2009年8月31日

民主党圧勝!日本の夜明けなるか。

 
 
 
 
 

民主党政策集インデックス2009  民主党の政権政策Manifesto2009

 
 
 
 
 
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は30日、「日本に新時代の到来」の見出しで、総選挙での民主党大勝を報道。選挙結果は事前の予想通りだったものの「日本の現代史の分水嶺(れい)として後世に伝わるだろう」と指摘した。記事は、日本の有権者は、政権担当の経験がない民主党に「弱体化した経済と高齢化社会」への取り組みを任せる選択をしたと解説。また、「指導者と政策優先事項の変化」により、米国などにとって、これまでの自民党政権に比べて対応が難しくなる可能性があると指摘。一方、民主党幹部が国連平和維持活動(PKO)や気候変動など国際問題での役割強化を約束しているとして、「より意欲的な同盟国となるかもしれない」とした。(共同)
 総選挙での民主党大勝について、31日付のオーストラリア有力紙オーストラリアンは「日本の近代史において、明治維新や戦後の経済復興に並ぶ大きな変革」と位置付けた。

 また、オーストラリア外務貿易省の報道官は同日、「日本はアジアにおいてわれわれの最も親密なパートナーで、2国間関係の重要性は政権交代があっても変わらない。日本の新政権との関係を早期に構築するよう努める」との声明を発表した。(共同)

 
 
 
 
 30日深夜、衆議院の全480議席が確定した。
 自民119、民主308、公明21、共産9、社民7、国民新党3、みんなの党5、新党日本1、新党大地1、無所属6。
 この結果を見て、漠然とした不安を感じている。これからが恐ろしい、と言う恐怖にも似た思い。
 私の思い過ごしだといいのだが。
 今までは政治に対してそう関心があるほうではなかった。しかし、この思いを払拭するためにも、これからの展開を注意深く見守っていきたいと思う。
 別ブログを開設しようかとも思ったが、飽きっぽい私のこと。当分はここでぼちぼち書いていくとしよう。
 ところで、この総選挙の結果からすると、この国の多くの人々は昨夜安心して眠りについたはずだ。高笑いをして快眠、と言う方も少なくなかったと想像する。ショックだったのは自分がその多くの国民から外れているという点にもあったようだ。
 アンチ自民党と言うだけで選ばれてしまったような民主党の候補者たち。マニフェストはきちんと検討されているのだろうか。大丈夫か、日本人?そう思うと同時に、いやいや、多くの国民がそうそう馬鹿なはずはなく、皆さんれっきとした理由があるはずだ。わからない私が悪いのかもしれない、と悶々する。
 そこで、私が不安に思う要素を書き出してみよう。
 
 民主党政権になって一番不安に思われることは、以下の二つ。
 
①国としての方向性がわからない。(国外に対しての不安)
 民主党はマニフェストで利害関係の異なるものにも一様に利益を約束している。一見矛盾しているようにも思うが、こちらは譲るからこちらは我慢してね、と言ったやりかたで一応筋は通している。ところがこの「こちらは譲るから」と言う側面で約束された特定の対象に向けた利潤が、取り返しのつかないものだと思われる政策も多々あるのだ。
 特にひどいと思われるのは外交面だ。「我慢して(譲って)ね」のほうは今まで対立関係にあり解決しなかった問題を提起している場合がほとんどなので、たとえマニフェストを実行されたとしても、日本から見たらそう得になるとも思われない。当たり前の権利(と今まで主張していたもの)を譲ってもらっただけで、史上類のない馬鹿高い礼金を差し上げているようなものだ。激しく国益を損なう事態が訪れると思われてならない。
 最悪の事態を想定すると、将来的には「日本国」と言えるものが残されているのかどうかも疑問でもある。
 ※注・特に取り返しがつかないと思われる項目
 ・アメリカとアジア・太平洋諸国との経済連携協定。FTAでも結ばれたら日本の農産業は大打撃、食料自給率はさらに低くなる。
 ・日本に在住の外国人の人権保護。と言うと聞こえがいいけど、低賃金の外国人を保護されると日本の労働者けっこうやばい。あと参政権を与えられるのも国の国益とナショナリティーにとってのどうなのか疑問。
 ・靖国問題や従軍慰安婦問題の解決。民主党は証拠のない問題に関しても日本が悪かったと全面的に認めて解決を図ろうとしている。どうなの?民主党議員は在日の方が多いのではないかとさえ思う時もある。
 
②混沌とした時代の幕開けと財政の破綻。(国内に対しての不安)
 民主党のマニフェストで約束されたバラマキ政策の財源は、そのほとんどを207兆円の国家予算を組み替えることでねん出しようと予定されている。特に行政の無駄(官僚たちの利潤を含む)をなくして税金の使い道をクリーンにすることで得られると考えているようだ。
 そこで、政治家と官僚によるお互いの一定の利潤を守りつつ協力し合っていた関係は崩壊し、行政は混乱、対立関係や溝が深まると思われる。
 また、①の国益を損なう政策と②の政治主導の政策を実行するために、民主党は強硬手段に出る恐れもある。 
 最悪の事態、民主党による独裁政治も危ぶまれ、無理な政策を無理に実行したことが祟って、かろうじて何とか保っていた国家財政が破綻する。
 
 
 まぁ、勉強不足なのでうまく言えないがこんな感じかな。
 公約の具体策を一つずつ取り上げれば、もっと細かい指摘はできるだろうが、根源をたどれば結局はこの2点に行きつくように思えてしまう。
 ②の不安は、民主党が経験豊富でそれなりに頭もいいのなら全然かまわないんだけど、その器量があるとはどうして思えないあたりがつらい。是非、お互い協力し合って、知恵を出し合って、いい国を作り上げて行って欲しいものだ。と言うより、沈没しかかった船をどうかこれ以上沈めないようにして欲しい。
 
 不安を分析して、最悪の事態を想像してみると、ではそうならないように自分は一人の国民として何をしていけばいいのか、少しだけその方向性が見えてくる思いだ。
 積極的に言葉を発して、微力ながらチェック機関としての役割を果たしていこうと思う。
 ちょっとでも変な真似をしたら、声を大にして騒いでやるからな。くれぐれも道から外れすぎないように。
 政策インデックスとマニフェストを掲げておきます。
 あと、昨夜安眠された多くの国民の方が感じた思いだが、多分こんな感じかなぁ、と。
 私が読んだのは今日ですが、これを見て納得したと言うか、やっと多くの一人に入れたような嬉しい思いがしたので、ご紹介しておきます。
 民主党さん、頑張ってくださいね。
 
 
 
 
拝啓 民主党様

この手紙の内容が広く流布される頃には、すでに衆院選の結果も判明し、党内は勝利ムードに酔われていることと存じます。まずはお祝い申し上げます。

さて、このたびこのような形でお手紙を書かせていただいた止むに止まれぬ理由を、以下に申し述べさせていただきます。

それは、第一に一国民として今回の選挙結果について強く思うところがあるからです。もちろん、それが私のあくまで個人的な見解なのか、世間一般といわれる国民の大半に漂う共通した空気感なのか…についてのご判断は、読まれた方におまかせいたします。
まず、今回の選挙における歴史的な勝利は、決して国民が民主党様のマニフェストや政策を全面的に承認した結果ではない…ということを、まずご理解いただきたいと思います。
私を含め大半の国民は、外交や防衛といった実生活に結びつきづらい政治問題に関してあまり興味がありませんし、抽象的な理念について思いをめぐらす知識や知性も備えておりません。ただ、ある程度マジメに働いてさえいれば、日々の衣食住に困らない生活を維持させてもらえる、そんな環境を保証していただくことを政治に対して最も期待しているのです。

「郵政選挙」と言われた前回の選挙の時も、すでに生活の苦しさは迫りつつありました。しかし、与党である自民党様の「官から民へ」の号令の下、さまざまな分野で民営化すれば自由化さえすれば、競争原理が働き社会の経済効率が良くなり、きっと国民の生活にも還元されるはず…そんな幻想に、私たちはまんまとだまされました。

国民の資産の大半が外国資本に吸い取られたなどといった難しいことはわかりませんが、前回の選挙で自民党様が大勝して以降の国民の、いえ少なくとも私の生活は苦しくなりました。企業の収益が倍近く伸びているのに、なぜ労働者の給与所得が下がっていくのでしょう。私にはまったくわかりません。世に言われた「会社は株主の物」といった一見正しいかのような言説も、その株主が外国の方では、結果としてまったく日本人には還元されないのではないですか。

今回の選挙結果は、その自由化という政策で引き起こされたさまざまな問題に対する反省や、あまつさえ検証する姿勢すら見せていただけない自民党様・公明党様など与党の方々に対して、一発退場を宣告するレッドカードを国民が示したもの。私はそう考えております。

つまり、この結果は与党様に対するお仕置きの意味合いが強いものであり、決して民主党様に対する積極的な支持の意思表示ではないのです。それを努々お忘れいただくことのないようお願いいたします。

たとえば、昨今コンビニや居酒屋の店員に限らずさまざまな職場で外国の方が増えました。これはどういうことでしょうか。誤解のないように申し添えておきますが、むやみに犯罪率を上げたりしない方々であるならば、外国の方に日本に来ていただくのを決して拒むつもりはありません。しかし、その雇用の理由が、貨幣価値の違う外国の人を雇うことで企業の平均的な人件費コストを押し下げるストッパー装置として利用することにあるとしたら…。そんな疑問を私は抱いているのです。

日本への留学費用の負担、返済不要の奨学金、ビザ免除など、外国の方に優しくすることも重要でしょうが、それはまず日本国籍を持つ国民の生活の安定を前提としたものではないのでしょうか。

だから、まず民主党様にお願いしたいのは、日本に住まわれる外国の方に参政権を与えるなどの政策は、この際、後回しにして下さい。さらには、一気に社会主義的なバラマキ経済政策も取らないで下さい。財源が破綻するのは、すでに民主党様の中の良識ある方々も認めていらっしゃるようですし。

さらには、自治労や日教組がこれまで民主党様の支持母体であることからも、公務員改革に手を付けるのもなかなか厳しいと思われますが、それが出来ないならば財源の地方への移譲、ましてや道州制の導入などは、役人を増やして行政コストを押し上げることにしかならないように思えます。選挙の大勝の勢いを駆って、決してそのような政策を優先させることのないようお願いいたします。

もちろん、民主党様に良識と節度がそれなりにおありで、なおかつ今回の与党様の大敗の理由を検証していただければ、引いては日本人としての感覚をそれなりにお持ちであるならば「勝って兜の緒を締めよ」の心情に自然と行き着くことと思います。

国民の大半、いえ私は、今回の大敗で与党様とそれに連なるさまざな利権、特権構造の膿を出し切っていただくことを望んでおります。そして、これは非常に申し訳ないこととは存じますが、日本国民の生活を第一義としない政策を優先した場合、次回はきっと民主党様にも同じ事を要求するはずです。ことほど、市井の国民の政治に対する意識は冷淡で移ろいやすいものであります。

私は、この春に三男を大学に入学させましたから、民主党様の政策にあったような教育支援の恩恵に浴することはできません。しかし、少なくとも与党様に投票はいたしませんでした。この意味をお察し下さい。

先ほども申し上げましたが、私は外交も防衛も経済理論もわからぬ若輩ですが、日本人の今の生活と近い将来に関してはいろいろと考えております。年収2百万円以下の国民が1千万人を超えております。まさに「衣食住足りて礼節を知る」に照らしてみれば大半の国民、特に若年層の「衣食住」の未来が閉塞状況にあります。少子化対策で、さらなる女性の地位向上を目指すなどといった意識の問題だけではなく、まずは生活の安定を優先して下さい。
イデオロギーや理念で飯は食えません。自分の飯が食えなければ、子供はおろか結婚もできません。

そのためにも、安い労働力として安易に外国人を流入させることを優先しないで下さい。それでは企業の収益は上がっても、それを還元すべき日本人がいなくなってしまいます。さらには、靖国神社に代わる追悼施設の建設。そんな物も優先すべき政策ではありません。

宗教団体にも収支の透明化と累進課税を導入して下さい。今回の自民党様の凋落の理由は、組織票めあてに「毒饅頭を食い続けた」ことにあるからと思われるからです。民主党様におかれましても、決してその同じ轍を踏まれることのないようお願いいたします。
そのためには、まず無税のお布施を資金源として活動する宗教団体の政治参加に対して、ある程度の歯止めをかけなければならないでしょう。

大勝利という選挙後の昂揚とドタバタのなか、あえてグダグダとよけいなことを書き連ねてまいりましたが、一国民として選挙結果を踏まえてどうしても申し上げておきたいと思いました心情をお察しいただければ幸いです。

くれぐれも、案の定アレとくっついちゃって、そうかがっかり…などと落胆させないで下さい。

敬具         東京都 ペペ新宿(44歳バツイチ)
 
 
 
 
 
 

2009年8月29日

ともだちとヒーローの根源とは? ~『20世紀少年ー最終章ー僕らの旗』を見て ~

 
 
 
 

 
 
 
 子供の頃、とりわけて小学校の3年生位から卒業するまでの夏休みに、あなたが毎日のように遊んだ友達を覚えていますか?
 そんな友達はいなかった?
 まぁ、そういう方もいるだろう。私の場合はのーちゃんだ。
 20世紀少年ー最終章ーを今日見終えて、ふと思い出した。
 本当はふとではなくて、彼女のことはずいぶんと回想され、この日記にもたびたび登場している。
 文章を書くようになるまでは、私もあなたと同じように、すっかり忘れていたか、もしくはただの楽しく懐かしい思い出でしかなかった友達だ。しかし、掘り下げてみると、なんとまぁ私の人格形成に多大なる影響を及ぼしていたことか。
 当時私はその事実にかなり驚かされたものだった。
 幼い頃、特に小学校高学年の時期に影響を受ける対象は異性ではありえない。これは私の勝手な持論かもしれないが、ヒーローは同性に限られる。
 あの頃もし私が、今のように深く意識をして、彼女との付き合い方を改めていたら、今とは違う未来があったはずだ。今のように自分を苦しめることも、他人を苦しめてしまうことも、ずいぶんと軽減されていたと思う。
 と、まぁ、その可能性があっただけ幸せではあるのだ。
 20世紀少年、この映画の主人公にはその可能性さえあったかどうか疑わしい。たぶん、なかっただろう。
 変えられたのは、ヒーローだけだ。
 彼はそのヒーローケンヂに「助けてくれ」と言い残して死んでいくのだった。
 
 
 
 
 写真を撮ることに疲れている。そんな時期は心を養うといいと言う意見もあり、美術館に行こうかと考えた。ところが、テレビの特番を見てしまった。『20世紀少年ー最終章ー僕らの旗』 が公開されると華々しく宣伝をしている。映画でも心はもちろん養えるだろうと、近場の映画館に急きょ向かった。
 安易なところで手を打ったわけだが、これがけっこう安易ではない作品だった。
 漫画における審美眼(もちろん自己流)が確立されている私にとって、たとえ数少ない作品しか見ていなくても浦沢直樹は神レベルである。が、20世紀少年、及び21世紀少年の原作は読んでいない。映画の内容が神・浦沢が意図したものなのか、堤監督による自己流の演出なのか、理解できなかった。そこで混乱をした。自宅に帰って、原作と映画との差を調べて、映画の原作(脚本)にも彼が携わっていたことを知って、やっと納得をする。
 彼が言いたかったことならば、たとえつまらなく感じても、安易な結末に思えても、そこには必ず深淵がある。
 それを読み取れないならば、私のほうが浅はかな大馬鹿野郎なのだ。
 私は深淵を見つけようと四苦八苦するが、とりあえず今のところ大馬鹿野郎らしくて、うまい考えがまとまらない。
 そこで見たまま感じたままをぼちぼち書いていこう。
 あ、ネタばれがあるので、観ていない方でこれから観る予定のある方は絶対に読まないでください!!
 
 
 まず、これは日本人だからなのか、年齢のおかげで時代の背景とその匂いが感じ取れるからなのか、とてもわかりやすく感情移入しやすかった、と言うことだ。表面的に、これは勧善懲悪ものの作品だ。ヒーローがいて、悪がいて、地球滅亡の危機が訪れる、と言うハリウッド映画でここ10年の間に散々、飽きるほど見させられているストーリーなのだが、まったく似て非なる物語だった。
 地球の危機をどう救うか、その一点にすべてがかかったハリウッド映画はもちろん、なぜその危機が訪れたか、には深い説明がない。一応悪役の心理も出てくることは出てくるのだが、やつらはそんなところに重点を置くつもりがさらさらないので時間の関係上かなり割愛されていて、悪役の心理の根源から派生した征服欲、支配欲のみがクローズアップされているようだ。いつも思うのはその欲望が全く理解不可能と言うか、現実味がない。私だって普通に贅沢はしたいわけだが、そこまで世界を征服したくも支配したくもないわけで、いつも「事件の前提の根源」には目をつぶって、ヒーローがどうやって地球を救うのか、だけを注視するよう努めていた。また、この地球危機ものには悪役そのものがはじめからいない場合も多い。竜巻や隕石や洪水など、自然が脅威となって襲ってくる、というパターンだ。そうするとやっぱり根源はわからない。せめて解釈するならば人間社会が今まで地球にしてきたことのツケがまわってきたのだ、という教訓くらいに捉えるしかない。
 ところが日本が世界に向けて発信した(って言っていいのかな?)この20世紀少年はハリウッド版より規模が小さいし世界征服なのに東京だけだしと散々に言われたとしても、あれだけ真似た型をなぞりながら、根源にしか興味がないのだ。なぜその危機が訪れたか。この映画はそこを遡っていく作品で、だからこそラストの10分も真価を問われるのだろう。
 
 ちょっと先走りすぎたと言うか、ぼちぼち書いていないな。
 
 ぼちぼちに戻ると、あと思ったのは、未来都市が最高です。「大人買い」とかあるけれど、究極の大人買いの町を作ってしまった主人公に感動してしまった。と、私はこの映画の主人公は「ともだち」だと思っていてその前提で書いているので念のため。
 日本人は鉄人28号からなのか、それともマジンガーZから?ガンダムからなのか、大型ロボットが大好きだ。アトムの頃から未来都市を想像するのも得意だ。SFに関して、その歴史とレベルはけっして他国に負けてはいない。どうも海外(特にこれもハリウッド)映画のSFを見慣れた私にとって、いつも疑問だったのは、あまりに完璧な未来都市過ぎると言うことで。20世紀少年の悪役は組織ではなくて個人であったせいか、日本人得意のSFにプラス(自分の子供のころの)過去を再現させるあたりが何といっても憎い。だって、未来都市を作る方々は、何を理想に作ると言うのだろうか。(これは本当に未来に建築される方に言っているのではなくて、未来都市を創造する製作者に問うているのだ)やり直したい過去や、どうしても得られないものがあったあの時代、究極を言えば母の母体にまで、人は立ち戻ること、そんなことが未来の活力や夢と化すように思う。征服者が幻想し欲するのは完璧な未来都市ではなくて、「あの時代」でこそ本物で、私が未来を想像するなら、やっぱりこんな町がいいなぁと思ったほどである。
 地球防衛軍もUFOも敷島博士のリモコン型ロボットもいい。昭和の未来都市も最高だ。
 
 ともだちは過去を再現させた舞台でヒーロー待っている。彼が遊んでくれること=救いに来てくれることを待ちわびている。
 ところがこのヒーローのケンヂが唐沢寿明なんだ。
 
 ずいぶんいい役者のように扱われているが、どう見ても大根、そう言っては悪いが、ともだちがそこまで健気に待ちわびた意味があったのかと疑問だった。もう少し存在だけで演技できるような役者さんはいなかったのだろうか。
 それともだからこそ哀しいお話だったのだろうか。主人公ともだちは価値のないものに入れ込んで、自分と多くの人間の人生を狂わせた。そうして、凡人ケンヂはともだちによって、彼が子供のころ行くことができなかった万博の会場で、若き日々に果たすことのできなかった夢を実現する。歌手になりたくて挫折したはずの男が、野外コンサートで大勢の人に喝さいを浴びて歌を歌うのだった。
 本物のヒーローとなって。
「悪役を続けるのは生半可じゃないだろう。正義のヒーローになるほうがよほど簡単だ」
 これはケンヂが万丈目に言うセリフだ。
 全く皮肉と言うか、よくわかっていると言うか。その言葉を信じた万丈目は映画のラストでともだちを殺害する。
「どうだい!これでおれも正義のヒーローになったかい!」
 そう万丈目が叫んだとたんに、倒れたともだちが持っていたリモコンのスイッチが切り替わり、万丈目の上に巨大ロボットが落ちてくる。
 この万丈目さんの扱いはどうかとも思うが、まるで天罰を食らったかのようであった。
 正義を振りかざすと言うことは、いつだって罪をはらんでいる。
 
 
 そうして問題のラストだ。
 私は最初ゲイの堤監督が付け足した場面かと思ったくらいだ。
 それほどエンディングの前とそのあとのラスト10分では毛色が違う。
 甘ったるくて、感傷的で、幼稚でさえある。
 しかし、それが根源なのだ。ケンヂはともだちを救いに過去へと遡る。約束を果たしに行くのだった。
 世界征服の欲望も、地球崩壊の危機も、もとはそんな些細なところから訪れる。
 私たちもその一声で、たった一つの行動で、すべてを変えられるのだ。
 あなたも、私も、今日からだってヒーローとなれるのである。
 
 
 
 
 
 

 

 

 
 

2009年8月23日

聖地、お台場、家族旅行。

 
 
 
「夏休みどこに行きたい?」
 考えておいて、と父と母に訊ねたところ、
「お台場がいい」
 という意外な返事が戻ってきた。
 お台場=デートスポットだと思っていたので、私からしたら恋人を持つ者だけが行くことができるでディズニーランドと同じような聖地である。
 しかし父は数日のうちにお台場のことを良く調べていて、ペリーが来た頃の砲台だったことや東京都が貸し出している土地であることから近々街自体が返還されてなくなってしまう、だから今のうちに行っておいたほうがいい、などと説明しては、巧みに勧めるのだった。
 (後で確認したところ、一部の暫定的に貸し出された土地にある施設が閉鎖されるだけだったのだが)
 お台場を夢見ているうちに街自体が消えてなくなるのか! そう驚いた私は、ならば見るだけ見ておかなくては、と聖地を荒らしに行くことにした。
 
 
 

 

 ガンダム世代のくせに全くガンダムのファンではないのだが、さすがに等身大のガンダムの頭が潮風公園の木の間から見えた時には興奮した。あまりにもでかい物体だ。
 近付いてみるとますますいい。
 大勢の賑わうガンダムファンにまみれながら、一緒になって我を忘れてはしゃいでしまった。
 ガンダムバックでの写真撮影も頼まれる。先週とは打って変わって、ご機嫌の私は「はいはい」言いながらにこやかに撮るのだった。
「これでいいですかね~」
「はい、最高です!」
 大笑いで確認を求めると、相手も大満足の大笑いなのだった。
 写真は確認したかどうか怪しかったが、何でもいいといった様子。とにかくガンダムのおかげで何もかにもが楽しいといった盛り上がりよう。まるでガンダムさまさまだった。
 
 暑い一日で、曇り空と雨続きだったそれまでの夏とは打って変わっての陽気だった。空も海も町もすべてが眩く青く映っていた。
 私はにこにこ顔で、聖地の住民のごとく闊歩している。
「お台場いいね~」
 何度も言うとそのたびに父は、
「誰がお台場がいいって言ったの?」
 と訊き返す。
「じじ」(父親のことを最近そう呼んでいるのだ)
 と答えると、またしばらくして、
「お台場いいね~」
「誰がいいって言ったの?」
「じじ」
 と繰り返している。
 父と母と出かけるときは、ふたりが並んで歩く後姿ばかりを好んで撮っていた私だが、この日ばかりはお台場バックの彼らを焼き付けるように撮るのだった。
 いい笑顔をしていた。
 
 
 
 
 
 
 

吉祥寺七福神 ~太宰治ゆかりの地をめぐる~

 
 
 
 
 恒例の七福神巡りに出かける。
 今回選んだのは吉祥寺七福神。
 吉祥寺駅からスタートし、井の頭公園、三鷹駅、武蔵境駅周辺と進んで、また三鷹、吉祥寺駅へと戻るコースだ。
 
 途中何度も、玉川上水と出くわす。あの太宰治が最後の場所に選んだところで、かつて江戸の町に飲料水を運ぶために作られた人口の川だが、私はずっとこの「玉川上水」という名前が不吉なものに思えて仕方なかった。
 「曽根崎心中」のようなものだろうか。「玉川上水」という単語がもうそれ自体で死をあらわす言葉のように思えてしまうのだった。多分思春期の頃に抱いた太宰のイメージ、プラス上水と言う単語が入水という単語に似ていたことからだろう。
 今回の七福神巡りで、吉祥寺から三鷹では風の散歩道、三鷹から武蔵境ではグリーンパーク遊歩道でこの水路と出会って、そのあまりの健康的な自然の様に少々驚かされた。太宰で町おこし、ではないが、特に三鷹では太宰横丁や太宰文学サロンなどが出来ていて、太宰ゆかりの地が観光地化されている。玉川上水の脇にも太宰の写真と玉川上水を書き表した彼の文章があり、私の中ではそれらの立派な、健全な、史跡としての扱いがどうも居心地が悪いような、納得できかねるような、奇妙な感覚に陥るのだった。
 
 
 
大盛寺 井の頭弁財天
杵築大社 恵比寿神
延命寺 毘沙門天
延命寺 寿老人
安養寺 布袋尊
大法寺 福禄寿
武蔵野八幡宮 大黒(大国主命)
 
 
 
 思えば芥川賞をあれだけ望んで、どうしても獲れなくて、読者たちから絶大な人気を博しながらも、文壇という世界ではついに認められることもなく死んでいった彼のことだ。陽の当たる場所とは、たとえば公の誰もが認める地位とか名誉とか、そういったものとは無縁の人生だった。
 なのに死んだあとになって、貴重な史跡とセットで彼の生きた足跡が名所として多数存在している。市や財団法人などの公の機関から後援を受けて、後ろ暗い人生そのものが堂々と陽を浴びているのだ。皮肉と言えば皮肉と言うか。良かったと言えば良かったのか。
 三鷹は文学者の史跡が多く、文学の匂いと、懐かしい下町の様子が色濃く残っているので溶け込んでいるようだ。太宰がかつて住んで、愛した町だから、史跡があるのも当然と言えば当然だ。そうそう、今年は生誕百年だから特に盛り上がっているのだろう。だけどやっぱり、太宰治のイベント、等と聞くと奇妙な思いがする。「太宰治」が観光地化するのは、私の中では腑に落ちない思いだ。
 熱烈なファンにひっそりと愛されて、ひっそりと語り継がれていく。今夜もどこかのバーで誰かが太宰を語って、思って、グラスを傾ける。
 そんな少し後ろ暗い、秘密の恋人のような扱いが理想だが、そうもいくまい。
 
 七福神の途中で、三鷹の禅林寺に寄ってみた。
 太宰の墓には花と線香、酒もちゃんと置いていある。傍には桜が、まるで青葉で彼を覆うように佇んでいる。
 斜め前の森鴎外の墓がさみしく感じられた。
 
 
 
 
 
 
 
 

2009年8月15日

終戦記念日の烏の北斗七星

 
 
 
 NHKの核の特番を見ていたら、こんな意見があった。
「お母さんが子供を一人育てるのにどれだけ大変な思いをするか。それなのにその子供を失ってどれだけ悲しむと思うか」
 女性は涙声で訴え、周りの人々が拍手をする。
 
 確かに親は悲しむだろうなぁ。
 しかし、その個人的な感情だけを戦争反対の訴えとするのはどうなのか。
 
 ここで、いつか靖国神社でもらった陸軍軍曹の手記を書き写してみよう。
 子供の側の気持ちがどんなものだったか、わかるかというものだ。
 (彼は特別攻撃隊として、翌日旅立つことになっている)
 
 
『御母さん、笑顔で送ってください』
 
 御母さん、しばらくご無沙汰いたしています。
 忠男もますます元気で毎日奉公一途で励んでいます。
 このたび突然重大使命を帯びて某方面に出発いたします。
 思い残すことはありませんが、二十有三年の間立派な帝国軍人となるまで訓練下された御恩に何一つ報いることなくお別れいたすのが心苦しきしだいです。
 御母さんの今までの苦労は筆舌に尽くしてもあまりあると思ひます。
 いつかは母上を幸福にさしてあげたいと念願いたしておりましたが、今となっては仕方はありません。
 しかし大日本に生をうけし男として最上の孝行の道にのぞまんとする今喜んで征きます。
 御母さん笑顔で送ってください。(中略)
 では最後にお母さんの幸福を祈るとともに、親戚および近所の皆様の御多福を祈りつつ、笑顔で征きます。
 四月五日忠男
 
 
 
 そして、この日の最後に、この童話を送ります。
 すべてのお母さんにも読んでいただきたい。
 
 
 
『烏の北斗七星』 ~青空文庫より~
 
 つめたいいぢの悪い雲が、地べたにすれすれに垂れましたので、野はらは雪のあかりだか、日のあかりだか判(わか)らないやうになりました。
 烏(からす)の義勇艦隊は、その雲に圧()しつけられて、しかたなくちよつとの間、亜鉛(とたん)の板をひろげたやうな雪の田圃(たんぼ)のうへに横にならんで仮泊といふことをやりました。
 どの艦(ふね)もすこしも動きません。
 まつ黒くなめらかな烏の大尉、若い艦隊長もしやんと立つたまゝうごきません。
 からすの大監督はなほさらうごきもゆらぎもいたしません。からすの大監督は、もうずゐぶんの年老(としよ)りです。眼が灰いろになつてしまつてゐますし、啼()くとまるで悪い人形のやうにギイギイ云()ひます。
 それですから、烏の年齢(とし)を見分ける法を知らない一人の子供が、いつか斯()う云つたのでした。
「おい、この町には咽喉(のど)のこはれた烏が二疋(ひき)ゐるんだよ。おい。」
 これはたしかに間違ひで、一疋しか居(をり)ませんでしたし、それも決してのどが壊れたのではなく、あんまり永い間、空で号令したために、すつかり声が錆()びたのです。それですから烏の義勇艦隊は、その声をあらゆる音の中で一等だと思つてゐました。
 雪のうへに、仮泊といふことをやつてゐる烏の艦隊は、石ころのやうです。胡麻(ごま)つぶのやうです。また望遠鏡でよくみると、大きなのや小さなのがあつて馬鈴薯(ばれいしよ)のやうです。
 しかしだんだん夕方になりました。
 雲がやつと少し上の方にのぼりましたので、とにかく烏の飛ぶくらゐのすき間ができました。
 そこで大監督が息を切らして号令を掛けます。
「演習はじめいおいつ、出発」
 艦隊長烏の大尉が、まつさきにぱつと雪を叩(たた)きつけて飛びあがりました。烏の大尉の部下が十八隻、順々に飛びあがつて大尉に続いてきちんと間隔をとつて進みました。
 それから戦闘艦隊が三十二隻、次々に出発し、その次に大監督の大艦長が厳かに舞ひあがりました。
 そのときはもうまつ先の烏の大尉は、四へんほど空で螺旋(うづ)を巻いてしまつて雲の鼻つ端まで行つて、そこからこんどはまつ直()ぐに向ふの杜(もり)に進むところでした。
 二十九隻の巡洋艦、二十五隻の砲艦が、だんだんだんだん飛びあがりました。おしまひの二隻は、いつしよに出発しました。こゝらがどうも烏の軍隊の不規律なところです。
 烏の大尉は、杜のすぐ近くまで行つて、左に曲がりました。
 そのとき烏の大監督が、「大砲撃てつ。」と号令しました。
 艦隊は一斉に、があがあがあがあ、大砲をうちました。
 大砲をうつとき、片脚をぷんとうしろへ挙げる艦(ふね)は、この前のニダナトラの戦役での負傷兵で、音がまだ脚の神経にひびくのです。
 さて、空を大きく四へん廻つたとき、大監督が、
「分れつ、解散」と云ひながら、列をはなれて杉の木の大監督官舎におりました。みんな列をほごしてじぶんの営舎に帰りました。
 烏(からす)の大尉は、けれども、すぐに自分の営舎に帰らないで、ひとり、西のはうのさいかちの木に行きました。
 雲はうす黒く、たゞ西の山のうへだけ濁つた水色の天の淵(ふち)がのぞいて底光りしてゐます。そこで烏仲間でマシリイと呼ぶ銀の一つ星がひらめきはじめました。
 烏の大尉は、矢のやうにさいかちの枝に下()りました。その枝に、さつきからじつと停(とま)つて、ものを案じてゐる烏があります。それはいちばん声のいゝ砲艦で、烏の大尉の許嫁(いひなづけ)でした。
「があがあ、遅くなつて失敬。今日の演習で疲れないかい。」
「かあお、ずゐぶんお待ちしたわ。いつかうつかれなくてよ。」
「さうか。それは結構だ。しかしおれはこんどしばらくおまへと別れなければなるまいよ。」
「あら、どうして、まあ大へんだわ。」
「戦闘艦隊長のはなしでは、おれはあした山烏を追ひに行くのださうだ。」
「まあ、山烏は強いのでせう。」
「うん、眼玉が出しやばつて、嘴(くちばし)が細くて、ちよつと見掛けは偉さうだよ。しかし訳ないよ。」
「ほんたう。」
「大丈夫さ。しかしもちろん戦争のことだから、どういふ張合でどんなことがあるかもわからない。そのときはおまへはね、おれとの約束はすつかり消えたんだから、外(ほか)へ嫁()つてくれ。」
「あら、どうしませう。まあ、大へんだわ。あんまりひどいわ、あんまりひどいわ。それではあたし、あんまりひどいわ、かあお、かあお、かあお、かあお」
「泣くな、みつともない。そら、たれか来た。」
 烏の大尉の部下、烏の兵曹長(へいさうちやう)が急いでやつてきて、首をちよつと横にかしげて礼をして云ひました。
「があ、艦長殿、点呼の時間でございます。一同整列して居()ります。」
「よろしい。本艦は即刻帰隊する。おまへは先に帰つてよろしい。」
「承知いたしました。」兵曹長は飛んで行きます。
「さあ、泣くな。あした、も一度列の中で会へるだらう。
 丈夫でゐるんだぞ。おい、お前ももう点呼だらう、すぐ帰らなくてはいかん。手を出せ。」
 二疋(ひき)はしつかり手を握りました。大尉はそれから枝をけつて、急いでじぶんの隊に帰りました。娘の烏は、もう枝に凍り着いたやうに、じつとして動きません。
 夜になりました。
 それから夜中になりました。
 雲がすつかり消えて、新らしく灼()かれた鋼の空に、つめたいつめたい光がみなぎり、小さな星がいくつか聯合(れんがふ)して爆発をやり、水車の心棒がキイキイ云ひます。
 たうとう薄い鋼の空に、ピチリと裂罅(ひび)がはひつて、まつ二つに開き、その裂け目から、あやしい長い腕がたくさんぶら下つて、烏(からす)を握(つか)んで空の天井の向ふ側へ持つて行かうとします。烏の義勇艦隊はもう総掛りです。みんな急いで黒い股引(ももひき)をはいて一生けん命宙をかけめぐります。兄貴の烏も弟をかばふ暇がなく、恋人同志もたびたびひどくぶつつかり合ひます。
 いや、ちがひました。
 さうぢやありません。
 月が出たのです。青いひしげた二十日の月が、東の山から泣いて登つてきたのです。そこで烏の軍隊はもうすつかり安心してしまひました。
 たちまち杜(もり)はしづかになつて、たゞおびえて脚をふみはづした若い水兵が、びつくりして眼をさまして、があと一発、ねぼけ声の大砲を撃つだけでした。
 ところが烏の大尉は、眼が冴()えて眠れませんでした。
「おれはあした戦死するのだ。」大尉は呟(つぶ)やきながら、許嫁(いひなづけ)のゐる杜の方にあたまを曲げました。
 その昆布(こんぶ)のやうな黒いなめらかな梢(こずゑ)の中では、あの若い声のいゝ砲艦が、次から次といろいろな夢を見てゐるのでした。
 烏の大尉とたゞ二人、ばたばた羽をならし、たびたび顔を見合せながら、青黒い夜の空を、どこまでもどこまでものぼつて行きました。もうマヂエル様と呼ぶ烏の北斗七星が、大きく近くなつて、その一つの星のなかに生えてゐる青じろい苹果(りんご)の木さへ、ありありと見えるころ、どうしたわけか二人とも、急にはねが石のやうにこはばつて、まつさかさまに落ちかゝりました。マヂエル様と叫びながら愕(おど)ろいて眼をさましますと、ほんたうにからだが枝から落ちかゝつてゐます。急いではねをひろげ姿勢を直し、大尉の居る方を見ましたが、またいつかうとうとしますと、こんどは山烏が鼻眼鏡(はなめがね)などをかけてふたりの前にやつて来て、大尉に握手しようとします。大尉が、いかんいかん、と云つて手をふりますと、山烏はピカピカする拳銃(ピストル)を出していきなりずどんと大尉を射殺(いころ)し、大尉はなめらかな黒い胸を張つて倒れかゝります。マヂエル様と叫びながらまた愕いて眼をさますといふあんばいでした。
 烏の大尉はこちらで、その姿勢を直すはねの音から、そらのマヂエルを祈る声まですつかり聴いて居りました。
 じぶんもまたためいきをついて、そのうつくしい七つのマヂエルの星を仰ぎながら、あゝ、あしたの戦(たたかひ)でわたくしが勝つことがいゝのか、山烏がかつのがいゝのかそれはわたくしにわかりません、たゞあなたのお考のとほりです、わたくしはわたくしにきまつたやうに力いつぱいたゝかひます、みんなみんなあなたのお考へのとほりですとしづかに祈つて居りました。そして東のそらには早くも少しの銀の光が湧()いたのです。
 ふと遠い冷たい北の方で、なにか鍵(かぎ)でも触れあつたやうなかすかな声がしました。烏の大尉は夜間双眼鏡(ナイトグラス)を手早く取つて、きつとそつちを見ました。星あかりのこちらのぼんやり白い峠の上に、一本の栗(くり)の木が見えました。その梢(こずゑ)にとまつて空を見あげてゐるものは、たしかに敵の山烏です。大尉の胸は勇ましく躍りました。
「があ、非常召集、があ、非常召集」
 大尉の部下はたちまち枝をけたてて飛びあがり大尉のまはりをかけめぐります。
「突貫。」烏の大尉は先登になつてまつしぐらに北へ進みました。
 もう東の空はあたらしく研いだ鋼のやうな白光です。
 山烏はあわてて枝をけ立てました。そして大きくはねをひろげて北の方へ遁()げ出さうとしましたが、もうそのときは駆逐艦たちはまはりをすつかり囲んでゐました。
「があ、があ、があ、があ、があ」大砲の音は耳もつんぼになりさうです。山烏は仕方なく足をぐらぐらしながら上の方へ飛びあがりました。大尉はたちまちそれに追ひ付いて、そのまつくろな頭に鋭く一突き食らはせました。山烏はよろよろつとなつて地面に落ちかゝりました。そこを兵曹長(へいさうちやう)が横からもう一突きやりました。山烏は灰いろのまぶたをとぢ、あけ方の峠の雪の上につめたく横(よこた)はりました。
「があ、兵曹長。その死骸(しがい)を営舎までもつて帰るやうに。があ。引き揚げつ。」
「かしこまりました。」強い兵曹長はその死骸を提()げ、烏の大尉はじぶんの杜(もり)の方に飛びはじめ十八隻はしたがひました。
 杜に帰つて烏の駆逐艦は、みなほうほう白い息をはきました。
「けがは無いか。誰(たれ)かけがしたものは無いか。」烏の大尉はみんなをいたはつてあるきました。
 夜がすつかり明けました。
 桃の果汁(しる)のやうな陽()の光は、まづ山の雪にいつぱいに注ぎ、それからだんだん下に流れて、つひにはそこらいちめん、雪のなかに白百合(しろゆり)の花を咲かせました。
 ぎらぎらの太陽が、かなしいくらゐひかつて、東の雪の丘の上に懸りました。
「観兵式、用意つ、集れい。」大監督が叫びました。
「観兵式、用意つ、集れい。」各艦隊長が叫びました。
 みんなすつかり雪のたんぼにならびました。
 烏の大尉は列からはなれて、ぴかぴかする雪の上を、足をすくすく延ばしてまつすぐに走つて大監督の前に行きました。
「報告、けふあけがた、セピラの峠の上に敵艦の碇泊(ていはく)を認めましたので、本艦隊は直ちに出動、撃沈いたしました。わが軍死者なし。報告終りつ。」
 駆逐艦隊はもうあんまりうれしくて、熱い涙をぼろぼろ雪の上にこぼしました。
 烏の大監督も、灰いろの眼から泪(なみだ)をながして云ひました。
「ギイギイ、ご苦労だつた。ご苦労だつた。よくやつた。もうおまへは少佐になつてもいゝだらう。おまへの部下の叙勲はおまへにまかせる。」
 烏の新らしい少佐は、お腹(なか)が空()いて山から出て来て、十九隻に囲まれて殺された、あの山烏を思ひ出して、あたらしい泪をこぼしました。
「ありがたうございます。就(つい)ては敵の死骸を葬りたいとおもひますが、お許し下さいませうか。」
「よろしい。厚く葬つてやれ。」
 烏(からす)の新らしい少佐は礼をして大監督の前をさがり、列に戻つて、いまマヂエルの星の居るあたりの青ぞらを仰ぎました。(あゝ、マヂエル様、どうか憎むことのできない敵を殺さないでいゝやうに早くこの世界がなりますやうに、そのためならば、わたくしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまひません。)マヂエルの星が、ちやうど来てゐるあたりの青ぞらから、青いひかりがうらうらと湧()きました。
 美しくまつ黒な砲艦の烏は、そのあひだ中、みんなといつしよに、不動の姿勢をとつて列(なら)びながら、始終きらきらきらきら涙をこぼしました。砲艦長はそれを見ないふりしてゐました。あしたから、また許嫁(いひなづけ)といつしよに、演習ができるのです。あんまりうれしいので、たびたび嘴(くちばし)を大きくあけて、まつ赤に日光に透かせましたが、それも砲艦長は横を向いて見逃がしてゐました。

 
 
 
 

メイドイン日本の核ってすごそうですよね。

 
 
 
 NHKで核を持つか持たないかについて議論を行っている。
 
 
 いくら終戦記念日だからと言っても、国民放送のゴールデンタイムにこの微妙な問題を取り上げて堂々と放送するということがすごいなぁと思わざるを得ない。
 時代だなぁ。
 ところで、核を持つことに賛成か、反対かと言うよりも、私が想像するのは、日本が核を持ったらいい核を作るだろうな、ということだ。
 モノ作りが得意で、いくらやっかんだアメリカにルールを巧みに変えられても新たな道を見つけては開発を続けて頂点を目指すと言う不撓不屈の精神を持った、日本人の気質から言うと、「じゃあ核を作っていい」となったら、それこそもうとんでもないほど性能のいい強力な核を作るんじゃないかと言うことで。
 諸外国、とくにアメリカはそのことを痛いほどよく知っていて、日本が核を持つことをかなり本気で脅威と感じているということが容易に想像がつくのであった。
 オバマ大統領がこの時期にあのような発言をしたのもうなずける。北朝鮮の脅威によって日本の中で憲法改正や核保持の熱が高まりつつあるときだからこその、このタイミングでの核廃絶宣言だったような気がしてならない。
 大げさではなくて、それほど日本はマークされているように思う。あの日本までもが核を持つ前に終わりにしよう。
 オバマは危機感を感じた。各国に対してそう牽制したのだ。
 たぶん日本は核を持ったとたんに、戦意があろうがなかろうが、それが防衛のためだろうが対等な対話のためだろうが何だろうが、濡れ衣を着せられて攻め込まれるに違いない。
 核を持っているのがインドや中国や北朝鮮ならそんなに恐れられはしないだろうに。
 日本が持つということは明らかに問題があるのだと。
 防衛やら保身のためだけを言うなら、核を持たずに非力を装ったままアメリカの子分のままでいたほうが何十倍も利口だろう。
 しかしなぁ。
 時代だよなぁ。
 日本がこの問題を堂々と語れるようになったと同じように、もうそれで済ませられる時代ではなくなっているようにも思うのだった。
 たとえもう一度核を落とされる羽目になったとしても、日本は立ち上がるべきではないかと。
 過去の戦争の悲惨さだけをに焦点を当てて、そこだけを見つめて、馬鹿の一つ覚えみたいに戦争反対!と訴えている人たちは、なぜあの戦争が起ったのか、なぜ日本に核が落とされたのか、このテレビ番組でも見てもっといろいろ考えてほしいものだと思う。
 終戦記念日は平和を尊ぶ日だけではなくて、戦争をした日本と、終わらせる決意を持った日本に対してこそ、敬意を払う日としてほしいものだ。
 
 
 
 
 
 
 

ピザを1回オンラインオーダーするために玉子屋の弁当を100回FAX注文する意義 について

 
 
 
 
 昔見たインターネットという映画に、主人公の女性がウェブでピザを頼むというシーンがあった。
 当時の私はたいそう胸を躍らせたものだ。
 チケットや本や洋服、家電などと違って、食べるものをウェブで頼むということはあこがれに近い。今ならそんなことは当たり前だと言うかもしれないが、地域では手に入りづらい特産品や、まとめ買いすることで安くなる食材、それに家に運んでくれるから便利だ、という理由からならいくらでもあるだろう。しかし、今日の朝ごはんや昼ごはんをウェブからオンラインオーダーするかと聞かれればそれはまだ日常的ではないように思うのだ。
 もしも女主人公のようにそれが出来れば、私は前もって食料を買い込むことなく、休日に一歩も家から出なくていいことになる。ついでに仕事もそうなればいいだろう。今会社で使用するソフトを家のパソコンに落して、オンラインで繋がってしまえば上司や同僚の顔も見なくていいのだった。そろそろ専門職でなくても、すべての人があちら側に属する社会が来てもいいような気がする。千代田区や港区の一等地にオフィスを持たなくてもいいではないか。
 そういった念願のひきこもり生活をする術がないから自らを鍛えて生きていたのであった。淘汰されたり排除されたり、自らをより守るために敵でもない相手を蹴落として、生き残りゲームのように戦い合う人々の中でもまれるのはそれが好きだからではない。世の常だから耐えていたのだ。
 社会のほうが本来の私に順応してくれれば、こんなに喜ばしいことはない。
 これからは私のように排除される側の人間たちが謳歌する時代がやってくるのではないか。ついに!などと期待してしまう私はどうしてしまったのかと言えば、ただピザを注文した、と言うだけの話である。
 食料品だけは近所のスーパーで毎晩買っていた、それが唯一の私とリアル経済社会との窓口であったかのようないつもの習慣。それを破って初めてウェブでピザを注文した。忍びながら耐えていた一線をふみ越えた。夏休みなのをいいことに、ついにやっちまったよ、的な気分なのである。
 まぁ、ピザぐらいで大げさな、と思う方はたぶん私のような数多くの人間を排除して生きてきた側の人たちかもしれない。何の感慨もなくピザくらい「便利だから」といくらでもウェブで注文できてしまうのだ。胸に手を当ててしばし考えてら、さっさと他のブログへ行ってくれ。
 
 
 以下、届いたピザの感動の映像です。
 
 
到着!
パカッとふたをあける。
シーフードクリーム。
マルゲリータ。
 
 
 
 ところで、日常食べるものをオンラインで賄えるようになったとする。スーパーが不要になり、リアル経済社会との流通の窓口が途切れたとする。
 それで私が受ける影響とは一体どんなものだろう。
 将来的にそういう人間が増えてこちら側の経済が破たんする、とか何とか、そういう問題は専門家に任せておくとして、とりあえずはスーパーの特売品を買えなくなるということか。タイムサービスとか、午後7時以降の総菜の値引きとか、そういった恩恵もあずかれなくなる。
 オンラインで手にする夕食は値段が張るだろう。私の収支はかなりバランスが崩れてきて、寝る間を惜しんで働かないと怪しい状況になるかもしれない。だいたいお昼ごはんのピザが2500円近いのだから馬鹿げているといったら馬鹿げている。玉子屋のお弁当430円とはえらい違いだ。
 精神的な面ではどうだろう。懐かしい対面販売ならまだしも、現在のスーパーやコンビニのレジというものがどうも苦手である。最近のスーパーでは釣銭を投げるように渡す店員が減ったのは確かだ。何かしらの問題があって教育を受けたのだろう。彼女たちはレシートを横に伸ばし、その両端を両手で持って、ちょうど真ん中に小銭を乗せて、どうぞとばかりに渡すのだった。客は店員と手が触れないように、小銭の重みでハンモックのように垂れたレシートの部分を上手に受け取れば良い。良いものの、どうも無味乾燥的である。失礼はないが面白くもない。そんなに手が触れるのがいやなのかと驚くくらいの徹底ぶりだ。
 オンラインならば不愉快な思いもしなくなる。どうせ温かみもないならば、わざわざ人と関わる必要もないような気がする。
 そんな思いが生じて私はますます出不精になりそうだ。写真撮影も(観光客などの)人がいない深山ばかりに行くとする。人との付き合いはもっぱらインターネットだ。まぁそこでだって私はたいして人とは関わらない。このブログを見てもわかるように、ウェブが交流の手段だとは思っていない節がある。
 私は晩年の宮本武蔵のように、この穴倉で過ごすのだろう。そうして時々ウェブで人と交流すれば現実社会と切り離されてますます人との関わり方を忘れているので、すぐに問題を起こすかもしれない。口論になってSNSから排除されて、マイページが炎上したとする。そんな時でもウェブは便利である。また違うSNSに入り込んでハンドルネームを変えてしらっと生まれ変わる。インターネットでの名前を匿名性じゃなくて本名にしたらいいとかいう提案があるが、あれは現実社会でうまく生きていける方たちの傲慢な考え方だと思う。ここは現実社会不適応者が、人との交流を学んで再生する可能性を唯一残した空間であって、それさえもあなた方が奪う権利はないのだ。
 で、私は再生の可能性を信じて、あちこちで生まれ変わりまた人と関わる。もちろんむやみに人を攻撃したり、決して誰かを誹謗中傷なんぞはしない。ただ利害関係の一致しない人や自分の気に食わない相手を排除しようとする人間はやはりどこにでもいるもので、利用者が増える分現実社会と同じ目をみる可能性だって増すわけなのだ。そんな事を続けているうちに、ある日ふと法律ができる。現在ならばどこへでもいくらでもIDを取得できるものだが、ある日そんなウェブ社会を批判する人たちによって利用範囲を整備し、利用者を統制するとこになったのだという。問題を起こした人たちはカードローンのブラックリストのように統制者たちにリストアップされて、再生4回目を越えたあたりから新たな場所でのID取得が難しくなってしまった。おまけに取得できるサイトも一人につきいくつと制限がついた。私の人付き合いはまだまだ訓練され切っていないというのに、何だかやりづらくなったぁ。これではリアル社会にいたときと変わらないか、むしろ抜け穴がたくさんあっただけましだったのではないか。番号で管理されたらもうちょっとしたずるもできないよなぁ。などと呟いている。
 よく考えたら私のような人が増えて現実社会がおろそかになれば政府や管理者が仮想世界に力を注ぐのは当然と言えば当然で、現実社会が繁栄していたからこそここは楽しい場所だったのかもしれない。
 私はピザを食べながらうなだれる。
 今のささやかな幸福のためにもピザのない昼ごはんの場所で自分を鍛えようと考えている。
 
 
 
 
 
 

2009年8月14日

ポストの前、出せない手紙。

 
 
 
 
ぼくの手紙はまだ つかないかい
早くぼくに返事をおくれよ
冷たい手紙は 欲しくないのさ
好きだと ひとこと書いておくれよ
君が 君が好きさ
わかっておくれよ 返事をおくれよ

ぼくの手紙の漢字のまちがいなど
気にすることはないさ 読めるだろ
たとえ君が ヘタクソな字を書いても
君への気持は変りはしないのさ
君が 君が好きさ
わかっておくれよ 返事をおくれよ
ぼくの手紙はまだつかないかい
早くぼくに早く返事を書いてよ

君が 君が好きさ
わかっておくれよ 返事をおくれよ
もしも、もしも ぼくのこときらいでも
早くぼくに返事をおくれよ
冷たい手紙は 読みたくないけれど
ぼくをきらいなら仕方がないさ
早くぼくに返事をおくれよ
 
 
 
 
 
 
 夏休みだというのに出かけもせずに、ルソーの懺悔録を読んでは眠くなってうとうとしている。
 家には何通も何通もラブレター。メールボックスからこぼれ落ちそう。
 ずいぶん前から、私は返事を出そうと焦っているのだけど、手紙には住所が書いていないのだった。
 好きだとひとこと書いた手紙を持って。
 ポストの前でうろうろしている私は夢の中。
 
 彼の夏休みはとうに終わったそうだ。
 
 
 
 
 

 初期のRCサクセション

 

2009年8月9日

向日葵畑と仲間たち。

 
 
 
 仲間というものを失ってから長い年月が過ぎた。 
 「友達」ならばいる。だが、学生時代のような、似たような境遇で、同じ状況下の、同じ目的を持った、縦横の関係性が絡む社会的空間においての横軸である「仲間」はいない。
 私は縦の関係性の中であっぷあっぷし、または境遇も状況も目的さえも違う人々の仲間に入れてもらうために奮闘しなければならなかった。仲間というのは名ばかりの人たち、彼らも縦の関係にほとんど近い、こちらが譲って、こちらが尽くして、こちらがご機嫌を取り、すべてこちらが耐えるような仲間たちだ。
 それでも私は嬉しかった。仲間というものがたとえ幻想であっても、良かった。関係性の中で一人漂うには長い時がありすぎた。
 私は不愉快なこともかなり耐えたと思う。いまでもかなり耐えている。
 そのために強靭な精神を身につけようと努力もしてきた。
 思考とは癖である。トレーニングをすればかなり変えられるものだということも分かってきた。うまくいきそうな気配も見えてきた矢先のこと。
 先日のことだ。ところが、私は突然キレたのだった。
 もちろん、逆上した態度を見せたわけではないが、頭にきた。名ばかりの彼らが偽りの横の関係をかなぐり捨てて縦の表情を見せ、そうしてその権限を振りかざしたのだ。「親切」だの「助言」だの、また偽りの言葉で。(本物の仲間の言葉と違って、それは考えさせられる余地もなく、私に下された命令であった。おとなしく従うしか方法がないものだ)
 私は突然すべてがばかばかしくなったのであった。
 こちらの愛情を弱みとばかりに付け込むその仲間に対して。
 また、あれだけトレーニングを積んでも、一瞬の悪意から簡単に不愉快にさせられてしまう自分に対して。
 たぶん私は彼女はいつもの仲間と違うのではないか、と期待しすぎたのかもしれない。
 
 
 いったいお前らは、どこまで譲ってどこまで尽くしてどこまでご機嫌をとり続ければ満足するのだ。
 どこまで愛すれば足りるのだろう。
 
 彼女が「いつもと比べてそれが足りない」ということが権限を振りかざした原因だということは分かっている。
 だけど、私だって時には疲れるのだ。
 
 
 くさくさしたことが溜まったので、とりあえず寝た。
 寝ると元気になる私であった。起きると、食べた。良く寝る→良く食べる、これを繰り返して、2キロほど太った頃、完全に回復する。
 ならば今度は太った体重をどうにかしようと散歩に出かけることにした。
 爽やかな夏の花が見たい。夏を、太陽を、感じたかった。私はひまわりを見ようと思い立って、小さな旅に出かける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 前日の夜から、青空だといいなぁ、と願っていたが、残念ながら曇っていた。
 PLフィルターを使用して、どうにか青空にならないかと奮闘するも無理がある。それでもやはり向日葵は太陽の花だ。群生が一斉にお日さまの方を姿を向く姿に感動、というよりは勇気を授かった。
 そうだ、何があっても、どんな時でも、太陽の方向を見ていこう。
 
「写真を撮ってもらえますか?」
 声が聞こえたので、ふと振り向くと、若いカップルが私の後ろを今まさに通り過ぎている男性に声をかけていた。私に言ったのではなかったのか、とあわてて視線を戻そうとすると、同時に男性が聞こえなかったかのように過ぎ去っていった。まずい、と思う間もなく、カップルの照準は私に向いたようだ。もう一度同じセリフを今度は私に言っている。
「写真を撮ってもらえますか」
「ああ、はい」
 今気付いたかのように、二度目のわざとらしい振り向きで、対峙する。ひまわり畑の前に並ぶ彼ら。コンデジを受け取って、シャッターを押す。
 どうもこれが苦手なのだ。人のカメラは設定がわからないし、大抵は立ち位置も彼らが決める。こちらはシャッターを押すだけだ。せいぜい自分の立ち位置をずらしてアングルを変えるしかうまく撮れる術もない。今回はシャッターを押したが手ごたえがなかったので捕れたかどうかも怪しかった。
「撮れてますかね、撮れたかどうかよくわかないですけど」
 不安げにカメラを返すと、彼らは自分たちのカメラを馬鹿にされたとでも思ったようだ。
「ああ、(このカメラ)あまり押したとき撮れたかどうかわからないんですよね」男が苦笑い。「撮れてます」
「どうもすみません」
 写真を確認する気配。女が私の後姿に向かって毒を吐く。
「・・顔が暗くてよく見えないじゃん」
 私はひやひやしながら内心呟くのだ。「他の人に頼んでくれよ・・」
 あんたそんな一生懸命撮っても、人の写真はいい加減かよ。私たちよりいいカメラでも腕は悪いのね~
 とでも言いたいのだろう。そんなつもりはなくても、撮ってもらったことを感謝していないことだけは確かだ。私も通り過ぎた男のように聞こえないふりをすれば良かった。せっかくひまわりと向き合って高揚しかけていた気分がまた逆戻りをしそうだった。どんな時でもお日さまのほうを向いて・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 最近思考のトレーニングとしてよく読んでいる本にこんな言葉がある。
「人生でもっとも大切なことは利益を活用することではない。それなら馬鹿にだってできる。真に重要なのは損失から利益を生み出すことだ。その為には明晰な頭脳が必要となる。ここが分別ある人と馬鹿との分かれ道だ」
 仲間を失った時と同じくして、利益を活用できない人生の時間も長い私だが、思えば損失だけは誰よりも持っている。
 ということは、この損失が全部利益に変換された時には、誰よりも多い利益を得られるということだなぁ、などと思ってみるのだ。
 次回はカップルたちに「逆光ですよ」と教えてあげよう。立ち位置を変えてもらって、そうして「いいカメラだから良く撮れるのだ」と体と表情で表現してあげたらいいだろう。不器用な私にできるだろうか。いや、そんな私だからできるはずだった。
 そうして、写真撮影の小さな旅の日々が続いて、そんなことを繰り返しているうちに、私の写真の腕も上がるに違いない。
 本物の仲間とも出逢えるだろう。
 ひまわりのように太陽を仰いで、頷いてみる。やっぱり夏はいい。
 心に笑顔が戻ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 

2009年8月2日

神代植物公園の幻想。 ~恋の花『夜来花』と仏の花『蓮』~

 
 
 
 
 先週の花火大会での出来事から、こんな考えが定着しつつある。
 この世で出会う人たちはすべて人の姿に身を宿した神の化身であり、私に何かを教えるために、またはどこかへ導くために、現れる。という幻想。
 もしくは、あまりにも広義なので、週に一度、写真撮影の旅に出かける時に出会う人は、と限定してもいいかもしれない。
 そんな彼らが現れて、偶然私と出会ったからには、その偶然をすべて必然と仮定して意味を捉えなおさなければいけないだろう。
 まぁ、写真撮影の時に出会う人、と言うのはそう多くはないのだった。深山などへ行けばまったく出会わないこともある。ファミリーの多い公園などでも特定の誰かと関わることはまずない。今週末は人が集まる植物園に行くことにしたので、化身も休暇を取るだろう。きっと彼らは目立つの嫌いなのだ。幻想の出番はなさそうである。
 
☆☆☆
 
 最近樹木に傾倒したおかげでまったく花を撮っていない。
 何かを得るためには何かを犠牲にしなければいけない。樹木マスターになって森の世界を極めるならば花はなおざりにしても仕方がない。しかし、そう思いながらもふつふつと焦ってしまうのだった。今年は花をまったく撮っていない。梅と桜の後から藤も見逃し、紫陽花はかろうじて撮ったがこれも森がメインだった。蓮もさるすべりの花も終わってしまいそうだ。
 登山とか、寺社巡りとか、肉体を酷使するトレーニングのような撮影旅行が多かったので、ここらでのんびり花でも見ようと思い立った。出来れば丁寧に撮りたいものだ。(久しく丁寧な撮影が出来ていない)そこで久しぶりに植物園に出かけたわけだった。
 
 
 
銀の塔は、特定の時間に鐘の音のメロディを鳴らすカリオンツリー
バラ園(奥は藤棚)
 
 
 
 神代植物公園は、自称「花と緑のオアシス」だ。園内には約4800種類、10万株の植物が植えられていて、四季折々の花と緑を楽しむことが出来るという。
 正門から入って園内マップと花だよりをもらって見る。とりあえずはトイレだ。これは儀式のようなもので、撮影前にトイレに行っておかないと集中できない。
「こんにちは~」
 ところが老婆が現れたのだった。痩せて小柄な体に白いシャツと白いパンツ、白い帽子を被って、園内ガイドボランティアのカードをぶら下げている。
 私はただ単に挨拶をされただけかと思って、にこやかにこんにちはと返す。
 すると、彼女は私のカメラを話題にし、花を撮りに来たと知るが早いか、
「見頃の花がありますから案内しましょう」
 と言うではないか。
 
 これは、神の化身か? 
 
 先日の老婆のように、私の手助けをするために降臨されたのではないか。そう思ったらもう心臓がひっくり返るほどびっくりして、ハイハイ、と二つ返事でOKしてしまう。
「お願いします」
 トイレは後まわしだ。
「イエライシャン(夜来香)が咲いているのよ。知ってる?昔の歌手が歌っていたの、美空ひばりよりずっと前の歌手だけど」
「ハイハイ、聞いた事あります。歌は知りませんが」
「あらそう。じゃあ見せてあげますね」老婆はにこにこしながら私を導いて歩いていく。「夏の花は大きいのよ~。あれがアメリカフヨウね。ああいうのは自分で見つけられるからいいでしょ。あと、あの樹がヒマラヤスギ、あれもあとで撮ると良いわよ~」
「ハイハイ」
「あっちに咲いている白いのはさるすべり、あれも男に人に人気があるのね」
「ハイハイ、あの~、蓮は咲いていないですか。あ、この時間だとどっちにしろもう閉じてますかね」
「ほら、あそこが睡蓮」
 いや、睡蓮じゃなくて・・あの、大賀蓮とか。
 老婆はどうやら私の質問は聞こえないようだ。お昼頃来て、蓮の花もないもんだ。訊く方も訊く方なのだ。やはり大人しく彼女に従うことにする。
 蓮は後まわしだ。
 ところが私はこの後すっかり蓮の花のことを忘れてしまった。
 
☆☆☆
 

南風がさわやかに吹き
鳥たちがやさしげにさえずっている
月明かりの下、花々は眠りに付き夢を見ているようだが
夜来香だけは
かぐわしい香りを放っている

わたしはこんな茫漠とした夜の雰囲気を愛し
鳥たちのさえずる声も愛す
そしてもっと愛するものは  あの花たちが見ているのと同じような夢
夜来香を抱きしめて
夜来香に口付ける

夜来香
あなたのために歌い
夜来香
あなたのことを思う

 
 夜来香(イエライシャン) は中国の曲で日本では昭和25年に発表された李香蘭さん(本名山口淑子さん)の歌が一番有名だ。日本語訳の歌詞は佐伯孝夫さん、こちらはもういない愛しい人を想う悲恋の歌になっているが、原曲の方はそうでもない、普通に恋の歌のようである。
「イエライシャンを求めて三千里、来ましたよ!」
 老婆はいくつかの温室を通って、一通りの説明をした後に、その花の元へ私を連れて行ったのだ。
 彼女の言うことはすべてハイハイと聞いていたと思う、態度に無礼はなかったはずだった、中途半端な冗談にも良く笑った。しかし、その花を見た時の失望が顔に表れてしまったのだろうか、そんな落ち度はなかったと思うのだが、老婆は最後不機嫌になってしまった。
「夏は大きい花が多いけど、小さいお花もたくさん咲いているから撮ってあげてね」
「虫がたくさんいるから気をつけてね」
「ここからベコニアの奥を出ると、さっきの睡蓮のあったところに戻れますからね」
 いくつかの注意事項を伝達したあと、じゃあといった感じであっさり去ってしまう。
「ありがとうございます。(イエライシャンを)撮って行きます!」
「・・・」
 笑顔でお辞儀をするが、こちらを見ずに挨拶もそこそこに去っていくのだ。まるでそっぽを向かれたようだった。
 これには若干傷ついた。おまけにイエライシャンは花の時期が終わりかけているのか、ほんの少ししか花開いていなく、温室の壁際に隠れるように咲いていてとてもじゃないが絵にならないのだった。私の腕と接写が出来ないこのレンズでは無理だ。。思わず諦めかけたが彼女のお勧めだ。そのために現れて導いてくれたのだ。そう意味づけた私は必死で撮った。
 
 
 
 
 
 僅かに咲いている花を何とか撮って見るが、咲いている位置も光の向きも難しい。三脚の足とレンズの向きを何度も動かしてやっと撮る、がピンボケで全滅。汗だくになった。
 本当にこの花へと導いたのだろうか。
 私は老婆と出会った意味を見つけられない。幻想が急速に白けていく思いだ。カメラと三脚を抱えて温室を後にした。余計なことは忘れてしまおう、そうそう魔法は起こらないのだ。初心を思い出して、花々を丁寧に撮ることを心がける。
 季節の花のベコニアと睡蓮、ムクゲ、フヨウ、モミジアオイを撮り、ばら園から山野草園に築山、宿根草園、芝生広場に針葉樹園と精力的に周る。
 久しぶりの花撮影は楽しかった。樹木の魅力に取りつかれて忘れていたが、やはり花は美しい。樹木だって花が宿るではないか。出来るだけ単体の花だけではなくて全体像を、樹木の景色の中での花を撮るように心がける。カリオンの鐘を何度も聞いた。気がつけば閉園の時間が近付いていた。
「大きな花が目立つけれど、小さな花も撮ってあげてね」
 老婆の言葉を思い出している。山野草園で私はまた彼女に会ったのだった。
「夏になるともぐらのように穴蔵から出てくるんです」
 自嘲気味にそう言っていた老婆。皆そういう方たちなのだろうか、他の老年のボランティアスタッフたちと一緒に彼女は現れて、私がぺこりとお辞儀をすると、やっぱりまた顔も見ないのだ。気がつかないふうに、通り過ぎてしまった。
 私は顔をしかめた。神の化身どころか、善的なものをまったく感じられなくなってしまった。もしかしたら?とふと思う。
 これが幻想ならば、神の化身もいれば、悪の化身もいるのだろうか。私を悪い方向へ導くために、もしも誰かが現れて、偶然出会うとしたら・・
 そう思った矢先に、私は蓮の花を見つけたのだ。
 はっとした。蓮の花はあったのだ! 閉園近い時間に咲いているのだから、最初に老婆と出会った時は立派に花開いていたかもしれない!
 何で教えてくれなかったんだろう。何がイエライシャンだろう、おかげですっかり忘れてしまった。中国の夜の花なんて興味がなかったのに・・
 私は頭に血が昇って、老婆のことが現実世界で出会う不愉快な存在たちの象徴のように感じられてくるのだった。
 逆に蓮は仏教とのかかわりが深く、良く仏や涅槃の象徴とされる。その花を遠ざけたことがますます老婆への不快感を募らせる。
 
 
 
 
紅葉葵。
ベコニア。
睡蓮。
ばら。
アメリカフヨウ。
ゆり。
オニユリ。
蓮。
 
 
 
 だけど、そもそも私がお昼近くになって来たのだった。
 老婆との会話で、蓮のことをすっかり忘れたのも私だった。
 
 こんな遅い時間にまだ咲いている。私はかろうじて咲いている蓮の花を眺めながら、陽が差すのをじっと待つ。暫くすると、空の雲が開けて、ぱあっと陽が差し込んできた。
 シャッターを切った。蓮の花は人気だ。撮っていると一人二人と集まってきて、携帯カメラや一眼レフでみんな彼女を撮りはじめた。
「綺麗ねぇ・・まだ咲いていて良かったね」
 今年はもう諦めかけていたのに、拝むことが出来て、こうして写真に撮れただけでラッキーなのだろうか。
 私は蓮の花の前で怒りを忘れ、心が穏やかになっている。そうして、すべてをまたいい方向へ考えはじめているのだった。
 蓮の花の宿根草園から離れて、私は芝生広場に腰を据えた。ひと休みして、三脚と望遠レンズをしまうと、広角のレンズで小さな花を撮りはじめた。 
 手でしっかりとカメラを持ち、構えて、大地に付けた足を踏ん張った。
 ピントがボケても構いもせず。そうして、名前を知らない花たちを気がすむまで撮り続けるのだった。
 
 
 
 
クサキキョウチクトウ。
ヘラオオバコ。
アラゲハンゴンソウ。
ハクチョウソウ。
 
 
向日葵。
さるすべり。
ヒマラヤスギ。