2010年11月27日

磁北と必然の道  ~大山を登る。その4~

 

 

 

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 コンパスの磁北が人生における軸だとしたならば、これほどぶれない人はいないというものだ。
 地図とシルバコンパスを持ってトレーニングに出かけた。
 まずはと身近な丹沢・大山に出かけ、分岐点や目標点ごとに磁針と度数線をセットして歩いていくのだが、そのたびにコンパスは正確に私を目的地へと導いてくれた。
 
 地図を読むこと、コンパスを使うこと、この二つを以て、山を登ると利点が二つある。
 冒頭に書いたように、ぶれない=道に迷わないこと。
 そして、これが驚きだったのだが、疲れないこと。

 先の見えぬ道を行くよりも、道筋がわかっていて、対処方法も事前に確認しておけば、疲れない。あとどれくらいか、今どのあたりか、距離感がつかめれば、疲れない。
 慣れた仕事をすれば、倍の量を難なくこなせるのと同じ理由だ。
 そうか、では、人の道には、絶対的に経験と知識が必要だ。私はそれを知恵というのかと思っていたが、この場合は、意外にも知識の重大さを思い知った。知恵も必要だが、知識というのは侮れない。今まで知識人とか、知識を振り回す人を軽視する傾向があったが、彼らはなんと疲れない人生を歩んでいることだろうか。想像に余る。

 で、そんなことから、私は自分の磁北がどこだか気になってならなかった。
 改めて問わなくても、わかっているようにも思う。当たり前じゃん!と苦々しく思う。
 しかし、実際山道を行きながらずいぶん考えさせられてしまったのだった。
 やっと言葉にできたのは、帰宅してからの風呂の中というお粗末なお話。思わず笑いが出た。

 地図を読むことに決定的に必要なのは、想像力だそうだ。
 GPSの性能がどんなに優れていても、かなわないのは人間特有のこの想像力が伴わないからだ。私には想像力を生かす力が足りない。
 それを言えば、世の知識人にも足りないと思われてならないが、少なくとも彼ら、(この場合主に政治家たちの意)の世渡りのうまさを見れば、同じむじなとは言えない。



 先週私を驚愕させたのは、北朝鮮砲撃事件で政府が朝鮮学校の無償化停止を決めたことだった。
 もちろん鼻からばかばかしいとは思っていたけれど、あれは政治的な理由で人権を犯さないようにという配慮ではなかったのか。
 少なくともそういう前提ではなかったか。
 それを思い切り政治的な理由で停止ってなんだ?
 しかも、日本の拉致被害者に対する想像力がなさすぎる配慮に、韓国、米国への配慮在りすぎる対応に。いったいどこの国の政府か、といういつもの疑問は置いていおいて、この想像力の欠如と、ぶれまくりの対応は、赦しがたいものがある。彼らに、地図だけを手にした彼らに、想像力とコンパスを叩きつけてやりたいものだと切に思う。

 

 人のことはさておき、自分の磁北を問いかけながら道を行く。

 

 

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 大山寺の紅葉を楽しみにしていたが、残念ながらもう時期は過ぎていたようだ。参道階段に広がるいつもの美しい紅葉はすでに枯れかかっていた。
 下社に着けば、見知らぬ男が語りかける。

「これから登られますか? 山頂は雲ですよ」
「もう行ってきたのですか」
「はい。残念ながら、水が滴っていました」

 雨だと言いたいのか、木々からが露が落ちてくるのか、秘密をこっそり教えるかのようにしたり顔でささやくのだった。
 私は目を反らして、山頂にかかる雲を見上げて、すごいなぁ、と呟きながら写真を撮り始める。

 

 

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 私が着くころも水が落ちてくるのだろうか。それともすでにあの雲は流れているだろうか。
 運命と、必然と。
 私は山頂の景色に思いを馳せ、雲が流れ、霧が晴れているかどうかが、まるですでに決められていることのように思われてくる。

「物事には運命だけでは測りきれないことがあります」

 偶然ではなくて、運命という言葉を使い、それでは言い切れない、理解不能なことがあるといつか言われたことがある。私はこの時、運命と偶然をまるで同意語のように理解しては、さもありんと聞いていたのだが、なぜかこの訓練登山の道中で、そのことをふと思い出したのだった。

 運命は人の力ではどうにもならない出来事ではなかったか。人の力を超えた、天命の意思ではなかったか。
 天命の意志ではないとあれは言いたかったのだろうか。

 今朝、電車の中で偶然耳にした会話。

「猫がね、誕生日に死んじゃったんだ」
「誕生日に死んじゃうなんて嫌だね」
「きっと猫は命日を忘れてほしくなかったんだよ」

 小学生(低学年くらい)の小さな子が、溌剌とそう答えるのだった。

 死という運命にも必然の意志があると。
 それを耳にした私にも必然があるかもしれないと。
 私は何度も死のことを考えるのだった。祖母が死んだときのことや、この先父が老いて死んだときのことを。偶然と必然と、猫の話と。すべてが、絡み合って、今日死を思うことは必然であるように思えるのだった。
そして、運命を超えた必然があること、人の意志があること、それらについて考えることをも必然のように感じられてくるのだった。

 地図を読みながら、コンパスに導かれながら、私はまったく疲れぬまま大山山頂に到着した。
 確か5度目か、4度目か?だと思うが、こんなに楽に思えたのは初めてだった。まるで近所の公園を散歩したかのようだ。
 天気は雲が流れて晴れ間が広がっていたが、残念ながら遠くまで見渡せるほどでもない。富士も見ることはできなかった。が、少なくとも水は落ちてこない。見知らぬ男にささやかれた話と同じ結末ではなかったようだ。

 

 

 丹沢・大山。別名、雨降山。標高1252メートル。
 雨降山御神木のすぐ傍で、おにぎりを食べて、また地図を広げる。コンパスでヤビツ峠までの方向をセットする。
 あまりにも早くヤビツ峠に着きすぎた私は2時間近く先までバスがなくて、春岳林道から蓑毛バス停まで向かうことになるのだが、それはまた別の機会に話したい。
 今の私は、ヤビツ峠までの道のりを想像している。
 稜線の尾根の道のことを。緩やかな、急な下りの道のことを。
 磁北と度数線合わせたコンパスは、私を正確にヤビツ峠まで連れて行くのだ。
 あとは家族の待つ自宅で、数知れぬ必然を以て与えられる自身の磁北のことを思い起こすだけだった。
 
 
 
 

 

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2010年11月24日

道玄坂慕情。ススキの森の国を行く。

     

 セイタカアワダチソウが自滅を始めた。


  


   ※『ススキとセイタカアワダチソウのお話』









北朝鮮が韓国の島砲撃、兵士2人死亡 負傷十数人
境界付近、韓国も応戦し約1時間で止まる
 
 
 
 北朝鮮が1953年の朝鮮戦争休戦協定以降に韓国の陸上に砲弾で攻撃したのは初めて。南北の軍事衝突で民間人被害が出たのも異例で、朝鮮半島情勢は一気に緊迫の度を高めた。北朝鮮が金正日総書記の後継者で三男の正恩(ジョンウン)氏の体制固めへ内部の引き締めを狙ったとの見方も浮上している。



 李明博(イ・ミョンバク)大統領は「北朝鮮の挑発に断固対応する」と述べ、安全保障関係閣僚会議を招集して対応を協議。北朝鮮への制裁や非難決議を念頭に、国連安全保障理事会への問題提起の検討に入った。



 (日本経済新聞web刊 11月23日)
 
 
 
 
 
 
 砲撃は50発、それに対して、韓国軍が80発の応射、と聞いていたが、いつの間にか200発ということになっている。
 
 最初に打ってくる北朝鮮もクレイジーだが、それに80発のお返しをする韓国も韓国だ。
 200発なら許されるということだろうか。
 
 
 
 いずれにせよ、後継者で三男の正恩(ジョンウン)氏の体制予備軍を育てている朝鮮学校を無償化し、挑発に断固対応して全面戦争も辞さない勢いの母国に忠誠を誓う他民族に参政権を与えようとする菅内閣のバカらしさ。
 
 
 で、このニュースを報道で知ったという菅首相を思い浮かべて、想像したのは、
 
 「今回はいくら出すのだろう」
 
 と言うことだった。
 どうせ無策だろうから、お金を出すしか能がなさそうだという想像―
 
 
 国民の血税をこれ以上無駄に垂れ流すのはやめてほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 今日は2万5000分の1の地図を買いに渋谷の地図センターへ。
 シルバコンパスを構内の周辺案内地図でセットする。
 体を回し、矢印を磁針北端に重ねると、正面が目的地だ。
 
 通常なら、道玄坂を登り切って、突き当たった246を左、と覚えるのだが、今日はそこは無視。
 磁針に従って進んでいった。
 すると、コンパスが示す通りの道の、適当な出口を出て見れば、地上に「道玄坂」の標識発見。焦げ色に染まったケヤキが陽にきらめいて天井を覆っている道玄坂、まさにその場所だった。
 今度は道玄坂さえも外れて、裏道を進んでいく。いつものように、知らぬ道を行く時の不安もなく、すぐに246に出会う。これはいい。なんて便利なんだ。
 
 困ったのは、方角ばかりを気にしすぎて、車に轢かれそうになったことか。
 信号を見損なったのである。
 おまけに、地図センターは日曜が休みらしく、空いていなかった。
 
 
 自然の磁極を利用して、目的地を測るということと。
 そうして道を行きながら、自然以外の創造されたルールを考えるということが。
 あまりにもまだ不慣れで一致しない。
 
 道玄坂と246は人間が作った道なんだよなぁ。
 
 そこを行けば着くけれど、そこを行かなくても、目的地への道はある。それを教えてくれるシルバコンパス。森のコンパス。
 
 私は今まで、道を見つけること、守ることばかりに一生懸命だったようだが、もしも、その生活にコンパスを活用できるとしたら、自然の磁極はいったい何になるだろう?
 
 例えば仕事ならば。
 愛じゃ変だし。会社の利益か。自分の地位向上か。給料アップか。それとも、公共への奉仕の心か。
 
 磁極がもしも正しければ、道玄坂と246にはこだわらなくてもいい。
 
 でも車に轢かれないようにね!
 
 そんなことをあれこれ考えながら、新宿の紀伊国屋へと向かう。
 地図センター。民間人に地図を販売しながら、休日に休みを取る地図センター。それに比べて、紀伊国屋のなんと人に優しいことか。
 おかげで、彼らの休日は潰されているというのに、その代償で、私は快いサービスを受け取って、2万5000分の1の地図を手にして帰る。
 
 ここも焦げ色のケヤキが並ぶ。歩行者天国の新宿通りに枯葉が流れてくる。
 
 道玄坂。道をくらます坂?黒い坂?微妙な深遠な坂。はるかに遠い坂。
 
 坂を下りながら、JR駅へと向かうとき、私は黒い長い車を見たんだ。
 大音量の音楽を鳴らして、何かの宣伝みたいだった。
 
 
 都会の森。ふと楽しくなって微笑んで、私は胸ポケットのシルバコンパスを何度も触って確かめた。
 
 ポッキーや、宇多田ヒカルや、ドコモや、ハリーポッターの広告を見上げながら。
 信号が青に変わると、真っ先に。スクランブル交差点を歩いていく。
 颯爽と胸を張って。やがて、人々にもまれて消えていくのだけれど、その一瞬のなんと誇らしかったことよ。
 
 


 
 
 

2010年11月23日

魔法のコンパスと道念と柳田法相更迭の謎。

  
  
 

 【道念】 どうねん

 ①道徳の観念。道義心。
 ②道を求める思い。求道心。
 ③僧侶の妻。梵妻。
                     ―広辞苑より―






 『お客様からご注文いただいた商品 を本日発送させていただきました』


 昨夜、Amazonからメールが届いた。
 先日注文したコンパスが明日届くとのこと。
 
 おかげで今日の仕事中、私は何度もコンパスのことを考えた。
 
 もしも、道に迷っても、現在地を知ることができるコンパス。
 もしも、道を見失っても、目的地を導いてくれるコンパス。
 
 
 今まで、道を探して、行くことしかすべがなかった私にとって、それはまるで魔法のように思えたのだった。
 
 今頃家に届いているであろう、シルバコンパスのことを考えると、私の胸は高鳴った。
 ふん。あなた。そんなに偉そうにしているけど。
 私はね。コンパスを持っているんだからね。
 
 惨めになるとそんなセリフを呟いた。
 あなた。持ってないでしょう。コンパス。
 
 
 ところで、この後に、私は使いこなせるんだから。今いる場所も、これから行く場所も、なんでもわかるんだから。と続けたいところなのだが、哀しいかな、まだ私は道の方角を見つけるのが精いっぱい。
 
 これから、地図の読み方とコンパスの使い方を学ばなくてはならなかった。
 
 
 
 
  
 
 ところで、柳田法相が更迭になったそうだ。
 


 


     「ぼく自分でやめたんだもん。」 (柳田法相)
 
  

 
 
 前日まで続投を表明していたのに、突然の辞任。
 一昨夜はいろいろともめたようだ。
 
 
 
 法相更迭前夜、首相公邸で議論紛糾2時間


 
 YOMIURI ONLINE 11月22日
 





  (以下、記事の一部を抜粋)



 

 輿石氏は「続投」を主張した。


 「野党が参院に問責決議案を出してきたって、そのままやらせればいいじゃないか。辞めさせて(2010年度)補正予算案をちゃんと通してくれる保証があるのか。それもないのに辞めさせる必要はない」

 野党と十分な腹合わせが出来ていないうちに更迭を決めれば、野党を勢いづかせるだけだ、との思いからだった。


 だが、この時点で菅首相の腹は「辞任やむなし」で固まっていたようだ。「続投」「早く辞めさせた方がいい」の両論に耳を傾けていた首相は、最後に「明朝、官邸に柳田さんを呼んで話をする」と発言し、辞任の流れが決まった。一夜明けた22日朝、首相は柳田氏を首相官邸に呼び出し、柳田氏を更迭した。

 輿石氏の予感は的中した。問責決議案を出す構えだけで法相のクビを勝ち取った自民党は、仙谷長官、馬淵国土交通相への問責決議案を提出する構えを強め、政府・与党が目指した24日の2010年度補正予算案の採決も野党の反対で先送りになった。


 苦し紛れに繰り出した「更迭カード」は不発に終わり、菅政権の苦境は続く。






 更迭は、苦し紛れの「カード」だったのか。
 補正予算を通したいという一念だったのかもしれない。が、それ以前に更迭させるのが当然の道ではないだろうか。菅内閣にそういった感覚はないのだろうか。

 いったいどこへ向かっているのだろう。

 何度見ても、柳田法相の、(しかも本人が、「なぜ自分が法相になったか私にもわかない」と言っている)あの柳田法相の発言は、あまりにもひどすぎる。

 













2010年11月21日

知れば知るほど日本の祭りと国会軽視の柳田法相

 


   「ぼくやめないもん!」 (柳田法相)


 
    
 
 食っちゃ寝する楽園的休日に飽きてきたので、文章を書いて遊ぶとしよう。

 図書館で「日本の祭り」という本を借りた。
 各地の祭りを撮りに出かけたかったので、その予備知識のためであったが、思わぬ収穫があった。
 祭りの起源は「神々の訪れを待つ」というところから、神(神道の神)について詳しく書かれていたのであった。
 以下、自分メモとしてまとめてみる。
 
 ☆神はどんな存在か?

 『日本では、神はヒトの形をしたものとは限らない』

 日本では古くから、神はアニミズムである、という考え方だ。
 宇宙のすべてのものごとである森羅万象が神の体現であり、いたるところに坐(いま)すと考え、海や火、水や島々という自然そのものを神の体としていた。
 なるほど、自然が神ならば、人間は無力な葦なわけである。

 ☆神はどこからやってくる?

 『日本は南北に長く延びた山の多い弧状列島だから、当然のことながら神々は海または山からやってくると思われる』

 『(神々の国は)あらゆる罪や穢れや災禍も祓ってくれるのである、いうならば、この現世の汚濁を浄化してくれる理想郷がイメージされている』

 理想郷にいる神々は、海や山から日本にやってくるわけだ。
 面白いのは、天と海が同じ「アマ」という音韻を持っているというくだり。
 天と海が入り混じった某茫漠たる彼方に、古代人は常世国(とこよのくに=理想郷)を想像したとある。
 よく水平線の彼方の写真に感動することがある。あの空と海の境界が消えて、双方が入り混じった景色の美しさは、なるほど、理想郷と現実世界が交錯した瞬間であるわけか。
 一方で、高い山は天により接しているので、神に近いもの(「山人」)が住んでいる異郷があると信じられた。
 異郷に住む異人を、日本では畏敬の念を抱いて信仰していたとある。
 この海の理想郷と、山の異郷を総じて、神の原郷としての高天原と考えられているようだ。

 海や山が神々の通り道、トトロで言えば神と出会うためのトンネルだとして、ずいぶん山のほうが現実的だ。海は理想郷と交錯するだけなのに対して、山は化身とまで出会うということか。神々の国と人の世の美を愛でるなら海、もっと深く交信したければ山。
 ところで、どうも海の神々しい景色と山人との交信の絵を想像すると、神々というのはずいぶんとSFチックに思われる。
 私が今まで生きてきた人生で想像できる範囲だと、ハリウッドの映画の画面と重なってしまう。
 神々の降臨というのは、宇宙人がやってくる絵に瓜二つである。
 
 ☆人と神との出会い

 『古代では祭りによって政策が決められ、一年の農事が定められ、国や共同体の将来を決めるものであり、「政(まつりごと)」であった。これが祭政一致である』

 まず、神の奉仕する、村一番のふさわしい人物を選ぶ。その人が、世俗から隔離されて、神聖な場所にこもり、忌み慎みの厳格な生活を送る。
 すると、神に近くなったその一人(神人)が言霊を発する。
 それが神の託宣になる。人々は、託宣を感謝して、神々とともに食事をする。それが古代の祭りだそうだ。本来、神事に携わる資格のある者のみが参加できた。
 なるほど、政治の政(まつりごと)はここから来ているのか。そもそも政治の起源は神事なのだ。


 国会をお祭りだと想像してみる。
 確かに盛り上がってはいるようだ。
 が、資格者はどこにいる。私の言霊など授けられぬぞ、と神々が激怒されそうではある。
 どう考えても、仙谷さんや菅さんになど降臨しそうもない。



 「法相は答弁2つ覚えておけばよい!」 柳田法相、国会で陳謝
 msn産経ニュース11月16日



 
 国会が神々の祭り(祀り)と深く関連するとなると、もう、国会軽視のこの柳田法相の発言など言語道断を通り越して、天罰ものだ。
 お天道様に背くものは、さっさと辞任させたほうがよい。この国のためだと思われる。
 ついでに、仙谷さん、菅首相も神輿を下りて頂きたい。
 
 




2010年11月20日

人間は考える葦である。

 

 

 人間は自然の前では葦のごとく無力な存在だが、それを知っている限り偉大である。
 そうパスカルが言ったのだそうだ。
 Penseeを読みたくて、本屋を2軒回った。
 3件目は行っても無駄だと思われて、引き返した。
 初めからamazonで買うべきだった。

 

 本来、人間は愛に満ちたイキモノである。というか、そもそも怠け者で、放っておけば食っちゃ寝て、他人と遊んで、笑って、それで満足してしまうので、自分たちが生きやすい楽園的秩序を作り上げてしまう。
 それでは、ちょっとだけ困る者たちが、人間に憎しみと競争心を植え付ける。
 「弱肉強食のエゴイズムの秩序」なるものが、そこに生み出されて、そして人間を管理しやすくなるのだそうだ。
 この「困る者たち」のことを見識のあるものは「〇〇ペンタゴン」だとか、「闇の支配者」だとか、「〇〇ロビー」だとか、実に様々な呼び方をする。
 それとは別に、私はネットに巣食う魔物のことを考えていた。
 彼らはインターネットを通して自己表現をしようとするものに、様々な悪戯を仕掛けるので、私はその可愛らしさから、彼らのことを「コロボックル」=「妖精」と呼んでいた。
 なぜ唐突にこんな話をするかと言えば、私と同じようにコロボックルを見える者のブログを読んだのだ。で、私は、この妖精の悪戯にあっているのは私一人ではなく、もしかしてネット社会の深淵を知るものの暗黙の了解なのではないかと思い始めた。
 なんだ、何も特別ではなかったのだ。誰にでも見えるものかもしれない。
 偶然見つけた「同類」は、思わずそう納得させるだけの、巧みな言葉と論理を以て、幻想を描き出していた。私はその知識と語彙の多さ、巧みさに舌を巻きながら、ああ、人間って「説明できないことなどないんだな」と感心したわけだった。100%信じてもらえない体験をしても、他者に理解できるように言葉にすることは可能なわけだ。

 しかし、感心すると同時に、私はある種の苛立ちを覚えて、もどかしくて仕方がない。
 「同類」は「困る者たち」、競争原理の秩序を以て人間を管理しようとする支配者と、このコロボックルを同列においているのであった。
 もちろん、彼は妖精などとは思っていない。「ストーカー」という言い方をしていたと思う。支配者の使い、回し者のような書かれ方をしていた。
 多くの見識者が認識する超人的な支配者と、ネットの中の悪戯者は決定的に違う。
 そう私は思うだけに、同類の混同に不快感を覚えた。
 
 そして、ふと疑問が浮かんだのであった。
 悪戯者が妖精ならば、闇の支配者が神であっても構わないではないか。
 もちろん神でなくても、悪魔でも、怪物でも異形の者でも構わないが。
 言いたいのは、超人的な支配者がもしも本当にいたとして、彼ら組織がただ大いなる力に操られているだけかもしれないと。
 で、「ストーカー」よりは、「コロボックル」のほうが、自身の味方と考えたほうがいいのと同じ理由で、私はどちらでも構わないならそれを善的なものだと考えたい。
  楽園から追放されたのが人間ならば、食っちゃ寝て、笑わせてなどなるものかと。憎しみと競争と、挫折と辱めと、ありとあらゆるハードな課題を与えて、乗り越えられるかどうか試されているのかもしれないと。
 〇〇ペンタゴンとか、闇の支配者よりは、そう考えたほうが私的には「生きやすい」し、「受け入れやすい」。
 そして、もしも両者が私にとって同じ善の存在ならば、ああ、そうか。両者は同列だとする同類の考えもここでやっと納得がいくのだった。
 今まで、識者の言う超人的な支配者を、人為的な、絶対的な悪の存在だと感じていたわけだが、同類の論理的に説明されたブログによって、私の感情に変化が生じた。
 私の味方(コロボックル)と闇の支配者、両者は相対するものではなくて、延長線のものかと。
 都合がよすぎるだろうか。
 しかし、そう思って、改めて世界を眺めてみれば、なんとまぁ、今まで私が闘っていたものの見当違いなあほらしさ。唯一の味方を叩いていたようなものではないか。
 これからは、すべてをお題と考えて、まずは問題を改善するための方法論を考えなくてはいけない。
  
 で、日本である。
 民主党ってまだ政権を握っているんだなぁ。
 あんなおバカな人とたちがこの国の中枢にいるってどうなんだろう。
 これを国民に与えられた試練としたならば、確かに、戦後こんなにひとりひとりが様々な問題を認識して、どうすれば日本がよくなるのか深く考えたことなどなかっただろう。おお、〇〇ペンタゴンよ、闇の支配者よ、そして神よ、偉大なはからいをありがとう。
 自虐的過ぎた日本は、今、保守的な良識あるものに護られる国へと変貌を遂げつつあります。
 そう感謝したいけど、試練を乗り越えられないまま、潰れてしまわないか?
 早く、一刻を争う、早く、覚醒した国民で一致団結して、考えましょう。
 あのおバカたちを中心から追い出す方法を。
 とりあえず、毎日私はネガティブキャンペーンをしてやろうとほくそ笑む。
 彼らのおバカさと醜態を、まだ知らぬ者たちに一人でも多くさらけ出して、理解してもらわねば。
 「同類」が証明して見せたように、言葉で伝えられないものなどない。
 「犯人」が証明して見せたように、ひとりの自問自答は、世界の自問自答となりうる。
 ネットという媒体が、「平成の坂本龍馬」だって、私は信じ始めているのだけれど、違うかな。
 味方を増やして、敵と敵を繋げて、さらに大きなものと対峙して、そしてすべてを統一する。いい方向へと導いていく。

 

 どうなんだろう。
 あなたの声はちゃんと届いているよ。
 今日はコロボックルが出てこないから、まったく見当違いのことを喋っているのかもしれないが、たぶん今日は他の人の人助けに忙しいのだろう。
 

 


 言葉遊びを楽しみながら、今日は写真遊びもしたわけだ。
 贅沢な一日だった。
 深大寺でと神代植物公園で紅葉を堪能。
 まだカエデ類は染まり切っていなかったが、秋の情緒(でももう晩秋なのね?まだ染まり切ってないのに・・)を楽しませていただきました。
 

 ↓ こんな感じ。

 

 

 IMG_8983② IMG_8984② IMG_8986② IMG_9002② IMG_9033② IMG_9042② IMG_9048② IMG_9052② そばパン美味しそうだね♪ ユリノキの枝が綺麗でした。 深大寺行ってきました。

 

 

 うちの会社の闇の、というより公の支配者=社長が昨日、こんな言葉を漏らした。
 「これからもっと忙しくなるからね」
 「俺は、外に出てばかりになるから、昼間はいなくなるよ。あまり仕事も見てあげられないけど」

 仕事じゃなくて、面倒だったか。
 頑張れよ、と励ましてくれたのだろうと、月を見ながら一服していた私の前に現れた社長はいつもと違って、しおらしくて、少し哀しげな様子で言ったのだった。
 それで私は知ってしまった。自分が(私に)嫌われていることを、彼が知っていること。同時に、私が社内で微妙な立場に置かれていることを知っていること。
 自分はいなくなるから安心しなよと。自虐的に自己を捉えながらも、それでも私を護ろうという気持ちを持っていることを。
 自分の存在を遠ざけたい、でも護れぬことに負い目を感じる。
 なんとまぁ複雑な父性愛。
 いつも人に憎まれる言葉ばかり漏らしてしまうことも、自分ではコントロールの効かない、忌々しい性分と捉えているのだろう。
 社長の哀しみと、複雑な庇護者という立場にしてしまった自分の性分、これもまた忌々しい―を同時に感じて、何とも言えない気持ちになった。
 もっと、自分が強くならなければ、人の哀しみを増やしてしまう。
 

 深大寺と神代植物公園を巡りながら、私は花鳥風月のごとく美しい秋の景色に心を奪われた。
 自然は美しい。
 落ち葉の道を鳴らして歩きながら、この自然が宿る地球に在ることの幸運を噛みしめた。
 どんなに人間が憎しみ合おうと、醜態をさらして、辱めを受けて、精神がくたびれようとも。
 休日に木々の美しさを、落ち葉の道を歩くだけで、またすべては楽園に戻っていく。

 食べて、寝て、笑って、遊んで満足しきるだけの、愛の秩序に引き戻されていく。
 

 ああ、でもそれは休日だけのことなのだ。
 だから、私は人間なのだ。
 いつか、この美しき世界が果て無く続く時まで、大半の時間を支配者に管理されて、精神を疲労させて、それでも誰かのネガティブキャンペーンをして、僅かな希望を紡いでいく。
 惨めなちっぽけな人間。

 
 天上はもっともっと美しいのだろうか。
 今日の私にはこれ以上の、この自然以上のものは要らなかった。

 

 

 

2010年11月14日

神は消えた。しかし、希望は残されている。 ~大倉尾根から塔ノ岳、鍋割山登山記~

 

 

 神は消えた。
 私の物語を楽しみに待つものは、これで誰もいなくなった。
 たかが個人の妄想だ。初めからどう放とうと垂れ流そうと、私の勝手ではある。
 が、そうでもないのだ。
 それはそう単純なことではないのだった。ひとりの妄想が、物語が、取り返しのつかない事態にもなりえると。それを教えてくれたのは、先週、尖閣諸島の漁船衝突事件のビデオを流出させたあの「犯人」だった。

 彼の容疑は「守秘義務違反」に当たるのだそうだ。
 最高裁の判例を見ると争点は、ひとつは「それが(国民に対して)公にされていないこと」、それから「秘密として保護すべきものであること」、この二点だそうだ。
 罪に問うならば、二点に反することを証明する必要がある。
 ところがひとつ目は、ビデオが流出したのは、国会議員30人にビデオをさらした後で、国民に対してその内容は広く知れ渡っていた。そして二点目の「秘密として保護すべき」はこの場合、国の「機密」となりえたかといえば、それが怪しいのだった。

 なぜ、あのビデオを国家機密として守らなければならなかったのか。
 秘密が国を守るためだというならば、その国はどこの国か。そして、その判断をどの国の誰がしたのか。
 
 まさにそれを、現在日本中で論争している最中なのだった。
 私がぞっとしたのは、ビデオ流出犯の意図を思い知ったからだ。
 「犯人」は尖閣ビデオを流出したことで、ふがない内閣に一矢を報いた、民主党の幹部が漏らした表現によれば「倒閣運動だろう」ことを成し遂げたわけではない。彼の狙いは、この論争を巻き起こすことこそが本当の目的だったのではないか。ああ、そういうことか。
 闇に葬られようとしていたことが、白日の下にさらされた。今や、2ちゃんねるや個人のブロガーだけではなくて、元議員の都知事までもが公共の電波に乗せてこう吐き出すに至った。
「売国内閣」
 私が感心したのは、誰しも考えていることでも、決して言葉には出せないこともある、暗黙の了解というものだ、それを公のものにしたこと。ひとりの考えを、一人の人間の自問自答を、世界共通の自問自答と押し広めたこと。
 共有できない思いなどないのだ。どんなに、時の政府が、この世の神が禁じようと、たったひとりの頭の中にあるものを、全世界共通のものにすることは可能なのだ。
 あの「犯人」はたったひとりで、そのことを証明した。いやもしかしたらバックに組織が付いていたとか、そんな俗なオチちがあるかもしれないとは想像してはみても、それさえも矮小に感じさせるほど、確かに価値のあることをやらかした。
 「倒閣運動だろう」
 私は自問自答する。「犯人」のように考える。

「今回の件で我が国の国益は損なわれたのだろうか」

「これを機密とするのであれば、時の政府が自身に都合の悪いことはすべて機密にしてしまえば、何をやっても許されるのではないだろうか」


 たったひとりから、「それ」ができるか。このあまりにもおかしな今の日本を変えられるのか。
 テレビで尖閣ビデオの論争を聞くたびに、私はぞっと身震いする。
 追い詰められた内閣に、なんと無力ではありえない個人の力、妄想であることよ。
 読売テレビは「犯人のメモ」を全文公開すればよいのだ。今こそ。



 

塔の岳から富士山♪

 

 今週末の週末の撮影旅行は大倉尾根だ。
 通称「バカ尾根」と呼ばれている延々と急登り(階段)が続く尾根、金冷シから塔の岳や鍋割山に続く尾根を一度登ってみたいと思っていた。
 表丹沢から塔ノ岳を巡った時に下りで使ったことはあるのだ。しかし、それだけで私は、絶対ここだけは登りたくないと思うに至った。何とまぁ、殺伐とした魅力のない道であることよ。
 とにかく階段が多い、自然が美しくない、これは冬のせいもあるだろうが、乾燥して干からびた土地に痩せた木々が点々と立っている。「自然の山道」という名のドラマのセット、もしくは作り物のテーマパークかと思うほどだ。特に登り初めは、落ちるは赤松の葉ばかりなり、で草さえもない。私を抜かしていくのは、大柄な大倉尾根猛者といった風情の山男たち。若い男、中年の男、年配の男、挨拶するでもなし、黙って通り過ぎていく。殺風景な上にそっけない。
 
 こんなところを好んで登るのはきっと男ばかりなのだろう。だって「大倉尾根」だもん。と私は毒づきながら黙々と歩く。塔ノ岳まで7キロの行程だった。
 しばらく行くと、今回の旅で初めての「山ガール」に出会った。この後、私は何十人もの彼女らを見かけることになるのだが、初めはぎょっとしたものだ。どうも今まで見ていた山男猛者の一陣とは本質的に違う、異質に見えてくる。
 上はパタゴニアのジャケットかフリースか、モンベルのダウンか、ノースフェイスの色鮮やかなカットソー、下はサポートタイツに厚手のソックス、で、スカート姿なのだ。サイドジッパーのストレッチ素材、必ずノースフェイスのロゴ入り。最初の彼女はたまたま若い「お母さん」だったようで、子供と旦那さんとおじいちゃんたちと一緒の登山だった。鹿の群れが見えた見えたとはしゃぐ姿は、格好の異質に驚いた後はほほえましいものに変わっていったが、その後にあとからあとから出くわす少女たち、またはおしゃれな少年たち、その集団を目の当たりにすると私はさすがに微笑ましいとは言っていられなくなったものだ。
 今の若いものは、こんなに山に登りたがるのか。おしゃれと称して、山を求めるのか。
 みな道に迷っているように思えて仕方がない。道を知ることを切実に求めている。下界は危機的状況だ。
 しかし、このブームでパタゴニアとノースフェイスは業績をかなり伸ばしたことだろう。私は帰りの道すがら、彼らの服を見るたびにそんな余計なことが気になった。あやかりたいものだなどと考えていた。

 で、大倉尾根の続きである。山ガールはさすがにこの尾根にはいなかったようだ。(私が集団に出会うのはたぶん表尾根から来たのだろう、塔ノ岳と、それから鍋割山での話である)第一陣の猛者が追い抜いて行くと、しばらくはテクテクひとりの気楽な道中となる。

 

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 そのうち年配者の(というより老年)女性のグループにも出会い始める。彼女たちは紅葉狩りの散歩のようだった。「あら見て、綺麗に染まって」「あらあら」「まぁまぁ」と楓をしきりに見上げている。
 老年の山ガールたちを追い抜いて、黙々と行く。団子状態で現れた野郎どもも追い抜いて行く。 別に追い抜かしたいわけではないが、黙々とマイペースを保つと自然にそうなるのだ。はっと気が付くと、私を颯爽と追い抜いた一陣の猛者たちの姿まで見えてきた。汗だくになってジャケットを脱いでいたり、ちょっと休憩といった様子。彼らをウサギとカメのカメになった気分で誇らしげに追い抜いて行く。(ただし内心の話で、様子は至った神妙に黙々と)
 なぜか私はまったく休憩を取りたいと思わなかった。水分補給も望まなかった。速筋を使って登って、足を痛めないことだけを念頭に、ただ歩いていく。
 これも足を痛めないための右左にぐるりまわるような登り方のマイペースの階段登り途中で、ふと後ろからの追跡者の足跡が響いた。今日は調子がよいようで、それまで、マイペースと言えば追い抜くことが多かったので、抜かれることを心外に感じた。筋肉隆々のあの一陣の猛者たちも、持久力では及ばなかった今日の私である。よほどの者だろうと好奇心に駆られてはその瞬間を待ちわびて、追い抜いて行くものを見つめると、なんと70歳から80歳には見える老人であった。

 

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 しらが頭のおじいちゃんじゃん・・・

 彼は目の覚めるようなスカイブルーのTシャツに裾をジッパーで取り外しのできる、美しいラインのベージュのパンツをはいていた。色鮮やかな山ボーイのいでたちよりも洗練されていて、山にとてもしっくりとなじんでいる。
 老人は健脚なのか、このあともずっと階段になるとペースを上げるのだ。尾根の比較的平たんな道のりでは思わず抜かしてしまいそうになるというのに、急な段差であればあるほど本領を発揮する。持久力だけではなくて、確かな筋力や体力に裏打ちされた実力者であった。私は一発で見込んでしまい、心の中で「師匠」と名付けた。彼において行かれないように、急いで階段を登って、後ろにぴたりとつける。
 私のマイペースはそこで崩壊したのだった。もともとそれを求めた大倉尾根登山ではあったが、「先を行くもの」が老人とは意外だった。山を行くことが人生とリンクするとしたならば、やはり若さも体力も大したハンディにはならない。成功するコツを覚えることは、いや成功者になることは老人でも女でも与えられているということだ。何を持って成功者と言うのかって?
 老人はやや猫背気味に疲れたように黙々と歩いていく。私は50メートルほど後ろから彼のバックパックの大きさや靴やその姿勢をチェックしている。何の感情もないように、殺伐とした大倉尾根を行く彼が、時折、右を見る。左を見る。ちらりと、まるで私が見ることを促すように、首を振る。
 私は不思議に思って彼の見るほうを見やっては、美しい尾根の稜線や、雲間に浮かび上がる富士を発見して驚かされた。私が驚いた道中の出来事で、彼が唯一促さなかったのはひとつだけ、雄鹿の横を通った時だけである。

 

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 まるで、それは何の特別なことでもないようだった。老人は鹿と同じ山の一部となっていた。
 下界のバカな私ははしゃいで、鹿を写真に撮りまくり、彼から軽蔑の一瞥をいただいただけであった。
 そのうち私の師匠に目をつけた男が現れる。鈴を騒がしく鳴らす彼は、私よりもぴったりと、老人の後ろにつけたのだった。老人と鈴鳴らし男は団子状態で私の前を行く。休憩所を通り過ぎ、三人で黙々と道を行く。そのうち集団が現れて、私の行く手をふさいでしまった。老人と鈴男は細い階段の山道の中、うまく彼らを避けて脇から少しずつ抜いていくが、私は阻まれて、迷い込んだ。抜けるにはペースをかなり上げなければ長い行列を追い越せない。老人たちのように、並走してうまくやり過ごすにはなめられてしまったようだった。集団のうちの老婆たちがペースを上げて、列の間合いを縮めている。(よほどこの長い行列のものよりも私のペースは遅いことだろう)しかし、今日の私は師匠において行かれるわけにはいかなかった。必死で、忘若無人に集団を追い越そうとする。そのうち憐れんだ一人が「ひとり来たわよ~みんな避けてあげて~」と大声を発する。
「いやいや、いいんですよ。そんな早くないんで。いや、あらすみません」
 と、私はわざとらしく遠慮しながらやっとのことで作ってくれた道を行き、彼らを追い抜いた。
 老人と鈴男とはずいぶん距離が開いてしまった。この当たりから殺伐とした大倉尾根はその本領を発揮して、階段の鬼となる。階段で私を抜いただけあって、老人は急な段差はお手のものである。ますますペースが上がってくるのを、必死になって追いかける。ああ、この尾根はまるでつまらないと思っていたが、老人のおかげでずいぶん美しく見えたものだ。
 まだまだ素晴らしさを彼は私に教えてくれるはずなのだった。たとえそれが私のペースとは違っても。私の足を痛めることになっても。その代償を与えてくれる「者」なのだった。
 鈴男の鈴が私を救っていた。そのころになると人も増えて、階段は登り人で詰まっていたが、距離が離れても、人で見失いそうになっても、鈴が老人の位置を教えてくれている。
 私は鈴を頼りに必死で登っている。すでに遅筋と持久力だけでは間合いを保てず、私はずいぶん無理をしていた。それがたたって、息が上がり、足はもう前に出すのもしんどい。木々が消えて、岩ばかりのガレ場になった時に、斜面で隠れていた老人の姿が登り切った瞬間に見えてはっとした。彼は鈴男を先にやって、座っていたのだった。私と目があった。初めてのことだった。
 老人は疲れて、休憩を取った風に見えた。しかし、私は一瞬でこう解釈した。
 休憩を与えてくれたのだと。私は老人をやり過ごして、100メートルほど行ってから、倒れるように座り込んだ。水をごくごくと飲んでのどを潤した。気温が上がっている。木々の日陰はない。
「あっつい・・」
 それが私を追い越す時に老人が吐いた独り言だ。
 まるで、「暑いからちょっと疲れたよ」と休憩したことを言い訳するようにも受け取れた。私は性分なのか、上から目線で、だよね、私も疲れたから待っててあげたよ、お互い頑張りましょう的な気持ちでいたと思う。だけど今思えば、あれは「暑いから気をつけろ」と言う警告だったのかもしれない。
 なぜ老人のようにあの時上着(長袖)を脱がなかったのか、後になって後悔した。
 私はリュックを背負って、また老人の後にぴたりとつけた。はずだったのだが、ここから、しばらくして、花立を過ぎたあたりか、ひとり道中から転落してしまうのであった。


 

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 理由は富士だった。ぼんやりした空に晴れ間が広がって、丹沢の山塊に陽が当たり始めた。紅葉に染まった山々に浮かび上がる富士がそれは美しく見えて、カメラを持った人々が、富士を切り取っていた。私は今日はまったく写真を撮っていない。前回の鍋割山で、写真を撮りながら、楽しみながら山を登ることを成し遂げた、あの成功感覚が忘れられなかった。
 
 この場所からでないと、この晴れ間でないと、富士のこの景色は撮れない。

 「師匠」についていくことと、今の美しい富士を撮ることを天秤にかけた私は、迷わず老人を見切った。
 リュックを広げて、広角のレンズを取り出すと、カメラにつけて、富士と紅葉の景色を撮り始めた。山頂まで行くことが目的ではない。私は写真が撮りたかったのだと自分を納得させていた。

この休憩があだとなり、もともと疲れ切った私は、もう頑張って登る気力を失った。富士と紅葉の写真は思ったよりも悪い出来栄えで、(そのあと山頂でよほどいい景色と巡り合えた)楽しむことも、登ること自体も中途半端になった。金冷シで塔ノ岳に行こうか、このまま大丸、小丸へと進み鍋割山を目指そうか悩んで、あと少しだからついでに行くか、程度の軽い気持ちで塔ノ岳を目指す。軽さに乗じて、山頂間際で、また休憩を取って、一服をした。

 

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 ずいぶんのんびりと時間をかけて、やっとのことで塔ノ岳にたどり着けば、ああ富士が見える。私は夢中になって富士を撮った。前回表尾根から来たときは曇っていて、富士が見えなかったのである。「塔ノ岳で富士を見る」、今日のテーマが頭に思い浮かんで晴れ晴れしい気持ちでいっぱいになった。
 いい気になって山頂からの富士を撮りまくっている私、そうしながらも、あの時撮らなくてもここで散々撮れたのではないかという疑問が浮かぶ余地はまだ残されていた。
山頂から富士のほうばかり見ていたが、ふと反対側の景色をついでのように目にして、そこに老人が座って昼食を取っている姿を発見する。
 すべての登山者が富士を向いて座っているというのに、老人は逆側の景色を見ながらひとり握り飯を食べているのだ。その姿に気付いた瞬間、老人はこちらに一瞥をくれたように思われた。が、それも一瞬のことだった。私は見てはならぬものを見たようにまた富士に目を戻し、はしゃぐように山頂の標識を撮り始めて、そうして老人はすぐにまた丹沢の山々に目を戻していた。
 もしも、老人の後をつけていたならば、最後まで何の言葉を交わさなかったとしてとして、それでもお互いをたたえ合うような、ある種の連帯感は共有できたはずなのだった。
 あのような一瞥ではなく、あのような動揺ではなく、静かな心持を一緒に感じられたはずなのだった。

 

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 大倉尾根から金冷シにもどって、鍋割山へと向かっていく。あいにく、前回の道中で私を感動せしめた黄金色のブナたちはすべて枯れていて、枯れ木を空にかざしていた。
 期待していたカエデ類の林も同じだった。一斉に葉を落として、私は何度も枯葉をがさがさ鳴らして道を行っただけであった。
 今回の旅で、私に与えられたのは富士だけだ。
 塔ノ岳の山頂で、鍋割山の山頂で、途中の小丸で、私は何度も富士を見た。
 小丸では両腕を広げて、まるで鳥のように、山塊にむかって大きく広げて、そうして、息を大きく吸い込んでは吐き出した。

 見よ、この視界を。

 後沢乗越から寄のバス停まで、鍋割山からの帰り道、私は何度も、道を行きながらこの両手を広げる動作を繰り返した。
 鳥のように、飛行機のように。まるでご機嫌で、絵を撮るようにイメージ通りの写真を描いて行った。
 50mmのレンズは面白いように、私の撮りたい絵を映し出してくれるのだった。

 楽しい。楽しい。楽しい。

 写真を撮ることも、道を行くことも。なんと楽しいと。私はまた両手を広げて。飛び立つように。

 

 

IMG_8954② 松ぼっくりほっこり

 

  くぬぎ山を超えた林道で、いつかの鐘ケ嶽の再来のような静寂の暗い山道に入り込むまで。たった一人で、山神の眠りを妨げたことへの逆鱗を畏れながら、鈴を鳴らして、逃げるように道を行くまで。

 私は少しでも歩く距離を減らしたくて、鍋割山の下山の道を人の多い二俣を選ばず、くぬぎ山を巡るコースを選んだのだった。確かに距離は少なかったが、まるで人気がなく、道はけもの道で、何度も斜面から滑り落ちそうになったものだ。

 楽な道はないものだ。

 そのことを噛みしめながら、目的の寄バス停を目指していた。
 時間は2時半をまわっていた。1時間に1本のバスは35分。次は3時35分。まだまだ余裕がある。もしも、遅れたら、次のバスでいい。ちょっと疲れたから1時間休憩してもいい。ちょっと疲れたからバスに間に合うように急いでこの道を下りることはできない。両手を広げて道を行く私はそう暢気に構えていたのだが、あの大倉尾根のテーマパークのような人工の自然が懐かしくなるなるほどのくぬぎ山の「自然」を目の当たりにして、次第に気持ちは沈んできた。まるで山神が、いやそれ以前に熊に遭遇しそうではないか。私は閉まっていた鈴を取り出して、鳴らしながら道を行った。万が一遭遇したら、どうやって倒そうかシュミレーションし始めた。道はあれだけ乾燥していた大倉尾根と打って変わり、濡れているのだ。しっとりと。黒く。雨上がりのように。
 そのうち本当に山神のたたりが恐ろしくなってきた。急ぎ足で道を行き、気晴らしに音楽を聴き始める。

 わたしを生きていくと宣言した少女。
 生ぬるい友情を捨てて、ひとりで旅立っていく。
 しかし、その空は、あなたと繋がっている。
 いつか、私たちは、きっと、そこで出会うね。

 その日までお互い頑張ろうというような歌。私はこの曲が好きだった。
 あの少女たちは、出会えただろうか。未来(次の)空で、お互い羽ばたいた姿で、再開することができたのだろうか。


 何の拍子か、約束したんだ。ひとり ひとつ 道を選んだ というくだりだったか、約束したんだという思いが私の胸に深く突き刺さった。一瞬の本当にほんの一瞬の出来事だった。
 富士を撮ることにかまけて、師匠を見切った自分。山頂でのあの老人の一瞥を思い出した。
 私はその後、彼のいなくなった富士の反対側の場所で、一人座って握り飯を食べた。まるで同じ格好をして、富士なんていつでも見れるさと。いやそれとも、若者たちに、特等席を譲るような趣で。
 もしかしたら金冷シや鍋割山でまた会うのではないかとも思ったが、その後老人に会うことは二度となかった。
 「師匠」が私という「弟子」を待つことは、もうなかったのだ。

 写真を撮っている場合ではなかったのだ。
 人生を楽しむことが大切だなどと、成功体験だなどとかこつけて、私が見切ったからではないか。羽根を広げて、飛ぼうにも、それは次の空なのか。
 約束したのに。私は今、ひとりさみしいくぬぎ山で、山神を、熊を、畏れて、逃げるように道を行くだけだった。
 火が付いたように、私は駆けだした。携帯からYELLが鳴り響いていた。もう滑って転げることも恐れずに、とにかく走った。里山の家々が、道が見えると、バス停の標識を探して、見回して、ないとわかると、めくらめっぽうとにかく走り出した。バスの時間まであと5分しかなかった。

 約束したんだ。

 1時間も無駄にするわけにはいかなかった。マイペースで、一人楽しんで、絵を描いて、飛ぶように歩いて。そして初めて見れた富士。山頂での老人の一瞥。富士に背を向けた姿。
 私は今日起こったすべてのことを思い出しながら必死に走った。川沿いの車道を走っても、走っても、バス停の標識は現れなかった。
 

 3時42分。寄ではなくて、次のバス停を見つけた時、すでにバスは通り過ぎた後だった。今日置いて行かれるのは二度目だな、私は苦笑いをして、途方に暮れたように歩道に座り込んだ。
 携帯を取り出して、ゲームをはじめながら。そのキャラクターたちの笑顔を見つめながら。
 ただ、阿呆のように次のバスを待つしかすべがなかった。

 

 

 

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2010年11月10日

最後の砦に醜い政治が乱入か。 ~東京地検、差し押さえ令状取り「グーグル」から記録押収~

   


 インターネットは何でもありだ。
 無法地帯だとか犯罪に利用されやすいとか悪くも言われるが、私からすれば世界を繋ぐあれだけの規模で、唯一、万人に平等と自由が与えられている貴重な場所である。
 現実社会に犯されぬ、楽園。
 精神的な意味で、最後の砦なのである。



 その要塞に土足で踏み込んだやつがいる。

 2010年、11月9日、私はこの日を忘れることはないだろう。






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『検察、グーグルから発信者情報差し押さえへ 映像流出』


沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐるビデオ映像流出問題で、捜査当局は9日までに、映像が投稿された動画サイト「ユーチューブ」を管理する検索大手「グーグル」の日本法人(東京)から、投稿者に関する情報を強制的に差し押さえる方針を固めた。国家公務員法の守秘義務違反容疑の令状をもとに、近く資料を押収して投稿者の特定を急ぐ。



 令状を取るのは、投稿したパソコンの「住所」にあたるIPアドレスなどの発信者情報の提出をグーグル側に要請してきたが、個人情報保護の観点から任意捜査に応じなかったためだという。


 一方、捜査の主体は警視庁捜査1課と東京地検公安部になることも9日に決まった。

 最高検は8日にいったん福岡高検に捜査を指示したが、海上保安庁が警視庁と東京地検に守秘義務違反などの容疑で刑事告発したことを受け、日頃の連携などを考慮して東京地検に移すことにした。一方の警視庁は、近く沖縄県警と合同捜査本部を設置し、関係者からの事情聴取など本格的な捜査に乗り出すことを決めた。


 ただ、こうした決定にあたっては、法務省や官邸サイドの意向が働いたと明かす検察幹部もいる。柳田稔法相は9日の記者会見で「(捜査を)合同してやる方が速く進むのではないか。実質的に共同してやることを考えると、東京地検と警視庁が一緒に捜査を進めるということだ」と話した。法相が個別事件の捜査態勢に言及するのは異例だ。

 捜査対象となるのは、撮影・編集した石垣海上保安部(沖縄県石垣市)と、証拠として受け取った那覇地検。




 (asahi.com 2010年11月9日15時2分)


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 第一声、「ひでぇなぁ」。
 
 しばし、無言。
 
 そもそも、とうぜん国民に知らせるべき事実を隠蔽し、中国の国益のみに配慮しまくっていたかと思えば、真実が流出したとたん、ビデオを公開した者を告発。
 いやいや、それが「この国のために本来あるべき姿」の者でしょう。
 何やっているんですか。
 
 
 それだけでも、憤激モノだというのに、さらに私の聖地に土足で踏み込んでくるとは。
 
 
 許せねぇ。
 
 
 言葉が乱れましたが、当初グーグルは『利用者情報の秘匿を理由に任意提出は難しい』との立場を示していました。
 それを捜査令状をもとに無理やり記録を押収とは、やりすぎのように思われます。
 そこまで犯人探しは重要でしょうか。
 ビデオの全面公開よりも、重要でしょうか。
 
 
 
 
 『中国の国益を守ることは、日本の国益を守ることより重要です』
 
 
 『政権を守ることは、国民を守ることより重要です』
 
 
 
 まるで、そう言われているようで、気分が悪いですね。
 たぶんこの問題はこのままでは済まないでしょう。
 
 
 
 
 

2010年11月8日

『日本の中国共産党化を阻止せよ!』 ~尖閣映像流出で海上保安庁が刑事告発~

   


 中国では、国民の不平不満の矛先を日本に向けるために、反日教育をしているそうです。
 すべては(中国共産党の)政権を安定させるためです。

 なんとまぁ、さもしいなぁ、と常日頃から不快な思いを感じていました。
 自分たちがよく思われたくて、別の誰かを悪者にしようというのですから、あまり褒められたものではないですよね。

 ところが、今日のニュースを見て、私はぎょっとしたものです。
 尖閣ビデオが流出して、やっとこれで政府も目が覚めるか、まともに中国に対峙せざるを得なくなるかと期待していたら、それどころか、まるで中国共産党のような話が出て来たではありませんか。





中国外務省から流出した2050年の極東マップ




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『尖閣映像流出、海上保安庁が刑事告発 』



 “尖閣ビデオ”は誰が流出させたのでしょうか、ついに事件に発展です。
 尖閣諸島沖で衝突した中国漁船の映像がインターネット上に流出した問題で、海上保安庁は国家公務員法の守秘義務違反などの疑いで刑事告発しました。


 尖閣諸島沖で衝突した中国漁船の映像がインターネット上に流出した問題。8日、海上保安庁や検察当局が内部調査の結果を明らかにしました。那覇地検は、映像のデータが外部に持ち出された形跡がなかったことや、サーバーへのアクセス記録に不審な点が見つからなかったことを発表。同時に開かれた東京・最高検察庁の会見でも、最高検を含め検察当局から外部に流出した形跡は見つからなかったと発表しました。

 「映像の流出元ではない」と強調する検察当局。一方の海上保安庁の長官は「苦渋の表情」を浮かべました。

 「できるかぎりの調査したつもりだが、内部だけでの調査では限界がある」(海上保安庁・鈴木久泰長官)

 「内部調査では限界がある」として、被疑者不詳のまま国家公務員の守秘義務違反などの疑いで東京地検と警視庁に刑事告発。福岡高検を主体とした幅広い捜査態勢がとられることになりました。

「国家公務員の守秘義務規定に関する罰則というのが相当程度軽い」(仙谷由人官房長官)

 今回の問題で管理不行き届きを問われた政府は厳正な捜査を求めました。

 捜査の行方を見守る地元・石垣の人たちは・・・

 「罰しないといけないと思うけど、心情的にはそこまでしないでもいいかなという気持ちもある」(石垣の人)

 検察当局は今後、コンピューターの専門知識を持つ東京地検の事務官を沖縄に派遣したり、警視庁捜査1課のハイテク犯罪を専門とする捜査チームに協力を得て捜査を進めていく方針です。

 (TBSニュース11月8日16:20)



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 容疑者を特定せぬまま、刑事告発をしたのは、海上保安庁です。

 「苦渋の表情」をして、「できるかぎりの調査したつもりだが、内部だけでの調査では限界がある」と、やむにやまれぬ事情を感じさせられるもの言いです。
 
 記事には続けてこうあります。
『今回の問題で管理不行き届きを問われた政府は厳正な捜査を求めました。』


 問題が起こった以上、誰かが責任を取る(罪をかぶる)必要があるでしょう。
 海上保安庁は、政府からの要請を受けて、その覚悟があることを示さなければならない状況に追い込まれたのだと思います。
 苦渋の表情にもなるはずですね。



 だけど、尖閣ビデオが世界に向けて発信されたのは、日本にとって良いことでした。
 日本国民には知る権利がありましたし、第三国に日本の主張の正当性を証明することもできました。
 少なくとも尖閣ビデオを流出した方は、政府に代わって、日本のためになることをしたのです。
 
 おかげで、民主党政権には批判が集まりました。

 『ビデオ映像流出の感想を記者から聞かれた民主党幹部が、「倒閣運動だろう」と怒りに満ちた口調で口走った』(11月7日産経妙)というのも頷けます。
 
 全面公開ともなれば、政権が崩壊しかねません。

 ※『海保乗員をモリで突く!“石原発”尖閣ビデオ憤激の中身』




 そういった問題の矛先を、「日本のためになること」をした人を告訴して、吊し上げようとすることで反らそうというのならば、日本という国はもう、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波(りゅうぎょうは)氏を犯罪者にする国と、何の変りもありません。

 反日教育をするさもしい中国共産党と、何の変りもありません。

 
 

 今回の問題の責任を取るのは民主党政権です。

 犯人捜しをする前に、まず、中国漁船衝突事件のすべての責任を取って、一刻も早く退陣していただきたいと願います。




  

http://www.youtube.com/watch?v=3LIjVEvpbRA

http://www.youtube.com/watch?v=yr7IzVXRcls

http://www.youtube.com/watch?v=fI9OA3JYIk0

http://www.youtube.com/watch?v=dbl_Tp6hikc

http://www.youtube.com/watch?v=YDTsMLc_7Ro



 
 

2010年11月7日

『 だからと言って、この新しい情報戦争には負けるわけにはいかない』  ~箱根仙石原・芒(ススキ)の夢想と戦争と~

 

 

 

2.花穂がいっぱいでした。

 

 日本という国は情報戦争においていつでも負けていた。

 

 南京事件が三十万人という大虐殺とされたのも、慰安婦が旧日本軍においての強制連行とされたのも、そもそも盧溝橋事や第二次上海事変で日中戦争全面化に繋がったことが旧日本軍による侵略の結果であるとされているのも、すべて、情報戦争に敗れて、相手にいいように流布されたからだと思っている。

 

 『沈黙は金、雄弁は銀』、もしくは、『水に流す』

 何も語らず黙っているのは金の価値であり、おしゃべりは銀の価値である。沈黙ははるかに雄弁に勝るという西洋のことわざを地でいき、たとえ正当なものであっても自己主張することを良しとしない。また、お清めにもあるように、過去のいざこざや気まずさを、すべてなかったこととする「水に流す」ことを美徳とする国民性からか、沈黙したまま事件を忘れてしまう。

 これでは、『嘘を百回言えば本当になる』ということわざを地でいき、儒教の魂魄説から死霊の復活を信じては、墓を暴いてでも敵にとどめを刺そうとする相手にかなうはずもない。

 

 

 11月4日深夜、「sengoku38」を名乗る利用者がyoutubeに尖閣ビデオをアップロードした事件で、中国はすでに中国流の情報戦(=捏造)を仕掛けてきているそうだ。

 

『【尖閣ビデオ流出】中国逆ギレ「映像は日本の俳優が演じているに違いない」』

 

 散々日本からぶつかって来たと言っていたのに、さて、実際のビデオが出回ったら、 「日本の行為自体が違法で、こうしたビデオ映像で真相は変えることはできない」だと。
 何を言うかと思えば、「たとえ中国がぶつかったとしてもそもそも悪いのは日本」なのだそうだ。それも可愛いもので、翌日には「Japanese coastguard hit Chinese fishing boat at Diaoyu Island(尖閣諸島で海上保安庁が中国漁船にぶつけた)」。というタイトルを変えたビデオ(内容は同じ)を今度は広めていると言うではないか。

 

 まったく開いた口ふさがらなかった。
 どこまで、ずうずうしいのか。とにかく中国にとって悪いのはすべて日本なのだ。
 政府は、ビデオ流出元を調べることなどうっちゃって、残りのビデオもすべて公開するべきだ。

 どこまで、情報戦に負け続けるつもりなのか。

 

 

 今回のビデオ流出で、私が抱いた第一の感想は、「なるほど、その手があったのか」ということだった。
 ブラボー。政府が頼りにならないから、勇士が立ち上がる。発信する媒体は、全世界を相手としたインターネットだ。
 平成の坂本竜馬をずっと探していたが、その答えを見つけたような思いがした。
 彼は個人ではなかった。そして武器も刀でも拳銃でもなかった。

 

 ずいぶん冷めた目で、この戦いの幕開けを眺めたものだ。何せ私は、古い時代の価値観、民主党が象徴する『沈黙は金』の世界に磔(はりつけ)られていて、身動きができなかった。
 

 

 その時、私が夢想していたのは、ススキの高原だ。

 

 私はススキの中に立っている。小高い丘から仙石原に広がるススキたちを見下ろして、ススキの原の一本道、人々が連なって歩いていく様を眺めている。

 ススキを鑑賞している人の群れは蟻んこの行進のように見えた。

 私は高みからその美しい高原と流れていく人々を写真に撮ろうと必死になっている。

 風が吹くたびに、花穂が沈んで、弧を描くように垂れていく。こうべを低く、低くして、ああ、綺麗だなぁと思うのだけれど、なんだかずいぶん寒いようだった。

 

6.もこもこです。

 

 ところが実際の私は、一本道をみなと同じように歩いているのだ。
 そして、ススキは風が吹くたびに、垂れた、美しい穂をのけぞらせて、反り上がるように穂を天に向けていく。

 自分の意に反して、本来の造形の美も失って、花穂を上へ、上へ、と向けていくのだった。

 

 5.風に吹かれて。

 

 これでは、ススキの姿が撮れないと、私が思うススキはこんな姿じゃないと私は毒づいている。

 穂を天に向けて立ち上がるススキは、とてもではないが力強い姿には見えず、か細く、小刻みに震えているようだった。

 

 

 お昼も過ぎてから私は突然ススキが見たくなって、仙石原へと向かったのだ。
 電車に乗ったときは、どこへ行こうか当てがなかった。いったん途中下車して、考えて、また当てもなく電車に乗った。一番長く座っていられる電車に乗って、終点で帰ってこようかと考えた。
 何だか、とてもじゃないが撮影旅行の気分ではなかったのである。
 が、ふとススキの原が頭に浮かんだら、一目でいいから見たくなってしまったのだ。

 

 

 1.千石原の芒さん見てきました。 IMG_8754 IMG_8827

 

 

 仙石高原についたときはもう3時半をまわっていて、すでに山に日が落ちようとしていた。私は高原の中の一本道を歩きながら、急いでススキを撮って、そして、帰ってきた。

 ススキを見ること1時間、たどり着いて帰るまでに6時間を費やした旅だった。

 

 

 それだけの話だ。この話はこれでおしまいである。
 ただ、夢想した通りではなかったと、私が歩いたのは一本道で、ススキは風が吹くたびに垂れた穂を反らして立ち上がったというだけの話である。

 

 帰り道に手持ち無沙汰な私は対応のそっけないゲームをしたり、最近のニュース記事を読んだり。
 それも飽きて、一冊だけ持ってきた小さな本を読んだりしていた。

 

 明日からまた日常が始まる。
 夢想は消えたわけではないが、どうにかなりそうな予感だけはしている。

 もしも、私が日本で、私を取り巻く人々がすべて中国人だとしたならば、ほんの少しだけ、彼らが必死になって「本来の姿を見失う」理由だけはわかったような思いがしていた。

 

 

 

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2010年11月5日

『限りなくクロに近いグレーの男、またしても自ら疑惑を招く』 ~小沢氏、政倫審出席を拒否~

 



 小沢さんは自分がなぜ逮捕されたのかを忘れてしまったようです。





 健忘症でしょうか?







 

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『小沢氏、政倫審出席を拒否 岡田幹事長と会談  重要法案に影響も』

 民主党の岡田克也幹事長は4日、国会内で小沢一郎元代表と約30分間会談し、野党が求める国会招致を巡り意見を交わした。

 岡田氏は衆院政治倫理審査会への出席を要請したが、小沢氏は「自分の今の考えを変えるつもりはない」と拒否した。

 野党が主張する証人喚問や政倫審の早期実現が難しくなったことで、2010年度補正予算案や重要法案の国会審議に影響が出る可能性もある。

 (日本経済新聞 Web刊 2010年11月4日




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 小沢さんが第5検察審査会が起訴議決されたのはなぜでしたっけ。

 


 小沢さんの嫌疑は相変わらず不十分でした。

 確固たる証拠はありませんでした。



 彼が起訴すべしとされたのは、以下の二つの理由です。



『小沢氏の言い分は到底信じられない』

『4億円の金の出所が怪しい』



 クロではないにも関わらず、(不動産投資はおかしいけれど、私も恐らくシロだと思います)限りなくクロに近いグレーだというだけで起訴されてしまったのですね。


※『僕には夢があった







 これは、国民の正直な小沢さんのイメージだと思います。



 今までの彼の政治家としての生き様が、そういったイメージを私たちに植え付けたのです。



 今回起訴となった「政治とカネ」問題でも、小沢さんは一度も国会で説明をしませんでした。

 証人喚問はもちろん、6月に一度は開催すると約束した衆院政治倫理審査会も実現されませんでした。




「自分の考えを変えるつもりはない」






   



いや、そろそろ変えましょうよ。



(小沢さんは相変わらず頑固で、小渕さんや安倍さんの末路を思い出させますね)






 いつでも表舞台に立たず、影の(権力者とか)イメージばかり作っているから、怪しいと疑われるのです。

 怪しいと疑われたから、罪もないのに、起訴されたのです。



 法廷で白黒つけるよりも、政界再編するよりも、
 今ここで「政倫審に出るよ」とひとこと言ったほうがよほど、

 すべてがうまく回って、国民からもシロとされるのではないかと思うのでが。


 誰か健忘症の小沢さんに伝えてあげてくれませんかね。




 

2010年11月4日

『守りの弱い日本へ』 ~農業を守ることは、日本を守ることです~

  
  

 第三次世界大戦があるとします。


 大体こんな構図です。

 アメリカ・韓国・日本・(もしくは欧州) × 中国・ロシア・北朝鮮・(もしくは中東)



 最近の物騒な世界情勢を見ていると、あながち遠い未来の話ではないと思えてきますね。









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『韓国・李明博大統領、G20前に記者会見』


 韓国・李明博大統領は3日午前、先進国に新興国を加えた20か国・地域(G20)首脳会議(金融サミット)が来週、ソウルで開かれるのを前に記者会見し、世界経済の不均衡を正すためのガイドライン作りについて「合意に至ることができる」と自信を示した。

 日本との経済連携協定(EPA)について、肯定的な考えを示しながらも「日本が農産物を保護しており、協定を結ぶのを難しくしている」と述べた。




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 韓国の貿易黒字は過去最高となりそうです。

 10月の貿易収支は過去最高となる69億ドル(約5570億円)。

 好調に乗じて、オバマ大統領と電話首脳会談を行い、米韓FTAについての早期合意に向けた話し合いも行いました。



 そんな絶好調の韓国・李明博大統領がニュースの最後で日本とのEPAについて言及しています。



『「日本が農産物を保護しており、協定を結ぶのを難しくしている」と述べた。』



 今月中旬にはAPECも開催されます。

 日本はそろそろ答えを出さないといけません。農業を犠牲にするのか、それとも守るのか、選択しなければいけない状況に追い込まれました。



 経済戦争に勝つには、経済連携や自由貿易が不可欠です。政府も韓国に倣って、TPP締結の際の農業支援案を検討しているようです。





 しかし、そうなった後で、実際の第三次世界大戦が起こったらどうなるでしょう。



 3日付の産経新聞「主張」によれば、

 日本は主権国家として不法な行動を排除することができない、と言っています。



「例えば、領海を侵犯する無害でない行為を日本は排除し、処罰する規定を持っていない」


「これらは憲法9条の戦力不保持規定に象徴される「非軍事化」に束縛されているからだ」


 *【主張】憲法公布64年 国家の不備を正す時だ 尖閣を守る領域警備規定を






 日本は守りが圧倒的に弱い国体なわけですね。



 食糧危機で実際の第三次世界大戦に陥る可能性も高いわけですし、ここはこんな風に考えてはいかがでしょうか。





「防災には、非常食が大切です」





 経済戦争に勝つことも大切ですが、実際の戦争に備えることも大切です。



 民主党政権の皆さんには、そこのところを踏まえて、経済に偏りすぎない慎重な判断をしていただきたいと思います。