2008年11月30日

小江戸川越散策

 
 
 
 新宿に出て、西武新宿線に乗り換えた。本川越に向っている。
 ふと気になってルミネと移転問題でもめているベルクさんに立ち寄ってみる。ここは新宿駅構内唯一の、最後の、個人営業の小さなカフェである。まだ無事営業していた。安心して、売り上げに貢献しようとブレンドを頂く。カウンターに無造作に置かれている署名運動の用紙に三人分の署名をする。テーブルを拭きに来た店員さんに渡すと、とても嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
 元気な声、美味しい珈琲、何だか朝から気分がいい。幸先がいいようだ。微笑みながら視線を上げると、カウンター正面の壁に貼られた紙が目に入った。ぎっしりと文章が書かれてあり、どうやらニーチェのツァラトゥストラかく語りきのようなのだ。文章の重要な部分にラインが引いてあったり、括弧でくくったりしてある。第四部の最も醜い人間(超人)との出会いで、ツァラトゥストラがその存在を目の当たりにしてつい同情を覚えると言うシーンだった。朝からカフェで眼にする文章にしてはハードだ。私は上がり調子の気分のしっぽを離さぬように素早く店を後にする。アルタ脇の地上出口から東口路上に出て西武新宿線の駅に向っていった。
 
 川越に行こうと思ったのだ。前から小江戸の古い町並みを写真で見たり、話で聞かせれていたりして、興味を持っていたのだ。ついでに川越七福神を巡って、最近マイブームになりつつある五百羅漢を見てやろう。私は贅沢な計画を描いて本川越駅から出発する。東京下町の七福神めぐりは大体二、三時間で終わったので、今日も午後一番くらいには終わるだろう、そう楽天的に考えて歩き始める。ところが東京と違ってどうも道がわかりづらい。第一地図を持っていない。事前に集めた資料(略図のPDF)を携帯から眺めながら、左右前後がわからず斜めにしたり逆さまにしたりしながら、よちよちと川越の町を歩いていく。毘沙門天の妙善寺、寿老人の天然寺、五百羅漢像で有名な大黒天の喜多院に付いたころにはもう終了予定の一時である。少々焦りが出てくる。雲ひとつない晴天は次第に影を帯びてきた。午後から曇ると天気予報で告げていた通り、太陽は消えかけている。私は喜多院の紅葉と五百羅漢をメインにと考えていたので、写真撮影に必要な陽射しがなくなったのでは洒落にならない。曇らないうちにとトイレも休憩も我慢して携帯を逆さまにして横にして歩き続けた。
 
 
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上段左から・毘沙門天の妙善寺、寿老人の天然寺。下段左から・中院、五百羅漢像で有名な大黒天の喜多院慈眼堂。
 
 
 書院と渡り廊下から見渡せる庭園の紅葉が美しかった。私は設定を変えて何度も何度もしつこく撮るのだ。
 以前は勘に頼ることが多かったが、知識と経験知の情報量が増えたので、粘れば出来ることと無理なこととの区別がわかってきたようだ。勘で頼っていた頃は無理なものがたまたま上手くいったと言う写真撮影が多かったが、今は無理なものは諦める、粘れば出来るものはしつこく粘る。また、カメラとレンズの性能、天候の影響など、無理な場合でも完全とまで言えなくても粘ればどうにかなる場合もある。構図、アングルを変えて、設定を変えて、あれこれと試す。どうにかなるものに対しては納得の行く一枚が撮れるまで諦めないようになった。
 それはいいのだが、おかげでどうにも時間がかかる。午後二時半にやっと昼食を食べて、まだ七福神が四つも残っているのも、あながち川越の地形の所為には出来ない。むしろその粘りの所為でこそあるかもしれない。
 七福神のいくつかの寺の諦めた捨て写真は置いておいて、メインの喜多院の紅葉と五百羅漢はどうしても綺麗に撮ってあげたかった。しかし情報量と経験知は増えたが技術が追いつかないのはどうしようもない。脳の中で見ている現在の景色、それを再現する絵の完成形と、実物との差はかなり開きがある。ゆえになかなか納得しない。そのうち自分の技量を認知して、納得度のレベルが自然と下がってきたりもするのだった。
 
 
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一段目、二段目、三段目の左まで・大黒天喜多院の庭園の紅葉。三段目中央から四段目、五段目・五百羅漢像。
 
 
 何とか粘って折り合いをつけて喜多院を後にする。恵比寿天の成田山、福禄寿の蓮馨寺、蔵造りの街並みを抜けて時の鐘を見て菓子屋横丁を冷やかして、やっと六番目の見立寺に到着。夕陽が沈んでいった。青の時間に突入だ。もうじき真暗になるだろう。私は歩く速度を早めて携帯をひっくり返している。最後の妙昌寺に着くともう寺の門が閉まっている。先客が門をこじ開けて入っていたので、私も参拝させていただく。よく見ると脇に時間外の参拝者用の入口があるのだった。写真に収めて、終了。なんと五時近い。七時間もかかってしまった。もう少し腕を磨かないとどうにもこうにも時間が足りないなぁと思っては見ても、時間をかけないと腕も上がらないのだろう。または脳の中で見ている絵の再現と現実との差をなくせばいいだろう。折り合いをつけるレベルをぐっと落とせば、二時間は短縮できるような気がする。どうせ粘っても撮れないときはレベルを下げて折り合いをつけているのだ。最初から下げれておけばサクサクいける。または現像(またはレタッチ)に頼ると言う手もあるかもしれない。撮る時はサクッと撮って、データに落としてから脳内の絵を再現する。
 たぶんどれももっともっと努力を重ねてからの話だろう。まだ今は頑張れる。まだ今は時間も作れる。また、そうやってあれこれ試行錯誤しながら撮っているときが、今は何より楽しいのだった。
 私は真暗になった夜の川越を小走りで駆けていく。私の待つ人がいる場所へ、私の場所へ、心をしっかりそこへ向けて、わき目もふらず駆け抜ける。
 新宿に着けば土曜の夜の構内は人々で溢れている。人、人、人。
「ヒトゴミだね・・」
 前を歩いていた女性二人組みの呟きが漏れ聞こえる。
 歩くことも困難なほどの人々。ごった返す大勢のヒトゴミを私はすり抜けるように器用に避けては進んでいく。足を早め。前だけを見て。ふと気を緩めれば飲み込まれそうだ。私は私の場所に心を固定し。人類の最も醜いものどもではなくこれらは魑魅魍魎かもしれない。人々をそんな風に感じる自分を否定をもせず、ツァラトゥストラのように私は改札を抜け電車に飛び乗っていく。家へと繋がる。
 
 
 
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一段目左から・恵比寿天の成田山(有名な亀と不動像)大正浪漫通り、二段目左から・福禄寿の蓮馨寺と中央から蔵造の街並み。
三段目左・菓子屋横丁。中央・布袋尊の見立寺。右・弁財天の妙昌寺。四段目・川越の夕景。
 
 
 
 
 

2008年11月24日

大山を登る

 
 
 
 ところで私は、山は頂上まで行くのが義務だと思っていた。
 途中で降りるなんてもってのほか、高山病になったとか怪我をしたとか、やむをえない場合を除いて、登り始めたら最後、必ず頂上まで行かなくてはならない。
 登った人に課せられる義務。制覇しなければならない義務。若い頃はこの義務感が大好きだった。二十代の頃、人生が思うように行かなくて辛かった時、私は良く山に登った。頂上まで行って、苦しいながらにその山を制覇すると、至極簡単にある種の達成感を得ることができる。登ることが苦しくて、山頂までたどり着かなければならない、と言う義務感が強くなればなるほど、得られる達成感も比例して大きくなり、それは現実の人生の日常で何も達成できない私を満足させるにじゅうぶんだった。
 もちろん景色を楽しんだり、山で出会うハイカーとの会話を楽しんだり、登るまでの準備から登った後の逸話を他人に披露することから、そう言った登ることにまつわる過程を楽しんでいたこともあったと思う。だけどそれは付随するおまけのようなものだった。私は安易な達成感を欲していた。当時切実に、だから山を求めたのだと思う。
 
 恒例の週末プチ撮影旅行で大山へ出かけた。
 大山へは何度も行っている。最期に行った時のことを今でも忘れない。確か三十代で、人生が思うように行かないを通り越してどん底の時、私はこの小さい山を制覇しようと出かけたのだが、あっさりと登山コースの女坂(傾斜のゆるやかな楽なコース)の斜面にうんざりして、途中で引き返してきたのだった。気力も基礎体力もとことんまで落ちていた。この小さい山の、初心者のコースさえも登れなくなっている自分に気付かされて、本気でがっかりしたものだ。自分はもう駄目だ、終わっている、とさえ思った。もちろん達成感など微小な欠片さえ得られなかった。
 大山への入口までのバスに揺られている時、その日のことをふと思い出したが私は苦々しく思うこともない。今の自分に確固とした自信があった。何の根拠かわからないが、今なら軽々あの山を登れるだろうと思っている。
 バスセンターに着くと、私はリュックからカメラを取り出して、女坂のコースに向い始めた。ケーブルカーもあるがもちろん使わない。山の景色を眺めながら写真を撮るために来たのだ。一足飛びで登って何の意味があるのだ。私は心に留まった景色を見つけるたびにカメラを構えて絵に収める。気分が良かった。二十代、達成感しか目的ではなかった頃はこんなふうに脇道の景色を良く眺めただろうか。今のように心に刻み付けれられただろうか。鳥の声や、木々の形や葉の色や、青い空、通り過ぎる人々の笑顔、自然の匂い、そう言ったものをきちんと見て、感じらていただろうか。今は違う。心に余裕があり、自分に自信があり、達成感など求めていないのだった。私は満足する。それはそれで別の達成感なのだが疑問にも思わず自分に満足している。義務感も微塵もない。美しい紅葉を撮って、夜の紅葉ライトアップを撮って、それが目的なのだから。制覇するためにではなく、この山に遊びに来させて頂いたのだからと思っている。
 
 プチ撮影旅行が二週間ぶりと言うこともあり、私はゴキゲンで、大山寺で紅葉を愛で、写真を撮り、そのまままた山を登り始める。山の景色が美しい。山は裾野では観光地のような賑わいで、明るく親しみ深い顔を見せ、頂上に近くなると表情が険しくなるものだが、このあたり、登り始めてしばらくの地点(標高5、600位か?)、小ぶりの山なら中腹の少し下あたりが一番バランスがいい。人の手にも犯されず、自然の厳しさもまだ訪れず、美しい自然ならではの光景をじゅうぶんに堪能させてくれるのだった。
 景色を楽しみながらしばらく登ると、すぐに阿夫利神社下社が現われた。ここでは相模平野を一望できる。参道の神社の石段を登って、鳥居をくぐると立派な社殿が目の前に、振り向くと青空に浮かび上がるように溶け込むように、相模の街並みが広がっているのだった。
 私はお参りをして、下社の前で振舞われていた紅葉汁(豚汁見たいなお味噌汁)を頂いた。体が温まる。持参のおにぎりをひとつだけ食べて、参道の売店で名物のお団子を頂いた。お腹を満たして、あとは夜に備えるつもりだった。ライトアップまで。そう、下社の紅葉自体はそう美しくないのだった。大山寺と比べると小さい木々で、色付きも赤と言うよりは黄葉のものが多い。ここでは自然の景色を撮ると言うよりは神社に訪れる人々の姿とか、山の中腹の神社の姿を興味深く思いながら撮るくらいだ。すでに私の心は夜に向っていた。
 それまで時間がある。私は山の下のバス停でもらった観光マップを取り出して、山頂の阿夫神社を眺める。標高1252メートル。
 そう高くはない。時刻は午後の三時半、普段ならこの時間から山頂に向うのは無謀とも言えるが、下社と大山寺で行われるライトアップは五時半から七時半、夜のケーブルは延長で夜の八時まで走っている。人もいる。時間もある。
 本当は出発前に頂上まで行こうかと漠然と考えていた。しかし、あくまでも体調と天候と状況次第だと思っていた。私にとって大山の山頂は義務ではなく、今の一番大切な目標は写真なのだった。美しい紅葉とライトアップを撮ることが第一であり、山頂は目標でも義務でもない。大山寺とこの下社で紅葉の写真を撮り続けようかと考える。せっかく望遠レンズを持ってきたのにアップをほとんど撮っていない。ここでずっと撮って練習をしていようか。しかし、天気が悪いのだった。朝から雲ひとつなく晴れていた空は、その時間には雲に覆われている。山の中腹のせいかもしれないが、ほとんど青空は見えず、陽も射さず、私はもっと早く家を出なかったことを少しだけ後悔する。私の体力ではそれ以上早く出ると夜まで持たないと気遣ってのことだったが、やはり山の天気は変わりやすいことをもう少し考慮した方がよかったかもしれない。ここにいても大した練習は出来ない。私はもう一度大山の山頂を眺める。行こうか?
 時間まで閑をつぶしてやろう。下調べの資料によれば、下社から山頂は四十五分とあった。登って降りればちょうど良い時間になるはずだった。残りの弁当は山頂で食べても良い。私は山を登り始める。そうしてこんなふうに考えている。もしも途中でタイムアウトになったら、つまり登り始めて四十五分を過ぎたら、引き戻そう。現在時刻が三時半。四時十五分までに山頂にたどり着かなかったら、その時点で神社に引き返す。帰りの時間や不慮の出来事等を考慮するればそれが限界だ。そうと決め込み、気を楽にして登り始めた。
 
 
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 山を登る人々は意外と多かった。下社の社殿の左脇に山頂入口と書かれた門があり、入口をくぐると石段がずっと続いている。門の左脇には細い山道がある。そちらに向う人々もいる。どうやらどちらから登っても山頂へ向う道のりが違うだけで目的は同じようだ。門の石段のほうが明らかに急な斜面だが、そちらに向う人のほうが多かった。多分時間が短縮できるのだろう。私もそちらに向うことにする。私には山登りを楽しむ時間は四十五分しか与えられていないのだ。少しでも近い方がよかった。登り始めたら当然山頂にはたどり着きたい。前回のリベンジもある。しかし、今の私の最大の目的を忘れていはいけない。私はしつこく自分に言い聞かせて、タイムリミットは四十五分だと、時計を見ながら歩いていく。
 ところが登り始めると、時間のことを忘れてしまうような急な斜面に愕然とするのだった。登る人、降りる人、けっこう人も多く、みんなで団子状態になって登っては、すれ違う。子供も多い。みなけっこうしんどそうだ。山ではハイカーと擦れ違う時は挨拶をするのが礼儀だが、登る人降りる人、どう見ても山初心が多いようでみな登り降りに必死だった。挨拶もしないのだ。服装は普段着、ジーパンやスカートにブーツ姿と言う女の子もいた。逆にそう言う山らしからぬ姿の若い子の方が平然と登っては降りている。半分はこんな山くらい何だと必死で平然を装っているのだろうが、あとの半分は本当にこんな山くらいどうってことないのだろう。彼女らにはたっぷりと体力があり、時間も残されている。
 私は時々は思い出したように写真を撮るが、この頃になると撮りたいような美しい自然の景色も薄れている。山は厳しい表情を見せ始めている。急斜面を登り、降りる人と擦れ違うためによけたり、避けてもらったり、すみませんといっても返事もなく、そのうち無言で、皆と同じように黙々と登っている。
 しばらくして気が付くと、男女ふたりのカップルと幼い子供ふたりを連れた若い家族と団子状態になって登っていた。子供は少し登るたびに達成感を得れるようで、見て見てといった調子に大騒ぎだった。降りていく人々も子供にはつい優しい気持ちになるようで、微笑みながら、「偉いねー」「頑張れ頑張れ」などと励ましの声を掛けている。男女ふたりはかなりしんどそうだ。OLさんふうの女性が降りてきた年配の女性に声を掛ける。
「すみませ~ん。山頂まであとどれくらいですか」
「あら、これから登るの。大変だよ。まだまだあるよ」
「へぇ」男女で吐息を漏らす。
「どれくらいかかったかなー。行きはこっちじゃなかったから・・」
 どうやら門の脇の山道から登ったようだ。
「あっちの道のほうがゆるやかでしたか?」とOL風の女性。
「いやぁ、変わらないよ。こんなもんだよ。確かね、頂上まで二時間はかかったよ」
 年配の婦人は平然と言う。言い終わってからカップルの表情を見て、少しだけ同情的な目つきになる。このふたりは最後まで登らないかもしれないな、私は漠然と考える。それから前の親子連れ。彼らも怪しかった。カップルと親子連れは時々子供の話しをしては楽しそうにしていたが、しばらくするとめっきりとペースが落ちて、ついに父親が子供に宣告した。
「ここで引き返そう」
「え~~~!!」
 登るたびにリトル達成感を頂いていた子供は不満そうだ。「まだまだ遠いのぉ~?」
 ぼくまだ行けるよ!!といった調子で父親に食って掛かる。父親は、この先は景色も良くないし、この辺が一番綺麗だからここまででいいんだよ、と子供に言い聞かせていた。私は脇を通り過ぎて、子供の駄々をこねる声を遠くで聞いている。すでにカップルの姿もないようだ。時計を見る。三時五十分、ずいぶん苦しい道のりをずいぶん長く登ってきたように思ったが、まだまだそんな時間なのだった。それでもあと二十五分しか残されていない。子供と恋人たちとペースを合わせて歩いてきたが、これからはひとりだ。降りてくる人には相変わらず擦れ違うが、見回せば登る人々はいつしか見当たらないのだ。降りるときはひとりかもしれない。ふと浮かんだこの考えが、私に恐怖をもたらした。夜の山をひとりで降りること、その視覚的な恐怖と共に、真暗な中をひとりで降りて山に迷うこと、その想像による恐怖が襲ってきた。初めて焦りが生まれた。このあと私はちょくちょく時計を見るようになる。タイムリミットになったら降りよう。でも。
 不思議なことに、初めて焦りが生まれると同時に欲が出たのだ。なんとしても頂上に上りたいと思うようになっていた。
 山頂に近付くほどに山は険しく変わっていくが、まるで反比例するようにその山々から見渡す景色は素晴らしいものになっていた。この世のものとは思えぬほど美しく感じられたりもするのだった。登れば登るほど、山からの眺めは美しさを増していく。そしてその光景は時々木々が晴れた合間にほんの少しだけしか見せてもらえないのだが、それがまるで登ってきたものに与えられる山からのご褒美のように思えてくるのだ。この景色を眺められるものは唯一登ったものだけ、そうしてその権利を得られるのはそう多くのものではないかもしれないということ。
 私は段々とそれがとても大切なことに思えてきたのだった。ふと降りていく、若い子達が明るい声で言った。「こんにちは!!」
 私ははっとした。軽装の、まるで街で見かけるような格好の若者がにこやかに言う。晴れ晴れとした声。頂上の美しい景色を眺めてきたのだろう。その頃には私は時折見る美しい山からの長めに気を良くして、擦れ違う人々に声をかけたいほどテンションが上がっていたのだが、ハイカーと言うよりは大山紅葉祭りのついでに登ってしまった観光者たち(が多かったのだと思う)には無言にしていた方がいいのかと自分の気持ちを抑えていた。しかし、この若者の明るい声を聞いて、元気に挨拶を交わして、いろいろなものが吹っ切れたような思いがした。
 私は元気に一人で登り始める。帰りは一人だってかまやしない。帰りはライトアップに間に合わなくてもかまやしない。私の目的は紅葉のライトアップを撮ることだったが、それよりもどうだこの美しい景色は。登ることこそが第一の目標で、ライトアップは運が良ければ撮れると言うそれに付随する目標にしてしまったって惜しくはない。
「こんにちは!」
 私は擦れ違うすべての人々に元気に声を掛けた。
「こんにちは!」
 そうすると不思議なことに、今まで無言だったすべての人々が明るく言い返してくれるのだった。
 心が躍った。私は山を登りに来たのだ。それこそが目的だったのだ、そんな気分にまでなってきた。タイムアップの時間にこだわることをやめ、山を楽しみ始めた。すると、とたん、まるで神からの贈り物のように(そのときの私にはそう思えた)前に見えたのだ、登っていく人々が。二人連れの男女だ。本格的な山登りの格好をした、慣れたハイカーのような彼らが私の目の前に現われた。
 帰りを思って、私はどんなにか安心したことだろう。すでに日は落ちかけている。時間は四時十分、そうして、山頂まであと十分と言う標識を見つけて、ため息を吐いた。
 阿夫利神社の鳥居をくぐる。この山道が参道なのだ。やっと着いた。少し過ぎたけど帰りを急げばライトアップも間に合ってくれそうだ。山頂は凍えるような風が吹き、火照った体を熱い頬を気持ち良く通り過ぎていった。途中一切休憩を取らないで、山に多少慣れた私がこれだけ時間をかけて来たのだから、きっと年配者が二時間かかったと言うのもあながち大げさではなかったのだろう。
 日没直後の山頂には登山に慣れた格好と装備を持った人々何組かが休憩していて、山頂のベンチから相模平野の街並みを眺めていた。その穏やかな姿と美しい眺めと山の静けさと。それらが私にはとても神聖なもののように感じられた。
 途中で降りていったあのカップル、子供に諭して断念した親子たち、きっとここに来たくてもたどり着けなかった人たちは大勢いる。山を登る時間がなかったり、そもそも山を知る機会さえなかったり、それらをクリアしてやっと登れたとしても、子供や愛する人のためや、そう言った負うものへの責任のために断念するもの、そうして、自力ではまだ登れないものや。たぶんここまでたどり着けない人々は大勢いることだろう。義務を果たすためではなく、途中で登ることがとても大切な、貴重なことと思えたように、だから絶対登らないといけないと思ったように、たぶんこの景色を今私が見ることが出来るのはとても、とても、恵まれたことなのだ。
 私は山頂の阿夫利神社の本社で神様に祈った。私が今ここにいさせて頂いてることに礼を言った。それから人々のために祈った。義務も、達成感も、くそ食らえと思った。
 
  
  
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2008年11月9日

「ねぇ、温泉にでも行こうよ」 ~私と箱根と紅葉の旅~

 
 
 
 紅葉の季節は自然と山へ足が向く。ここしばらく東京下町めぐりを重ねていたが、今回は神奈川の箱根へ出かけて来た。恒例のプチ撮影旅行の話である。
 小田原から箱根登山バスに乗る。よほどフリー切符を買おうかと思ったが、半日では箱根を周遊できるはずもない。ガソリン代の高騰で経営が悪化するバス会社に貢献でもしてやろうと、バスと言う交通経路を選んだ。箱根湯本を通り過ぎて、車は箱根の山を登っていく。雨がしとしと降っていた。私はふとデジャブに襲われたのだ。
 もちろん、秋に箱根に来ることはそう頻繁なことではなく、いや、たぶん当時最愛の人だった彼とのたった一度でしかなく、しかも交通経路は登山鉄道にケーブルカーにロープウェイに海賊船に。唯一帰り道の高速バスで、登山バスで山を登ったことなどなかっただろう。しかし思い出したのだ。私の脳裏にはまるで今起こったことのように、当時の光景が色鮮やかによみがえってくる。登っていくたびに鮮やかに色を変えていく美しい紅葉のようにはっきりと。
 
 
 
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 私がはじめて箱根に来たのは、たぶん学生時代の遠足だったと思う。出来たばかりの彫刻の森美術館を見に来たのだ。仲間と呼べる友達がまだたくさんいたあの頃。かしましく喋りながら彫刻を楽しみ、山の中の作品を見て周った。
 それからもう少し年を取ってやはり学生時代に家出をしたとき。1ヶ月経って家に帰ると、母が言ったのだ。「箱根の温泉に入りにでも行こうか?」
 母と私は一緒に箱根に行って、温泉に入った。今思うと、あれは傷ついていた私を、母が労わってくれたのだと思う。今まで放ったらかしにして、貴方の思いに気がつかなくて、ごめんね、と言う母なりの罪ほろぼしと優しさの表現だったのかもしれない。ふたりで箱根のホテルに泊まり、一緒に温泉に浸って、夜はご馳走を食べて、一緒にテレビを見て、笑いあった。たぶん、母はこのときのことを覚えていて、ずいぶん後になって、彼女がくも膜下出血で倒れる直前に同じ台詞を言ったのだと思う。温泉にでも行こうか、と。
 私はそのとき母を冷たくあしらってしまった。今まではその言動ばかりを気にしていたが、箱根に行ったことを思い出すことはなかった。なぜ気付いてあげられなかったのだろう?母にとって温泉とはそういう意味があったのに。あの箱根の日を求めていたのに。
 そのあと私は社会人になって、そうしてしばらくしたあと会社を辞めてフリーターになって、退屈している私に姉が旅行の計画を立てさせてくれた。私は箱根の全交通手段が2日間乗り降り自由のフリーパスを思う存分使いこなし、箱根一周の旅を満喫する完璧なプランを立てた。姉は嫌がるでもなく、その忙しい旅に付き合ってくれて、一緒に楽しんでくれた。
 二十代、三十代、当時は時間がたっぷりあって、女友達と楽しく過ごす休日が多かった。彼女たちにはまだ伴侶も子供もなく、恋人すらいないときもあって、女同士の気のおきない付き合いがすべてだった。私は当時仲の良かった友達と箱根に足を運んだ。一緒にプランを立てて、安くて料理の美味しい宿を選んだ。日帰りの旅のときは温泉を楽しんだ。宿の夜、そうして箱根街道を歩きながら、私たちがしたのは恋の話ばかりだったように思う。片思いの彼や未来の伴侶や恋人や。笑いあって、永遠に続くかと思われた彼女たちとの時間、あっさりと終わりを告げ、別の道を歩き始めるとは思いもせず。ただ、楽しんでいた。
 同じく、その当時恋をしていた男性と、ひょんなことから箱根にいくことになった。その日一緒に行く予定だったテーマパークがたまたま休園で、どうしようかとう話になって、私が散歩するのが好きなことを知っていた彼は箱根を歩こうかと提案したのだった。それまでは私を喜ばせようと散歩が楽しめる公園やテーマパークを選んでくれていた彼だったが、どうせなら箱根まで足を伸ばそうかと。その日はそんないつもの彼の優しさがたまたま最上級の日になったわけだった。
 
 
 
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 私たちは箱根の山に登るでもなく、駅の周辺をふらふら歩いて、初花のお蕎麦を食べて、帰って来た。今思うとあれで付き合っていなかったと言うのは信じがたい。もちろん手もつながず肩を並べて歩いていただけだが、私は箱根の帰り道、電車の中で並んで座り、妙に感動していたように思う。デート(それがデートと呼べるならば)で、電車で、そんなに遠くまで出かけたことはいまだかつてなかった。あっさりと別の町へ飛べる車と違う、電車の旅は距離が遠くなるほど思いの深さを表しているように思えたのだった。
 そうして最後の恋人との旅。その箱根旅行を得るために、私はとても大きなものを犠牲にして、失った。それでも私は目をふさいで、恋人との旅のことばかりを考えて、わざと、すべてを忘れようとしていた。哀しく、幸福な、生涯唯一の最後の旅だった。あの時も紅葉が美しい時季で、ふと気が付くと日にちも同じだったのだ。6年前の今日、彼とこの地に私はいたのだ。あの時の私が、今の私を見たら、写真を撮りにバスで山に登る私を知ったら、どんな気持ちがするのだろう、と私は暫し考えた。わからない。哀しむだろうか、良くやったね、と誉めるだろうか。
 
 
 
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 私はぼんやりと箱根の山の景色を眺め、映り行くそれらを感じながら、思ったのだ。
 私はここが好きだ。
 箱根が、箱根が存在するこの地が。どうして東京の下町にばかり目が行っていたのか、いや、もちろん別の町の良さもあり、好きなことに変わりはないが、それ以前にここには私の歴史が詰まっていたのだ。
 私はこの地と共に歩み、生きて、過去を積み重ねてきたのだった。
 こんなにもたくさんのこの地の思い出を、どうしてそれ以前まで、デジャブを味わう今の今まですっかり忘れていたのか。当時の出来事は覚えていても、そう重大なことなどとは思いもしなかった。私はひとつひとつの思い出を、愛しく、愛しく、思い返しながら、もう一度思う。ここが好きだと。
 いつの時代も、一番身近な楽園だった町。一番近い旅の果て。そしていつでも私達の目的地になってくれた場所。もう二度と戻ることのないあの日の時間。それらの記憶を。
 心の宝箱から偶然見つけてしまった私は、またしても写真という趣味に感謝する。そんなことでもなければ、秋の雨の降るこの日にこのバスに揺られている私はありえないし、存在しない。
 今度は記憶ではなく、今日の景色を愛しむように、私はここを撮るのだ。次にここに来るのはいつだろうか。いい女になっていてやろう。今の私がその日の彼女に温かい言葉をかけてあげられるように、ねぎらってあげられるほどに。
「ねぇ、よく頑張ったね。温泉でも入ろうよ」