きな音が鳴り響いて、茶色い松ぼっくりが雹のように降ってきた。あとで確認したらそれはただの乾燥して硬くなった枯葉だったのだが、木々から茶色い塊が飛ばされ、人々に投げつけられるように落ちてくるさまは異様な光景だった。手のひらを広げると茶の塊には水が混じっている。雨だとやっと気がついた。カメラをかばい、売店の横の屋根がある場所へ走っていく。私は売店の前のパークとレイン乗り場の前にいたのだった。乗る気もないはずなのに、呆然とベンチに座って、アイスを食べながら、バスを待っていたのだった。
 空から大粒の雫が降り落ちる。園内の人々は何かを叫びながら屋根のある場所へ走っていく。青いバスが滑り込むようにやって来て、私は大急ぎでバス停に戻る。目の前を年配の女性が千円札を三枚掲げて走って行った。「大人○人、子供○人!」と車掌さんに大声で言う。その背中を見てまた売店に引き返した。何をやっているのか。雨は激しさを増して、雷がとどろき始めた。ついさっきまで大勢の人々が歩いていた道には今は誰もいない。みな屋根のある場所へ避難した。私の横にも子供を連れた母親と男の人一人と全身雨に濡れてしまったカップルと、狭い場所で寄り添うように雨宿りをする。園内はただ雨が降り頻るだけだった。
 私はぼんやり考えていた。アイスを食べたせいか、突然の大雨のせいか、やっと冷えてきた頭で、
「これは恵みの雨か、罰か」
 などと。どちらもばかげた考えだとどこかで思いながら。
 結局私は、その日、昭和記念公園を全部まわることができなかった。宴のあとのように、みなぞろぞろと出口へと向う行列の、人の波に紛れて、「またリベンジしなくては」とひとり考えている。
  
 
 
 
 
 
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   左・雨の中、私を置いて出発するパークトレイン。右・久しぶりに食べたアイスクリーム。昭和記念公園、またやり直します☆
 
 
 
 
 
 

2008年7月6日

「考えすぎエコ考」 ~シロガネーゼが住む街で三鷹老婦人と地球の未来を思う 私の巻。

 
 
 
 これで梅雨明けが四国だけだとは信じられない。
 各地で今年最高の真夏日、また、初の真夏日が7月にずれ込んだのは'95年以来13年ぶりとなった今日、よりにもよってヒートアイランド現象おびただしい都心へと向う。
 目黒の国立科学博物館附属自然教育園へ行ったのだ。恒例の週末プチ撮影旅行である。
 
 しかし、暑い。
 JR目黒駅のホームに降り立った瞬間、熱気に襲われた。じわじわと汗が噴き出してくる。駅前の雑踏の光景も蜃気楼のように揺らいで見えた。
 正直、恐ろしいと思う。噴出す汗、熱い体と裏腹に、心が恐怖で冷めていた。
 あと何年、私達は今までと同じように生きていけるのか。
 大きく生活様式を変えなければならない、その選択を迫られる日が近づいているように思えた。TVで知るより現実はもっと深刻な事態ではないのか。
 と、言うと笑い飛ばす人がいる。
 私が初めて、このままでは地球があぶない、と知ったのは今から20年程前、スティングが何かの特番で熱帯雨林の話をしていたときだ。その頃は心に引っかかりを覚えただけだった。10年も後になて、やっと事態の深刻さに気付いた私が、このままでは生態系があぶないと言うような警告めいた話をすると、友人たちは笑ったものだ。「考えすぎだよ」
 今頃、彼女達は大慌てでエコを叫んでいることだろう。スーパーでポリ袋をもらったり煙草を吸う私をこそ非難することだろう。考えすぎと笑い飛ばすものに限って、同じ事態が自分の身に降りかかると知ると大慌てに慌てて、逃げ出すのだ。人の痛みには鈍感なくせに。
 さて、過去の恨み辛みは置いておいて、もはや「外」は危険地帯だな、と漠然と思う。
 これからは、外で働く者から先に、人類は滅亡することだろう。
 そうして、私はあと何年室内で働けることだろう。
 
 熱気を抜けて、自然教育園に入場する。涼しかった。
 樹々や木陰の自然の涼と言うものはやはり凄い。偉大と言うか、神秘と言うのか、敬服してしまう。私は深呼吸をして木々の中を歩いて行く。溢れる緑が美しい。
 自然教育園は都会にぽっかり作られ自然公園だ。だけど、ここでは鳥が鳴かない。聴こえるのはカラスの声だけだ。
 郊外やメトロ沿線の自然公園や庭園とは違う。やはり、腐ってもJR。都心のJR駅の便利さと繁栄と喧騒と、それらのカオス具合はやはり一段違う。目黒駅徒歩8分の自然教育園は、私が今までに行った公園や庭園とは良く似ているが微妙に異なるのだった。
 
 
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↑ほとんど森、の美しい公園です。鳥の繁殖期にはツバメやカワセミを見られます。写真中央・江戸時代から生えている「物語の松」 
 
 
 
 私は涼を感じながら森の中を歩き、次第に飽きて来た。池や小川は濁っているし、道の脇に群生している植物(草々)は虫に食われて、ところどころ破れ、白く変色している。今日の夏日のお陰で未来を恐ろしいと思った影響だろうが、どうも目の前の自然が痛々しく感じられてきて、居心地が悪くなった。
 「考えすぎだ」
 いつのまにか、私は人々から聞かされた言葉と同じ台詞を自分に向けて、自分を言いくるめて、モチベーションをあげようするのだった。プロならどんな光景を見ても、そこから美しさを見つけることだろう。美しい「現実」を撮るのだろう。心を引き締めて、撮る。苦手な望遠マクロや普通に綺麗な花のカラー写真にもチャレンジする。
 
 
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 ひょうたん池の手前の橋で老人に声をかけられる。痩せていて、穏やかな笑顔の、75歳前後の老人だ。
「前に来た時は、アゲハがたくさんいて、羽を広げていたよ」
 私はミドリヒョウモンを必死で撮っていたのだ。
「そうですか、それはいいですね」
 彼は私が撮り終わるのを待って、並んで歩く。
「野川公園はいいよ。あそこは都内の公園で一番だ」
 リュックをベンチに置いて、東京都公園協会の広告を取り出し、くれた。
「どうもありがとうございます。今度行って見ます」
「私も行ってみよう。これもあげるよ」
 見ると、なぜか三鷹南口の小田急バスの路線図だった。裏面にはバス乗り場の案内も親切に書いてある。多分、老人は三鷹に住んでいていて、南口から小田急バスを良く利用するのだろう。
 私は老人と年の差のある夫婦になる様を思い描くのだった。
 私はしばらくして会社を辞めることだろう。三鷹の家で彼のために食事を作り、針仕事をする。庭には紫陽花が咲いているのだ。年金生活なので贅沢は出来ないが、もう外で働く可能性は消え去った。穏やかな日常を過ごしている。休日には禅林寺へ行く。太宰治の冥福を祈ろう。
 そのうち、未だ生きている旦那の冥福をも祈りそうだ。生命保険はかけておかないと、などと心配しながら。
 
 
 
 
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 老人は先を歩く。森林に続く道を歩いていく。時々振り向いて、私が付いてくるのを待つように、私の姿を確認するのだった。
 私はしばらくためらって、苦笑いをする。そんな度胸も器量もあれば、今ここで老人と出会うこともなかっただろう。私は道の脇からのぞくひょうたん池に心を奪われたそぶりをして、夢中で写真を撮るのだった。彼の姿が消えた頃、踵を返して、喫煙所へ向う。
 こうして、煙草を吸えるのも、あとどのくらいだろう。
 
 森林公園を出ると、都会は相変わらずうだっていた。多くの車が、人々が、通り過ぎていた。
 目黒通りに立つ木々は熱風に吹かれて、そのたびに何度も、何度も、傾いでいる。樹として当たり前に緑を保ち、根を張って、支えて、立っている、その姿が痛々しい。今にも、黄色く黒く、色を変え、崩れ落ちそうなのだった。
 私は冷房の利いた電車に飛び乗った。一瞬にして冷える涼を味わう。体感温度19度といったところのこの代償は、痛々しい樹々と未来の私達に託される。