2009年4月29日

緑が目に沁みる ~小田原城址公園と新緑と~

 
 
 
 新緑が美しい季節だ。
 小田原城址公園を散策した。小田原城を見るのははじめてだが、本丸の天守閣に昇るでもない。いっせいに芽吹き、青々と茂りはじめた緑の美しさに目を奪われっぱなしだ。
 毎年この新緑の頃はそう思っていたはずだった。だけどこんなに綺麗だっただろうか。私は木々を見上げて呟いている。
「犯罪だよなぁ」
 犯罪だ犯罪だと繰り返している。どうやら、罪なほど美しいと言いたかったようだ。
 カメラと持参した三脚を立てて、さっそく美しい緑を目に焼き付けようとしている。今回は望遠レンズを使わない。先日あるサイトで読んだ、写真道に対するこんな定義。
 
「自分が目指す写真を明らかにし、それに合った写真が撮影できるように、常に鍛錬し続ける道」
 
 初心者だからといろいろなものを撮り、いろいろな撮り方を試みていた私だけど、そろそろ自分の好きな写真一本に絞り始めてもいいかも知れない。逃げ道をなくして極めてみるのも楽しいかもしれない。この定義通りに自分の写真道を歩いていくのもいいかなぁ、と思い始めた。
 ただ、好きな写真が「風景」と「人物」と言う両極に分かれているのが気になるのだが、少し幅を利かせてスタートして、徐々に絞り込んで行くことにしよう。
 はじめは好きな写真家の模倣から始めよう。
 まずは○○の物真似とわかるほどそっくりな模倣が出来るようになることが先決だ。その写真家が有名で上手い方であればあるほど、似ている、と言うことは重大な意味を持つ。私も某写真家のレベルに近づいて来ていると言うことだからだ。または同じような撮り方が出きるようになってきた、と言うことで。個性とか感性とか独特の視点とかそう言ったプラスアルファの部分は、まずはそこができてから、と言う気がする。
 私は私の写真道の職人に徹することにした。
 
 
『小峯曲輪北堀』 小田原城から報徳二宮神社に続く道から見える空堀です。
 
 
 ところで小田原城だが、アテにしていた藤はすでに見ごろを過ぎていた。残念だった。「御感の藤」と言う立派なノダフジの藤棚があるのだが、花が枯れていると言うより痩せている。「藤を撮るのですか?」と語りかけてきた年配のご夫婦によると、そもそも今年はあまり花をつけなかったそうだ。その様も例年の様子もわからないのでねぎらいや慰めの言葉だったとしても信じるしかないのだが、やはり妙である。大きな大きな藤の木だが枯れた花々の痕も落ちた花びらもない。藤は桜のようには散らないものなのか。
 
 
 御感の藤。大きな藤の木でした。
 
  
 
 藤とは逆にまったく期待していなかったのに案外の見つけものとなったのが、報徳二宮神社だった。宮尊徳翁(二宮金次郎)を御祭神とした神社だそうだが、小田原城の周りを散策していて偶然迷い込んだと言うか、気がつくと境内を歩いていた。御社殿も鳥居も新鮮に思えた。最近七福神巡りをしていなかったので、気にかけていたが、こうやって普通に休日の散策をしていてもちゃんと神のやしろに辿り着くのだと思ったら嬉しくもあった。私は丁寧に参拝をさせて頂いた。
 この報徳二宮神社の御社殿から社務所(だと思う)に続く渡り廊下がまた良かった。回廊と言うのだろうか、二階から延びて、並んだ窓に新緑の緑が映りこんでいる。小さな庭園風の池とツツジも赤く染まったもみじも美しい。
 
 
報徳二宮神社の御社殿へと続く回廊と新緑
なぜか真っ赤に染まったもみじの新緑。これがまた綺麗だった。
 
 
  
 報徳二宮神社を堪能した後はまた小田原城址公園に戻って、道端の花を愛でながら小田原城天守閣や城門の風景を見て周った。桜の時季はライトアップもするそうだ。新緑自体は美しいが、白いお城には桜がよく似合っただろう。天守閣前の公園広場にはすでにたくさんの人々が集っていた。先ほど来た時大忙しで準備をしていたお土産屋さんや御茶屋さんの方々も店前の屋台で地元の常連のお客さんと話し込んでいる。おだんごに焼き蕎麦にお弁当、にこやかな笑顔。
「いつも来てくれるからって、今年の初物もらっちゃったわ」
「今お茶をもらってくるから」
 そんな言葉を聴きながらベンチに腰をかける。陽光が木々を通して降り注ぎ、私は眩しさに目を細める。若葉の向うには身を隠すように天守閣。
 今だって捨てたものじゃないよ。
 犯罪だよなぁ。そう呟いて。
 まるで緑が目に沁みるのだった。
 
 
 

 
 
 
 

2009年4月27日

草彅剛容疑者報道と新江ノ島水族館の魚心パフォーマンスを見て思うこと。

 
 
 
 「草彅剛容疑者」と言う言葉をニュースで聞いたときに、あまりにもありえないフレーズだったので一瞬放心した。
 林真須美被告が無罪放免になったとか、長門裕之が協議離婚したとか、私自身が億万長者になったとか、そんなことを突然聞かされたかのようだ。
 この事件について数々のテレビ番組でいろいろな方々が意見を述べていた。またネットのニュース記事やブログでの事件の詳細や批評、批判等も目にした。
 なぜあんな行動をとるほどにお酒に飲まれてしまったのか、草彅君自身の行動の理由についてのご意見が多かったように思うが、私が不思議に感じたのはたぶん事務所が圧力をかけていて、皆が口にしない同伴者のことだった。
 警察が発表したところによると、当日彼は仕事関係者の男の方ひとりと友人の女性と三人で飲んでいたと言う。そうして事件を起こした公園の前で、友人の女性と別れたそうだ。
 あとに行った記者会見では弁護士が同伴者はいなかったかのような言い方をしていた。完全オフでひとりで実家に行き、夕方から一人で飲みに行った、とか。 
 しかし、同伴者からも事情徴収をする言う警察の見解がその後ニュースになっていたので、この食い違いはやはり前者を信用してもいいのではないかと思う。
 更にその後のニュースで女性の名前も特定されていたようだが、私はその名前の真偽よりもなぜ女性が公園の前で別れたのかとても気になった。(自分の中では女性が同伴していたことは事実で、彼と親しい仲だったのだろうという仮説が前提となっている。たぶん関係者の男の人ひとりはカモフラージュのための友人だろうと)
 草彅君の自宅の傍まで来ていながら、深夜に女性だけが公園の前で踵を返して帰った。タクシーを拾えたのだろうか、などと首を傾げる。
 酔っていた相手を介抱する必要性も自宅まで送り届ける必要性も感じず、家の手前であっさり別れたのだから、草彅君は酔いを感じさせないほどしっかりして見えたのか、または女性がはなはだ彼と一緒にいたい気分ではなくなったか、何かしらのドラマがあったのだろうと推測してしまうのだった。私ならばこれ以上一緒にいたくない相手とは飲み屋を出た時点で分かれるだろう。それとも公園の前までタクシーで来た彼らは、乗ったままで分かれて、草彅君だけが降りて彼女はひとり帰ったのか。公園前は車が入れるような感じには見えなかったが、実際はどうなのだろう。
 そんなことを重要に考えるのは、もしも、その女性が草彅君と仲が良かったとして、またはこれから仲が良くなりそうな関係だったとして、もしも彼女が一緒に彼の自宅まで行って送り届けていたら草彅君は今回のような事件を起こさなかっただろうと言うことで、同伴者の責任と言う問題よりは男女間の妙と言うようなものを感じさせるからだった。
 私自身が酔った恋仲の相手と家の直前で別れるとしたら、理由はひとつしか思い浮かばない。
 自分は相手をとても愛しているが、相手が自分を愛しているように感じられず、そのことに対して不快感を抱いた時だ。
 一人の女性として心が満たされなかった時だった。
 草彅君の今回の事件での経済的な損失は50億円から1000億円とも言われている。
 思春期から三十路半ばまで、努力を重ね、ずっと走り続けてきたそれが彼の存在価値だ。
 たとえば私のひとりの女性としての存在価値は50億円から1000億円あるだろうか?
 
 いや、違う、お金の話をしたかったわけではなくて・・・
 
 
 
 毎週恒例となっているプチ撮影旅行だ。今週末は雨風で大荒れの天候だったため、屋内で写真を撮ろうと新江ノ島水族館へ出かけてきた。
 この水族館は前回行ってから二度目の訪問だった。懐かしい。あの頃は写真初心者だったが今はだいぶ撮ることに慣れて来た。もう少しうまく撮れるだろう、と勇んで出かけたのだが、雨風の所為で館内に取り込まれる光も変わってくるのだろうか、屋内なのにそんなことがあるのか疑問なのがだが前回ISO100で何とか撮れたところも今回はSS1秒を軽く超えてまったく撮れない。おかげで感度を上げまくって散々な結果となった。
 ところが写真は散々だが違うイルカのショーを2回も見て、たくさんの魚に人々を目の当たりにして、これがけっこう楽しい体験となった。職場と家の往復ではこの新鮮な楽しさは味わえない。趣味はやはりいいと再認識する。
 現在、この趣味があるおかげで、私の人生はだいぶ救われている。職場で多少嫌なことがあっても週末が来て写真を撮ればまた翌週からハッピーに働けたりする。精神的に職場に重きを置いていないわけで、しかも若い日々とは違う、仕事で自己実現をしつつきちんと他に心のよりどこのような居場所を持っていることになる。
 若い頃の私は職場、仕事に対してまったく重きを置いていなかった。私は学生時代から行くべき場所を「決められていて行かざるえないところ」といった調子に捉えていて、その中で自己実現することは露も想像しない。ボーっとして時間を過ごして、帰宅してから家に、自己の内に、心の居場所を抱えていたのだった。
 学生時代に就職試験を一度だけ受けたことがある。そのときも私はなるべく簡単そうな職業を選んだ。何も考えずに時間から時間「居れる」場所だ。筆記試験もない、面接のみのその会社は確か繊維か何かの工場だったと思う。休日は多いし、五時定時に上がれる。自分の時間(世界とも言うか?)が確保できそうだった。私の仕事に対する熱意はそんなものでしかなかった。
 私は学ぶことが好きだった。しかし職場で勉強するのは真っ平だった。なるべく頭を使わない仕事がいい、事務職などもっての外だ。そう言う仕事以外の世界を大切にする私の信条はずっと続き、その後私が選んだのはサービス業だった。と言うより、ただの小売業の店の店員だ。これも何も考えずもちろん体力的にはハードだったが、それらの仕事は私の精神をくたびれさせて消耗させることは決してなかった。願ったり叶ったりだったわけだ。
 そんな私が仕事との付き合いに疑問を感じ始めたのは婚期を逃して年を重ね始めた時で、もちろんその頃には体力もかなり落ちてきているわけで、一生体力勝負の仕事は出来ない、なおかつ自己の世界に何があろうか?と疑問に感じ始めた頃だった。私は年老いた。世界はもはや無限大ではなかったわけだ。
 同じ店員仲間を見てみると、年を取ると転職して他のキャリアアップした仕事を目指すか、続けるならば店長を目指した。前者は稀でたいていは販売のプロを目指していった。私はそもそもこの仕事の世界で自己実現などする気などなく足を踏み入れて、ましてや仲間や先輩達のように「売ること」に熱心にはどうしてもなれない。サービス業のプロに徹するには決定的な意欲が欠けていた。あれは客と店員とのガチンコ勝負なのだ。客を逃げさせず、追い込んで買っていただくためには信頼を得るための日々の努力とそれを支える意欲と、そうして客に負けない、有無を言わせぬ執念が必要だった。私は無理だと悟った。私には向いていない、と言うより出来ないだろうと。だからと言って他の仕事、つまり肉体的に楽な事務職へ転向して成功したものは一握りだった。そちらは販売業に徹するのと同じほどのやはり努力と意欲と執念が必要なのかもしれない。それでも私はそちらに賭けてみる事にする。私は独学でパソコンを一から学び、資格を取った。
 紆余曲折の末、事務職についたものの、経験のない私を事務として雇う会社は末端の企業でしかなかった。職場環境も悪く、事務とは名ばかりで、仕事の半分以上は製造業の手伝いをさせられたり、肉体労働だったりもした。またその報酬は驚くほど安いこともあった。私はそのたびに辞めて、またサービス業に戻って、また勉強して辞めて、末端企業に拾われてを繰り返す。どうしてもここを抜け出したい。派遣法の改定により企業はいっせいに派遣としての労働力を求め始めた。波に乗りたくても経験の少ない私はなかなか雇ってはもらえなかった。私の自己実現はもはや仕事にしか存在していない。世界は有限どころか細い細い一筋の糸のようだった。
 そんな私を初めてまともに事務職の社員として受けれいてくれたのが前の会社だった。あの場所で私は経営の一般常識から専門的な事柄から心得から何から何までを一から学び直したり新たに学ばせて頂いたりしたのだ。辞めた時は私が会社を恨んでいると想像してた人もいたが、とんでもない話だ。私は幾ら感謝しても足りないほどで、またあの場所を居場所にしていた時、私は他の居場所は一切持たずに愛情を注ぎ込んだものだった。私がどんなに会社を愛していたか、きゃつらは知らないのだ。
 
 江ノ島水族館に話を戻そう。私は前回楽しませていただいたフィンズと言うショーを見なかった。
 何となく、目にしたくなかった。私はまだ彼女のように人を楽しませる、幸福にする仕事に辿り着けずにいる。多分この先一生辿り着くことはないだろう。残念ながら。幸福のダイバーとして私は神に選ばれなかった。世の中には人々を幸福にするための、その仕事を全うするための使命を持って生まれてくる方々がきっといるに違いない。
 フィンズが始まった。おにいさんが相模湾大水槽の前で声を張り上げる。水槽の中にはダイバーがいて、見に集まった大勢の人々がモニターからはっきりと魚たちを見れるように水中カメラを持って奮闘していた。しかし、今回のダイバーさんは前回のように知人には見えない。どうみても男のような骨格である。もしかしたら細身の女性かもしれないが、ずいぶん背も高くいかついようだ。もともと乗り気でなかった私はその事実に興ざめしてクラゲファンタジーホールへと逸れていく。
 大水槽の前も、クラゲのホールの中も、人、人、人。子供達に遊びに連れて行ってとせがまれたけど、天候が気になる家族連れがいっせいに訪れたのかのようだった。
 こうやって休日にもみ合うようなたくさんの人々と時間と空間を共有すると言う行為はとても刺激的だった。会話がなくてもいい。年々狭く細くなっていった私の世界がまるで異次元の彼らと接することによって蘇るかのように。ほんの少しでいい。休日の私にはすれ違う彼らが必要だった。
 明日もまた元気で働くために。
 私はまた明日もきっとたくさんのことに堪えなくてはいけない。人間が過酷な状況下でも耐えるためには、自分より下の、更に悪い状況下の存在がいると言うことが必要条件だと言う。つまり私があれほど望んでなかなか辿り着けなかった派遣社員だって、昨今散々悪く言われている小泉さんの遺産の派遣法改正だって、社員同志のモチベーションを上げたるため、または社員同士の結束を強めたりすることに一役買っているのだ。
 どんなに下っ端の仕事でいいと望んだって、職場のパワーバランスを重視する現在、私を使うであろう企業は年々減っている。私が現在の職場で生き残るためには、社員よりも仕事が出来て、なおかつ決して彼女達より頭を上げないと言うことが必要不可欠の前提だった。私は若いときとはまったく別の意味で自己実現のすべてをそこに求めないのだ。たとえ実現してもしていないふりをし、実現できてもしていないと言う意識を絶えず持たなければならないだろう。
 私が前の会社を辞めた時に、唯一拾ってくれたのは何の因果か私を落とした企業よりもよほど大きな老舗の商社だった。私はここで前の会社で学んだことを、その芽を一気に開花させることを覚えたのだった。
 次の契約更新で辞めようか?
 その幸運を省みず、堪えることが多いときにふとそう思う。例えば「草彅剛容疑者」と言う言葉を聞いた時もそんな時期で、私はずいぶんいろいろなことを考えさせられたものだ。
 
 散々写真を撮り続け、そろそろ帰ろうかと最後に相模湾大水槽に寄ってみると「幸福のダイバー」がいた。
 前回見た彼女に似ているダイバーさんが魚さんと一緒に泳いでいた。餌をやるでもない。ただ魚に手を延ばしたり、一緒にくるくる回ったり。海を漂うように。
 それがうおゴコロと言うえのすいトリーターと魚たちとの触れ合いパフォーマンスだと知ったのは後のことだ。
 そのときの私はそれが知り合いの彼女で、わざわざ帰る前に私の前に姿を現してくれように思えたのだった。
「元気だよ」
「私はここで元気にしてるよ」
 母胎のような水槽の海を漂う彼女はやはり幸福そうで。人々は一人、二人と増えては彼女を見つめていた。
 私は熱心に写真を撮った。ほとんどがピンボケだったが、お構いなしに撮っていた。
 
 
 世の中には人を幸福にするために生まれてきた人がいる。
 そういう選ばれた人ともし関わりあうことが出来たなら、ましてやその相手に多少の影響力を持ってしまったなら。
 例えば仕事だって同じことだ。企業は人々や社会に貢献するため存続するのだから、そこに何かの縁で属するものになったのならば。
 私ひとりでは何の社会貢献も出来はしない。だけど、会社に属し、その場で懸命に日々働くことによってもしもたった少しでも何か社会全体に貢献できるならば、私自身の「問題」など何の意味があるだろうか。
 草彅君が彼の笑顔と頑張りと、その存在のすべてでたくさんの人々に元気と希望を与え続けたように、もしもそういう幸福な人と出会ってしまったら私は今度こそその幸運を神に感謝しようと思う。
 私自身で出来ることは限られている。私は愛する人と仕事を通して、人々を幸福にしたり、人々を楽しませたり、それから社会に貢献したり、そういうことに少しでも協力できることだろう。その可能性がある限り。
 私は全身全霊を持って、ここを、彼を、支えるのだ。
 自己犠牲と言う陳腐な言葉を超えて、その考えは私を幸福感で満たすのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2009年4月18日

今は愛する人のドグラマグラだけで限界だ。

 
 
 
 待ちに待った休日。
 カメラを抱えてまたプチ撮影旅行へ出かける。
 今週は新しい三脚の練習を兼ねて三脚撮影の禁止されていない浜離宮恩賜庭園へ。
 と、毎週真面目にこの小さな旅の日記を書き綴ってきた私だが、今日はどうも真面目に書くのが馬鹿馬鹿しい気分だ。
 世の中には不真面目なやつらが多すぎる。多少年を重ねてきた(つもりの)私はそれがいちいち腹立たしくて仕方ないのだった。
 私達は多かれ少なかれうまくいかない人生を抱えている。
 自分の思い通りに生きていけるものは限られた幸運なものしかいない。
 だからと言ってその内面のどろどろした鬱憤を自分の中で昇華させようとせずに、他人にぶつけることはないだろう。
 私はこの自己の鬱憤的ネガティブな感情を「ドグラマグラ」と呼んでいて、それを他者への嫉妬や憎しみや恨みに摩り替える人々に対してまったく寛容ではない。まるで私が客商売をしていた時に「お客様は神様です」と言う心得を守ろうと必死に努力していたにもかかわらず、休日、自分が買い物に行って客になったときにはまったく神様どころか人並みの客扱いもされずに体よくあしらわれたかのような不快感を催すのだった。なんだ、今のナマイキな店員は。有名なブランドの店だと客より偉いのか!とか。田舎モノ、センスがねぇってなめとんのかごら!とか。私の日頃の血の滲むような苦労をお釈迦にされたような気分になって、思わず暴れだしたくなるのである。
 自分のドグラマグラは自分で処理しろ!
 私にはまったく関係ないことだ。
 
 ところが不思議なことに、そう内心怒鳴りつつも、まるで自分に責任があるようにも思えてくるのである。
 多分関係がないほうが事実で、私は他人のドグラマグラ噴出のどろどろなど無視して勝手に楽しんでいてもいいはずなのだ。だけど、多分宮沢賢治の読みすぎだろう、もしくは誰かの罪は全体の罪である、と言うような、すべての罪には無関係な人間など誰もいない、と言う様な、宗教的な考えが身についてしまったのかもしれない。
 そんな私の善的な心持から来る負い目を勘の鋭いやつらは察知して、持て余していたペットボトル(中身はもちろん飲み尽くしている)の捨て場所を見つけたかのように私に向けて噴射するのだ。ゴミ箱じゃないっての。今どきペットボトルはリサイクルだってお金がかかるんだ。初めから紙パックか瓶のジュースを飲んでくれ。
 私は無視すれば負い目、受け止めれば不快感、と言うどっちに転んでも嫌な思いを味わうのだった。
 ダブルバインドってこういうのも言うのだろうか。何とか知的に言い表したいものだが、腹が立つとそれさえもどうでもよくなってくるのだ。
 こうなると、他人が昇華仕切れなかったドグラマクラまでも抱え込んで、自分のドグラマクラ+他人のドグラマグラを一人で昇華しなければいけなくなる。
 多分、相手にペットボトルを返すよりもそのほうが早い。私に投げ捨てて、足早に去って行ったやつらなど追いかけてしかりつけてもどうなろうか。きっと彼らは返されたペットボトルをまた違う相手に投げつけるのだ。
 私はひとり、ペットボトル再生工場を建設する壮大な夢を抱くのだった・・・
 そうすればこの世からゴミが少なくなって、その工場の利益で私自身も潤うはず・・・多分・・
 
 
 
 しかし、それには長い時を要するだろう。
 買ったばかりの三脚、今日初めて使ってみたのだが、手持ち撮影が長かった私にはまったく馴染まなかった。感覚を掴むまでこれから要する年月のように。
 もしかしたら一生馴染まず、自分のものと出来ぬまま、そのまま終わってしまうかもしれない。
 私は三脚を投げ捨てて、手持ちでシャッターを切り始めるだろう。いつかのように。
 先週考えたような職人的な写真を撮りたかったら、私は諦めずに、何度も、何度も、チャレンジしなくてはいけない。
 いつかその感覚を実感として掴むまで、繰り返し練習するのだ。
 死ぬまでに辿り着くのだろうか。今の生では無理かもしれない。
 そんな不安さえも昇華させていくしかなかった。
 
 三脚にカメラを固定したまま持ち、私は浜離宮の庭園内をうろうろと歩いていた。
 互いのニコンを見せ合って楽しそうに笑い合う若者たち、コンデジや携帯で花を愛でる人々を眺め、すり抜けていく。
 写真を好きになるたびに、また荷物が増えていく。
 だいじょうぶ、思ったほど重くはない。
 ため息をかき消すようにミスチルのギフトを口ずさんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2009年4月12日

春の終わりと新緑の季節 ~最後のお花見、小石川後楽園~

 
 
 
 
 土門拳の愛蔵版古寺巡礼を入手した。
 三仏寺投入堂全景(写真のタイトル)を目にしてから、あまりよく知らないこの有名な写真家に対しての思い込みを粉々に砕かれた私はいつか実物を見てみたいものだと考えていた。しかし絵ではあるまいし、写真集でもいいじゃないかとある夜猛烈にその写真を目の前で見たくなった私は半ば衝動買い的にAmazonで購入、翌日本は我が家にやってきた。
 やけに重い。愛蔵版と言うだけのことはある。姿勢を正してぱらぱらめくりはじめ、しょっぱな仏像の写真に出くわして思わぬ距離感を感じる。感動とは程遠い、どうも粉々に砕かれる直前の思い込み通りの親近感の沸かぬ硬い印象。少々鼻白む。古寺、古寺、古寺、仏像の全身、一部分の切り取り、そしてまた古寺、古寺。見進むうちに私はこの芸術家、いや類稀なる表現者としての彼が写真撮影の職人であることに気がついた。しかも徹底した、完ぺきな仕事を実現させる、プロ中のプロの職人だと言うことに。
 土門拳は写真は表現手段の一つであり、個人の芸術的な所産だと考えていたと聞くが、この表現やアートには感覚だの感性だの何だかよくわからない表現者特有の才能は微塵も感じられない。見事な技術と、完璧な精度に対する個人の執念とによって裏打ちされた、その上での表現であり、芸術であった。
 頁をめくり進むうち、本の中盤あたりだろうか、見たかった見たかった「三仏寺投入堂全景」が現れた。そうして更に進むと「三徳山遠望」が飛び込んできた。
 私は僅かな綻びを探していた。土門拳だって人間だろうと、どこかに写真家の職人としてではなく、人間土門拳の人間臭い綻びが見つかるのではないかと目を凝らしたが、ない。
 すべて完璧だった。
 私はプロとアマの決定的な違いを見せつけられた様な思いがした。
 そうだ、人間臭さを排除するほどの技術と、完璧な作品に対する執着心を持ち合わせた上での個の表現なのだ。それを芸術と呼ぶのだろう。
 まるでいつか独創性のことを考えた時と同じだった。
 
 
 
 土門拳に影響を受けて、ずっと保留にしていたモノクロ写真を撮りに行くことにした。
 私はモノクロ写真が好きなのだが、どうも腕が追いつかない。色で表現できるカラー写真と違ってモノクロ写真は難しいのだ。例えば天気が多少悪くても、カラーならば優しい光加減と温かみのある色合いでそれなりの絵は撮れる。(と言っても私レベルのそれなりだが、ような気がする)ところがモノクロになるともういけない。少しでも光が足りないと腕がない上に天候の悪条件が加わるともう駄目なのだ。まったく人様に見せられないようなものしか撮れない。それでもこのブログはどうせたいしたアクセス数もないので、七福神巡り等の記録写真等、ボツ写真も色々とアップさせて頂いたが、たまたま見てしまった方々にはずいぶんうんざりさせてしまったことだろう。
 そこでとりあえず好きな写真はいったん保留にしてカラー写真の練習に没頭していたが、今日はたまたま天候も良い。とにかくモノクロを撮りたくて仕方ない。土門拳の写真の美学がそうさせたのだ。私は感覚とか感性とか私の人間らしさとかを排除した、今の私のレベルで出来る限りの職人技的モノクロ写真を撮りたいものだと考えた。
 250ミリの望遠とモノクロのグラデーションに強い白黒時代のオールドレンズ、それとミニ三脚、各種フィルター、あとはこれも買ったばかりのアングルファインダー、それから握り飯とチョコレートを持参して私は小石川後楽園を目指した。ここは落ち着いて写真の勉強が出来る場所で、なおかつ景観が素晴らしいので、都内の庭園のなかではお気に入りのひとつだ。前回行ったときに通天橋を撮り損ねたので、今回こそは撮ろうと意気込んで出かけた。
 
 
 
 
 
 
 今日は雲ひとつない晴天、絶好のモノクロ日和だが、私は目標出発時間を大幅に遅刻して、また飯田橋駅についてから小石川後楽園までの道のりを間違えて飯田橋1丁目から3丁目をぐるぐる周っている。さっと雲が流れてきて、今にも曇ってしまったらどうしようかと焦ったが、春の強い陽射は以前と直下し燦々と降り注ぐ。曇る兆しも見えない。今回は大江戸線ではなく、東西線を使ったので、地上出口を出たときの光景が全く違ったので道を誤ったのだ。私は自身のブログの記事のことを考えていた。
 焦りや不安や不信や恐怖に苦しみに嘆きに、すべてのことは今までここに書き尽くして来た。そのたびに私は解決方法に気付いたり、悩みに打ち勝ったり、新たな発見を繰り返してきたのだった。
 小石川後楽園までの道を歩きながら私は呪文のように呟いた。「すべての答えはすでに私の中にある」
 私はひとつひとつの記事を思い返しながら力強く天を仰ぐ。晴天だ。
 
 
 
 
 
 
 
 入り口入ってすぐ、まずはカントウタンポポを撮った。アングルファインダーを使ってローアングルのショット。今日はローアングルと組み写真と引き算に徹したフレーミング、それからフレアを取り入れた写真を撮ってみようと贅沢な目標を抱いていた。カントウタンポポの後は通天橋、撮影場所はここがメインと言っても過言ではなかった。私は場所とアングルを変えてしつこい程に通天橋を撮る。通天橋は朱塗りの虹橋で、京都・東山東福寺の通天橋にならったものだそうだ。モノクロだと朱塗りが活きず、全く映えない。木々と同じ程度のモノトーンのグラデーションになって、景色に溶け込んでしまう。何とか橋を際立たせたかったが、最後までうまく撮れなかった。
 また朱色が映えぬほど新緑が眩く美しいのだった。まだ桜の花も咲いている。大泉水には池の表面が見えなくなるほど桜の舞い落ちた花びらが浮かんでいる。なのに、どうだろう。この美しい緑は。桜は花を落とすと同時に葉を出し、新しい季節の到来とその生命力とを感じさせてくれるものだが、緑の季節が美しいのは葉桜のさらにその少し後だったと思っていた。私の思い違いだったか、それとも今年は早いのか、今日この場所は、毎年抱く散りゆく桜の花への切なさやある種の感慨を全く忘れさせてしまうほどの美しい緑に溢れている。今年は桜が開花してから散るまでに三週間もかかったと言うのに。私は移り行く季節の早さに驚きを隠せず、多少戸惑いながら春の終わりと夏の始まりを組み写真として捉えてみるのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 しかしどうも幾ら絞ってもピントが甘い。昨夜見た写真集のあの完璧さとは比べる余地も全くない。頑丈な三脚が必要だ。私はレンズをオールドレンズに切り替えて今度はシャガの花とフレアを取り入れた写真にチャレンジをした。園内はカメラを抱えた人々がけっこう多い。三脚は禁止と謳っていたが皆三脚の足を広げず、園内を鑑賞する人々の邪魔にならぬようひとつにまとめて一脚として使用していた。私も次回、丈夫な三脚を手に入れたらああして使ってやろう、そうしてもっともっと出来うる限りの完璧を目指してやろう、そんな風に思いながら、今この場にいられることに感謝するのだった。
 なぜ写真を撮るのか、何のために何を表現したくて撮るのか、常に自分の写真道についてか考えよとある写真教室のサイトで読んだ。私がこの問題について考える時、やはりどうしても外せないのが世界と私を繋ぐツールがたまたま写真であったと言うことで、私は今まで何度も繰り返して書いてきたブログの記事をひとつひとつやはり思い返してみるのだった。
 シャガの花ばたけにしゃがみ込んで撮っていると若い恋人同士が歩いてきて、お互いを写真に取り合っていた。大泉水のほとりで散り行く桜と池の上の花びらを眺めていると、後ろから石をぶつけられた。驚いて振り向くとそれは石ではなく鯉の餌で、石段の上にいた5歳児くらいの小さな少年は私の視線に気がつくとあわてて母親の元へ駆けていく。もしも私が写真を趣味としなかったら私は今ここにいない。多分出不精だから、家と職場の往復しかせず、個の世界と他者との世界との窓口を自ら狭めて行っただろう。
 レンズを変えて今度はカラーも撮ってみる。大泉水に浮かぶ蓬莱島にコサギがいて、三脚と一脚として使用する写真愛好家の人々が熱心に撮っていたのはそれだった。美しいコサギのつがいを私もカラーで、望遠レンズで、狙う。不思議なのはモノクロを撮り続けた後カラーに切り替えるといつも物足りなく感じると言うことだった。普通ならば色がない世界のほうが物足りなく、カラーに切り替えたとたんそれまでなかった手足を取り戻したかのように豊かに感じられそうなものなのだが、実際はいつも逆だ。まるで表現方法が狭められたかのような不便な思いを味わいながらコサギと最後の桜の色を写し取る。
 私は桜の木の下に座り込んで、最後は彼女をモノクロで撮るのだった。
 
 ありがとう。ありがとう。
 また来年も絶対に逢いに来るから。
 
 私を否定し続けたこの世界を、私が受け入れて愛しく美しく感じることが出来るのは、すべて写真のおかげだった。
 そうして私がそれらを少しでも輝かせることで、彼らもやっと私を優しく包み込んでくれるかのように。
 誰よりも美しい写真が撮りたい。いつの日にかきっと。
 そのための職人に徹してやろうと桜の木々に誓うのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

2009年4月5日

闇夜と桜の精霊 ~春爛漫・千鳥ケ淵再訪~

 
 
 
「枝葉ばかりを見てないで、木を見てくれよ」
 以前の会社にいた当時の私の口癖である。どうやら「木を見て森を見ず」と言いたいらしい。
 資産運用のベンチャー企業だった職場は業務がシステム化されていなかった。私の部署は自己資産が増えるたびに運用にまつわる業務の手順をフローチャート化して、他部署に説明していたが、その通りに行われることはなく、各部署がてんでばらばらに各部署に都合良く業務を進めてしまうのだった。
 力関係がそうさせていたのだと思う。業務担当の部署よりも営業や企画等の部署のほうが社内では重きを置かれていて、どんなに最後にケツをぬぐうハメになる重要な仕事をしていたとしても、所詮私達の部署はすべて部署に発生するの面倒な事柄の事務処理班でしかなかった。
 そうなるとフローチャートは意味をなさず、私の部署はたえずストレスを抱えていた。なぜCをやらないのか、と上司や担当者に責められても、そもそもA→B→CとなるはずのAが出来ていない。Cが順調に出来るはずもない。なのに、会議のたびにCを徹底させることばかりを話し合っている。どうにかしようぜや?
 私の願いが通じたのか、みな同じ考えだったのか、ある日社長が動いた。プロを雇って、私達の部署に送り込んだのだ。アウトソーシングの彼ら内部システム作りのブロ集団は三ヶ月間かけて私達の部署の全業務と他部署とのかかわりとその影響とを把握して、業務を完ぺきなシステム化することに成功した。ぶ厚いマニュアルが会議室に首をそろえた私達の元に届けられた。私達は感動と感謝の言葉を彼らに捧げたものだ。なにせ社長が率先してことを進め、会社公認となったマニュアルだ。天下無敵の印籠と同じだった。
「これでもう右往左往することなはい」
 もう道なき道を無理やり切り開きながら、危険に怯えて進むこともないのだ。皆がそう思った。プロ集団は言った。
「すべての(他)部署にもこのマニュアルを配ります。すぐには無理だと思いますが、業務を進めるうちにもしも躓いたらこの基本に戻っていただいて、あとはこの流れを社内で定着させていただければいいだけですから」
 ところが私はそのすぐ一月あとに移動となる。移動と言っても同じ課のなかで、新たなプロジェクトのためのチームを作ったそのひとりとなった。今までのように自社で取得した資産ではなく、外資系企業が取得をした資産の運用にまつわる事務処理だけをアウトソーシングとして受託したのだ。外資系企業は自社よりもはるかに規模が大きい。やり抜けば自信に繋がるやりがいのある仕事ではあったが、せっかく出来上がった社長公認の御印籠のマニュアルは一切通用しない。またフローチャート作りから、一からやり直しだった。経験者は課の上司が二人いるほか、チームは私とチームリーダーの二人だけで、あとはすべて新人だった。経験者を新規で雇い、マニュアルどころかすべてが一からのスタートとだった。そしてチームが始動してすぐにチームリーダーは体調を崩して長期の休職期間に突入する。私がすべてを任させるハメになった。
 所詮切り込み隊長か… 思わずそう呟いたのも無理はない。明らかに無理がある。なのにやらなくてはならない。私は全く新しい業務のフローチャートを作り、外資系企業とその取引先に説明して回り、運用のための契約書を作成して、経験者とはいえうちの会社の業務は全く無知の新人たちを教育しなくてはいけなかった。明らかに無理があった。木を見るどころか枝葉を見ることもままならない。森も見えず、木も見えず、真暗な暗闇を手探りで歩いていったのだ。
 
 
 千鳥が淵に桜を撮りに行った。
 あいにくの曇り空、夕方からは雨が降ると言う。月末月初の仕事で連日残業だったせいか、疲れが残っていた。体が重い。楽しみにしていた満開の桜だと言うのに、このまま寝ていたい、と思う気持ちを抑えてどうにかこうにかやっとのことで家を出る。
 ぼうっとしていた所為か電車を間違える。始発の電車は二箇所の行き先のものがある。間違えたことに気がついて分岐点に引き戻すと、元の行き先の電車は都会を経過してすでに満員となっていた。きちんと乗っていたら座って眠っていけたところを、満員電車で押しつぶされながらやっとのことで九段下に到着する。体の重さは二倍になっていた。
 改札を出て、地下出口から地上に到着するまでがまた長い。花見に訪れた人々が列を作って並んでいて進まないのだ。少しずつ階段を上り、やっとのことで地上の光が見えると、数々の喚声が聞こえてくる。おおお。わぁ。感嘆の吐息も漏れている。現れた地上の景色はまさにそれらにふさわしい楽園のように。いちめんの桜が咲き誇っていた。
 
 
 
 
 
 
 一瞬心を動かしたがすぐに難しい顔つきになる。昨日の職場からずっとこの表情なのだ。私は桜を見るのもそこそこに人がいないところに行って一服をする。それから重い腰を上げるようにやっとのことでカメラを構え始めるのだ。
 先週も千鳥が淵を回ったのだが、今回は先週とは逆回りをすることにした。田安門から北の丸公園に入り、千鳥が淵公園から千鳥が淵緑道を回って、靖国神社と言う先週の順路の逆を行き、なぜなら千鳥が淵緑道が左側通行で左に桜が咲いているからだが、千鳥が淵緑道から千鳥が淵公園を周って、それから北の丸公園に入り、田安門から出て靖国神社と進んでいった。
 東京は花見のピークだ。3月21日に開花した桜は約二週間かけて満開となった。その日を待ちわびた人々が大勢訪れ、先週の二倍か三倍くらいの人々が緑道をそぞろ歩いている。千代田区のスタッフが大声で言う。
「写真を撮る皆様、千鳥が淵の見所はここだけではありません~奥にもっと素晴らしいスポットがありますので、立ち止まらず、安心して進んでください~」
 カメラを抱え、お堀を覆う桜にかぶりついていた人々から失笑が漏れる。それもそうね、と口々に言ってのろのろと歩み始める。
 私は重い体と冴えない頭を抱えて首を傾げた。
 史上稀に見るスローペースでついに満開になった今年の桜は千鳥が淵緑道辺りの堀端ではまだ蕾が多い。木の天辺は開花していないのだった。なのに木の下のほうはもう葉桜となっている。花びらがひらひらと舞い降りてくる。開花していっぺんに花開く例年の桜と違って、花の群れの厚みがない。迫力に欠ける痩せた咲き方をしているのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 傾げた首を今度はひねってみる。どうやって撮ろうか?
 どうすれば美しく撮れる?
 花の群れは肥えていない。ならば水はどうだろう。私は満開になれば千鳥が淵の濠の水上に、美しい桜の花が映りこむと期待していたのだが、いつもそうなのかそういう水質なのか濠の水は土色に映えていて、花を映し込みはしない。桜色を美しく撮るためにホワイトバランスを調整していたのだが、色温度を上げると水が茶色くなる。映えない上にあまり綺麗とは言えない水景となっていた。思い切って、色温度を下げてみた。すると水の色は涼やかな青系になるが、桜の花が映えない。千鳥が淵といえば咲き誇る桜の花と濠の水景、のはずなのに、どうもどちらも美しくない。仕方ないから全体の景色はあきらめて望遠で桜のアップを撮ろうかと考えた。しかし、風が強く花は揺れている。望遠で撮るには三脚なしでは辛いようだ。そもそも千鳥が淵まで来て、なぜマクロで撮らなければいけないのだろう。私は試行錯誤しながらいろいろと試してみる。
 ふと冒頭の口癖を思い出したのだ。枝葉ばかりを見て木を見ない、と。
 私は枝葉を見て木を見ていない。そうして、森を見て、やはり木を見ていないのだ。その思いつきに視点を変えて木を撮るように心がける。すると面白いように千鳥が淵が輝きはじめた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そうだ、この名所の特徴は桜の花と濠の水景ではなかった。水面に流れるように枝を延ばす、その桜の木の美しさにあるのだった。
 多分そんな風に考えるのは私だけで、笑われることなのかもしれないが、どうでも良かった。
 私のなかで、桜の木々が耀きだした。そのことが嬉しかった。
 迷いを振り切った後、それから私は精力的に撮り始める。もう体は重くなかった。頭は冴え渡るようだ。桜の精霊から力を授かったのか、それとも力を吸い取られたのか。渾身込めて桜を撮って、撮り続けて、北の丸公園を抜けて武道館につく頃には、私はへとへとになっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 靖国神社のお祭りでまた屋台の食べ物を沢山食べようと思っていたが、ほんの少ししか食べられなかった。それ以前に祭りを楽しむ元気がもう残っていない。私はおざなりに靖国神社の桜を撮って早々に引き上げた。
 
 時刻は夕刻、日没まで後一時間と少しだ。夜桜のライトアップを見ようと沢山の人々があとからあとから訪れて千鳥が淵の緑道へと向っていく。
 武道館で大学の入学式が行われていたようで、若者たちの姿も多かった。彼らは楽しそうにさざめきあって靖国へ、桜の中へ消えていく。私はひとり、後ろ髪を引かれる思い。くたくたにくたびれた体を一刻も早く休めたくて去っていくのになぜか置き去りにされた気分。靖国通りでは風が吹くごとに桜並木の桜が花を散らしていた。ごうぅと音を鳴らして、それから横殴りの雪のように一気に舞い降りてくる。神に感謝した、長く咲き続けた今年の桜もついに終焉の影を見せはじめた。なのに私はその場に立ち合わせてもらえないかのように、最後の祭典から締め出しを食らったかのように駅へと急いでいる。楽しそうに笑い合う若者達を初めて羨ましく感じた。私は悶々と、妬ましい思いを抱きながらカメラを抱えて消えていく。ほんの一時、見えたかのように思えた精霊は、またその美しい姿を闇に中にひそめてしまった。