2010年8月30日

『トロイカ体制』にコケる。

 

 

首相と鳩山氏、小沢氏との「トロイカ体制」重視で合意

日本経済新聞 web刊 2010/8/30 21:30

 

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会談を終え記者の質問に答える菅首相と鳩山前首相(30日午後、首相公邸前)

 菅直人首相と鳩山由紀夫前首相は30日夜、首相公邸で会談し、民主党代表選への出馬の意向を固めている首相と小沢一郎前幹事長の一騎打ちによる対立回避に向けて協議した。鳩山氏は、自身と首相、小沢一郎前幹事長による「トロイカ体制」の再構築を要請。首相も基本的に応じた。31日にも首相と小沢氏が会談する方向となった。

 鳩山氏は「『トロイカ体制』の原点に戻ることが重要だ。一致結束した姿を示すことが大事だ」と要請。同時に「トロイカ体制を重視していくなら、私が責任を持って首相と小沢さんの会談の仲介をしていく」と述べた。首相は「基本的な考え方は全く異存ない。トロイカに輿石東参院議員会長を加えた体制を大事に考えて活動していく」と応じた。

 鳩山氏は具体的な人事を巡る要求はしなかったと強調。小沢氏が出馬するかどうかについて「出るか出ないかは小沢氏と首相との会談で決まる」と述べた。両氏が会談後、公邸前で記者団に答えた。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 日本の再生は、小沢一郎の政治家生命を代償としなければあり得ないと思っていた。
 自民党政権時代から、政治は反小沢VS小沢(派)の争いだった。彼を排除しようとする力の大きさを利用するしか、もうこの国の未来は切り開けないのではないか。ぎりぎりのところまで来ているのではないかと思えた。

 小沢一郎の力が増せば増すほど、彼を排除しよう、叩き壊そうという反動的な力も増す。その力を求心力や原動力に代えて、古い体質をぶっ壊すのだ。平成の維新を巻き起こすことができるのは、小沢一郎を以てしかない。どうしても、彼には表舞台に出てもらう必要があった。

 ところが、またしても、仰天のニュースである。

 最後の者として、立派に大往生してくれるかと思ったら。本人も、死に場所を探しているのかとさえ思っていたら。さすがに国会答弁に怖気づいたか。政治とカネの問題はやっぱり起訴相当、不起訴不当だな。濡れ衣でも、国策捜査でもないとはっきりしたな。

 本当にがっかりした。

 またこそこそと隠れるつもりなのか。一度は諦めて、が、そのあとの代表選出馬発言で期待をしてしまっただけに、本当に裏切られた、見損なった思いだ。

 何だ、いったい。民主党の『トロイカ体制』って。

 権力の集中を分散って、通常ならそれは独裁を防ぐためにもいいことだが、今この末期症状の日本からしたら、誰も後継者が育たないではないか。誰も責任を取るものがいないということではないか。みんなで仲良く責任逃れか。利権の分け合いか。

 なんで小沢一郎は潔く立たないのだ。信念を貫いて、3年間びっしりと日本をダメにして、危機感を覚えたものどもをひとつの勢力にまとめ上げて、自分を倒させてみろというのだ。
 まだ生き残りたいのか。ああ、何と醜いことよ・・

 『日本があぶない』と言ったのは誰だったか。

 まじで、この国は危ないんだ、お前が踏み台になれ。お前の政治家生命を賭けろ。
 自分の政治家生命の延命なんて考えるな。

 

 と、まぁ、あまりにも頭に来たので、散々書いたが、私の失望がそれほど深かったということだ。
 もう少し、気概のある、最後の武士のような男かと思っていた。
 いや、そういう部分も少しはあると思っていたが。残念だ。

 ぎりぎりまで、しかし諦めず、明日の結論を待ちたいと思う。

 

 

 最後に、民主党の宣伝を一つ。ささやかなネガティブキャンペーンとして拡散したい。

 今回の代表選は外国人でも投票できるそうだ。
 日本の総理大臣を外国人が決めることができる、実質、外国人の参政権(しかも、地方ではなく国政!)が与えられているようなものである。

 これは衝撃である。

 どういうことかと言えば、投票権があるのは、「民主党員」および「民主党サポーター」のみ。ということになっているのだが、この党員とサポーターは国籍に関係なく誰でもなれるのである。

 特にサポーターがひどい。費用は年間2千円。たった2千円で、各国の誰でもが、日本の総理大臣を選ぶ権利を持つことができる。

 以下のサイトをごらんください。
 ↓
 http://www.dpj.or.jp/sub_link/volunteer/

 

 

2010年8月29日

安全保障問題は俺に任せろ! ~菅首相の挑戦に思う~

 


 政権交代してから一貫して、民主党が叩かれてきた問題がある。
 「安全保障政策」に関してである。普天間基地移設の騒動から米国の機嫌を損ね、いったい民主党は日本の安全保障の問題をどう考えているのか、と野党のみならずメディアからも国民からも批判され続けてきた。
 その民主党政権の最大の弱点に、総理の椅子の死守をかけて菅首相が挑んでいる。

 「日本版NSC」再検討 首相、代表選へ安保重視打ち出す」
 (msn産経ニュース 2010.8.29 01:24)


 NSCと言えば、タカ派代表の安倍元首相でも設置を断念した機関ではないか。
 一体どうしちゃったんだ、菅さん、と心配するも、再検討自体は悪いことではないようだ。
 その前日のニュースになった、「防衛計画の大綱」の見直しに向けての、有識者による安保懇提言から引き続きである。(菅首相の諮問機関が日本の将来の安全保障に関する報告書を提出した)
 こちらは1年前に自民党政権下でやはり有識者から提出されたものとほとんど同じ。民主党に政権交代して、白紙にされていたものをまた改めてまとめただけではある。が、一部(基盤的防衛力構想を有効ではなく継承しない等、専守防衛の見直しに言及したところ)自民党時代とは違う、一歩踏み込んだ内容もあるようだ。
 報告書骨子は以下の通り。
 

「基盤的防衛力構想」からの脱却

「複合事態」を想定した防衛体制への改編

離島・島しょ部への自衛隊部隊の配備

武器輸出三原則を修正し国際共同開発などを容認

集団的自衛権の憲法解釈変更の検討

PKO参加5原則の修正

非核三原則の問題点を指摘


 
 新聞各紙の反応も面白い。朝日新聞は懸念を禁じえないと猛反発。
 
 『戦後一貫して、他国の脅威とならないとし、専守防衛を掲げてきたわが国の理念からも逸脱しかねない。それがアジア諸国の目にどう映るのか、いま一度考えてみる必要がある。』
 
 日本がまた侵略戦争でも始めるのではないかと、お隣の国々が騒ぎだしそうであることを心配しているようだ。
 
 日本経済新聞は、おおむね肯定的。中国の北朝鮮の動きを念頭に入れると、日本の軍事力増強は現実に即していると言う。また「武器輸出三原則」についても、
 
 『日本の武器輸出はこの原則により事実上、全面禁止されている。一部の例外を除くと、日本の防衛産業は部品・技術のやり取りを伴う外国企業との共同開発・生産に加われず、日本の装備品の価格は割高になっている。防衛の技術力向上のためにも禁輸の一部緩和は妥当といえる。』
 
 早くも「死の商人」として儲ける(経済が潤う)ことをこそ念頭において、「現実に即している」と判断しているのではないかと疑うほど、戦後ずっと続いてきた日本の矛盾した形(戦争放棄の憲法と自衛隊と米軍頼みの安全保障)をついに変えようということについて、抵抗がないように映るのだった。
 
 一番乗り気に見えたのは読売新聞、こちらは菅さんが決める前から「さっさとNSCを作れ」といった調子であった。
 
『ミサイルやテロなど新たな脅威への対応や、国際平和協力活動、災害救援といった様々な任務を自衛隊が果たすには、より重要な分野に人的・物的資源を思い切って再配分することが欠かせない。
(中略)安全保障政策は状況の変化に応じた継続的な見直しが必要だし、日本に国家安全保障戦略が存在していないこと自体も問題だ。』

 
 この新安保懇報告について、各新聞社は一応(社説や政治記事で)取り上げたものの、翌日のNSC発足構想においては、産経新聞でしか見ることが出来なかった。
 ずいぶん大きな、日本の憲法解釈から、戦後ずっとの国是問題から、これからの安全保障の有り様から全く変わって来る大問題だと思うのだが、意外と食い付きが足りない。もっと連日騒ぎたててもいいように思うが、せっかくの菅さんの決死の挑戦もこれではカタナシである。
 
 日本が自立した国家となるために、安全保障政策の見直しは欠かせない。現在の憲法解釈にずいぶん足を引っ張られていることは否めないと思う。
 ただし、やはり物事は何ごともタイミングで、なぜこの時期に?
 とどうしても一抹の不安を覚える。
 米国と中国が海洋権益をめぐって深刻な対立を深めるときに、代表選が近付くときに、経済政策よりも先にこの安全保障政策の改正案が浮上するのはどういう意味を持つのか。
 菅首相は11月のオバマ大統領来日を念頭に置いているのだろうか。
 「日米共同宣言」を検討するにあたって、適切な相手は自分でこそあるとアピールでも?
 それともすでに、大国からの圧力でもあったのか。
 わからないが、不思議な、奇妙な想いは拭えない。
 ただ、何の深い意味はなく、菅首相のやる気に火が付いてしまっただけなら、小沢効果万々歳と言うところではある。
 
 
 
 
 
     
 

ショーン・ホワイトになりたい ~赦されざるものとカーニバル~

 

 

 

ショーンホワイト

 

 ショーン・ホワイトになりたい。

 ほんの数分ほどのVTRだ。バンクーバー五輪のダイジェスト。スーパースターの笑顔を初めて目にした私は衝撃を受けた。
 彼は女性にしか見えなかった。が、その中世的な魅力からは想像しがたいほどの超越した技を見せ付けた。
 優勝シーン。金メダル。星条旗。そして、笑顔。
 当時話題になっていた日本人の選手が無様に失敗した技を、難なくこなした。まさに軽々と。
 わたしは天と地ほどの差を感じたものだった。

 ずっと忘れていた一瞬の衝撃を、つい先日あるブロガーの記事を読んで思い出した。

 彼は天と地の差のことを書いていた。それから、ホワイト選手の美しい笑顔が国民性からくるものであることを。国民性でありながら、アメリカの人々はナショナリズムから遠く離れた個を基準に誰かを崇拝していると・・・そんなようなこと。

 問題は、その記事を読んだことによって、私の中で二つの点が繋がったということだった。
 それははるか遠くの天の話ではなくて、「私でもなりうる」と思えたことだった。

 歪まずに、屈託なく笑うためには、「それ」を赦されるためには、才能が必要だ。
 努力を重ねて、ショーン・ホワイトのように笑う権利を勝ち取らなければならなかった。

 笑うべきところでしか笑えない、ましてや誰かを排除するときにこそ笑いを利用するこの国の国民性では、「それ」はますます「狭き門」のように思えた。

 けれど、やっと門の場所を知った思いだ。あとは、叩くだけである。

 

 

 

 浅草サンバカーニバルに出かけた。

 ずっと見たいと思っていた、下町のお祭りだ。日本情緒ある浅草の通りを、華やかな衣装をまとったダンサーたちが練り歩く。サンバのリズムに合わせて。

 今年が30年記念だそうだ。ならば、ずいぶん盛り上がることだろう。私はカメラを抱えて、銀座線に乗り込んだ。メトロを降りると、雷門通りは人が溢れている。1時半のパレードに合わせて、すでに交通規制がされていた。沿道に座りこむ人たち。その後ろに並ぶ人たち。
 遅く来すぎたかな、と一瞬心配したが、すぐに先日の隅田川花火大会を思い出して、そうでもないと思い直す。あれよりは、大分ましだ。私は、雷門の前まで走って行き、人をかき分けて、交差点を渡る。雷門が背景になる位置で写真を撮りたかった。そこでなら一番良い笑顔を見つけられそうに思えた― するとすぐに、沿道に並ぶ人たちの中で、通りが見渡せる「点」を見つけたのだった。

 座っていたのは夫婦連れ。もしくは年配の交際相手と言ったところだった。二列目だと言うのに彼らだけが立っていなかった。男女はアウトドア用の小さな椅子に腰掛け、パレードを待っている。私はそのすぐ後ろに陣取った。彼らの両脇はみな立っているので、視界はせまい。が、雷門を背景に真正面が見渡せている。

 あっという間に後ろに人が並び始めた。ぎりぎりに来たというのに、きわどいところで、なんとか写真が写せそうな場所を手に入れた。私は思わず神に感謝する。おまけに前の彼らは私に「これ使う?」と一人用のシートまで貸してくれるではないか。スポンジの付いたそれに私は悠々と座って、後ろのために今度は自分が点となるのだった。パレードが盛り上がったころに振り向けば、後ろには数名のカメラマン。(写真愛好家たち)私は美しいダンサーが来ると立ち上がり、彼らの邪魔をしたものだ。気がつけば前の二人は人に押し流され、見える位置へと、徐々に横にずれていて、私を中央としてまるで三人並ぶようにサンバを眺めていた。私が立ち上がるたびに、男の人のほうが気配りに気を使うものか。のんびり眺める奥さんをしり目に、小さく固まって、避けるように身を反らしている。それも申し訳なかったものだった。

 私は人を撮るのが好きだった。
 モデル料は高いし、人を撮るのは難関だ。だからあまり経験はないが、なんとか自分なりの「人」の捉え方を見つけたいと願っていた。
 ダンサーは動きが早いし、追いかけるだけでも難しかった。それでもずいぶん楽しいものだった。ファインダーの中に現れたり、ふいと消えたりする彼女たちは、時々、ある瞬間、スローモーションになる。私の眼にそう映る。

 私はカチカチとなる秒針を頭の中で緩やかにカウントして、そうしながら、一番いい動きの、表情の瞬間を待つのだ。シャッターを切る音だけは高速に聞こえる。撮れた!と思えた瞬間。ほっとする。そして、時の流れが戻って、また軽やかに動き始めた彼女たちを追いかけている。そんなことを繰り返していた。もっと経験を積めば、時々ではなくて、常に、ステップを踏む彼女たちがスローモーションで見えてくるのかもしれない。

 

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 ダンサーたちの笑顔はみな美しく感じられた。

 ここでは笑顔は赦されている。笑うことは、解放されている。

 私はこのパレードと、いつも私が生活している場所との差のことを思っていた。笑顔は個性の象徴だ。この国では笑いを殺すことが美徳とされる。現代でも統制されていると私は感じていた。赦されるものは一握りのショーン・ホワイト。ショーン・ホワイトになりたい。だが、ここはまるで個の解禁だ。才能なんて、努力なんてなくても、赦される一日。お祭りの日。たとえ天と地の地であろうと天とされる唯一の日。

 私はその一日の瞬間を貪るように、ファインダーの中の笑顔を見つめて、捕らえようとして、そうだ、もう少しだ。もう少しで、時が止まる。彼女の笑みを手にできる。ふと、ダンサーと目が合った瞬間、胸を高鳴らせながらシャッターを夢中で切る私に、高速の音は聞こえないのだ。

 はっとして、カメラを見る。何度も、何度も、目を合わせながらシャッターを空しく切っていた私のカメラは、もう動いてはいないのだった。バッテリーが切れていた―

 私は飛び上がるように立ち上がって、前の女性に―男性は煙草を吸いに席を立っていた―「ありがとうございました!」と叫んで借りていたシートを返した。

 S1リーグに突入したサンバのパレードは熱気を増していて、音楽も、観客も、高まっていた。沿道の人々をかき分けて、歩道に飛び出した私は急いでメトロの入口へ走っていく。リズムを名残惜しく感じながら、笑い声を恨めしく聞きながら、断ち切るように浅草の町から身を消していく。踏み込みすぎたと。見つめすぎたと。そう思い込んで。

 

 「歪まない笑顔」をしたとして、それを正視できるものがこの国にどれほどいるのか。
 恐れず見つめたとして、「歪まない笑顔」をし続けられるものがこの国にどれだけいるのか。

 

 まるで目が合わないように生きてきた自分のことを、地の世界のことを考えて。
 ショーン・ホワイトの笑顔のことを考えて。

 私はメトロの階段を駆け下りていく。たかが電池が切れただけだと言うのに。
 まるで天からお叱りを受けた子供のように畏れているのだった。

 

 

 

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2010年8月26日

小沢一郎、最後の賭け。 

 





  ゴキブリがこの世に出現したのは約三億年前。古生代から絶滅せずに現代まで生存し続けている生物は、唯一ゴキブリだけである。もちろん人間よりもその歴史は古い。

 ゴキブリがなぜこう長く生き続けてのかと聞かれれば、私は生態系うんぬんよりもただ誰も殺すことが出来なかったのではないかと推測している。
 あれは、絶対人間を刺さないのだ。存在自体が害だとしても、自ら危害を加えない。そして、絶対に、大っぴらに姿を現わすことがない。闇に隠れて、こっそりと生き延びるのである。

 小沢一郎はゴキブリだ。
 言い切って悪いが、よく似ている。そして、その彼が、ついに姿を現した。
 彼はもう生き延びるつもりなどない。最後の賭けに出たのだ。

「このままでは、日本があぶない」
 昨日、一ヵ月半ぶりに公の場で講演した彼の会場には、まるで心境を代弁するようなポスターが貼られていたそうだ。
 このままでは日本があぶない。だから俺が立ち上がるしかない。

 私はニュースを見た時、ブラボーと叫びたい気分だった。
 コンビニに駆け込んで夕刊を買った。
 
 これで、「殺せる」。
 彼が死ねば、古い体質は滅び、新しい時代が始まる。
 彼に対抗する勢力が、平成の維新を必ず起こす。

 小沢一郎は最後の最後に、逃げることなく、自らの運命、いや使命を全うしたのだ。
 彼が決断したときこそ、この国が滅びへのカウントダウンを止めた瞬間だと私は思っている。
 その潔さに感謝したい。


 願わくば、代表選で勝ち抜いてくれることを。
 日本のために、もう少しだけ、頑張って頂きたい。
 ラストサムライだのゴキブリだの、散々比喩にして申し訳なかった。
 出来れば、未来の礎のために大往生してもらいたいものだ。
 が、最後の将軍徳川慶喜も、スリッパで叩かれるゴキブリも、案外最後はあっけないんだよな・・
 少しだけ心配しつつ、彼の最後の賭けに託したい。


 ところで、余談だが、白川日銀総裁が、海外に主張しているそうだ。政府・日銀が為替介入を示唆、または追加金融緩和を検討するなど、積極的に円高対策に乗り出したと思われた矢先である。
 
 行き先は米カンザスシティー連銀主催のシンポジウム、バーナン米連邦準備制度理事会(FRB)議長ら欧米の中央銀行首脳らと経済情勢や為替動向についての意見交換をするそうである。
 米連邦準備制度理事会(FRB)と言えば、今月10日、日銀が追加の金融緩和を見送った際、その直後に追加の緩和策を実施し、それが今回の円急騰につながったと言われている元凶ではないか。
 司令塔が今月末まで出張で不在、となれば、積極的な円高対策を本当にする気があるのか、と疑ってしまうが、まさか雲隠れではないだろうが。状況打破を模索するための米国出張であることを願うばかりだ。

 で、加熱する総裁選の菅首相陣営の野田財務相は、こちらも何の円高対策なのか、突然中国に出張である。「日中ハイレベル経済対話」とやらに出席するとかで、こちらも月末まで帰ってこない。

 円高対応を含む経済対策を急ぐと言いながら、日銀総裁と財務大臣が不在とは不思議な話だ。
 


 

2010年8月25日

ラストサムライ小沢一郎の反撃 &小さく「ストロング・エン」の相対的真実について思う。

 
    
 24日、円相場はついに1ドル83円台に突入。日経平均株価の終値は9000円を割った。

 こうなると風向きが変わってくる。小沢排除と菅政権続投支持を訴えていたマスコミも、菅首相の無策無能ぶりを糾弾し始める。国民は一様に経済に不安を募らせ始めた。 日本中がこの異常事態に恐れおののいている。
 日銀はまるで小沢派を援護射撃しているようである。菅首相の株は下がるばかりだ。

 で、肝心の小沢さんはのらりくらり。代表選挙選に出るような、出ないような。こうなってくると戦わずにして彼の勝利は決まったようなものだろう。

「当分退いてもらった方が彼自身のためにも日本のためにもいい」とのたまっていた菅首相は面目丸つぶれ。またしても、小沢支配の民主党に逆戻りである。

 それにしても、小沢氏が日銀を操れるとは思えない。彼自身にはそこまでの力はないだろう。とすれば、日銀を指導している米国が小沢氏側についているとしかやはり思えないのだが。それは置いておいて、「戦わずに勝つ」という小沢氏のやり方はお隣の大国(中国)に似ているし、「相手を貶めて(悪者にして)自らを浮上させる」というやり方も別の大国(米国)に良く似ている。
 情報戦が上手いわけだ。翻弄される菅首相が哀れな日本とだぶって見える。

 これで、小沢さんはまた表舞台に上がってくるわけだ。
 陰で支配する、という彼なりのいつもの表舞台だったことが、残念ではあるが、たぶん代表選に出るよりはそちらを選びそうな予感がする。面目丸つぶれの菅さんはもしも小沢さんが代表選に出るのをやめた暁には、不承不承を装いながら、しかし内心は頭を下げてでも、小沢派に良いポストを与えそうである。

 反小沢派はここから3年間が勝負だ。今は間抜けに見える菅さんが、小沢氏傀儡の首相になり果てることなく、平成の維新を起こす中心人物に化けていくという可能性だってあるだろう。
 私的には、ねじれ国会で良かった、と胸をなでおろすばかり。
 外国人の地方参政権付与法案はじめ、数々の日本解体法案はどうにか阻止できると思うし、3年のうちに反小沢派(維新派)が育ってくれればありがたい。時間の猶予を頂いた思いである。


 ところで、円高についての記事で毎日新聞と日本経済新聞の見解が面白かった。
 ぜひ紹介させていただきたい。
 まったく真逆のことを言っているので、もしどちらかが正しければ、どちらかが完全に阿呆なのだ。


☆☆☆☆☆


許されない円高“不戦敗”


 日本経済新聞 2010/8/25付

 円高が加速し、株安に拍車がかかっている。デフレを深刻にし、企業活動の海外移転に弾みをつけかねない、こうした動きに当局として手をこまぬくことは許されない。政府・日銀は、円売り介入と追加金融緩和の効果的な組み合わせなどで、円高防止の強い意志を示すときである。

 24日の海外市場で円相場は1ドル=83円台に上昇。円高加速を警戒して日経平均株価は9000円を下回り年初来の安値で取引を終えた。

 円はドルやユーロだけでなく、韓国ウォンや中国の人民元に対しても上昇し、アジアのライバルに輸出競争力で一段と差をつけられている。

 円高の進行を受けて、菅直人首相と白川方明日銀総裁は23日に15分間の電話会談をした。肝心の為替介入について「(会談では)まったく出ていない」と記者会見で否定した仙谷由人官房長官の対応も大きな問題をはらんでいる。

 日本は介入しないとのシグナルを与えた可能性があるうえに、もし介入した場合に政府はウソをついたと言われかねない中身だったからだ。政府は何か発言するたびに円高が進む悪循環に陥っている。

 政策当局から聞こえてくるのは「日米の物価格差を加味した実質では、15年前に比べ、3割ほど円が安い」といった声だった。

 だが、円高無策は2つの点で愚かだ。第一に、「円高容認」と外国当局や市場に受け取られれば際限なく円高が進みかねない。介入と追加金融緩和を効果的に組み合わせるなど、円独歩高を阻止する強い意志を示すことはとても重要である。

 第二に、いま円高に何の対策も取らないと政策当局への不信感を高め今後の政策をとりにくくする恐れがある。例えば長期的な成長に大事なのは法人課税の軽減や規制緩和だが、これらは政治的な困難を伴う。円高無策を棚にあげて、法人税減税などに納得を得られるだろうか。

 円高の“破壊力”はちょっとやそっとの経済対策など洗い流すほどに大きい。大手企業のように海外生産への移行で為替変動の影響を回避することができない中小企業のことも考え、まず円高阻止に政府も日銀も全力をあげてほしい。本格的な経済対策はその後の話だ。

 
社説:円高株安 古びた発想から卒業を
 
 毎日新聞 2010/8/25付

 「大変だ、何とかしろ」コールがまた強まってきた。例によって「大変」の理由は円高だ。24日の東京市場で再び1ドル=84円台となり、日経平均株価が、9000円を下回った。前日、菅直人首相と日銀の白川方明総裁が電話協議をしたものの、具体的な「対策」を打ち出さなかったために、一段と円高・株安が進んだのだという。


 しかし、円高→輸出企業が大変→株安→緊急対策を、というワンパターンの発想からはそろそろ卒業すべきではないか。パニック的に目先の対策を急いでも、日本経済が抱える本質的な課題の解決にはつながらない。これまで何度となくとられてきた「円高・株安対策」が何をもたらしたかを考えれば明らかだ。後に残ったのは借金の山である。

 少し冷静になって眺めてみよう。

 対ドルの円相場が1ドル=79円台に突入した15年前に比べ、日本企業も世界経済も様変わりしている。貿易に占める通貨の比重や物価の影響を勘案した総合的な為替レートをみると、今の円相場は過去20年間の平均よりまだ低い(円安)という。95年の1ドル=79円に匹敵する円高は、今のレートなら1ドル=約58円といった試算もある。

 一方、製造業は世界各地で現地生産を増やし、為替相場の変動に備え、一定の手だてもとっている。

 さらに一部の企業は、この間、着々と海外企業の買収を進めてきた。円の価値が上がることは、外国の企業や資産が割安価格で買えることを意味する。トムソン・ロイター社によると、日本企業による外国企業の買収額は今年すでに昨年1年間の総額を超えた。円高は、一層拍車をかけそうだ。

 注目すべきは、大企業だけでなく、中小の機械メーカーなどが成長市場と見たアジアで現地企業の買収に活発になっていることだろう。すべての企業にとって円安=善ではない。円高を武器に変えて、攻めの経営をしようとしている企業もある。

 日本語では常に「円高」とマイナスイメージで語られるが、英語だと「ストロング・エン」(強い円)だ。通貨価値の上昇は「ゲイン」(利得)とも言う。悲鳴を上げるだけでなく、せっかくの強さを利益につなげる発想を広められないものか。

 では政府は何もしないでよいかといえば、全く逆だ。与党内、政党間の主導権争いに終始し、規制緩和や社会保障制度改革など待ったなしの課題が置き去りになっていることこそ危機である。日銀に追加金融緩和を迫ったり、為替介入や補助金支給といったお決まりの対症療法に逃げ込むことが仕事だと勘違いしてもらっては困る。


☆☆☆☆


 真実は相対的だとか言うけれど、確かに円高の破壊力もわかるし、為替介入がすべてだとも思わない。どちらかが間違っているわけでもないのかもしれない。

 が、さすがに今この状態で、「ストロング・エン」などと聞かされると吹き出したくなってしまう。
 どう「少し冷静になって眺めてみよう」と努めても、それだけは難しいようだ。



   

2010年8月24日

その綺麗事は、小沢氏排除にも民主党政権続行にも、何の前提にもなっていない。

 ここ最近の5大新聞なのだが、小沢氏擁立や党内の権力闘争より、まずは政策論を、といった社説(主張)が多いと昨日紹介した。
 たとえば、毎日新聞の8月22日、東京朝刊。もう一度抜粋します。(中略あり)


 .社説:小沢氏擁立論 民主党の勘違いに驚く

 
 
 与党の代表選は実質、首相を選ぶ選挙だ。言うまでもなく小沢氏の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件はまだ決着していない。小沢氏が強制的に起訴される可能性がある検察審査会の議決が今秋に控えている。首相に就任すれば野党は連日、この問題で攻め立てるだろう。果たしてこれまで一度も国会の場で事件の説明をしていない小沢氏が乗り切れるだろうか。国会は直ちに動かなくなる公算の方が大きい。

 各種の世論調査では「小沢首相」には反対する声が大勢だ。その理由は、「古い体質」を象徴しているような政治とカネの問題だけではないだろう。小沢氏は菅首相が昨年の衆院選マニフェストを修正しようとしていることを批判しているようだが、そもそも「政権交代すれば、いくらでも財源は出てくる」と財源論をあいまいにしてきたのは小沢氏と鳩山氏である。民主党政権への失望は、既に「小鳩」体制時代に始まっていたことを、小沢氏を支持している議員たちはまるで忘れてしまっているようだ。

 私たちは今度の代表選を党の政策と結束を固める場にするよう求めている。


☆☆☆☆☆



 と言うことなのだが、小沢氏擁立よりもまずは党の政策だとして。

 
 その期待の星の菅さんは・・




 

  

 というスタンスなんですけど・・ それでもいいのでしょうか。
 
 
 5大新聞が必死に、まずは政策を、政策を、と言うたびに、いったい彼らがどんな政策を考えるんだろうと首を傾げてしまうのは私だけか。 
 
 菅さんは衆議院の任期3年間は解散せずに自ら政権を担いたいと言うが、首相になって3カ月でその無策、無能ぶりは国民全員が知り尽くしていると思う。
 3年間も任せたら、日本がどうなってしまうのか、心配で眠れない。
 
 犯罪者まがい(失礼)の小沢さんよりは、よく見えるというレベルなら、いっそのこと、本当に、この際両方とも消えて頂いたらどうか。
 
 政策論を訴える新聞が哀れに見える。
 
 
 
 
 
    
 
 
  

2010年8月23日

日本の夜明けと小沢一郎。

  
 来月の民主党代表選に向けて、マスコミが騒がしい。
 ざっと5大新聞を洗ってみる。


『しかし、小沢氏も鳩山氏も、代表選をにらんで動く前に、なすべきことがあるのではないか。(中略)特に小沢氏の場合、「政治とカネ」の問題で検察審査会の審議が継続中だ。代表選に出馬するなら、どうけじめをつけるのか、具体的に語る必要があろう。民主党は(中略)、今回の党首選びを、国家ビジョンや国民生活にかかわる政策を競う場としなければならない。』
(2010年8月20日01時25分  読売新聞)


『この人たちはいったい何をやっているのか――。少なからぬ有権者があきれているに違いない。(中略)「反菅」だ、「脱小沢」だと、自民党政権時代にさんざん見せられた派閥中心の総裁選びを思い起こさせる。政権交代で民主党が手を切ったはずの「古い政治」そのものではないか。(中略)それでも、民主党が代表選をするのなら、その意味はどこにあるのか。政権担当後の迷走でぼやけてしまった政策路線を定め直し、再出発の土台固めをすることにしかあるまい』
(2010年8月21日 asahi.com)


『勘違いぶりに驚くほかない。(中略)小沢氏が強制的に起訴される可能性がある検察審査会の議決が今秋に控えている。首相に就任すれば野党は連日、この問題で攻め立てるだろう。果たしてこれまで一度も国会の場で事件の説明をしていない小沢氏が乗り切れるだろうか。(中略)私たちは今度の代表選を党の政策と結束を固める場にするよう求めている』
(2010年8月22日 2時32分 毎日新聞)


『日本を取り巻く環境は様変わりし、経済や外交、安全保障などで政治の指導力が見えないことに、内外の懸念が深まっている。円高は企業の収益を圧迫し、雇用への深刻な影響も予想されるのに、政府・与党の対応は極めて鈍い。首相は経済の活性化や財政再建に意欲を示してきたが、具体的な道筋はいまだに見えてこない。問われているのは民主党の政権担当能力そのものである。政策論抜きの党内政局に興じている余裕はないはずだ』
(2010年8月20日 日本経済新聞)


『政治とカネで民主党は国民の信を失い、参院選大敗につながった。当事者の小沢氏は出馬を考える以前に疑惑の真相を語る責務を負っている。ほおかむりして出馬するのは、説明を求める国民の声を無視するものだ。原点に戻ってマニフェストを実行するという小沢氏の主張も抽象的だ。十分な財源の裏付けがないばらまき政策の多用が「国民の生活が第一」というスローガンに結び付いていないことを検証し、抜本的に政策を見直す道筋を示さなければならない。』
(2010年8月20日 3時16分 産経新聞)



 
 菅派VS反菅派(小沢派)の権力闘争を批判し、今はそれよりやるべきことがあると。政策論や倫理観など、綺麗事を掲げては、(党内の結束を固めて)再出発せよと訴えているようだ。
 再出発されるよりはいっそのこと両派閥ごと消えて無くなってほしいが、もしもこのまま民主党政権時代が続くのであれば、私は逆にこの権力闘争に徹底的にこだわってほしいと思ってみたりする。

 菅首相がこのまま日本の舵取りを続けるか、それとも小沢(もしくは小沢派の誰か)がなるかでは、それこそ政策論から倫理観から何から何まで抜本的に変わってしまう。

 小沢一郎は米国傀儡政権自民党に対抗して中国傀儡政権を立ち上げ、そうして排除されたと言われている。しかし、ここ最近米国は民主党を、というよりその中心である小沢氏を容認し、肯定的に傀儡することに成功したと私は考えている。(詳細は翻弄される日本1,2を参照願います)

  民主党が政権を獲ったときマスコミは一斉に擁護したものだが、今回は小沢一郎の排除を訴える。
 あれだけ左よりの朝日でさえまずは再出発をと訴え、小沢排除をしようとすることこそ、その証拠と言えるのではないかと思えてくるのだ。

 これは単なる党内の権力闘争とはわけが違うのではないか。背後に大国の影が見え隠れする。

 小沢一郎は政治資金規正法違反事件で、首根っこを掴まれている。何を指示されようと、彼には拒否はできない。もしも、小沢一郎が首相(もしくは影の首相)となった暁には、日本は彼によって売られる可能性が十分ある。(私は彼を信用していない。自分の権力保持や保身のために日本を売りかねない男だと思っている)

 菅さんのことは大嫌いだが、日本が日本のままでいるためには、ここが正念場という思いもする。マスコミと一丸になって菅政権を守らなければ、とも。

 が、本当にそうだろうか。私はこの問題を考えてふと思ったのだ。小沢一郎を排除する力の大きさのことを。自民党政権時代からずっと、政治は反小沢、小沢派ですべてが回っていた。
 彼の存在のせいなのか、それとも宿命なのか、反小沢のエネルギーは膨大なものであり、それこそが日本を突き動かしていた。ならば、日本が再生するためには、このエネルギーがどうしても必要なのではないかと思えてきたのだ。


 そのいい例が今の自民党だ。政権与党時代は、保守政党である原点を忘れ去っていた。小沢に政権を奪われたことで、彼らは本来の姿を取り戻した。マニフェストに「地方参政権反対」と公言し、8月15日に総裁や元首相や元閣僚たちが靖国神社を訪れた。政権与党時代では考えられなかったことだ。その潔さは、もう政権を奪取することなど忘れたのではないかと懸念するほど素晴らしいものだった。

 小沢はもう一度表舞台に出る必要がある。彼を排除しようとする者の力こそが、日本再生の組織の求心力となり、原動力となる。彼は新たなこの国の礎を築くために、もう一仕事してもらわなければならないのだ。
 古い体質の象徴である小沢一郎が滅びるときこそが、明治維新ならぬ、平成維新が成し遂げられるときなのだと。
 
 最悪なのは、小沢がその前に政治資金規正法違反で捕まって排除されること(米国から見捨てられること)、もしくは彼が逮捕や恥を恐れ、怖気づいて、担がれた神輿に乗らないことだ。

 菅政権は小沢一郎のように日本を滅びの道へと急激に加速させることはないだろう。が、真綿を締めるようにゆっくりと、確実に、日本は体力を奪われて、大国に吸収されていく。
 維新を起こすもののエネルギーも、反勢力も、この国を導くものを何も生み出さずに、知らず知らずに日本を飼い殺していくのだ。

 日本と韓国は、これからも米国に中国や北朝鮮の影をちらつかせられては、国の安全を守ってやると口約束され、金を奪い取られ続けるだろう。気が付いたときにはもう遅い。日本は米国にけしかけられて、日中戦争さえ起こしかねない。いや、そこまで行く前に、いいように利用されて、米国か中国か、やはりどちらかに吸収されてしまうことだろう。

 小沢一郎のエネルギーが必要だ。
 
 彼の力が増せば増すほど、反動力も比例して膨大する。

 どうか怖気づくことなく、古い体質の最後の者― ラストサムライとして、その宿命を全うしてくれることを望む限りだ。
 日本の夜明けがかかっている。

 

   

2010年8月22日

頭を垂れるひまわりたち、陽を向くひまわりたち  ~座間ひまわり畑紀行~

 


 より良い山の登り方に、私は「道を知ること」と書いたように思うがどうだろう。
 もしも、より良い山の登り方を知ることがより良い人生の歩み方を知ることに繋がるとして、確かにより良い登山コースを知っていれば迷うこともないし、危険も少ないはずだ。
 しかし、誰もが登る良い(人気の)登山コースを選べばいいと思ったわけでも、早いコースタイムで山頂まで行ける道をこそ知っていた方がいいと思ったわけではなかったと思う。
 今日私は不思議な体験をしたのだ。
 より良い山の登り方に「道に迷うこと」をなぜ加えなかったのか、と思わずいぶかったほどであった。
 私は今までずっと道に迷うことを、悲観的な材料として見ていたのである。





 夏が終わる前に一度向日葵を撮っておきたい。
 週末の小さな写真旅行の行き先をあれこれ考えたとき、どうしてもこの思いがぬぐい去れなかったので、時期遅しと知りながら出掛けることにした。
 小田急線座間駅を降りると、私は懐かしさに心が弾んだ。
 記憶がよみがえる。去年の空気をも思い出した。ちょうど一昨年前、今日と同じようにひまわり畑を見に来たのである。
 去年歩いた道をかつて知ったるように歩き始めて、この先を行くとトトロみたいな階段のある小さな神社があるんだな、今年もお参りしなくては、などと考えては微笑んでいる。
 ふと道が分かれて、私は立ち止まった。神社は真直ぐの方向である。しかし、去年行きも帰りも道を間違えて迷った私は今年は迷うまいと、地図を描いて持参していたのだった。
 正しい方向は右。右の道のどんたくを左に折れて、県道42号線を座間二丁目の信号まで歩いたら次は右、2個目の座間下宿の交差点を左、そうすると、去年迷った末に辿り着いた座間依橋際の交差点の道に出て、ひまわり畑はすぐである。
 正しい、と言うのは、それが本来のルートだろうと私が思ったところだったということだ。一番近く感じられたし、わかりやすい。去年もこの道を行こうとしていたのに、今立ち止まっているところで右に行かず、真っ直ぐ行ってしまったのだった。
 私は一瞬悩んだ。正しい道を選んで辿り着くことが今日の目的でもあった。去年、行きも帰りも迷ったことを私は反省していたはずだ。ところが思ったよりもトトロの神社(正確には諏訪明神)への思いが強いことにいまさら気が付いて、私は少なからず驚いていた。
 神社を抜けると、水路沿いの住宅街があった。それから小さな畑、栗の木に栗が生っていた。イガイガの殻をまとった実が木の元にたくさん落ちていた。私はその可愛らしい木と実の姿を撮りたくて、何度もチャレンジしたのだが、露出の決め方を良く理解していなかったので、ほとんどの写真は強い夏の陽ざしに白飛びして、どうにも上手く捉えられなかったものだ。

 正しい道を選び歩き始めながら、私は記憶の糸をたどるように、去年迷った道のこと、その景色との出会いのことを、少しずつ思い出していた。
 今日の道は真っ直ぐ、くねくね曲がり角を繰り返すわけでなし、道なりに行って、少しの信号のポイントさえ間違えなければ、私を確実に目的へ導いてくれる。安心しきった私は、国道沿いの住宅の庭に植えられた花々、小さいものから百日紅やもみじ葵、道に飛び出す花々を見つめながらのんびり歩いている。道を探す苦労もないので、空いた思考と意識で、時々先週の勤務先でのことを思い出し顔をしかめたり、去年の道のことをまた思ったりしている。
 座間二丁目曲がろうとしたとき、ひまわり祭りの案内板を見つけてしまい、驚いた。右ではないではないか。近道があるのか、案内板通りに行こうと考えたが、細い住宅街だ、去年のように途中で迷ったらいやだと思い直して、自分が調べてきた道を進んでいく。

 42号線、46号線、そしてまた42号線、県道沿いの道は広くて、わかりやすいが、次第に私は元気がなくなって来たのだった。
 周りの景色を見るより、開放された意識が様々な想いに飛んでいき、そのほとんどが先週起きた忘れ難いいやなことへの思考だったので、気持ちが沈んできたということもある。しかし、道がつまらないということが一番大きかった。私は去年の道を選ばなかったことを、もしくは、ひまわり畑の案内板の道を選ばなかったことを後悔し始めていた。

 なぜ、リスクを取らなかったか。県道の車の排気ガスを吸いながら、だだひろい道を一人歩いている。そのうち、42号線がふいに高くなり、見ると太鼓橋のように陸橋となっているのだが、その無機質で機械的で恐ろしいこと。道に何の情感も投影出来ず、あるのは車(トラックがほとんど)と私、二車線と歩道のみである。虚無感に襲われ、ただ不吉と思われるその陸橋を登っていく。橋の頂点まで来ても、トラックが通り過ぎても、風さえ感じなかった。生温かい空気がだだ時折触れるだけである。ふと前から若い男が現れる。人がいたことを喜んだのもつかの間、彼はまるで痩せていて、頬はげっそりとこけていた。左手にお茶のペットボトルを持ち、私と視線が合わないように逆の方向を眺めながら近づいてくるのだ。目にかかる長い前髪と痩せた体でだぼついた服。やはり温かみが感じられず、この道で出会うべくしてであった不吉なものに思えてくるのだ。
 
 馬鹿だった。なぜトトロの道を行かなかったか。あの栗の木の道を行かなかったか。
 しかし、迷った道をまた探す愚か者がどこにいると言うのだ?
 迷った道そのものを目的にして、しかしそれは迷ったからこそ出会った道であるからには、また迷う可能性は拭えない。たまたま迷った道が楽しかったならば、それでもそのリスクを選ぶのだろうか。それは快楽ではないか。目的とは違うのではないか。
 私は神社や栗の木のこと、それからそのあとの住宅街に小田急相模線の小さな横断歩道のこと、それから中学校、その中学校の前の小さな橋のこと、流れる川のこと、川の前の里いもの葉がたくさん茂った畑のこと。去年のすべてを思い出して、戻りたくてたまらなかった。
 もう行くすべはない。いや、たとえ迷った道を探す愚か者でも、たとえそれが快楽でも良いと言っても、方向音痴の道に迷いやすい私がまたあそこに辿り着けるとはどうしても思えなかった。
 ひまわり畑まであと少し、両側が田んぼと畑の最後の広い県道を歩きながら(ここは去年も通った)、私は後ろを振り返って、帰り道の景色を思い起こしていた。あの田んぼの角を曲がったか、それとも一本先か。
 帰り道は迷った道を探してみようかと思いながら、あまりのこだわりに時々呆れ果て、舗装された歩道沿いにど根性大根のようにぎっしりと茂っているねこじゃらしを指で突きながら歩いている。一本抜いて、今度はそれで群生を右へ左へ叩いて、そうしてふと田んぼの稲を見るのであった。

『実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな』




 まだ青々とした稲は、頭を垂れるまではいかない。けれどやはり稲らしく、頭を傾けているのだ。もう少しすれば立派に垂れることだろう。
 私は稲穂を見れたこと、そのことで格言を思い出して、会社での嫌なことをもその思いで乗り切ろうと思えたことに小さく救われた思いだった。そうだ、私が謙虚にならなくて誰が謙虚になると言うのだ。あんな頭をあげることばかりに心を奪われている人たちのことは忘れてしまおう・・・
 迷った道へのこだわりと一緒に、すっきり忘れて、心新たに出直そう。
 そう思った瞬間、私は去年出会ったひまわりたちと再会したのであった。

『実るほど頭を垂れる稲穂かな』

 この句の稲穂をひまわりに置き換えてみる。そして、その残酷さに私は言葉を失った。
 ひまわりは今年の猛暑のせいで、すべて枯れ果て、本来のお日様を向く姿を失くして、まるで頭を垂れるように地面に向けていたのであった。 




 救われた思いが吹き飛んだ。何の教訓でもない。今の私はただの枯れたひまわりではないか。そう思われてくる。
 ひまわり畑に足を踏みこむと、ばっと何かが騒ぎ始める。私は、ひっと小さく叫んだ。ぶんぶんと羽根を鳴らすのはセミだった。彼らは異物の私を見つけて、一斉に騒ぎだし、そして脇を通るたびに突然飛び立つのだった。なかにはセミとは思えぬほどの真白いものもある。そして、蜂と何やら黒い虫も協調するように飛び出してくる。セミよりは静かな羽音だがこちらも不気味だった。枯れたひまわり。鳴かない蝉。道にかかる蜘蛛の巣。まるで死の匂いがする。
 私は項垂れたひまわりを大急ぎで撮って、迷路を抜けるようにひまわり畑を飛び出した。田んぼ沿いの道に出る。去年ひまわりを撮った畑を先に見つけて歩いて行く。すると花は全く咲いていないようだ。100メートル先から確認して、確か今日と明日が座間ひまわり祭りで、調べた道は「現在花が咲いているひまわり畑」だったことを不思議に思い、辺りを見回すと、県道の反対側に何やら明るい色の屋根が並んでいる。
 私は勘違いをしていたのだ。ひまわり畑の会場が去年ひまわりを撮った畑だと思い込んでいて、(地図上の場所がほとんど同じだったから)しかしそれは道の反対側であった。だから会場の案内板が別の道だったのかと納得をする。確かに県道の反対側なら、先ほど選ばなかった道の方が近そうであった。
 県道の高架下のあぜ道を行き、ひまわり祭りの会場に辿り着く。こちらのひまわりなら頭を垂れていないはずだと期待するが、イベントの「ひまわり迷路」なるものに入り込めば、はやり花たちはすべて枯れているのであった。右を見ても、左を見ても、頭を垂れるひまわりたち。
 カメラを抱えた来客者たちも、家族連れも、みな笑顔を浮かべているものの、戸惑いの色を隠せないようだ。枯れたひまわり畑の中で、「今年は暑かったからね、ひまわりさん元気ないよね」と囁くように語りかけている。小さな子供は本来のひまわりを知らないのか、迷路を楽しんでいるのか、無邪気な様子で駆けまわり、時々倒れたひまわりに足を取られては立ち止まり、わっと泣きだしては母親を飛んで来させている。






 やぐらのような簡単な展望台も作られていたが、登って見下ろしても、ひまわりたちは一様に下を向いていて、彼らも写真を撮る人々も哀れに思えるほどであった。おまけに私はこのひまわり迷路で、一斉に蚊に襲われ、足だけ(ひざ丈のパンツをはいていた)で20か所以上も刺されてしまった。
 全身の痒みで限界になった。僅かに綺麗な花を見つけて撮っていたがどうでもよくなってくる。もう帰ろう、そう思って、最後にまじまじと枯れたひまわりを見ると、ふとそれがゴッホのひまわりと重なったのだ。あの鬼気迫る絵と。そして、「燃えながら枯れていく」といういつか聞いた五木寛之の言葉と。
 このひまわりたちはただ枯れているだけではなくて、今まさに情念を燃やして「生きながら枯れている最中なのではないだろうか」。
 そう思うとますますれはゴッホの絵の姿と重なって、この姿をもっと真剣に撮らなくては、という思いにさせられてくるのだった。枯れているからひまわりではないわけではない。哀れだというわけではなかった。下を向いて燃え盛っているこれは、まだ花だ。







 私は感傷から抜け出してまたひまわりを撮り始める。枯れた花ばかり何枚も撮って、それから気を取り直して、お祭りで出店している黄色の屋根の方へと向かっていった。
 かき氷や、地元の名産の野菜や、ひまわりのお菓子や、焼きそばにフランクフルトに、そして、ひまわりの花束に。イベントは繁盛していて、地元や近場から集まった人々で賑わっていた。特にかき氷は列をなし、みな簡易設置された屋根下に座って、食べている。そして、イベント会場の真ん前にあるひまわり畑の一群は、先ほどのひまわり迷路より少しは花が元気なのだった。
 私はひまわり色のかき氷を食べて、うちわをもらい、椅子に座って涼んで、フランクフルトを食べて、家族連れのざわめく声や、イベントのアナウンス、流れる演歌を聞いていた。ふさいでいた気持ちがやっと上向いてきたようだった。
 写真は散々だったが、これも良し。枯れたひまわりでも地元の人たちは頑張ってお祭りを盛り上げて、見に訪れた人々はそれを精一杯楽しんでいるではないか。私も私なりに満足して、楽しんで、そしてまたあぜ道を通って、県道へと戻るのだ。まだ道の記憶はよみがえらない。しかし、帰りはあの道を、去年の道を探して歩いてみるのだと心に決めている。
 たとえ迷っても、またもっと素晴らしい道を知ることができるかもしれないではないか。

 私はここではないかと思われるが決定的な覚えのない田んぼの角を曲がり、民家沿いを歩いて行く。交差点。右へ行くか真っ直ぐ行くか左へ行くか。これもさっぱり記憶がない。やはりこの道ではなかったか。右はひまわり畑だ。案内板を見つけた。真っ直ぐは明らかに違う。残された左を歩くと、ふと神社前というバス停が現れた。私ははっとした。見覚えがあったのだ。
 それからは雪崩れるように道の記憶が甦った。中学校、小さな川―あれは鳩川という川だった―、さといもの葉が揺れる畑、そして線路の歩道に、JAさがみにスーパーピアゴ、不二家レストラン、住宅街の用水路にそして栗の木!







 栗の木が現れた時の懐かしさと感動と言ったらなかった。その先の信号を渡って、トトロの神社の入口を見つけた時もそうだった。
 この感動は神社や栗の木がある道を好いたということもあるが、去年の記憶があるからこそこんなにも溢れ、嬉しい思いに繋がるのだった。
 去年道に迷ったことが新たな目的を生んだ。そして、感動を与えてくれた。そして、道に迷ったからこそ、私は地元の人により近い道を知ることが出来た。
 知らなくてはいけない道は、近くても遠くても、もちろん迷って得るものでも、かまわなかったのだ。
 
 

 そして、ひまわりだ。
 帰りの道で私は、小さなひまわり畑を見つけた。ここの花たちは小ぶりながら皆元気に咲いているのだ。頭も垂れず、必死で、太陽のほうを向いているではないか。
 私は彼らに出逢えたことを、今度こそ救いのように、奇跡のように感じていた。


 




 



   

 

不確実な「夢」のなかで確実な「愛」を創り上げることの意味を問う  ~インセプションの悲劇と感動を思う~

 



 一言でいえば、夢をもてあそんだ男の悲劇だ。

 愛する人と過ごす時間は、よく夢のように感じられる。
 夢の設計士コブは愛する妻との「夢」を完ぺきなものにしようとして、その代償として妻を、「愛」そのものを失うのだった。
 虚無の世界に落ちた男の悲劇と再生の物語、監督は「メメント」で知られる鬼才、クリストファー・ノーラン。
 
 ずっと見たかったので、ついに映画館に足を運んだ。
 公開されてだいぶ経つので、ネタばれもありかと思うが、これから見に行く方は先を読まないようお願いします。(なるべくネタばれにならないよう感想を書きたいですが・・)

 夢と現実の境界線が曖昧になる、という古典的なテーマを斬新な「アイデア」で描いてくれた。夢泥棒という発想が面白かったし、二層、三層の夢の世界は思わず納得。起きたと思ったら、夢だったということを何度も繰り返す夢はよく見るものだ。どうして、このアイデアを今まで誰も描かなかったか、物語の発想と言う発想は出尽くしたハリウッドもこれはさぞかし面白く感じたことだろう。
 ただし、アイデアは最高なのだが、そのアイデアを裏付ける細部があまりにも手抜きである。
 夢泥棒と言うテクノロジーの説明もなければ、テクノロジーを成し遂げた時代設定の説明もなし、感情の流れの描き方もお粗末だ。ディカプリオの演技(感情表現)で、やっと成り立っているのみと言うところだった。
 関係ないが、ディカプリオはベタくさくて、演技も大根だと思い込んでいたのだが、この映画で見なおした思いだった。彼が主演じゃなかったら、たぶんコケていただろうな、と思わざるを得なかった。

 決定的におかしいと思った点が二点。
 まずは、キーマン役のサイトー(渡辺健)が、銃で撃たれて虚無の世界に落ちるところだ。
 普通、夢の世界から現実世界に戻るには、目覚めるか、夢の中で死ななければならない。ところが、夢泥棒のミッションに客人として参加した渡辺は夢をシェアできる薬を飲んでいて、それが通常のものより強力だったので、たとえ夢の中で死んでも(現実世界に)目覚められないという状態に陥った。薬が効きすぎているというのだ。
 散々観客をハラハラ?させるのだが、その割には、サイトーは心臓近くから血を流しながらもなかなか死なない。結局死んだのは、三層の夢に潜った後で、泥棒たち(正確に言うと夢の夢の設計士や偽造師や調合師や夢泥棒のテクノロジー集団)、彼ら全員が死ぬ直前なのだった。
 夢は深く潜るほど現実世界よりも時間が延びる。三層の夢にして10分前程に、2層の夢なら1分くらいか、1層の夢でほんの1秒かそこら。なのに、サイトーだけ虚無の世界に飛んで、あとは全員強力な薬の影響もなく、すんなりと目が覚めるのだった。最初にハラハラしたのはなんだったんだと言う思い… サイトーだって、普通に起きれたんじゃないの?どう考えても。
 どうして優秀なハリウッド集団が付いていて、こんな脚本にケチをつけなかったのかよくわかない。(※文末に後日談あり)

 そして二点目が、コブが最後の大仕事を引き受けた理由だった。
 「子供たちに逢いたいから」
 というもっともらしい理由があるのだが、まったく感動できなかった。ラストシーンで抱き合うところさえなんで?といった思い。
 なぜなら、途中でコブと妻のエピソードが紹介されていて、彼らは子供を置いて、二人だけで夢に潜って、禁じられた「記憶」をも入れて夢の世界を創造しているのである。
 いくら夢の中の時間が延びるとは言っても、何とその期間は50年!たとえ、現実世界では数時間か、数日だったとしても、彼は妻さえいれば50年本物の子供と会えなくても何とも思わない男だったのである。
 妻が死んだことで、いやその前から現実の子供を大切に思う気持ちが、妻が死ぬことの原因となった「インセプション」を行ったことと仮定してみてもいい。
 「インセプション」とは先入観を利用した(夢の中での)思想の植え付けのようなことで、この映画で描かれているコブのラストの大仕事もこの不可能を可能にしようという困難なミッションなのだった。
 コブは愛する妻を救おうとして、もしくは子供たちを想って?か、かつてインセプションを行った。そして妻は消えてなくなった。それからずっと罪を背負って生きていると嘆くのだが、いったいどんな罪を感じているのか、ホントに感じていたのか、とかなり驚いたほどだった。
 他人の人生に手を入れて、また新たな罪を繰り返すことで、子供と再開しようというのか。
 私はディカプリオの涙にのみ共感し、愛する妻が残した子供と会うことがコブが再生する唯一残された道なのだと無理やり納得して見たものだが、論理的にも感情的にもずいぶん破たんしているように思えてならなかった。


 最大の山場、何層もの夢が同時に覚醒へと向けて雪崩れるところは必見である。
 夢の覚醒と同時に、コブの悪夢(虚無か?)も終わりを告げて、新しい世界が始まる。希望を感じさせられる良いラストだった。
 虚無が雪崩れる瞬間のカタルシスも良い。
 そして、圧巻は夢の中で見た永遠の愛の姿だ。
 たとえもてあそぶことで哀しい代償を求められようとも、誰でも手にしたいと思わざるを得ない。
 もしも、これからプロポーズをする予定の男性がいたら、ぜひ恋人と観に行っていただきたい一作ではある。


 

※投稿翌日、サイトー以外の覚醒メンバーが薬の影響なく起きれたのは、合図の音楽でトレーニングしていたからだということを思い出した。虚無に落ちるのは自ら覚醒しない者、殺された者のみ。死のショックがキックに劣るというのも納得いかないが、完全な勘違いです。脚本にまでケチをつけて申し訳ない。
    
 
 
 
 

2010年8月19日

翻弄される日本その2

  INTERNATIONAL BUSINESS TIMES 2010年8月18日 17:09更新


円高対策、政府日銀会談後も難航か
 
 1ドル=85円台の円高は外需依存型経済の日本ではあまり好ましい状況ではない。そのため週明けにも管直人首相と白川方明日銀総裁が会談を行い対策を検討する予定であるが、世界各国経済情勢から見て、政府政策による円高調整が行われるのは難しいとみられる。

 円高により4-6月期国内総生産(GDP)成長率も大幅に押し下げられた。
 金融政策によって円高対策をしようとしても、米政府も米ドル安を維持することで輸出高を維持しようとしているため、円安への大きな効果は期待できないとみられる。

 4CastのFXアナリスト、シーン・インクレモナ氏は、「政府が外国為替市場に介入して円安を促すとは考えにくい。根本的にいってみれば、現在の円は世界経済情勢からみて円高であるべき状態にあるからだ」と述べている。

 また政府も事態の根本的要因を把握しているため、金融政策を促すよりも現在の円高を享受した状態で国内経済を円高に適応させる政策をとっていくものとみられる。

 米FX会社のFaros Tradingによると、巨額の国債があることから、新型オペの増額などの金融緩和を行うのは時期的にもふさわしくないという。そのため日本企業は円高に対応した業績対策をせねばならず、政府政策による介入は1ドル=70円台になるまでは難しいとみられるという。
 対ドル円は今年に入ってから1ドル=92円92銭から1ドル=85円台まで円高が続いている。



☆☆☆☆☆



 
 なぜ日銀は動かないのか。動けないのか。ずっと考えていた。
 8月13日の記事「翻弄される日本」で書いたように、米国の影を感じている。

 新聞を見れば、どこも焦りの色を浮かべて、「為替介入も辞さない覚悟で、強い姿勢を見せろ」等と政府と日銀の協力体制の下での対策を急きたてている。
 確かに2003年の時のように、35兆円規模の円を売ってドル(やユーロ)を買えば、人為的に為替相場を変動させることができるが、為替介入は財政赤字の米国の資金調達を支援し続けることになり、また円安になれば、膨大な為替差損(為替の評価損)を被ることになる。
 かと言って、円高のままでは日本経済は弱まるばかりだ。輸出企業は80円台では採算が取れない。トヨタがいくらリコール問題で勝利したと言っても、これでは意味がない。日経株価で今年最安値を更新しているようでは、収益は見込めないだろう。
 どちらにしても日本は大損だ。

 そして、内閣府はついに日本のGDPが3位に転落したと発表。米ドル換算した日本の名目GDPが中国を下回ったそうだ。

 政府も日銀もまるで米国のためにあえて円高を続けているかのようだ。燃料タンクがぶっ壊れて、エンジンを垂れ流しながら走り続けている車のように見えて仕方がない。
 
 そして、円高と時を同じくして、米国が中国に対して強固な態度を取り始めていることが目についてきた。
 11日には米国とベトナム両海軍が南シナ海で(捜索援助などの)合同訓練も開始している。
 南シナ海の島々の領有権を主張し、自国の排他的経済水域(EEZ)だとしている中国は、これを「あきらかな挑発行為と思わせるものだ」と強く批判した。
 
『日中は東シナ海のガス田共同開発で合意しているが海洋権益をめぐる対立は今後も両国の火種になりうる。十一月のオバマ大統領来日に向け検討が進んでいる「日米共同宣言」では中国の台頭にどう向き合うかも焦点になろう。(東京新聞 2010年8月18日)』

 日本と中国は尖閣諸島の領有権問題もある。最近の中国軍の高圧的な海洋進出に警戒心を高めているアジア諸国や米国とは心情的に一致する。
 でもそれだけではないだろう。

 だから菅さんではなく、鳩山さんが中国に行ったのか。
 米国は経済的に苦しくなると、いつももめごとを突いて、最悪戦争を始めようとするので、未だ憲法を改正しようとせず、自衛隊しか持たない日本は厳しい状況が続きそうだ。
 韓国に謝り、アジア諸国にお詫びをしながら、米国のためにガソリンを垂れ流しながら走り続けるしか能がなさそうである。
 ガソリンが切れてエンストを起こす前に、もしくは自ら爆発する前に、米国に弱みを握られている民主党など早く去ってくれればいいのにと願ってやまない。

 


    


 

2010年8月17日

死者を悼む気持ちと決別と。

  


65回目の終戦記念日―「昭和システム」との決別

asahi.com  社説 2010年8月15日(日)付

 脚本家の倉本聰氏作・演出の舞台「歸國(きこく)」が、この夏、各地で上演されている。8月15日未明の東京駅ホームに、65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。
 「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」「俺(おれ)たちは今のような空(むな)しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」

■もうひとつの戦後
 劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞(へいそく)感に苛(さいな)まれているように映る。
 日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。
 民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。
 この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。
 米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は近著「昭和 戦争と平和の日本」で、官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」と指摘する。同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、戦時中にその根を持つ。
 「八月やあの日昭和を真つ二つ」(8月8日 朝日俳壇)。この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。
 政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。
 外交・安全保障も同様だ。普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島とし、核の傘の下からヒロシマ、ナガサキの被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。
 割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。

■任せきりの帰結
 日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。映像は安保改定阻止の運動が何を問おうとしたのかを追う。
 銀幕で人々は語る。「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。戦争の記憶が生々しかった1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。
 だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」
 冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。
 「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。

■生きてるあなた
 「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日 朝日俳壇)。戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに、「戦後」を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。
 家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌(そうぼう)を変えている。グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。昭和の物差しはもう通用しない。

 「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)は、こう歌う。

 死んだかれらの残したものは
 生きてるわたし生きてるあなた
 他には誰も残っていない

 政権交代は、小さな一歩に過ぎない。政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということだ。
 過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に「生きてるわたし生きてるあなた」しかいない。



☆☆☆☆



 8月15日付の朝日新聞の社説である。
 いいことを書いてあると感心した。まるで、昨日のブログで引用した佐伯啓思氏の「戦死者を思い出す」の対句のようであり面白い。

 戦後の分厚い壁ともがいているのが、善玉民主党政権で、相変わらず分厚い壁を作った悪玉が官僚制という形で出てくるのは、短絡的で納得がいかないが、「死者に引きずられるな」と言いたい趣旨はよく理解できた。

 日本はこの傾向が強いと思う。そもそも八百万(やおよろず)の神々を代々身近に祀ってきた日本人は、自覚がなくとも(日本人は無宗教だと思っている人が多い)神道とともに生きてきたと言い切っても過言ではないと思う。
 
 神道の形態的特徴の一つとして、「怨霊信仰」というものがある。※
 祟り神にならないように、きちんと祀って鎮魂しようというものだ。鎮魂さえしておけば、御霊(みたま)になって私たちを守ってくれるという考えかたで、なるほど、朝夕家の近所の神社で拝み、家人が亡くなれば、葬式や墓にお金をかけて、その後も三回忌だの、七回忌だの、十三回忌だの年忌をきちんと行い、お盆やお彼岸にはお墓参りをし、習慣だと思って何気なくしていたことも「怨霊信仰」と言われても仕方ないほど、ことさら死者を大事にしているように映る。
 そもそも霊の存在を否定する仏教も、日本に伝わってからは、怨霊鎮魂のツールとして民間に広まったのだそうだ。


※「怨霊信仰」について詳しく書いてあります。


 
 「怨霊信仰」は、ただしあまり言葉の響きが良くないし、馴染みがないので、私は「死者を悼む気持ち」と呼びたい。死者は御霊(神)になるから、「神を拝む気持ち」としてもいいが、私はこの信仰はそう即物的なもの(たとえば神からの守られること等の見返りを求めて)よりも、もっと情緒的な想いのほうが強いだろうと思うのだった。
 
 
 日本人にはこの「死者を悼む気持ち」が強い。先の大戦に入る前も、もしも「ハルノート」を受け入れていたら、それまで犠牲になった人たちの死がすべて無駄死になる。それだけは彼らに対して申し訳ない、歴史の彼らに顔が立たない、もう突き進むしかない、という思いが軍部にも国内(国民)にもあったようだ。
 今の靖国問題とそう変わりはしない。私たちは常に「死者を悼む気持ち」に引きずられて生きているのだ。
 
 朝日新聞が「生きているわたし、生きているあなた」と呼びかけるのもよくわかる。死者は悼まれるよりも、残した私たちをこそ大切に思っている、だから生きているものの幸福をまず優先しようと言いたいのだろう。過去よりも、未来のために、扉を開いて行こうではないかと。
 
 言っていることはとても正しいと思うのだが、昨日の「戦死者を思い出す」の記事を読んだ時のように心を打たれるものは、悲しいかな、一つもないのだった。子供のときのあの夏の甲子園のテレビ中継を見ている時の黙祷の時間、あのサイレンの音、厳粛な思い。
 胸が締め付けられるような想いで思い出された、記事を読んでの情景。
 朝日新聞の社説には正しさこそあれ、そこに日本の情景や、日本人のメンタリティを見ることは出来なかった。
 
 ただし、私も古い人間だ。
 もしも、そんな日本の情景はとっくに昭和で終わっていて、日本特有だと思っていたメンタリティもすでに終わりを告げていて、これからは新しいものを築いていかなければならないと言うならば、私もこの国を思う一人として、進んで協力していきたいとは思う。

 その時は、この記事が訴えかける結びの言葉、「政治主導とは主権者である国民主導ということだ」から入らせて頂きたい。

 民主党政権に不安や怒りを感じている人たちは、彼らがどこの国の政党だかわからないと主張している。それを裏付けるように彼らは日本政府と言うよりは党の方針として、首相をはじめ全閣僚が終戦記念日に靖国神社を参拝をせず、代わりにその同日に全面的に日本が悪いとする談話を韓国で発表させて、自らも全国戦没者追悼式で同様のスピーチを述べている。
 そして、国民の解釈を広げては、国籍を持たない、ただ定住しているだけの外国人にも主権者の証しである参政権を与えようとしていることも忘れてもらっては困る。

 新しい扉を開く「あなた、わたし」とは誰か。

 この国を主導する「国民」とは誰を指すのか。

 そこのところをはっきりさせてから、ぜひとも未来へ行こうではないか。
 まさか年間203%の率で増えている、お隣の大国の外国人が主権者となるのでは、納得がいかない。死者を悼んで、信仰し続けていたほうが、たとえ後ろ向きと言われようがましである。
 
 彼ら御霊は私たちを守りこそすれ、いつか数を追い抜いて、いや今でさえこの国の政府を抱え込んで、死者を悼む者をマイノリティーにすることなど、未来永劫、決してありはしないだろうから。
 




      

2010年8月16日

南の島の、夕陽の沈む海を行く  ~終戦記念日・靖国神社参拝記~

【日の蔭(かげ)りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 「戦死者を思い出す」

msn産経ニュース 2010.8.15 04:07

このニュースのトピックス:◇産経コラム



 8月の風物といえば、セミの声、花火、高校野球、そしてあの終戦記念日、ということになる。終戦記念日を風物などというのはもってのほかだといわれるかもしれないが、子供のころの私にとってはそうであった。長い夏休み、高校野球を見ていると、8月15日正午になると野球が中断され、黙祷(もくとう)をする。球児たちと応援団のありったけの熱気のなかにさしはさまれた一瞬の厳粛さのもつ場違いな感覚、私はそこから終戦記念日というものの感触をはじめて感じとった。だから、あの暑さ、テレビで一日中やっている野球、時々やってくる夕立、そうしたものと一体となって「終戦記念日」が私の中に埋め込まれている。

 むろん、これを「終戦記念日」などというのは奇妙なことである。ポツダム宣言を受諾して日本は敗北した。「敗戦の日」である。実際、終戦になるのは9月2日のミズーリ号での調印であって、8月15日は戦闘終結もしくは日本の降伏の日であった。それを「終戦記念日」とすることによって、戦争は終わったことにした。そこから新しい日本が始まるという了解がうまれた。「終戦」の記念日はまた、「戦後の開始」の記念日でもあった。暗く絶望的なものの終わりは、明るく希望に燃えたものの始まりであった。戦後、われわれは、この記念日をそのようなものにしたのである。

 確かに「終戦記念日」のあの黙黙祷の厳粛さは、戦死者たちへの深い哀悼と生き残った者の自責にも似た内省を示している。しかし、この厳粛さは、たとえば1分間が過ぎれば、もとの高校野球の熱狂と騒々しさにやすやすと戻ってしまう類(たぐい)のものである。1分間の厳粛の後には、何事もなかったかのようににぎやかな宴(うたげ)がまた始まる。こうして、いったい何を記念したのかわからぬうちに戦後は六十数年が過ぎてしまった。

 そして、六十数年も過ぎれば、高校野球の間にさしはさまれる黙祷の厳粛さえ、若い人には届きにくくなっている。インターネットから始まり、ケイタイ、アイ・フォーン、そしてアイ・パッドと続くコミュニケーション手段の革新のなかで生育している若者たちにとって、黙祷が持つ戦死者たちとの交感など何のリアリティーも持てないのかもしれない。バーチャル・リアリティーの方がリアルになってしまっているのである。

 死者たちに思いを致すということは、別の言い方をすれば記憶するということである。そして記憶することは難しい。もっと正確にいえば、記憶したと思われるものを思いだすことは難しい。まして、戦後生まれの者にとっては、戦死者さえも想像裏のものでしかないのだから、小林秀雄ではないが、想像でしかないものを「うまく」思いだすことはたいへんに難しい。だから、思いだすことは、「うまく」想像することでもあるのだ。

 私にとっては、あの戦争を象徴するものは、その多くが志願して死地へ赴いた若者の特攻である。むろん、特攻の背後には、あるいは勇んで出征し、あるいは涙をこらえて徴兵され、死地へと送られた無数の若者がいる。地獄のごとき見知らぬ密林や海原に命を散らした無数の魂がある。

 その魂の思いを想像することこそが、あの場違いな時間である黙祷(もくとう)が暗示しているものであった。特攻は、私にとっては、そのもっとも先鋭に想像力をかきたてる表出だったのである。

 あれから六十数年が経過して、戦後日本という時間と空間を眺めるとき、多くの者が、この「戦後」なるものに戸惑い、ある大きな違和感を覚えるのではなかろうか。金銭的な損得にほとんど人生の関心を集約し、自由のうえにさらに自由を求め、伝統と権威の破壊を進歩とみなし、ありとあらゆる欲望の解放を是認し、そのあげくに、倫理も規範も失ってしまった人々の群れこそが、今日の日本人の自画像なのではなかろうか。100歳以上の所在不明の高齢者が次々と明らかになり、連日のごとく、親が子を殺したの、子が親を殺したの、と報道される国が平和国家であるなどという欺瞞(ぎまん)はもう通用しない。

 基本になっていることは、戦後日本には、われわれの精神をささえる基本的な倫理観が失われてしまった、ということなのである。戦後の基本的な価値は、自由や平等であり、物的な幸福であり、そのための経済成長であった。このような戦後の価値のもとで、倫理的な関心を持続することは難しい。倫理とは、法のように外部から人を縛るものではなく、内面において人が何かに頭(こうべ)を垂れるものだからである。自由が人々を大声で叫ばせるものであるのに対して、倫理は人をして静かに内面の声に耳を傾かせるものである。

 私には、もしも戦後日本において倫理の基盤があるとすれば、それは、あの戦死者たちへ思いをはせることだけであろうと思う。それは、特攻を美化するなどという批判とは無関係なことであり、また、靖国問題とも次元の異なったことである。われわれは、侵略戦争であったのなかったの、といったあまりにあの戦争の性急な歴史的評価にこだわり過ぎてきた。私が述べている戦死者への思い、とはそのような歴史的解釈以前の問題である。しかし、確かにいえることは、敗戦の日であるはずの「終戦記念日」を、やがては「戦後」の開始の日とみなして、そこに自由や民主主義の戦後空間を作り出したとき、われわれは戦死者を「うまく」思いだすことをやめてしまったのである。(さえき けいし)




☆☆☆☆
 


靖国神社・大鳥居の前で



「あんなに愛国心のある人がたくさんいるとは思わなかった」

 父はそう何度も繰り返した。戦後65年も経ち、遺族も年老いた。こんな平和ボケした世の中だ。集まるのは反日と右翼団体くらいだろうと思っていたのである。


 靖国神社に行ってきたのだ。

 九段下駅構内から地上に出ると、真昼の陽ざしの下、参道までの道沿いに人がずらりと並んでいる。チラシを配っているのだった。靖国へと向かうすべての人々に、「お願いします」と頭を下げる。
  「あなたが知れば日本が変わる」、「日本の心を学ぶ会」など、いろんな見出しがあれ、内容は今の日本の危険性を訴えかけるもの、または、歴史を学び、これからどうしたらいいかみんなで考えよう、といった趣旨のたぐいだ。
 靖国通りは右も左も熱心な彼らで埋め尽くされ、私は母の腕を引く手に力を入れた。通行人に押されたり、はぐれたりしては大変だと心配していた。

 今日ここへ来たいと願ったのは私だった。父と母を誘ったら行くという。去年の夏、ささやかな家族旅行として出かけたお台場と比べると厳粛すぎるようだった。遊び場ではないし、面白いはずがない。しかも、もしも過激派の何かしらの運動があれば、巻き込まれかねない危険性もあった。
 年老いた両親を連れてきたことを反省しながらも、彼らが元気なうちに、この日に一緒に行ってみたいという思いには逆らえなかったのだった。

 私は終戦記念日に靖国神社を訪れたことがなかった。そして、父も母もなかった。初めてのこの日を無事終わらせたいという思いで、私は武装していた。しかし、幸いなことに、行こうと決めた時も、そして今チラシをもらっている時も、両親はずっと楽しそうなのであった。
「じぃちゃんいるかな」
 戦地から帰ってすぐ亡くなった父(私の祖父)を持つ母は期待をしていた。
「盛り上がっているね、お祭りみたいだね」
 と父は興味深そうに言う。大鳥居をくぐったあとは特に、予期せぬほどの喜びを示してくれるのだった。
「学生のとき以来だ」と顔を輝かして、「広いねぇ―」と境内を見まわしながら歩いていく。そして、人の多さに驚くのだった。「こんなに人がいるとは思わなかった…」



参拝者の列が続いている



 参拝者は神門の手前から6列ほどの列をなして並んでいて、拝殿が見えないほどだった。年老いた父と母は並ぶのをあっさりあきらめて、近くまで行って雰囲気を味わおうと言う。そのくせ、私が人々の脇からそっと手を合わせていると、お構いなしで、財布をまさぐり賽銭を取り出すのだった。
「並んでないんだからやめなさいよ!」
 母が止めるのも聞かず、父は人々の脇から賽銭を投げて、三拝する。いやねぇ、と言いながら、仕方なしに母も従うのだった。
 父は要領の良さそうなおどけた笑みを見せて戻ってきては、写真を撮ってくれとしきりに言う。
「今年の年賀状にするんだ。靖国神社だってわかるような写真にして」
 私は父親の携帯カメラと持参の一眼レフでそのたびに撮るのだ。そして父はそのたびに、「日付を入れてね」と念を押した。
 今日であることが見る者にわからないと、意味がないと言うのだった。その時は、日付入りの写真なんて撮ったことがないし、かっこ良くないなぁくらいに思っていたが、あとでカメラの設定を間違えて日付を入れ忘れ、おまけに帰りにすぐにデジカメプリントをした際にも日付を入れ忘れ、私は散々父親に怒られたものだ。なおざりに思っていたことを反省した。それくらい父親にとっては、8月15日の靖国神社が価値のあることだということを、私は全くわかっていなかったのである。

 私はわからぬまま、自分のわがままに彼らを付き合わせたことにまだ自責の念を抱いていた。少しでも楽しい思い出にしてもらおうと、売店で休憩がてらに冷たいものを買ってきたり、遊就館に連れて行って、貴重な展示物を一緒に見たり、しかしその二階の展示施設が混んでいてふと母親がおびえたり、父親がいら立つような声を出せば、そのたびにはらはらさせられたりした。



ゼロ戦の展示



 両親のことを忘れたのは、遊就館の大展示室でゼロ戦(零式艦上戦闘機)の模型を見たときであった。
 夕日の沈む南の島に、日の丸を背負った戦闘機が連なって飛んでいく。母機の腹には人間ロケット桜花が抱えられていて、もうすぐあの南の島のどこかの海にそれが沈んでいくさまが浮かび上がってくる。模型だから、まるで可愛らしい大きさで、おもちゃらしくできているというのに、その小さな小さなゼロ戦の部隊が夕景を進んで行くさまは、やけに私の心を打つのだった。
「可愛いねぇ」
 私は一緒に見ている母に何度もつぶやいた。
「こんなに小さいのに、一生懸命頑張ってたんだねぇ」
 模型ではなくても、実際、すぐ隣に実物大の彗星が展示されていて、やはりそれはおもちゃのようにちゃちなのだった。鉄も、武器を作る物資も少なくなって、最後はきっと本当にこんな感じだったのだろうな、と想像している。展示品らしくあでやかに塗られたペンキさえも、嘘っぽかった。こんな戦闘機に良く乗りこんで、あの南の島を飛んだものだ。私はそのことが、可愛らしくてたまらなかった。今でいう高校球児のような朴訥な若者たちが、このものに乗り込んで、模型のように夕景のなか連隊するさまを思い描いて、泣きたくなるほど可愛らしく、いじらしく感じられて来るのだった。




パフォーマンスの若者たち


 
 帰りの参道の路で、父親がつぶやいた。
「こんなに愛国心のある人がたくさんいるとは思わなかった」
 父はそして続けてこう言うのだった。本当に国を思う人たちは静かだね。左翼みたいに騒がないけど、こうやってちゃんとここにやってくる。

 彼らは倫理を知っている。1年に一度、「うまく思い出すこと」を知っているのだろう。

 両親は帰宅後、楽しかった、楽しかったと繰り返し、またお正月にでも来ようねと笑いかける。懐かしい戦時中の歌を鼻歌で歌っていたりするのだった。そうして、日付の入った写真(父はその後もう一度デジカメプリントをしに走った)を広げては、これがいい、あれがいい、と見入っている。
 私はそんな彼らを意外な思いで迎えながら、去年のことを思い出したりしているのだった。父の勧められるままにお台場に行って楽しんで、楽しい楽しいと繰り返していた自身のことを。
 今年は少しは親孝行できただろうか。できたのだろうか。
 ねぇ、御祭神の、靖国のカミサマ・・・


 そうして満足感に似た穏やかな、心優しき思いに満たされて、ふとテレビのチャンネルを付ければ、時の首相が厳粛な顔を見せつける。
 戦没者追悼式に挑む彼はアジア諸国にお詫びをし、そして、戦没者墓苑で献花をしているのだった。私はニュースの画像を見て、打ちのめされた思いをしている。
 こんな歳にもなって、やっと得たこの国の倫理観を、そのことによって両親に一時の親孝行をできたと思えたことも、まるですべては無駄だったのだと。そう言われたような思いがしてくるのだった。

 桜花を抱えた母機たちが夕空に連隊するさまも、それを想像したこの私をも、この国の中心から放り出されたように感じては、隣で響く鼻歌をまるで泣きたくなるようないじらしい思いで聞いているのだった。




     

2010年8月14日

終戦記念日に思う。

 

全閣僚 靖国神社参拝しない意向



NHKニュース 8月15日 6時36分

「終戦の日」の15日、菅総理大臣は、政府主催の「全国戦没者追悼式」に出席します。菅総理大臣と17人の閣僚は、15日に靖国神社に参拝しない意向を示しており、一人の閣僚も「終戦の日」に参拝しないのは、政府が把握している昭和60年以降、初めてのことになります。



終戦の日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京の日本武道館で行われ、菅総理大臣は、さきの大戦で犠牲となった人々に哀悼の意を表明することにしています。菅総理大臣と17人のすべての閣僚は、15日に靖国神社に参拝しない意向を示しています。菅総理大臣は、今月10日の記者会見で、「靖国神社に参拝しないという明確な姿勢を総理就任前から示している」と述べました。また、仙谷官房長官も、「閣僚は公式に参拝することは自粛しようというのが、従来からの日本政府の考え方だ」と述べました。一人の閣僚も「終戦の日」に靖国神社に参拝しないのは、政府が把握している昭和60年以降、初めてのことで、中国や韓国などアジア各国を重視する菅政権の外交姿勢を示すものと受け止められています。一方、民主党や自民党など超党派でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の議員は、そろって靖国神社に参拝することにしています。※

 
  
☆☆☆☆


  
 なぜ、民主党政権の首相と閣僚が靖国神社に参拝しないのか。調べてみたが、どの新聞を見ても下の二つの理由しか探し当てることができなかった。

・A級戦犯が合祀されている。(だから問題がある)
・自粛するのが従来の政府の考え方だ。(だから倣っていかない)

 それどちらもおかしな理由である。

 A級戦犯が合祀されたのは1978年、それから2010年現在まで、靖国神社を参拝した歴代の首相は7名、参拝数は31回にも及ぶ。そのうち8月15日に参拝したのは7回。閣僚を含めたらもっと多い数だろう。1985年に突然中国が批判し始めるまで、公式参拝は何の問題もないことだった。自粛するのが従来の政府の考え方というのは腑に落ちない。
 それとも中国との関係を重んじる民主党の従来の考えという意味だろうか。

 また、A級戦犯(が合祀)というが、そもそも日本には戦犯などいない。
 国内法においても、昭和28年に犯罪者ではないことが国会決議されているし、国際法にかんがみても、1951年に調印されたサンフランシスコ講和条約に基づいて、すべての戦犯は免責されている。サンフランシスコ講和条約以前のアムネスティ条約に照らしても同じだ。

 それでもいや、やっぱり戦犯だというならば、そもそも彼らがA級戦犯だと裁いた東京裁判はどうなのかと問いたい。
 ポツダム宣言にはたとえ戦勝国といえども条件に提示した以外のことは行わないと明記されている。あれは条件付き降伏だった。だから日本は受け入れたのである。もちろん、国家指導者を裁判にかけるなどという文言はなかった。
 なのに、そのポツダム宣言に基づく国際条約に反して、彼らは裁かれたのである。勝者の都合で。もしくは復讐心によって。これはもちろん国際法、ハーグ条約にも違反している。
 しかも罪状は当時の国際法では罪に問われなかったことを、戦争が終わってから事後法で作り上げられたものだった。
 特に事後法で日本を裁いた米国は、原子爆弾を投下し、民間人を大量に殺害し、事後法以前の戦時国際法にも違反する戦争犯罪を繰り広げたというのに、おかまいなしであった。

 あれは、日本だけが裁かれた、当時だれも裁かれなかったことで敗者だけを裁いた、裁判という名のリンチだった。
 マッカーサーは裁判の終了から2年も経たない1950年、トルーマン大統領に「東京裁判は誤りだった」と告白している。
 東京裁判が裁判の名に値しないものだったということは、全世界の国際法学者の常識である。

 それを、当事者の日本の政府が、そのそもそも無効な裁判を盾に、国内法上も国際法上も存在すらしないA級戦犯に向かって、「君たちが合祀されてるから参拝しません」とは、情けない話だ。

 僕らは日本よりも、韓国と中国様のほうが大事です。だから参拝しません。
 と正直に言うならば、こんなブログなど書かないものを。
 

 明日は終戦記念日―
 戦争で亡くなったすべての方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



 (※8月15日9:00AM、ニュース記事差し替えました)

    

熱い「官僚たちの夏」 ~政策コンテストに防衛省が反撃!~

 

 

削れぬ思いやり予算もあえて政策コンテストに 防衛省

asahi.com 2010年8月14日3時3分

 防衛省は来年度予算の概算要求を見かけ上減らすため、在日米軍向けの「思いやり予算」や、過去の契約で支払いが決まっている経費など、同省がどうしても必要だと判断している予算の一部を、あえて要求から外す方針を固めた。外した分は、1兆円超の特別枠の使途を決める「政策コンテスト」にかける。重要な予算なら結局は復活が認められるという読みだが、政治主導で配分を決めるコンテストの趣旨を骨抜きにする動きだ。

 菅内閣は、各省に対して来年度の概算要求で前年度比1割削減するよう指示。2010年度の防衛省の当初予算額は約4兆7900億円で、来年度予算の概算要求枠は4兆3450億円となった。

 防衛省は11日に政務三役や局長級幹部、各幕僚長らによる防衛会議を開き、対応を協議。要求枠内に収めるため、(1)在日米軍駐留経費負担(思いやり予算=10年度は約1900億円)(2)艦船や航空機などを購入する際の契約で毎年の支払いが決まっている「歳出化経費」(同約1兆6800億円)(3)航空燃料などの「油購入費」(同約800億円)――の一部を削減して要求する方針を決めた。

 いずれも、実際に削減するのは困難な「義務的経費」ばかりだ。思いやり予算は見直しに向けた日米協議の最中。一方的に削れば、日米関係に大きな影響が出る。歳出化経費は、削れば違約金を求められかねない。燃料が買えなければ自衛隊の訓練や活動がままならなくなる。

 防衛省は概算要求から外すこれらの経費を、菅内閣が用意する1兆円超の特別枠の使途を決める政策コンテストに回す方針だ。だが、政策コンテストは、事業仕分けの手法を活用して成長分野や雇用確保に予算を回すのが狙い。思いやり予算などを対象とすることは想定していない。

 背景には一律の削減とコンテストで予算を決める手法への反発がある。防衛予算は、人件費と駐屯地に住み込む隊員の食事代といった糧食費が44%、歳出化経費が35%で、もともと柔軟性に乏しい。

 ある防衛省幹部は「事業仕分けでは黙っていたが、今年は各官庁は戦うよ」と意気込む。思いやり予算などについて「削れるもんなら削ってみろ」との声まで出ている。(河口健太郎)

 

☆☆☆☆

 

 「政策コンテスト」は2011年国家予算の概算要求基準の特別枠―「元気な日本復活特別枠」
に値する政策を各省庁から募集して、密室ではなくオープンな環境で決定しようというものだ。
 民主党が成長分野として掲げている医療や環境についての政策を求められている。

 政府は決定権は政府・与党にあるので、政治主導だとうそぶいているが、各省庁の官僚たちに、「元気な日本復活」の責任を丸投げしてしまおうという案である。

 自分たちで政策を考えるつもりもなく、「元気な日本復活」が果たせなかった場合の責任も逃れて、また、政治の基本的な役割である税の配分までも放り出そうとしている、素晴らしき「政治主導」的案ではあったのだが、ここにきて官庁からの反撃が始まった。

 よりにもよって、「思いやり予算」と「自衛隊の経費」をコンテストにかけるとは面白すぎる。
 特に思いやり予算は、民主党が事業仕訳でも切りこめなかったところではないか。これでもしもコンテストに通らなければ、国家予算から漏れてもそれは政府・与党の責任である。たとえ日米摩擦が起こっても官僚には何の責任もない。
 責任の丸投げを逆手に取った頭のいいアイディアに笑ってしまった。さすが官僚である。

 このせっかくの面白い反撃を「それは成長分野とは関係のない政策だから」と一蹴されてはもったいない。日本にとっては無駄以外の何物でもない「思いやり予算」を見つめ直す、良いチャンスにしていただきたい。
 それこそ密室ではなく、オープンな場所で、議論していただきたいものだ。

銀河鉄道に乗って  ~稲村ケ崎、とんび、道化者、異邦人~

    

 
 民主制の下における「国民」概念の―君主主権の下におけるそれと対比における―著しい特質は、その「限定性」にある。君主主権の下において、「国民」概念はどのようにひろくてもよい。統治権は、もともと―血統による―「限定」を属性とする君主の手にあり、「国民」は統治の客体とされるのみであるからである。それに対して、民主制の下においては、「国民」は国家権力の平等な保持者、担い手として登場する。すべての国家権力の発動は国民に正当性の淵源をもとめなければならない。したがって、「国民」とは人類一般ではありえない。人間の中の一定のグループのみが「国民」たりえるのである。民主制の下において、選挙権は、「国民」という「グループの特権」である。(長尾一紘著・「外国人の参政権」より)

 
 もしも、「国民」が天皇によってその統合を象徴されるものであるならば、私だって、横綱白鵬―天皇陛下よりねぎらいの御言葉をいただき涙したという―と変わらぬ日本国民だ。禍や戦争が起これば、ともに忍び、経済が潤えばともに享受する。運命共同体としての一人である。
しかし、たとえ特権としての「選挙権」があるとしても、私は常に平等な「担い手」ではありえなかった。「限定性」のなかで常に隅に押しやられる、もしくは排除されうる存在だった。家族の中で、会社の中で、仲間の中で。
 主権者の限定性を享受するものは常にほかにいて、謳歌する彼らを指をくわえて見つめているだけだった。日本人の中の外国人は、本人が思うよりも多い。そうした彼らが向かう先はと言えば、多くのものは「混沌」、すべてをリセットしてしまう新たな世界である。
 印象的な場面が二つ、思い出される。長尾氏の著書を読んだときに、私が感じた哀しみとかぶさるのだった。

  
 ひとつはあれは青山のホテルだったか、薄暗いレストラン―店内にヴェールのような薄い水の流れる壁がある―での新入社員の歓迎会のこと。もうひとつは新宿のカフェベルグさんでのある場面。一方には韓国人の社長がいて、私たちに夢を語っていた。私はデザートの苦いチョコレートと珈琲を飲みながら彼の冷静沈着な顔を見つめて、心に灯った火のような―それが迸る言葉を聞いていた。もう一方では、私は最後まで相手の顔を見ることができなかった。疲れた、サラリーマンらしき男が隣に座り合わせた五反田に勤めるという外国人の女性二人を引っ掛ける。ビールとつまみを奢り、シャチョウサン、と媚を売られて悦に入り、そのうち、まるで涙声でつぶやくのだった。「これからお店に行こうかなぁ。おれは中国、韓国大好き。日本人は大嫌いだよ・・」 

  
 あのあと、あのサラリーマンは五反田に行ったのか、知らない。韓国人の本物の社長さんの行く末だけは知っていた。彼はこの国のしきたりによって生きづらくされている外国人や日本の中の外国人を助けようと志し立ち上げた会社をあっけなく奪われた。まるで現実味のない額面の、大量の負債と醜聞を背負って、この国の経済から排除された。
 私を初めて、押しやられ続けては流されて、流れ着いた私を初めて、「まとも」に採用して、受け入れてくれた会社だったのに、念願の東証一部上場もかなわないまま、消えて、あの信じられないほどの頭の良さやあの切れ味を、あの華々しい経歴を、いったい今は何に生かしているのか、余計なお世話だろうが杞憂するところではあるのだった。

 
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 ふと顔を上げると、車窓からは海が見渡せた。意図したわけでもなく、知らぬまま一番前の車両に乗っていたようだ。運転席から、海側の窓から、反対側から、夏の景色が流れていく。まるで銀河鉄道の夜みたいだ。江ノ電の小さな箱が海岸に浮かびあがっているようだった。
 
 はやる気持ちを抑えて、終点の鎌倉まで向かった。今日は海と、それから「竹の寺」として知られている報国寺を見るつもりだった。その前に、神木の大銀杏が倒れてからずっと気にかけていた鶴岡八幡宮に足を延ばす。終戦記念日、それともお盆が近いからか、鳥居を超え、八幡宮の参道には、燈籠―和紙のような紙に手作りの、さまざまな絵が描かれていた―が並んでいた。ひとつひとつの作品を丁寧に見ながら参道を終えると、正面に舞殿が現れる。源義経の妾、静御前が舞ったことで知られているこの舞殿の上にはいつも鳩がとまっているのだ。本宮へと向かう一番の入口にまるで番人のように立ちはだかっては、高みから参拝者を見張っているようにも見える。初めはのどかな鳩たちだと油断していたのだった。神聖なところを住みかとして、危険を退けてはえさを与えられ、悠々と生かされているのだと。しかし、何度も目にするにつれ、私はこの鳩を畏怖するようになった。神の使いであるかもしれない、もしくはあるかもしれないと思わせて、威嚇してくるようにさえ思えてくるのだ。
 

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 今日も彼らは悠々と舞殿の天辺で身づくろいをし、眠そうに体を膨らませていた。こんなことなら望遠ズームレンズを持ってくればよかった・・とひとり言ち、カメラを向けて一枚、二枚、三枚目を撮ったあたりから、彼らは平和の象徴であるその仮面を外して、こちらをじっと見下ろすのだ。目が合う。おい、変な奴が紛れ込んだぞ・・と警戒心をあらわにする。もう少し挑発すると、舞殿から数羽飛び立ち、殿のまわりをぐるぐる回り始めるのだが、今日はそうそう相手にしていられない。私は本宮を参拝する代わりに、番人の鳩たちに目で挨拶をして、帰るのだった。新芽と枝を出して、日ごとに成長している大銀杏を目にして、満足をしていた。こちらにはもちろん鳩とは違って敬虔な気持ちを持って奉拝した。
 




 竹の寺、報国寺には意外とすぐにたどり着いた。道に迷いやすい私のことだから、またうろうろするのではないかと懸念していたのだが、鎌倉には寺案内の標識も多く、萩寺で有名な宝戒寺のひとつ先の路をまっすぐ行き、滑川を渡ってまた川沿いにまっすぐ行くとすぐに門が見えた。一般参拝者はこちらへ、と案内されている方向へ進むとお目当ての竹林だ。圧倒された。小さな寺の中にしては見ごたえある見渡す限り竹の光景である。超広角のレンズが欲しい。美しい竹は画面に収まりきらなかった。私は青々とした竹を撮るつもりだったのだが、気がつくと、渋く、銅のように染まった竹に心を奪われている。変色した竹を探しては、切り取っていた。竹本来の良さはやはり青々と伸びるものにこそあるように思えるのだが、侘びや寂や、歴史を思わせる渋い色の竹もなかなか魅力的であった。一緒に竹林に入り、写真を撮っていた面子はすでにみないなくなっていた。私は時間をかけて、気が済むまで写真を撮ると、また鎌倉駅まで戻って、海へと向かう。お気に入りの稲村ケ崎を目指すのだった。

 
 稲村ケ崎の小さな駅を降りて、まずは腹ごしらえ。駅前の小さな中華料理屋でラーメンを頼んだ。鎌倉でいくら探しても安い食堂はなかったのだ。私は飢えた腹を満たして、ふと後ろの席に一人で座っている老婆―スープが少なめだとかとろみをつけただとか味付けをも注文する―に軽蔑心を抱いていた。読売新聞を丁寧に読んで、店主に礼を言って金を払う。もしも、彼が中国人ならば、―たぶんもどきの日本人だろう―シンプルなラーメンを食べてほしいのではないかと考えている。私は良い客ですよとまるでアピールするように、通ぶって、そしてここが安食堂であることを思い出してはおかしくなるのだった。座敷では家族連れが甲子園を見ながらタンメンを食べている、隣では携帯を見続けるサラリーマン風の男、そんなところではないかと。とりあえず、そんなところで唯一私の求める手ごろな価格で美味しいものをのんびりと食べさせてもらった後に、私はおもむろに浜辺に出るのだ。稲村ケ崎は江の島がちょうど光のあたる方向に見渡せる、海の輝きと同時に島を望めるのだった。夕刻になれば江の島に向かって日が沈む、しかし今日はそれまでは待てなかった。私は青く輝く海を撮っては満足している。
 



 かもめが一羽海を渡って行った。もう一度見たくてその後何度も探すが、彼はもう現れなかった。その代わりに、浜辺をずっと徘徊しているとんびたち。見ていると面白いもので、彼らはまるで待機しているように浜辺の上空を浮かんでいるのだった。時々、急降下して、浜辺に落ちているごみを目指す、それが食べ物ではなくごみだとわかっているように、直前まで落ちるとついと旋回、頭部を上げて上昇していく。がっかりしたようすもない。シュミレーションでもしているようだった。七里ガ浜に向かって海岸沿いを歩く。ハンバーガーショップには看板。「トンビに注意」。私は去年、彼らにおにぎりを奪われたことを思い出している。浜辺で弁当を広げたら、上空で待機していた一羽が下りてきて、一瞬のうちに奪って飛んでいったのだった。どこまでもどこまでも輝く青い海、泳ぐ人々も行きかう人々もみな一人ではなかった。
 


 ふと一人の男と目があった。めずらしいものだ。私は浜へと向かう階段に座ってとんびを見たり、海を見たり、写真を撮ったり、男が声でもかけてきたらいやだなぁ、と忙しいふりをしている。そのうち気づけば笑い声、男の横には、浜から戻ってきたのか、可愛らしい少女が並んでいるのだった。私はまたおかしくなって苦笑い。立ちあがって、武器を―鳩に向けたように―とんびにも向け始めるのだ。
 

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 一枚、二枚、三枚撮っても、彼らは私など眼中になかった。彼らには奪うえさしか興味がないようだった。悠々と空に浮かんで、時々旋回する。シュミレーションで急降下する時だけ、ものすごい勢いで逞しい羽を振り下ろすだけだ。浜辺の上の彼らを、その一羽を撮っていると、突然彼はこちらへと向かってきた。驚く私を通り過ぎて、車道へと抜けて行った。浜沿いに続く県道へと飛び出して、車の上を、サーフショップや住宅の上を羽ばたいた。人がいない、えさのない方向へ飛んだことに私は驚いて、ああ、とんびも車道の上を飛ぶのだな、と妙なことに感心しているのだった。浜で浮かんでいるばかりではないのだと。ぐるぐると車道を羽ばたく彼を私は連続して撮った。後で見ると、gifの画像のようにこま切れの絵が続いていた。人間の食べ物ばかりを奪う彼らは、しかし、なぜか猛禽類らしく映っているのだ。ふいと車道に飛び出した一羽は、心行くまで私に写真を撮らせた後に、道沿いに消えていった。


 私はとんびの後を追うように、県道沿いを歩いていく。江ノ電の線路も消えた。七里ガ浜の駅が近かった。駐車場。車の傍の焼けた若者たち。正面には江の島。舗装されたその上を鳩が歩いていく。私は一羽の、―飛ぶでもなく青い海と江の島を見つめている―鳩と、頭上を旋回していったとんびのことを思いながら駐車場を抜けて、県道を横断する。武器はもう閉じられた。あの銀河鉄道の小さな車両に乗って、旅路を終えるだけだった。
 



  

2010年8月13日

翻弄される日本  ~日本の受難時代深刻化へ向けて~

 

 

菅談話反応 「韓国だけではない」/「おわびを」98% 中国、謝罪要求の機運

 

  産経新聞2010年8月12日(木)08:00

 日韓併合100年で菅直人首相が発表した謝罪談話について韓国や中国のメディアは11日付紙面などで大々的に報道した。中国各紙は「中国への謝罪の言葉はひと言もない」など謝罪を促す見解を掲載、韓国メディアも評価の一方、強い不満を示した。両国では首相談話をきっかけに日本の戦争責任や歴史認識を改めて問題視しようとする機運がさらに広がる可能性もあり、日本政府は難しい対応を迫られそうだ。
 【北京=川越一】中国国営新華社通信は10日、産経新聞の社説を引用し、菅首相の謝罪で韓国側が新たな賠償を求める可能性を示唆した。しかし、中国各紙は、談話を日中間の問題にすり替えて報じている。
 11日付の北京紙、新京報は「日本がおわびしなければならないのは韓国だけではない」と題する論評の中で、「日本の植民地支配や侵略を受けたのは韓国にとどまらない。北朝鮮も冷酷な統治を受けた。中国、東南アジア諸国も同様に日本帝国主義の苦しみを味わった」と主張し、今回の謝罪は政治的な道具と断じた。
 清華大国際問題研究所の専門家は国際情報紙、環球時報に対し、「日本は中国に対し、反省は示しているが、謝罪の言葉はひと言もない」と述べた。
 謝罪によって日韓関係を強化し、北東アジアにおける中国の影響力を牽制(けんせい)する狙いがあるとの指摘もある。
 昨年夏、江蘇省南京市の南京大虐殺記念館で日本の漫画家による「私の八月十五日展」が催された。外交筋によると、終戦前後の体験を描いた漫画は好評を得て、今年は中国各地の虐殺記念館で展示される予定になっている。
 同紙が10日、談話発表を受けて実施したアンケートによると、回答者の98%が「日本は中国人民に対し、侵略戦争問題について正式に謝罪し、おわびすべきだ」と答えた。中国人の一方的な歴史認識に変化の兆しが表れていた矢先、菅首相の談話は対日謝罪要求の動きを再燃させかねない。



  ☆☆☆☆



 あの間抜けな菅談話の影響が続々と報じられている。
 まず、韓国と台湾では、李明博(イミョンバク)大統領は「今後、日本がどう行動で実践するかが重要だ」と語り、早くも補償を期待した人々が日本大使館の前で集会を行った。
 首相談話に慰安婦の問題の賠償が含まれていないことに腹を立てたようだ。「謝罪しろ」「補償しろ」と書かれたプラカードを持って、大使館に向かってスローガンを叫んだ。
 朝鮮王朝儀軌など文化財をお渡しすると安易に約束した件についても、日本が返すべき文化財はたくさんあるといなされ、今すぐすべてを返せ、とまるで怒りに火をつけてしまったようである。
 それから冒頭の記事の中国だ。中国人の視点を見つけやすいサーチナに行ってみれば、中国でも談話は大きく取り上げられているようで、中国人ブロガーたちの意見が紹介されていた。

「日本人が韓国に謝罪し、文化財を返還するというが、それではいつになったら日本人は中国に謝罪するのか?」

 不思議なもので、日本側からすると、果て無き謝罪ゲームをさせられているような思いだが、(日本政府が歴史に関して謝罪の意を表したのはなんと36回!にも及ぶそうだ)中国の方から見れば、「日本は反省はしたが謝罪はしたことがない」だそうで、そういう認識に基づくなら「韓国にしたなら中国にも・・」と思うのはまぁ当然といえば当然かもしれない。で、中国に謝ったら今度は台湾とかフィリピンとかどんどん謝罪ゲームがまた続いていって・・・

 謝罪の認識は国家間でだいぶずれがあるようだが、補償に関しては腑に落ちないものがある。
 たとえば戦後日本が引き揚げ時に満州、朝鮮、台湾などに残した資産は敗戦の昭和20年8月15日時点で3794億9900万円(外務省調査)、現在価値に換算すると70兆円近い巨大な額である。(それでも引き揚げの際のすべての日本人の個人資産は含まれていない)
 また、国交正常化の際は、韓国には当時の韓国の国家予算の3倍近い8億ドルを支援し、中国には正式なODAの額だけで3兆円以上(すべてを含めると6兆円とも言われている)を供与し続けている。
 70兆円の投資をすべて失って、その後国家間の補償をし続けて、まだ足りないと、個人にもしろ、と言うのはあまりにも酷だ。

 すべては民主党の馬鹿談話が寝た子を起こし、怒りを再燃させて、不利な外交カードを安易に与え、関係を良くするどころか新たな火種を生み出してしまったとしか思えない。
 本当に民主党政権が長く続けば続くだけ、日本の体力がますます奪われてくるように思えてならない。早く去ってくれないものか・・・・
 
 ところで、前述のサーチナの中国人ブロガーの記事紹介で興味深いものを見つけた。

『一方、ハンドルネーム索健さんは、日本の首相談話の裏側には、米国の影があると推測し、「北朝鮮と中国に対応するため、米国は同盟国同士が緊密に結びついている必要があった」と推測。続けて、「政治的目的のある菅直人首相の謝罪を軽べつする」と述べている』

 なるほど。民主党が中国傀儡のような政権を立ち上げたとき、米国はずいぶん日本を痛めつけたように思う。円高に襲われたり小沢前幹事長の政治とカネの問題が暴かれたりしたことも、影響があったのではないかと推測されている。ところが最近どうも違った意味で、米国の影を感じることは確かなのだった。
 最近小沢叩きの急先鋒としてテレビによく出ていたハマコーが逮捕され、排除されたこと。
 あれだけ米国で叩かれたトヨタの事故の原因について、米高速道路交通安全局と米議会がトヨタ側の「電子系統に欠陥はない」という主張を裏付ける調査結果を発表したこと。
 そして、またしても円高。その加速がとまらないこと。欧米の通貨の金利が低く弱くなっているので、資本の逃避先として円を買っているらしいが、どうもそれだけとは思えない。で、米国は追加金融緩和策として米国債買取を検討している。ならば、買い手は多ければ多いほうがいいわけで。
 私はここにいたって、米国が民主党政権をついに認め、肯定的に傀儡することに成功したのではないかと思っている。小沢一郎はこれ以上政治とカネの問題で裁かれることはなく、もしかしたら次の首相となる可能性も出てきたのではないかと。そして、そのための菅談話だとしたならば、中国人ブロガーの索健さんではないが納得できるものがあるのだった。

 しかし、考えただけで、小沢一郎の首相だなんて空恐ろしい。
 民主党政権による日本の受難はまだ始まったばかりかもしれない。





  

2010年8月12日

100年経っても歴史を直視しない日本と韓国の悲劇を思う。

 

 

 

日韓併合首相談話 禍根残す“密室合議”

8月11日7時56分配信 産経新聞
無題 
 
 日韓併合100年に関する首相談話を閣議決定し記者会見に臨む菅直人首相=10日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)(写真:産経新聞)
政権が再び“暴走”を始めた。菅直人首相が10日発表した日韓併合100年に関する談話は、十分な議論もないまま閣議決定され、平成7年の「村山談話」と比べても大きく踏み込んだ内容となっている。先の参院選で、その暴走傾向に「NO」を突きつけられたはずの菅政権だが、今度は歴史認識問題で大きな禍根を残そうとしている。
[フォト]日韓併合首相談話は「村山談話」を踏襲

 今回の首相談話は、まさに密室の中で決められた。
 政府側が民主党サイドに「首相談話を10日に閣議決定」との方針を伝えたのは、9日午後。福山哲郎官房副長官が党政調幹部を国会内に集め、談話の骨子を説明した。
 一部の出席者は「いつまで謝罪を続けるのか」と反対論を唱えたが、首相は黙殺するように側近議員と首相公邸にこもり、ひそかに文案を練り続けた。
 こうして作成された談話は10日午前の閣議にはかられ、全閣僚が署名した。ただ、民主党政調会長でもある玄葉光一郎公務員制度改革担当相は閣僚懇談会であえて苦言を呈した。
 「すべての段取りができあがって『こういうふうに』と言われても大きな変更はできない。今後は早い段階で相談してほしい」
 ◆外務省「だまし討ち」
 首相談話の内容に驚いたのは民主党議員だけではない。ある外務省幹部は「官邸にだまし討ちされた」と憤る。
 もともと外務省は今回の談話に重大な懸念を持っていた。補償問題は昭和40年の日韓基本条約によって「完全かつ最終的」に解決済みというのが、日本政府の一貫した立場だが、仙谷由人官房長官が新たな補償に前向きな姿勢を示していたからだ。
 外務省側は仙谷氏らに新たな謝罪・補償には応じないよう「ご説明」を繰り返した。官邸側は「参考にさせてもらう」と返答してきた。安心した外務省は7月21日、文化財等の韓国への引き渡しを「検討している事実はない」(児玉和夫外務報道官)とする“公式見解”を出したが、結果は違った。
 ◆韓国に過剰な配慮
 今回の談話には、韓国政府への過剰な配慮も見え隠れする。
 日韓併合100年にあわせた談話ならば、併合条約が発効した8月29日や終戦の日の8月15日の方がふさわしい。
 だが、政権にとっては8月15日より前の談話発表が絶対条件だった。8月15日は韓国にとって植民地支配から解放された「光復節」にあたり、大統領が国民に演説するのが通例だ。今年は併合100年の節目であり、韓国国民の期待は例年に増して高いという。
 李大統領は10日、菅首相との電話会談で「真心のこもった談話だ」と称賛した。
 菅談話は当然、李大統領演説で取り上げられるだろう。菅首相が談話発表を急いだ理由はここにあるのではないか。
 菅談話で韓国国民が最も留飲を下げたのは、次のくだりだろう。
 「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」
 日韓併合をめぐっては、その出発点となる併合条約の合法性に関し、両国で見解が対立している。日本の立場は「(条約は)両者の完全な意思、平等な立場において締結された」(昭和40年、佐藤栄作首相答弁)という合法論で、これを歴代政権が引き継いできた。
 菅談話の先の言葉は、朝鮮半島統治の「違法性」に踏み込み、併合条約の「無効性」を認めかねない危険をはらむ。これは村山談話にもなかった内容だ。
 「国民の意見を反映した民主主義。私の言葉で言えば『参加型の民主主義』がこのねじれ国会という天の配剤の中で誕生しつつあるのではないか」
 首相は記者会見でこう語り、胸を張った。だが、言葉とは裏腹に、談話策定の経緯を追うと「密室政治」の到来を予感させる。(船津寛)


☆☆☆☆


 また菅首相がやってしまった。
 8月15日に靖国神社に参拝しろとは言わない。民主党政権にはそこまで期待していないし、過去にいろいろな問題-違憲の傍論(判決ではなくてただの裁判官の個人的意見である傍論)など-があったことも尾を引いているのだと思われる。
 だけど、終戦の日くらい、この国のために亡くなった人たちのために祈りを捧げてもいいのではないか。せめて、彼らのために敬虔な気持になれないものだろうか。
 同じ日に「光復節」をする国に「談話」という貢物を捧げて、彼らすべての霊を貶める必要がどこにあるのか不思議でならない。
 今の日本はもしかしたらもう貶められて当然の国になっているかもしれない。もしも、戦争が今起こったら、この国のために自ら命を落とせるものなど誰もいないのではないかとさえ思えてしまう。でも、少なくともあの時代は違った。靖国神社に眠る彼らはそうではなかった。この国の未来のために、私たちに託して、潔く死んでいったのだ。
 他国の記念日を思いやる前に、自分の国の誇りを見つめられないのか。
 自分の国の歴史に対して、恥ずかしくないのだろうか。
 その日に他国が解放されたならば、同じ日に日本は負けたのだ。列強と大国に、無謀な戦いを挑んで、見事に完敗したのである。そんな馬鹿なアジアの国は日本だけしかない。靖国に眠る戦没者のみらなず、一般市民が、何百万の国民が犠牲になったことか。土下座外交でも自虐史観でもかまわない、普段は忘れてしまっていてもいい。すべてを水に流すことが日本人の美徳ではあるだろう。だけどせめてその日くらいは謹んで歴史の彼らのことだけを思ってほしい。歴史を見ていないのは、菅首相のほうではないのか。「歴史の事実を直視」していないのは誰なのか、その勇気と謙虚さを持ち合わせていないのはどちらなのか。
 ところで、この菅首相の談話だが、自民党時代と違うのは、自虐史観を深めただけではなくて、新たな賠償責任問題を生み出しそうだという点だ。日本は韓国に対しては対戦国でもないのに(朝鮮は当時共に戦っていた側である)多大な賠償金を支払った。国への援助として、国家間の賠償(財産と対日請求権問題解決における賠償及び補償と経済協力)を終えているというのに、この上、個人の補償請求などとんでもない話である。(国家間と個人への賠償を両方するなどありえない。通常は国家から個人は補償金、または何かしらの見返りを受け取っているはずである)しかし、間抜けな菅首相が日韓併合の合意を無効だとしてしまったから、「強制されて無理やり戦争に巻き込まれた犠牲者」たちには、国から何らかの形で直接の補償をしなくてはいけなくなるかもしれない。義務はなくても、この談話で相手にそういう期待を抱かせることにはなる。
 日本は無理難題を押し付けると、そのつど全部飲んでくれるので、ずいぶん相手も面白いのではないだろうか。骨の髄までしゃぶられて、そのうち一文無しになって破たんするまで手放してくれないかもしれない。靖国の彼らがさぞ嘆くことだろう。

 私が思うに、韓国(当時の朝鮮)の人たちは、こういう言い方は失礼かもしれないが、あの時代日本に身売りをしたのだ。今日の食事や寝る場所にも困って、日本に庇護を委ねたのだ。日本はずいぶん紳士的だったと思う。ほかの国だったらああはいかなかったのではないかと思うほど、ずいぶん入れ込んで、自分の色に染めようともがいた。正妻よりも立派な身繕いをさせたり、いい思いもさせたと思う。国の話だから投資したとでもいうのだろうが、私の中では、いつも韓国は悪女の妾といったイメージなのだ。
 敗戦して、アメリカが割って入って、韓国とやっと手を切れたことは日本にとって幸いだったとさえ思う。やっと日本は正妻だけを大切にして、つつましく暮らし始めたのだ。しかし、身売りをしたという事実が許せない、いつまで経ってもそのことを思い出すと悔しくなり、それを認めること自体プライドが許さない、というのが相手である。いい加減認めたらどうかと思うが、私はそんな人間じゃない、無理やり犯されたから仕方なく一緒にいたのだ、と言い張っているようである。
 国家間のことをこんな男女のたとえ話にして大変申し訳ないのだが、私は確信するのだ。
 あの時代、合意はあった。
 でなければ、あんなに韓国(朝鮮)の人々が、日本と共に戦い、日本と共に勝利を喜び、共に歴史を歩み続けたわけがない。一部の革命派だか反対派だかはいただろう。が、そんな少数派を今頃民族全員の意思だったとして、強制説を訴える韓国人は愚かしい。
 歴史も、愛も、常に光と影が裏表で、私は、光だけを見て、いや、いつか見れるようにと、昇華させていくことこそが、その努力こそが生きるということだと思う。どんなに残虐な仕打ちも、どんなに哀しい犠牲も、そのことをそのまま訴え続けて何になるというのだ。今日明日のことならまだいい。傷が癒えていないのもわかる。けれど100年経つのではなかったか。
 今の日本人と同じように、今の韓国人はずいぶん貶められたものだ。あなたたちの先祖は、復讐してもらうことなんて望んではいないと思う。記念すべき光復節でこの間抜けな雑談を聞いて喜ぶとでも思っているのだろうか。彼らはあの時、自分の苦しみを精一杯、限界ぎりぎりのところから這い上がるように、やっとの思いで清めて死んでいったのだ。思いを昇華させ、そして魂を浄化させて、なのに、あなたたちが今さら犠牲だの補償だのと罵り、暴き立てて、彼らを踏みつけて汚しているようにしか私には見えない。
 日本と韓国の未来を思うならば、もうこんな馬鹿な談話はよして欲しい。
 過去にこだわっているようにしか映らないではないか。
 それか「お金の問題」にしか。
 (これを言うと韓国の彼らはたいてい「金の問題じゃない!」と嘆き悲しむようだが、お金の問題にしてしまっているのは自分だということを忘れている)






      

2010年8月8日

長尾一紘、日本国憲法を謳う。

 



 『子ども手当、増額で調整…1万8千~2万円案』


 政府・民主党は6日、2011年度の子ども手当の支給について、10年度の月額1万3000円(中学生以下1人あたり)を増額する方向で調整に入った。
 月額1万8000~2万円程度とする案が浮上している。政府内では、財源難を理由に支給額を据え置く案も出ていたが、11年1月以降は所得税の扶養控除などが廃止され、1万3000円のままでは15歳以下の子どもを持つ世帯の負担が増える可能性が高いことから、手当の上積みが必要だと判断した。複数の政府・民主党幹部が明らかにした。
 11年度以降の子ども手当支給には、財源の確保に向け新たな法案が必要なため、政府・民主党は増額幅を慎重に検討するとともに、公明党など野党にも協力を呼びかける構えだ。
 これに関連し、民主党の子ども・男女共同参画調査会の小宮山洋子会長は6日の調査会の会合で、子ども手当について「1万8000円から2万円にしたい」と表明した。会合終了後、小宮山氏は記者団に「1万3000円のままで扶養控除が外れると、(廃止された)児童手当をもらっていたほとんどの家庭は(家計が)マイナスになる」と述べた。同調査会は今秋、最終案をまとめる予定だが、財源を確保できなければ増額幅は圧縮される可能性もある。
 民主党は子ども手当に関し、財政再建を重視する菅首相の意向を反映し、参院選公約では昨年の政権公約で掲げた月額2万6000円の満額支給を断念し、「財源を確保しつつ1万3000円から上積みする」と明記した。
 厚生労働省では、仮に支給額を1万8000円とした場合、新たに約1・3兆円の財源が必要と試算している。11年度は扶養控除廃止で税収が5000億円程度増えると見込まれているが、それだけでは足りない。この場合、11年度予算に設ける予定の「元気な日本復活特別枠」(1兆円超)を財源に充てる案が出ている。ただ、他省庁などの反発を呼び、調整は難航することが予想される。
 政府は昨年末、子ども手当創設に伴い扶養控除を見直すことを決め、そのための税制改正関連法が今年3月、成立した。15歳以下の子どもがいる世帯が対象の一般扶養控除では、所得税分が11年1月から、住民税分が12年6月からそれぞれ廃止される。
(2010年8月7日03時05分 読売新聞)
 
 
 
 
「消費税で国民からの信頼を失ったのなら、子ども手当を全額支給すればいいじゃないか」
 そうすればまた信頼を得られるだろう、と小沢一郎がのたまったのだそうだ
 民主党の破たんした政策のツケを消費税で補わされ、その消費税のツケをまた新たなバラマキ(=破たん政策)で補わされることになるとは思わなかった。
 国民の生活が第一、ならば、お願いだから身を引いて頂きたいと思う民主党。ところで、彼らが言う、いつも言うこの「国民」とやらもまた定義があいまいである。
 
 長尾一紘著の「外国人の参政権」を読んだのである。
 憲法学者の氏は今年初めに、長年唱えていた参政権の部分許容説(地方参政権の許容説)を撤回した。参政権を与えても与えなくても合憲とする、過去の判決の傍論にも影響を与えていただけに、衝撃的な心変わりだった。
 そのきっかけがふるっている。
 「民主党の今の政策が危ないから」と言うのである。
 正確には、
 「民主党が衆院選で大勝した昨年8月から。鳩山内閣になり、外国人地方参政権付与に妙な動きが出てきたのがきっかけだ。鳩山由紀夫首相の提唱する地域主権論と東アジア共同体論はコインの裏表であり、外国人地方参政権とパックだ。これを深刻に受けとめ、文献を読み直し、民主党が提出しようとしている法案は違憲だと考え直した」
 と誠に憲法学者らしい言葉ではあったが、まぁ同じことではないだろうか。参政権問題の状況の変化によって持論を変えたのだとしても、きっかけは民主党のやばい日本解体法案の数々に懸念を抱いたということだ。
 
 氏の本は政策論としてではなく、憲法論としての「参政権問題」を詳しく解説してくれている。
 私は今まで、政策論として、「賛成」、「反対」の立場からこの問題を見ていたので、「合憲」、「違憲」の立場から問題を見直してみることで、新たな発見が得られてとても興味深かった。
 問題は「被参政権」なのだ。
 民主党の「コインの裏表」や「パック」になった法案さえなければ、地方参政権は許容説でもかまわないと思う。国政選政権禁止、被参政権禁止のままならば、最悪の事態は免れることができる。
 死守すべきポイントがわかっただけで良かった。たとえ、民主党の時代が終わっても、(たとえ地方であっても)私は被参政権を外国人に与えようとする政党にだけは絶対に票を入れることはないだろう。
 それと、氏は著書の中で「国民」の概念を詳しく解説してくれている。
 憲法学的に参政権を合憲とする論者はだいたいみなこの国民の概念を拡張して、この国に定住する外国人をすべて「国民」に含めてしまおうとするのだが、氏は彼らの肯認論をばっさりと切り捨てていくのであった。
 私は民主党の「国民像」でもやもやさせられていただけに爽快感を覚えた。
 思わず、日本国憲法の前文をwebで見て、声高に読みあげたほどだ。
 
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
『また、第一条は、天皇は「日本国民統合の象徴」である、とする。ここで、「国民」像は、天皇によってその統合が象徴されるものとして示されている。
 日本国は、政治的・文化的な意味における「国民国家」であり、天皇によって統合を象徴される共同体である。
 「主権たる国民」とは、右の諸条項によって実質的内容を与えられた観念である。かかる存在こそが日本国の構成員として、その国家権力を担うものとされているのである』(「外国人の参政権」より)
 
 「国民」とはこの国の主権者であり、国家権力を担うものである。とするならば、国籍も持たない外国人が国家権力を行使するのはおかしい。
 氏はこの「国民概念拡張論(地球民主主義論)」の他にも、肯認論者の学説を片っぱしから切り崩していく。
 「国際法原則論」からはじまって、「納税代償論」、「選挙権=自然権論」、「治者・被治者の同一政論」、「国籍相対化論」、「国籍剥奪違憲論」、私でも一度は聞いたことのある参政権付与に賛成するものたちの正論も、氏の手にかかると論拠の不確かな、まるで子供の言い分のように映るのだった。
 冷静に主張を唱えていく氏が唯一感情をあらわにした(ように見えた)のが、私が最大の問題だとした「被参政権」の箇所で、日本の許容説論者の「外国人を日本国の主権者であるとする」ところの論理の飛躍、そのあまりのばかばかしさを感嘆するものだった。
 『(日本国民としての外国人主権者!)しかも、かれらは、―憲法上参政権を与えても与えなくてもよいのであるから― 「参政権をもたない主権者」だということになる』
 
 氏が言うには、『民主制も無支配ではなく、支配の一形式にすぎず、代表民主制において「国民の自律」が保障されうるのは、「国民代表」による支配が維持されうる』からであるという。
 『国民の代表者が国民と同じく国家という共同体の構成員であることによって、その支配が国民の利益のためになされうることが保証されうる』。
 しかし、『外国人による支配がなされることになれば、「他律支配」により、国民の民主的自己決定は否定されることになる』のだと強く主張するのだった。
 
 私はそれは困ったことになる。是が非でも、死守せねばと決意を固めながら、ふとその一方で、その意味を自らに問うているのだった。
 隣国に配慮して靖国神社に参拝に行けない首相、米国政府からの年次改革要望書をかなえ続けた政府、学者や国民を無視して、一方的に日本が悪いとする謝罪の談話を勝手に発表する政治家たち、そして今の政権与党。憲法上の国民の概念を無視し、新しい国民像を創り上げて、彼らに参政権を与えようとしている民主党。
 もうすでに「他律支配」されているのではないか、などと思ってしまうのであった。
 日本は、民主主義と言う国の形を取りながら、社会主義的な国のシステムを創り上げた、それを唯一成功させ発展した稀な国家だった。
 ならば、憲法上自律支配をしていようとも、実質的には他律支配される稀な国を創り上げることだって、そう難しくもなく、むしろたやすかったのではないだろうか、などと。
 もちろん戦勝国にならわかる。65年たった今になってやっと平和祈念式典に大使が来たとして、その場でさえ謝罪の言葉はないとしても、敗戦という歴史がある限り仕方のないことだとは思わなくもないのである。
 しかし、それだけとは思えない異様さは感じる。韓国や北朝鮮はどうだ。国際社会の中ではどうなのだろう。65年経っても謝罪をしない国に思いやり予算をつぎ込む政府に、65年経っても謝罪し続け、賠償金を払い続ける政府に。防衛白書から消えた竹島は韓国へ、尖閣諸島は中国へと譲り渡されようとしているような現状は。

 最後の砦がたとえ名目上のものであるとしても―
 私はこの美しい日本国憲法を謳わずにはいられない。
 
 
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。


 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


   
 
 

 

2010年8月1日

ふたりの老婆と隅田川花火大会  ~スカイツリーの遥か天辺を見上げながら~

 
 
 
  
 花火の時期が近付くと、私は去年のことを思い出して、哀しい気持ちになるのだった。
 もしも、あの場所へ行ったならば、今年も同じように老婆が立っていて、同じように微笑みかけてくるのではないかと思われてくる。
 あれは確かに私のために遣わされたような出会いだった。もう一度会って、お礼を言いたいものだ。
 だけど、私は別の場所を選んだ。
 そこで立ち止まっていたら老婆に叱られそうな思いがする。
「私の役目はすんだわよ」
 そうやって笑いながら、去年のように私の顔を覗き込んでくるに違いない。私は、去年第二候補としていた大横川親水公園へと向かった。
 今年も隅田川花火大会が始まろうとしている。





 大横川親水公園はメインの第一会場から離れていて、正面に第二会場の花火が見渡せるだけであった。地元に住んでいる人々がふらりと集まるらしい。穴場と言えば穴場だ。
 風向きを調べると、微妙に風下に近い。決して風上とは言えなかった。悩んだ末、とりあえず出かけることにした。現地に行って、空が高いか見てみよう。
 去年の場所はテレビの撮影も入っていたし、写真愛好家も多かった。撮影場所としては良かったと思うが、なにせ空が低かった。ガードとフェンスで上も下も塞がれている。それから花火会場から少し離れていた。
 今年は多少条件が悪くても、高い空で見たいものだ。それから、なるべく現地の傍に行って、花火大会の雰囲気を味わいたかった。
 東向島のガード下だってあれだけ混んでいたのだ。昼間下見に行った時でさえ、もう人がブルーシートを引いて、場所取りをしていた。現地に近ければものすごい混雑になるだろう。私はそう見込んで、早目に家を出る。昼過ぎに大横川親水公園に着いた。
 しかし、誰もいないのだ。ブルーシートもなければ、去年のように長い脚立を立てて、撮影の準備をする写真愛好家もまるでいない。第二会場だけだとやはり人気が薄いのか。私は不安を覚えて、釣り堀場の職員らしき老紳士に尋ねてみた。
「すみません、ここから隅田川の花火は見えますかね」
「ああ、見えるよ。その先にね、白い交差点があるから、わたって、もう少し先に行くと、真ん前に第二会場の花火が見えるから」
 彼はホースで水を溜めながら、手を止めて教えてくれるのだ。
「花火の前は車両通行止めになるから、道路に座って見れるよ。場所取りは禁止されてるけど、もうみんな待ってるよ」
 笑いながら、すぐだと方向を示すのだった。白い交差点があるからと繰り返して。
 後になって、それが「広い交差点」の聞き間違いであったと気が付くのだが、私はペンキか何かで橋が白く塗られている、もしくは路が白い交差点を頭に浮かべていた。
 白い交差点の周りに集まってくる人々。夜、車は消えて、そこは隅田川花火大会が良く見える場所としてにぎわうのだった。
 私は何かの暗示のように神聖な、少し現実離れした、良い撮影場所のように感じられた。礼を言って老紳士と別れて、「白い交差点、白い交差点・・」と呟きながら、歩いて行く。
 ここ、業平の町はスカイツリーがすぐ横手に見渡せた。地下鉄の駅を出て、浅草通りを歩いて行くと、突如現れた巨大な塔に驚かされたほどだった。私はスカイツリーの写真や模型が並び、にわかに活気付いている商店を眺めながら交差点を探している。何人か浴衣を着ている人々に出くわすものの、まだ老紳士が言うように場所取りをするような人々は見渡せない。
 私はこんなに空いているならば、もっと会場に近寄ってしまおうと考えた。交差点を二つほど渡り、すると今度は花火大会の実行委員の若者が導いてくれるのだった。
「うちわをどうぞ!」
 青年はにこやかに隅田川花火大会の会場絵地図が入ったうちわを手渡してくれた。私は絵を見ながら、「ちなみに今はどこですか」と訊いてみる。「この通りは絵のここになりますよ」と青年。
 なるほど、もう少し歩けば、第二会場の真ん前、駒形橋である。橋の上は無理だろう、私は地図の絵を眺めて、その横の公園へと向かっていった。途中、駒形橋前の道路は、場所取りの青年や夫婦連れが座っている。公園のガード下も、既に浴衣を着たグループが並んで座っていた。ガード下のほうが近くて良く見れそうだ。人も多いし、良い場所なのだろう、と思ったが、いかにせん空が低かった。
 私は浅草通りに戻って、青年たちや夫婦連れの傍に腰を下ろした。
「ここはよく見れますかね?」と上半身裸になって、気だるそうに寝そべっている青年たちに訊いてみる。一人は不思議な物体を見るかのように口を開けて私を眺めている。リーダー格の一人がにこやかに笑って、「大丈夫ですよ」と念を押した。
「通行止めは何時からですか?」
「5時からです」
 まだまだ時間があった。時計を見ると2時半にもなっていなかった。暇を持て余した私に、去年の老婆が再来したのだ。
 私はぎょっとしたものだった。もちろん、彼女は去年の彼女とは別人だった。姿かたちも全く違う、性格ももっと明るく、お喋りで、人好きのするタイプだった。(彼女は誰にでもにこやかに話しかけて、友達になっていた)あっちの場所のほうがいい、と意地を張って花火大会直前まで傍にやってこなかった旦那さんも一緒だった。それでも、やはり、まるで私のために遣わされたような老婆だったのだ。
 私たちは花火が始まるまで5時間ほどの、長い時間を一緒に潰した。コンビニやトイレに行く時はお互いの場所と荷物を見あった。道路規制が始まって、ごった返すように集まった人々が、歩道から車道へ一斉に場所取りで飛び出す時は、ふたりで共に確保してあった場所を守ったものだ。
「ここは取ってたのよ!」
 無礼にも今来たばかりで、早い者勝ちだとか、この場所取りが祭りらしくて燃えるんだ、などと笑っていた青年を老婆は一喝してくれた。そこは私が老婆に会う前に新たにやってきた青年グループから道路の場所取りの方法を教わって、ガムテープを貼って確保してあった場所であり、私はこの時ほど、場所取りの(所有権の)正当性を主張することに対して、何の嫌悪感も後ろめたさも感じずに、誇らしく、感動的にさえ感じたことはなかった。
 老婆はガムテープの場所に荷物を散りばめて、持参の小さな銀のシートを引いて守った。
「こっちの方が花火見えますから、こっちに着たらどうですか」
 そう訊くと、私たちは見るだけだからいいと言う。
「あなたは写真を撮るんだから、そこがいいわよ。三脚倒されないよう気をつけてね」
 私にもっともよい一角を与えて、後の広いスペースを狼藉者を寄せ付けまいと必死だった。三脚を立て終わって見ると、しかし、取って置いた場所のほとんどは老婆が礼儀正しい侵入者たちに分け与えていて、私たちのスペースはちょうど程良いものに仕上がっていた。彼女の旦那さんのスペースがわずかに残されていただけであった。
 

 75歳だという彼女はタクシーで現れたのだ。
 旦那さんと一緒だったそうだが、私は見ていない。荷物を引いて、笑いながら近付いてくる婦人を目にしたのが初めての出会いだった。
 彼女は歩道の脇に座っている私の隣に椅子を立てて座った。2mほど、離れて、近すぎない距離感も良かった。時々、ぽつぽつと会話をして―天候や花火大会についてのことを― そうするうちに次第に老婆はずいぶんと快活にしゃべり始めた。
 自分が数年前に事故をして、今は1級の障害者であること。以前は旦那さんと一緒に3件の店を経営していたこと。今は台東区の池之端に住んでいること。汗腺が体の右半分ふさがれてしまい、頭皮から足から汗が左半分しか出ないこと。国内から海外からあらゆるところに旅行に行ったこと。リゾート施設の会員で、安く泊まれる旅館やホテルをたくさん持っていること。
「宿泊券が毎年たくさん送られてくるから、あげるわよ」
 老婆は名詞をくれて、連絡しなさいね、とまた笑う。彼女は本当に幸せそうに笑いながら、今まで行った土地の話をするのだった。
「今になると思い出しか残らないけどね。それがホントに大切なのね」
 10年前まで、日本万歩クラブと言うところに所属して、機材を揃えて写真も撮ったし、山にもずいぶん登ったのだと言う。目を細めて遠くを見るのだ。
「ホントにね、楽しかったぁ~」
 マンポマンポと繰り返すので、初めは何のことだかわからなかった。仲間と出かけたたくさんの記憶は、彼女の中で大切に保存されていて、会話になれば当たり前のように出てくるのだ。するりと、まるでクラブを知らない人がいるなど思いもかけずに。
 それとももしかしたら、それはそう軽いものでもなかったかもしれない。宝石箱を紐解くように、私に話して聞かせたのかも知れなかった。私は彼女が自分の母親と同じくらいの年齢であること、そしてこの万歩クラブをいとおしそうに語る口調に親近感を覚えた。もしかしたら、私が母のように老いるように、彼女の姿は私の数十年後の姿ではないかとふと思われた。誰かが、もしかして神が、ふと悪戯をして、この遣われた老婆を通して、私の未来の姿を見せているのではないか・・などと。
 私はつい昨日、ここ2年余りの撮影旅行でためた資料、―観光地や公園の案内図やパンフレットや手書きの地図や・・ そんなものを目にして、いとおしんでいたところだった。
 いや、それともそうじゃなくて。
 老婆は私がなれなかった私の姿なのかもしれなかった。もしも、どこかで歯車が違っていたら、今の私は彼女のように、30年後の私は彼女のように、笑っていたのかもしれない。
「ホントにね、楽しかったぁ~」
 と遠い目をして思い出しながら。
 私は親近感を覚えた老婆がふいに遠い存在になったように思えた。それからなぜ突然、まったく真逆の幻想を思い浮かべたのかわからなくなって混乱した。しかし次の瞬間には、それがなぜだったのか手に取るようにわかって、そうして今度は哀しくなった。
 花火のせいだろうか。隅田川の花火大会は、どこか陽気ではない。去年のこともあるけれど、この、場所取りの手順も知らぬほど私にとって馴染みあるものではないはずの花火大会は、どこか遠い昔のもの哀しい記憶と結びついている。地元の町だって、海で見た花火だって、ただ喧騒と華やかさしか覚えていない。いったいなぜなのだろうかと私はいぶかってしまう。

 花火大会が始まるとすぐに老婆の旦那さんがやってきた。彼女は浅草通り沿いにぎっしりと埋まったブルーシートと人々をうまい具合に避けながら、彼の傍に行って、そうして道を作るのだ。こっちよと導いて。
 旦那さんは私の顔を見ると満面の笑みを浮かべて挨拶をした。自営していただけのことはある。サラリーマンを定年退職した旦那さんだとこうは行かないのではないかと場違いなことを思う。二人はラジオで野球の結果を聞いたり、携帯でテレビで放映中の第一会場の花火を見たりと忙しい。そのうち食事も始めるのだった。私は三脚やカメラの設定を再確認している。
 もうここに来てから、5時間経った。写真撮影のためにこんなに待ったのは初めてのことだった。その割には、私は無駄な労力を遣ったようで、花火は最後にはメルセデスベンツのビルに隠れて見えなくなってしまったし、(空は高かったが、下が詰まっていたのだ)もっともっと後に来ても、ぎりぎりに来た人でさえ座れていたから待つ必要があった場所なのかどうかも疑わしかった。
 それでも私は老婆と一緒に待って、この場所で写真を撮れて良かったと思っている。

「ちょっと、写真撮ってるから、座ってあげてよ」
 私は何度かそんな台詞を聞いた。写真を撮るのに夢中で、花火が始まったら最後、彼女のことを忘れてしまってはいたが、時々、そんな言葉と、それからあまりの静けさに、振り向いたものだ。
 彼女と旦那さんはまるで小さく座っていた。彼女たちの相手もせず、写真を撮り続けていることに、急に申し訳さを覚えたものだ。
 去年のように、気が付いたら消えてしまっていたら― 
 そんなことになったら嫌だ、とはっきり思っていた。













 
 
 ふと、足が引っ張られた。私の足元のシートを老婆が引っ張っているようだ。見ると彼女と旦那さんは帰り支度をしている。電車や道が混むのを恐れて、そろそろ帰り始める人たちもちらほらいるようだ。
「今日はありがとうございました」私はお礼を言った。
 去年言えなかった分も言った。
「いいのよ、名詞に連絡してね。さっき言ってた旅館の券を送ってあげるわよ」
 海辺の真正面で、花火が見れるその旅館に、先ほど私が興味を示していたのだった。
 それでも彼女たちはまだ席を立たない。
「最後まで見て行かなきゃね」
 まるで私を励ますように笑うのだった。私は次第にビルの陰に隠れていく花火に苛立っていたのだが、その笑顔を見て、たとえ半分しか写らなくても頑張って最後まで撮り続けようと思った。
 またファインダーを覗いていく。そうして、今度目を離した時には、その時こそ彼女の姿は消えているだろうと予感していた。




 今年の隅田川花火大会が終わった。
 私は浅草通りを下っていく。目の前には、スカイツリーがそびえていた。
 その姿はだんだんと大きくなり、真横を通るころにはもう見上げても第一展望台を見るのも骨が折れるほどだった。屋台。夜店。冷やしマンゴーに、切り売りのスイカ。列をなすコンビニの入り口。
 もちろんスカイツリーの天上は見えない。でもたとえ完成した後でも、この塔は天上が見えないのではないかと思われた。あるいは雲のせいで、あるいは塔の下の部分に隠されて。
 私は人々に紛れながら喧騒の中を行く。橋の上では宴会。地べたに座る浴衣の少女たちがお酒を飲んでいる。

 東京タワーの時はまだ天辺が見えたのになぁ・・・

 私はひとり文句を言い、撮ったばかりの写真を見ながら歩いていくのだ。
 去年より少しはうまくなったと。
 老婆にそう報告したいものだと考えていた。