2010年2月28日

『鎮魂歌、「鐘」を思う』 ~浅田真央さん銀メダルおめでとう~


 浅田真央の今季フリーのプログラム「鐘」(ラフマニノフ 前奏曲嬰ハ短調 作品3の2)は評判が悪かった。
 シーズン初めて披露したとき、メディアからは散々だった。
「どうしてあんな重苦しい曲を選んだのですか」
 外国人記者が訊いた。
 浅田は淡々とした表情でこう答えていたと思う。次のシーズンの曲を選ぶときに、今までのような曲と、重厚な感じの鐘があって、今回は後者を選んだのだと。
 彼女の妖精のような可憐な演技ではキム・ヨナには勝てない。何かが足りない。そこで、今までとは違う新しいイメージを創り出す必要があった。
 
 私は初めてこの曲のフリーを見たとき、ずいぶんとがっかりしたものだ。盛り上がりに欠け、何よりも暗い。華麗なフィギュアスケートにラスマニノフというのがまず合わないのではないか。彼にはどうも悲運のピアニストの印象が強い。
 今でもこの曲が何を意図して作られたものか、説明を聞かされても、演奏を何度聴いても、今一つ理解できない。鐘という愛称がつくくらいだから宗教的な色合いが強いのだろうが、そこは希望につながる祈りは浮かんでこない。闇のものに対しての鎮魂歌のように思えてならない。
 なぜ、19歳の浅田が、五輪に向けた大事なシーズンをこの曲に賭けなければいけなかったのか。
 新たなイメージを得るだけでは、計り知れないリスクがあるように思えた。
 
 タラソワはかつてこの曲をサーシャ・コーエンやミシェル・クワンに与えようとした。コーエンは離反、クワンは故障によって実現しなかったそうだ。
 鐘のプログラムを自分の教え子に氷上で舞わせることはタラソワの悲願だった。おそらく、この曲に彼女はかなりの思い入れがあったのだろう。遠い日の記憶とともに、いつでもこの名曲が彼女の心を捉え、ずっと放さなかったに違いない。
 選手としての自分の夢も、コーチや振り付け師のしての夢も、彼女はその長い記憶の想いとともに浅田に託したのではないか。
「本当に鐘でいいの」
 しかし、あまりに評判の悪さ、それに加えて浅田がこの曲を自分のものに出来ず調子を崩してから、タラソワはひるんで、そう訊いた。勝たなければ意味がない。
 それでも浅田はこの曲で行きたいと意思を変えなかったという。
 タラソワの判断は遅かったのだ。芸術性の高い、腹の底に響くような鐘というラスマニノフ名曲が、浅田を掴んで虜にした。
 そして案の定、浅田が銀メダルに終わったあとで、それはこのプログラムのせいだとはっきりと書くメディアさえあった。
 浅田のファンである私でさえ、バンクーバーのフリーの演技を見て思った。
 キムの、解説者いわく、「水の流れるような」なめらかな、完成度の高い、美しい演技に比べて、そのすぐ次に出てきた浅田のなんと空恐ろしかったことか。
 まるで氷上の天使のあとで、場違いな魔王が現れたかのようだ。何とも、禍々しかった。
 これは審査員に与える心象も悪いだろうと。リスクは回避できなかったわけだ。
 タラソワは名コーチだったと思う。しかし、思うにそれは過去の話ではないか。
 彼女の時代はもうとうに終わっているように思えてならない。
 芸術性の高さや、難易度の高さを追求しても、現在の採点方式では意味がないのではないか。
 今、一番大切なのは、見るものや審査員が何を求めているか、ということだ。どうすれば、彼らの心象を良くできるか、彼らの心に訴えることができるか、それらマーケティングがすべてではないか。新採点方式の良い評価点をいくら稼げるか、ショーとしてのプログラムの完成度はどれくらいか。
 フィギュアスケートが魅せるものであること、人の心を虜にするものであること、その本質が時代の流れとともに行きついた終着点なのだろうと。
 タラソワと浅田はそこを完ぺきに見誤まっている。まるで時代遅れのシーラカンスのようだ。
 しかし、それでも私はこの鐘を何度も聴きたくなってしまう。
 浅田が負けたというのに、たとえトリプルアクセルや銀メダルが素晴らしい偉業であっても、金を目指してきた彼女は確かに敗れたというのに、それでもその無様な曲を何度も聴きたくなるのだった。
 タラソワのように、浅田のように、この曲の虜になった。不思議なことに、聴けば聴くほど、良さがわかってくるようだった。
 私は美しいキムの演技よりも、狂った浅田の演技を繰り返し見てしまう。映画のように。エンターティメントとして完成度の高いそれを、私はいつでも二度と見たいとは思わないのだった。その場は興奮して、最大限に楽しめたとしてもだ。キムの衣装も、プログラムも、演技も、すべてが最高の出来だった。それでも私の心には残らなかった。
 
 心に残った番組があった。
 フリーの前にNHKでやっていたスペシャル番組で、浅田が鐘のプログラムを自分のものにするまでのドキュメンタリーだった。
 ジャンプの技術と、表現力、この二つを今まで両立させたフィギュアスケートの選手はいない。ジャンプを重視すれば、表現がおろそかになり、表現力で勝負しようとすれば、ジャンプは難易度が低いものとなる。浅田は自分の限界を超えるために、両方を自分のものにしようとする。鐘の音に流れるその姿は鬼気迫るものがあった。
 彼女はこの曲に魅せられただけか。負けず嫌いで、出来ないまま放りだしたくなかっただけなのか。
 もしかしたら、これは私の予感でしかないのだが、老コーチの思い入れを感じ取っていたこともあるのではないだろうか。
 浅田がタラソワと契約したときの条件は一つ、「他の選手には教えないこと」、対してタラソワ側の条件は、「五輪直前で契約を破棄しない事」、だったという。
 前回のトリノオリンピックで荒川静香は大会直前にタラソワコーチを捨てた。苦手なステップを覚えるために、手本を自ら示すことができるニコライ・モロゾフに変えたのだった。モロゾフはたった3カ月教えただけで、金メダル選手のコーチという栄光を手にしたわけだ。
 荒川は私には前進する必要があったと言った。新採点方式でステップの重点は高い。彼女は新たな評価基準でいかにいい点が取れるかをあらゆる角度から研究した。マーケティングを決して怠ることはなかった。その賢い選択は、キム・ヨナと通じるものがあり、私の心にはどこかそぐわない。
 氷上の荒川とキム・ヨナの笑顔は最高に美しかった。勝者の輝きが確かにあった。
 一方、笑顔という人類最大の武器を奪われた浅田は、「上手くまとめてきた」と慰めのごとく誰かに言われるだけの表現に終わった。
 彼女の初めての五輪は終わりを告げたのだ。
 それでも私はドキュメンタリーのラストを思い返している。暗く、僅かな明りの灯る部屋、タラソワが深く椅子に腰をかけている。その丸めた背中に、膝かけ。年老いた女の哀れな姿。彼女はテレビを見つめて泣いていた。浅田が最後にキムヨナに勝利をした試合を繰り返し見つめて。刻まれた皺、老いた皮膚を、とめどなく涙が伝うのだった。
 浅田真央は荒川静香やキム・ヨナが成しとげなかった何かを確かに果たした。
 タラソワはそう遠くはなく、引退することだろう。時代には逆らえない。
 彼女の鎮魂歌は浅田が与えたのだ。僅か19歳の少女の人生が、長い時の封印を解いたのだった。
 私にとって、それはメダルに代えがたいものに思えてならない。
 
 
 
  
 
 
 

2010年2月21日

新宿と私。池袋と若者。~小林よしのり「いわゆるA級戦犯」を読んで~

 
 
 
 

 
 
 
 
 山の中腹でついに座り込んだ。
 歯を食いしばって登っても、登っても、眼下の美しき景色は見渡せない。時折、鬱蒼とした木々の間から頂が見える。尾根の向こうの遥か彼方だった。
 もうだめだ…
 力が尽きた。もう動けない。このまま、座り込んだまま、冬を迎えて二度と目を覚まさないかもしれない。
 漠然とした不安と恐怖が襲う。それでもなすすべもなく座りこんでいる。そんな自分を他人事のように傍観している自分がいる。
 一時の快楽と安らぎを求めて、ゲームばかりをしていた。携帯を手放さない。
 
 原因は仕事だった。私が再生し始めたときと同時に始めた職場での契約満期が近付いていてた。その日を迎えれば、私は放り出される。また排除されるわけだ。
 すべての努力は無駄であったこと、また、新たな道が全く見えてこないこと、この二つが事実が私の気力を奪っていた。私はとうに「結婚」の二文字を囁かなくなり、終わりを待つだけの男にいまだ期待をかけ、一縷の希望を見出す哀れな女のように、すがっていた。もしかしたら、思い直してくれるのではないかと。それが無理でも、私が去った後に、少しでも悔しい思いを抱いてくれれば嬉しいと、惜しいものを失くしたと、彼らの選択は過ちだったと認めてくれれば嬉しいと、期待していた。もはや社会への貢献とも、精神修行の場とも思えず、ただ少しでも自分が報われる(または救われる)ためだけに奮闘し、必死に逃げ道を作っていたわけだ。
 そんなとき、私はこんな助言をいただいた。
「次の仕事を探していないの?今は一番求人が多い時期だから逃しちゃ勿体ないわよ。新宿はいや?私の友達はハローワークに通って…」
 通って、通って、もうだめだとあきらめかけたときにやっと次の仕事を見つけたのだと言う。リーマンショックの影響で職を失くした友人はもう絶対こんな思いはしたくないからと、年齢にも経験にも屈せず、正規雇用の職場だけを求め続けたのだと。
「今新宿の会計事務所で働いているわ。今回の職場がラストだって。定年までいるのですって」
 これから探すなら、定年までいられる「居場所」を得なくてはならないこと、私にとってその居場所は「ここ」ではないことを彼女は教えてくれたわけだ。もうひとつ、ハローワークは土日もやっているところがあると言うこと、こちらに関しては、自分は一度も足を運んだことがないから詳しくは知らないけど、と豪快に笑いながら教えてくれた。きっとそうやって笑いながらずっと生きてきたのだろう。彼女は卒業してから定年まで同じ「居場所」で過ごすのだ。
 私はこの会話を何かの暗示のように受け取った。不安に駆られながら山道を行くときに見つけた標識のようだった。
 もしかしたらそれは、私が登ることをあきらめさせるための偽の標識だったかもしれない。頂上への近道、と書かれた矢印を行けば、そこはけもの道で、私は足を滑らせ転落してしまうかもしれない。しかし、私は自分の運気が今年12年周期の中で最も良いものであること、そして助言を与えてくれた職場の彼女が常日頃から自分の考えに近いものを持っていると感じていたこと、この二点からその選択肢を真剣に考え始めた。
「神様が見ていますよ」
 いつか私が彼女の前で何気なく言ってしまったとき、私は神と言う言葉を軽々しく友人でもない職場の人に使ってしまったことに自分でも驚いて、あわてて言い直した。
「お天道様が見ていますから」
 確か愚痴を聞いていたのだと思う。自分のしたことは自分に跳ね返ってくるから、(だからそんな相手に構わず自分は真直ぐに生きていればよい)と言うようなことを言ったのだと思う。
 彼女は私が言い直す前から大きな声で「そうよ、そうよ」と頷いていた。笑い飛ばすでも、怪訝そうな目で見るでもなかった。
 
 
 
 私は渋谷へと向かう電車の中で眠ろうとしていた。運良く座れたのだ。一時間ほど眠れば、すぐに辿り着くだろう。ふと、眠気を誘うつもりで本を取りだした。
 小林よしのりの「いわゆるA級戦犯」。漫画であった。
 身内に近いほどの親しい僅かな人間を除いて、私は彼の本の話をしない。内容について、あまりにも過激すぎると思う時があるからだ。読みだした本も、A級戦犯の東条英機や広田弘毅等を弁護する目的に書かれたもので、また、東京裁判を真っ向から否定するものだった。彼の信条も、本の趣旨も痛いほど理解していた。なので、私はあまりのめり込まないように、傍観者として、ただ知識を得るためだと言い聞かせて、警戒しながら読み始めた。
 誤解のないように言えば、私は小林よしのりの作品が大好きである。けっして睡眠剤に利用するものでもない、重い問題を扱っていることもわかっていた。
 私の哀しみの根はこんなところにあるのだ。好きなものにあまりにも簡単に夢中になり、影響をうけるくせに、絶えずそのことを冷静に見つめる自分がいた。
「そうよ、そうよ」
 という言葉は、私へ向けられたものではない。そのあと、私たちの間に親密な空気が確かに流れ、ほんの一瞬、まるでお互いすべてを理解し合ったかのようにほほ笑みあった。それでも私は彼女がいう言葉は、私へのもではないかと疑っている自分がいた。たとえそうではなくても、お天道様が見ているならば、なぜ私は職を失うのか、と残虐に考えている。それが長引く不況のせいだとしても、本当に必要な人材なら、雇用するだろうと。
 人は本当に必要な相手ほど残虐に切り捨てる。自分が自分ではない誰か別の人間を切実に必要としているという事実が赦せない時もある。私はただの職場の関係をそこまで深くしてしまいかねない危険な人物でもあり、ただの無能な排除されるだけの問題児でもあり、どちらにせよ、深かろうが浅かろうが必要ないと判断される人間なのだ。深淵をのぞき過ぎる。それは私がしたことが私に跳ね返っているもので、だから私はお天道様から罰を受けたということではないか。
 私は人を愛さないように、好きになりすぎないように、近づきすぎて排除されないように、恐る恐る付き合っている。愛されないように、好かれすぎないように、そのくせ、愛したくて、愛されたくて、好きになりすぎて、好かれたくて、仕方がないのだった。おかげで自分への評価も、存在の価値観も、全くとどまらなかった。信じても、熱い想いを抱いても、常にそのことで他人がどう見るか、客観性の中での真実や、関係性の変化を探って不安になる。
 もっともっとばかになればいいのに、中途半端に利巧というのか、極めるほどに夢中になれないというのか。小林よしのりを電車の中で読むことに、だから私は恥ずかしいような思いを抱いていて、ほんの10分ほど、距離を置いて接しようとしていたのであった。
 渋谷に着くころ、電車はかなり込み合っていた。もう一時間前のように数人の車両ではなかった。私の前にはたくさんの人が立ち、私が見つめる本をきっと見ていたことだろう。私の何度も鼻をすする音も、泣き顔も、驚きを持って見つめていたことだろう。
 それでも止められないくらい、涙があふれてくるのだった。ふと渋谷のアナウンスを聞いて、私は本を片手に電車を飛び降りた。最後まで閉じられることのなかった…
 
 
 東条英機が同じくA級戦犯としての元側近佐藤賢了に言った言葉だ。
「敗戦により、国家と国民が蒙った打撃と犠牲を思えば、僕が絞首台に上がるごときは、むしろもったいない。八つ裂きにされてもなお足りない。
 君が生き残っても、僕についてはすこしも弁明してもらいたくない。
 僕はただに絞首の辱めを受けるだけでなく、永遠に歴史の上に罵りの鞭を受けなければならないからである」
 トウジョウ・ヒデキ、デス・バイ・キング、法廷にその言葉響いた時、彼は、そうか、よしよし、とでも言いたげに軽くうなづいたそうだ。すべての罪をかぶり、天皇を守り抜いて、死んでいった。
 辞世にこう語られている。
「我ゆくも またこの土地にかへり来ん 國に報ゆることの足らねば」
 「天皇陛下万歳」と、「大日本帝国万歳」を三唱し、その後、アメリカ人の教誨師や将校たちとも握手を交わして、刑場へ向かった。その間、南無阿彌陀佛…の念仏の声が途切れることはなかった。ほほ笑みながら刑場に消えて行ったそうだ。
 
 GHQが文官の犯人に仕立て上げた広田弘毅は、軍や死んだ近衛に責任を負わせれば助かる公算があったと言う。前出の佐藤が、事あるごとに、広田に証言台に立って無罪を主張するようにと説得したそうだ。それを一貫して拒んで、言った。
「私が証人台に立てば検事からいろいろな尋問を受ける。それに対して正直に答えれば、他人のことに触れなければならない。それでは他人に迷惑がかかる。
 私は一切、自分で計らわずに来ました。首相になったのも、外相になったのも、むしろ自分では辞退したかったのですが、やむを得ずなったのです。その他のこともたいがいは自分から進んで、計らうことをせず、今日まで来ました。
 この期に及んで今さら自ら計らう気はありません」
 広田は「南無阿彌陀佛」も教誨師からの戒名も必要としなかった。死の前に感想を訊かれても何もないと言う。すべては無に帰す。自然に生きて、自然に死ぬ。
 教誨師花山はその様子をこう表わした。「広田さんはただ黙々として死につかれました。何ゆえの死刑か、理解できないかのように、宗教に入り得ず、感謝なくして行きました」
 花山のようななまぐさ坊主に広田の心境が判るものか。たぶん佐藤だろう、それを憤ったものがいたと言う。
 佐藤は広田を形容して言った。「深い淵は一寸覗いても、底は解らない。三井寺の鐘は一寸撞いても本音は出ないから」
 
 
 「いわゆるA級戦犯」には、この他板垣征四郎や土肥原賢二、重光葵など、A級戦犯として起訴された28名の物語が詰まっている。板垣と盟友・石原莞爾との絆、生涯日中友好に尽くした松井石根のエピソードが特に心に残った。
 末期癌の病床で板垣の死刑確定の報を聴いた石原はこう伝言したそうだ。
「石原も遠からず追いつくことと考えられますから、もし道のあやしいところがありましたらお待ちください。道案内は自信がありますから」
「松井は日中友好の礎石となるべく、従容として死についた。それなのに、その御霊が靖国神社に祀られていることを、中国が日本攻撃の道具に使うとは、何たる無情、何たる皮肉であろう…。」(「いわゆるA級戦犯」原文のまま)
  どちらも泣けるのだった。
 
 
 
 自分の価値など彼らにとってはどうでもいいことだった。世間からの評価も、報いさえも初めから求めてはいなかった。
 すべての罪をかぶってただ逝っただけだ。それでも足らぬと、国への報いが足りないと東条は言うのだ。
 広田は今も歴史の深い淵のなかにいる。深ければ深いほど、底は見えない。
 そして、私には、道案内をするから待っていてくれ、と告げるものもいない。
 私は自分を恥じた。この本を読み終わって、自分自身が猛烈に恥ずかしかった。そして、今の私の姿が、この国の姿が、彼らにとって申し訳ないような思いでいっぱいになった。
 重光葵は敗戦後降伏文書に調印する時、心情を詠った。
「願くは 御國の末の栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを」
 いつか日本が繁栄して、降伏文書にサインした私の名前をさげすむ人がどうか増えますように。
 私にとって敗戦は屈辱と言うよりはただの歴史的事実でしかなく、自分の名が蔑まれてまで、残されるものを想うという覚悟もない。いわゆるA級戦犯たちは、なんと程遠いことだろう。
 渋谷駅に降り立った私は路線を乗り換えて、新宿へと向かう。私が初めて就職した街だった。そこからやり直せということか、私は「彼女」の言葉を、いや、山の標識を信じて、山手線に乗り込んだ。
 帰りには池袋へ寄ってみよう、そう考えている。
 サンシャインシティの横にある東池袋中央公園の片隅に「彼ら」の石碑がある。墓まで行くのは仰々しい。靖国神社では足らぬ想いだ。せめて、巣鴨プリズンの処刑場跡でも祀ってこようではないか。
 線香の代りに煙草でも手向けて。
 
 彼らが煙草のみだったというエピソードは知らない。しかし、石碑の前には花と線香に紛れて、本当に、煙草の吸殻がいくつもあった。私はそれが若者が灰皿代わりにしたのだろう、と苦笑いをした。軽薄な、現代の彼らならやりかねないではないか。私が煙草に火をつけて、手向けると、ふと後ろから若い男があらわれた。私は慌てた。同じ目的だろうか。こんなところにお参りに来るのは物好きな私くらいだと思っていたのだ。公園では老人や若者が午後の陽を受けて、思い思いに過ごしていた。あちらへ行けばいいものを…祈りもそこそこに退いた。
 しばらくして戻ると、石碑の前にはもう誰もいない。手向けられた煙草が二本に増えていただけだった。
 
 
 
 
 

 
 
 

2010年2月14日

シンデレラと春の氷雨と。

 
 
 
 

 
 
 
 人の喜びなり、苦しみなり、誰かの純粋な思いを正確に理解するものは少ない。奇跡と言ってもいいくらいだ。一時的に共感はしても、それがその人の純粋な思いには成りえることは稀だ。誰かに伝わった思いは、必ず、何かしらの形で利用される。やっかいなのは、利用しているという意識のないもの、純粋に相手の思いのために声を上げようと思い込んでしまうもの。そんな相手だ。
 代弁者というものは、それが本当に相手のためだけであるのか、本当に正義であるのか、その声を上げることによって相対的に起こりえることは何か、そのことにいつも注意を払い、思索をして、よほどの決意を持たなければならない使命を負わされる。
 そして、他人に喜びなり苦しみなりを吐露するものは、たとえ純粋な思いであっても、自分の裡を離れたら最後、その思いに飛びつき、群がってくる怪物たちが存在するということをいつも肝に銘じておかなければならない。
 
 「在日外国人新版ー心の壁、法の溝ー」という本を読んだ。
 先日、「親日家のための弁明」を読んで、戦後の韓国と日本の関係が急激に冷えていったのはなぜか、私はその答えを探していた。日本側からの歴史の流れを追った著書、または韓国側からの感情的な流れを解説した著書等を目にしていたがどうも納得がいかない。そんなとき、ふと手に取ったのがこれだ。日本における在日外国人の立場を書いた必読書、在日外国人を知る上でのマニュアル的な著書である。
 私はこの本を読んで、日本、もしくは日本人の手口が手に取るようにわかり、在日外国人たちの想いが感じられて来るのだった。心の底からわかるわけではないと言われればそれまでだ。しかし、彼らの受ける法的な措置、日本人と外国人との溝は、私が今まで生きてきたこの国のものからの差別、その手法とあまりにも良く似ている。彼らのやり方がどんなに冷酷で自己中心的であるのか、相手の痛みなどまるで意に介さないか、私は身を持って何度も何度も繰り返し味わされ、思い知ったものだ。
 一つ経験談をしよう。その話は、大した例えでもなく、心が折れるほどの挫折感や絶望感を与えられたわけでもない。些細な話である。在日外国人の立場の話と同列に並べることなど出来ないが、この本を読んでまず思い出したのがその出来事だった。
 当時私はとある企業の派遣社員で、部署の中で唯一人だけ立場が違った。他のメンバーはすべて正社員、みなクリエイティブな専門職の方々で自負心にあふれていた。電話番と雑用係で雇われた私とはそもそも異質の、天上の存在だったのだ…
 
 
 

 
 
 
 朝から雨が降っていた。私は過去を思い出しながら写真を撮りに出かけていく。手のひらを差し出す。雨の粒が溶けていく。いつの間にか雪に変わっていたようだ。
 今日は苦手としている接写にチャレンジしようと思った。安いレンズのせいなのか、どうしてもうまく撮れないのだ。
 いつもの森に着くころには雪はまた雨に変わっている。私は樹木を見渡した。晴れた日とはまったく表情を変え、しっとりと濡れた苔生す木々が美しい。落葉樹の枯れた枝に滴の花が光っている。竹や杉の葉から顔をのぞかせる黒いエゴノキはまるで鋼(はがね)のようだった。ケヤキの幹は文明の遺跡のように模様を際立たせている。雨の森というのは良いものだ。私はすっかり気分を高揚させて道を行く。晴れた日には姿も見せない鳥たちが姿を表わした。ルリビタキにシジュウカラ、彼女たちは騒がしく、枯れ葉に覆われた濡れた土の上をついばんでいく。
 雨の日は警戒心が薄れるのかな…私はその様子を微笑ましく見つめながら目的の梅林まで急いだ。今日は紅梅を撮りたかった。次第に雨が激しくなる。すでに写真を撮る前から手袋をした手はかじかんでよく動かないのだ。今日は長期戦は難しいな、と思えば思うほど焦りが出て思うように撮れない。おまけに先日見つけた梅林には紅梅が一本しかないではないか。花開いた梅の木は、すべて白梅だった。私は一本の梅に寄り添って三脚を延ばすが、接写出来るのは僅かな花しかない。寒さが身にしみてきた。
 すっかりいらだった私は、目的を変えて、レンズを変えてみたりする。遠景を撮ったり、撮り飽きた望遠でのアプローチ、満足のいく写真が一枚でも撮れるならば何でもいいというような気持ちに陥ったがそれでも駄目だ。何を撮ってもうまくいかなかった。時間はどんどん過ぎていく。こんなはずじゃなかった…
 
 私がひとり雑用係で働いていたころ、ある日同僚が本を貸してくれた。
「これ、今私たちの間で回し読みをして評判になってるんだけど」
 みんな読んで、最後に回ってきたわけだ。同僚たちはみな面白いと言ったそうだ。私はそれでも私に貸してくれたことが嬉しく、ありがとうと受け取って、その日のうちに読んだ。そして、心臓にナイフを突き刺されたような気持ちになったものだ。
 本はシンデレラの童話を使ったハウツー本のようなもので、女性の作家が主人公シンデレラをやっかみながら面白おかしく話を進めていく。シンデレラはけなげに見せながらさりげなく継母や義姉にいじめれたとアピールをして、王子や世間の同情を買った。そして成功してのし上がった、というまさにシンデレラストーリーを妬みそのみの視点から解説したものだ。心理学とか精神分析、処世術の専門書とはかけ離れているものの、女性特有の残酷で軽快な論調で親しみ深く描かれていた。多分、普通の方が読んだら、笑って、ああ面白かった、で終わる本だろうと思われる。
 ところが、私はその時いじめを受けていたのだった。いや、実際はいじめでも何でもなく、ただの雇用上の区別でしかなかったかもしれない。当時私は区別と差別の違いが良く整理できておらず、ひとり立場の違いから除外されることが多々あった。それをいじめ、もしくは差別だと思っていた節がある。もちろん、上司や同僚にはっきりとそうだと公言したことなどなかったと思う。ただ、何かのときにヒステリーを起してそうだと思っているような被害妄想的な発言をしたかもしれない。確かなのは、そのことで彼女たちが「私がいじめられていると思っている」ということを全員が知っていたということだ。
 同僚からしたら、学歴も経歴も全然違い、専門職でもない私が同列に並べないからと言って文句を言う、ましてやいじめだと思うとは我慢がならなかったに違いない。それ(同等の立場ではないの)は、当り前のことではないか、なんて厚かましい文句を言うのだろうと思ったことだろう。ただし、彼女たちはそれを知る前から私の席の後ろを通るたびに椅子の足を蹴っ飛ばしていた。そのたびに仕事中の私が飛び上がったことはいうまでもない。全員で行くランチも飲み会も一人メールが回ってこなかったこともある。反省点はあるものの、被害妄想かどうかはいまだに怪しい一面もあるということだ。
 ひとり区別され、部署で浮いていた私を利用しようと企んだのが当時の女部長だった。彼女は私を社員に誘い、自分のアシスタントに抜擢した。そして、誇り高い部下たちに文句を言いたいときは私にメールを送ってくる。全員分の愚痴や怒りを書き連ねて、これを一人一人に分けて転送してくれ、というのだ。しばらくすると私は部署の全員に憎まれるようになった。女部長は私をスケープゴートにすることに成功したというわけだった。
 同僚が貸してくれた本が私に向けられたものだということは一目瞭然の事実であった。部の全員がこれを読んで、ブラックユーモアとともに私への憎しみを増長させていたわけだ。最後に回され、喜んで読んだ私こそいい面の皮であった。
「どうだった?」
 本を返した私に同僚は興味深そうに尋ねたものだ。私の顔を、瞳を、じっとのぞきこんで。私は何も返事をせずに、笑い飛ばそうとして、顔が醜く歪んだ。生活費が必要だった。
 シンデレラは継母にこき使われ、意地悪な義姉にいじめられて、美しいドレスも着れない、ひとり屋根裏で貧しく暮らして、鼠や鳥や動物を唯一の話し相手にしていたと言う。華やかな舞踏会へももちろん誘ってはもらえない。本当は彼女こそが正当な娘であっただろうに、父親が死んで、家を乗っ取られたわけだ。あの物語は、そんな苦しい状況でも明るさを忘れず、ひたむきに生きていれば、いつか魔法使いがあらわれて王子様と結ばれる、つまりお天道様はみているからいいこともあるんだよ、と言いたかったのだろうか。
 シンデレラが誰が見ても悲惨な境遇であったのは事実だろう。しかし、視点を変えれば、あの本が言うように、彼女こそがあざとい、したたかな、他人を悪者にし、境遇を利用してのし上がった一番の悪玉だということだ。継母も義姉もしてやられた。王子も騙された。なんと悪い女だろうと。
 もしも、このシンデレラの別の側面が、私の場合などまだ可愛いものだ、本当にひどいいじめを受けている誰かに当てはめられたらどうなるだろう。屋上から飛び降りて死んでいく中学生や高校生が、もしもいじめる側全員からこんなふうに思われていたらその心の苦しみと悲劇は計りしれない。重要なのは、だから彼らは声を発せられないということだ。どんなにいじめを受けても、誰にも相談できず死んでいくしかない。そして、相談をしようものならば、いや、たとえしなくても事実が明らかになれば、私の上司のような人間が必ずいる。
 
 
 

 

 
 粘っても粘っても、今日の写真は散々だった。練習が足りない、とか、技術がないとか、レンズが悪い、とかそう反省する前に私はへこんでしまう。そんなものは、カバーできる時もあるのだ。すでに指先が動かなく、心臓が震えるほど寒さが身にしみて、私は僅かな気力も消え失せる。
「今日はお天道様に見放されたかな…」
 心弾んだ景色はもう灰色にしか映らない。私は下を向いて、森の出口へと逃げるように向かっていく。
 それでも、時折言葉を発するのだ。ちくしょう…ちくしょう…
 騒がしく遊んでいたシジュウカラがそのたびに飛び立っていく。まだまだいける。今日はだめでも、怒りのともし火が残っているうちはまだ最悪じゃない。私は逃げていく気力のしっぽを捕まえるかのように、僅かな怒りにしがみつくのだ。
 在日韓国人は、戦後、国籍を理由に国家からの保障を得られなかった。そして、国籍を理由に戦争犯罪の責任を問われた。国民ではないから国家補償は出来ないが、国民だったから罪はかぶってもらう、というわけだ。別の側面を利用して、この国のものはなんと卑怯なことか。苦しむものがどうなろうと知ったことではないのだ。
 彼らの嘆きも、苦しみも、絶望も、その思いは純粋なものだろう。
 しかし、それを正確に伝えるものはどこにいるのだ。
 私は怒りを奮い立たせるように黒い鋼の木々の中を走り始める。思いを解き放ったときに、それに群がる怪物たちは他人だけとは限らない。そして、そのことに気付くものは一握りでしかなく、たとえ気付いても、いったん怪物に操られたらもう自分の手には負えないということだ。
 権力保持に利用する人々、そういった社会の構造、私はそれらを憎んだ。また、それに気付いてるものはまだましで、気付かぬままに純粋なる思想として自己のコンプレックスや正義感を満たそうとするもの、生活の糧を得ようとするもの、彼らを憎んだ。そして、なにより、気付かぬままに怪物を利用して、自己の純粋な思いを貶めるものを憎んだ。
 本の著者にそして言いたい。在日韓国人の想いが純粋な事実のものとして、その代弁者としての国際的活動のためにあなたがしていることは何だか本当にわかっているのかと。この国の民だとはどうしても思えない、それは別の側面から見た危険なものではないかと。
 在日外国人に参政権を与えるのは憲法違反ではないそうだ。彼らは国民ではないが、住民である限り、その権利は認められている。それは初めて知った事実で、私はこの国の首相が憲法違反とは思わないと断言した確かな根拠を、この本によって初めて理解したのだった。
『もし外国人労働者を安易に受け入れると、のちに住宅、教育、社会保障などさまざまな難題を残すことになる、という。しかし、日本をそれを「もし」で語れる立場にあるのだろうか。在日朝鮮人問題という厳粛な事実に目をそむけたところで、今日の外国人労働者の問題を論議することは、歴史をないがしろにすることではないだろうか』
 上記がこの本の、著者の一番言いたかったことだ。そして、だから外国人を受け入れ、住民という権利のもとに地方参政権を与え、地方分権により、外国人が自由に生きていける地域と環境を作る。差別をなくし、日本人は歴史認識をただして、ともに生きる社会を目指さなくてはならない、と続くのだ。
 最後の「共生」への理想はおまけでしかないと私は思った。著者が言いたいのは、上記の一文に表わされているように、「間違った歴史を見てみろ、お前には言う資格などない、だから外国人と共生しなければならない」という結論でしかない。
 私は同じ日本人がこれほどまでに日本を憎み、貶めようとする気持ちを驚きを持って見つめた。「もしで語れる立場にない」という立場とは、シンデレラの物語で言うならば、いったいどちらの側面なのだろうか。そして、在日外国人が日本によって苦しめられているシンデレラとしたならば、その立場はどうなのだろうか。
 怪物はいじめも、差別も、再生産する。共生など何も生み出さないということをあらためて思い知らされた。
 誰かの苦しみなど、北風に吹かれて舞い落ちる枯れ葉よりも軽い。ちくしょう… ちくしょう…と。
 氷雨の中、呟きながら走っていく誰かにあっけなく踏みつけられていくのだった。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

2010年2月7日

この世界が果てる前に。

 
 
 
 
 
 
 朝青龍の一件は相撲文化が崩壊していたことを露呈してしまった。横綱の品格にそぐわないからといって排除するなら、そもそも外国人力士を国技の横綱にしなければならなかったのはどうしてか。彼は例外として受け入られるだけの実績を残し、相撲協会への、または相撲人気への多大な貢献をしてきたと思う。私は彼のしてきたことがそれほど悪質だとは思えず、今更品格を持ち出すのも疑問でならないのだった。守るべき品格はそこにあったのか。あるべきだったのか。そもそもの例外を、横綱の型に当てはめて裁き、抹殺する。どう考えてもおかしいだろう。
 ならば、外国人になど頼るな。東西の両横綱を。国技ではなかったか。それができないなら偉そうなことを言うな。
 私はこれこそ国際的な問題に発展しかねない、人権侵害ではないかと思ったりするのだ。
 どこかの人権擁護の団体が騒ぐ事柄よりもよほどたちが悪いではないかと。
 
 今週はこのほかにも腹立たしく、杞憂すべきニュースが色々とあった。
 トヨタのリコールもそうだ。トヨタ神話の崩壊は、今後の日本経済を不安にさせるに十分だった。トヨタは日本製品の代名詞とまでは言わないが、一番わかりやすい形での象徴だったと思う。その品質を問われたのだ。今まで積み上げてきた日本製品への信頼、この国への信頼を問われたのと同義語ではないか。品質が劣るならば、安い他国のアジア製品で十分だろう。なぜ日本製を買わなければならないのだ。
 それから衝撃だったのは、行政のなんと薄っぺらいこと。政府は逮捕も起訴も蚊に刺されたほどにしか捉えていない。検察は揺さぶりをかけたつもりかもしれないが、私から見たらその扱われ方は紙のように軽い。
 鳩山首相や小沢幹事長に品格や品質を問うてみたいものだ。裁かれる側の彼らは、朝青龍の件で言えば相撲協会であり、トヨタの例でいえば、車に乗るユーザーではないか。
 この例を混同するのはおかしいが、しかし私はなぜか不思議に繋がって仕方がないのだ。これから訪れるであろう外国と外国人頼みの社会で、裁くべくき品格は残されているのだろうか。もしも、この国のすべてが世界の朝青龍でやっとのこと機能するようになり、しかし独自の絶対的な価値観にそぐわない問題が起きたとして、一体だれがそれを裁けるというのだ。その頃には排除出来るものすらいないだろう。朝青龍は個性を生かし、他国の力士と一緒になって、相撲協会と戦うことだろう。人権を守るということは、そういった絶対的な価値観やこの国の根幹を覆す危険性をはらんでいて、そしてそうした問題に侵された未来はそう遠くないと言いたいのだ。
 横綱を引退しろと。お前はそぐわないと。そんな悠長なことを言っていられるのは、あとどのくらいのことかと、私は笑ってしまいたくなる。たとえ車に乗る私たちが事故を起こして死のうと、恥知らずなトヨタは厚顔にもやりすごし、責任すら取らないのではないか。
 ここまで飛躍して繋げてしまうのは、普通ではない。しかし、今まで私はたとえ向こう三軒両隣と面識がなくても、この世の中に一人も知り合いがいなくても、この国で生きている限りは死ぬことはないだろうと思っていた。精神面でも金銭面でも贅沢をしなければ細々と生きていけるだろうと、無条件で信じていた。その信頼は朝青龍の件で持ちだした品格のような、この国の絶対的な価値観や行政を象徴としたこの国のシステム、この国の根幹に依っていたところが大きいのだ。私個人の力などたかが知れている。
 これからは国に頼らず、人種に頼らず、他国だろうと外国人だろうと、自分を生かしてくれるものを選択しなければ、論理や善悪や秩序とやらを自分ひとりで創造し、判断して、巧く選択できなければ生き残れないのではないかと切実に思う。
 そう思わざるを得ないほど、民主党がやっていることは、今までのあり方をまるで紙のように薄っぺらくしてしまったのだ。
 
  
 
 私の小さな箱舟はまだ出来上がってさえいない。国の変容とともに、自らも変わらなければ淘汰されるだろう。
 私は一人憤り、一人杞憂しながら、やっとのことでカメラを抱えて近場の森林公園へと向かう。すべての答えはない。だからこそ、立ち止まってはいけないのだ。ともすれば、伏せてしまいたくなるやわな心を抱えて、今日は咲き始めた梅の花を撮りに行く。
 本当は遠出をする予定だった。私はインターネットで梅の名所を探していた。ふと見つけた、公園の梅の花。美しい樹木にルリビタキ。私がここしばらく固執して通っている公園での写真だった。私はだれかが撮ったそれらを見つめて、だれもが認める美しい場所でもなく、美しい被写体でもなく、高価な機材に頼るでもなく、やはりまずは自分の腕を磨かなくては話にならないという思いを強めたのだ。もちろん写真を極めても、私の道が確立されるわけではない。答えもなく、意味もない。それでもここから始めなくてはならないのだ。これだけは投げてはいけない。これが私の根幹だ、そう思った。
 この私の新しきアイディンティティーとも言うべき根幹を与えてくれた多くの者たちのことを思う。私はそれだけは失ってはいけないように思われた。もう、あまりにも多くのものを失って生きてきたのだ。ここから始めなければ何も始まらない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 いつもの入口からいつもの散歩道へ入る。不思議なことに、今日は(撮るべき対象が決まっていたから)素通りするはずの雑木林の道で私は何度も立ち止まる。そうして、冬の森の美しさを感じるのだった。写真を撮らないと決めたからなのか。それは、いつもよりも美しく私の胸に響くのだった。
 僅かに目を細めると、まつ毛にかぶさるように淡い光芒が景色にかかる。幾重にも降り注ぐ光のなかに、真直ぐに立った樹木の幹が見えている。その神秘的で、力強いこと。なんと精神的であること。対峙すると圧倒されるほどだ。私は阿呆のように口を開けて、彼らの前に立ちすくんでいる。たかが公園の木であるはずなのに、この威風堂々とした美しさはどうだ。私は彼らに目を奪われて、なかなか梅にたどり着くことができなかった。
 噂の梅は民家園にあった。公園の中の、市指定の重要有形文化財である郷土民家の前に立っていた。写真では見たが実物を見るのは今年初めてだ。今日は風が強く、寒い陽気だったが、梅を見るとやはり春を感じてしまう。梅は白梅だった。
 忘れていたものを思い出すように、次第に胸が高鳴った。まずは遠景で全体を撮り、それからズームで白梅を捉える。去年、この花に惚れて、彼を少しでも美しく撮ろうと四苦八苦したことが昨日のことのようだった。結果はしかし散々だったのだが、今年は少しでも…と力みが入る。おかげで、初めはさっぱりだった。
 レンズを変えて、接写で(アップで)捉えるのではなく、少し距離を置くように、視点を変えるようにしてみてから徐々に調子が上がってきた。立ち位置を変えて光の角度を変える、コントラストや色の濃さを変えてみる。ホワイトバランスに露出を変えてみる。思考錯誤を繰り返しながら、イメージに近いものを模索していく。
 しばらく花を撮っていなかった。今日は梅の花のために必死になりたいと思った。綺麗でなくてもいい、多少ずれていてもぶっ飛んでいてもいいから、自分らしい写真が撮りたいと思った。頭の中に映った彼の美しい姿を忠実に映し出してあげたい。
 白梅と格闘し、ふと人の流れが奥へ向かうことに気が付いた。ここはそう広くない。2棟の民家がすぐに見えているだけであった。私は撮るのを中断し、民家園の裏手へと回ってみる。すると裏山にまるで段々畑のように畑があり、そばには河津桜が咲いているではないか。蝋梅があるとは聞いていた。もしかしたら人が向かうのは蝋梅がまだ咲いているのか、と思っていた。まさか桜とは…予想外のことに喜びを隠せない。私は三脚を担いで、小山を登って行った。
 梅も初めてなら、桜も初めてだ。今年は早いと聞いていたが、こんなに寒く、心が弱っている時に見せつけられるとさすがに沁みた。
「いいですか?」
 必死で撮っていると中年の男がそう訊ねて、隣で桜を撮り始めた。「梅林がありますよ」
 
 
 
 

 

 
 
 
 
「○○の森ですか?」私はネットで調べていた場所を言う。
「ええ、ここから公園に戻って、まっすぐ行って、ガードをくぐって…」
 丁寧に道順を教えてくれる。「左手に十数本くらいかな、先週はまだ咲いていなかったけど、今週は咲いていると思います」
 彼はこれから向かうのだと言う。私は丁重に礼を言って、もう少し桜を撮ってから行きます、と答えた。
 男と会いたくなかったわけではない。私はそれから時間を忘れるほどに桜に夢中になってしまったのだ。気が付くと結構な時間が立っている。私は空を見上げて、太陽がかなり傾いていることを確認すると、桜に別れの言葉を告げて、梅林があるという方向へと駆け出した。まだ紅梅を撮っていない。もしも撮れるならば撮りたいものだ。また来週来ればいい。これから梅はいくらでも撮れるだろう。今日で終わりではない。それでも逢いたかった。逢えるものならば、と私は急いでいる。光を浴びた姿を撮ってあげたい。
 男に言われたとおりに行ってみたが、行き慣れた公園の先にあるこの小さな森は初めてだった。私はなかなか梅林を見つけれらない。ぐるりまわって、広場や川のそばで休む人々と行き交い、バラ園や椿園を通り過ぎて、現れた神社でお参りをする。一周回っても梅には出逢えなかった。道を誤まったか、まだ咲いていなかったから気が付かないまま通り過ぎたのか、諦めて帰ろうとした時、ふと赤いものが目に入った。茂みの向こうに見えている、あれはもしかして梅ではないか。
 梅林というほどではない。確かに梅らしき背の低い木々は並んでいるが、咲いているのは僅かにふたつ、二本の木が白い花と赤い花を咲かせていた。
 私は茂みをぐるぐる回って入口を探し、やっとのことで紅梅にたどり着く。対峙して、呪文のように繰り返すのだ。「綺麗に撮ってあげるからね」
 早咲きの種だろうか。紅梅は先ほどの白梅や桜のように洗練されていない。幹も黒くごつくて、おかげで花もどこか無骨だ。朽ちかけた古木がかろうじて花を咲かせたという感じ。だけど、だからか、力強い生命力を感じさせられた。
 老年の夫婦連れが梅を見上げていた。婦人が花に近づき、相方が小さなカメラを持ってその姿を収めている。この場所の道順を教えてくれた男はもう撮り終えたのか、出会うことはなかった。老夫婦が消えると、私は梅園にひとりきり。一本の紅梅と一本の白梅とそれだけ。私たちは対峙して、それだけの世界となった。
 幸運にもまだ陽が差している。立春も迎え、陽の射す時間が増えたようだ。答えはない。意味はない。すべての決意は綺麗ごとになりそうで怖かった。私はただ頭をからっぽにして、梅たちと向かい合った。この世が終わる前に、私が消える前に、どうか少しでもたどり着きたいものだ。私は呪文をまた繰り返した。
 
 
 
 

 

 

 

2010年2月1日

韓国と日本の純愛を思う ~親日派のための弁明を読んで~

 
 
 
 
金 完燮 (著, 原著), 荒木 和博 (翻訳), 荒木 信子 (翻訳)
 
 
 
 
 韓国では「親日派」とみなした自国民から全財産没収事業を国策としているそうだ。韓国人の日本人に対する「恨」(ハン)は根深い。
 そのような民族と、この先友愛のもとに融合し、ひとつの共同体として結託して、仲良くやっていけるものなのだろうか。
 鳩山首相のこの国における未来像を思うとき、一番私が疑問に思うのは、彼ら韓国人のことである。韓国は一番日本に近く、一番日本に似ている。古くから大陸の文化や宗教は韓国(朝鮮半島)を渡って日本にもたらされた。両国には長い歴史がある。一時期の歴史から韓国は日本を憎み、内政干渉を含み、現在日本に対して一番の影響力を持っている。また在日外国人は韓国人が一番多い。
 日本の未来が輝かしいものとなるか、滅亡へと向かうかは、韓国人といかにうまくやっていけるかがキーポイントとなっているように思う。
 しかし、それは本当に?そもそも在日韓国人は日本民族との同化をあれほど拒んでいるではないか。彼らと上手くやっていくためには、日本人が果てなき謝罪と譲歩を繰り返し、相手にとって耳触りのいい言葉を発しない限り難しい。相手が満足のいく選択と行動を取らない限り難しい。在日韓国・朝鮮人に関して言えば、彼らを純粋な韓国人でもなく日本人の一部でもない「特権階級」のものとして認め、彼らの存在を全肯定して、誤解を恐れず言えば、「崇め」ない限り難しい。
 本当に日本は韓国人とうまく共存共栄していけるのだろうか。お互いにとって同等の立場で、お互いが成長できる姿で。
 本当に日本の未来は輝かしいものになるだろうか。
「親日派のための弁明」、私はそんな疑問の答えを見つけようとするかのように、この本を読んだ。


 まず驚いたのはこの本は日本の出版社に頼まれたわけでもなく、純粋なひとりの韓国人が自発的に書いたものだということだ。
 そして、次にその内容。韓国の方々がこの本を読んだら、人格崩壊をまぬがれないのではないかと思うほど、衝撃的な真実が明かされている。彼らはこの歴史をいったい直視できるというのだろうか。
 一人のフリーランサーの歴史的解釈ではない。著者は感情を排除して、歴史学的事実から世界的状況から極めて冷静に、110年あまりの間に日本と韓国に起こった出来事を記していく。
 それは日本人の私にとっても驚きだった。いくら本を読んでも、日本の著者が日本のしたことを客観的に記した文書には出合ったことがなかった。史学的な学者の専門書を見れば違ったのだろうか、それにしても日本人は自分たちのしたことを多くは語らない、たとえ良いことをしても口に出さないことを美徳とする民族だ。この本の中では、当時の世界情勢から日本が選択せざるを得なかった道筋が、国益を考慮し、一番理にかなったその苦渋の決断が浮かび上がってくるのだった。まさにそれこそが真実だったのだろうと読み手を納得させる理論的な語り口で。
 自虐史観に侵された日本人にはエールとなるものだとしても、しかし、韓国人はこれを事実として読めるであろうか?
 発狂するか、人格崩壊しなければ、直視できないのではないかと私が思うのは、韓国人の歪んだ歴史観を少しは知っているつもりだからだ。なぜ、あれほどまでに日本を嫌うのか、自分なりにいろいろ調べた。中でももっとも印象に残り、これが本当の理由ではないかと説得力のあった著書に黒田勝弘氏の書いた「韓国人の歴史観」というものがある。
 著書で述べられる反日感情の理由はこうだ。
「韓国における反日感情の基本は日本に対する民族的コンプレックスである」
 歴史的には中国の文化圏における先輩でありながら日本に遅れを取り、支配されたという屈辱。そしてその屈辱からの脱出(解放)を自力でやれなかった悔しさ。しかも1945年以降、解放された韓国と敗戦の日本として出発しながら、さらに日本の風下に立たざるを得ないという悔しさ、は想像にあまりあると著者は続ける。
 従軍慰安婦の「性」問題で激しく日本を糾弾するのも、その民族的コンプレックスから日本を道徳的に劣る存在として卑しめたいからではないか。自らを高みにおいて、日本人を見下し、「道徳的優位感」に立つことで解放されようとしているのではないかと推察しているのだった。
 韓国の方々には本当に申し訳ないがこの説は私の疑問に十分にこたえてくれる、説得力のあるものだった。もしも私が逆の立場なら、と考えてみたら、同じ行動をするだろうと思われたのだ。韓国人はそんなに卑しくはない、日本人の下劣な想像かもしれない。確かにそうかもしれない。ただし、どの説よりも一番説得力があり、すべての謎が解ける、つじつまの合う仮説だと私は思う。
 韓国人の国定史観からみたら、日本人は自分たちの利益のために民族的に高潔で純粋な韓国を犯した。もちろん、日本支配時代に危うく日本人になりかかり、親日派ばかりが町中にあふれ、日本人と協力しあって、中米と戦ったなどということはありえないことだろう。もし日本兵として戦い、特攻まで志願し、日本のために死に、今も靖国神社に神として祭られているとしたならば、それは野蛮で残忍な日本人に無理やりさせられたのだ。従軍慰安婦は喜んで日本兵のために自己犠牲となったわけでもなく、すべては、「強制」であったのだ。協力など出来るはずもない。なぜなら日本は劣った民族だからだ。素晴らしい韓国民族が日本人なんかと協力し合うはずもないのだ。すべては日帝が強制的に、無理やり犯したのだ…
 私は日韓併合の歴史というものも、この延長線上のかとずっと思っていた。
 日本の傀儡国家、満州国のことも念頭にあったのだろう。韓国の朝廷と日本の軍部が手を結んで、強制的に併合されたものではないか、そうではないと言う意見を聞いても、どこかでそうではないかという後ろめたさのようなものがずっと付きまとって離れなかった。
 李朝(または大韓帝国)の王は溥儀のように実質的な韓国の代表ではなくて、抵抗史観に基づくような革命的な指導者がいて、韓国の民は彼にみな添っていた。それを日本が無理やりぶち壊した、そんなふうに信じていた。一般大衆を、一番私の心情に近い弱き立場のものを足蹴にしたのは日本だと。
 ところが「親日派の弁明」によると、そうではないのだ。
 19世紀末、朝鮮社会が直面していた究極の課題は市民革命、日本で言う明治維新のような近代的な社会を打ち立てることだった。開国以来、朝鮮の自主独立とブルジョア革命を推進した集団は以下の三つ、東学、開化党、そして日本。これに抵抗する反動勢力が王室(と両班階級)、清国、ロシアだ。
 日本は韓国を近代化させることが先決だった。王朝が列強に支配されれば、次は必ず日本に及ぶ。死活問題ではあったのだろう。しかし、そんな利己的な都合では解釈出来かねるほど、日本の歴史は韓国(朝鮮半島)に執着しているのだ。清国がベトナムの支配権のめぐってそれどころではない時も、その相手国フランスがインドシナの植民地経営に夢中な時も、アメリカが南北戦争で精一杯な時も、日本は一貫して、韓国に目を向けている。維新以後、何度も撤退を余儀なくされても、国力を蓄えて、朝鮮進出に力を尽くす。革命勢力に全面的に協力し、彼らを後押ししているのだ。
 それに応えるように、革命勢力や改革派も常に日本に応え、時には手を差し伸べ、協力を求めているではないか。
 1884年の甲甲革命、1894年の甲午革命(景福宮のクーデター)、1895年の乙未事変(第二次景福宮のクーデター)、革命家と日本人は結託して、専制君主高宗の独裁体制を変えようと戦うのだ。そのたびにまたかと思うほど何度も何度も失敗する。革命指導者は投獄されたり、海外に逃亡して散り散りになり、それでもまた何度でも試みる。この国にも朝鮮維新を!文明開化と、近代化を!
 反動勢力側は革命のたびに清国、ロシアと繋がってこれを阻止してきた。朝廷と繋がって国民をないがしろにしたのは日本ではなかったのだ。日本は革命に失敗し、革命家が散るたびに、やむなく撤退して、国力を整えた。大国の清国とロシアの国力の前に打ちひしがれ、撤退を余儀なくさせられた時も、時をかけて着々と力を養い、なんとその後、韓国(朝鮮半島)をめぐって日清戦争、日露戦争を起こすのである。
 当たり前に知っていた歴史の事実だが、視点を少し変えるとこれは驚くべきことである。
 日本はずっと朝鮮半島(韓国)だけに執着しているではないか。満州や台湾もあるが、時間と労力の注ぎ方がまるで違う。何度敗れても、朝鮮半島を得るために果敢に立ち向かい、列強のロシアまでをも打ち破るのだ。朝鮮進出は日本の、長い長い時をかけた悲願だった。
 だからこそ、何十年の時を経て、やっと叶ったことだからこそ、韓国も日本を受け入れて併合を決めたのではないだろうか。
 やむなくだの、強制だのとは正反対の、私はまるで純愛を感じたのだ。
 こんな例えはおかしいだろう。だけど、朝鮮の革命を願った日本の想い、そのあとの朝鮮統治のあの情熱の注ぎようはどうだろう。それに応えて、日本人として戦火を耐え、共に戦い、戦況を共に喜び、死んでいった韓国人の貴さはどうだろう。
 私はドラマよりもよほど純愛だな、と思った。純愛路線の物語を繰り返し作る韓国がなぜかすっぽりと納得できたのだ。
 日本と韓国の関係はどこの国同士の関係よりも、切なく、純愛ではないかと感じられた。
 なのに、どうして今は、戦後は、上手くいかないのか不思議でならない。
 解放され強くなった女は、負けた男など見向きもしなかったのか。そのあとで、男が女のことなど忘れたように生き生きと生きていれば、それも恨めしくなったのか。
 

 繰り返すが親日派は韓国社会から抹殺される。
 李完用は売国奴として墓を暴かれ、伊藤博文を殺した安重根が称えられる。
 「親日派のための弁明」は青少年有害図書指定となり一般書店では入手できず、作者は何度も訴えられ有罪となり、賠償金を求められている。
 妄言、妄言、と繰り返す韓国人だが、歴史を直視できていないのは、日本人ではなくて、彼らのほうではないだろうか。
 かつての日本人の情熱が強制であるように、李完用が売国奴であるように、反対派の伊藤博文を殺し併合を早めた安重根が正義であるように、韓国人は自分を慕うもの、本当に愛国心あるものに必ず剣を振り落とす。この著者がなぜこの本を書いたか、本当にわかっているのだろうか。誰のために書いたのか、歴史を直視してほしいのは誰かのか。日本人なんかではなく、母国のためのものだということを。
 まるで自らを痛めつけているようではないか。
 おかしな話だ。日本の輝かしい未来は、命運は、今も昔も韓国に委ねられている。
 そしてそれは、韓国人が目を覚まして、真実の歴史を直視しない限りは、起こり得ない未来なのだ。