2008年12月28日

人はなぜ漫画を読むのか。 ~私と漫画の回顧録~

 
 
 
 
 子供の頃、漫画ばかりを描いていた。
 外で遊ぶ時間があるなら、家で漫画を描いていたほうがよほどいいと言う変な子供だった。ダッシュで家に帰り、部屋にこもって白いノートにストーリを組み立てる。恋愛モノから忍者モノ、スポコン、SF、何でも描いた。
 漫画好きが高じて自分でも描いてみたくなったのだろうが、その時期が飽きっぽい私にしては長すぎる。その後、そして現在、小説やブログの文章のなかで物語を組み立てる力がついたのは、この頃の漫画熱のたまものだろう。
 小学五年生のとき、初めてグループとしての友達が出来た。二人でじっくり付き合うような友人はそれまでもいたが、仲間づきあいというものはしたことがなかった。友達は困ったようだ。なにせ私は放課後彼女達と遊びたがらない。家で漫画を描きたいからとさっさとひとり帰っていく。そこで彼女達は作戦を立てて、同人誌を作ろうと言い出した。小学五年生のことなので、白い紙に鉛筆で漫画を書いてそれをまとめただけのものだったが、内容(ストーリー)はかなり本格的だ。
 しかし漫画の質よりも私はそんな友人たちに驚かされた。彼女達は漫画どころかお人形さんの絵を描いたことも怪しいくらいの画力だった。ところが同人誌のために当時流行っていた「なかよし」や「りぼん」、「マーガレット」の人気漫画家の絵を真似て、一生懸命描いている。おかげで私の放課後は騒がしくなった。
 五人組の誰かの家に必ず集い、みんなで漫画を描く。出来上がったら見せ合って、批評し合う。結論は必ずこうなる。
「○○(私の名前)は、でもうまいなぁ」
 みんなが私と遊ぶために漫画を描いていること、それなのに一目置いて誉めてくれること、それらが私には申し訳ないような恥ずかしいような、情けない気持ちにもなったものだ。それでも心のそこから嬉しかった。ありがたい。友に対してそう思った。
 
 なぜ漫画の話を思い出したのかと言えば、現在の趣味の写真に絡んでいる。
 毎週私は「プチ週末旅行」と題して、必ず写真を撮りに出かけている。その場所選びにけっこうな時間を要するのだ。何を撮るか、何処を撮るか、被写体を選ぶこと、それが一番難しい。もちろん撮ることも難しくはあるが、漫画と同じで絵を描いていること自体は楽しいのだ。あれは職人芸のようなもので、こつこつ地道に没頭して続けていれば必ず結果がついてくる。
 絵コンテの作成、下書き、Gペンと丸ペンで輪郭を描き、ベタ、ホワイトを入れ、網掛け縄賭け、スクリーントーンを貼って削って、背景は写真を撮ってきて描き写す。必要なのは根気のみ。実力とか才能とかはその後に付随するもののような思いがした。
 それよりも一番実力と才能を要するのはストーリーを作ることだ。何を書くか、何処を描くか、どの視点から描くか、どこで盛り上げてどう終わらすか、そこで七転八倒する。つまり絵コンテまで出来ていればもう一安心、完成したも同然なのだ。
 今週も私は写真のストーリー作りに悩みまくる。何処を撮りに行こうかなぁ。これが決まらずに当日の朝、(出かける支度はしっかり出来ているのに)出かけられないときさえある。自分がいける範囲の手軽な場所で、行ってみたかったところは大抵行ってしまった。ここからが勝負だ。実力と才能によって左右される。頭を使わなくてはいけないだろう。または表現者としての個性とか、指針のようなものをはっきりさせなくてはいけない頃だろう。だんだん遊びではすまなくなってくる。
「私はこれを撮りたい」
 という強い気持ちと、自己満足で終わらずそれを周りに納得させるための視点とアイディアが必要なのだ。
 そこまで考えて、場所選びにこだわって、ふと爆発した。
「無理」
 私が思うあるべき私と実際の私とはいつでも雲泥の差があるようだ。私は東京散策のガイドブックを持ってきて、適当に開いてみる。
 渋谷。
 一番初めに出てきたところに行ってやろう、と決めていたのだ。最高の撮影日和、天気も良くやっと時間も取れたと言うのに行く場所が決まらず自宅でうだうだした私はすくと立ち上がり、即座、渋谷に向って出発した。
 遊びでいいじゃん。と思う余裕はない。ただ自分を納得させるためにこんな話を思い出している。一休さんのこと。和尚さんに「寺が雨漏りをしている。早くどうにかしなさい」と言われた小姓たちはみな右往左往した。寺の中には漏れた雨水を溜めるような器も何もない。一休法師だけは和尚さんに、ハイと「ざる」を渡して後は悠々としている。皆があたふた寺の中を探し回っている様を眺めてのんびりしているのだった。和尚さんはそんな法師を誉めたと言う。
 ところで私はあの頃、なぜあんなにひとりでずっと漫画を描いていたのか。
 
 
  
 
 中学時代、私の漫画熱はまだまだ冷めない。この頃出あった四人の友達によって、私は初めて、Gペンと墨汁を使ってB4のケント紙に漫画を描き始めた。山ほど積みあがった(漫画の描かれた)ノートの山は押入れの奥へ。本格的な漫画への道がはじまったかのように見えた。しかし仕舞ったものの、私はまだまだノートを捨てない。
 なにせ、私は山ほどのストーリーが浮かび上がり、創りあげていたので、ケント紙では描き切れないのだった。職人技をする時間が惜しかった。友人との交流用にはGペンで。ひとりの世界ではこっそり鉛筆で描きつづけた。ふと漫画友達の一人がそんな私のノートを見たいと言い出した。
「うまいねぇ。ちゃんと起承転結あるね。本当の漫画みたい」
 本当の漫画とはまわし読みしていた少女雑誌の漫画のことを言っているようだった。
「私の漫画も描いて」
「いいよ」
 ひょうんなことからその子が主人公の漫画を描くことになった。もちろん鉛筆で。
 友人の手前卒業したはずのA4のノートが、友人との交流に使われることになったのだ。
 
 
 
 
 「○○さんの放課後」と題されたシリーズは卒業するまで続くのだ。私はクラスの半数以上の女子を主人公にして漫画を描き、出来上がったノートを彼女達にプレゼントした。学年が変わると今度は飽きずに私の漫画のファンだったひとりの友人のシリーズモノを続けた。A4ノート4冊で一部、三部作だったが、卒業のため二部で断念せざるをえなかったが、卒業式の朝すべてを彼女に渡してお別れをした。
 私はこのとき知った。みな、私が鉛筆で書いた漫画になど興味はない。しかし、自分が主人公ならば話は別だ。
 人は自分のストーリーに興味がある。それならば、読んでみたいと思うのだった。 
 
 
 
 
 高校時代、私はスポーツのクラブと掛け持ちで漫画研究会と言うところに所属した。通称「漫研」。
 鉛筆漫画を描き続けた私にとって、ここはカルチャーショックとしか言いようがない。先輩には漫画家のアシスタントをしていた人もいて、プロ並みにうまかった。同級生たちも、当然、私のように他人の長編漫画を鉛筆で描き続けて中学時代を過ごしたやからなど一人もいない。ペンと墨汁を使って描くことに慣れ、それが当然となっている彼らの画力は私とはレベルが違ったのだ。
 それ(絵)は出来て当然、と言う前提で、ここで学んだのはストーリーの作り方だった。
 またはその捕らえ方や工夫の仕方だ。4W+1Hと言うお題が出る。「いつ」「何処で」「誰が」「何を」「どうした」、場所と時間と人物は細かく決まっている。
季節と主人公の年恰好と性別、舞台も決められていて、「どうした」の部分を部員各自が決めるのだ。必ず特定の台詞がふたつある。このふたつを絡ませて、たったB4ケント紙一枚にストーリを作るのである。
 画力はないが、私はこのお題が得意だった。当たり前だ。ペン描き漫画の練習をしていない分ストーリーを描き続けた。
 ある時はB4紙一枚にすべての要素とお題目の台詞を入れてストーリーを作るのが難しかったので、4Wの「誰」を台詞にしてしまったことがある。「おか~さん」と言う台詞を入れなければいけないのだが、主人公の名前を「岡さん」にして、決められた主人公の少年少女のやり取りに絡ませた。駄洒落と言われても仕方ないのだが、とにかく頭を使ったと言うことだ。 
 
 
 
 
 学校を卒業して漫画よりも現実のストーリーの方が面白くなってしまった私は一時期漫画を描かなかった。
 しかし、人生が思うように行かなくなって、そうして人生の下克上を狙ってまたペンを手に取る。雑誌に投稿して、出版社に作品を持ち込みに行った。
 思えばずいぶん長いあいだ漫画と付き合っていたのだった。
 小学時代の同人誌を作った五人組はどうしただろう。グループのリーダだったのーちゃんが、見る見る画力をつけて、仲間にこう言われるようになった頃、彼女達は漫画を描かなくなった。
「のーちゃんが一番うまいね」
 同人誌は廃刊。私がひとりで描いた漫画を見せに行っても、彼女達は新しい遊びに夢中で、なおざりな対応をするばかりだった。
 中学時代の友人達は彼女達の物語「○○さんの放課後」をもう覚えてもいるまい。進学か何かの転機で教科書と参考書を捨てるときに、A4のノートも多分一緒に葬り去られたことだろう。
 高校時代の漫研は画力のレベルを競うばかりだった。文化祭の絵の人気投票がすべてだったように、勝敗は結局はいつもそこが基準で、私はいつしかスポーツの部活動ばかりにのめりこむようになる。
 出版社の担当者は口をすっぱくして言った。
「これくらい描けるものは山ほどいる。ストーリーはいい。画力をもっと付けなさい」
 私はペンを置いた。
 おかげでかなりの画力を身につけたと思う。それを描く根気も存在した。しかし、頭の中に存在する、果てなく膨大なストーリーを表現できる画力を人並み以上に身につけることは不可能だと察した。
 物語。本来、私の武器はそこしかなかったのだった。
 人を主人公とした話を描きたい、と心底から思った。
 それが主人公自身から喜ばれるものならば最高だろう。
 
 
 
  
 
 
 
 

2008年12月21日

銀座、有楽町、丸の内、X'masイルミネーションツアー

 
 
 この季節になると町が華やかになる。クリスマスイルミネーションが始まっている。
 今年は去年見損なってからずっと行きたいと思っていた銀座、有楽町、丸の内をまわることにした。私は愛機のカメラをリュックに入れて都心へと向う。日没にはまだ間があるので、その前に日比谷公園を散策することにした。霞ヶ関に降り立つと遠くに霞んで東京タワー。街路樹は葉を落とし、すっかり冬の気配だ。
 
 
 
 
 日比谷公園にはなぜか写生をする人が多い。キャンバスに向ってみな熱心に絵を描いている。のどかだ。
 都会の喧騒から切り離されてここだけ時間がゆっくり流れているような気がする。知らず知らずのうちに私ものんびりモードに入っていたらしい。ふと気がつくと、もう予定の時間をとうに過ぎている。急いで丸の内線の乗り場に向かい、メトロに乗って銀座へ向う。
 四丁目交差点前の出口から地上に出ると、夕暮れの街の中、人々がせわしなく行き交っている。五時まで歩行者天国なのだ。車がない!夜景に気を取られていたが、これってとってもラッキーなことなのだった。いつも下町を撮りに行っては車に邪魔され続けている私は思わず舌打ちをする。もっと早く来れば良かった。とは言え、日比谷公園ではのんびり出来たことは正解だと思っているわけだから、スタートをもっと早くすればよかったのだ。どうも写真を趣味にしてからいくらあっても時間が足りない。
 和光前の時計は四時四十五分を示している。あと十五分。私は車道に飛び出して、電飾が灯ったばかりの中央通を撮りはじめた。すぐに交通整備の警官のアナウンスが響いてくる。
「これより歩行者天国は終わります。歩道によけてください!!」
 あっという間だった。(ほぼ一分くらいに感じてしまった)街は闇に飲み込まれていった。
 
 
 
 
 
 なぜか突然、物凄い疲労を感じた。これから銀座、有楽町、丸の内をまわると言うのに、今から疲れてどうするのだろう。私は気を引き締めて中央通を歩いていく。ミキモト本店前恒例のクリスマスツリーが美しい。同じように写真撮影をする人々にもまれながら必死で撮っていると、いつしか疲労感を忘れてしまった。高さ十メートルほどのもみの木は赤や青やゴールドのオーナメントと、三千の光で眩く輝いている。今年の特色らしく、ツリー下にはガラスの王子や王女のオブジェが、ツリーにはガラスのベルが飾られている。
 
 
 
 
 
 同じく中央通のアップルストア。ショーウィンドーのサンタが持っているのはiPhoneだろうか。
 
 
 
 
 銀座二丁目交差点のカルティエ。左に曲がってマロニエ通を真っ直ぐ行くとミキモトの新館、MIKIMOTOGinza2があらわれる。店内の白いツリーが可愛らしかった。
 
 
 
 
 有楽町駅前のイルミネーション。紫の電飾が綺麗だった。熱心に写していると、突然東南アジア系の外人が近付いてきて、
「スミマセン。ビックカメラドコデスカ?」と訊いてきた。
 私は駅の方向を指差して、事も無げに言う。
「この先のすぐ右手ですよ」
「アリガトウゴザイマス」
 外人は走って去っていく。その姿を見送りながら驚いている自分がいた。私は東京都民ではないので、道を聞かれるとしどろもどろになることが多いのだ。突然見知らぬ人と話す(しかもわかりやすく説明しなくてはならない)と言うシチュエーションにも緊張してしまうので、なおさらだった。
 まさかイルミネーションめぐりをするために銀座有楽町丸の内の地図を頭の中に刷り込んでいたことがこんなことに役に立つとは思わなかった。
 有楽町駅のガード下を潜り、丸の内エリアへ向って行く。すぐ左手には大手町、皇居のライトアップが見えていた。時間があったら寄りたいなぁと思いながら東京国際フォーラムへ。黄色い花のツリーと白いイルミネーションが特徴的だ。
 
 
 
 
 
 今年は東京駅舎の復旧工事と駅前広場、行幸通の再整備のため東京駅前と行幸通のライトアップは見られなかったが、恒例の丸の内仲通の「丸の内イルミネーション」を楽しませていただいた。オリジナル色シャンパンゴールドのLEDを使っての街路樹のライトアップが見事だ。歩道脇の花壇のライトアップと花のツリーも可愛らしい。東京国際フォーラムと同じ黄色い花のツリーで、あちらよりもミニチュアだった。
 
 
 
 
 
 丸ビルのツリーは大人気だった。ロビーに入ると、人々が大勢並んでいる。何かと思ったら、ツリーの前で記念撮影をしているのだった。LEDを自分の好みの色に調光して、サンタの格好をしたスタッフに撮ってもらう。ビルの外からも熱心に写真を撮る人々が絶えない。私もさっそく参戦してみたが、あの美しさを捉えるにはやはり三脚が必要かもしれない。
 
 
 
 
 
 最後は改装中の東京駅をぱちり。
 見上げると駅前の様々なビルは上の方が赤や黄や青や緑や、鮮やかな色で輝いていた。綺麗だ。
 どうも銀座~有楽町~丸の内を撮っていると、東京を制覇したような爽快な気分になる。しかし行幸通の向うには皇居の眩いライトアップが見え隠れし、まるでそんな私をあざ笑っているかのようだ。
 時間があったらよりたいと思っていたが・・
 忘れていた疲労感がどっと押し寄せる。空腹感も酷かった。
 待っていろよ、皇居。
 私は弱弱しく呟いて、有楽町駅に消えていく。今年は無理かもしれないな、そう考えている。
 
 
 
 
 
 

2008年12月14日

代名詞としての横浜を愛して

 
 
 
 
 自信をなくして、自分に疑いを抱いた時、よくやるのが占いである。
 たとえば血液型、それから星座占い、目新しいところでブームの去った六星占星術、これらの一部の自分が属するカテゴリーに自分を丸ごと当てはめる。いいことが書いてあれば、すべてがいいように思えてくる。もちろん私は血液型や生まれ持った星めぐりだけですべてが出来上がった人格ではないのだが、その自己の一部の普遍性が自分に救いをもたらす時があるのだ。私はそういう人間=Aである、だから今疑っているような人間=Bではない。と言ったように、そういう大分類のカテゴリの普遍性こそが真実で、感覚的な個は偽りの事実であるかのような錯覚を覚えるのだった。
 
 
 週末のプチ撮影旅行で横浜へ出かけた。
 関内駅で降りて、横浜スタジアムを抜け、大さん橋へ向う。私は大さん橋へ行くのが初めてだった。大股で意気揚々と歩く。かつて知ったる横浜、私は良くこの街で遊んだので、大体の地図が頭に入っている。横浜と言うのも、まるである種のカテゴリのようだとふと思う。血液型、や、星座、のように、きっと、横浜、と言う分類があるに違いない。(この場合の「横浜」とは横浜市全般ではなくて横浜駅周辺、みなとみらい地区~山下地区方面のことを言う)
 横浜に住んでいる人や、横浜に詳しい人、横浜で良く遊ぶ人は、その横浜の普遍性に救われているのだ。
 ステイタスとは少し違う、ここは幸福な、少し質のいい、「一般市民」の代名詞のような街だ。ここに属するものは限りなくマジョリティーであると。
 個が行き過ぎて、少し外れそうになったときは、横浜に出かけて、女友達と遊び、彼氏とデートをする。すると難なくまたいつものレールに戻れる。私はみんなと同じ、何も変わらない、幸福な一般市民だと自分に言い聞かせる。今までもこれからもそんな風に続くのだと安心する。そんな効果があるような街だ。
 私はと言えば、ほぼ一年ぶりの横浜来訪なのだった。資格試験の会場として訪れたことがあるが、プライベートで遊びに来るのは久しぶりだった。
 私はまだ横浜が似合う人間だろうか。
 そんなことを漠然と思いながら大さん橋へ向う。今日はモノクロを撮るつもりだった。
 
 
 

 
 
 連日、冬の曇り空や水面の反射で白とび現象を起こし、苦心をしていた私は、今日はPL(偏光)フィルターを持参している。撮った写真が白飛びしていると、ファインダーで確認した時に飛んでいるところが黒くなって点滅する。ご丁寧にもカメラがに教えてくれるのだが、最近このチカチカの点滅が鼻について仕方ないのだった。私はフィルターを装填し、絶対飛ばないように、またはそちらを気にしすぎて黒潰れしないように、コントラストを通常よりもかなり弱めに設定する。いつもはアンダー気味でコントラストの強めのモノクロ写真が空きなのだが、白とびに神経質になりすぎるくらいなっているのだった。上のようなのっぺりとした写真を撮り、輝度のヒストグラムを見て、むふむふ、とほくそ笑む。一ミリでも輝度の端と端が途切れたら許せないと言った具合なのである。
 
 
 
 
 
 
 撮ったあとにモニターでチェックして、設定を変えて、また撮る。初体験の大さん橋を楽しむと言うよりは、どこから撮ったらよく撮れるかとか、そんな写真的なことばかりを考えている。経験によるとそういうときの写真は大抵良くない。あくまでも精一杯プチ撮影旅行を堪能して、そのおまけにご褒美としての写真撮影を「させていただく」、と言う気持ちぐらいのときでないと、大抵は家に帰ってPCに落としてから全滅の写真を見せつけられるものなのだ。
 ひとりカメラのモニターを見て、むふむふとほくそ笑んでいた私はそのことにはっと気付いて首を振った。久しぶりの横浜来訪を楽しまなくては!そう自分自身に言い聞かせる。
 確かに大さん橋はれっきとした国際港と言うことを忘れるほど面白い構造で、デザイン的にもかなり見応えがあった。ターミナルの屋上はふたつの山なりになっていて、これは波のうねりをイメージしているのだそうだ。ウッドデッキと天然の芝の緑地からなる継ぎ目と隆起が美しい。通称「くじらのせなか」、1Fの館内施設は「くじらのおなか」と言うだけあってまるで生き物のようなのだ。トイレを借りに館内に入ると暗いフロアでは小さなライブイベントが開かれていて、クジラのおなかに飲み込まれてゆったりと美しい音楽を聴いている私、と言った風情だった。どうも気分が良い。景観も素晴らしかった。屋上からは赤レンガ倉庫からみなとみらい21地区やマリンタワーに氷川丸など山下地区の街並みが一望できる。ただ楽しいかと言われると困るのだ。
 見回すと、周りのカップル達や友達同士で大さん橋を訪れている人々で溢れている。彼らはすっかり景色に馴染み、溶け込んでいて、そうして今ここにいる自分にとても満足しているような、そんな満ち足りた笑顔をしているように見える。
 私はというと、穏やかで気分はいいのだが、ここにいる自分にどこか満足しきれていないようだった。何かが物足りない。どうも横浜を味わい切れていない。
 いったいどうしたのだろう。
 
 
 
 
 
 カラー写真撮影時の試行錯誤の時に、露出やカメラのいろいろな設定を変えていたが、モノクロ撮影時の試行錯誤ではコントラストの調整が一番多かったように思う。ほくそ笑んでいただけあって、私は自信満々で家に帰り、自信満々でPCに落として趣味のサイトにアップして、ふと気付くと、
「何だか暗い」
 と呟いている。
 天気も良かったはず。太陽の光は散々足りていたはずなのに、光が足りない。
 白とびを気にして、試行錯誤を繰り返して、コントラストを落とし過ぎた。成功したはずで満ち足りて、いったい何をしていたのかとがっかりする。
 それにしてもモノクロは難しい。
 そう再確認するのだった。光と影の諧調しか色調がないだけあって、微妙な光と影の調整がすべてを左右する。カラー写真よりも好きなのだが、好きなだけでは何事もモノにはならない。また修行しなおしだなぁとため息を吐く。実際私が少し神経質になりすぎているだけで、普通のモノクロ写真は飛んでいても潰れていてもいい絵が撮れるし、またはコントラストが足りなくても異空間的な不思議な景色を生み出すことが出来る。少し感覚を無視して頭でっかちになり過ぎているのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 大さん橋を意気揚々とあとにして、私は山下公園へと向う。この後は大好きな中華街を見てまわるつもりだ。
 相変わらず人々は溢れ返り、みな、楽しそうだった。この場所にいる自分に満ち足りているように笑っていた。私は左手に氷川丸を望み、高い空の下、ベンチに腰掛けて、移り行く人々と飛び交うユリカモメを眺めている。お腹が空いた。陽が翳る前に撮らなくてはと思って食事もしていなかった。思い出したようにリュックからおにぎりを取り出して、黙々と食べる。ただ空腹を埋めるためだけに。
 ずいぶん遠いところまで来てしまったなぁ・・
 ふとそんな風に思う。ここにいる彼らと、私との距離の違いを感じるのだ。それはそのままこの街と私との距離にも重なって来る。そんな風に感じてしまったときは、以前ならばずいぶん淋しく思えたものだった。自信を失い、惨めに感じられたことだった。しかし今はそれとも違う。
 私はずいぶん以前から、この街とは異質の人間だったのだ。
 長いあいだ、気が付かないふりをして、代名詞としてのこの街を愛して、ただレールにしがみついていた。
 この街では満足出来ない今の私こそがもともとの私だった。
 私は遠いところに来てしまったという言葉をもう一度頭のなかで反芻して、その距離を愛しんでみる。そうしてみると、それこそが一番大切なことであったかのように思えてくるのだった。
 空腹を一時的に埋めた私は溢れる人々と同じように満ち足りた顔をしてその場をあとにする。そこへ行ってもたぶん同じことだと思いながら、
「久しぶりの中華街、楽しみだなぁ」
 と空しく、愛しく、呟いている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

2008年12月7日

草枕的試行錯誤

 
 
 
 漱石じゃないが写真を撮りながらこう考えた。
 開放すれば絵がぶれる。絞れば光が得られない。イソを上げれば色落ちる。とかくに写真は難しい。
 
 
 恒例週末のプチ撮影旅行に出かける。
 今日は勉強会と称して、駒込の六義園に腰をすえることにした。
 日が暮れるまで、この場所で撮り続けよう。冬は日照時間が短い。移動時間の間に太陽が翳ってしまうこともある。先週、喜多院を撮りに出かけた際、それを痛感して歯がゆい思いをしたのだった。
  
 

 

 

 
 
 そう勇んで出かけた六義園だが、兎に角写真を撮りに行った際は歩くのが日課となってしまっているので、距離が足りなくて仕方ない。気がつくと園内を4週も巡っていた。歩いては立ち止まり撮る、歩いては撮る、その繰り返しで、ほぼ5時間。それでもいつもに比べると圧倒的に運動量が足りなくて、動かないものだから体が冷えて冷えて仕方なかった。私は冬の寒さにぶるぶる震え(冬に写真を撮りに出かけた際に、寒い、と思ったのは初めてのことである)、体が硬くなり、次第に指先が痺れてうまく動かなくなった。握って開いて、はぁはぁと熱い息を吹きかけ、指先をこすって、やっとのことで血の巡りを良くしてまた撮るが今度は体がぶるぶる震える。おかげで修行どころかブレまくって、いつもよりへたくそに撮れたような気がしたのだから何をやってるんだかと言う感じだった。
 それでもいくつかの収穫はあった。適正露出を決定するまで今まで以上に辛抱強く試行錯誤するようになった。それと構図とアングルもそうだ。 
 
 
 

 

  
 露出はあっているがピンが合わないと言う微妙なものも少なくない。私はピントが合うようにまたカメラの設定を変える。すると今度は露出が合わなくなる。シャッタースピードはどんどんギリギリに追い詰められて、一箇所に留まっているものだからまた体が冷えて震えて、ブレまくるを繰り返すのだった。
 
 
 

 

  
 体が冷え切って、我慢ならなくなって六義園を後にする。すぐに温かいものを食べて、熱いお風呂にでも入りたいところだ。が、私の場合、一週間に一度しか趣味の撮影ができないので、一日を有効に使いたい。これで勉強会は終わり、趣味の撮影に没頭させていただいた。
 汐留シオサイトに向う。カレッタ汐留のCaretta OCEAN Xmas 2008を撮りに行く。前から見たかったイルミネーションだった。
 結局帰宅をしたのは夜の八時だった。動かなかった割にはへとへとへろへろである。特に目が痛いのだった。あとは脳が疲れている。熱いお風呂に浸って、温かいココアでも飲もう。今日も充実した一日だった。
 私は写真の神様に礼を言う。