2010年12月31日

シダンゴ山で歌う。 ~もしくは、山の名と憎いあんちきしょうの名と~

  




  

 山を登るときに、一番に考えるのは名前のことである。
 どの山に登ろうか、そう迷った時に標高だの山岳の特徴だの眺望だのはほとんど調べもしない。
 名前にインスピレーションを覚えるのだ。
 あいにく、丹沢には美しい名前の山が数多くある。それでまた悩んでしまうのだが、まぁ、それも楽しい。
 檜洞丸(ひのきぼらまる)、菰釣山(こもつるしやま)、鐘ヶ嶽(かねがたけ)、檜岳(ひのきだっか)。
 最近気になっているのが最後に挙げた檜岳で、これは音が好きだ。漢字の字体と音の響きと、名前にはいろいろな魅力があるが、「檜ダッカ」の場合は圧倒的に響きが良い。
 私にとっては多少難易度が高いコースなので、春までにもう少し体力をつけてから挑もうかと思っている。
 今日はその手前のシダンゴ山(しだんごやま)から、檜岳を望んでやろうと出かけてきた。
 過酷な来年を迎えるにあたって、決意を固めるためにとでも言ったら良いのか。

 それにしても、シダンゴ山というのは、どうだろう。ダンゴ虫を思い出す。もしくはかぶりものの怪獣を。
 なんでこんなにダサい山の名前を付けたのか。
 私は多少の失望を覚えながら、その小さな里山へと向かったのだ。


 
 丹沢の山々に囲まれた山里、寄(やどりき・やどろぎ)。
 中津川流域の集落で、古くから北にある甲斐の国・道志と密接な関係にあった。
 道志の人々は、相模の国に出るのに、安全な尾根を伝い、峠を越えて、寄に出た。寄から秦野や小田原へ向かっていったのだ。
 甲斐と相模の国を繋いだ小さな集落は、いつしか、旅のものに安住の地を与えることもあったという。
 私は始め、この寄が読めなかった。いつもより、より、と読んでいて、
「よりのバス停はどっちですか?」
 などと尋ねていたものだ。
「より?」里のものは首をかしげて「いや、そういうバス停はないよ」
 今思えば失礼な話であった。

 寄からスタートして、1時間から1時間半も歩けば、シダンゴ山の山頂である。
 ファミリーハイクにはうってつけの距離だ。標高も758mと、無難である。
 私は地図とコンパスを片手に歩き始めた。
 大寺の集落を超えると、茶畑に急な坂道。イノシシ避けの防護柵を開いたとたん、景色が一変する。
 これは帰りの宮地山を通ってのコースでも同じだった。やはりイノシシ除けの防護柵を過ぎると、集落の景色が広がっていた。行きはその逆である。
 まるで、結界だなぁ。
 思わずつぶやくほどに、防護柵の向こうには、深い里山が広がっているのだった。
 興味を覚えて、写真を撮ろうとすると、その暗いこと。ISOを1600(私のカメラの限界)まで上げても、手持ちでぎりぎりのシャッタースピード(私の基準だと1/10が限界)が得られない。仕方なく、露出補正を最大限度まで下げて、やっとのことで森の景色を撮る。これだけ一変して暗い里山に入るのはめずらしい。以前記事にしたあの鐘ヶ嶽よりも、―あの時は夏だった、という考慮はしても、あれよりも暗く感じられる。
 生い茂るのは、植林された杉たち。山頂近くには赤松混じりの雑木林と変わるのだが、途中途中の山の斜面に伐採された植林の杉が倒れている。
 かつては林業も栄えたのだろうが、と想像するに難くなかった。まるで何十年も前から、彼らは不必要となり、凍結された、もしくは衰退した事業を思わせた。
 景色としたら、何の面白味もないただのぼさ山(しかも廃れた感の・・)である。ただし、やはりあの鐘ヶ嶽と同じように、結界を超えた時点の空気の違いはさすがに恐ろしく感じられた。
 私は鈴を取り出して、大きく鳴らしながら先を急いだ。
 
 このおかしな名前の「シダンゴ山」、実は私が持参した25,000分の1の地図に登山道が載っていないのだった。多少はある。が、途中途中で切れていて、あとは高等線だけであった。
 私は地図読みの勉強にちょうどいいと思い、何度も地図とコンパスを取り出して、現在地や山道を確認した。尾根に乗ったら一直線のはずが、コンパスで方角をセットしても、方向がぶれる。それもそのはずで、広い尾根は螺旋階段のような登山道を作っている。ぐるりぐるり、スイッチバックで前後戻るように登りながら、私のコンパスの磁針はくるくる揺れた。
 まるで、方角や目的地を隠すように仕組まれているような可笑しさを感じる。
 山道さえなければ一直線の方角なのに、人の手でわかりにくくされている。私はそんなことから、会社のことを思い出さずにいられない。
 簡単な仕事をやらされているはずなのに、たぶん目的も到達点もすぐのはずなのに、私たち従業員は管理者の手でくるくる回されているようだ。
 簡単に示してなるものかと。すぐに届かせてなるものかと。私や同僚たちのスイッチバックを重ねて迷い子のような様子が浮かんでくる。見上げると、雑木林に隠されている頂。真っ直ぐの尾根は、コンパスの正面に続いている。地図を見れば、あと0.3Km、標高にして120mもない、あっという間のところであるはずだ。
 なんでこんな道を作るのだろうか。坂を緩やかにするためか。登りやすくするためだろう、実際そのほうが登りやすいのだろうか。方角を測れなくて、取りあえず先に行って目標物を見つけてからセットし直そうととにかく道を行く私がいる。
 現在地に疑問を抱き始めた。さっき読んだ距離も標高も違っているかもしれないと思い始めた。

 地図読みの勉強に来たはずなのだが。思うようにいかないことから、私は次第に意気消沈して、嫌なことばかりを思い出すのだった。
 時々意識を固定できずに、思考が散漫になる。そういう時、私は直近の「嫌な出来事」を繰り返し思い出して、独り言を呟いたりする。
 心もとない時や、自分に対して怒りを感じた時に、私が呟くのは大抵過去の恋人の名前であった。
 未だ、自己のアイデンティティーと直結しているのだろう、助けを求めるように、怒りをぶつけるように、繰り返し呟く。
 恋愛感情が消えた後も、ここまで私の根本に居座り続ける「名前」に驚かされながらも、もう数年も諦めるようにその儀式を続けいている。時々は心配になるのだった。
 こう意識が飛ぶようだと、その時間が増えると、いつか正気を保てなくなるのではないかと。
 「嫌なこと」を我慢しながら、生きていくということは、彼らに「自分であること」を奪われるこの時間を与えられているに等しい。どうにか意識を自分に固定しなくてはと私は焦る。
 多分、直近の「嫌なこと」は叩かれすぎたのだろう。
 分断統治のポジション的に、もしくは性分ゆえに、私は他者(同僚)からもっとも叩かれやすい位置にいる。サウンドバックになりすぎたのだ。今回は避ける場所がなかった―


 25,000分の1の地図で消された登山道。ガイドブックでは尾根一直線であるはずの登山道をくるくる回りながら、今度は私は先日観たテレビの特番を思い出している。
 『ぼくはロックで大人になった ~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~』というその番組の。
 忌野清志郎が自分の子供たちに初めて作った絵本のことだ。
 あれは清志郎の息子だったか、少年が初めて街に行くと、みな忙しそうに歩いていて、少年をどついたり蹴飛ばしたりするのだった。倒れた彼を助けてくれたのは、浮浪者・・だったか、障害者だったか、街の弱者であった。彼は少年に古いギターをくれるのだ。それを少年が引いて、歌を歌い始めると、もう誰も彼を蹴飛ばさなくなったというお話。
 ナレーションでは、「清志郎さんは子供たちに歌の持つ力を伝えたかったのでしょう」というようなことを言っていたと思う。
 しかし、私はそういうラブアンドピース的な物語ではないと思ったのだ。歌に感動したから、みんながせわしなさや悪意を忘れて、少年と心を一つにした、とか。そういう綺麗ごとではなくて、あの絵本の通りに、ギターを弾ける者には、街の人々は「どついたり蹴飛ばしたりしない」ということをただ言いたかっただけではないかと。
 そして、清志郎は自分の息子と娘に、「ギターは何でもいいんだよ」とも伝えたかったのではないだろうか。それは絵でも、学問でも、ファッションでも何でもいいんだ。ギターを与えたのが、弱者だったというのも象徴的である気がする。どつかれて排斥された者たちの代弁者、そこから始まるのだと。
 ああ、私にもギターがあればいいのになぁ。そうすればもう誰からもサウンドバックになどならない。
 そして、私は自分がいつか同僚に写真を褒められたことをふと思い出した。私にも「ギター」があるかもしれない。なぜ、それをもっと皆に見せないのだろう。歌を歌わないのだろうか、とふと思って、ああ、そうか。あの絵本は、ギターを弾けることとともに、冷たい人々の中で歌を歌う勇気を持つことも伝えたかったのかな。などと考えている。

 気配を感じて、視線を上げると、直線の尾根道が続いていた。その先、木々が途切れて、空が広がっていた。
 そうだ、そうだ。もっと歌を歌わなければ。誰もわかってくれない。
 サウンドバックのままだ。
 閃くようにそう感じられて、湧き上がってくる熱い思いと同時に私は山頂へとたどり着く。
 シダンゴ山の山頂。北に、鍋割山から伊勢沢ノ頭、檜岳、雨山に続く稜線が。その奥には、雪景色の塔ノ岳と丹沢山が。そして、南に、秦野の街と相模湾が。真鶴半島から湘南までずっと続いて見えているのだった。雲の冠をところどころかぶりながら。
 思わず叫んだものだった。

「わぁ。なんて綺麗なんだろう」
 
 そこで初めて私は、ガイドブックによって、山頂の展望が素晴らしいものであることを知る。
 祠のそばの歴史が刻まれた石碑によって、この山の由来を知る。

 
 当時山頂に居住していた仙人が、仏教を宣揚した。彼は他の山のいた同様の仙人たちと盛んに往来していた形跡があり、その仙人のことをシダゴン、梵語で「羅漢」(仏教の修行の最高段階に達したものを意味する)呼んだことから、シダゴン転じてシダンゴ(ウ)(震旦郷)と呼ぶようになった。
 

 私は360度の景色を写真にとる。一つ置かれた木のベンチに腰を掛け、あせびの植林のなかで休憩を取る。帰途に就く前に、祠の前に立ってもう一度山の神に手を合わせた。
 コンパスをその前において、方角を合わせて、それから頭を下げた。
 どうか道を迷わずに、真っ直ぐに、あなた様の元へたどり着けますように。


 帰り道の宮地山ハイキングコースで私は鼻歌を歌ってご機嫌である。
 なぜか「明日のジョー」飛び出した。
 歌詞を思い出すように終いまで歌ってみると、今日の思考に適っているようであり、可笑しかった。しかし、過激な歌詞だ。よく放送禁止歌にならなかったものだ。叩け!叩け!叩け!

 おいらにゃけものの血が騒ぐ。
 だけど、ルルル・・

 叩かれる憎いあんちきしょうが自分であると考えてみた。
 ジョーが同僚たちであるように。
 すると、明日はきっと何かある、明日はどっちだ、と。明日への希望と迷いを哀しく口ずさむジョーが彼らと重なって、やるせなかった。
 私の「歌」は長続きしない。落ち葉が積もる宮地山への道を、枯れ葉を滑らすように、蹴散らすように歩いていく。






 
 
 

 
 
 

2010年12月29日

靖国神社からの日本再生。 ~売国政治家・仙谷由人の時代錯誤発言を思う~

   

『靖国アナクロ発言 官房長官の外交感覚疑う』

 仙谷由人官房長官がフジテレビで、小泉純一郎元首相の靖国神社参拝と対中外交について「非常にアナクロティック(アナクロニスティック=時代錯誤)で、非常にまずい外交だった」と述べた。官房長官として不適切な発言である。


 小泉氏は首相在任中の平成13年から18年まで毎年1回、計6回の靖国参拝を行った。その度に中国は激しい非難を繰り返した。日本の国連安保理常任理事国入りの問題とも絡み、中国で大規模な反日暴力デモが起きたこともある。

 仙谷氏の発言はこうした時期の小泉氏の対中姿勢を批判したものだが、時代錯誤ではない。

 靖国神社には国のために亡くなった246万余柱の霊が祀(まつ)られている。どれだけ時代がたっても、首相が国民を代表して哀悼の意を捧(ささ)げることは当然の務めである。小泉元首相は国のリーダーとしてその務めを果たした。仙谷氏は国家の責務を考えていない。

 仙谷氏は番組の中で「中国との関係で失われた5年間、6年間は、今の外交にも傷として残っている」とも述べた。今の中国との関係がうまくいかないのを、小泉元首相に責任転嫁した発言だ。

 (産経新聞12月29日 主張より)



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 仙谷氏が中国(または北朝鮮・韓国)に過度に配慮することは知っている。
 (多分国民全員が知っている)
 またか、くらいに考えて流してもいい記事かもしれないが、さすがにこれは受け流せなかった。
 民主党政権が崩壊した後、さて日本はどうなるかとよく想像をする。
 その時に、絶対条件として私が掲げたいのは、堂々と「靖国神社に参拝する」ことができるリーダーが存在する政権であるということであった。

 今年の終戦記念日、菅内閣の閣僚は一人も靖国神社を参拝していない。
 そして、野党・自民党はそれを政権批判の材料とするために、元閣僚・議員たちが続々と参拝した。
 自民党は与党時代よりもよほど保守に回帰しつつあるように見えなくもない。
 だが、もしも、彼らが政権を奪取して与党に返り咲いたらどうなるか。
 民主党よりは、より保守的な姿勢を打ち出すとしても、靖国神社に堂々と参拝できるだろうか。
 たとえば第2次麻生内閣を想像する。
 有能な麻生さんならば、倒産しそうな日本株式会社を奇跡的にも甦らせてくれそうだとは思う。
 しかし、彼は絶対に靖国神社に参拝することはないだろう。終戦記念日などもってのほかだ。
 有能であればあるほど、「グローバル化」だの、「他国への配慮」だの、相対的な視点と日本の利益を秤にかけて、それを念頭に置くに違いない。
 ならば、第2次安倍内閣ならどうか。
 やってはくれそうな気概はありそうだが、すぐに殺されそうな予感がする。半分冗談だが、とりあえずうまく立ち回れずにすぐに政権は失脚しそうである。

 大連立に反対なのも同様の理由だ。
 日本を思う政治家たちが力や知恵を出し合ってくれるならば、どの党でも構いはしない。むしろありがたい話ではある。たちあがれ日本や自民党は危険な「永住外国人の地方参政権付与法案」を絶対に阻止してくれるだろう。
 だが、売国法案は阻止できたとしても、保守派が掲げていた「日本のため」の政策は怪しい。
 靖国参拝などもあやふやにされて、(もしくは民主党の意向を「逃げ道」にされて)終戦記念日の参拝など叶いはしなくなるだろう。
 
 なぜ、靖国参拝にこだわるのか。
 別にいいではないかと思われそうだが、私はあそこから他国による日本の支配は始まったと思っている。
 A級戦犯が合祀されたことも暗示的だ。
 あそこが日本が終わった(主権を奪われた)原点だ。
 絶対に、次に政権が変わるときは、これだけ国民は思い知らせれたのだ、次に新しい日本の形が生まれる時は、そこだけは絶対に譲ってはいけないのだ。

 時代錯誤とはそういう意味である。
 今の時代は、日本と、日本人にとっては、『中国の意向』に沿うほうが重要だということだ。
 祀られるべき霊魂は、『戦争犯罪人』だということだ。

 私は冒頭の記事を読んで、こういうものが、日本という国の官房長官であることに改めて失望を覚える。
 それがどんなに恐ろしい事態を表す言葉であるか。
 彼らはまるでわかっていない。

 
  
 
 
 
  
 

日本の逃れられない運命を導き出せるか。 小沢一郎政倫審に出席!

  

 「贈答歌」というものがある。
 和歌の増歌と返歌のことで、贈られた歌の言葉を対応させながら、相手の気持ちに反発するように歌を返す。
 「万葉集」の時代から起こり、「後撰集」(951年)の時代に一番多く交わされたそうである。
 興味深く感じたのは、歌の言葉を生きていく営みの上に活用したということ。
 心情の吐露や花鳥風月の趣きをただ詠んだものではない。歌は行為の一部であった。
 優れた贈答歌は、恋や別れの歌を贈った相手が、返歌によって、逃れられない運命やえにしを導き出される。
 まるで言葉に絡み取られてしまったかのように。
 これは歌を返す相手の技量(和歌のレトリック)による。贈られた言葉を逆手に取って、相手をがんじがらめにするのだそうだ。
 いかに自分を相手にとって無視できない存在とさせるのか。相手の中で大きな位置につけるかが、返歌にとっては重要だったのだ。



 
 仕事納めの後、家でのんびりとニュースや同志のブログを見ていると、ふと小沢一郎の会見の文章を目にした。
 政治治倫理審査会についに出ることを決めたそうである。
 その英断をたたえる記事だったのだが、私は思わず首をかしげた。
 どこが英断なのか。
 下記、全文引用するが、どうにも恐ろしい「返歌」に思えたのであった。



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『私はこれまで、菅(直人)代表及び岡田(克也)幹事長から、

自発的に政治倫理審査会へ出席するよう要請を受けてまいりました。

それに対し、私は、政治資金に関する問題はすでに具体的な司法

手続きに入っており、三権分立や基本的人権の尊重という憲法上の

原理原則からいえば、立法府の機関である政倫審に出席する合理的

な理由はない、ただ、私が政倫審に出ることで、国会運営が円滑に


進められ、あるいは、選挙戦においても国民の皆様の支持を取り


戻すことができるということであれば、政倫審に出席することも


やぶさかでないと、繰り返し表明してまいりました。



 そうした中で、先般、民主党の最大の支持母体である連合から、

挙党一致の体制で難局を乗り越えるよう、強い要請を受けました。

また、国民の皆様、同志の皆様にも、多大なご心配をおかけして

いることを、大変申し訳なく思っております。これらのことを

総合的に考え、私は政治家の判断として、来年の常会において、

政倫審に自ら出席することを決意致しました。



 具体的に申し上げます。



 第一点目として、常会において私が政倫審に出席しなければ国会

審議が開始されないという場合、すなわち、私が出席することに


より、予算案の審議をはじめ、国会の審議が円滑に進められると


いうことであれば、常会の冒頭にも出席し、説明したいと思います。



 第二点目は、私が政倫審に出席するかどうかということが、国会


審議を開始するための主たる条件ではないということであれば、


国民の生活に最も関連の深い予算案の審議に全力で取り組み、その


一日も早い成立を図らなければなりません。したがって、私はこの

場合には、予算成立の後速やかに政倫審に出席したいと考えており

ます。

平成22年12月28日  衆院議員 小沢一郎

<産経新聞28日>』





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 菅内閣はこれで追い詰められたな、ととっさに感じた。
 自分たちのことばかりを量り、小沢の「政治とカネ」の問題を利用しようとしたツケが回ってきた。
 正義を主張する言葉を逆手に取られて、がんじがらめにされたのだ。
 もしも、通常国会の審議前に小沢が政倫審に出たとして、それでも予算案の審議をはじめ、国会の審議が円滑に進められることが出来なければ、菅内閣の失速と小沢の問題は無関係であったということが証明される。
 その時は菅内閣は退陣を迫られるだろう。
 
 もしも通常国会の後に小沢が政倫審に出ることにしたとして、しかし通常国会で国民の生活に最も関連の深い予算案の審議に全力で取りくめなければ、(野党や国民にそう感じさせることができず国会の審議が円滑に進められることが出来なければ)、小沢は政倫審に出る必要がなくなる。
 小沢は自分が逃れるすべと、相手を破壊しかねない爆弾を、この返歌に込めた。

 さて、今日のニュースをまだ見ていないお寝坊さんだが、この後どうなったか。
 日本はどうされるのか。
 ドラマを見るより続きが楽しみな政局ではあった。


 

2010年12月28日

たちあがれ日本、連立参加を拒否!

 

   

 『政権の窮状浮き彫りに=たちあがれ、連立参加を拒否』



 菅直人首相によるたちあがれ日本への「連立工作」は27日、あっけなくついえた。構想が表面化してからわずか3日後。首相は、同党の連立政権参加で政権基盤を強化すると同時に、自民党や公明党との将来的な連携への「橋渡し役」も期待した。しかし、理念や政策の擦り合わせを後回しにした「数合わせありき」の姿勢に「ノー」を突き付けられ、政権の窮状をさらけ出すだけに終わった。


 (jiji ドットコム12月27日)


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【たちあがれ日本】メールマガジン「さんらいず倶楽部」第29号


党代表、幹事長談話

平沼赳夫代表
 12月22日に民主党の岡田幹事長と会ったところ、岡田幹事長から「民主党には人材がいない」、「参議院での運営で非常に難渋している」、「拉致問題でも前向きな形をとりたい」といった話があり、我が党に対して協力要請がありました。
確かにいまの日本の政治は、危機的な状況にあります。従って、我々「たちあがれ日本」の主義・主張をベースとして、我が国の危機的な政治の状況を救うために行動することはやぶさかではありませんが、今回報道されているような形での「連立」はありません。

園田博之幹事長
本日の緊急役員会において所属議員六人全員で話をしましたが、「このまま民主党に政権を委ね続けると、日本が危ない」という状況認識については、我々六人は完全に一致しました。特に社会保障と税制抜本改革、経済成長と雇用拡大、そしてTPPと農政改革などと共に、新憲法制定といった根本的な課題についても、多くの政党と連携して取り組むべきだと考えています。
しかし、岡田幹事長の提案の主旨は、我が党と連立を組むことで厳しい国会運営に活路を見い出したいということであって、我々が考えているような「日本を救う」ための申し入れではありませんでした。
よって、「たちあがれ日本」としては、「今回の連立申し入れには応じられない」ということを決定した次第です。

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 とりあえず連立はないようなのでほっとしました。
 与謝野さん(ひとり)はがっかりしていそうだけど。

 関係ないですが、たちあがれ日本のメルマガって「さんらいず倶楽部」というタイトルだったのですね。
 ついさっき気がついて、ちょっとウケてしまいました。
 そりゃどこからも日の昇るアテのない民主党とは組めないですよね。
 富士山も泣いちゃいますよ。

 

 



 

 で、テーマソソングは都倉俊一さん作詞。


 今はなき 阿久悠さんと、ピンクレディー全盛期を築いた大御所ではありませんか。
 『ペッパー警部』とか、『S・O・S』とか。
 懐かしいですね。

 都倉俊一オフィシャルホームページ


 都倉先生も立ち枯れ・・ もとい、たちあがれ世代でしょうか。
 若々しいお写真に驚きました。

 爽やかな歌を聴いていると、明日を信じて頑張ろうという気持ちになります。

 

 
 それにしても、「(大)連立工作」がたった3日でついえた菅首相は間抜けですね。
 あれだけ小沢切りに四苦八苦してるのに、

 意味ないじゃん。
 


 




2010年12月26日

劇薬を以て平成維新を巻き起こせ!

 

  
 『内閣支持23%、不支持67% 共同通信世論調査』



 共同通信社が25、26両日に実施した全国電話世論調査によると、菅内閣の支持率は23・6%と11月下旬の前回調査と同じで、不支持は67・0%と過去最高になった。
 2011年度予算案を評価するとの回答は18・4%にとどまり、評価しないと答えた人が76・0%に達した。小沢一郎民主党元代表に自らの政治資金問題をめぐり国会での説明を求めたのは70・0%に上り、裁判の場での説明だけでよいとの回答は27・1%。この問題で81・1%が、菅直人首相はリーダーシップを発揮していないと答えた。
 (共同ニュース 12月26日)





 勘違いしてもらっちゃ困るが、私が政治に興味を持って、政治関係の記事を書くようになったのは、民主党が政権を取ったからだ。

 日本に闇の支配者がいるのは知っている。何せあれだけ先の大戦で派手に負けて、「東京裁判」で未来永劫消えぬような烙印を押されたのだ。
 未だ日本のあちこちには米軍の基地が残っている。
 ご丁寧に与えられた「日本国憲法」では戦争放棄を掲げている。
 いくら大日本帝国から、清き正しい民主主義国家になろうとも、日本が主権を取り戻したなどとは思えるはずがないではないか。

 しかし、それは私にとって「仕方のないこと」だった。
 幸いにも戦勝国は、日本から天皇も、独立国である最小限の形も奪うことはなかった。
 そして、存続を続ける限り、いつか元の形に、本当の日本のあるべき形に戻り、主権を奪回するチャンスもあり得る。そんな儚い希望を持ち続けて、何事もなく生きていくことはできた。
 ところが、その最小限の国の形をさえぶち壊そうとしたのが民主党、鳩山・小沢政権であった。
 私は生まれて初めて、足元をすくわれるような危機感を覚えて、何とか食い止めようと躍起になった。
 歴史や政治の勉強をして、新聞や政治ブログを丹念に読むようになった。
 正直、鳩山・小沢政権が闇の支配者に打ち砕かれて、菅内閣が出来上がって時点で、すでに自民党政権時代と変わりはないのだ。
 熱い思いを抱き続けられるわけがないだろう。
 先の代表選が中国(もしくは社会主義)と米国(民主主義)の代理戦争だとしたならば、とっくに片は着いた。日本は、仕方のないまま「緩やかに崩壊」していく道を選んだのだ。


 反小沢の力がものすごいと以前に書いた。
 小沢救世主説が幻想だとしても、私は未だ彼への期待を捨ててはいない。
 小沢がたとえ中国の要望を我が国主権の象徴天皇に押し付けようとも、たとえ日本解体をもくろむ数々の法案を自らの権力拡大に利用しようとも、彼は明らかに闇の支配者に相反するところにいる。

 そして、なぜかこの国の国民はほとんどすべてが彼のことを嫌っている。
 政局は新小沢、反小沢でいつも動く。いつも排除されて少数派に陥る小沢はしかし、なぜか決して、何度負けても生き続けいている。

 私は彼に日本が主権を取り戻すいつかの希望を見ているのだった。

 私が鳩山・小沢政権によって、歴史や政治の勉強を始めたように、多くのそれまで政治に無関心だった、「仕方のないこと」と割り切っていた国民は、日本の未来のことを考えるようになったのではないか?

 同じように、本気で、危機感を抱かなかったか。

 日本にはもうエネルギーは残されていない。
 何度も言うが緩やかな解体を待つばかりである。

 私はだから本気で反小沢の原動力に期待しているのだ。

 小沢一郎と言う政治家の手腕や、彼の帝国に期待しているのではない。
 彼が権力の中枢にのし上がってくれば、それだけ彼に反する力も増大する。
 そして、その反勢力は、決して、闇の権力者の勢力だけではないと信じているからだ。
 もしもそうならば、自民党は野党に下野していない。
 菅政権は支持率が急落などしていない。
 予算案を叩かれて、浮揚するために利用するのは未だ反小沢(もしくは嫌小沢)ではないか。
 
 日本が再生するために必要なエネルギーを小沢一郎が与えてくれるとして。

 
 しかし、私はそこからがよくわからないのだ。

 私はそもそも闇の支配者(=日本の主権者=米国)と戦う気などなかった。

 彼らを叩く気などなかった。

 近頃の(私に対する)同志からの「闘え」、「書け」というアドヴァイスが見当違いであるように思えてならないのだ。
 いつか主権を取り戻す日の希望などと言うものは、「宝くじが当たったらいいなぁ」という期待とそう変わりはしなかった。
 そして、小沢一郎はちっとも浮上しないではないか。
 彼が消えてから、私はちっとも熱い政治記事が書けない。
 仕方ない日本と、仕方ない私に戻ってしまった。
 せめて彼が戻れば、この続きを考えられるかもしれないが、今はリアルではない。

 闇の支配者に犯された菅政権は、たとえ緩やかであるにはせよ、私が危機感を抱いた鳩山・小沢政権以上に日本を解体するだろうか?
 余命幾ばくかの、がん末期の老人、死を待つ老人であるがごとし日本は、劇薬を与えられた時と同様に危機を迎えているのだろうか。

 矛盾するようだが、私はすぐに殺されるのは嫌なのだ。
 だまし討ちを食らって、後ろからバッサリ、などと言う卑怯な殺され方が嫌なのだ。
 死を宣告されているならいいではないか。準備ができる。
 だんだんと死に向かっていくならば、それは国として当然あり得るべきことだと思われるのだ。
 どの国だって、いずれは滅びる。
 闇の支配者だって相当危ない。

 ああ、でもそれは言い訳でしかないかもしれない。
 本音を言えば、誰がなんと言おうと。
 日本が、この国が滅びるなんて、考えたくもない。

 ならば、闘うしかないのだろうか。
 小沢を何とか担ぎ出して、神輿に乗せて、最後の将軍にする。
 平成維新はまだ始まってもいないと私は信じている。(民主党の政権交代が維新だなどと笑わせる)
 反勢力の同志を集めて、平成維新を起こす。

 
 それしかないのか?

 「仕方がない」では済まないところまで来ているのか?

 死を待ってたらだめなのか?

 
 今の私には、菅政権が最小限の国の形を奪わぬようにに、チェック機構としての微々たる働きをするのも日々やっとと言うありさまだ。
 日本が緩やかな死に向かう時間を少しでも長引かせようと、抗がん剤ならぬビタミン剤でも与えているような情けないありさまなのだ。
 いったい何ができると言うのだろう。
 
 
 やはり小沢一郎の力が必要だ。
 
 彼を滅ぼす過程が平成維新へとつながる。
 後ろ盾と引き換えに現代の不平等条約を結ばされた韓国に倣ってはならない。
 
 
 小沢一郎を担ぎ出せ!
 毒にも薬にもならぬ菅政権は必要ない。


 


  
 
 

『光都東京 LIGHTOPIA』 ~砂上の楼閣を灯して~

 

 

 

 江戸から東京へ。常に日本の中心地として進化を遂げてきた、東京駅周辺と大手町・丸の内・有楽町地区。

 〈地球・環境・平和〉をコンセプトとした光の祭典、「光都東京・LIGHTOPIA」が、今年もこの地区に光を灯します。

  光都東京 LIGHTOPIA 2010

 

IMG_9418②

 

 12月25日、昨年に引き続き、光都東京に出かけてきた。
 クリスマスから年末に銀座~丸の内地区に写真を撮りに行くのはこれで3年目。夜景撮影経験ほとんどなしのカメラ初心者時代から、年末はせっせと通っていたことになる。
 1年を通じて、関東中心の様々な町に撮影旅行に出かけている私だが、年末、最後の締めはやはりどうしてもここにこだわりたくなってしまう。
 日本から出ることがない狭い私の世界の中で中心地はここ、世界の中心である街に立って、その姿を収めたくなるのだった。


 去年のアンビエイト・キャンドルパークは散々だった。
 皇居外苑会場〈和田倉噴水公園〉に小学生が描いた約600個の明り絵が並び (絵は環境や平和について訴えている)、幻想的な雰囲気に包まれるわけだが、この雰囲気、微妙な空間の空気感が難しい。私の腕と安物のカメラだと、ただ灯りが並んだだけの面白くもくそもない絵になる。空気感もへったくれもない。
 今年はぜひリベンジしたかった。


 5時過ぎ、マジックアワーが終わりかけるまだ夕陽の残像が残るころ、大手町に到着。内堀通りを歩いて会場へと急ぐ。和田倉濠には白鳥が一羽漂っている。泳いでいるという表現は似つかわしくないほど優雅に。流れるようにゆっくりと向かってきて、時々こちらを見るのだった。
 彼女のおかげで、鳥インフルエンザから口蹄疫などの感染症、そこから始まってパンデミック、環境破壊に経済危機にと地球終焉を暗示させるようなさまざまなニュースが頭をよぎる。が、お濠の橋の下(私の足元)に消えていった白鳥はとりあえず元気そうであった。心配事を振り払うように、道を進んでいく。
 まだ早いし、人も少ないかと想像していたら、もうキャンドルパークの前は人だかり。暖かい灯り色は人々の黒い影でずいぶんと遮られている。もう少し早く来るべきだった。自分の認識の甘さを思い知る。
 ただし、三脚を立てて、写真を撮っている同志が多くて励まされる思いがした。早速私も彼らに並んで撮り始める。不思議と、誰かが三脚を立てて写真を撮っている場所が一番よく見える場所だと、何の疑いもなく信じてしまう。彼らの姿はアイコンのようで、たぶん私だけじゃないだろう。へたくそな私が構図を探して、とりあえずここから撮ろうかと三脚を立てていると、周りに人が寄ってくることがよくあるからだ。そんな時、綺麗ねぇ、なんて囁き合う聞こえてくると、こちらは顔を赤らめたい思い。いや、ここそんなにいいポジションじゃないかも・・ごめんなさい。と申し訳なく感じたりするのだった。
 で、私はなるべくなら、レベルの高そうな写真家さんを探している。カメラの種類から彼らの風貌から物腰からそれとなく窺ったりして。または自分が撮りたいと思う場所にすたすたと歩いて行って、そこにそういう方がすでにいると自分の見当は間違っていなかったのだなと安心したり。
 まぁ、三脚で撮れる場所は限られているから偶然といえばそうなのだが、微妙な違いが素人とプロとを分けるならば、そう軽視はできないだろう。
 本来ならば、この祭典のテーマを思い出して、地球・環境・平和への思いを想起させたいところだったが、今の私にはそう言った思想的な観点で絵を撮ることが出来なかった。ただリベンジばかりを考えている。灯りが並んでいる。温かい色の一つ一つが繋がるように続いている。一つだけを見れば大したものでもないが、これだけの数が立ち並ぶとずいぶん壮大に感じられる。ただし、力強さや活力、エネルギーのようなものはそう伝わってこない。幻想的で、どこか儚げなようだ。立派な綺麗ごとのテーマは実体が薄い。


 祈りと言うのは、もしくは人と人との繋がりや思いの連鎖というものはこういうものかもしれない。この微妙な空気感をどうにかとらえたいと何度もシャッターを切るが、やはり綺麗ごとを切り取ることがやっとである。それどころか、綺麗ごとにも撮れなかったりするから思いはしぼむばかりだ。レンズを望遠に替えて、実は一部を切り取れば、幻想的な全景を思わせることができるのか、などと試行錯誤をしてみるが、そちらもなおさら難しかった。(明り絵の一つをクローズアップすると、幻想的どころか安っぽくてリアルになる。暈してもイルミネーションのように光が屈折しないのだった)
 ただ綺麗なだけのイルミネーションの方がずっと楽だ。華やかな街や街路樹の明りのほうがずっとましだ。今年もリベンジならずか。

 

 

 IMG_9419②  IMG_9417②IMG_9453②IMG_9437②

 


 この私にとって空気感を捉えるのが困難な祭典が、皇居のすぐそばで行われているというのも、象徴的に感じられた。日本人すべてを統合する「象徴」であるはずの彼の方々はまるでヴェールの向こうで実体が薄く感じられる。生活感も親しみも、近しいものは感じる方が恐れ多いのか。それなのに、私にとってまるでリアルではないのに、私の象徴である皇居の奥の方々の・・・


 今年の年明けは、美智子様を見たいなぁなどとふと思う。
 最近お体の具合も芳しくなさそうで心配であった。私はわずかに残された日本という姿の、彼女は最後の砦のように感じているのだった。美智子様がいなくなった時、日本も終わる。
 美智子様がご婚約の会見を行ったときに、明治からの皇族たちは「これで日本も終わった」と思ったと言う。彼女が皇族や家族の出身ではなかったからだというのだが、そんな四面楚歌の皇室の中で彼女がふと漏らした言葉。憎しみにかこまれているなかで、何かを作ろうとしても、それはまるで砂の上に築くようだと。砂の上に、彼女が作り上げてきたもの、崩れても、崩れても、何度崩れても諦めずに。美智子様が貫いてきた思いの深さを想像すると、私は敬虔な思いに駆られるのだった。身分や形式で与えられたわけでもなく、初めて、愛や慈悲の心で、その不屈の思いでこの国の精神性を守り抜いた方だった。彼女に見合う、彼女は私の象徴だと言い切れる日本人がどこにどれだけいるのか。そしてその誇りはもう失われかけている。
 ああ、まだいらっしゃるうちに、元気な姿をぜひまじかで見たいものだ・・一生、この先、二度と忘れぬくらいこの目に焼き付けておきたいものだ。
 そうすれば何が起こっても心は折れないような思いがする。砂の上に築き続けることができるような思いがする。

 
 
 

 撮影旅行で、心が折れたのは初めてだった。
 原因は寒さだ。私はもう撮り続けることができない。手はかじかんで動かず、寒さをこらえるために息を殺したり、歯を食いしばったりしていたので、胸や顔の筋肉が硬直していた。ぴょんぴょん飛び跳ねて、顎を開けたり閉じたりする。クリスマスの夜を過ごす恋人同士が妙な目をして、眺めていくが、そんな視線もどうでもよくなってくる。限界を感じて休憩を取った。有楽町のビルの一つに入り、地下街で温かいものを食べて、また立ち向かった。
 舞台はアンビエントキャンドルパークから、フラワーファンタジアに変わっていた。
 こちらも難しかった。望遠レンズでどうにか幻想的に捉えたかった。そのために三脚を持ってきたというのに、私はその光の美しさを切り取ることができない。またしても、全景で「綺麗ごとのイルミネーション」として写し取るしかできなかった。

 

IMG_9471② IMG_9496② IMG_9503② IMG_9529③ IMG_9545②

 


 最後にはあきらめて、望遠レンズを外した。標準ズームレンズで「イルミネーション」を撮り、帰ってきた。休憩を入れて挑んだおかげで、なんとか祭典の主要部分は撮ることができたが、ただそれだけだった。光都東京を周っただけで終わってしまった。
 私は最後にスタッフの女性に声をかけて、パンフレットをもらって帰る。
 今年は公式サイトを事前に見れなかった。若い女性が声を上げて、「いかがですか。お配りしています」と「光都東京・LIGHTOPIA 2010」の立派なカラーの案内を配っている。撮り始めた時から、最後にもらいたいと考えていたのだ。


 私はリュックを背負い、三脚を肩にかけ、その案内の絵を胸元に抱えるように持って地下鉄へと乗り込んだ。
 私の小さな世界へと。家へと続く線路に、滑り込んで来る電車。ガラガラだ。まだ帰る人々は少ない。まだまだ続く祭典を思いながら。たとえ砂の上に築くようになろうとも、やり遂げられるはずだ。あの方がいらっしゃるのだから。そして私の神々がいるのだから。キリストが生まれた今日の日があと数時間で終わるとしても。光都東京は今耀いている。
 

 

 

 

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2010年12月24日

菅首相にも知ってもらいたい若い世代のこと。

   
  
 今月14日、菅首相が、硫黄島に行ったと聞いた。

 ニュースで神妙な顔をする。政府の特命チームが進める日本兵の遺骨収集作業を視察しているのだった。
 遺骨を探すために掘り返した穴はまるでそれ自体が、『エネミー・セメタリ―』。
 いっそ首相自身をそこに埋めてしまいたくなった。

 私は、あまりの不快さに、この貴重なニュースをスルーしたものた。
 英霊に人気取りのパフォーマンスは失礼すぎると思われた。

 あれから、10日ほど過ぎて、やっと気持ちが納まった頃に、しかし首相官邸からこんな能天気な『KAN-FULL BLOG』が届けられたのだった。


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KAN-FULL TV

第9話【戦後】 菅総理、硫黄島へ――8分ドキュメント「遺骨帰還特命チーム」. 


「なぜ急に今、硫黄島に行ったの?」という疑問にお答え。実は“急に今”の陰には、総理指示を受けた特命チームのある発見が…


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 (中略)



   地図で見つかった「エネミーセメタリー」=集団埋葬地は、2ヶ所。
 
     第一発掘現場の視察に続いて、総理は第2現場、あの摺鉢山の麓へ。

     総理がここまでこの問題に精力的に取り組む、その思いとは何なのか。



阿久津リーダー:菅総理はですね、この前、ふと漏らした言葉でですね、硫黄島にはまだ1万数千の御遺骨が残っていると。それは政治の不作為だということを仰いました。ある意味ではですね、自分を含めて政治家としてですね、なぜ、国の責務を果たしていないんだというですね、憤りを強く持ったんだという風に思っています。


   島で行われた追悼式。総理は、激戦下、

   指揮をとった硫黄島守備隊の栗林中将が、

   この島から幼い娘さんに宛てて書いた1通の手紙を朗読しました。


総理:『たこちゃん。お父さんはたこちゃんが早く大きくなって、お母さんの力になれる人になる事ばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言付をよく守り、お父さんに安心させる様にして下さい。』 命果てるまで戦った方々は、軍人である前に家庭を守る父親であり、良き夫であり、期待を担う子息でした。一粒一粒の砂まで確かめ、一人でも多くの方の御帰還につなげるよう全力を尽くすことを、ここに誓います。


総理:私も手で少し骨を掘り出した訳ですが、やっぱり、もっと早く遺骨収集が進めば、もっと早く家族の皆さんのところにお返しできたのになあ、と。そのことが、こう、骨を見た時、あるいは骨を触った時に、ちょっとこう、胸にぐっと来た感じがしました。


   戦没者に思いをはせて、政府が従来使ってきた


   「遺骨収集」という言葉は、「遺骨帰還」という言葉に置き換えられました。


   玉砕から65年。帰還を待つ御遺族も、高齢化が進んでいます。



永澤さん(ご遺族の一人):それはやっぱり自分の目で確かめてお迎えしなければ、それはやっぱり子供としての最大の願望ですから。

永澤さん:ありがとうございます。我々だって80ですから、最後の親に対する務めだと。

総理:若い皆さんにも知ってもらいたいですよね。本当にご苦労様でした。




   菅総理は、まずはこの硫黄島での取組をしっかり進め、

   更に、他の戦地で眠る遺骨の帰還へと繋げていく方針です。






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 感動的だと涙するだろうか。
 菅首相の手柄と美談をさんざん聞かされて、最後の締めがこの言葉だ。


 『若い皆さんにも知ってもらいたいですよね。』


 まるで若い世代が、何も知らないようではないか。
 若く戦争を知らない世代が、親に対する努めも知らず、栗原中尉の娘にも劣ると言いたいようではないか。

 硫黄島の戦いを詳しく知らなくたって、彼女たちだって当然親のことは考えているだろう。

 ところで、ならば菅首相は、今の若い世代がどんなことを考えているか、本当にわかっているのだろうか。

 対照的な文章を、今日、目にしたのだ。

 14歳の中学三年生が書いた「国際政治・外交論文コンテスト」の受賞作品。
 テーマは、『日本は政府開発援助(ODA)を減らすべきか?』
 少々長いが、引用したい。

 菅首相がこのブログを見ることはないだろうが、もしも何かの偶然でそんな間違いが起こったならば、いいか。目をかっぽじってよく見やがれ。
 とでも言いたいものだ。



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 自由民主党国際局長賞 長坂知穂
 『日本は政府開発援助(ODA)を減らすべきか?』






 私は現在14歳、中学三年生。

 「ODAはやめてしまえばいいのに。お金が無いって、財政が厳しいて言って、消費税を5%→10%に上げるって話が出ていたくらいなのに、なんでよその国にお金を使っているのかわからない。」

 正直ODAの知識は全く無かった為、ODAについて調べてみた。

 日本は戦後の復興に欧米からODAを受けていた事。

 ODAは1954年、ビルマを発端としていること。また、大きく分けて

 (1)二国間援助(国同士で取り決め)
 (2)多国籍援助(世界食料計画や世界銀行、ユニセフなどに協力する。)

 ODAを援助する目的は、

 (1)インフラの整備(日本企業が参入しやすいメリットあり。)
 (2)憲法により、軍隊を持たない日本の軍事貢献の代替として。
 (3)国際社会での影響力
 (4)人道的支援として

 以上のようなことを知った。

 困った。
 「国際貢献」という点ではやめて欲しくない。私はあるNPOに参加していて、その趣旨は「子供が子供を助けよう。」世界中の貧困や戦争や病気に困っている子供に、皆でできることから行動する。

 私はその中の「文通プログラム」に参加している。フィリピン・インド・モンゴルのうち文通したい子の国を選んで、年12,000円で4回、日本語訳された文とともに手紙が返ってくるシステムだ。その支払ったお金から、図書館や、文房具、施設などを援助しようとしている。

 未使用のテレカや、保存のきく食料を集めたりもしている。

 この12,000円もやっとの思いで、お小遣いから掻き集めた。

 いくら頑張って、皆で力を合わせて活動しても、個人やNPOではできることと出来ないことがある。その出来ない所を国際社会が分担して欲しい。だから多国間ODAを削られるのは困る。

 反対に、二国間援助をもう少し、見直してみてはどうだろうか?

 中国や東南アジア、アフリカ諸国では、ニュースを見ていると「日本より、景気がいいんじゃないか?」と思うような国もある。それに日本が支援していることを、知らない国も多いときいた。

 恩を売るわけじゃないけど、やっぱりがっかりだ。(でも、考えてみたら、戦後の復興にODAが日本に使われていたというのを、日本の全ての人が知っているわけではない。少なくとも私は知らなかった。)

 それにしてもこのODA、よその国の役にたっているのだろうか??

 ODAで作った橋が、落ちたというニュースをだいぶ前に聞いたことがある。

 ODAの中にインフラ整備がある。だが、インフラを作って置いてくれば、管理・維持・費用が必要になる。そしてそれには知識も必要だ。

 勿論日本もジャイカを通じて、知識や技術を教えている。

 前に聞いたジャイカの出前講座で「魚を釣ってあげるのじゃなくて、魚を取る方法を教えた方がいい。」と言っていた。

 人は本当に欲しい物を貰った方が嬉しいし、感謝する。インフラは、現地の人たちが心底欲しいものなのだろうか?

 国に必要な物ってなんだろう・・・??

 私は今年、企業の作文に入賞し、副賞としてドイツに行った。そこで香港から合流した、ジジと言う女の子と友達になった。

 頭の回転の速い子で、韓国ほどじゃないけれど勉強が大変!と笑った。私はそんなに賢くないと言っていたが、北京語・英語・ドイツ語・日本語を喋っていた。

 ジジとお互い家族や国の違いについて話したが、ジジに

 「国にとって一番必要なモノって、何かな?」

 と聞いた。

 私達がドイツに滞在しているのは、エコロジーについて学ぶ為。当然「環境の為のインフラ整備」とか、「自然」という言葉が出てくるものと思っていたが、ジジは

 「人。だから教育。」

とさらりと言った。

 「人がいなければ国じゃない。また知識があれば、自分の国をなんとかしようと、問題点に知恵を絞るもの。」

 私は黙った。



 私は母子家庭で団地に住んでいる。

 同じ様に団地には、日系ペルーやブラジル人の人、父子・母子家庭、小さい子供を抱えた若い夫婦、年金暮らしの高齢者と、経済的に力の弱い人達が集まっている。

 うちはお母さんが現在失業中で苦しんでいる。自動販売機の前で、友達の中、120円を投入するのをためらってしまう生活が解るだろうか?

 高校だって、無償化されたけれど来年学校に行けるかどうか、もう12月なのに決まっていない。

 日本はODAを今まで通り出せるだけの、豊かな国なのだろうか?

 「しぼ~。あちょんでー!」と飛び込んでくる近所の子は、40円のお小遣いを貰って、コンビニでおやつに『うまい棒』を買うのを楽しみにしている。

 下の階のおじちゃんは、おばちゃんと共に年金暮らしだ。でもそのつましい生活の中から、花の種や苗を買ってきて団地に植えて、「綺麗に咲くと嬉しいしね。他の人も綺麗だって言ってくれるのも嬉しくてね。」と育ててくれている。

 一時期国内で、税金を5%→10%にとニュースになっていた。

 税金を納めるのは国民の義務だけれど、こんなちっちゃい子から、年金で細々暮らしているお年寄りまで消費税の網を広げるのなら、ODAの中でも不要な部分を削って欲しい。



 先日テレビを見ていたら、イギリスの学生が『学費値上げ反対!』と暴れていた。

 今まで40万くらいの学費が、120万まで値上げをするのがきっかけだそうだ。

 「そら、暴れるわな。でも、無い袖は振れないしね。」

 溜息と共に母は言った。でも、イギリスは日本と同じくらい財政が逼迫していて、ありとあらゆる方法でなんとか元に戻そうとしているように見えた。日本と同じ様に事業仕分けもしている。

 イギリスは必死なんだと思った。

 一般の家庭でもし、破産しそうなのに、隣りの家にお金は貸せない、貢げない。

 「こんなに慌てたムードが無いし、ODAもがっつり出しているんだから、日本って、財政が厳しいって言いながら、案外余裕なのかな?」とも思った。

 本当は財政が厳しいのに、私のように考える人が増えたらちょっと、怖い。

 だからなおのこと、ODAにもメスを入れて《これだけ必死なんだよ!!》と国民に知らしめて欲しいと思う。そして、財政が回復してまた、応援できる余力ができたらバックアップしてあげれば良いのではないか?

 「いやいや、国際社会の中で、日本と言う国をアピールする為にも外交上必要なのだよ。」

 と仮に主張するのなら、もっと世間一般に学ぶ機会があったり、あとあと揉めない様理解を得る為に、マスコミを通じて周知するのも必要だと思う。こんなにも大きなお金が動いているのだから。

 学ぶ機会については、小学校から英語を学ぶカリキュラムが出来た。

 これからの国際社会人として英語を学ばせたいのなら、国際社会における外交や貢献についても、合わせて義務教育の中に、しっかり入れてくれたらいいのにと思っている。

 私の知識不足は大いにあるだろうけれど、私の周りで日本がODAでどのような貢献をしているのか、話せる中学生は少なかった。



 お母さんに聞いてみた。

 「もし、私とよその国の子が溺れていたら、で、どちらかしか助けられなかったら、お母さんはどうする??」

 母は少し考えながら

 「同じ子供。本当は両方とも助けたいよ。でも最終的には我が子を選ぶでしょうね。」



 国は予算を決め、振り分ける。でも年度末、余ることなど無いと聞く。お母さんはいかにやり繰りして、余らせることができるか必死だ。

 将来お年よりの数だって増えて、今は4人に1人を支えているが、私の大人の頃には2人に1人を支えるって言われているのに。

 真っ当に就職して働こうにも、その働く先が見つけられなくて困っている学生も多い。

 働く人が少なければ所得税だって、消費税(お金が無くて消費できない。)だって取れない。



 このまま現行のODAを続けて、よその国は豊かになっても、膨らんだ赤字が私達の将来に、否応無く降りかかってくる。

 「ねえ、その借金、誰が払うと思っているの・・・?」

 日本の国は、日本の子供を選んでくれるのだろうか・・・?



 
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 どうだろう。
 12歳の少女が、母親と家計を気遣って、120円の缶ジュースを躊躇する。
 友達は全員飲んでいるのに。それがどんなに惨めで恥ずかしいことか。豊かな菅首相には想像などできないのではないか。
 この少女に、親を思う気持ちが足りないと思うだろうか。
 英霊や80歳の遺族のことを知ってほしいと思うほどに。
 
 戦地に眠る日本兵たちの遺骨が、いまだ帰還していないのは確かにどうにかしなければならない問題だと思う。
 英霊たちにもご遺族にも申し訳がないし、国の責任を果たしていないとお怒りになるのももっともだと思う。
 しかし、そのお金はもっと他に使えないものか。
 若い世代が言っているのだ。
 
 
 「ねえ、その借金、誰が払うと思っているの・・・?」



 ODAもいいだろう。遺骨の収集も大事だろう。
 だけど、今生きている若い世代のことをもっと考えてあげてもいいのではないか。
 彼女たちが未来の日本を創るのだ。
 それともなんだろうか。
 菅首相、および民衆党の面々は、日本の未来を彼女たちに託さないつもりでもあるのだろうか。
 だからどうでもいいというわけではないだろうが。


 日本の国は、日本の子供を選んでくれるのだろうか・・・?


 
 少女の論文の最後の一句が胸に響いた。
 日本の子供を選ばない未来―
 それを選択し続けているのが、今の政権ではないかと。
 
 
 日本よりGDPが上の中国にODAを支援したり、遺骨収集を拡大してより多くの経費を注ぎ込んでいる場合ではないのではないか。
 ばかばかしいパフォーマンスで得意げになる前に、もっと必死になってくれ。
 日本は必死なんだと。
 若い世代に知らしめて欲しい。
 
 
 『若い皆さんにも知ってもらいたいですよね。』


 
 
 
 
 ええ。
 
 お前がだよ。
 
  

2010年12月23日

凍てついた星空の上の交信  ~『ぼくのエリ 200歳の少女』を観る~

 


   
受信が非常に難しく習得するのは難しい上、実生活では他に使える人が居ないと無意味であるため、習得する機会は少ないというのが現状である。しかし、それは逆に言うと理解する人が少ないという事でもあり・・』
                    ~ニコニコ大百科「モールス」概要より~



 

 『ぼくのエリ 200歳の少女』を観た。
 来年2月のDVDの発売を待つつもりでいたが、上映中の映画館を見つけたのだ。
 何度も何度も、同志のレビューを読んでいた。私の中ではすでにストーリーも世界観も出来上がっていた。
 それを確かめたくなったのだ。
 どうしても、今日、映画館で見たいと思ったのだった。
 
 
 





  
あらすじ


ストックホルム郊外の小さな町。集合住宅に母親と2人で暮らす12歳の少年オスカー。同級生のイジメに苦しみながらも、誰にも助けを求めることが出来ず、ただ復讐を夢想してはじっと堪え忍ぶ日々。そんなある晩、彼はひとりの謎めいた少女と出会う。彼女は、オスカーの家の隣に父親と引越してきたばかりの少女エリ。やがて、同じ12歳だという彼女と毎晩のように言葉を交わすようになり、自分よりも大人びた彼女に次第に心惹かれていくオスカー。その頃、町ではおぞましい殺人事件をはじめ奇妙な出来事が立て続けに起こり、住民の間に不安が広がっていた。そんな中、エリが少女の姿のまま200年も生きているヴァンパイアだという衝撃の事実を知ってしまうオスカーだったが…。

(allcinemaより)



 「ここを去って生き延びるか。とどまって死を迎えるか。あなたのエリより」

 初めて夜を明かした後、エリが書き置くメッセージである。
 世界から招かれざる者の、孤独なふたりが結びつく物語。と言っても、これは恋愛映画ではなかった。
 原作を見ていないので、作者の意図が正確に読み取れているか自信はないが、もしも映画が監督のものであるならば、私はずいぶんと共感したものだ。
 観る前は、北欧の雪景色に静寂に、耽美的で抒情詩的な(映画の)世界を思い描いていた。
 ラストは甘酸っぱくも絶望的な旅立ち。
 (「小さな恋のメロディ」と「禁じられた遊び」を足して割ったような・・)
 どんな未来が待ち受けていようとも、ふたり手を取りあって、ゆく。満天の星空に小さく消えていく姿。希望と、暗澹を同時に暗示している。
 
 ところが、驚いたことに、旅立ちは夜ではなかった。
 ヴァンパイアのエリが昼間に立ち立つとは私は予想もしていなかったのだった。

 




 予想外の出来事は次々と起こった。
 ハカンというエリの庇護者が出てくる。私は始めこの初老の男に感情移入をした。
 ハカンはずいぶんと澄んだ目をしていた。知性は欠けるが人徳者らしい穏やかな風貌。
 エリのハカンへの態度は冷たい。冒頭のシーン、ある夜ストックホルムの町に現れた時から、エリは引っ越しの荷物の一つも持たずひとり部屋に向かい、老いた彼がすべてを運ぶ様子が映し出される。
 次第にエリと心を寄せ合うオスカーだが、それは愛が覚めるまでの話だ。私は自分の姿とハカンを重ね合わせ、そしてそれは物語の終盤でハカンがエリを守るために顔に硫酸をかけ、血を差し出して死んでいくところで、オスカーとも重なるはずであった。
 ところが、ハカンは物語の中盤、ずいぶん早く感じる時点で死んで行ってしまう。
 私が、おやっと思ったのはこのころだ。もしかして、この物語は私が想像していたものとはずいぶん違うのではないかと。
 つまり、オスカーの結末は、ハカンとは違ったものになるのではないかと。

 オスカーの父親はゲイだとばかり思っていた。もしくは、「友達」に支配されている「もの」だと。
 それは、オスカーが性別を超えてエリを愛する布石となるエピソードとなるはずだった。
 ところが、父親は若々しく自由人的な風貌で、ここまでは予測と同じだったが、友達の姿がまったく違った。
 友達は始終おどおどとして、オスカーの父親の家を「ここはいい、くつろげる」と何度もつぶやく。ワイルドな風貌と相反して、居場所を求めるさまよえる子羊のような惨めったらしさだった。
 私は、オスカーの父親こそが彼を支配しているのだと知った。彼は男を飼っているのだと。ワインを与え。招き入れる。まるで馬や羊と同じように。それが彼の姿なのだ。妻の元で「収まる」男でなどありえなかった。
 
 私はこれらの予想外の出来事から、新しい視点で物語を見始めたのだ。
 エリとオスカーの2度目の出会い、ルービックキューブのエピソード。そして、ふたりが壁を通じて語り合うモールス信号という言語。
 あの時、オスカーはエリを試していた。エリは見事にクリアして、短時間でキューブの面の色をすべて合わせる。それを見つけた時のオスカーの輝いた顔。
 モールス信号を教えると、エリはそれもすぐに習得した。オスカーはやっと話し相手を見つけたのだった。
 思うに、オスカーはかなり頭のいい少年だったのではないか。
 残酷なことに、それが彼がいじめられ、排除された原因でもあり、彼がこの町で生き抜くためには、その一番の彼の良さを封印しなければ存在しえない。
 彼らしくあっては、ならなかった。
 エリも、オスカーも、そのままの自分で在るためには、相手を殺さなければならない者同士だった。
 エリはまだしも、オスカーには道はあったと思うだろうか。


 映画の途中で、私はエリとオスカーが別れればいいと一瞬思った。
 彼らが未来を共にしない選択肢があると。
 オスカーはこの町で普通に成長して、エリとの別離という苦い思い出を胸に、大人になる。キャンパスを歩き、魅力的な女性と恋をして、結婚して子供を作る。
 エリが吸血鬼と知った後、彼女が町を出て行ったことを知って、オスカーが触れるのはミニカーのおもちゃだった。たぶん母親から買ってもらったものだろう。エリとの別れを拒むことは、彼の今までの世界を失うことを意味している。彼はそれを躊躇している。
 そうだ。それでいいのだ。ヴァンパイアとの未来はいくらなんでも・・・







 しかし、それは甘い考えだと知った。
 エリを殺しにくるものが、いじめっ子の未来の姿を象徴する町の男であるように。オスカーのいじめが死に結びつくものとなるように。
 
 「ここを去って生き延びるか。とどまって死を迎えるか。あなたのエリより」



 ふたりにはこの町を出るしか生き残るすべがなかった。
 映画の冒頭は、夜の中に降り続く雪。まるで星空のよう。ラストの電車。昼間の旅立ち。モールス信号。
 点と点が重なり、線となるように、やっと私はこの物語が見えてくる。


 献身や犠牲という姿で愛を表したのは、ハカンだけだ。
 オスカーとエリには性の結びつきはもちろんのこと、俗にいう愛情も感じられない。性も、愛さえも、私は陳腐に感じられた。

 彼らは、ただ交信したのだ。

 「私を理解して」
 エリの切実な訴えが哀しい。初めて、たとえ自分のままでいても、はじき出されず、互いの理解者となれた二人。「入っていいよ」

 そして、ルービックキューブの6面を合わせられたのは、多分エリだけではないだろう。オスカーはとっくにそのコツを知っていたに違いない。モールス信号を彼女に与え、夜に、闇に隠れるように町を逃げ出すのではなくて、悠然と電車の椅子に座ってゆく彼が。あの支配者の血を継ぐ彼が。たった一つの荷物も持たなかったエリを荷に詰めて、叩く信号は―


 彼が、ハカンと同じ未来を選ぶとは今は想像できなかった。血を取ることに何度も失敗した間抜けなハカンになるとは思えなかった。
 エリとオスカーには、別の未来がある。ふたりならば、もっと容易く生き残るすべは得られるはずだと。
 

 映画館を出ると、若い男女が会話をしている。
 「切なかったね」
 「切ないなぁ・・」
 

 私はずいぶんと感傷に浸りたくて出かけたものだが、流れてきた涙は今でも意味が分からないものであった。
 感動か。希望か。湧き出てくる激しい感情の波は、しかし、感傷だけではありえなかった。
 今ここに在ることの、感謝に近いものだろうか。
 今ここに在ってくれることの、喜びに近いものだろうか。


 
 最後のワンシーン。電車の中で、二人でかわすモールス。
 あれはなんと言っていたのだろうか。
 
 「好きだよ」
 「ぼくもさ」

 なんて想像できない。浮かんでくるのはこんな言葉。

 「あなた、いる?」
 「ここにいるよ」
 
 ちゃんといるよと。存在確認。

 私が監督なら、それしかない。

 
 

 
 

 
 
 
  

2010年12月21日

鳥インフルパンデミック たとえこの世が果てても僕は生きる

 

  
 強毒性だそうだ。
 H5N1型鳥インフルエンザで、お堀のコブハクチョウから絶滅危惧II類のナベヅルからバタバタ倒れている。
 海外では感染者の死者が多数出ようとも、日本の衛生的な環境なら大丈夫だとか、
 強毒なのは鳥に対してだとか、そんな解説はどうでもよくて。


『「人命優先、やむを得ぬ」コブハクチョウ殺処分』
 (YOMIURI ONRINE 12月19日)

 
 日本は越冬地として、いったい何百万、何千万の渡り鳥がやってくるのだろう。


『鶏への感染を防ぎたい。ツルをどうにかするのには限界がある』
(jijiドットコム12月21日) 
 
 

 そうそう。感染を防がないとね。
 でも、絶滅危惧種じゃ殺せないしね。片っ端からはまさか無理だしね。
 コブハクチョウみたいに職員が一羽ずつ手づかみで捕まえて、ケースに入れてから殺処分というのも無理があるしね。



 そうなると、どうしても、渡り鳥以外の野鳥や養鶏場の鶏にも感染するのだろうな。

 
 なにせ強毒性だから、パンデミックになって人命優先とか食糧危機とか。
 
 だからそれもどうでもよくて。


 私が心配しているのは。




 日本の今の景色からもしも鳥の姿が消えてしまったら。

 ずいぶん寂しいことだなぁ。




 とか。


 ずいぶんつらいことがあっても、空を飛ぶ鳥というのはやはり未来への希望を感じさせられるものだが、鳥が絶滅となるともうそれはこの世の終焉とほとんど同意語のように私には映る。




 どんなに世界が狂っていても、目を覆い、周りを見ずに、自分の足元だけを見て、
 なんでもない、全然変わってなんかいない、いつもと同じ日常だと。
 このまま何も変わらず世界は続いていくと。
 思い込むのはそう大変じゃないけど。



 まだ、口蹄疫の方がましだった。
 あれなら遠いところの話だと、まだまだ私の足元は危機とは無縁だと。
 思い込むこともできただろうが。
 やはり鳥はきついなぁ。
 どんなに目を瞑ってみせても、もう覆い隠すことができないくらいに。
 すでに破たんしているという事実を感じてしまうなぁ。

 世界がぱっくりと穴をあけて、暗黒の裂け目を見せているような感じ。
 何だか恐ろしい予感がする。





 で、そんな私の大好きな鳥さんがバタバタ死んでいるというのに。
 隣の彼氏は、何度も何度も生き返るのだそうだ。

 いや、違った。まだまだ生きるのだそうだ。


 何せ、彼は、今を時めく、「アンチエイジ」。
 お洒落な男さ。


 世界が終焉しても、筋トレでもしているに違いない。
 何度も甦る、筋肉隆々のマドンナとよく似ている。





 
 プロレスラーかよ。





  
 
 

中国四川省発、似非ガンダムを憂う。

   

 中国の文化にいささかの不安を感じます。
 




 中国・四川に「巨大ガンダム」 模倣?修理中と顔隠す


 人気アニメ「機動戦士ガンダム」にそっくりなロボットの巨大立像が中国四川省成都市の遊園地に登場した。本物と違ってなぜか金色だが、姿形は酷似。遊園地は「模倣ではなくオリジナル」としていたが、20日までに、像の顔の部分を布で覆い隠す措置を取った。


 (日本経済新聞web刊 12月20日)


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 模倣はもちろん著作権の問題もあるし悪いことなのだろうが、
 そこは置いておいて。
 
 日本だってモノマネ文化と呼ばれている。
 が、日本の場合は、いかに本物を超えるかを、
 いかに本家と日本流の文化を融合させて、独自のものとするかを、
 最終目的にしているのではないか。

 
 真似をされて一番悔しいのは、創造したものよりも優れた模倣作品を生み出されることである。

 

 が、






 
 この完成度の低さってどうなの?!
 
 
 
 
 
 
 この似非ガンダムを見ていると、中国文化はおろか、
 国としての在り方にさえ、疑問を抱いてしまうから不思議だ。
 
 海外のものを取り入れて、より素晴らしいものを作る気ゼロですね。
 
 
 あまりにもお粗末なガンダムに拍手。
 
 
 
 
 
 
 

2010年12月19日

戦争まで、カウントダウンラスト1秒の朝鮮半島(もしくは国民性)

 
 
 昨日の中国漁船と韓国の巡視船衝突事件続報だが・・




『中国漁船と韓国の巡視船が衝突、漁船員がスチールパイプで対峙』


  韓国沿岸警備隊の当局者は18日、中国の漁船1隻が、韓国沿岸警備隊の船と衝突して転覆したことを明らかにした。中国漁船の船員2名が行方不明となり、ほか1名が負傷した。環球時報が報じた。


  韓国沿岸警備隊によると、「韓国沿岸警備隊が、中国漁船の違法操業を阻止しようとした際、中国漁船が故意に韓国沿岸警備隊の船に衝突してきた」という。

  また、別の中国漁船では、韓国沿岸警備隊の乗組員と「スチールパイプを持った漁師」との間で争いが生じ、警備隊員4名が負傷した。中国漁船が転覆したことで数人が海に落下し、8名は救助したが、そのうち1人は意識不明となっている。(編集担当:畠山栄)

 (searchina. 12月14日)

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 二人が行方不明、昨夜は死亡と聞いたようだが、生存の可能性があるのだろうか。
 
 また、別の漁船でも一人が意識不明とある。

 これ、本当だとしたらすごいものだなぁ。


 中国漁船はどこの海でも我が物顔に違法操業する。
 警告されたら、どこの国の巡視船にも体当たりをかましてくる。
 おまけに、捕まりそうになると、船員が銛やスチールパイプで攻撃してくる。
 そのこともすごいのだが、しかしその後。

  そんな中国漁船を。

 
 
 韓国人は容赦なく転覆させて、殺してしまうんだなぁ。

 (いや、行方不明と意識不明だって。言いすぎました。ごめんなさい)

 





 しかも、2船も!





 1回なら偶然だけど、2回続くと確信犯だよな・・






 韓国の常識。
 ぶつかられたら、即時に報復
 そのあとは逮捕、じゃなくて即刻処刑(だから行方不明と意識不明だって)

 すごいな~
 日本も少しは見習ったらいのに。


 
 とりあえず、延坪島の砲撃訓練は延期してくれたようなので、良かった良かった。





  ↓  ↓  ↓  ↓
 
 
 韓国は18日から3日間の日程で計画していた黄海での射撃訓練を、悪天候を理由に延期している。北朝鮮は訓練が実施された場合、11月の延坪島砲撃を上回る「自衛措置」を講じると予告している。

 (『国連安保理、朝鮮半島情勢めぐり緊急会合へ』 cnn.co.jp 12月14日)

 
 
 
 

『高橋留美子の夢×銀座の月』 

  


『中国漁船、韓国艇に体当たり=沈没し2人死亡・不明』


 【ソウル時事】黄海の韓国排他的経済水域(EEZ)内で18日、韓国海洋警察庁の警備艇が違法操業していた中国漁船を取り締まろうとしたところ、漁船が警備艇に体当たりして沈没、漁船の乗組員1人が死亡、1人が行方不明になった。乗組員に暴行され、同庁側にも負傷者が出た。


 同庁などによると、現場は韓国中西部の於青島の北西約130キロ沖。良好な漁場で、以前から中国漁船の違法操業が絶えず、当時も約50隻が漁をしていたという。

 警備艇の海洋警察官が1隻の漁船に乗り移ろうとしたところ、乗組員が抵抗し、鉄パイプやこん棒などで殴り掛かった。この際、警察官4人が腕の骨を折るなどのけがを負った。漁船はさらに警備艇に体当たりして沈没、乗組員10人全員が海に投げ出された。

 聯合ニュースによると、韓国では11月29日にも済州島沖で、警備艇が中国の違法操業漁船を検問しようとした際に、乗組員の暴行を受け、海洋警察官6人が負傷する事件が起きている。

 韓国外交通商省は、中国政府に対し、死者が出たことに遺憾の意を伝えた。中国側は必要な協力をすると応じたという。

(jijiドットコム 2010/12/19-00:07)


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 中国はどこの国でも同じことをやっているようだ。
 日本も韓国のように、こうやって当たり前に発表し、「遺憾の意」を表明してあげれば良かっただろうに。
 なぜ、あのように隠したり、相手を護ったり、悪いのは日本だというような印象を全世界に向けて発信しなければいけなかったのか、不思議でならない。
 


 高橋留美子の夢を見た。
 どんな夢だったのかは覚えていない。鬼ごっこをしていたのか、そんな彼女の漫画を読んでいたのか、それとも大ヒット後に絵柄が崩れて変わり果てた様を嘆いていたのか。
 とにかく、強烈に、何十年ぶりかの彼の漫画家を思い出した夢だった。

 オオニシ、ヤスダ、それからタケ・・だったか。3人目は名前を思い出せない。
 私が中学生の頃、「うる星やつら」のアニメ放送が始まった。私たち4人はよく、ラムちゃんやあたるや面堂君の絵を描いては見せ合った。
 不思議と、彼女たちとはバラバラの進路を選んだ後も何度か会っては一緒に漫画を描いていた。中学校の時も、お互い違うグループに属し、決して友達ではなかったように記憶しているが、うる星やつらだけの縁で続いていたのだった。
 私の「高橋留美子」熱には、大の漫画好き彼女たちも敵わなかった。いつも似顔絵では一番で、褒められたものだ。
 当時の私にとって、高橋留美子は神に近い存在で、彼女の漫画の一コマ一コマが芸術作品のように映るのだった。
 私はその情報量の多い、才能が凝縮された絵を何度も何度も見つめたものだ。
 そして、彼女がプロの漫画家のアシスタントだった頃の逸話に思いを馳せた。
「プロになれるんじゃない?」
 漫画家先生は軽く言ったそうだ。
 ほとんどのアシスタントがプロになることもなく終えていく中で、その軽々しい一言は、私に衝撃を与えたのだった。そんな風に言われるものなのかと。
 同時に私は、矛盾するようだが、その先生の絶望が手に取るように理解できた。高橋留美子が、今に自分を超えて、数段上の人気漫画家となることを彼は知っていたに違いない。

 ああ、そんな存在になりたいものだ。あんな絵を描きたいものだ。
 学生時代の私はいつも夢想していた。
 
 しかし、そんな私を先に裏切ったのは、彼女の方だったと思う。私が死ぬほど憧れたあの絵が俗なものに変わり果てたこと。いや、それとも私の方が先だったか。
 大人になったある日私は、彼女の漫画 ―めぞん一刻だった― を古本屋に売りに行った。
 あれほど大切にしていた全巻をたかが千円足らずのお金に換えた。
 その日の空の晴天を、あの時の絶望的な気持ちを、今も私は忘れていない。
 久しぶりに見た彼女の夢は、当時の想いをも私に思い出させてくれたのだった。

 
 秋が終わった。
 今年の秋は、ずいぶん長い間、紅葉に入れ込んだ。
 私は黄金や、紅(くれない)の紅葉を求めて、何度も、小さな旅に出かけたものだ。
 結局、渇望する割には得られなかった紅葉だが、それでも一応の区切りはついた。私は次の季節へと向かっていく。
 イルミネーション決戦だ。何度も敗北している私にとっては冬の風物詩、今日の戦いの舞台は銀座・丸の内だった。
 いったい何度目のリベンジなのか。私は不遜にも三脚を持たずに挑もうとしていた。
 私の安物のカメラでは、三脚なしで夜景を撮ることなど、今まで想像もできなかった。しかし、今ならできるような思いがした。最悪、露出を切り詰めて撮って、あとで補正してもいいと割り切った。カメラの設定も綿密に調整する。今まで画質が落ちると禁じていた高感度を試してみようと思っていた。
 スタートは大江戸線の大門駅。東京タワーを見て、第一京浜を新橋に向かって歩く。そのまま真っ直ぐ銀座の中央通りへ。銀座2丁目でマロニエ通りから有楽町へ。丸の内仲通り、行幸通り、内堀通りから大手門で帰途に着くまで3時間余り。
 西の空、ビルの谷間へと沈んでいく月を眺めながらの道程だった。

















 それまで、私は孤独というものを知らなかった。
 学生時代の寂しさは孤独とは別のもので、今思えば、コンプレックスや自意識過剰からくる思春期特有の絶望みたいなものだったと思う。
 私の父親は他力本願の、典型的な「髪結いの亭主」で、いつも金のなる木を探しているような人だった。若き日は自分の母親を、結婚してからは母を、そして父親となった彼は、私をずいぶんと優遇してくれた。私は学校の成績も良かったので、「優秀」だと勘違いをしたのだろう。
 父親から愛されたという記憶は少ないが、彼はさりげなく私の自尊心を満たしてくれたように思う。私の家での存在価値は、「学校の成績がいい」という一点に支えられていて、いつしか私もそれにすがるようになっていた。
 ところが高校生なり、姉が就職してからこの均衡が破られた。
 父はお金を稼いでくる姉を一番優遇するようになり、私につらく当たるようになった。そして、それと前後して、私は醜く太り始めて、成績が嘘のように下がり始める。
 私の存在価値は家の中でも、自分自身でも、無に等しくなったのだった。

 私は漫画家になる夢をよく見たものだ。
 大学受験に失敗しても、就職試験に落ちても、父親に殴られようとも、ある日ぱっと才能が芽を吹いて、大先生がこう言う。
「プロになれるんじゃない?」

 孤独を初めて知ったのは、ずいぶん遅い、20歳くらいの時だったか。台風の嵐で、勤め先が半日で終了となり、サービス業にしては珍しいことだったが、とにかく従業員はすべて帰社していいことになった。
 私以外の全員がボーリングに行くとはしゃいでいた。
 正確に言うと、私を含む3名の契約社員とパートの従業員は外されていた。
 私以外の二人は40代で、ボーリングという気分でもなさそうだった。が、私は新入社員の女の子と同じ年で、同じ年の入社で、遊びたかったのだろう、もしくはこの境遇の違いを嘆いたのだろう。
 誰も私を「〇〇さんも一緒に行く?」とは誘ってはくれないのだった。
 ひとりで帰るのは、越したばかりのアパートだった。誰も待つ者のいない小さな部屋へと私は一人帰っていく。嵐はとうに上がって、今は小雨がぱらつくくらい。家賃を抑えようとして、駅から部屋までは30分以上歩くのだった。まだ昭和の古い商店街を足早に急ぐ。ゆっくり歩くと、惨めさに拍車をかけそうで怖かった。途中、本屋の前を抜ける時、私は立ち止まって、思い出したように高橋留美子の漫画本を買ったのだった。
 めぞん一刻の第何巻だったか、当時あのコミックスは高くて、一冊500円以上もする漫画本はなかなか買うことはできなかった。特に一人暮らしを始めたばかりだ。食費を切り詰めなくてはならなくなった。しかし、その日私は、いつも眺めながら通り過ぎていた本屋の前で立ち止まって、思い切って彼女の本を買って帰った。
 ずいぶん嬉しかったものだ。ずいぶんひとりの時間を埋めてくれたものだ。
 生まれて初めて知った孤独と、高橋留美子の漫画と。
 その後、私は孤独を感じるたびに、よく漫画を描いた。今はこんなだけど。
「プロになれるんじゃない?」


 月はとっくに沈んでいた。ビルの谷間に消えていた。
 代わりに現れたのは、東京タワー。
 いつものオレンジの灯りを捨てて、白いダイアモンドのような光を身に纏って。
 内堀通りに飛び出す直前、公園の樹木の合間からその美しい姿をさらして見せた。
 
 
 今日一日、この東京タワーと銀座の街と、なんと私はそぐわなかったことだろう。
 鏡に偶然映し出された自分の姿を見つけては、衝撃を受けたものだった。
 地下鉄の入口へと向かいながら、思い出されるのは高橋留美子の夢。
 そして、私の孤独をいやしてくれた漫画本を、わずかな金に替えたあの日の青空。
 それでもこの街は、まるで惨めさと引き換えに、私が一番輝いていた、一生懸命だった日々をも甦らせてくれるのだった。
 なにくそと。静かに湧き上がってくる怒りの灯を胸に抱いて、私はリベンジを誓う。
 何度でも、何度でも、また訪れてやろうではないかと。






 
 
 

2010年12月15日

Twitter と民主党とボーダレス。 ~Twitter と mixi ボイスが共有できるようになりました!~

 



 ミクシィのつぶやきが Twitter で共有できるようになった。
 早速、両方からつぶやいてみる。
 (出来た!なかなか面白いじゃないか)

 不思議なのは、政治家、有名人しかフォローしていないはずなのに、日に日にフォロワーが増えているということだ。
 今日は、帰宅したら、16人から27人になっていた。
 フォロー返しでもないようで、どこからたどってきたのか、未だ謎である。
 まぁ、深く考えずに、「人類みな兄弟」的に繋がり合うものなのかもしれない。
 (ということで、相手のことを知りもしないがフォロー返しをする)

 しかし、それでも不思議なのは、これらフォロワーの方々が、個人なのか、企業なのか、私的なツイートなのか、宣伝なのか、わかるようなわからないようなで、妙に曖昧だということだ。
 
 もしかしたら、私は傍から見たら、有名人と企業?としか繋がっていない、まるでおかしな人状態になっているのかもしれない。
 (なにせ、リアルに知っている人が一人もいないのだ)

 HPやブログ、SMSと決定的に違うのは、関係性も立場も境界線がないというか、きわどい点だろうか。
 たとえば政治家さんなら、民主党や自民党の立場でツイートしている時と、個人の立場でツイートしている時がごちゃ混ぜになっている。
 ビジネスで活用している人も、そうだ。商売目線と、個人目線と。
 建前と、本音と、すべてどっちつかずで曖昧である。

 まぁ、固く深く考えず、さっきも言ったけど「人類みな兄弟」的に、仲良く楽しくやろうじゃないか。

 ・・・という考えで本当に合っているのか? それとも何かの戦略なのか。
 まだまだ、達人への道は果てなく遠い。


 で、Twitter 初心者の私の個人的な意見だが、こういった曖昧なツールを見ていると、思い出すのは、売国政権の民主党なのであった。



 「国民」は、日本人でも在日でも来日したばかりの外国人だっていいじゃん。
 難しい定義はやめようよ。

 とか。
 
 「子ども手当」は子供に全部あげちゃおうよ。
 日本人だろうが、外国人だろうが、どこに住んでいようが、人類みな兄弟の大事な子供たちじゃないか。

 とか。

 「高校無償化はどこの学校もやっちゃおうよ。高級学校だろうが、各種学校だろうが、韓国だろうが、北朝鮮だろうが、みんな同じ学生じゃないか」

 とか。

 「曖昧、溶解、ボーダレスこそ、わが党の指針」

 なんて、鳩山さんから仙谷さんから、ツイートしそうではないか。

 

 で、今日の Twitter で、ツイートされていたニュース記事。
 散々皮肉ったが、政治関係に詳しい方をフォローしているだけあって、読みたい記事がすぐに!は、やはり嬉しい。


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 『独立有功者19人、親日行為で叙勲取消決定』



【ソウル10日聯合ニュース】国家報勲処は10日、親日行為が確認された独立有功者の叙勲取り消しを行政安全部に要請したと明らかにした。


 対象者は、民族問題研究所が発行した親日人名辞典に収録された独立有功者20人のうち、行政訴訟が進行中の金性洙(キム・ソンス)東亜日報設立者を除く19人。

 「是日也放声大哭」と題した論説で第二次韓日協約(乙巳条約)を糾弾したことで知られる張志淵(チャン・ジヨン)は、1913年から1918年にかけ、朝鮮総督府の機関紙「毎日新報」に日本植民地政策を美化、奨励する文章を多数掲載したとの理由で叙勲取り消しが決まった。

 尹致暎(ユン・チヨン)初代内務部長官は、毎日新報などに侵略戦争を賞賛する文章を掲載し、1944年に国民動員総進会(太平洋戦争を賞賛する団体)の顧問などを務めたことから、叙勲が取り消された。

 閣議決定を経て大統領の裁可を受ければ、年内にも19人に対する叙勲取り消しが確定する見通しだ。
  (聯合ニュース 12月15日)

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 親日家というだけで、勲章が取り消されるのだなぁ。
 すごいな、韓国は。
 徹底的に日本人と仲良くする自国民を排除する気だなぁ。


 一応、日本は防衛庁の指針的に言うと仮想敵国はロシア・北朝鮮で、同盟国、友好国はアメリカ・韓国だったはずなのだが。



 唯一の友好国がこの扱いかよ。


 日本は友達がいないのだなぁ。
 
 まるで、リアル友達が一人もいない、私の Twitter と重なって、妙に哀れである、日本。

 

  (誰か友達になってやれよ)(泣)



 
 



 

 

小沢一郎、民主党を二つにぶった切る。

  
  
  

 「壊し屋小沢」、そろそろ本領発揮である。






『小沢系、同調者拡大へ躍起=「国会招致」に対抗-民主』


 民主党の小沢一郎元代表の国会招致問題で、同氏を支持する議員が岡田克也幹事長への対抗姿勢を強めている。岡田氏が衆院政治倫理審査会での議決による小沢氏招致へ突き進むことを警戒しているためで、岡田氏ら執行部に揺さぶりを掛けるため両院議員総会の開催要求に向けて同調者の拡大に躍起となっている。


(中略)
 
 これに対し、岡田氏は14日、小沢氏が政倫審出席を拒否した場合の対応について、記者団に「一任を受けている」と強調。菅直人首相も同日、「役員会の皆さんが岡田氏に一任したということだ。一任は一任だ」と記者団に語り、岡田氏支持の姿勢を鮮明にした。
 
 (jiji ドットコム 12月14日)
 


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 野党の生活が長かったせいか、  いや、おそらくこれがラストチャンスだとわかっていたからだろう、さすがの壊し屋小沢も、今回はずいぶんと耐えていたように思われる。
 
 我を通すよりも、民主党政権の存続が第一と割り切っているふうに見えた時期もあった。

 しかし、やはり人の本質は変わらない。

 いや、人としての問題というよりは、これは宿命なのかもしれない。
 起爆剤となるのは、いつも彼なのだ。
 起爆剤というと語弊がある。原動力というよりは、もっと悪い意味での、形が壊れるための力である。
 小沢一郎を起点として、いつもすべては壊されていくのだった。

 どんなに耐えても、共存を求めても、自分のおかげで、居場所が壊れてしまうとしたら。
 私だったら自分を呪う。
 いっそ自分が壊れてしまえと、嘆いてみせる。

 が、小沢一郎は根っからの無骨な、武士体質のものなのか。
 彼から壊すこと、壊れること、それらに関係するすべての事柄や、人々に対す「もののあはれ」という感情を見つけることは難しい。

 
「かわいそうだた、惚れたてことよ」

 私が学生時代に読んだ夏目漱石の「三四郎」に出てくる台詞である。
 当時、私はこの言葉にとても衝撃を受けたものだが、男女の惚れた腫れた以前に、かわいそう(=もののあはれを思う気持ち)には、包括する人としての愛情を感じるのだった。
 
 多分遺伝子としては弱いのだろう。
 愛情深い人は女性的であり、人としての弱さ(脆さ)を感じさせられることが多い。

 が、小沢一郎氏には、残念ながらそれを感じないというわけだった。

 彼が自分の宿命を呪うことなど、だからありえないと思えてしまう。
 嘆くとしたら、「ずいぶん嫌われてきたものだけれど・・」といういつか彼から聞かされた恨みがましい愚痴―



 ラストチャンスのために耐え続けた「民主党政権存続」も、ここにきてずいぶん怪しくなってきた。
 たとえ彼が動かなくても、周りが動く。彼を起点として、政局はいつも動いていく。
 
 しかし、今回ばかりは、私は彼の宿命をどれほど頼もしく思えたことか。

 壊せ。
 壊せ。

 あんな狂った政権を。
 こんな傾いた日本を。

 お前の力でぶっ壊してしまえ。

 そうして、新しい土壌を作り上げるのだ。
 ああ、そのための起爆剤だと何度期待したことか。
 やっと機が熟した。
 「壊し屋小沢」の本領を見せつけてやれ。


 前回も期待した後、弱腰になったかとがっかりしたことがあったが、あの時もちゃんと代表選に出馬してくれたっけ。
 壊し続けて、ん十年。
 今回もしっかりと役割を果たしてくれることを。
 期待してます、小沢さん。


 
 
 
 

2010年12月14日

Twitter 始めました。

  

 ブログを初めて、早5年。
 なぜブログを書くのか、は散々書いてきたのではしょります。
 問題は、「ここ」に対する意識が変わってきたこと。
 どっぷりと拠点にしてやらなきゃ気がすまなくなってきたこと。

 それまでは、たった一人の読者(相方)がいればそれで良かったのです。


 国を思う何かの記事が読まれて、調子に乗って「政治ブログ」というジャンルに手を出した。
 それからは、休日は今までのように写真旅行の報告ブログ、平日は政治関係のネタに始終した。


 写真ブログは自分でも一定のパターンが出来て、スタイルも確立できてきたように自負しているが、政治ブログのほうが難しい。



 人気ブログランキングを覗いてい見たり、法則を探したり、キャラクターを模したり、好きな文語体から親しみやすい口語体にしてみたりと。
 試行錯誤を繰り返すが、どれも馴染めず、失敗に終わっている。

 過去の記事を読み返すと、我ながら、ため息が出てくる。
 分裂病患者のようではないか。


 政治など詳しくないし、とっと打っちゃってしまいたいところだが、なにぶん暗示を与えられたと信じている。
 今、週に一度の写真の趣味が、天から降ってきたものであるように。
 これも、「政治ネタを使って、勉強しなさい」と、あまりに生き方の下手くそな私に課せられたツールではないかと。たまたまそこに、国の行く末を憂う気持ちがリンクしたのではないかと。



 いや、逆かもしれない。

 国を思うならば、ちょっとは上手に書きなさいよ。
 書けるようなあなたになりなさいよ、と言われているのかもしれない。





 
 ところで、Twitter を始めました。




 




 
 何をどうしていいのかサッパリわかず勉強中です。
 とりあえず、政治家さんをフォローして、つぶやきを聞いたりしています。

 これから勉強して、活用していけたらいいなぁと思っているので、応援宜しくお願いします。

 Twitterの奮闘記は随時アップしたいと思います。


 



※最近気に入って読んでいます。月に纏わる詩が素敵です。




田原俊彦と小沢一郎のブレない軸とは。

 



あのトシちゃんがGREEに登場!!


「FAMILYのみんなGREEで待ってるよ!」


(毎日jp 12月10日)



 「HEY!HEY!HEY!」に出演した俊ちゃんを見た。
 「抱きしめてTonight」を聞いたときはさすがに興奮したものだが、しかし、いくつになってもあの薄っぺらさはどうだ。
 ああいうキャラなのだろうか。
 人間的な渋みや重みをまったく感じさせない、いくつになっても若々しい俊ちゃんが感動的ですらあった。
 (髪の毛は多少あぶないようだったが・・)
 
 
 俊ちゃんというと、たのきんトリオ、特によきライバル関係だったマッチと比較してしまう。現在、ジャニーズの幹部となっている彼との境遇の差を思うと、いくら本人が薄っぺらく存在していようとも、見ているこちらは哀愁を感じてしまうものだ。
 つい、余計なお世話的に、人生の深みを感じ取ってしまいそうになる。

 そこを、あのダンスと歌で、かましてくれる。すべてをご破算にして、
「FAMILYのみんなGREEで待ってるよ!」

 的な薄っぺらい世界にいざなってくれるので、何とも心が晴れる。
 やはり、あのヒット曲の多さ、そしていまだに中年太りもせずに軽やかなステップを踏む彼は偉大だ。



 
 で、政治の世界で、薄っぺらさを感じさせてくれる大御所と言えば、
 やはり小沢一郎だろう。

 鳩山さんや菅さんもそうだと言われればそうなのだが、彼らから人生の深みを想像することはあり得ない。(見た目も中身もそもそも薄っぺらそうだから)
 俊ちゃん並みに、つい深みを感じ取ってしまいそうになるのはやはり小沢一郎なのだった。


 野党には、政権叩きの材料にされて。
 味方からは、支持率回復や政権を守るために、(国民に)生贄として差し出されそうになって。

 わが身と重ねて見れば、
「国民の生活第一!」って俺の熱い夢を聞かせたじゃないか、とか。
「政権交代!」って、お前らに夢をかなえさせてやったじゃないか、とか。
 私だったらブチ切れそう・・ とまではいかなくても、身を切られるような思いがする。

 なのに、本人の言動を見てみれば、心を痛めたこちらがあほらしく思うほどの能天気ぶり。
 全く意に介していない、あのふてぶてしさ。

 強いなぁ、たくましいなぁ、と感心はするものの、やはり本人から人間としての渋みや深みを感じ取ることはまったく不可能なのだった。
 あれだけの境遇なのに、めずらしい。

 俊ちゃんが歌とダンスという自分の軸を持っているからこその姿ならば、
 小沢一郎が屈しないのはいったい何のおかげなのだろう。
 
 まさか、それが政治への信念なのだと思うはずもなく。
 やっぱり。




 カネなのかなぁ。



 
 ※違ったらごめんなさい、小沢さん。


 

 

 

2010年12月12日

『もっと焚き木を! もとい、瀕死の日本にKAN-FULL剤を!』

 



   
『多くの国は若い人口構成を持ち、しかし、一方では資金の不足、あるいはインフラの不足などにまだまだ色々な経済開発が難航しております。
 逆に我が国は高齢化が進んでおりますが、一方では高い技術力、さらには
多くの資金的な蓄積も持っているところであります。
 そういった意味で、我が国とアジアの国々、さらには太平洋を挟む南米やカナダといった国々との連携は、まさに日本がこの平成の時代に改めて開国する、我が国の歴史においても大きな新しい1ページになる』


 KAN-FULL BLOG 第1話 【外交】 APEC 菅議長 成果報告 より)








 わが国には、多くの資金があるそうだ。
 菅首相がAPECでそう公言していたから、本当なのだろう。
 しかし、ならば、このニュースはなんなのだ。






厚労相、子ども手当地方負担要請=全国知事会長は拒否


  細川律夫厚生労働相は12日、来年度以降の子ども手当について、全国知事会の麻生渡会長(福岡県知事)と都内で会談した。細川氏が子ども手当の財源の一部として地方負担を改めて要請したが、麻生氏は「全額国庫負担とすべきだ」と拒否、合意には至らなかった。両氏は年末の予算編成に向け、協議を続ける方針。


 子ども手当をめぐって今年度、財源の一部を地方が負担しているが、来年度以降も負担を継続することに地方側は激しく反発している。


 jijiドットコム 12月12日







 つい先日、子ども手当を来年度から7千円上積みするというというニュースを耳にしたが、あれは控除廃止の影響で負担増となる家庭をカバーするためだそうだ。
 財源は降ってわいてきたものではなく、子ども手当をもらえない家庭を含め、すべての日本の家庭の控除を廃止したものだということだ。
 当たり前だ、今や火の車の日本である。
 おかしいかな、日本のどこに資金力の蓄えがあるのか、開発途上国と比べたらたとえあったとしても、ご丁寧に海外に向けて発信できることなのか、私には不思議でたまらない。


 そういうことをするから狙われるのだ。
 日本の手厚い保護や戸籍を求めて、日本の「カネ」をめぐって、最近きな臭い事件が増えているのはわかっているはずだ。
 それでも政府は国籍制限なく、日本にいる子供すべてに子ども手当を支給する。
 国外の外国人の子供にだって10億円も支給する。
 所得税と住民税の扶養控除を廃止する。
 配偶者控除も見直すという。

 それでも足らずに、地方に継続負担を求めている。

 
 民主党はいい。公約を守ったと体裁を保てるだろう。
 国民の信を裏切らなかったというだろう。

 しかし、国の代わりに地方が負担した子ども手当は、結局はどうなるのだ。
 財源の足りない地方は、地方税を上げるしか手だてがなくて、国民に財源を求めて来るのではないのか。
 ああ、そのための地方参政権付与かと私は笑ってしまいたくなる。
 税金を払う「国民」が増えれば、財源だって増えるというわけか。
 財源確保のためならば、国の文化が滅んでもかまわない。
 3K労働者を得るためならば、国が浸食されてもかまわない。
 

 カネで見栄を張って犯罪者を呼び集めて、彼らにカネをばらまいてはまた狙われて、最終的にそのツケを払わされる国民は国を売って買おうとする。


 なんだかわけがわかないなぁ。

 頭のいい人の考えることは、私にはわからないなぁ。


 とりあえず子供のいない私は税金(負担)が確実に増加するということだけは覚悟しなければならない。
 それだけはわかる。
 子供を持たないものは、こうやって国から淘汰されていくのだ。


 そして、そんなおのれのことだけを顧みず、もしも国のことを思うならば。
 初めからばらまかなければ、国を外国人に売る必要はないということだけは理解できると思う。
 
 
 
 財源がなければ、つつましく小国なりにやって行くことはできないのか。
 大日本帝国時代じゃあるまいし。
 わざわざAPECで自慢たらたら話したり。
 記念すべきKAN-FULL BLOGの第一話で披露すべき内容か。
 『KAN-FULL』は菅首相の名前と、カンフル剤をかけたものだそうだ。


 『このブログは、日本の元気を回復する「カンフル剤」となる菅内閣の政策を、みなさんにわかりやすくおとどけしたい、全力でみなさんにお伝えしたい、との菅総理の思いを込めて、「KAN-FULL BLOG(カンフルブログ)」と名付けました。』



 カンフル剤が聞いて呆れる。
 元気になるどころか、病状はますます悪化しているとしか思えないのだった。

 
 
 
 
  
 
 

沢の叫びと荒廃した道と ~怪峰・畦ヶ丸登山記~


 
静寂が叫び声を呑み尽くしてしまう
ひび割れ荒廃した道を私は這い進む
なんとかなるというのなら腰を下ろし笑ってもいられよう
しかし 私は明日が怖い 私は叫び続けるだろう
そうだ 私は明日を怖れ 私は叫び続けるだろう

                ~キング・クリムソン 「エピタフ」より~

IMG_9191②

 思えば、なんと険しい道を歩いていることよ。
 いくらでも人の多い公道を歩むことは出来たのに、それをしなかったのは初めは些細な家庭の事情。そして、自分の実力不足。
 いつしか私は引き返すことを拒んでしまった。自分の迷い道を愛し始めた。
 しかし、年を取り、すでに人と違う道でしか生きられなくなってから、生活のために公道へと戻っていく。木の実を探して、山を下りてくる野生の熊のように。
 別の意味で、そうしなければ生きていけないぎりぎりのところまできた。
 それからというもの、私の悲劇が始まったのだった。
 

 どんなに共存を目指しても、私を排除しようとする力の大きさを噛みしめている。
 孤独に耐え切れず、サークルに入っても、若者と私の間には大きな隔たりがあった。
 老後を見据えて、今更正社員になろうとも、職場の彼らと私との間には、経歴や価値観の相違が拭いきれなかった。
 畦ヶ丸はそんな私の人生を象徴するかのような山であった。
 数々の小ピークと数々の沢が入り乱れている。
 地図読みの勉強を始めて、二度目に選ぶ(知らぬ山は初めて)の対象ではありえなかった。
 尾根と沢が山頂へと向かう裏表の存在ならば、私は沢だ。世間は尾根だ。
 しかしそれはただの比喩であって、私自体は尾根やトラバースの山道は愛していても、沢沿いの道は苦手である。沢というものは、渓谷や渓流を愛でるものだ。あれは登るものではない。沢登りはただのスポーツであって、だからこそ格好のいいものであって、大昔、登山道がまだ整備されておらぬ頃そうしていたという沢沿いの道を行く過程など私は知りたくもなかった。
 山の中に住む熊、鹿が、沢を行く姿を夢想する。落ちたのか、魚や水を取に来たのか。いずれにせよ、それは私のイメージとは合わなかった。岩場から足を踏み外して、水の流れに飲み込まれる姿ばかりを考える。幼い頃、バンビの絵本で見たような、山火事の中逃げ惑う鹿のように、目を剥いては壮絶な形相をしているのだった。

 私には世間の彼らがとっくに見捨てた美点のいくつかがまだ残されている。私には世間の彼らがとっくに身に着けた美点のいくつかがいまだ備わっていない。

 何を美点とするかの問題とはいえ、歴然とした差があるのは確かだった。努力しても、しても、異質さが際立つとき、私は常に排除された。私は沢道が大嫌いだった。
 苦手、というのは品の良い言い方だ。カナヅチの私は水が怖いし、滑りやすい道が嫌いだ。トレースも見えない。いくら必死で地図を読もうとも、沢道のトラバースなど、現在地さえ理解できなかった。
 現在地がわからなければ、魔法のコンパスで方角さえ測れない。あたりを見回して標的を探す。目的物から現在地を測ろうとするが、小ピークの山が地図上のどれを指すのか、あまりに多くて、地形図には名前の表記さえなく、混乱を招くばかりだった。

畦が丸谷と山が入り組んだ畦ヶ丸の地形図。


 ほどなく私は畦ヶ丸を今日の旅に選んだことが完全な失敗であることを知った。
 連日の残業と前日の忘年会で勉強不足だ。おまけにガイドブックを置いてきた。地図読み勉強の旅だから、人間の知恵の影響を受けたくなかった。ところが、実際は地図を全く読めずに、人間の知恵によって手配された標識や、鎖や、ロープといった数々のかけらを繋ぎ合わせて、やっとのことで道を知る手掛かりにするばかりだった。
 道を行くということはそう言うことなのだ。
 公道を行けば考えなくても道はわかる。皆で教え合っていけばいい。ひとりで我が道を行くならば、すべてを自分で知る必要がある。人からの情報を得られなくても、「それ」がわかる実力がいる。今までよく生きてきたものだ。
 人々のお情けの標識と、鎖とロープで。
 行けども行けども、沢沿いの道を。行きながら、私はこう考えた。
 「苦手だと思ったら飲まれる。沢を味方につけて。自分の足や靴を信じて。」
 初めての(滑り止めのしっかりした)靴を履いていたので、いつものように滑って転ぶことは少なかった。恐れずに自分を信じて、沢を敵対するものとは思わず、自分の味方につけていこう。などと、いつか見た映画やいつか考えたことのパクリのような真理を発見したかのように思えたが、それも能天気な往路の話だ。復路にもなれば、その時の自分をあざ笑っている。

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沢沿いの道が続く。 


 沢道をやり過ごして、やっとのことで尾根に飛び出たときは、それは嬉しく感じられた。
 私は記念に尾根道の写真を撮り、歓喜の声を上げた。
 何度も何度も地図を見るうちに、入り乱れた沢と尾根の地形が僅かに理解できてきた。
 尾根に乗っても、深く底をあけたような谷がすぐ下にあったが、渓流のせせらぎというよりは禍々しい流れの叫びも、次第に気にならなくなってきた。
 雲が素早く流れていた。陽を一瞬影らし、景色を薄暗いものに変えてから、すぐに戻る。晴れ間と闇を繰り返して点灯するような空が、渓谷から湧き上がるような激しい風が、しかし私の気分を決定的な良きものとしない。不安を消してなるものかと意地悪く企てられているようだった。
 私はまた地図を広げる。尾根から山頂までは距離にして約2キロ。標高は約250メートルと読んだ。急な傾斜ではない。これからはのんびり行こうじゃないか。
 ところがそのすぐ後で、人の手による標識が距離はあと2.8キロと教えてくれる。150メートルは登った気になって、ブナ林を楽しんでいれば、目先に怪峰・畦ヶ丸の山頂が全貌を表す。
 私が目で山頂と思い込んでいたものは手前の小ピークだったという現実。ずいぶんと早いはずだ。地図を読んだはずなのに標識も違えば、感覚と目算の方を信じてしまった。思わずつぶやいた。
「あれが山頂ならば、引き返そうかな」
 まだまだ遠く離れているような思いがした。尾根の谷川の斜面には雪が残っていた。せめて、新しい靴の足型を残して、気を安らう。 

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足型と山頂近くのブナ林。


 ここから、山頂までの記憶があまりない。
 私は道を行きながら太宰治の人間失格に出てくる犯された奥さんのことを思い出していた。
 それから地図上の自分の位置を知る方、二つ以上の目的物と自分とを比べる方法のこと。会社での私の立場のこと。今の小さな会社の社長が、口答えした女性社員に言い放った一言。
「〇〇(私がしている仕事)よりは全然いいでしょう」
 
 女性社員は押し黙った。社長にしおらしく謝るような目線を投げた。あまりにも大きな声で放たれた言葉は全員の耳に入った。それから、私の存在は彼らから抹殺された。
 誰も私が目に入らないように、いないように、仕事の続きをした。私は、そうされることで会社の、もしくは社長の立場が保てるならば、何かしらの役には立っていると信じようとしていた。
 何度も社長にはかばってもらっている。護ってもらっている。ならば私も護らなければいけない。 悲しみからこぼれそうになった涙は嘘のものだと信じた。
 それでも、帰り間際、最後の最後に私は立場を忘れて笑顔を取り戻し、私の笛を吹いてしまった。社長がそれで不機嫌になったこと。忌々しそうな顔で。お疲れさまも返してくれなかったこと。
 その夜に、私ははっきりと自覚した。これは社内いじめだ。私は髪の毛をバッサリと切った。
 昨夜の忘年会で私の隣に座りたがるものは一人もいなかったこと。

 太宰の物語の妻は純真だったという。人を疑うことを知らなかった。主人公「大庭」は少女のその清さを愛した。ところが彼女は人を信じるがゆえ、清さゆえに、人から犯され、辱めを受ける。自身と、最愛の夫を、深く傷つけてしまうのだった。
 もしも大庭が純真さを愛さなければ彼は傷つくことはなかった。多くのものが捨てたものをまだ失っていなかった少女は罪深い。好かれるではなく、愛されるということ。その要素を抱き続けるものは罪だと思う。
 大庭の趣向の問題なんかではない。彼は多くのものが罪の匂いを感じ取って避けるものを、真正面から受け止めて自身を玉砕してしまっただけだ。
 むしろ、彼は高見にいたのではないかとさえ思う。世間のものを超えた価値観を身に着けていたのではないかとさえ。なのになぜ。
 大庭が妻を許していたら、彼女は純真さをそれでも失わず、人を信じ続けたのか。
 なぜ大庭はできなかったのか。なぜ、太宰は自殺をしたのか。

 現在地を知るために距離を測るには、二点の目標物と距離を測ってその接点を見る。
 私の目標物は会社の女性社員か。歴史の彼女たちか。横軸(現在)と縦軸(過去)か。
 取り留めもなく考えながら雪を踏む。息が切れる。体力の衰えを感じる。

 あれほど遠く見えた山頂は、記憶をなくしているうちにあっけなく着いた。山頂には神様がプレゼントしてくれた少女が座っている。私と同じメーカーのダウンジャケットを着て(色違いだ)、ひとつのテーブル(木の椅子か)に背を向けて座った私に笑顔で語りかけてくる。
「すみません。道を尋ねていいですか」
 このあと、ひとりの青年も現れて、三人で地図を見合った。彼は菰釣山から縦走してきた。富士が綺麗に見えたという。私は彼女と、彼の写真を撮った。山頂の標識の前でピースをするそれぞれの写真を。
 登山口に車を置いてきた少女は復路を変えて降りたいと思っている。降り立った地から、往路の登山口まで歩いていける距離かを知りたがっていた。私はコンパスを使って、距離が3キロから3.5キロほどあることを伝える。青年はトンネルがあるから危ないしやめた方がいいと諭す。
 やがて青年が消えて、少女は私を待っていた。お昼を食べ終え、一服し終えることを。ともに復路を行くことを。
 見れば見るほど、少女の格好は私によく似ていた。正確に言うと少し前の私に。ダウンの下の安物のフリースも、光沢のあるトレーニングパンツも以前好んではいていたものだ。彼女は去年北アルプス(のある山。なんと言ったか・・?)に登ったと言う。私が会話の中で、丹沢と奥多摩を制覇してから北アルプスに行きたいと語ったすぐ後でそう言って、私の登山経験を何度か尋ねている。
 そして、ガイドブックを置いて来た私が見そびれた、往路の途中の滝、本棚と下棚を見た感動を長らく披露する。
「ひとりでこんなところまで来て、滝を見て、私ってすごいって」
 と明るく話している。自己顕示欲や負けん気の強かった過去の自分を見るようだった。
 「いい経験をできて良かったね」と私はいなしていたが、最後に「来年も北アルプスに行けるといいんですけど」と私の目標を一蹴されたところで、初めて、「今は山人気だからケーブルやリフトで途中までいけるから」と余計な言葉が口から洩れてしまった。若い少女の願望を受け止めてあげることができずに、彼女にお互いの距離を測られて見下されたように感じてしまったのだろう。
 少女はこの時うなだれるように下を向いて返事をしなかった。私は彼女の北アルプスが山頂間際までケーブルやリフトを使ったものであったことを知ってしまった。
 
「ではお先に行っています。すぐ追いつかれちゃうかもしれないけれど」
 なかなか腰を上げない私に彼女がしおらしく言うのだ。
「私も歩くの遅いから」
 とお互いの行きのタイムを笑いあって、そうして、別れた。
 不思議なことに、彼女が選んだ道は往路と同じ、滝のある道で、私が向かったのは、彼女が初めに道を尋ねてきた大滝橋経由の復路であった。

 吉と出るか、凶と出るか。
 彼女と別れたこと ―まるで見捨てたように感じていた― が私にとって、いいことであったのか、悪いことであったのか、帰り道の良しあしで審判が下されると感じていた。
 もしも、迷ったり、転んだり、何かしら悪い事件が起きれば、私は少女と沿うべきだったのだ。彼女の自慢話を受け入れて、たとえ見下されようと護るべきであったのだ。
 少しの屈辱に耐えれば、ひとりからは解放される。孤独を離れ、次の山行きの友も得られたかもしれない。車という足も、得られたかもしれない。
 が、もしも、難なくバス停までたどり着き、無事今日の旅を終えられたならば、私は私の道を行くことことが使命なのだ。どんなに険しかろうと、嘆くな、愚痴を言うな、そう神が命じているに違いない。そう信じていた。
 東海自然歩道から大滝峠上、大滝橋へと続く復路は、名前からもわかる通りやはり沢ばかりだ。行きよりも多い、沢を見続けて、飽き飽きした私は、バス停のある公道に飛び出る直前に涙を流した。
 昨日の忘年会のこと、会社の女性社員、そうして、山頂の少女。
 彼女たちに見下されるために、道を歩いてきたわけではなかった。惨めでたまらなかった。
 私は私の道が好きだ。
 それでも自分に誇りを持てず、ついこの間まで見えていた光の道からも大きく反れてしまったように感じていた。戻りたい。戻りたい。でも、今の自分を頼りなく、小さく感じている自分がいる。
 もう戻れないのではないか。このまま私は堕ちていくのではないか。涙する私の目に飛び込んできたのは、道端にとまっていた一台の車。―人が乗っているようだった― はっとする間もなく、すぐに公道へ飛び出した。
 目の前にバス停が見える。鮮やかなバス停の標識が立っていて、私は駆けだした。
 あいにくバスは行ったばかりだ。次は一時間近くもあとである。しかし、バスが来る!
 山頂の彼女が大滝橋から登山口までのバスの時間を私に語っていたことを思い出した。彼女はここから車の置いていある登山道までバスに乗ろうか、歩こうかと悩んで、時刻表を調べていた。12時台の後は3時47分の、今私が待っているバスだと聞いていたが、あるではないか。だからのんびりと歩いていたというのに、バスは1時台も、2時台も、1時間に1本ちゃんとあるではないか!
 ああ、もっと急げばよかった。しかし、バスが来る!
 前回、1本バスを乗り過ごして、やはり1時間待ちとなったことの悲しさもすっかり忘れていた。私は、難なくバス停に着き、無事バスがやってくることが嬉しくてたまらなかった。何の下準備もなく、バスの時刻も調べなかったというのに。救われた思いがした。あとは待っていればいいのだ。
 そして、山頂の彼女の言葉に、間違い、もしくは嘘があったことを。

 
 審判は下された。
 私は無事に山を下り、帰路に着いた。
 心の中にはまだ哀しみが渦巻いていたが、バス停のベンチに座り、私は安堵の眠りにつく。昨夜は4時間ほどしか寝ていない。急激な眠気が私の思考を奪っていく。
 私は帰り道の、避難小屋を通るすぐ前に見た、つがいの鹿に思いを馳せていた。
 私が落ち葉を踏む音を聞きつけると、彼らはものすごい足音を響かせて山の奥へと逃げて行ったものだ。ハート型の白いお尻を見せつけて。あれはなんという鹿だろうか。私は彼らに声をかけたものだ。
 おーい。おーい。
 逃げなくてもいいじゃないか。おおーい。

 すると彼らは立ち止まり、振り返って、木々の隙間から私の方を見つめたのだ。
 ずいぶんと長く感じられる間、そうやって見つめ合った。私たちの狭間には沢が横たわっている。
 あまりに動かないので、もうとっくに彼らは消えていて、私はただの枯れ木を見つめているのではないかと勘ぐるほどの時間が経った。
 しかし、あれは確かに鹿だった。沢よりも大きな音を踏み鳴らして、彼らは立ち去っていった。
 また前を見据えて、山の奥へと消えていくのだ。

 

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