2009年5月31日

箱根外輪山周遊歩道 ~森を楽しみながら~

 
 
 
 先週のリベンジで本物の森林を見にお出かけです。
 
 
 
 
 写真左・道の駅
 箱根湯本からバスで箱根町へ。芦ノ湖沿いを南西に進んでいくと箱根峠の休憩所、「道の駅」が現れます。
 写真右・外輪山周廻歩道(登山道)の入口
 1号線を挟んで向かいにあります。登山道は西方向に芦ノ湖スカイライン、東方向に芦ノ湖を望んで、その間を平行するように続いていきます。
 
 
 
 
 
 写真左・登山道入ってすぐの標識
 尾根道を山伏峠、三国山に向ってまっすぐ北上していきます。ちなみに道は湖尻峠で分岐します。御殿場へ向う乙女峠方向と箱根芦ノ湖方面(あとで記述)。
 写真右・登山道
 暫くはゆるやかな坂道の檜林が続き、それから細い丸太階段を登っていく。山草が美しい。
 
 
 
 
 
 
 写真左上・海平(海ノ平)
 林道から突如開けた斜面に出る。丸太の階段を登っていくと、草原のような道に出る。ススキの原の海ノ平だ。360度の展望が素晴らしいが、雨上がりのため雲が出ていて残念ながら視界が良くない。晴れていると富士山、駒ケ岳・神山に愛鷹山、駿河湾、天城の山々も見渡せるそうだ。
 
 写真右上・草原をずっと行くと山ツツジに出会いました。
 写真左下・林道戻る直前、ちらりと芦ノ湖を拝む。
 写真右下・林道へ。両脇はハコネダケ。やたらと多かった。
 
 
 
 
 写真・苔に覆われた木
 山伏峠へ向うに従って林が深くなる感じ。苔に覆われた木々も多くなる。
 
 
 
  写真・山伏峠近辺
 山伏峠のレストハウスからまた尾根道へ突入する。ケヤキ、ブナ、リョウブ、カエデ類、ヤマボウシ、マユミなど、落葉広葉樹が続く。山ツツジやホオノキの大きな花も時折見られる。また、このあたりになると巨木も目立つようになる。
 
 
 
 
 
 写真・林から森へ 山道から森へ
 落葉広葉樹の数々。登山道は枯れた落ち葉に覆われて、歩くと音を鳴らす。貴重なブナも巨木が目立ち、三国峠を通り越した頃には感動も薄れるほど。
 
 
 

 
 写真上、中・橅
 ブナの木、樹齢を考えると気が遠くなるほどの時間を感じさせられる。
 写真下・帰り道
 三国山から湖尻峠へ。この湖尻峠で乙女峠方向と深良水門方向(芦ノ湖方向)へと分岐する。湖尻峠から桃源台までは3,4キロほどで到着できる。芦ノ湖を眺めながらの道のりも楽しい。
 
 
 いつの間にか三国山を通り越していた。めずらしく山頂の標識がない。林の中に山頂があり、展望が開けるわけではないと聞いていたが、あまりにもあっけなく峠を越えた。
 山は厳しい。険しい。登る苦しみの代償として達成感や眺望の美しさを得る、とでも言うかのような登山(ハイキング)の認識を覆されるような山の遊歩道だった。
 こんな山道もいいなぁ。
 私は樹木の本を広げては、木々やその葉っぱを眺めながら、またはカメラのシャッターを切りながら、美しい森の中を歩いていく。
 
 
 
 
 
 
 

2009年5月24日

東高根森林公園は美しいのか?

 
 
 
 
 《東高根森林公園》
 かつて豊かな自然と多様な生態系を誇っていた多摩丘陵に残存する森林公園。緑ヶ丘霊園、向ヶ丘遊園跡、生田緑地と共に、往時の貴重な自然環境を今に伝え、近隣住民に憩いの場を提供している。また、自然林に近い形で残っているシラカシ林は、学術的にも非常に価値の高い植物群落であり、文化財として県の天然記念物に指定されている。神奈川のかながわの景勝50選。『ウィキペディア(Wikipedia)』より
 
 
 
 
 
 
 同じ日、同じ場所に行った、見知らぬ誰かのブログを読んで、自分とまったく違う印象や感想を抱いているのを知ると、へこむ。
 ひとりならまだいい。日にちをずらしてひとり、またひとりと読み進んでいくと、違うのは相手ではなく私ひとりだったりすることもある。こうなるともう、自分はあの場所ではなくて異次元にでも行っていたのではないかと言う気分になってくる。5月23日、今日の話だ。東高根森林公園に出かけたのである。
 
 私はこの学術的にも価値の高い、貴重な自然溢れる森林公園に行くために、下調べをして地図を確認した。切抜きの地図と画像の地図も持参した。両方の地図を見ながら歩いていた。
 なのに。
 まったく反対方向に歩いていたのである。
 簡素化された地図には道々の建物等の詳細は書かれていない。下車駅(の線路)と、その周辺の道と交差する線路、大体の目安となる学校の場所くらいだった。だからと言えどこれはありえない。確かに後ろには東急電鉄が走っている。右横はJR線があり、暫く進むと地図と同じ高速道路があった。方向は間違っていないはずだ。バスで10分の道のりだった。歩いても大したことはない距離のはずなのに1時間歩いてさっぱり着く気配がなく、手持ちの地図で見当がつかなくなった頃、私はやっとコンビニエンスストアに行って詳細の市街地地図を確認する。そこでようやく気付いたには、後ろに東急電鉄、右横はJR線、その要件を満たす道は方向を変えればふたつ存在するだろう。要は東急電鉄の進路方向(上りか下りか)を勘違いしていたらしい。おまけに東名高速だと思っていたのは第三京浜で、これもまったく高速道路に対しての無知から来るものだった。
 私は30度近い、5月らしからぬ暑さの中を、元来た道を引き返している。汗が吹き出ている。呼吸も荒い。バスに乗ろうかと思ったが、待つより歩いた方が早そうだ。
 いつもこうなのだった。1時間近く迷って、スタート地点に戻ったらまた一時間かかるだろう。そこから正しい方向へ進むにはもう疲れ果てて、バスを使うとする。初めから、駅を降りた時点でバスに乗っていたら、時間も労力も消耗せず、僅かで済んだ。何をやっているんだ、何をやっているんだ、と呟いている。いつも人より多くの時間と労力を費やして、人と同じ道をやっと行く私だった。その分、多分非常時に臨機応変に対応できるようになったりとか、多く歩いたおかげで体力がついたとか、迷った分様々な道を覚えたとか、言おうとすればいろいろな利点はあるのだろう。しかし、今日という今日は流石にへこんだ。こんなに大幅に、まったく正反対の方向へ行くほど道を誤ったのは初めてだった。私は生まれて初めて携帯のGPS機能を使った地図サービスを利用した。あまりにも簡単に現在地と目的地をはじき出すその機能によって、ますます私はまったくのバカになったかのような気分にさせられた。
 
 へこみっ放しの今日である。
 
 私の写真道、強いては写真を撮りに行く時に歩む道と、私の世界との関わり方はとてもよく似ている。
 東高根森林公園に向かうバスの中、冷房の涼しい風に吹かれながらつい苦笑いをした。こんなものなんだ。私は世界を無視しているわけではない。なめてもいない。いつも勉強して調べて、敬意を持ってそれ相応の覚悟で望んでいるのに上手く関われない。 それともバスで10分の道のりを「歩ける」と判断したことが過信だったと言うのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 いつだってこんな風に素晴らしきかな的な世界を享受したことのない私は、そもそもそういうものを求めていないのだった。私にとって世界は美しいものではない。例えば休日、家にいて、夕陽や朝日が輝いていたり、世にも美しい絶景の風景や花鳥風月調の写真を見せられたら、私は感嘆できないだろう。今ここにいる自分とのあまりの差に驚いて、逆に悲しみや空しさまで感じてしまうかもしれない。昔ハリウッドの映画でタクシーの運転手が一枚の写真を大切にして、休憩のたびにその絵を見つめているという物語を見た。青い空に青い海、常夏の島のまるで楽園のような絵。彼はその写真を見ては、その場所へ行った気分になっている。どんなことにも堪えられるお守りのようだった。
 貴重な瞬間と場所とを切り取った美しい一枚の絵は、見るものに夢や希望、それら願望から来る(生に対する)力を与えるか、それとも現実とのギャップを受け止めて逆に力を奪ってしまうか、ふたつにひとつのような気がする。私は多分後者だ。映画の主人公にはなれそうもない。
 私は近隣住民の憩いの場となるような森でいい。特別でなくていい。道を誤って辿り着くようなところでいいのだ。もしもそんな場所を輝くように撮ることができたならば、それが力(救い)となる。それが私の世界に対する恩返し(贖罪)なのだった。美しくこの素晴らしきかな世界を映し出せない私からの。
 
 
 
 
 
 
 
 パークセンターから公園に入ってすぐに、私は感嘆の声を上げる。さすが近隣住民の憩いの場だけあって、休日をのんびり過ごそうとする家族連れが多い。笑顔。自然溢れる景色。緑が綺麗だ。冒頭のウィキペディア(Wikipedia)と学習して行った記事や写真等にすっかり先入観を植え付けられている。見るもの見るもの輝くように映し出されて、どんどんと心が弾んでくるように感じられ、しかし、頭の隅で疑問に思っている。まだ蕾の紫陽花の葉がすべて虫に食われていた。なぜだろう。
 ケヤキ広場から湿生植物園、自然観察広場、子供広場を周って、古代芝生広場で休憩を取る。古代植物園、花木広場を巡ってちょうど一周した形でもとの正面入口に近いケヤキ広場に戻ってきた。この頃には疑問が確信に変わっている。写真を撮ろうとして必ず蜘蛛の巣に出くわすのだった。花も、木々の実も、遠目で見てその美しさに近付くとはっと気付くともじゃもじゃの蜘蛛の巣が覆っている。ケヤキ広場から湿生植物園に向うあたりにある池も水景が大好きな私にとってはご馳走だったのだが、やはり周りの紅葉や松の木、ツツジ、すべて蜘蛛の糸で覆われていて、思うように撮れない。撮る以前に諦めて、構えることさえできなかった。池の水も汚い。ところどころに小川があり、せせらぎが聞こえてくるのだが、こちらはまだいい。溜まった水場は濁って、今日の暑さでまるでうだっているようで、鴨も泳いでいない。彼らは水辺に上がって、木の橋の淵や地に上がって体を休めていた。
 特に酷かったのは正面入口に近い場所で、このあたりのツツジ等花や小川や木々はもう見られたものではなかった。どうして初めに入ったときに気が付かなかったのか、感嘆の声をあげたはずなのに、まるでまったく違うものを見せられているような有様だった。蜘蛛の巣に覆われた植物をよく見ると、もう真っ白な綿飴をかぶったようで、私はこれは蜘蛛の巣ではないのではないか、新種の花とか、別の虫やあるいは鳥か何かの巣ではないかと思ったほどである。試しに指で触ってみるとぺとぺとと粘って張り付いてきた。おまけにすぐ近くに大きな蜘蛛が休んでいるのを見つけてしまった。私は逃げ出すように出口へと向っていく。ここはまるで廃墟のようだ。
 
 
 
 
 
 
 すぐ横を4,5人の作業服を着た男女が掃除をしていた。彼らはこのいったいどこを掃除していたのだろう。箒で落ち葉を集め、生垣のように並んだ低木の余分な芽を鋏で刈り取っている。ちょん。ちょん。ちょん。ちょん。イライラする気持ちが湧いて来て、目を背けた。私はワーッと叫んで、この廃墟にDDTを吹きかけたかった。戦後に、敗戦国の民衆が掛けられた髪の毛も顔も真っ白にするあの消毒剤。そうだ。この地球と同じなんだ。今や自然は危機的状況で、私たちが思っている以上に退廃は進んでいて、現存する貴重な自然公園さえがこの有様なのだ。(私はこの維持管理の怠慢さを現在の経済危機の結果ではないかと疑った。が、帰宅してから調べたが思うような回答は得られず、膨大な管理費があることだけがわかった)なのに、どうしてみんな平気な顔をしているのか。家族連れは一様に笑っていて、寝転んだり、走ったり、池の生き物を取ったりして楽しそうだった。
 なぜだ。
 ここはオアシスのはずだった。高望みもしない私が、手に入る身近な範囲で欲して、しかもあれだけ道を誤って、やっと辿り着いた場所だった。
 ここが廃墟に見えるのは私ひとりだと言うのか。
 私は公園を飛び出した。それともやはりもう限られた時間の限られた場所を選択しなければ、「普通に」風景写真は撮れない現代なのかもしれない。もしかしたら。皆はわかっていて、割り切ってこの世界の底辺と付き合い、それでも笑顔を持って映し出しているだけなのかもしれない。私は甘かったのか。
 
 黒いアゲハや紋白蝶が飛んでいた。蜘蛛の綿に覆われた花々に近付いては上昇し、ただひらひらと漂っていた。当てもなくどこまでも行くように。森が、体が、熱かった。空気がうねるようだ。笑い声が聞こえる。鳥の鳴き声を一度も聴いていない。いっそのこと夕立が降ればいいと思った。雨がすべてを洗い流して、この熱を奪ってくれればいい。
 私は最後に一本の木を撮った。木だけが絵となった。
 それでも木々は立っているのだ。彼らはこの廃墟の中で、逞しく、芽吹いていた。まるで奇跡のようだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

2009年5月17日

横浜元町ローズガーデンの「こちら側」

 
 
 
 影の社長と呼ばれている元管理職の嘱託社員が退職することになった。
 彼女はとうに定年の年を迎えていた。あまりの影響力の大きさから、業務に支障を来たすとして慰留され続けていたのだった。それともうひとつ、彼女が残らなければならなかった理由は、彼女の契約期間が切れる頃、必ず誰かが辞めていくからだ。新人が絶えず入れ替わればベテランが残らなくてはならなかった。そうして入れ替わる新人の椅子は必ずひとつ。そこにたまたま私が座った。
「最近人の流動がないからベテランばかりになってしまうのよね」
 ある日、昼休みに、機嫌を悪くしていた彼女がさも困ったと言う表情でそうもらした。
「今までは誰かしら辞めていく人がいたから人が入れ代われたのだけど、ねぇ」
 新人がいないと職場が新鮮ではないと言う意図の話だった。表向きはその場にいた他の課の面子に語りかけていた。が、私にあてつけていたのは明らかだった。(同じ課の面子は私だけだった)
 私はへぇと聞き流した顔をして、妙に驚いたことを覚えている。
 露骨にこう言われたようなものだ。数多くの職場を周ったが、それは初めてのことだった。
「あなた、なかなか辞めないわね」
 
 
 
 
 
 
 多分黒猫から始まったのだと思う。ある日、黒猫の人形に名前をつけた。擬人化して可愛がり、それからと言うもの、自宅で使用するモノのあれこれに語りかけるようになった。
 「恋する惑星」と言う映画にやはり石鹸やタオルに話しかける男が出てくる。恋人と別れたばかりの男、彼は外では以前と変わらず明るく過ごし、以前と同じように仕事をこなしてはいるが、実際はかなり参っている、そう言う心理をモノたちとの会話で上手く表している映画だった。
 愛着対象が足りないのだ。人は愛されなくても何とか生きていけるが、愛する対象が欠けると生きていけない。私は犬や猫を飼う代わりにパソコンやカメラやレンズにより愛着を覚え、より可愛がるようになっていった。
 薔薇を撮りに行こう、と考えた時、私は三脚禁止の薔薇園を却下した。
 なぜなら、「私の三脚」が一緒に行けないではないか?
 最近私は買ったばかりの三脚をことさら可愛がっている。古参のカメラとレンズと、新入りの三脚と、みんな連れて行かないと「ダメ」だ。私の腕の悪さやカメラやレンズの性能の悪さを三脚は補ってくれる。もちろん逆もある。彼が入れない場所にある被写体はレンズが頑張って追い、カメラは無理な姿勢に必死で堪え、私は経験や視覚や足を使って彼らをより活かせるように奮闘するのだった。
「もう少しで着くからね」
 私はカバーの上から三脚を撫でている。今日は彼の二度目の遠出で、初の横浜デビューだった。
 「私たち」は欠陥だらけの存在だった。みんな安物だ。チープだから、腕だってない。でも補い合って一枚の絵を創りあげるのだ。
 協力すれば何とかなるだろう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 「みんな」が行ける薔薇園は、港の見える丘公園のローズガーデンとした。「私たち」は石川町で電車を降りる。
 港の見える丘公園に行くのは久しぶりのことだった。もう10年以上は経つかもしれない。いつもはJR関内駅から歩いていたが、この日は雨が降りそうな陽気だったので、突然降られたことを想定して少しでも近い石川町駅からの歩きを選択した。私は多少の雨なら撮影時に傘を使わない。今日も持参しなかった。降られれば当然カメラやレンズに負担をかける。なのでせめてその間際までは労わってあげたかったわけだ。
 が、心配するまでもなく、雨は降って来なかった。私は思いがけず元町商店街を散策することになる。商店街入口にあるフェニックスアーチを通り過ぎる。もうこういう商店、強いては洋服屋にしかないのではないかと思わせる西洋式の美しい建物が並んでいる。これらの店の維持費は幾らかかるだろう。この不況下でさぞ大変なことだろうなどと考えている。
 ポンパドール、キタムラ、フクゾー、霧笛楼。数々の喫茶店。すべてが懐かしかった。思い出すのは姉のことだ。姉は学生時代を横浜で過ごし、就職してすぐ横浜に移り住んで、若い頃よく横浜の元町、山手界隈をテリトリーとしていた。一緒に喫茶店に行って、高いアイスコーヒーを飲んだ。ポンパドールの赤い包装紙(フランスパンが入った長い)、を見たのも姉がある日買ってきたからで、ハマトラとサーファーが入り混じったファッション、FINEを読んで、馬車道十番館のビスカウトを食べた。
 姉は私と違って決して道から逸れることをしなかった。決してパラサイトとか負け犬とかアラフォーとか、新しい部類の女性に属することのなかった姉は、多くの女性達と同じように、道を歩き、彼女達の世界の一員となり、敬意を受けるに値するまで頑張り続けたのだった。
 私たちはよく恋愛の話をしたものだ。姉はあの頃、まだ私の傍にいて、私たちは似た悩みを抱えて、似たたくさんの不満を抱えて、それらを一杯のアイスコーヒーを飲みながら何時間も語り合った。
 不況の所為か、時間帯によるものか、あの頃と違って妙に閑散とする元町商店街を歩きながら私は寂しさを思い出してしまった。
「だから横浜にはきたくなかったのに」
「東京がいいよ。こっちは方角が良くないんだよ」
 三脚を撫でている。それでも一緒に写真を撮りたくて来たのだ。
 例えば姉が霧笛楼で披露宴を兼ねた親族の食事会を迎える日が来なかったとしたら、姉はずっと仕事を続けていただろう。道を逸れることもなく、やはり今のように周りから敬意を受けるに値する人になっているはずだ。例えば私が影の社長から痛烈な皮肉を言われたような、そんな環境に身を置くこともなかったことだろう。
 夢想する私はいつの間にか会社の女性達、そのリーダーの元管理職から受ける差別と、姉との距離感をごっちゃにしている。「あちら側」の人々への敬意と、その敬意を維持するための「こちら側」の境遇とを天秤にかけている。
 誰かが光輝くためには誰かが影にならなくてはならない。輝くものは輝くだけの努力と苦労とをして、自らそれを勝ち取ったのだ。私が影ならば、それは私の自業自得でしかない。
 だけど、だからと言って影としての存在を押し付けられるのは嫌だった。影としての存在意義も与えられず、ただ辱めを受けるのは意に適わなかった。
「あなた、なかなか辞めないわね?」
 ちっとも上達しないまま、私は写真を撮り続けている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 港の見える丘公園は以前来た時とずいぶん変わっていたようだ。丘というよりは森の中に山道があって、登りくねって行くとぽっかりと公園が現れる、と言う感じだったように覚えているが、入口も整備されて広くなり、一気に丘上の公園に行くための新しい真直ぐな階段が作られていた。前評判どおりローズガーデンはシルバーが多い。絵を描いたり、三脚を立てて写真を撮ったり、花を愛で、グループで語りあって、思い思いに楽しんでいるようだ。笑いながらこちらにまで語りかけてくる。
「どうすれば上手く撮れるかしら?」
「へぇ、それ一輪だけ撮ってるの??」
 答えると、彼や彼女らはまたにこやかに笑って、頭を下げて去って行くのだ。
 私とカメラとレンズと三脚はどうにかこうにか絵を創りあげていく。必死で撮っているとまた声が聞こえる。
「専門の方が撮ってらっしゃるから、終わってからにしましょう」
「あ、すみません」
 退くと、丁重に例を言って彼女達は薔薇を写真に収める。携帯を近づけて私よりよほど懸命で、だけど楽しそうだった。
 私はぐるぐるぐるぐるローズガーデンを周っている。美しい薔薇は敷地の奥に咲いていて、三脚も入れないし、レンズも追えない。恋する人を追うように「私たち」でも適う薔薇を探しているのだった。
 誰もそれを笑ったりはしない。三脚は初デビューの横浜を喜んでいるようで、甲斐甲斐しく私の手足となってくれる。午後になって風が強くなってきた。薔薇の花が大きく揺れて、待っても待ってもしなった茎がなかなか止まらなくなった頃、私は接写を諦めて、遠景を撮りはじめた。今度はローズガーデンが一番美しく見える景色を探して、ぐるぐるぐるぐる周っている。行ったり来たり、綺麗な薔薇の花々と愉快そうな人々の周りを歩いていくのだ。私はあちら側にいた。みんなこちら側にいた。楽しくなって、眺めながら、周りながら、吹く風を受けていた。
 
 
 
 冒頭の元管理職、影の社長の送別会が決まったのは金曜日だった。朝会社に行くと常務兼営業部長が場を盛り上げようと気遣いながら何やら明るく話している。一人の女子社員が出欠を取りにやって来て、私はその会話で初めて、彼女の退職が決まったことを知った。送別会の出欠を取るには異例なほど早かった。私は複雑な思いを抱えながら、返事をして、そのあとすぐ他部署に用事で行く際に向うから戻ってくる常務と出くわして理解した。挨拶の際、一瞬目が合った。不思議なことにたったそれだけで、彼がすべてを知っていたことを知ったのだった。
「あなた、なかなか辞めないわね」
 元管理職の彼女はついに会社を去っていく。定年を迎えてから5年の月日が流れていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2009年5月11日

迷宮の森

  
 
 
 
 近所に森と名のついた公園がある。
 市の財団法人が管理しているこの施設は東京ドーム7個分の大きさがあるそうだ。
 つまり大きい。広い。まさに森の名にふさわしい自然に溢れた場所だった。
 もう少し若い頃、人生において一番惨めで、低迷を続けていた頃、私はこの森に散歩に来たものだ。気分転換に近場で散歩を試みた。不思議なことにその10年ほどあとにもう一度訪れた低迷期、混沌と昏乱が入り混じった時期には思い出しもしなかった。思索できるほどのある程度の余裕、ある程度の分別が残っていなければいけないようだ。森という場所は。
 思い出すのはその頃読んだ川原泉の「架空の森」とサリンジャーの「倒錯の森」。どちらも内容はすっかり忘れ、覚えていない。と言うことは当時正確に主旨を理解していたのかどうか、危ういところだ。ただそれらの作品を読んだ時の衝撃を心で覚えているのだった。どちらも思索的な作品だったと思う。
 森というのは迷宮に似ている。思索の迷路と真理の迷宮との狭間をぐるぐると巡って、道を探す場所だ。どこか神秘的で、哲学の匂いがする。
 しかし、若い私が感じたのは恐怖でしかなかった。
 休日ならまだ家族連れもいよう。平日のあの人気のなさ、木々に光を遮られたあの薄暗さ、公園としての存在意義をなくして、ただの森に帰る広い敷地を歩く私は思索どころではなく、気分転換の散歩もそこそこに、出口を探していたのだった。
「また行ったの」
「女の子があんなところを一人で歩いていたら殺されるよ」
 大げさな母はよくそう言っていた。土地柄の悪さも手伝っていたのだろう。
 私は友達や誰かと一緒ではないと、または祭日の人が多いときではないと、公園に足を踏み入れなくなる。
 そうして時は過ぎ、訪れた混沌期、思考を失い、死に外れて、それから再生して、一人になって、今に至るまで。
 私は長いこと森のことを忘れていた。
 
 
 
 
 
 
 土曜日、寝坊をした私は遠出をするのを諦めて、近所の公園へ向った。最近のお気に入りだ。
 特に新緑の季節は木々も葉も美しく、景色を眺めながら歩いていると気分がいい。陽気もちょうどいい。散策するには持って来いだった。
 自転車に乗ってひとつ隣の駅よりの入口に到着する。自転車を自転車置き場に止めて、カメラとリュックと三脚を抱え歩き始める。自宅からも近いので歩いて出かけてもいいのだが、わざと自転車で行くのだ。自転車を置いたからにはこの入口に戻ってこなくてはならない。つまり帰るときの出口はこの入口だ。公園内にたくさん存在する出入り口はもはや意味をなさない。スタート地点をゴールと決めて、私は森へと足を踏み入れるのだった。
 この入口が気に入っているのは家から近いということもあるが、コースが面白いからだった。まず山野草が自生している雑木林を通って深い森に似た景色を堪能する。木々の中の細い道を通り抜けると人々の笑い声が聞こえてくる。小川や池がある広場に出る。売店にベンチがある。人々が集うこの公園の中心地が最終目的地だ。休憩もここで取る。一休みをしてそうしてまた林と森を抜けてもと来た出入口へと戻っていくのだ。
 慣れてきたので、だいぶ施設内の地図が頭の中に入ってきている。林道、森の中はだいぶ歩き甲斐があるがぐるりと回らず目的地にショートカットする近道も覚えた。こうなってくると若い頃のような恐怖感は消えるものだ。まぁ、平日ではないと言うこともあるのだが、柳の枝に驚いて駆け出すなどと言うこともない。出入り口ならどこでもいいから出たいと思ってしまったのは、無知が原因だったと思い知った。森の中の道は、知れば知るほど楽しめるものなのだ。
 私は三脚を立てて何の変哲もない木々を撮り始める。花札にたとえるとぶたのような手。そう、写真を作品としてみた場合、ただの景色だと価値が下がる。例えば原っぱには月が出ていたり、雁が飛んでいたり、例えば葉のそばには鹿がいたり、猪がいたり、例えば花には蝶がいたり、そこにプラスアルファがあって初めて有効な手札となり、価値が上がる。だと言うのに私はそんなことを思って苦笑いをしながら、ぶたの手のような写真をただ撮り続けている。
 面白いのはほんの一瞬で光の加減がまったく景色が変わると言うことだった。風と共に木々がざわめいて、思わずはっとした瞬間、光が差し込む。木々が、幹が、林道の景色が輝く。雲ひとつない晴天だ。すべては森のなせる業だった。自然が作り出す美のほんの一瞬。三脚を構えてその時を辛抱強く待ってみたりする。
 ところが待って撮ると意外と失敗することもある。輝くような景色が撮れることもあるが、時々はカメラが反射的にSSをあげてしまい思いがけずアンダーになってしまう。想定している以上に輝きすぎるのだった。露出補正を加減してまた待ってみると今度は一向に輝かない。森はざわめきもしない。そんなことを繰り返している。
 
 
 
 
 
 
 三脚を抱えて林の散策道をずんずんと歩いていく。どんどんと木々の背が高くなる。見上げると空に届くようだ。ここは都会の森林公園のように幹と枝の区別が明らかな、そこそこの高木だけではなく、天辺の葉が見えないほどの高木も多いのだった。
 見上げ、少し背伸びをして見上げ、そのまま見回してみる。天辺の僅かな空を中心としてぐるり木々の葉が覆う。360度、見渡す限り緑。メリーゴーランドのように緑が回っていく。私はめまいを覚えるのだ。何と美しい、緑、緑、緑。グリーンの世界。
 
 多分これはぶたの手で、貴重な休日に遠出もせず、近所の公園をよちよち歩いている私はたいした価値もない者だろう。
 私を期待する人にとって、私を愛してくれる数少ない人にとって、それは残念なことだろう。
 私は彼らのためにもっともっと、別の場所にいて、いなくてはならなくて。この森に立っている場合ではないのだと思っては見るものの、あまりの眩さに目を閉じる。
 美しい。緑の森。この迷宮の中で、満足してしまっている自分がここにいるのだった。
 これはどうしたことだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 今日の目的は今まで足を踏み入れたことがない森の端の別の施設。市の財団が管理する郷土民家園があるのだった。たまたまそこへと向う道が工事中で迂回して林道を進んでいく。若干の傾斜。まるで山の中の登山道のようだ。しかしすぐに施設の門が現れた。くぐると茅葺屋根の古い民家が現れる。米や麦を脱穀する機械など、昔の民家で普通に使っていた家庭用の器具も展示されている。興味深く端から眺めて、素早く写真に収める。ずいぶん長いことこの公園を知っているが、この施設を見るのは初めてだった。もっと早く知っていたら、先日姪っ子たちと来た時も連れて来て上げられたのに、子供はきっと喜ぶだろうに残念だった。
 しかし、出ると、林道から外れるように階段があるのだった。私は道を見てはっとした。山道でよく見かける階段の道、奥は緑も深そうだ。警戒する信号が発せられ、好奇心で高鳴る胸と相反した。一緒に民家園を回っていた人々はみな林道からもと来た道を戻っていく。暫く佇んで考えた私は思い切って道を逸れた。階段へと足を延ばし、木陰で暗くなった中を登って行った。あの時の私とはもう違う。
 恐怖は無知から来る。私は自信をあっさりと裏切られ、細い山道を迷ったように歩いている。誰もいない。辺りはもう美しくは感じられない。雑踏のような木々が生い茂っている。いつしか鳥の声は消え、ごうと風が吹くたびに木々がなびいて揺れ、大きな音を漏らす。ざわざわ、ざわざわ、ざわざわ。駆けるように歩く。隣から県道の車の音。木々が開けて、時折出口が顔を見せる。よほどあの頃のようにこのひとつの出口から出てやろうかと考えた。県道は町の象徴。抜ければあっさり人の世界に辿り着くだろう。しかしなるべく見ないようにして細い道を急ぐ。下りの階段が見えた。降りていくと見覚えのある景色。私はすべてを理解した。
 いつも歩いている一本の道。いつも右に曲がっていたが、左の深淵がここに繋がっていたことを。なんだ、ここだったのか。私は呟いて肩の力を抜いた。ほんの数分の出来事だった。たどり着いた道の下には木で作られたテーブルとベンチがある。すぐ傍を小川が流れ、子供達がプラスチックのケースと網を抱えて行き来していた。
 息を吐いてベンチに腰をかける。ここからショートカットの抜け道を行けば出口はすぐだ。安心した私は一服をして森の景色を眺めている。
 
 
 
 
 
 
 美しく見えたり、恐ろしく見えたり、忙しいものだ。
 この木々の幹の模様のひとつひとつや、あらゆる重なりあった木々の葉の、その一枚一枚が織り成す光の輝きや影の線や。
 その複雑な陰影を、存在すべてを映し出してみたいものだ。そうしみじみ思っている。
 多分それは私の知識や乏しい財力やあらゆる能力を考えたら不可能に近い。私は分相応に一点だけを見つめて、そこにピントを合わせていればいいのだ。見えるものだけを主張として表現し、あとは主役を際立たせる美しいボケとして存在させる。その主張を探すことが答えだ。
 なのに私は答えを抱合したすべての景色ひとつひとつを際立たせ、写し撮りたいと願っている。すべての者の答えを受け入れたかった。
 ぶたの手とよく似ている。パンフォーカスで気軽にスナップ出きるように、重きを置かれないその手は一番の深淵のように思われた。
 道を知ることだ。そして良く見ることだ。理解すること。夕刻が近付いてますます風が出てきたようだ。木々の枝が、葉が、激しく揺れ始めている。その度にざわめいて、彼らは雪のようにばらばらと白い花のような胞子のような自身の欠片を落としていくのだ。
 私はリュックを担ぎ、カメラと三脚を抱えて、迷宮の出口へと向っていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

2009年5月6日

偉大なる人間力 ~ヘブンアーティストin銀座を見て~

 
 
 
 
 ※ヘブンアーティスト
 東京都が認定したアーティスト。パフォーマンス部門248組、音楽部門70組。審査により選定された彼らは「ヘブンアーティスト」としてのラインセンスを付与され、都立公園や地下鉄駅など、都の48施設を活動の拠点とすることが出来る。
 
 
 
 
 
 
 5月5日こどもの日、ヘブンアーティストin銀座を見に行った。
 天気予報は午後から雨、雨天中止のため、決行か中止が決まるギリギリまで待って事務局に確認を取る。決行だった。予想に反して電話の向うでお姉さんが言う。
「やります」
「へぇ」
 念のため大体の身支度はしていたものの、一瞬素っ頓狂な声を出してしまった。慌てて支度を終え、家を飛び出す。
 駅までの道の途中でポツリポツリと雨が降り出した。どうかひどい降りになりませんように。
 
 
 
 確か何人かのアーティストは見たことがあった。私はサイトからプリントアウトしたイベントのチラシを見ながら思い出している。TVの深夜番組か何かだろうか。ネットのどこかのサイトだろうか。JR有楽町線と並行するように続く西銀座通り(都道405号外濠環状線)の2丁目から5丁目、その4つのポイントでプログラムが組まれている。私が見覚えがあり、かつ見たいアーティストの方は2丁目のAポイントに集中していた。それを13時から16時30分、計7組の芸が行われる中で休憩を取りながら見ていこうと計画を立てる。
 丸の内に出るときはいつも地下鉄銀座線の鉄銀座駅から降りて歩くものだが、今回はGW中の各種イベントと歩行者天国が重なるため、混雑を避けるために有楽町線から有楽町駅に降り立った。
 
 
 
 
 
 地上に出るともうパレードが始まっていた。ベンツのクラッシックカーが柳祭りのアーチの向うから現れて前を通り過ぎていく。私は気持ちを落ち着かせようと道の脇の人気のないところへ下がって一服をした。みぞおちの辺りでじっとしている愛機のカメラとレンズをそっと撫でる。思えば安いカメラとレンズだと言うのに、彼らはずいぶんとよく働いてくれたものだ。いつも、どこへでも、一緒に出かけては共に戦ってくれたのだ。
 決戦だよ。
 心の中で呟いてみる。今日も一緒に頑張ろうね。
 
 
 
 
 
 
 私は人をまともに撮ったことがない。人物を撮りたいとずっと思っていたが、モデルがいないのだ。ほんの何度か、覚えている限りで5回ほど、かろうじて撮ったことがあるが、それも偶然機会に出くわしたと言った感じで、もちろん満足な支度も心がまえもなく、出来はさっぱりだった。
 なので今日は幾日も前から楽しみにしていた。ヘブンアーティストたちを心ゆくまで撮ってみたい。あいにくの天気予報で昨日今日当たりはほとんど諦めかけていたのだが、こうやって銀座に今立っていて、華やかなパレードを見ている。雨は傘が必要ではあったがそう大降りではなく、これなら傘を差さなくても撮影できるかもしれないと言う程度。ツキはそう落ちちゃいない。
 
 いつもは絞り優先、マニュアルフォーカスで撮影する私だが、あっさり全自動に切り替える。人物撮影はど素人なので謙虚に機械に頼らせてもらおうと考えていた。ところが誰もフラッシュを焚かないのだ。芸の途中でピカピカとフラッシュが光ったら、そりゃアーティストだって気も散るだろう。想定内ではあったが多少残念だった。自然光しか光源なしではどう考えてもきつそうだ。私は感度を上げて、それからいつもの自己設定に切り替えた。ただし、ピント合わせはオートフォーカスにさせて頂いた。動きの速いアーティストを追いかける自信がなかった。
 
 
 

 

 TOKYO雑技芸術団、サンキュー手塚、ぴっころECCO、角福請、と見ては撮っていく。時間が押すと、プログラムは変更となり、芸人さんたちは時間をずらしたり、他のポイントへ移動して芸をしたりしている。休憩を取りながら・・と思っていたのに、いつの間にか終わるとすぐに次のアーティストを撮る。他のポイントにまで駆けて行って撮っている。一番目当ての加納真実さんの芸になったころにはすでに疲れが出始めている。走って、撮って、撮って。繰り返していたのは、まったく余裕がなかったからだった。案の定オートでもまったくピントが合わない。寄って撮ろうとするとISO400にしてもSSは100を切る。下手をすると50も切るのだ。とにかくたくさん撮れば一枚くらいはまともに映っているかもしれない。私は必死にシャッターを切る。
 そんななかで、ひとつだけ心がけていたのは、綺麗に撮るより、表情や動きを撮りたいということだった。幾らピントがあっていても、私のイメージに合わない良く写った写真はボツとした。
 加納真実さんを撮り終えた私は燃料切れ、休憩してその後の二組を撮ろうかとも考えたが初回なので深追いせずにこの辺で満足しておくことにした。早々に有楽町駅へと向うのだ。地下鉄の改札を出た私は地上出口から西銀座通りまでしか歩いていない。距離にしたら多分500メートルくらい。これって銀座有楽町に来たって言えるのかな、帰りの電車の中で苦笑いをしている。
 プラットフォームに急行電車が滑り込んできた。私は隣のドアから乗ったカップルよりも素早く走って座席を確保する。内心詫びて、とにかく疲れ切っていて。深く、深く腰をかけて暫く撮った写真をチェックしていたが、そのうち死んだように目を閉じた。いつものメガネをかけていてももうほとんど見えないのだった。
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 職人的な完璧さを目指す風景写真よりも、ブレやボケだらけの人物撮影の方が何十倍も神経を使う。視力も体力も集中力も使う。その事実に初めて気がついて私は愕然としていた。写真は撮るものと被写体(撮られるもの)との真剣勝負。互いが対峙して、火花が散った点が撮るべきところだとは聞いていた。プロの写真家が言ったその言葉がど素人の私に当てはまるのかは疑問だが、確かに伝わってくるエネルギーが木々や花とはまったく違う。
 人間すげぇ・・
 たまたま対象が表現者たちだったと言うのもあるだろう。だけどそれだけでは説明がつかないくらいくたびれていた。(いつもはまったく疲れ知らずに朝から晩まで撮り続けたりもする私なのだ)たった2、3時間でこの疲れは信じがたい。
 人間ってすげぇ。
 ヘブンアーティストの面々は人の輪を作り、そのすべての人々に笑顔を与えていた。私も写真を撮りながら何度も何度も噴出さずにはいられなかった。彼らは芸が終わると、都から頂いたと言う銀杏のマーク入りの鞄を広げてお金を集めはじめる。私は寺社巡りの際のお布施をするような心持で僅かな小銭を、強く心打たれたパフォーマンスには大めにお賽銭を上げるのだった。箱の中が埋まっていくたびに彼らの前には人だかり。握手をしたり、お礼をしたり、流れる汗で濡れた髪を振り払うように大きく頭を垂れる。
 ずいぶん謙虚な人たちだなぁ・・
 彼らも彼らを囲む人たちも最後まで笑顔は消えない。最後の一組となって、母親と手を繋いだ小さな子供がバイバイと手を振った。
 微笑み返して、手を振る彼らがその名の通り天上人に見えてくるのだった。
 人間ってすげぇ。
 額の汗がきらきらと光っていた。