2010年10月31日

神なき国中国、米国の庇護も得られず、日本捕獲にあの手この手の必死の様相か。

 

 重松清さんの「ヱビスくん」と言う物語にこんな一節があります。


「ここが嫌なところや、あそこが好かん、引き算して仲良うなる友達もおってええんやないかなぁ」

「だって、ヱビスくん強いんやもん、強い人は引き算してもええねん、わがままでも乱暴者でもええねん。」

「ぼく、男の子やさかい、強い人のこと好きやねん」







 


「日本と中国は一衣帯水。戦略的相互関係の基本は変わっていない」(菅首相)





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「ドタバタ日中首脳会談「会談ありきの菅政権に痛撃」
 
 各国首脳がそろう中、一方的に首脳会談を拒否された上、翌日には非公式と称して10分間の会談を演出させられる-。

 菅直人首相はベトナム・ハノイで、再び中国外交のしたたかさを思い知らされた。

 (msn産経ニュース 2010年10月31日)

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 首脳会談をドタキャンされたと思ったら、翌日には非公式の10分会談が実現した日本と中国。

 菅首相はやっと恩首相のお顔を拝見し、お言葉を頂戴することができました。



 この記事で私が思い出したのは、ガンジーと呼ばれている「ヱビスくん」の物語です。

 ある種のいじめっ子は、相手をいじめることでしか、隣人(友人)を得られません。



 日本と中国は一衣帯水、菅首相の言い分もごもっともです。

 

 だけど・・・









『ヒグマは縫いぐるみではありません』





 
 危険を知りながら好きになる必要も、無理して近づく必要もないのです。

 ましてや先に相手から断って来た話です。
 10分間の恩寵的会談など、かっちり断ってやりましょう。



 日本にとって、それが一番の身の保全です。





*日中関係を多発する熊の事件に置き換えた面白い記事です。ぜひお読みになってください。

 【産経妙 10月24日】

2010年10月30日

日本の森が、里山が危ない! ~事業仕分け最終日蓮舫節が炸裂!~

 
 


 暇を持て余して、人生の計画書を作った。


 2年後には念願の白神山地、4年後にはやはり念願の屋久島旅行を決めた。






 が、





『仕分け前半最終日、国有林野事業特会にメス』


 同特会は、伐採した木材の販売益などで国有林の管理運営を行っているが、木材価格低迷などで債務が累積している。

(2010年10月30日14時10分 読売新聞)










 国有林野事業特別会計は 木材販売の収益などを財源に、国が保有する森林などの管理・経営や治山対策を行っている。

 同特会で管理する森林は758万ヘクタールにも及ぶそうだ。


 もちろん、中には白神山地や屋久島など世界遺産も含まれている。



 林野庁を解体しろと言う意見も仕訳人から出たそうだ。

 借金が1兆3000億円もあるんじゃ仕分にかけられてもしかたないが、758万ヘクタールって日本の国土面積の約2割を占めるそうじゃないか。

 もしも、民営化になったりしたら。 素朴な疑問だが。





『中国人に買われないですか? 』








 日本の荒れ地は中国資本の標的になっている。
 また水不足から中国は日本の水源地を買い漁っている。



 そこのところ分かっていての仕分けなのだろうか。
 今は無駄を省いていいとして。
 国民負担を減らしたヒーローになれたとして。

 将来的に。












『ホントに中国人に買われないですか?
蓮舫大臣 』






 借金1兆3000億円の債務と引き換えに日本を売るつもりか、仕訳人。

 まさか日本の国土面積の約2割を買収されかねない危険にさらすつもりではないだろうな。



 人生計画にも狂いが生じそうだ。
 悲願の白神山地と屋久島旅行、急がなくては!

 


 

反面教師の国、大暴走。 ~中国、首脳会談を直前にキャンセル!~

 



 また中国が会談をキャンセルしたそうだ。
 また、と言っては悪いが、中国はいつもドタキャンする。気分次第で相手を振り回すわがままな国だという認識は、そろそろ大方の共通認識ではないかと思われる。

「中国のような人間にはなりたくない。中国との信頼関係はマイナス2万点だ」
YOMIURI ONLINE 2010年10月19日 「橋下知事の万博招待、中国が一方的キャンセル


 中国は中国人の人格を貶めているとしか思えない。

 ところで、なぜ突然首脳会談をキャンセルしたのか、あまりにも理解できなかったので、ニュース記事を追ってみた。


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 【ハノイ時事】中国外務省の胡正躍次官補が29日、ハノイでの記者ブリーフィングで語った内容は次の通り。


 周知の通り、中国側は一貫して、中日間の四つの政治文書を基礎に、中日関係の維持と推進に力を尽くしてきた。しかしながら、東アジア指導者による一連の会議の前に、日本の外交当局責任者は他国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった。日本側はさらに、同会議の期間中、メディアを通じて中国の主権と領土保全を侵犯する言論を繰り返した。

 楊潔※(※=竹カンムリに褫のつくり)外相は中日外相会談で、中国側の釣魚島問題における原則と立場を説明し、釣魚島と付属の島が中国固有の領土であることを強調した。その後、日本側はさらに、外相会談の内容について真実と異なることを流布し、両国の東シナ海問題の原則と共通認識を実行に移すという中国側の立場を歪曲(わいきょく)した。日本側のあらゆる行為は衆目が認めるように、両国指導者のハノイでの会談に必要な雰囲気を壊すもので、これによる結果は日本側がすべて責任を負わなければならない。(2010/10/29-22:43



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 なんだか難しく聞こえるが、大まかに言えば以下の3点がお気に障ったようだ。


 1.日米でつるんで中国の利益を侵害している。

 2.前原外相の(強気な)発言が気に食わない。
 
 3.日本は嘘を吹聴して、中国の立場を歪曲した。
 
 
 1はクリントン米国務長官がハワイでの前原外相との会談で、尖閣諸島は日米安保条約の適用対象になる、と明言したことを言っているようだ。
 中国側の言い分は、
 
「日米安保条約は冷戦時代の産物で、日米2カ国間の合意だ。第三国の利益を損なうものであってはならない
 
 だそうだが、国家間の利益とは常に相反するものではないか。
 なんで日本の利益が中国と一緒にならないといけないのか。
 日本は国益や国民の安全が侵されたら、守らなければならない。日米2カ国間の合意がある以上、当然同盟国の米国だって出てくるだろう。
 
 中国様が自分の国の利益ばかりを追い求めているから、第三国(日本)のそもそも持っていた利益が損なわれているのではないか。
 
 それに冷戦時代の産物ってなんだ?
 今ソ連に代わる脅威は中国ではなかったか。
 確か先日こんな記事を読んだばかりだ・・・
 
 
 『中ロ首脳が共同声明 戦略的パートナーの深化強調』
 asahi.com 2010年9月28日
 
 
 
 
 2だが、「日本側はさらに、同会議の期間中、メディアを通じて中国の主権と領土保全を侵犯する言論を繰り返した。」というのは、 「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と日本の主権を明確にする前原外相発言にまつわる一連の報道のことを言っているのではないだろうか。
 中国はそれに対して、「連日、中国を批判するコメントをしている」と苛立っているようであった。
 
 日本の外務大臣が日本の立場を明確にするのは当然の話で、それに対して、名指しで個人攻撃をしてくる中国政府のほうがどうかしている。
 そんなことを言うなら中国外務省の姜瑜(Jiang Yu)報道官こそ、連日日本を批判するコメントばかりではないか。批判というよりも、暴言、いや脅迫に近い、高圧的な言い方に感じられるがどうなのか。
 
 


 前原外相なんて彼女から比べると、蚊の鳴くような声で、日本の正当性を絞り出しているという感じ。いじめられっこみたいに見えてくるから可哀想なものではないか。
 
 
 
【正論】日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一 許してならぬ中国の「前原外し」 
msn産経ニュース 2010年10月27日



 


 3の中国の立場を歪曲しただが、これは東シナ海のガス田のことを言っているのだ。
 フランス通信の配信記事の誤報を見て、中国は日本が嘘を流出したと決めつけた。
 何が嘘かと言えば、ガス田共同開発の交渉再開には合意していないのに、と言うわけだ。
 
 『外相会談の内容について真実と異なることを流布し、両国の東シナ海問題の原則と共通認識を実行に移すという中国側の立場を歪曲(わいきょく)した』

 おまけに、中国の「共通認識」に基づく立場を歪曲した、と言う。
 要するに難くせつけてはいるけれど、結局は「権益の範囲」は中国側の言い分が正しいのだ(だから交渉に合意するわけがない)、と言うことを主張したかっただけではないか。
 国際海洋法条約など守るつもりもないし、日本の交渉を求める努力など鼻から意に介さないと言っているようなものだ。
 中国にとって自分の「権益」が第一なのだろう。
 
 それはあたりまえだとしてもいい。
 しかし、なぜそのことに対して、



「これによる結果は日本側がすべて責任を負わなければならない」


 なんだろう、いつもいつも。


 私は首脳会談を中国がキャンセルし理由を探して、冒頭に引用した中国外務省の声明を読んだときに、このラストの一文でげっそりしたものだ。

 中国は常に、何を言っても、何を行っても、何の責任も生じない。
 いつだって、中国が不幸なのは日本のせいである。

 犯罪を受けたのも、辱めを受けたのも、強奪されたのも、すべて日本の責任だといわれているようで、もちろんそれは中国の話ではなく、犯罪を受けたのも、辱めを受けたのも、強奪されたのも日本であって、なのになんで加害者に責任を押し付けられなければならないのか、と言う思いが拭い去れないのだ。
 中国から見たら、日本こそが加害者で、自分たちは哀れな被害者なんだろうな。

 やはり中国のような人間にはなりたくない。




  
 

2010年10月27日

地方参政権付与法案クライシスを抜けたら、そこは常設型住民投票条例がはびこっていた。

 


  
 2010年6月2日、鳩山首相、小沢幹事長辞任。


 



 親中政権崩壊。




 2010年7月11日、参議院選挙で自民党が圧勝。





  
 ねじれ国会成立。







 ―というわけで。


 ついに、危機は脱した。
 民主党政権があんなに焦っていた外国人参政権付与法案の成立は、これでまず、当面の間は阻止できたと思い込んでいた。




 
 ところが・・


 なんととんでもない伏兵がいたのだった。



 その名も、 「常設型住民投票条例」

 ※拡散します。 「ねずきちのひとりごと」

 



 川崎市議会は永住外国人らを含む18歳以上に投票資格を認める市提案の常設型の住民投票条例案を市議会本会議で可決成立。


 この投票資格は「永住外国人や日本滞在が3年を超える外国人らを含む18歳以上の住民」とされている。
 在日韓国人2世で外国人と地元住民の交流施設「ふれあい館」(川崎市)館長のぺ・チュンドさん(63)は「当然の権利で、喜ばしい結果だ。在日外国人が行政参加するための第一歩」と評価した(共同通信)
(やまと新聞 2010年8月21日)



 
 記事によると、川崎市と同様の条例は、愛知県高浜市、埼玉県美里町、広島県広島市、岡山県哲西町、茨城県総和町、香川県三野町、石川県宝達志水市、千葉県我孫子市、広島県大竹市、埼玉県鳩山町、北海道増毛町、北海道静内町、北海道三石町、三重県名張市、東京都三鷹市等で成立しているそうで、そのうち6県は外国人参政権に反対する県だというのも驚きだ。
 
 
 そして、この実質的な外国人参政権である常設型住民投票条例は、国会を通す必要のない、地方自治体の条例であるのをいいことに、国民の目を盗んでひっそりと浸蝕していたのである。
 
 民団のHPによれば、なんと2002年から始まっているではないか。
 
 ※条例を一部修正可決 永住外国人にも住民投票権(02.12.04)
 
 
 
 
 こうなってくると、「外国人参政権」という単語は国民を欺くための「目眩まし」か。
 
 「スケープゴート」か。と疑ってしまう。
 
 
 それとも、民団と政府との間で、暗黙の了解とされた「隠語」か?と。
 
 
 
 闇法案と呼ばれた「地方参政権付与法案」も、最近はずいぶんとその違法性が広まってきている。危険性を訴えた本も多く見かけるようになった。
 憲法違反という解釈が定着しつつあり、政府も簡単には成立できない状況に追い込まれた。
 しかし有名になったのは、「外国人参政権」の話だ。
 もしもこれが隠語ならば、政府は「何だかんだ言っても民主党はそんな危険な法案を通しません」と、国民に対してポーズを見せていただけかもしれないと思われてくるではないか。
 陰でこっそりと、民団の意に添うよう手をまわしていたという可能性すら浮上する。
 
 
 
 
 
 
 
 あの小沢一郎が訪韓した際に、「外国人参政権」を成立させると約束したのは、実はその頃にはすでにあちこちで成立していた「常設型住民投票条例」のことを言っていたのではないか。
 小沢も、韓国・朝鮮も民団もみな承知で、日本国民だけが騙されて、「外国人参政権」という言葉に惑わされていたのではないか。
 
 
 でなければ、「外国人参政権」に飛びついて、拡散して、当面は阻止できたかと安心してしまったものたちのなんて愚かなことよ。(まったく阻止できてないではないか。)
 
 たとえこの先もずっと、そこだけは死守できたとしても。
 常設型住民投票条例のように、言葉尻を変えて、実質的に同じ内容の法案が広まっていく。知らず知らずのうちにこの国を侵食していく、という可能性あるだろう。
 そのことに気が付いて、ぞっとした。
 
 もっと注意深く、見ていかなくては。
 
 

2010年10月25日

横浜APEC迫る! ~TPP締結に向かう前に読み返してもらいたい農村基本計画書~

 
 「食」を生み出し、「地域」を支える農業は、日本で暮らす私たちの「いのち」を支える基礎となるものです。
 本年3月、政府は、こうした「食」と「地域」の再生を図るための基本指針となる新たな「食料・農業・農村基本計画」を策定し、国家戦略の下、「国民全体で農業・農村を支える社会」の創造を新たに掲げました。
 日本の農業・農村というすばらしい財産が、未来の国民に手渡されるよう、政府一体となって、関係施策を強力に推進していきます。
 ―農林水産省 あらたな農政の展開~食料・農業・農村基本計画について~より―



    


 横浜APEC(アジア太平洋経済協力会議)まで1か月を切った。日本が舞台だけに、政府も成功させようと必死の様相である。
 菅首相はアフリカ開発会議(TICAD)で北海道洞爺湖サミットを経験した福田元首相を呼び出して、わざわざ助言まで頂戴したそうだ。

 で、主要議題となるのは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)である。

 ※TPP
 シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイの比較的貿易自由化が進んだ4カ国が加盟。豪州やペルーも参加の意向を示している。農産品工業製品のほか金融サービスなどで自由化を進め、15年までに各国間貿易の全品目の関税を撤廃する計画。(コトバンクより) 

 
 私は以前からFTAには反対しているので、将来的に、アジア太平洋自由貿易圏の構築を視野に入れてのTPPにも同様の立場である。
 第一、本当に関税撤廃で自由貿易して儲かるのか。
 ざっくりしたところでもいい、そんなにいいと進めるのなら、シュミレーションした数字の上はどうなのか。教えてほしいものだと試算とやらを探してみた。


 TPPに参加した場合。
 「輸出が8兆円程度増」
 「実質国内総生産(GDP)は2兆3000億~3兆3000億」

 TPPに不参加の場合。
 「輸出は8兆6000億円減、生産は20兆7000億円減」(20年時点)
 「実質成長率を1%以上押し下げる」
 (10月23日 毎日jpより


 中国韓国、アジア各国が参加して、日本だけが参加しなかった場合、他国に輸出を奪われると仮定してこういう試算になるようだ。
 なるほど、単純に考えても、参加するとしないでは、輸出額で37兆円ほどの差額が出る。
 
 しかも、アジア各国が参加して日本だけが参加しないでは「取り残される」と焦る気持ちも理解できる。
 
 が、TPPを検討する際に政府が二の足を踏まざるを得ないのはやはり農業の問題だろう。
 私が反対する理由と同じだ。
 農林水産省によれば、関税全廃なら農業生産は4兆円減となるそうで、またそれを補てんするために、政府は約2兆円の農業支援策の検討をしているという。

 ということは、37兆円マイナス4兆円、さらにマイナス2兆円。
 で、それでも31兆円は儲かるわけだな、とここまで考えて、その31兆円は輸出額(売上高の総額)で利益ではないことにはたと気が付いた。
 純利益は2割だとして6兆円、もしも薄利多売なら1割で3兆円。万が一そうなってくると、政府の支援金2兆円というのはまるでばかばかしい話のように思えてくる。

 
 また、JAの茂木会長によれば、



 (茂木会長は、)菅直人首相がさきの所信表明演説でTPP(環太平洋連携パートナーシップ)への参加を検討しているとした発言を受けて、「(TPP参加となれば)日本農業が崩壊するのは必至だ」と強調し、「(TPP参加は)食料自給率の向上や食料安全保障を掲げて今春策定された『新たな食料・農業・農村基本計画』の理念と合致しない」と反論した。
 (10月24日 JAcomより


 

 TPPは自給力向上と食料安保とは両立できない。



 新たな食料・農業・農村基本計画書には、下のように記されているが、そのこともすっかり忘れててしまった試算のようだ。




『世界最大の食料純輸入国である我が国は、「経済力さえあれば自由に食料が輸入できる」という考え方から脱し切れていない。
 四方を海に囲まれた島々から構成される狭い国土条件の下で、1億2千万人を超える国民を養う必要がある我が国においては、国民に対する国家の最も基本的な責務として、食料の安定供給を将来にわたって確保していかなければならない。』




 今回のTPPの発想というのは、ほかの産業で儲かれば、農業は壊滅してもいい、日本の食料自給率は向上しなくても仕方がないというあきらめでしかなく、ならば、そのTPPで得られた輸出による差額金、いや、経済成長で、自由に、安全性を無視した他国の安い食料を買うということか。
 国民に対する、最も基本的な責務とやらはどこへ消えたのか?




  
『我が国は、これまでの農政の反省に立ち、今こそ食料・農業・農村政策を日本の国家戦略の一つとして位置付け、大幅な政策の転換を図らなければならない。』


 (同じく「新たな食料・農業・農村基本計画書」より)
 
 

 拍手を送りたい思いだ。鹿野農林水産大臣が22日の会見でやけに歯切れの悪い回答になってしまったのも頷ける。ここまで言い切った後に、横浜APECの成功と日本経済の発展のために、国民に対する責務も、国家戦略も、あっさり投げ捨てられてしまうのでは、国民感情としていただけない。



 鹿野農林水産大臣、言ったことは守ってくださいよ。


 食は人の、それから国の基本である。
 95%の産業のために、5%の農産業を犠牲にすることが本当に理にかなっているのか、私には疑問である。
 またたとえ経済問題と切り離しても、他に倣う国民性から韓国や中国に、世界において行かれることを懸念しているならば、そんなことはうっちゃてしまえと言いたい。

 
 『さらに、農業・農村の活性化は、良質な水・空気を生み、多様な生物を育む。また、水源のかん養、美しい景観・伝統文化の継承、国土保全への貢献は、人が人らしく生きることを助け、子どもが自然に親しみ、豊かな人間性を育む土壌になる』


 自分たち政府が作ったものだろう。「新たな食料・農業・農村基本計画書」をよくよく読み返してほしいものだ。
 
 
 
 

2010年10月24日

黄色の薔薇と10月桜 ~唱歌を口ずさみながらその2~



 
 mixiアプリにはまっている。
 中でもお気に入りのひとつが、自分やマイミクのキャラクターが話しかけてくれるというもの。秋になってこんな質問をされたのだった。

 「秋の歌と言えばなんですか?」

 答えは三択になっていて、「小さい秋見つけた」、「紅葉」、「赤とんぼ」、の中から好きな秋の曲を選ぶのだ。
 紅葉と言えば去年「唱歌を口ずさみながら」という記事の際に、散々歌った。思い出せない歌詞はインターネットで調べて見た。それで、秋と言えば、「紅葉」だと思うものの、私は歳のせいなのか、この歌をさっぱり思い出せないのだった。
 しかも、可愛いキャラクターは「小さい秋見つけた」と「紅葉」を選ぶと可愛い顔をくしゃっと歪めて、嫌がるのだった。あの高音は歌えないだの、秋の歌に「いちゃもん」をつける答えを返してくる。
 「赤とんぼ」を選んだ時だけ、にっこりと笑うのだった。「トンボのめがね」がいいと言って、喜んで。
 何度かアプリの中でこの質問に出会っているうち、私は彼らの笑顔を見たくて、秋の歌を選ぶようになっていた。
 思い出せない唱歌などどうでもいい。赤とんぼを親指で選択する。
 しかし、どうしても不思議なのは、「赤とんぼ」は「夕焼け小焼け~の」と言う歌だと記憶しているということ。「トンボのめがね」は・・・
 さて、どんな歌詞だっただろうか。
 私は心の隅にもやもやした思いを抱えたまま、しかしそう深くは気に留めず、日々を過ごしてきた。が、ある日ふと、「トンボのめがね」の歌詞を調べて見て、少なからず驚かされたものだ。
 可愛い彼女たちが笑う気持ちを理解できた。
 そして、去年散々歌ったお気に入りの唱歌、「紅葉」をさえなかなか思い出せないことが、必然であるかのように思えてくるのだった。


 神代植物公園に秋薔薇を撮りに出かけた。
 山に登りたいという渇望はあったものの、私は先週の、あのあまりにも満ち足りてしまった幸福感を失いそうで怖かった。
 もう少し余韻に浸っていたい。
 私があの山と、人生と両思いになるまでの長い年月を憚っていた。
 今人生は、黄金に輝いていた。ところが、おかげで、憑き物が落ちたように、様々なことに対しての熱意が失せた。これではいけない、と思うものの、私は惰眠をむさぼり、炭水化物を胃袋に詰め込んだ。
 寝て、食べて、寝て。
 神代植物公園に行った日も、寝坊をしてお昼近くに現地について、写真を撮る前にまず、総菜パンを食べている。入り口の溢れそうな人にげっそりしながら、いつも空いているからここに来たというのに、これでは意味がないとぼやきながら、人々のかしましい様子をぼんやり眺めて、ベンチに腰かけ、ほおばっていた。
 二つ買ったパンの一つは残された。撮影が終わったら食べよう、そう思ったら、ずっと私の頭はパンが離れなかった。黄色の薔薇を撮りながら、ずっと空腹を感じていたのだった。
 お腹も空いていないのに。これでは良い写真が撮れるはずもなかった。

 私は薔薇が大嫌いだ。
 桜とか、萩とか、小さな花が好きなのだった。小さな花が群れを成して世界を形成しているような美が好きなのだった。薔薇なんて、一本いくらの世界ではないか。
 ところが、今回薔薇を撮りに行って、私は薔薇が落葉低木だということに初めて気が付いた。
 英国風の鉄柵や門に蔦うように咲く姿、それから花屋の切り花しか念頭になかったのだろう。
 その固定観念で薔薇をいつも見ていたような思いがする。実際よくよく見れば、彼らは、背の低い梅の木よりもさらに小さな木ではないか。棘が生えているのは花の茎ではなくて、木の枝だ。ほんのりと赤い棘を生やした枝を広げて、実が生るように、美しい花をポツリポツリと咲かせている。
 私は勘違いしていたのだ。彼らも群れで世界を形成する美であった。一花が派手だという違いでしかない。薔薇と桜はよく比較対象にされる。そこには国や文化の違いをも象徴とされるが、私は、これからは二つの間に以前ほどの違いを見出すことはないだろう。
 神代植物公園の薔薇フェスタは、まるで薔薇の森だった。私は近所の森を散歩した時のように、木々の下をのぞきこんで、森の精が住んでいるかのような、小さな世界を探した。
 狙うは黄色の薔薇だった。
 黄色の花ならば、愛を持って美しく撮ることができるような思いがしていた。
 なかなか彼は私にその美しさを捉えさせてはくれなかったが、それでも見続けているうちに薔薇そのものを以前より好きにさせてくれたのは収穫だった。
 感謝をこめて、黄色の薔薇に、拙い花束を捧げたい。

  IMG_8656②  Happy Birthday ~君へ捧げて~薔薇の森で過ぎし日を想って IMG_8566②


 散々の薔薇撮影が終わるとすぐに、私はベンチに座って、パンを食べるのだった。
 今日は、最近時々見つけられる成功体験、―ファインダーを覗いていてふと「見えた!」と思えるあの瞬間―も決して訪れることはなかった。
 おまけに何だかとても眠い。帰ったらまず寝たいものだ。
 食べて。寝て。食べて。
 寝て。食べて。寝て。
 満ち足りている。ああ、なんて人生は美しいのか。
 笑ってしまいたくなるくらい落ち込んで、神代植物公園を歩けば、クヌギやコナラの雑木林の先にカエデ園。
 去年、紅葉を撮ったあの場所であることに気が付いた。今日は薔薇を撮りに来たのだ。黄色の薔薇のことばかり考えていた。思いがけず紅葉のこと、去年のあのちょっとした出来事を思い出して、私は懐かしく、仰ぎ見る。が、彼らはまだまだ青い葉を翻して、染まる様子さえ見られなかった。
 去年と同じ位置に立った。唱歌を口ずさみながら道行くたくさんの人々が浮かび上がってきた。薔薇が咲けばばら園に人が溢れ、紅葉が染まれば、カエデ園に行列ができて、今人っ子一人いない誰もいない楓の木の傍で私は日本人の、いや人間の習性を可笑しく思いながら、もう少し経ったらきっとまた来てやろうと決意している。
 年間パスポートだって買ったのだ。だからだろうか? 私は今初めて紅葉のことを思い出したふりをして、入園前にしっかりパスポートを買ってる。ここにはまたきっと来る。紅葉の染まるころ、桜の咲くころに、そして向日葵の咲くころ、夏の花を撮りに、体力をつけて、腕を磨いて、そのために何度も来るのだ。


 秋の夕日に 照山もみじ
 濃いも薄いも数ある中に


 「トンボのめがね」の歌詞を調べてから、私は「紅葉」の歌を健忘することはなくなっていた。
 すらすらと口ずさんで、雑木林を歩いていく。空を見上げると背の高いユリノキがところどころ染まっていて私をやさしく見下ろしていた。いいだよ。いいんだよ。と半身の黄葉はまるで私を慰めているようだった。美しい木だなぁ・・
 黒っぽい木肌はきめが細かく繊細な印象を受けた。初めはプラタナスかと思ったのである。空を見上げて、口ずさみながら見上げて、彼を見つけたのだった。
 それから秋の空を。まだ3時過ぎだというに、まるで傾きかけた秋の光を。
 「紅葉」から私の合唱は「トンボのめがね」にいつしか変わっていた。

 トンボの めがねは
 水いろめがね
 青いお空を飛んだから 飛んだから

 トンボの めがねは
 ぴかぴか めがね
 おてんとさまを
 見てたから 見てたから

 とんぼの めがねは
 赤いろめがね
 夕焼雲を
 飛んだから 飛んだから

 これが秋の歌なのか、正直わからない。しかし、私の人生には必要な曲のような思いがした。
 トンボのめがねを歌っていれば、友は笑ってくれるのではないか。
 ああ、歌いたいものだ。トンボのように生きていたい。
 空を飛び、おてんとうさまを見ていきたい。

 希望というよりは悲しみを胸に抱えて、帰り道を、まるで途方に暮れるように歩く私にユリノキの再来が訪れる。
 今度は桜の花だった。
 10月桜が一本、ひっそりと佇んで、花を咲かせていた。

IMG_8676②


 「わぁ、桜が咲いている」
 写真を撮っているとあとからあとから人が来て、その可憐な姿を絵にしようと、小さなカメラを向けるのだった。
 「綺麗だねぇ」
 人々が褒めると、私は自分のことのように嬉しくなった。
 木は2、3メートルほどの高さしかない。花はわずかに十数個位だろうか。春の桜のような生の息吹は感じられず、まるで雪のよう。今にこそ消えてしまいそうに儚く咲いているのだった。
 いいんだよ。いいんだよ。薔薇の花を美しく見ることができなくても。黄色以外の花をたとえ全部を好きになれなくても。
 大好きな桜を週末旅行の最後の最後に見られたことに不思議な必然を感じながら、私は桜の木を離れて、また道を歩き始める。
 もう少し頑張ってみようか。
 また立ち止まったら、空を見上げて、唱歌でも歌うつもりでいる。



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2010年10月17日

It's a beautiful world.  ~ブナの黄葉に彩られた鍋割山の道~

 

   

 どこから話し始めればよいのか。この山について話したいことはたくさんある。
 ひとりで、友人と、何度も登ったこと。本格的な山登りをした、初めての山であること。
 そして初めて、私が人生に失恋したことを、教えてくれた山であったこと。

 

 「すみません、鍋割山の山頂はまだ先でしょうか」

 少女に声をかけられた。息を切らしているようだ。
 下山を始めて、もう小1時間は歩いていた。まだまだ先は長そうだ。これから登るんじゃ大変だろうなぁ、と思ったが、この先も下るうちに何度も何度も、山頂を目指す人々に出会うのだった。もう秋だ。きっと日暮れも早いはずだ。もしかして山頂の鍋割山荘に泊まるのかな、とあとになって気が付いたが、そのときは彼らの様子に同情を禁じえなかった。

 「そうですね~ もうちょっとですよ」

 そうですね~を特に伸ばした。考えている風を装う。少女は察したのか、「はは・・ もうちょっとですね」と苦笑いをしてまた登って行った。少年と肩を並べて。 

 

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  この山がどうしてこんなにつらいのか。山頂でも、「こりゃつらい山だね」という山男たちの嘆きをずいぶんと耳にした。丹沢界隈でもそう高い山ではない。なのに、なぜ、若いころの私をあそこまで苦しめたのか。
 今になって冷静に理由を考えれば、まず、1272.5mという標高の割に、累計標高差が高い。コースにもよるだろうが、一般的なところでも1500mはあるのだった。そして、第二に、距離が長い。歩行時間は7時間近くに及ぶ。そして、第三に、二俣(登山コースの中間地点)から山頂までの一気の登りがある。約2キロで標高約800mを登る。これはあの大室山(犬越路から一気に550mを登る)のスケールよりも上手を行くのではないかと思うほどだ。


 小さなわりにはしんどい山であるのもうなずける。その割には、いつだって人気が高いのだ。
こちらの理由は、富士を望む山頂の眺望や、山頂の鍋割山荘の鍋焼きうどん、綺麗なトイレや、ブナ林や山頂の芝(寝転がると気持ちいい!)の素晴らしさや、登山コースも最近整備されてきたし、数え上げればきりがないだろう。が、若いころの私が惚れた理由は、沢野ひとしさんの山物語の影響だった。

 

 
 沢野ひとしさんは私が大好きな作家、椎名誠さんの友人で、彼らが学生時代に同居していたころの物語、「哀愁の町に霧が降るのだ」で初めて知った人である。沢野さんはのちに大手の会社を辞めてイラストレーター(または作家)一本で食べていくようになるのだが、当時から椎名さんのエッセーや物語には常に沢野さんが挿絵を描いていた。私はその脱力系の絵柄とどこか陰のあるユーモアに惹かれて、沢野さんのファンになった。椎名さんの物語の中で、また沢野さんはとても魅力的に描かれているのであった。(これは沢野さんによるところよりも椎名さんの人を愛する力によるものが大きいと思う)で私は沢野さんのエッセーも読むようになり、その中で、彼が愛した山が、かの鍋割山だったというわけだ。

 鍋割山に行きたい!

 その想いが日増しに強くなって、私は登る前から惚れてしまっていたのだ― 鍋割山への想いは募っていった。
当時は仕事も恋も何もかもうまくいかぬ自暴自得のとき、そんなつまらぬ日常の中で、彼への想いは私の逃避先となった。そこへ行けば人生が変わるように思われた。いや、そこまで深く考えていなかったかもしれない。でも、沢野さんや椎名さんたちのような友情や夢に満ちた、生活があるように思われたのは確かだった。体験したい。同じ思いを共有してみたい。

 

 ある雨の日の翌日、私は無謀にも単独で鍋割山へと向かった。山の好きな友人などいなかったし、(当時は山登りは若者には人気がなかった)沢野さんのように一人で登るのが粋なようにも思っていた。私が今でも雨の後に絶対に山へ行かないのはこの時の後遺症だ。
 そして、私はあっけなく、山に、そして人生に、失恋してしまった。

 

 当時、私が鍋割山に登って思ったのは、「山登りは過酷でしんどい」ということ。それは、逃避先でも夢の到来でも何でもなく、私の日常と全く変わらなかったという現実。
 それから、鍋割山が私に教えてくれたこと。山は、「私に対して、冷酷だ」という事実だった。
 私は二重に打ち負かされた。それでもしばらくは、山に登っていた。まるで、失恋した男を諦めきれずに、しつこく思い続けている、または健気に思っているふりをして自分を慰めているように。こんなことなんでもないの。私はそれでもあなたが好きよ。
 しかし、心の中は哀しみと絶望でいっぱいだった。確かに、山の山頂で私はわずか以上の達成感を得られたと思う。だけどそれだけだった。彼が与えてくれたのはそれだけだった。

 

 登れるだろうか? 私は何度も自問自答した。
 最近仕事の忙しさから夜のマラソンもしていない。体力が落ちてきている。1年前なら、あの鍋割山に登った20年前よりも体力があると自負できた。けれど今は言い切れない。もう若くはない。あの頃よりダメに違いない。
 それでも、ずっと避けてきた鍋割山に登ってみたかった。今なら登れそうだという矛盾した想いを抱えている。
 私はあの頃よりも経験を積んだ。山のことも知った。傷つかない登り方を身につけたと思う。試してみたかった。
 20年経って、何を思うのか、試してみたくなったのだ。私はあの山に登れるだろうか。
 山は、人生は、まだ私に対して冷酷だろうか。

 

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 私は慎重にコースを選んだ。二俣までは軽いウォーキングと変わらない。その後の急登りが問題だ。後沢乗越から山頂に着くと、ぐるりまわって戻るには塔ノ岳方面の小丸へと向かう。この小丸は鍋割山山頂よりも標高が高い。何度か登った際、山頂の後に、またしても尾根沿いの登りが続いて、私はずいぶん参ったものだった。なので、今回は、二俣から訓練所尾根のコースを行くことにした。ここから行けば、先に小丸にたどり着く。そして、それから尾根沿いに下るようにして鍋割山へ向かって、下山しよう。
 後沢乗越の登山コースはまた段差が多いのだ。丸太の階段が延々と続く。登山というよりは、階段登りを続けているようで、あれは厳しい。訓練所尾根は行ったことがないが、私はたぶん自然のままの山道だろうと想像した。平成9年に閉鎖された県立登山訓練所の訓練コースだったというこの道はかつて多くの登山者を迎え、登山技術や知識、体力向上に利用されたという。人工の山道ではありえない。そして、今は人けもなく、たぶん登りやすいはずだ。

 

 二俣までのウォーキングは体力馴らしにちょうど良かった。おまけに天候もいい具合に曇っていた。体力に自信がない時は、晴天でない方が救われる。また鍋割山の唯一のいいところは、始発のバスの時間が早いことだ。(始発バスで出かけても登山開始は8時や9時過ぎになるという山はざらである)
 私は一番で出かけて、7時過ぎには登り始めていた。あの頃よりも体力はない。経験と知恵と細やかな努力で補うしかない。
 もう二度と私は失恋するわけにはいかなかった。

 

 だが私は小丸経由の訓練所尾根入口を見つけられずに焦ってしまう。最初の障害だった。つい先ほど、二俣の傍で、登山訓練所を創設した山の恩人尾関広先生の石碑にお祈りしてきたばかりだというのになさけない。二俣の駐車場(ここまでは車で来られる)からすぐの山側にコースが始まるはずなのだが、見ると塔ノ岳へ向かうコースしかないのだった。あとは小さな沢を渡ったの、鍋割山への道、こちらは私が避けたい後沢乗越経由と標識に書かれてある。後続の者たちが私をぬかしてそちらへと向かっていく中、私は地図を抱えて途方に暮れた。訓練所尾根は小丸から塔ノ岳へと続いている。ならば、塔ノ岳へのコースに行けばたどり着くだろうか。


 推定でしかなかった。よほど大勢の登山者に続いて後沢乗越のコースを選ぼうかと考えた。何のことはない、地図には小さな沢が複数描かれていたのでわかりづらかったのだ、駐車場の山側ではなく、沢を渡ってすぐに後沢乗越から分岐する山側の登山道入り口があったのだが、その時の私は沢を渡ってしまえば、標識通り後沢乗越のコースだと思い込んでいる。
 想像で標識のない道を選ぶか、人の流れに続いて選びたくない道を選ぶか。良く考えろ。地図を良く見ろ。経験を思い起こせ。私は答えが見つかるまで、人々に抜かれるままにしておいた。そして、ふと後沢乗越コースを選んで人々の後に続いていく。道が変わる時は必ず標識が現れる。道しるべのない時は、たとえ完全に間違っていると思われる道でも、選んだ道を進み続けるしかないのだ。鍋割山へ。その文字を頼りに、沢を渡ると、すぐに、「小丸経由鍋割山」の標識を見つけた。
 私は歓喜した。登山者たちが一瞬見やって、または見向きもせずに、「鍋割山へ」と書かれた後沢乗越コースへ行く中、ひとり小さな登山道へと進んでいく。尾関先生に感謝した。たかが登山道にと可笑しかったが、この最初の始まりこそが重要だった。私と鍋割山の物語の中では特に。

 

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 訓練所尾根コースは案の定、自然のままの登山道だった。丸太の階段も、石段もない。おかげで道を探すのに苦労したほどだった。しばらく歩くと、小丸まで2000mの標識があった。またしばらく行くと、小丸まで1500mが。そして、次に1000mの標識が現れた。500mごとに標識を見ていると、次は小丸まで500mの標識があると思い込んでしまう。ところが、いくら登っても、500mは告げられなかった。私が見落としただけかもしれないが、もしもわざとならば粋な計らいだ。おかげで私は、まだまだ500m以上はあると覚悟していた矢先に、山頂(小丸)の展望を目にすることができたのだから。
 私は小丸まで2時間2キロの行程を思って、2時間のうちに、空っぽの頭でいろんなことを考えられると思っていた。この機会に、いろいろ整理したいことがあった。人生について思う。そのための鍋割山のはずだった。ところが、実際は、まるでけもの道の登山道の中、前後左右を見回して、誰かが歩いた後を見つけるのに精いっぱいだった。 

 道中、目を引いたのが、切り株だ。初めはクロマツ林(と聞いていたが、実際は赤松に見える、赤い幹の松が多かった)を、松ぼっくりを踏みながら歩いていった。次に、ヒノキ林、それからカエデ類と、林を形成する木々が変わっていっても、切り株は点在していた。山から片側の根や両側の根を持ち上げて、踊るような格好のもの、ひょうきんに伸びあがるようなもの、見ると一つずつ形が違って面白い。病のためか、日当たりを考えて、間引き伐採されたのものか、 そのうち私はこの切り株が墓石のように見えてきてしまうのだった。
 木の亡骸なのだと思えば当たり前だが、そうではなくて、死んだものを葬った導(しるべ)のように見えてきた。20年前はこんなに切り株があっただろうか。登山コースが違うからか。20年前の記憶をまさぐる思いから、私は今と昔の感覚が入り乱れた。当時の私の世界が今いるこの山で、そしてその頃の私はその中の一本の木であったかのように思えて来た。私はあまりにも弱い木だったから、周りの木々を伐採しないと生き残れなかったのではないか。そう思うと、山の斜面に浮かび上がる墓石の切り株の一つ一つが、失った友や恋人の姿に重なってくる。マーシー、絵美ちゃん、むら。私はを彼女たちを思い描いて、それから今度は天高く伸びる松の木やヒノキを見上げるのだった。

 

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 あれは私が未熟だったから、壊れてしまったのは私のせいだからとずっと負い目を感じていた。何度も思い返して、自分を責めた。けれども、私という山にはそれしか道がなかったのかもしない。そうするのが必然だった、ふとそう思うと、自分の弱さに対する救いとように思えた。開き直りではなくて、あれは出来なかった過去ではない。私が選んだ過去なのだと。だが、もしも今ならば、私の山はもっと多くの陽を集めて、木々にお日様を当てることが出来る。伐採なんてしなくていいんだ。たとえ、当時も今も、日当たりの環境は同じであっても、私自身が以前のように陽を必要としない。周りの木々に分けてあげられるはずだ。そして、木々の病だって耐えられるはずだ。


 いつしか私は、鍋割山の登山道を行きながら、この道と私の歩んできた人生とを重ねていた。時々切り株に手を当てて、声をかけた。足元の花々、アザミやセンブリ、リンドウ、小さな白い花に黄色の花、名もなき花々が私の道を飾ってくれていた。落葉を探す。色付いた葉は僅かで、去年の落葉樹の葉がほとんどだった。まだブナの葉は見付けられない。

 私はブナの落葉を見つける、つまりブナの木を見つけた頃が標高1000を越えたころだと見当をつけていた。「小丸まで500m」の標識がもう決して現れないこともうすうす感じていた。ブナは現れない。カエデの葉は時々黄色く染まっているが、まだまだ青々と茂っている。
 私という山(私の人生)はまったく私を感動させてくれそうもなかった。無事登りきること、小さな秋を見つけること、この二つが今日の目的であったのに、やっぱり可愛げのないことよ。
 それでも、冷酷ではない。


 20年前との差に驚くほど、山はたやすかった。不思議と私は体力を消耗していなかった。水はついに鍋割山頂まで500mlのペットボトル一本さえ必要としなかった。多少、最近の運動不足から足を気だるく感じたくらいで、息切れもしなければ、疲労もない。先日登った大山よりも楽に感じた程であった。

 ブナの葉を見つけた頃、拍子抜けした思いは喜びに変わった。足元のアザミや花々はいっそう数を増し、まるで花畑の中を歩いているようだった。私の道はこんなにも飾られていたのか。そして、ブナが見え始めた頃、切り株も背の高い木々も姿を潜め、ふと見上げれば届くほどの木々が道なりに立っていた。ああ、そういうことかと。たとえ日当たりの悪い山であっても、上まで登れば、関係ないのだな。もう日光の奪い合いはないのだ。奪い合いのないほど、高く登れば、もう切り株なんて必要ないんだ。私はそんなふうに納得して、その思いをすっぽりと気持ちに当てはめて、それからまた可笑しくなって笑う。今度は立ち枯れなんて言わないでくれよ・・・

 

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 花の道はとうに明るくなっている。天空の視界が開けて、霧のなかに聳える丹沢の山々が見渡せていた。私の視界と同じくらいの高さだった。小丸は近いな、そう思いながら道を行き、ふと見上げると、いや、見上げても、ブナがない。私は思わず花道を駆け上がった。
 緑の草の中、花が咲き乱れ、その先に眼下の眺望が見えるではないか。
 わーっと叫びたい思いだった。あいにく、富士は見えそうもない。空と町の景色は霧で繋がっていた。それでも登ったのだ。紅葉の秋も探せなかった。松ぼっくりと栗と名も無き小さな花しか撮れていない。それでも、過酷とも思うこともなく、私は登りきったのだ。山を満喫しながら。

 

 小丸から尾根伝いに今度は鍋割山山頂を目指した。彼の山はここよりも低い。もう大丈夫だ。
 私は20年前の体験からずいぶんこの山のハードルをあげていたものだ。丹沢の他の山を登って来た経験が生かされたのだろうか。ああこれから丹沢で一番つらく感じた山は塔ノ岳にしよう。いや、でもまだ下りがある。鍋割山の長い道のりと急な傾斜の下りの道は決して軽んじてはいけない。
 気を引き締めて、鍋割山を目指した私を向かい入れたのは、しかしブナの黄葉だった。

 

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 小丸から鍋割山への尾根沿いにはブナ林が続いていて、赤く染まることのないブナたちがほんのりと、黄色く色付いては立ち並んでいるのだった。

 初めは、何となく黄色いじゃないか、少しは秋らしいな、と思いながら写真を撮っていた私も、次第に目を見張った。尾根沿いに続くブナたちは、行けども、行けども、僅かに、ほんの僅かに世界を染めては、私を包み込むのだった。

 その、なんと美しいことよ。

 

 私は間抜けに口を開けて感嘆した。It's Beautiful World.

 

 頭に浮かんだらもう離れなくて、私は次々に現れるブナを撮りながら、顔をくしゃくしゃにした。
 こんなに世界は綺麗だったか。

 

 涙が止まらないのだった。
 どうして、気が付かなかったのだ。どうして、20年前には気が付かなかったのだ。
 あの頃の私には見せてくれなかったのか。今の私にだから、この美しき姿を晒してくれるのか。

 

 It's Beautiful World.
 こんなに世界は綺麗だったか。

 

 鍋割山に辿り着くまで、この美しき世界は続くのだった。時々、登山者とすれ違うと、私は泣き顔を見られたくなくて、ファインダーを覗いた。
 「こんにちは」
 それでも彼らは私に声をかけて通り過ぎていく。
 途中ブナたちはカエデに変わって行ったが、私には同じことだった。今、世界は美しかった。

 

 

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 私はこの美しき姿を持って、私を受け入れてくれた山に感謝した。
 そうだ、今度から。
  山の下の、現実の世界をこそ冷酷に感じた時は、ここへ来よう。
 そうすれば、すべてを耐えられるような思いがする。

 鍋割山の山頂に寝転んで空を見た。
 登山者たちの話し声や笑い声が聞こえてくる。
 鍋割うどんの湯気に、風に揺れるリンドウに。

 今霧は晴れて、青空がいっぱいに広がっていた。

 ああ、なんて。
 世界は美しい。

 

 

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2010年10月15日

『悪者PRで領土まで奪われそうだと言うのに、それでも・・の怪』 ~日本が中国に毎年12億ドルの援助~

  
 「日本が中国に毎年、12億ドル(約1080億円)の援助を送る」


 昨日の産経新聞だが、日本が未だ中国への政府開発援助(ODA)の最大額を送っていると言う。

 記事はこう締めくくる。



  日本はもう中国への援助は一切、やめるべきである。中国自身が多数の諸国に援助を与えている一事をみても、結論は明白だろう。






 おじさんが愛人に貢いでいたら、愛人は若いホストに貢いでいる、と同じような図式だろうか。
 あまりに馬鹿馬鹿しくて、泣けてきそうだ。



 で、関連して面白い記事を見つけた。
 
 
 
 
 
 『情けは人のためならず。この言葉はODAにこそ当てはまる』




 と言い切る信濃毎日新聞(10月3日信濃web)、なぜかと言えば、援助した国は結局はその国の陣営にとどまり国益を与えてくれる、と。
 援助した国が発展すれば、輸出入を通して経済的利益が得られるから、と言いたいようだ。
 それから、もうひとつ。援助によって整備された橋や道路、空港等の施設は、援助先の「日本」をPRし続けてくれるだろう、と。
 以上の推察から、貢ぎ続ける日本は自分のためにやってるんだよ、と結論付けたいようなのだが。


 あと、中国は戦争の賠償金を求めなかったからその見返りの意味もあるのだとか。



 『中国経済は日本の援助もてこに成長を遂げ、今では世界経済の支え役になっている。対中ODAは、その意味が中国の人々に十分浸透していないうらみはあるとしても、戦後日本外交の成功物語の一つに数え上げていいだろう』



 誉められているのか、脅されているのか。
 いったいどこの国籍の人物が書いているのか、妙な記事だ。


 


 私がこれらの記事で、頭に浮かんだのは、「情けは人のためならず」ではなく、こんなことわざだ。





 『徒(ただ)より高い物はない』




 延々と続くODAが戦後補償のつもりならば、さっさと賠償金を払って終わりにしておけば良かったのだ。
 いつまで経っても、「賠償金を請求しなかった潔い国」だとか「寛大な国」だとか自画自賛して、日本に対して貸しのあるような顔をされているのが腹立たしいったらない。



 おまけに、確かに世界経済の支え役にはなってはいる。が、人々や国々(自治区)の自由や人権を奪いまくって、今や中国は悪名が上がりまくりである。




 そんな悪名高き国に、 『日本の海保の巡視船が、中国の漁船に体当たりしてきた!』などと、中国の上手を行く悪党呼ばわりされているのである。

 

 
 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で、海上保安庁が撮影したビデオ映像の公開を日本政府が先延ばし続けるなか、中国国営通信社や共産党系のインターネットサイトで、海保の巡視船側が中国漁船に衝突したとする図などが掲載されている実態が10日、明らかになった。日中首脳会談が4日に行われたにもかかわらず、中国当局も放任を続けており、中国政府の一方的な主張が“既成事実化”する恐れも強まっている。
 (10月11日産経新聞
 





 『援助先の「日本」をPRし続けてくれるだろう』



 ええ、PRし続けてくれていますね、と苦笑いするしかない。
 





   
 

2010年10月13日

『芽を見守る』  ~中国が外交方針見直しか?米国分析にぎょっとする~

    
  愛しいあなたへ。



 三連休もあっという間に終わって、

 また日常が戻って来たわね。

 ちょっとうんざりしていたけど、でも、
 
 あなたの育てている花の話を聞いて、少し励まされた思いだったわ。

 芽が少しずつ成長するように、毎日頑張っていれば、少しずつ、

 私たちも成長していくわね。

 

 勝たなくていいから、負けずに、くさらずに、少しずつ、

 一緒に歩いて行きましょうね。



  

☆☆☆☆☆☆

 
 

 中国が『核心的利益』を見直していると言う。

 核心的利益とは、中国がこれだけは絶対譲れない、一切妥協しない国家の核心的利益と位置付けているもので、今までは、


 台湾。 

 チベット。

 新疆ウイグル自治区。
 



 であったが、今年に入って、


  

 南シナ海。

 東シナ海。

 



 が加わった。(勝手に加わっていた。)


 ノルウェーとも『閣僚との会談相次ぎ中止』しはじめたあの暴れ馬中国のことだから、いったん言い出したらテコでも引かない。
 尖閣諸島を奪い取るまでは、あきらめるはずもないと、半ばうんざり気味に決戦を覚悟していたのだが、つい先ほど飛び込んできた国際ニュースだ。



 『中国が外交方針見直しか 米、南シナ海めぐり分析』


 米国防総省高官は12日、中国が南シナ海を台湾やチベットなどと並ぶ「核心的利益」と位置付ける外交方針を見直しているとの分析を示した。ハノイで一部記者団に語った。分析通りなら、領有権を主張する海域で周辺諸国の漁船を拿捕(だほ)するといった強硬姿勢が変化する可能性が出てきた。


 高官は最近の中国政府との接触を根拠に、胡錦濤政権内で「新たなアプローチ」が議論されているとの見方を示した。同時に南シナ海問題について「依然難しい問題だが、目前の危機状態からは脱した」と語った。見直しの理由には言及しなかったが、米国やアジア諸国からの懸念増大が影響しているとみているもようだ。

 中国の梁光烈国防相が12日の東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大国防相会議で、南シナ海問題に言及しなかったのも、方針見直しが背景にある可能性がある。(共同)
 (msn産経ニュース 10月12日


 


 これには正直驚いた。
 米国(防総省高官)が公の場で言うくらいだから、出まかせや想像ではなく、ちゃんと裏で話が出来ているのではないかと思われてくる。


 中国が『核心的利益』をあきらめる?

 強硬姿勢を今更しおらしく反省するくらいなら、ノルウェーへの対応は解せない。




 あの中国が南シナ海からいったん手を引くとして、一体交換条件は何なのか。


 思い当たるのは、人民元切り上げ問題。対中制裁法案の見直し。
 


 か、



 あとは、やっぱり東シナ海。(尖閣諸島)

 


 かなぁ・・・

 

  ASEAN拡大国防相会議でも、中国の進出が著しい南シナ海問題については各国から相次いで懸念が表明されたようだが、東シナ海については言及がない。
 上記のニュースでも南シナ海問題しか取り上げていない。


 前日、北沢俊美防衛相が日米防衛相会談で『東シナ海安定へ共同対処で一致』との確認を取っているので、まさかそんなことはあり得ないと思うが、もしも今後の覇権国家二カ国で、そんな密約が交わされていたとしたらとんでもない二枚舌な話ではないか。


 
 南シナ海で拘束していたベトナム船員を解放したりと、南シナ海問題では緩和した態度を見せている中国が、日中防衛相会談では防衛交流再開に慎重姿勢を崩さないなど、懸念材料は多い。



 『意見の違いは対話と協議を通じて解決していきたい』

 という梁光烈国防相の言葉の行方を、注意深く見守っていきたいと思う。


 
 
  
 

2010年10月11日

『ジャンヌ・ダルクを探して』

 

 

 

 そして、誰もいなくなった。
 この地球上で、私一人が取り残されてしまったような気分だ。

 家から15分ほどの森の中、蚊の襲撃に耐えきれず、逃げるように出口へと向かっていた私はふと携帯メールを見やった。
 深夜届いたGoogleアラートを転送したメールの、そのリンク先を親指で開く。
 忘れていた。あとで見ようと思っていたのだっけ・・・
 出てきたのは、臨時国会の稲田朋美議員の代表質問だ。

『我が党こそ我国唯一の保守政党であり、国民政党として名実ともに主権国家となり、単に経済大国だけでなく、社会正義の貫かれた道義大国を目指して、政権奪還をかけて、この臨時国会の激戦に臨んでいきます』

 タイトルにはこうあった。
『たった一人で民主党を、菅を、小沢を、岡崎をブチのめす。ジャンヌダルクの登場だ!』

 私はミズキの木の下に座り込んだ。この木は私が好んでいつも写真に撮っている。青葉のときも、枯れ枝のときも。だけど、今日は忘れてジャンヌダルクの戦いぶりをじっと見つめている。
 ああ、私がこうして立ち止っている間にも、一人戦っている人がいるんだな。
 

 私はその事実を知って、自分が恥ずかしくなるというわけでも、励まされるというわけでもなく、ただ安堵した。今この瞬間に、彼女の戦いを目にするということが何か暗示的なもののように感じられた。
 世界はまだまだ繋がっている。


 蚊の襲撃をまた思い出して、私は足早に森を抜け出した。携帯の画面を目で追いながら。

 

 

 忙しい毎日を送っていた。
 とにかく時間が足りなく感じられた。
 前回、録画して帰宅してから楽しみに見ていた国会中継も見る余裕がなかった。睡眠時間もわずかに削られた。
そうした少しずつのことが、ストレスとなって蓄積された。
 で、三連休を楽しみにしていたのである。
 久しぶりに、のんびりして、それから山に行って、思う存分楽しく過ごそう。

 ところがあいにくの雨であった。雨の後は山の地盤が緩むため滑りやすい。足腰にそう自信のない私は登山を延期することにする。
 日曜も天気予報では午後までの大雨注意報が出ていたが、午前中、早い時間にふとやんだ。そこで、近場の森に急きょ出かけることにした。

 私は雨上がりのこの森が大好きだった。
 木々や草葉はしっとりと濡れ、独特の芳香を放つ。雫をまとって煌めいている。まるで新しい命を吹き込まれて、生まれ変わったかのように、生き生きとして見える。
 それでいて、決して騒々しい様子はなく、落ち着いた静寂の空気に満ちているのだ。

 

 

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 あれだけ楽しみにしていた休日が雨でつぶされても、この雨のあとの森を見れただけで、私は幸せな気持ちになった。愛機のカメラに、EF50mmF1.8の明るめのレンズを付けて、ふらり森の中を歩いていく。

 何もかも新鮮に映った。春に白い花を見たヤマボウシはすっかり葉を枯らしていた。エゴノキももう実を落とし終えて、今だ青い葉に鋼のような幹を輝かしている。コナラのドングリもずいぶん踏んづけた。今年の猛暑のせいか、彼らは黄葉になるまえに、葉を茶色く枯らせている。

 めきめきっと静寂の森に大きな音が響いて、それもかなり長く感じられる間続いて、何かと思えば、細いエゴノキが一本倒れたのだ。
 マラソンをしていた女性は私のほうに駆けてきて、

「今木が倒れんたんですよ!」

 と泣きそうな顔で訴える。とっさに避けたのだと言う。

「突然倒れてきたんですか?」

 と私は、彼女を犯人扱いするかのようなまなざし。まさか木が、いくら雨あがりだからって突然自然と倒れてくるとは考えにくい。風もないのに、と人為的なものを疑っている。が、彼女はそれには答えずに走り去ってしまった。
 残されたのは私と、散歩路に横たわるエゴノキと、その後ろから歩いてきたおじさん。

「いやぁ、豪快に倒れたねぇ。さっきの子は若かったから避けられて良かったね」

 

 

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 私はそうですね、と笑いながら、まだ信じられない思いで折れた木の根元を探っている。
 もう少し、こうして倒れた木と一緒に、まるで弔うようにしんみりしていたかったのだが、次に走ってきた夫婦連れのランナーがさっさとエゴノキをかたしてしまった。通行人の邪魔になるからとか何とか、危ないとか何とか、語り合いながらまるで一瞬の出来事だった。
 彼らが過ぎると、今度こそは私と道脇に移動させられた木との二人きり。処理されてあとは土に帰るだけのエゴノキ。こうなると突然気まずく感じられて、私はそそくさとその場を離れていく。

 

 森の小路という散歩コースを選んでいく。細い道が気に入っている。しゃがみ込んで、道の柵から下をのぞくと、草の陰にはまた小さな草、それから花々が茂っている。
 アリエッティ? 森の妖精でも出てきそうだ。
 次第に太陽が出てきて、雨に濡れた葉をますます輝かせて行った。太陽に向かって、草を伝っていくかたつむり。きらり光る蜘蛛の巣に、巣に引っ掛かって森を空中遊泳しているような飴色の落葉。
 なんだかすべてが楽しくて、写真を一枚一枚撮りながら、こんな休日もいいものだと思っていたが、現れた太陽が露骨に輝き始めると、そんな浮ついた私の気持ちはだんだんとしぼんでいってしまったのだった。
 もはや雨上がりの森は、ただの晴れた日の森に変わろうとしていた。

 先ほどまであんなに雫をまとっていた葉も、もう乾き始めて、艶を失っている。
 私は魔法が解けたようにがっかりしてしまった。

 なんだかなぁ、こんなに晴れるなら、もっと遠出すればよかった。

 

 

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 今、この近場の森にいることを疎ましく感じ始めて、それは森を抜けて公園内の民家園に入る頃には決定的なものとなった。
 そこは古民家が二棟立ち、人はいなくても人の匂いがした。そして、金木犀の木が一本立っているのだった。
 

 金木犀。

 それは子供の頃の、過ぎ去った日々の象徴だった。そして、惨めな私自身の。
 つい先日、会社で彼岸花を撮りに行ったと話した私に、同僚たちは「この時期は金木犀がいい」と言ったのだった。私はとっさに彼岸花の話を引っ込めて、みなと金木犀の香りや姿を称えあった。
 私の話はいつだって無視される。なのに、こんな機会でもなかったら撮ることもなかった金木犀は黄金の花弁を雨のように散らして、燦然と輝いていた。
 「ねぇ、金木犀がね、駅前の道で咲いていましたよ」
 数日後、同僚は晴れやかに笑いながらそう言ったものだ。
 「へぇ、じゃあ撮りに行かなくちゃね」
 笑いながら。心の中ではあんな小さな花、花というより木ではないか。彼岸花のように絵にもなりゃしないと毒づいていた。
 だけど、輝いているのだ。雨を降らして地面に落ちる花々も、葉に添うように咲いている小さな花の塊たちも、まるで宇宙的に見えてくる。その堂々たる存在が、彼女たちを正しくて、私を矮小なものにするかのようで腹立たしかった。そして、綺麗に撮らなくてはと、ついさっきまで撮ることを楽しんでいた私が、評価されることを念頭に置いて、一心に撮っていることがまたやるせなかった。なんて忌々しい金木犀!
 私のしぼんだ気持ちは金木犀で増長され、彼女の宇宙的な存在感と同僚の輝く笑みでさらに打ちのめされ、そうして、公園中央のカワセミを撮っていたふたりの写真愛好家との出会いで、哀しみへと変わっていった。

 

 

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 彼らは、カワセミが小さな池の止まり木にいるのを教えてくれた。
「はい、はい、綺麗ですね~」
「撮りますか?良かったらどうぞ」
 意味がわからず、彼のほうをまじまじ見ると、自分の600mmの大砲レンズを貸してくれるというのだった。そういえば、私の前に彼らと会話していたカップルも、カメラを持った男性がしきりに撮った写真を確認していたようだった。彼らもレンズを借りた、一人だったのかもしれない。
 この心優しき写真愛好家は誰もに大きなカワセミの写真を撮らせてくれているようだった。
 私は出会いに感謝して、礼を言って、写真を撮った。愛機のちゃちなキャノンをおそるおそる長い、その名の通り大砲の、まるでレンズには見えないものに装着して、絞りを変えて、急いで数枚撮った。
 私のレンズではありえないほど綺麗に、鮮明に、大きく撮れていた。長い間、この公園に通って、カワセミマニアにはずいぶんであったが、こんなことは初めてだった。

 礼を言って彼らと別れたあと、しばらく私は放心状態。もう何を見ても輝かず、撮りたいと思う素材も見つけられなかった。

 私の実力とも努力とも全く別次元のところで、あんなに安易に綺麗な写真を撮ってしまったのだ。
 いまさら何を望もうと言うのか。
 日が照って、公園の中央には家族連れ。子供の笑い声が満ちていた。

いつもなら微笑ましいそれらの光景も、今の私の眼にはなにも輝いて映りはしない。
 

 金木犀を撮ったときに、たくさん刺された手の指の痒みが不快だった。長袖を着ているから、害虫は唯一出ている手の甲や指を狙うのだ。しかも、一心に撮っている時のじっとしている場所を。

 私は指をかきながら、無性に孤独を感じた。

 何十年振りかと思うくらいの孤独をふいに感じてしまった。
 よほどのこと、思い当たる唯一の親友に電話をかけようかと思った。日曜は休みだから、今日ならばいるはずだと思い巡らせていた。

 それでもついにかけることはなかった。なんと言えばいいのか、わからなかった。
 蚊に刺されたから? 金木犀が綺麗だったから?
 久しぶりに電話をかけるには、あまりにも理由がないような思いがしたし、それに、彼女はもう役目をとっくに終えたようにも思われていた。
 私のために、友人として遣わされた彼女は、私がつらい時、ずいぶん私の傍にいてくれた。そして彼女の苦しみも、私に分けてくれたと思う。
 だけど、最近では、彼女の苦しみを私が分かつことはなかった。今までの彼女の記憶を、彼女との出会いを感謝して、私はもう親友を開放してあげなければならないのではないかと漠然と思っていた。だから―
 雨上がりの休日が哀しいからって、今更電話なんてできない。

 

 孤独だ。孤独だ。孤独だ。

 

 私は子供のように寂しさを連呼しながら森をさ迷っている。
 そして、誰も、いなくなった。

 

 ふと、手持無沙汰の私は携帯を手にするのだ。
 そして、転送しておいたメールを見つけるのだ。
 たぶんそれは、この世で私が唯一繋がっている、最後のもの。
 私と世界を結ぶ、最後のもの。

 
 私は暗示を見つけてほほ笑んだ。

 

 まだまだ立ち直るまでには至っていない。
 だけど、蚊の襲撃を耐えられるような気持ちになっている。
 雨上がりの日曜、森の中。
 出入り口へと向かっていく。
 ジャンヌダルクを見つけに、駆けて行くのだ。


 

 

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