2011年1月31日

「政治とカネ」事件のしょぼさに違和感を覚える。

 
  


 2011年1月31日、小沢一郎氏が強制起訴された。




 『小沢氏を強制起訴』


 民主党の小沢一郎元代表(68)の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、検察官役を務める指定弁護士は31日、同法違反(虚偽記載)罪で、小沢元代表を在宅のまま強制起訴した。検審の議決に法的拘束力をもたせた平成21年施行の改正検察審査会法に基づく強制起訴は4例目で、国会議員は初めて。


(中略)
 小沢被告はこれまでの特捜部の事情聴取に対し、虚偽記載への関与を否定。公判でも同様に否認するとみられる。東京地裁から選任された指定弁護士3人は今後、引き続き公判を担当し、小沢被告と元秘書との共謀関係を立証していく。



 

☆  ☆  ☆  ☆
 
 
 
 上のニュース記事を読んだとき、思わず首をかしげた。
 何か胸に引っかかっている、ような違和感。
 
 小沢氏の「政治とカネ」の問題というのがなんだったかすっかり忘れていたようだ。
 政治資金規正法違反事件の政治資金規正法違反の容疑ではなかったのか。
 「政治とカネ」、「政治とカネ」、「政治とカネ」。
 それはずいぶん読んだのだが。
 
 「同法違反(虚偽記載)罪」?
 「きょぎきさい」が一番の問題だったか?
 
 
 



 『小沢被告は(中略)虚偽記載への関与を否定
 指定弁護士3人は今後、引き続き公判を担当し、小沢被告と元秘書との共謀関係を立証していく。』


 虚偽記載というのは、収支報告の年度がずれていたというものだったと思う。
 私の記憶違いでなければ、それは、とっくに解決してはいなかったか。

 (農地法の規定で移転登記にタイムラグが出たこと。陸山会というのは人格なき社団や財団と同じで、団体名義はもちろんのこと、代表小澤一郎という肩書付きの名義でも土地を登記できないから、小沢が金を貸して、陸山会(代表小澤)が銀行から金を借りて、小沢に返したというもの。)

 小沢は関与を否定どころか、そのことをテレビで何度もしゃべっていたように思うが、私の勘違いだっただろうか。
 
 で、あの特捜部が散々調べても証拠不十分、不起訴になった後、第5検察審査会が起訴議決をしたのは、確かに、要旨(第1 被疑事実の要旨)は虚偽記載の内容だったように思う。

 が、最後まで読むと相当違った。
 強制起訴に至った本当の理由(第3 検察審査会の判断)は、「小沢氏供述の信用性」の欠如だったのではないか。



『小沢氏の本件土地購入資金4億円の出所について、小沢氏の当初の説明は著しく不合理なものであって、到底信用することができないものである上、その後、説明を変えているが、変更後の説明も著しく不合理なものであって、到底信用することができないものである。小沢氏が本件4億円の出所について明らかにしようとしないことは、小沢氏に収支報告書の不記載、虚偽記入に係る動機があったことを示している。


 第5検察審査会の議決要旨より


 



 問題は虚偽記載ではなくて、「カネの出所」であり、小沢氏には虚偽記載をする「動機があった」、と「疑われた」からではなかったか。

 
 私の中では、「政治とカネ」の問題は完全に、「汚職疑惑」として出来上がっていたので、それを今更虚偽記載の共謀関係を立証うんぬん・・などと言われると、どうしても違和感が拭えない。
 ずっと考えていると、違和感を通り越して、次第に、空いた口がふさがらないくらいに驚かされてしまうのだった。



 えっ。そんな罪だったか?

 それって罪か?

 たとえ立証できても、ただの事務処理上の問題ではないか?

 犯罪者(小沢被告)と呼ばれるようなことか?

 
 


 
 『離党勧告が焦点』



 産経新聞、イジメ過ぎじゃないか。号外まで出して。
 それを焦点にするならば、せめて、政治資金規正法違反事件の、正真正銘の汚職疑惑容疑で強制起訴はできないものか。

 えっ?

 そんな容疑はないって言われても。
 どうせ、検察審査会を使えばどんなでたらめな容疑でも起訴できるのだろうから。
 せめて、違和感を感じないくらいの罪状をでっち上げてくれないものか。 



  

2011年1月30日

世界から鳥が消える日。 ~鳥インフルパンデミック、「脅威論」を拒否せよ~

 
  

 『鳥インフルエンザ:県北にも 川南町では8万9183羽殺処分/宮崎』

 県内で鳥インフルエンザの発生が相次いでいる。28日に川南町、延岡市の養鶏農家で死んだ鶏も29日の遺伝子検査で高病原性鳥インフルエンザ「H5型」と確認された。県内では4、5例目。川南町では同日夕までに8万9183羽の殺処分が終了した。


 発生農場に近い北川町川内名で種鶏業を営む主婦(48)は「これまで人ごとのように思っていたが、自分たちの養鶏場の近くまでおよび、移動制限内に入ったことにびっくりしている。早く終息するようできる限りのことをしたい」と話した。


 (毎日jp1月30日地方版)





☆  ☆  ☆   ☆   ☆





 2005年、10月、国連特別首脳会議でブッシュ大統領が演説を行った。

「鳥インフルエンザが21世紀初の広域伝染病になるかもしれない」

 H5N1亜型ウイルスは現在では鳥から人へ感染する力しか持っていない、が、もしも新型が現れて、人から人に感染するように変異した場合、その脅威は計り知れないだろう。


 ブッシュ大統領の警戒発言の後、2005年から鳥インフルエンザは東南アジアで猛威を振るい始める。2005年11月までに鳥インフルエンザにかかった人々62人が死亡した。クロアチアやスウェーデン、イギリスでも、相次いでH5N1型鳥インフルエンザが発見された。
 WHOは鳥インフルエンザが人から人に感染するよう変質した場合、世界的な規模で流行し、一億人以上が死亡するであろうとの予測を発表する。

 ミネソタ大学伝染病研究政策センターのマイケル・オスターホルム教授も警告を発した。
 「世界規模では1億8000万人から3億人、米国内でも少なくとも170万人が死亡する」


 米国は世界的な「脅威」に備えて、鳥インフルエンザワクチンのワクチンを増産し始める。
 新型インフルエンザの治療薬である「タミフル」は 2005年度には売り上げが4倍となり、ナスダックでの株価は2年間で3倍へと上昇した。

 そして、2007年、日本政府、厚生労働省は使いきれないほどのタミフルを買い集め、世界各国からひんしゅくを浴びたと言う。

 2009年、A型H1N1亜型インフルエンザ(豚インフルエンザ)が流行。WHOは世界的流行病(パンデミック)であることを宣言し、警戒水準をフェーズ6に引き上げた。

 桝添厚生大臣(当時)は、タミフルを買い集め、警戒水準が落ちたころには1,126億円を出して購入した輸入H1N1ワクチン9,900万ショット分が余剰(在庫)となるという事態に陥った。

 総人口1億2,700万人分より多い在庫を抱え、そのうち(わかっているだけで)234万ショットは打たれることのないまま使用期限を終えた。

  
  
  


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆




 鳥インフルエンザのことをずっと考えている。
 上の記事は、本や、ウィキペディア、誰かのブログから少しずつ拝借したものだ。
 繋ぎ合わせると、私が思うような想像が、もしもこのブログを読んでいる方にも浮かび上がり、何かを感じ取ってくれたら良いなぁ、などと思っている。

 現在の、鳥インフルエンザの騒動のバカらしさについてだ。


 なぜ、私の大好きな野鳥たちが、
 私たちの食を満たすために存在してくれる大切な家禽たちが、
 ああもあっけなくばさばさと殺されていくのか。

 ニュースを見るたびに心が痛い。

 陰で操る者に、激しい憤りを覚える。


 これ以上、馬鹿げた「脅威論」はいい加減にしてほしい。

 空を飛ぶ鳥を見ると、たとえどんなことがあろうとも、「希望」を思い出すといつか書いた。
 
 「これまで人ごとのように思っていたが、自分たちの養鶏場の近くまでおよび、移動制限内に入ったことにびっくりしている。早く終息するようできる限りのことをしたい」

 とは冒頭のニュースの話しだが、鳥インフルエンザは家禽の間でウイルス感染を防ぐことが最重要とされている。国連食糧農業機関 (FAO) の警告、これもブッシュ発言と同じくして2005年になされている。つまり、感染した鳥は殺すしかない、ということ。
 養鶏場の方たちが、畜産業の方たちが、どれほど胸を痛めようと、嘆こうと、「早く終息するようできる限りのことをしたい」というのは、家禽を殺処分することしかありえない。
 日本だけの話ではない。世界各国のそこかしこで、起こっていることだ。
 しかし、殺処分して終息があると本当に思っているのだろうか。
 誰かが儲かるまで終わらぬ話ではないのか。
 こんなことのどこに希望があるのか。

 世界から「鳥」が消えていく。
 その時が近づいているように思えてならない。


 

 
 

2011年1月29日

『DEATH NOTE』と『2046』と冬の森。

 

 

 「日本ナショナリズムの解析」、子安宣邦著を読んだ。
 正確に言うとさわりだけ読んで、げっそりとした。
 これは、明らかに『DEATH NOTE』だ。

 先日、映画『DEATH NOTE』がテレビ放映されていて、久しぶりに見入ってしまった。
 死神のノートと対比する存在として描かれる「六法全書」がやはり胸に残る。
 不思議とその数日前に、六法全書の起源となる「公事方御定書」の話を歴史秘話ヒストリアで見たばかりであった。 (「正義」の話をいたそう!~大岡越前 白熱裁判~1月26日放送)

 正義というのは、真実と似ている。
 唯一無二の絶対的なものだと思わせられるが、しかし人や立場が変われば180度も逆転する、危ういものだ。「それは、正義だ」、「それは真実だ」と言うとき、人は必ず無意識のうちに「六法全書」を拠り所にする。(しなくてはならぬ)
 夜神月(やがみらいと)の父親が言うところの、「不完全な人間が、正しくあろうと努めた歴史の積み重ね」である。
 私は過去にこの六法全書を無視して、絶対の「正義」や「真実」を持ち出しては、居場所を破壊したことを思い起こした。
 日本を、国学を、愛そうと努めた人々の、努力の積み重ねを、一刀両断の真実で破壊する「日本ナショナリズムの解析」の著者とそう変わりはしない罪を何度も犯した。
 著者への嫌悪感と自分への嫌悪感が重なって、何とも不愉快な読感だった。
 このような幼稚な書物は、消え去ればいいと。そう過去の自分を裁いていた。

 

 久しぶりに森に行きたかった。
 私の町の、私の森だ。
 そこに通い始めてからそう長い月日が経っているわけでもないのに、いつしか私はそこを心の拠り所にしていた。素の自分を受け入れてくれるところ、「孤独な散歩者の夢想」を赦してくれるところ。しばらく行っていないというだけで、私は大切な何かを忘れているような、心もとなさ、焦りをふと感じたのだった。
 行っても何もあるはずがない。枯れた丸裸の森が横たわっているだけである。
 

 木の名前を覚え始めたころ、この森で一つ一つの木々を見上げて、名前を当てるのが好きだった。わからない木は葉や枝や樹皮を見て、後で調べた。有名どころの木々にはところどころ「この木はなんでしょう」というクイズ形式で、名前が記されている。今日は不思議と、その木々の名前、名前としての言葉が気になって仕方がなかった。

 森を入ると、まずであったのが「ムクノキ」。樹皮がボロボロに剝けている。ずいぶん傷だらけの印象だ。名前の由来は、「樹皮がむけることから名づけられた」とある。私は国学者たちの仮名遣いや文法の整理に費やした長い努力の時間を思い出し、これらの木々の名前の一つにも、誰かや誰かの「六法全書」があるのだろうか。などと考えている。言葉には必ず由来がある。そして由来が努力の総和による真実である可能性だってないわけじゃない。いろんな説や、紆余曲折があって定着した呼び名だとしたら・・ そんな風に思う私は、このムクノキが無垢の木に思えて仕方がないからなのであった。
 森を進むと、今度は「エゴノキ」に出会う。特に雨の日、鋼(はがね)のようにツヤツヤに輝く彼の樹皮も、さすがに冬にもなると少しはかさついている。
 木々たちの厳しい冬。ボロボロの「ムクノキ」と苔を纏った軽傷の「エゴノキ」。しばらく歩くと、今度出会うのは、「スギ」だ。

味酒(うまさけ)を 三輪の祝(はふり)が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひかたき  丹波大女娘子」

 和歌とともに立っている。スギは、ヒノキやヒバと見分けがつかなかったり、どこにでも植林されていたり、花粉で被害をこうむったりと、何かと見くびられがちな木である。私もほとんど敬意を払っていなかった。が、この木なんでしょう、の立て看板にこんな文字を見つけて驚かされる。
「日本特産の木で材は優れ、わが国ではヒノキとともに最も大切な林木です。水分の多い谷間に好んで生長し、大きな木は高さ45mにもなります。(スギ科)」
 家具からヒノキの匂いがすると高級感に満たされたが、スギは安っぽい。が、スギもそのヒノキに負けず劣らずこの国とって最も大切な木だったか。谷間に好んで成長するというのも意外だった。地図読みを始めてから私が大嫌いな谷を、まるで彼が精通しているようで心強く感じたのであった。自分の名前に、この木の漢字が一文字入っていることを好ましく思ったのは、生まれて初めてであった。「スギ」の名の響きが、由来が、まるで自分を守ってくれるような思いがする。そして、その存在はといえば、こちらも樹皮がボロボロなのであった。「ムクノキ」よりひどいのではないか? ずいぶん冬は堪えると見える。

 

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 ケヤキは、「際立って目立つ木、けやしき木」から名前が起こった。
 ヒサカキは、「サカキより小さいので姫サカキ」から。
 ミズキは、「春先に枝を折ると水が滴る」ことから。

 去年、梅や早咲きの桜を撮ったお気に入りの場所へ行く。森の中にある郷土民家園である。入り口付近には白梅。古民家の裏山の小さな畑には、桜が一本。
 今年はまだ時期が早かったか、梅はかろうじて咲いていたが、桜は一花、二花しか開いていない。それでも嬉しくて、200mmの望遠ズームレンズで撮り始めた。が、どうも調子が上がらない。風が強く、花が揺れる。ピントも合い辛く、光も、色も、うまく出ないので、思い切ってモノクロにしてみるが、こちらも尚更の失敗。去年よりも、良く撮れないのであった。
 自分が撮った写真を見て、へたくそだなぁ、と心底思ったのは久しぶりのことであった。
 最近ではそう思うことは少なかった。それはうまくなったから、と言うよりは、そういう価値観や基準で、写真を見ていない、撮っていないと言った方が当てはまる。
 そうだ、久しぶりに、恥ずかしい言い方をすれば、「芸術的な」、「作品としての」写真を撮ろうと、奮闘しているのかも知れなかった。
 花は美しく撮ってあげたいものだから。
 誰よりも美しく撮ってあげたいものだから。


 

桜はまだかいな。 梅は咲いたか。

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 桜の大失敗を立て直そうと、今度は梅に挑む。去年は色温度を変えたり、アプローチを変えて試行錯誤して撮った記憶があるが、今年はシンプルに行きたかった。普通に、綺麗に撮ってあげたい。白梅は雪のように連なって、縦に枝を伸ばしている。真っ直ぐ伸びる様や、その根元の時折見せつける芸術的に歪曲する様や、白い花を彩る真っ赤なガク。
 梅は桜と違って、ずいぶんと優等生的だ。妖しい美しさはないが、清楚で、生真面目な、少女のようだ。なのに、力強い枝の曲線、外へ開くというよりは上へ伸びる枝。私は何度も「梅は~咲いたか~」と小唄を口ずさみながら、何とかこの可愛らしさ、可憐さを描こうとするのだが、何度も、何度も、構図と光の角度を変えても、玉砕した。
 一息入れた時には、手ががくがくと震えている。久しぶりに重いレンズや三脚を一心不乱に振り回して操っていたせいだろう。
 諦めきれずにこの後、少し距離の離れたところにある梅林に足を延ばそうと思っていた。
 あそこならもう少し咲いているかもしれない。うまく撮れるかもしれない。
 花の美を捉えようとすることは、不完全な私が努力の総和を一足飛びで飛び越えて、真実を見つけようとすることに似ている。『DEATH NOTE』を極めない限り、その世界観は得られないような思いもする。個性というものは残虐だ。
 不完全なまま、君臨する。
 それは独創性とは少し違う。私はそんなことを後で思ったものだが、その時は、ぼんやりとしながら、ずっと映画のことを考えていたのだった。
 昔見た「2046」という映画のことを何度も何度も考えていた。

 文章を書けなくなった男が、哀しい結末を変えようと、振出しに戻る未来の超特急電車に分身を乗せる。分身は、男が過去に失った恋人とよく似たアンドロイドに出会い、恋に落ちるが、アンドロイドは分身を拒絶する。男を思い続けて、長い時の中で、男同様に少しずつ壊れていく。
 昨日、この映画を全く完全に捉えた文章を読んだのであった。
 ところが私はこの映画の内容を完全に忘れていた。
 ただ、結末が「絶望的なくらいに哀しい」と思ったことしか覚えていなかった。
 当時私は、この物語を正確に理解していたのだろうか。理解していたなら覚えているはずなのに、記憶もないのに、誰かの文章を「完全な映画の解釈」だと心の底から信じている自分がいる。もしもその通りの映画ならば、私の思うあの映画の通りだと。
 2046は未来であるのに、過去である。2046から帰って来た者はいない。男を除いてはいない。そして、分身を乗せた超特急電車はどこにも辿りつかない。
 なぜ、偽物(分身とアンドロイド)でしか、振り出しに戻すことはできなかったのだろうか。
 なぜ、アンドロイドは、分身を拒絶して、そのままの男を求め続けたのか。
 男は、現在を捨てきれなかったのだろうか。もしも、その道のりが、「六法全書」のような努力の総和であったとしたならば、振出しに戻ることは、そう、やはり分身にしかさせ得ることはできないはずだと思いながら、(自分が戻ることは死に値する罪悪だと思った)でもなぜ、男は誰も戻ってこなかった2046から一人戻ってきてしまったのか?
 「六法全書」が完全になる時は来るのだろうか。もう追記することが何もないほど、何も書き足せなくなるほど完全になる時、『DEATH NOTE』は消え失せるのだろうか。
 人は歌えなくなり、完全な球体となって、欠片もなく、寄り道もせずに転がるようになって、木の樹皮は剥がれなくなり、それならば、なぜ永遠の愛を手に出来なかったのだろうか。
 もしも、そうならば、まだ書くとはあるはずなのに。不完全ならば、歌えるだろうし、もしも完全ならば、誰かに「六法全書」を示してあげることはできるはずなのに。
 なぜ、内容を思い出せない映画のことをずっと考えているのか、私は不思議でならなくて、もう一度この映画を見たくてたまらなかった。
 そして、昨夜見た完全な解釈である(と思った)映画の文章が、本当であるか確かめたかった。
 「2046」ってそんな映画だったかな。あの時感じた、「絶望的なくらい悲しい結末」は、「その通り」だっただろうか。

 

IMG_0620② IMG_0621②

 

 梅林まで重いレンズと三脚を抱えて歩いた。なぜか、胸が圧迫されるように苦しかった。
 息苦しさを覚えながら、たどり着くと、梅林は見事に裸木が並んでいた。
 一花、二花、やっと咲いている程度、小さな蕾があることはある。それも紅梅だけで、白梅は蕾さえ膨らんではいなかった。申し訳ない程度の小さな花芽。
 私はがっくりして、途方に暮れた。
 これでは、努力さえできない。
 それでもやはり重たい望遠ズームを振り回して、何とか撮った。そのうち、軽い標準ズームに切り替えて、手持ちで撮った。
 時折散歩者が訪れる。中年の、浮浪者のような、男が、小さなカメラを持って、必死に撮る。
 夫婦連れは、私を畏れて足早に通り過ぎる。小さな子供と母親は、明るい。
 「梅が咲いてる~!」
 「撮って、撮って。ここ~」子どもがはしゃぐ。
 僅かな花にその声が嬉しかった。人が消えると、裸の梅が立ち並ぶ侘しい梅林が戻ってくる。私はぐるり一周して、今日を諦めてレンズと三脚を片付ける。
 

 へたくそだ。こんなにへたくそだ。へたくそだ。

 ずいぶん成長したつもりでいたが、去年にも劣るへたくそだ。
 ぶつぶつ独りごちながら歩いていると、ふと電球が閃くように思いついた。
 ああ、これが原点か。
 この森に来て、思い出さなければいけなかったのはこれか。私はまったく不完全だ。
 そして、状況は努力もできぬほどに、まだ冬である。
 私はノルウェイの森を連想する、とかつて思った私の森を歩いていく。間引かれて、葉を落として、寂しくなったすかすかのその場所の春や夏に思いを馳せる。
 木々の樹皮はやはりみな痛々しく剝けていた。
「2046」を見なくてはならない。
 なぜか、決意にも似た思いで、そう感じながら、道を急いでいる。


 

 

 

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2011年1月27日

無策、無能菅首相のすご技、国債格下げで円安誘導か!

    
   
  


 日本(長期)国債がダブルAマイナスに格下げされた。
 米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が27日、発表したもの。同社の日本国債格下げは2002年4月以来8年9か月ぶりだ。
 
 日本経済新聞web刊より)


 
 S&Pは、格下げの主な要因としてこう述べている。




「民主党政権には政府の債務問題に対する一貫した戦略が欠けている」

 (無策無能菅さんバレバレですね)









 新興国の中国、規模の違う台湾とも同じ格付けとは、ずいぶん落ち目になって来たなぁ、と我が国の衰退ぶりを侘しく思っていたら。

 なんと、菅首相のこの発言。


 ↓   ↓   ↓   ↓








 「そのニュース、今、初めて聞きまして。今、本会議から出てきたばかりなので、ちょっとそういうことに疎いので。ちょっと改めてリサーチさせてください」(菅直人総理大臣)




 (国債格下げ 菅首相「そういうことに疎い」TBSニュース)
 
 
 
 
 
 
「そういうことに疎い」
 
 
 
 
「そういうことに疎い」
 
 
 
 
「そういうことに疎い」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 格下げの元凶になるはずだよ。
 
 
 
 
 とんだびっくり発言で、ますます侘しさが増しました。
 
 
 
 
  
 
 
 

2011年1月25日

未来の思い出話、第177通常国会施政方針演説を読む。

 
 

 第177通常国会、始まりました!


施政方針演説をする菅首相


 施政方針演説を全文読んでみましたが、一件具体的な政策の方針を語っているふう。
 が、良く読むと、具体的というよりは何でもかんでも盛り込んじゃいました、という(ばら撒きではなく)綺麗ごとの大風呂敷を広げてしまったような演説です。

 あ、これも言っておこう。これも、これも。一応やったし、ちょっと手を付けたから言っておこう、と言った感じに、とにかくずいぶん頑張ってやってますよアピール。が、くどいです。
 結局、何を一番にやりたいのか、菅政権の特徴とか、政策の骨格のようなものが、伝わってこないですね・・
 平成の開国、最小不幸社会の実現、不条理をただす政治、ですよ、だからそれは。
 と言われそうですが、その三つがそもそも抽象的なので。

 優等生的、誠意に溢れている的、なので、印象としては、とてもいいです。
 鳩山さんの時よりは、いいです。
 が、何だか顔が見えないなぁ。まったくインパクトがないです。
 「東アジア共同体構想」とか、「友愛」とか、思わず懐かしんでしまいました。


 ところで、民主党政権交代時のマニフェストの公約はほとんどが沈没したというのに、悪名高き(?)「子ども手当」だけは健在なんですね。
 それから、幼稚園と保育園(保育所)を一つにして「こども園」にするとかすぐにはしないとか。
 手当の時も思ったけど、ネーミングがダサすぎます。
 「子ども(こども)」というのが。
 せっかく考えた「幼保一体化」に向けた新制度にこんなことを言って悪いですが、その言葉に拒否反応です。
 言霊というと大げさですが、私は言葉の響きとか、そこから受ける印象とか、伝わるインスピレーションを、とても大切だと思っています。
 もう少し考えていただけるとありがたいです。
 (てか、変えないでください。言葉は歴史です)



 菅首相の立派な施政方針演説全文を下記に残しておきます。
 いつかこのブログを見て、ああ、そんなひといたね~
 こんなこと言っていたね~
 と、笑い話になりますように。

 

政府インターネットTV (施政方針演説映像)
PDF版はこちら。



 
「はじめに」


 発足から半年、私の内閣は、元気な日本の復活を目指し、「経済」「社会保障」「財政」の一体的強化に全力で取り組んでまいりました。これを推し進めた先に、どのような国をつくっていくのか。そのために国政はどうあるべきか。本日は、改めて、私の考えを国民の皆様、そして国会議員の皆さんに申し上げます。


 私が掲げる国づくりの理念、それは、「平成の開国」、「最小不幸社会の実現」、そして「不条理をただす政治」の3つです。変化の時代の真っ直中にあって、世界中が新しい時代を生き抜くにはどうすればよいか模索しています。日本だけが、経済の閉塞、社会の不安にもがいている訳にはいかないのです。現実を冷静に見つめ、内向きの姿勢や従来の固定観念から脱却する。そして、勢いを増すアジアの成長を我が国に取り込み、国際社会と繁栄を共にする新しい公式を見付け出す。また、社会構造の変化の中で、この国に暮らす幸せの形を描く。今年こそ、こうした国づくりに向け舵を切る。私のこの決意の中身を、これから説明いたします。

 
 「平成の開国」
 
 -第1の国づくりの理念-
 
 第1の国づくりの理念は、「平成の開国」です。日本は、この150年間に「明治の開国」と「戦後の開国」を成し遂げました。不安定な国際情勢にあって、政治や社会の構造を大きく変革し、創造性あふれる経済活動で難局を乗り切ったのです。私は、これらに続く「第3の開国」に挑みます。過去の開国にはない困難も伴います。経験のない変化。価値観の多様化。その中で、安易に先例や模範を求めても、有効な解は見付かりません。自ら新しい発想と確固たる信念で課題を解決する。その覚悟をもって「平成の開国」に取り組みます。
 

 〈包括的な経済連携の推進〉

 開国の具体化は、貿易・投資の自由化、人材交流の円滑化で踏み出します。このため、包括的な経済連携を推進します。経済を開くことは、世界と繁栄を共有する最良の手段です。我が国はそう強く認識し、戦後一貫して実践してきました。この方針に沿って、WTOのドーハ・ラウンド交渉妥結による国際貿易ルールの強化に努めています。一方、この10年、2国間や地域内の経済連携の急増という流れには、大きく乗り遅れてしまいました。そのため、昨年秋のAPECに先立ち、包括的経済連携に関する基本方針を定めました。今年は決断と行動の年です。昨年合意したインド、ペルーとの経済連携協定は着実に実施します。また、豪州との交渉を迅速に進め、韓国、EU及びモンゴルとの経済連携協定交渉の再開・立ち上げを目指します。さらに、日中韓自由貿易協定の共同研究を進めます。環太平洋パートナーシップ協定は、米国を始めとする関係国と協議を続け、今年6月を目途に、交渉参加について結論を出します。


 〈農林漁業の再生〉

 そして、「平成の開国」を実現するため、もう一つの大目標として農林漁業の再生を掲げます。貿易を自由化したら農業は危うい、そんな声があります。私は、そのような二者択一の発想は採りません。過去20年で国内の農業生産は2割減少し、若者の農業離れが進みました。今や農業従事者の平均年齢は66歳に達しています。農林漁業の再生は待ったなしの課題なのです。昨年の視察で夢とやりがいに満ちた農業の現場に接し、私は確信しました。商工業と連携し、6次産業化を図る。あるいは農地集約で大規模化する。こうした取組を広げれば、日本でも、若い人たちが参加する農業、豊かな農村生活が可能なのです。

 この目標に向けた政策の柱が、農業者戸別所得補償です。来年度は対象を畑作に拡大し、大規模化の支援を厚くします。また、安全でおいしい日本の食の魅力を海外に発信し、輸出につなげます。中山間地の小規模農家には、多面的機能の発揮の観点から支援を行います。農業だけではありません。林業が中山間地の基幹産業として再生するよう、直接支払制度や人材育成支援を充実させます。漁業の所得補償対策も強化します。そして、内閣の「食と農林漁業の再生実現会議」において集中的に議論を行い、6月を目途に基本方針を、10月を目途に行動計画を策定します。


 〈国会における議論の提案〉

 我々は、経済連携の推進と農林漁業の再生が、「平成の開国」の突破口となると考え、以上のような方針を定めました。国民の皆様は、この問題に高い関心を寄せています。自由民主党は、環太平洋パートナーシップ協定について、3月中に党の賛否をはっきりさせる意向を明らかにしています。そうした各党の意見を持ち寄り、この国会で議論を始めようではありませんか。


 〈開国を成長と雇用につなげる新成長戦略の実践〉

 さらに、この「平成の開国」を成長と雇用につなげるため、新成長戦略の工程表を着実に実施します。既に、前国会の所信表明演説でお約束した政策が決定され、実行に移されています。国内投資促進プログラムを策定し、法人実効税率の5%引下げを決断しました。中小法人の軽減税率も3%引き下げます。観光立国に向けた医療滞在ビザも、約束したとおり創設しました。地球温暖化問題に全力を尽くすため、長年議論された地球温暖化対策のための税の導入を決定しました。再生エネルギーの全量買取制度も導入します。鉄道や水、原子力などのパッケージ型海外展開、ハイテク製品に欠かせないレアアースの供給源確保は、閣僚による働きかけで前進しています。私自らベトナムの首相に働きかけた結果、原子力発電施設の海外進出が初めて実現します。米国、韓国、シンガポールとのオープンスカイ協定にも合意しました。こうした行動に産業界も呼応し、10年後の設備投資を約100兆円とする目標が示されました。新事業と雇用を創造する野心的な提案を歓迎します。その実現を後押しするため、大学の基礎研究を始め科学技術振興予算を増額します。日本をアジア経済の拠点とするため海外企業誘致も強化します。中小企業金融円滑化法の延長や資金繰り対策など、中小企業支援にも万全を期します。有言実行を一つひとつ仕上げ、今年を日本経済復活に向けた跳躍の年にしていきます。


「最小不幸社会の実現」

 -第2の国づくりの理念-
 
 次に、「平成の開国」と共に推進する、2番目の国づくりの理念について申し上げます。それは、「最小不幸社会の実現」です。失業、病気、貧困、災害、犯罪。「平成の開国」に挑むためにも、こうした不幸の原因を、できる限り小さくしなければなりません。一人ひとりの不幸を放置したままで、日本全体が自信を持って前進することはできないのです。我々の内閣で、「最小不幸社会の実現」を確実に進めます。


 〈雇用対策の推進〉

  最も重視するのが雇用です。働くことで、人は「居場所と出番」を見付けることができるのです。特に厳しい状況にある新卒者雇用については、特命チームで対策を練り、全都道府県に新卒応援ハローワークを設置しました。2000人に倍増したジョブサポーターの支援で、昨年12月までに約1万6000人の就職が決定しました。私が会ったジョブサポーターは、「誠心誠意語り合えば、自信を取り戻し、元気になる学生がたくさんいる」と話してくれました。学生の皆さん、躊躇せずに訪ねてみてください。ジョブサポーターがきっと味方になってくれるはずです。企業に対しても、トライアル雇用を増やし、卒業後3年以内を新卒扱いとするよう、働きかけを強化しています。12月現在、大学新卒予定者の内定率は68・8%にとどまっており、引き続き全力で支援していきます。

 そして、雇用対策全般も一層充実させていきます。1つ目の柱は、雇用を「つなぐ」取組です。新卒者支援は、今申し上げた取組に加え、中小企業とのマッチングも強化します。また、雇用保険を受給できない方への第2のセーフティーネットとして、職業訓練中に生活支援のための給付を行う求職者支援制度を創設します。2つ目は、雇用を「創る」取組です。新成長戦略の推進で潜在的需要の大きい医療・介護、子育てや環境分野の雇用創出を図るとともに、企業の雇用増を優遇する雇用促進税制を導入します。そして3つ目は、雇用を「守る」取組です。雇用の海外流出を防ぐため、既に雇用効果が出ている低炭素産業の立地支援を拡充します。雇用保険の基本手当の引き上げも行います。これら3つの柱による雇用確保に加え、最低賃金引き上げの影響を受ける中小企業を支援します。労働者派遣法の改正など雇用や収入に不安を抱える非正規労働者の正社員化を進めます。


 〈社会保障の充実〉

 「最小不幸社会の実現」のために何と言っても必要なこと。それは、国民生活の安心の基盤である社会保障をしっかりさせることです。来年度は社会保障予算を5%増加させます。基礎年金の国庫負担割合は、2分の1を維持します。また、年金記録問題の解消に全力を尽くします。医療分野では、医師の偏在解消や、大腸がんの無料検診の開始、乳がん・子宮頸がんの無料検診の継続を盛り込みました。B型肝炎訴訟における裁判所の所見には前向きに対応し、国民の皆様のご理解を得ながら早期の和解を目指します。介護分野では、24時間対応のサービスなど、一人暮らしのお年寄りに対する在宅介護を充実させます。子ども・子育て支援は、現金給付と現物支給の両面で強化します。3歳未満の子ども手当は月2万円に増額し、保育や地方独自の子育て支援のため500億円の交付金を新設します。障がい者支援サービスは法改正を踏まえて拡大し、今国会には障害者基本法の改正を提案します。また、総合的な障がい者福祉制度の導入を検討します。


 〈社会保障制度改革の進め方〉

 厳しい財政状況ですが、来年度については、このように国民生活を守るための予算を確保できました。公共事業の絞り込みや特別会計の仕分けなど最大限の努力を重ねた結果です。昨年決めた財政健全化の約束も守りました。しかし、こうした努力だけで膨らむ社会保障の財源を確保することには限界が生じています。制度が想定した社会経済状況が大きく変化した今、我が国は社会保障制度を根本的に改革する必要に直面しています。この認識に立ち、内閣と与党は、社会保障制度改革の5つの基本原則をまとめました。第1は、高齢者をしっかり守りながら若者世代への支援も強化する「全世代対応型」の保障です。第2は、子ども・子育て支援による「未来への投資」、第3は地方自治体による「支援型サービス給付」の重視です。第4として、制度や行政の縦割りを越え、サービスを受ける方の視点に立った包括的な支援を挙げました。そして第5が、次世代に負担を先送りしない安定的財源の確保です。公正で便利なサービスを提供するため、社会保障と税の共通番号制度の創設も必要です。これら5つの基本原則を具体化し、国民生活の安心を高める。そのためには、国民の皆様に、ある程度の負担をお願いすることは避けられないと考えます。内閣は、今年6月までに社会保障改革の全体像とともに、必要な財源を確保するための消費税を含む税制抜本改革の基本方針を示します。国民の皆様に十分に考えていただくため、検討段階から様々な形で議論の内容を発信していきます。


 〈国民参加の議論に向けた提案〉

 負担の問題は、触れたくない話題かもしれません。負担の議論に当たって、行政の無駄を徹底排除することは当然の前提であります。それに加え、議員定数削減など国会議員も自ら身を切る覚悟を国民に示すことが必要だと考えます。国会で議論し、決定すべき問題であることは言うまでもありません。本日は、一政治家、そして一政党の代表として、この問題を与野党で協議することを提案いたします。そうした努力を徹底した上で、今の現実を直視し、どう乗り越えるか、国民の皆様にも一緒に考えていただきたいのです。1年半前、自公政権下で設置された「安心社会実現会議」は、持続可能な安心社会の構築のため、社会保障給付と負担の在り方について、「与野党が党派を超えて討議と合意形成を進めるべき」と提言しました。さらに昨年12月、自由民主党は、「税制改正についての基本的考え方」において、税制の「抜本改革の検討に当たっては、超党派による円卓会議等を設置し、国民的な合意形成を図る」としています。同じ時期に公明党が発表した「新しい福祉社会ビジョン」の中間取りまとめは、「健全な共助、健全な雇用こそ、福祉の原点」とした上で、充実した「中福祉・中負担」の実現を主張し、制度設計を協議する与野党の「社会保障協議会」の設置を提案しました。問題意識と論点の多くは既に共有されていると思います。国民の皆様が最も関心を有する課題です。各党が提案するとおり、与野党間で議論を始めようではありませんか。経験したことのない少子化・高齢化による生産年齢人口の減少は、かなり前から予測されていました。この大きな課題に対策を講じる責任は、与野党の国会議員全員が負っている。その認識を持って、熟議の国会を実現しましょう。よろしくお願いします。


 〈生き生きと暮らせる社会の形成〉

 こうして、社会保障の枠組みをしっかり築くとともに、国民の皆様が生き生きと暮らせる社会の形成に向け、具体策を充実させていきます。子どもたちに夢を実現する力を与えるため、幼保一体化を始め子ども・子育て支援と教育を充実させます。小学校1年生は、1学級35人以下にします。高校授業料の実質無償化を着実に実施し、奨学金も拡充します。

 女性の積極的な社会参加も応援します。育児などで就労を躊躇する女性が200万人います。そこで、内閣の特命チームは、2万6000人に上る待機児童を解消するプロジェクトを用意しました。これに沿って、来年度は、認可外保育施設の補助など、柔軟で多様な保育サービスの整備に200億円を投じます。家庭を持つ女性や子育てを経験した女性が、働く意欲を持って職場に参加する。あるいは、仕事人間だった男性が、家庭に参加する。どちらも得られることがたくさんあります。男女が共同で参画できる社会に向け、職場や家庭の環境を整えていきましょう。  

 暮らしの安全強化も重要です。サイバー犯罪や国際犯罪の取締強化、消費者行政の体制強化、さらに防災対策の強化を進めます。また、児童虐待防止に向けた民法改正も提案します。


 〈「新しい公共」の推進〉

 こうした「最小不幸社会の実現」の担い手として「新しい公共」の推進が欠かせません。苦しいときに支え合うから、喜びも分かち合える。日本社会は、この精神を今日まで培ってきました。そう実感できる活動が最近も広がっています。我々、永田町や霞が関の住人こそ、公共の範囲を狭く解釈してきた姿勢を改め、こうした活動を積極的に応援すべきではないでしょうか。そこで来年度、認定NPO法人など「新しい公共」の担い手に寄付した場合、これを税額控除の対象とする画期的な制度を導入します。併せて、対象となる認定NPO法人の要件を大幅に緩和します。


 「不条理をただす政治」

 -第3の国づくりの理念-
 
 「平成の開国」、「最小不幸社会の実現」と並ぶ、私の3つ目の国づくりの理念は「不条理をただす政治」です。これは、政治の姿勢に関する理念です。私がかつて薬害エイズ問題に全力で立ち向かった原動力は、理不尽な行政で大変な苦しみが生じている不条理への怒りでした。当時、この問題に共に取り組んだ1人が山本孝史議員でした。山本さんは、カネのかからない選挙を展開して国政に飛び込み、「命を守るのが政治家の仕事」と社会保障問題に一貫して取り組みました。5年前に胸腺がんに襲われた後も、抗がん剤の副作用に耐え、やせ細った身を削りながら、がん対策基本法、そして自殺対策基本法の成立に尽くしました。党派を超えて信頼を集めた彼の行動力、そして世の中の不条理と徹底的に闘う情熱。私はそれを引き継いでいかなければならない。先月、山本さんの3回目の命日を迎え、決意を新たにしました。


 〈特命チームによる不条理の解消〉

 この国には見落とされた不条理がまだまだ残っています。1人でも困っている人がいたら、決して見捨てることなく手を差し伸べる。その使命感を抱き、いくつかの特命チームを設置しました。

 HTLV-1ウイルス対策の特命チームは、この問題が長年解決されていないことを菅付加代子さんを始めとする患者の皆様から伺い、直ちに設置しました。その3カ月後、妊婦健診時の検査・相談や治療研究を進める総合対策をまとめることができました。このウイルスが原因の病気と闘う前宮城県知事の浅野史郎さんは、「特命チームに感謝し、闘病に勝利を収めたい」とメッセージを送ってくれました。
 また、硫黄島遺骨帰還の特命チームは、4年前に硫黄島を訪問して以来、温めてきた構想でした。国内であるにもかかわらず、硫黄島には今も1万3000柱ものご遺骨が収容されずに眠っています。そのご帰還は国の責務として進めなければなりません。特命チームが米国で大量の資料を調べ、ご遺族や関係者のご協力をいただいた結果、新たな集団埋葬地を見付けることができました。


 〈「社会的孤立」の問題への取組〉

 そして先週、「社会的孤立」の問題に取り組む特命チームを、現場の実務家も参加して設置しました。「無縁社会」や「孤族」と言われるように、社会から孤立する人が増えています。これが、病気や貧困、年間3万人を超える自殺の背景にもなっています。私は、内閣発足に当たり、誰1人として排除されない社会の実現を誓いました。既に、パーソナル・サポーターの普及や、自殺・うつ対策を強化しています。新しい特命チームでは、改めて孤立の実態と要因を全世代にわたって調査します。そして、孤立した人を温かく包み込む「社会的包摂戦略」を進めます。


 〈政治改革の推進〉

 国民の皆様は、政治改革に対して不断の努力を求めています。政治家、そして政党は、この要求に応える責任があります。政治資金の一層の透明化、企業・団体献金の禁止、そして個人寄付促進のための税制改正は、多くの政党が公約に掲げています。与野党がそれぞれの提案を持ち寄って、今度こそ国民が納得する具体的な答えを出そうではありませんか。


 「地域主権改革の行政刷新の強化・徹底推進」

 〈地域主権改革の推進〉
 
 以上の国づくりの3つの理念を推進する土台、それが内閣の大方針である地域主権改革の推進です。改革は、今年大きく前進します。地域が自由に活用できる一括交付金が創設されます。当初、各省から提出された財源は、わずか28億円でした。これでは地域の夢は実現できません。各閣僚に強く指示し、来年度は5120億円、平成24年度は1兆円規模で実施することとなりました。政権交代の大きな成果です。そして、我々の地域主権改革の最終目標はさらに先にあります。今国会では、基礎自治体への権限移譲や総合特区制度の創設を提案します。国の出先機関は、地方による広域実施体制を整備し、移管していきます。既に、九州や関西で広域連合の取組が始まっています。こうした地域発の提案で、地域主権に対する慎重論を吹き飛ばしていきましょう。


 〈行政刷新の強化・徹底〉

 地域主権改革を進め、そしてまた、「平成の開国」や「最小不幸社会の実現」の具体策を実施するため、政治主導を強化した上で、行政刷新は一段と強化・徹底します。一昨年の政権交代以降、行政刷新、とりわけ無駄の削減には、従来にない規模と熱意で取り組んできました。しかし「もういいだろう」という甘えは許されません。1円の無駄も見逃さない姿勢で、事業仕分けを深化させます。さらに、公務員制度改革や国家公務員の人件費2割削減、天下りや無駄の温床となってきた独立行政法人や公益法人の改革にも取り組みます。また、規制仕分けにより、新たな成長の起爆剤となる規制改革を実現します。マニフェストの事業については、既に実現したものもありますが、公表から2年を1つの区切りとして、国民の皆様の声を伺いながら検証していきます。透明で公正な行政に向け、情報公開法改正により「国民の知る権利」の強化を図るとともに、検察改革を進めていきます。


 「平和創造に能動的に取り組む外交・安全保障政策」

 一方、世界に視点を移せば、国際社会が大きく変化している中、我が国周辺には依然として不確実性・不安定性が存在します。こうした情勢にあって平和と安定を確かなものとするためには、現実主義を基調にして世界の平和創造に能動的に取り組む外交・安全保障政策の推進が不可欠です。
 
 
 〈日米同盟の深化〉

 日米同盟は、我が国の外交・安全保障の基軸であり、アジア太平洋地域のみならず、世界にとっても安定と繁栄のための共有財産です。既に、オバマ大統領とは、安全保障、経済、そして文化・人材交流の3本柱を中心に、日米同盟を深化させることで一致しています。これを踏まえ、今年前半に予定される私の訪米時に、21世紀の日米同盟のビジョンを示したいと思います。また、米国とは、アフガニスタン・パキスタン復興支援など世界の平和を牽引する協力も強化します。


 〈沖縄の振興強化と基地負担軽減〉

 沖縄には今、若者の活力があふれており、観光の振興や情報通信産業の集積などを通じ、日本で最も成長する可能性を秘めています。その実現を沖縄振興予算で支援するとともに、沖縄に集中する基地負担の軽減に全力を尽くさなければなりません。本土復帰から約40年が過ぎましたが、沖縄だけ負担軽減が遅れていることは慙愧(ざんき)に堪えません。昨年末の訪問で沖縄の現状を自ら確かめ、この思いを新たにしました。米国海兵隊のグアム移転計画を着実に実施し、米軍施設区域の返還、訓練の県外移転をさらに進めます。普天間飛行場の移設問題については、昨年5月の日米合意を踏まえ、沖縄の皆様に誠心誠意説明し、理解を求めながら、危険性の一刻も早い除去に向け最優先で取り組みます。


 〈アジア太平洋諸国との関係強化〉

 アジア太平洋諸国との関係強化にも努めます。中国の近代化の出発点となった辛亥革命から、今年で100年になります。革命を主導した孫文には、彼を支える多くの日本の友人がいました。来年の日中国交正常化40周年を控え、改めて両国の長い交流の歴史を振り返り、幅広い分野での協力によって戦略的互恵関係を充実させることが重要です。同時に、中国には、国際社会の責任ある一員として建設的な役割を果たすよう求めます。韓国とは、昨年の内閣総理大臣談話を踏まえ、韓国の意向を十分尊重しつつ、安全保障面を含めた協力関係を一層強化し、これからの100年を見据えた未来志向の関係を構築していきます。ロシアとは、資源開発や近代化など経済面での協力、そして、アジア太平洋地域及び国際社会における協力を拡大します。一方、北方領土問題を解決して平和条約を締結するとの日露関係の基本方針を堅持し、粘り強く交渉していきます。ASEAN、豪州、インドなどとも関係を深め、開かれたネットワークを発展させていきます。


 〈欧州・中南米諸国との関係強化〉

 基本的価値を共有するパートナーである欧州諸国とは、引き続き緊密に連携します。また、国際社会で存在感を高めるブラジル、メキシコなど新興国を始めとする中南米諸国とは、資源開発を含む経済分野を中心に関係を深めていきます。


 〈北朝鮮〉

 北朝鮮に対しては、韓国哨戒艦沈没事件、延坪島砲撃事件やウラン濃縮活動といった挑発的行為を繰り返さないよう強く求める一方、日米韓の連携を強化していきます。我が国は、日朝平壌宣言に基づき、拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的解決を図るとともに、不幸な過去を清算し、国交正常化を追求します。拉致問題については、国の責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現するため、全力を尽くします。


 〈平和創造に向けた貢献〉

 国際社会が抱える様々な問題の解決にも、世界の不幸を最小化する観点から貢献します。私が協力をお願いした延べ26名の非核特使の皆さんが、被爆体験を語るため世界各国を訪れています。唯一の被爆国として、核軍縮・核不拡散の重要性を引き続き訴えていきます。環境問題、保健・教育分野での協力やアフリカなどの開発途上国に対する支援、包括的な中東和平、テロ対策やPKOを含む平和維持・平和構築にも、各国と連携して取り組みます。国連改革・安保理改革も主導していきます。


 〈防衛力や海上保安の強化〉

 現在の日本を取り巻く安全保障環境を踏まえ、昨年末、安全保障と防衛力の在り方に関する新たな指針として「防衛計画の大綱」を決定しました。新大綱では、日本の防衛と並び、世界の平和と安定や、人間の安全保障の確保に貢献することも、安全保障の目標に掲げています。この新大綱に沿って、即応性や機動性などを備え、高度な技術力と情報能力に支えられた動的防衛力の構築に取り組み、いかなる危機にも迅速に対応する体制を整備します。その際、南西地域、島しょ部における対応能力を強化します。また、海上保安強化のため、大型巡視船の更新を早めるなど体制の充実を図ります。海上警察権の強化も検討します。


 「結び」

 本日、国会が開会しました。この国会では、来年度予算と関連法案を成立させ、早期のデフレ脱却により、国民の皆様に安心と活気を届けなければなりません。また、前国会では、郵政改革法案や地球温暖化対策基本法案、日韓図書協定など、残念ながら、多くの法案・条約が廃案や継続審議となりました。これらの法案などについても十分な審議をお願いすることとなります。


 国民の皆様は、国会に何を期待しているのでしょうか。今の危機を脱し、将来の日本をどう築いていくのか、建設的に議論することを求めていると思います。先送りせず、結論を出すことを求めていると思います。国会質疑や党首討論を通じ、その期待に応えようではありませんか。今度こそ、熟議の国会となるよう、国会議員の皆さんに呼びかけ、私の施政方針演説といたします。


   
   

   
   
  

2011年1月23日

低所得者の国保負担増! 国民の生活が第一の民主党、またしてもマニフェスト詐欺発覚か。

  
  
  


 『計算方式全国一本化 負担1.8倍も』


 政府が国民健康保険(国保)の保険料(税)の計算方式を、低所得者に負担が重くなる方式に全国的に一本化するため、地方税法や国保法施行令を改定する方針を固めたことが19日までにわかりました。2013年度からの実施をめざして、地方税法改定案は24日に始まる通常国会に提出し、国保法施行令は今年度中に改定する意向です。(3面に関連記事、解説)


 市町村ごとに運営される国保の保険料の所得割額の計算には、主に「住民税方式」と「旧ただし書き方式」があります。政府は今回、「旧ただし書き方式」に統一することを打ち出しました。

 「住民税方式」と違い「旧ただし書き方式」では扶養控除などの各種控除が適用されないため、控除を受けている低・中所得世帯や障害者、家族人数の多い世帯の負担が重くなります。住民税非課税であっても所得割を課される世帯が出ます。

 東京23区は今年4月に同様の計算方式の変更を予定しています。豊島区では年収250万円の4人家族の場合、現行の「住民税方式」では年12万7680円の保険料が、「旧ただし書き方式」に変更すると22万7996円に、1・8倍に上がります。「経過措置」として一時的に軽減をしても15万2759円(1・2倍)に上がります。扶養家族がさらに多い世帯や障害者を扶養する世帯は負担が数倍にはね上がります。

 さらに政府は、自治体が低所得者向けに独自の保険料軽減措置を実施する場合、その財源を一般会計(税金)でなく国保財政でまかなえるよう、国保法施行令を改定する方針を示しています。国保財政を悪化させ、保険料水準全体をさらに高騰させる道です。

 2011年1月20日(木)「しんぶん赤旗」










 5大新聞で読む前に「赤旗」がすっぱ抜いている。
 さすが労働者の権利を害されることには敏感だなぁ、と可笑しく感じたり。
 もっと売国法案を実施されそうになった時にも素早く食いついてくれていいように思うが、日本のことよりまず・・というふうにも思われ、売国法案よりまず企業の利益、に食らいつく日本経済新聞とそう変わりはしない。
 なんて、赤旗、いつも読んでいるわけでもなし、よく知らないのにごめんなさい。

 税金が上がるのはもうずいぶん前から覚悟を決めて、腹をくくっているので、驚くこともないが、それにしても、「国民の生活が第一」の小沢が排除されるとこういう事態になるのだろうか。
 そのスローガンは、菅政権には引き継がれなかったのか。
 「党の存続が第一」とか、「米国の生活が第一」とか、どこかで恐ろしく変貌してしまったようだ、民主党。
 いやいや、「日本の未来、日本の存続が第一」だから、という立派な弁解が聞こえてきそうではあるが。
 もはや国民は誰も、信じない。




 

ともに道を行くということ。 ~人間の尊厳をかけた闘い・ユダヤの日本侵略450年の秘密を読んで~

  
 


 胡散臭い陰謀説の書物が昔から大好きだった。
 ジョン・レノンは暗殺された。
 マリリン・モンローは暗殺された。
 ジョン・F・ケネディは暗殺された。
 アメリカ同時多発テロ事件は仕組まれたものだった。

 特に暗殺ものは人生のほとんどどん底に位置していている時、よく読んだ。
 この世の中は、明らかに、大きな矛盾がある。
 実力や、誠意や、努力や、無垢な心、無償の愛。
 そういった、もしも本当にそれを持っていれば、それをして事に当たれば、必ずや報いられるはずのものが一切通用しない。
 いや、一切はひがみすぎ、もしくはそれら条件が足りない愚か者の自覚のない意見だとしても、それにしても、世間一般に言われている美徳が通用しないのは確かだ。
 この世は明らかに、私が重き価値を置く信仰や愛とは別のルールが存在する。
 私にとって、それはもう生きている甲斐すらないほど絶望的なことに思えたのだ。
 果て無く実力を凌駕する、愛を凌駕する、信仰を凌駕する、この世界。
 この化け物の正体はなんだ?
 私にはそれが見えなかった。
 すべてを自分のせいだと、自らを裁き続けた。
 そんな私にとって、陰謀説の書物は、いつだって、私の感じている矛盾を赦してくれた。
 この世で不幸を纏って生きていることは、当たり前なのだと。自らの意志とも、美徳とも無関係に、何者かの手によって死に至るスーパースターたちのドラマ。それらが私を諭してくれた。
 この世界で生き残るためには、信仰ではない。愛ではない。自然界のルールではない。
 操作されたルールが存在する。
 この世は何者かに操作されている。だから私ごときの意が叶わず、惨めに生きていることぐらいなんでもないことなのだ。
 私はいつだってそう慰められた。そして、そうしながら自分に鞭を打ち続けた。
 ずいぶん長い間、私は矛盾するこの世界の化け物に対抗しうる徳性を身に着けようと、書物を読み漁り、精神修行にはげんだものだ。
 それでも負けた。いつも、いつも、私は、必ず、負けた。
 40代にして思うのは、もう勝とうとは思わない、しかし、絶対に負けてはなるものかという意地である。たとえどれだけ叩かれようと、明日のジョーのように、燃え尽きるその日まで、敵を恐怖に陥れるほどに、立ち上がりつづけてやるのだと。
 それが叩きのめ続けられた末に、唯一残った私のプライド。人としての尊厳をかけた、命がけの意地(闘い)である。


☆  ☆  ☆  ☆


 昨日の日記にも書いたが、またしても究極の陰謀説の本を手にした。
 「世界はほんの数人による会議によって、いつでも未来を決められている」
 そんな世界の支配者の話を聞いたのは、いつだったか。
 2ちゃんねるだったか、それともやはり陰謀説の本か、どちらにせよ、まともではない。(この世界で正統とされる、権威ある者の手による、出どころではないという意味)胡散臭い噂話の一つだった。
 私はそれを聞いたときに、そんなこともあるかもしれない、と冷めたふうに考えただけである。
 なにせ、私がどれだけ努力を、精神修行を重ねても、この世界には一番尊いはずの価値観を凌駕する何者かが存在している。その化け物の中にそんな支配者がいてもおかしくはない。あっても、別に何も不思議ではない。むしろ、それが根源なのだろう。でもだからと言って、私の闘いとはもうそれは無意味なところに位置している。手が届かない。どうしようもないことは考えても仕方がない。そんな諦めにも似た、「ふぅん、そうなんだー」という感想。
 その少数の選抜されたメンバーがユダヤ民族であるという話もその後で聞いた。
 で、私はまたしても、「ふぅん、そうなんだー」。だから?
 私だけではないと思う。たぶんそんな話を聞かされても、この世界で闘って生きている人なら誰でも、「ふぅん、そうなんだー」。冷たすぎると言われても、それしか思いようがないに違いない。
 昨日読んだ陰謀説の本もそんな本だ。
 作者は大田龍氏。優秀なるユダヤ民族が野獣(黄色い猿)の日本民族を手中に収めるのに、450年もかかったという奮闘史。それでも未だ死に絶えないゾンビのごとき猿にぞっとしているというお話。
 ユダヤ民族と日本民族の闘いの記録である。



 


 そうなんだ。とまたしても冷めた私が唯一高揚したことがある。
 それは、敵の手法を初めて知ることができたということ。それから、それに対抗する日本側のすべてを注ぎ込んだ作戦、その決死の覚悟を初めて知ることができたということだ。
 私は常々不思議に思っていた。
 例えば徳川幕府の切支丹の禁止、そして大正14年の治安維持法。
 なぜ、あれほどまでに切支丹や共産主義者を弾圧したのか。
 秩序を維持すると言えば聞こえはいいが、まるで戦争や現代のいじめと同じではないか。そこには大義名分に勝る人間の残虐性が垣間見えてしまう。
 護る、ためだけだと言いながら、なんと非道なことをするものか。また、護るという行為にはその可能性が残されていることか。完ぺきではない人間は、いつだって、護衛という戦いに便乗して、人としての一番醜い資質をさらけ出してしまう。
 日本の歴史には私には理解できかねる側面がいつもであった。
 ところがだ。私が感じていた、そういう日本の歴史の様々な非道な一面に私は初めて、すっぽりと納得をしたのだった。
 そうせざるを得なかった、それが一番の策であったことも。人の非道さを容認するつもりはない。が、人間の本性を晒す可能性がたとえあったとしても、何があっても、非情に徹して護らなければならなかったという歴史の側面を思い知らされた。
 敵は化け物だ。人間の理屈ではかなわない妖魔だったのである。

 
 ☆  ☆  ☆  ☆



 ユダヤが日本を侵略の標的としたのは、十四世紀、マルコポーロの「東方見聞録」で、黄金の国・ジパングを知った時からだそうだ。
 それから、実に4度にわたる対日侵略戦争が繰り返されているという。敵と日本側の主役はそのたびに変わっている。

 1. 第一次戦争 (天文18年~寛永16年)  
   徳川家康(および秀忠・徳川幕府) VS. イエズス会

 2. 第二次戦争 (嘉永6年~明治10年)
   孝明天皇 VS. イギリス系フリーメーソン駐日代表トーマス・グラバー 

 3. 第三次戦争 (明治38年~昭和28年)
   昭和天皇 VS. ルーズベルト、トルーマン米大統領(いずれもフリーメーソンの最高級幹部)

 4. 第四次戦争 (昭和47年~現在)
   田中角栄(角栄は一時期のみ、彼亡き後は主役なし) VS. ユダヤ側も主役なし、敵が消えたのですべて遣りたい放題だそうだ。


 一番激しい戦いをしたのは徳川家康らしく、彼の決死の覚悟の総力戦が詳しく書かれている。
 鎖国をしたのも思わず納得、なぜ鎖国なのか、なぜ出島なのか、私は本当の恐ろしさをわかっていなかったようだ。
 イエズス会が敵(ユダヤ)だというのも驚きであった。
 これも常々思っていたことだが、私は信仰は大好きだが、宗教団体は大嫌いである。特定の教会、信徒ははたとえ由緒あるカトリックだろうがなんだろうが嫌だ。
 彼らの教えと、やっていることがあまりにも矛盾しているからだ。そこには若い日のどん底時代の私が絶望に悶々としたような、キリストの教えを凌駕する不気味なルールが存在している。
 その本能的な嫌悪感に回答をいただいたような思いがした。
 イエズス会はキリストを語り、信者を欺きながら、実はユダヤ悪魔教であるという驚きの事実が明かされる。
 「汝、悪魔よ。出ていけ!」
 と言ったキリストにこれ以上の復讐があるだろうか。キリスト教を批判するのではなくて、キリスト教に寄生して、実は違う教えを広めていく。
 唯一、悪魔教と闘い得る正統な教えがキリストのものだとしたならば、それが内部から犯されているとしたならば、もうこの闘いには一筋の希望も見えない。しかし、だからこそありうる話だと思わされた。
 徳川幕府への疑問、矛盾したキリスト教への疑問、信仰を凌駕する世界への疑問、私の長年の疑問に、二重にも三重にも解決を見せてくれた内容であった。
 

 第二次戦争も興味深い記述がたくさんあった。
 開国を迫られて不平等条約を結ばされ、ついに西洋列強(ユダヤの手に侵されている)の僕に成り果てようかとした時、まさにその時立ち上がったのは、孝明天皇だ。
 幕閣は闘っても勝てないと見込んで、保身のために日本を売り渡そうとする。将軍家諸大名の権益をユダヤ欧米に支えてもらおうとしたのだった。(この辺りは現代とよく似ている)

 「攘夷!」

 そこに、孝明天皇が「攘夷」の詔(みことのり)を発した。
 詔勅を、書簡を、全日本民族に向けて、堂々と掲げたのだった。
 なんという潔い格好良さ。どうも歴史のドラマで見る限り、孝明天皇は悪役にさえ感じられたものだが、書物を読みながら、このみことのりの一幕で私は少女のように高揚した。まるでヒーロー登場ではないか。
 実際、この「攘夷」の合言葉が日本民族を奮い立たせて、それから続くロシア戦争の勝利によって、日本はついに不平等条約を完全に破棄し、独立国へと向かっていくのであった。

 第三次戦争も、昭和天皇の人間の尊厳をかけた意地や、児玉源太郎や小村寿太郎のユダヤとの闘いが記されている。
 第四次戦争は、ついにユダヤが日本の要塞を切り崩して、日本株式会社を破壊していくくだりが。

 一朝一夕には信じれない記述も多かった。今まで何も聞かされていないことばかりなので、そう言うことでした、と言われても、もっと根拠を見せてほしいと思わざる得ない面もある。
 ただし、それは自分で調べていこうと思う。これだけ、私の長年の疑問に対して、納得のいく回答を与えてくれたのだ。
 そのことに深く感謝して、まだまだ続く私の闘いの、その貴重なる戦略として活用させていただきたいと思う。

 もしも、現代に閉塞感を、世界への絶望を、感じている方がいたならば、ぜひこの本をお勧めする。必ずしや、なにかしらの解決を見せてくれることだろう。

 最後に著者は言う。
 日本民族は、この書物で敵とされる相手とは本質的に異なっている。
 古神道の万類共存や法華経の草木成仏、一切衆生悉有仏性という自然真営の道を歩んできた。
 
 「西洋は文明国ちゃ」
 「いや、西洋は野蛮国ぢゃ。本当の文明国ならば、未開の国の人民に対し、懇切ていねいに教え導く義務がある。しかるに西洋が未開の国とその人民に対して行っている悪逆無道の限りを尽くした所業はなにごとか。野蛮国以外の何ものでもない」
 と、南洲遺訓で西郷隆盛も言うように。

 
 この闘いは文明と文明との戦いである。日本は死に体でありながら、未だ倒れていない、この世界で数少ない民族であった。その誇りと、だからこその義務を私に思い出させてくれたのだった。

 自分さえよければいいというのが相手ならば、生きとし生けるものすべて、ともに苦しみ、ともに喜び、ともに仏の道を行こうとするのが私たちだ。
 私たちは真の文明国だ。
 野蛮人に懇切ていねいに道を示して、ともに行こうではないか。


 
 
 
 

『ヒューマンキャトル、スカイツリーの夢を見る』

 


 普天間視察の枝野長官 辺野古移設案に理解求める
 
 枝野官房長官:「周辺住民の皆さんに対する危険の除去、騒音の対応というものを相当しっかりやっていかなくてはいけないと、改めて強く感じました」


 枝野長官は、2004年に海兵隊のヘリコプターが墜落した沖縄国際大学や、小学校など普天間基地周辺の状況を確認しました。このうえで、枝野長官は辺野古移設案について、今後も粘り強く地元の理解を求めていく考えを示しました。

 (テレ朝ニュース 1月22日)



 「最低でも県外」

 だのと言っていたのは誰だったか。
 どうも民主党政権はすべてのマニフェストに対して健忘症気味だ。
 すっかり忘れて、粘り強く理解を求めるとは、結局。

 「悪いけど、犠牲になってね」

 と言っているようなものではないか。沖縄県民の裏切られた思い、夢を見せられて地獄に叩き落されたような悔しさは想像して余りある。
 TPPでも多分農産業全体に、生産者に、同じ思いを味合わせるに違いない。
 出来ない目標を掲げて、不可能な夢を見させて、最終的に裏切るのが民主党のやり方。
  
 「危険の除去、騒音の対応というものを相当しっかりやっていかなくてはいけないと、改めて強く感じました」

 相当しっかりやっていかなくてはいけない。どうしっかりやっていかなくてはいけないのか、そこを示していただきたい。
 強く感じるだけなら、誰でも、政治家じゃなくて、市民の私でもできる。
 国民代表で、高いお給料もらっているのだから、しっかり頭を使っていただきたい。







 休日の今日は、久しぶりに「人」が撮りたくなった。
 正確に言うと、人がいる場所で、写真を撮りたくなった。
 私は人ごみを求めて、浅草へと向かう。(浅草は私の大好きな町の一つである)

 押上駅から業平橋、向島を通って、言問橋を渡り、言問通りから浅草へ。
 の、はずが、業平橋へ向かう途中で、スカイツリーを撮っていると、隣でコンデジ写真を撮っていたご婦人(地元の方らしい、買い物途中の様子)に話しかけられた。
 「全部入らないのよね~うふふ」
 やたらと愛想がいい。
 「その向こうにあるオリンピックの屋上からだと綺麗に入りますよ。うふふ」
 「へぇ、オリンピックですか(にこにこ)」
 「私は1階のカメラ屋さんでいつも撮った後すぐに現像するの。うふふ。陽が沈むころがいいの。淡く染まって、邪魔するものも何にもなくてね。うふふ」
 どうやって行けば近いかしら、とご婦人は道順を教えてくれた。
 


オリンピック屋上より

 私はご婦人と笑顔で別れると、すぐにオリンピックを目指して方向を変える。
 もともとスカイツリー目当てでもないし、業平橋から浅草に行くことが目標でもない。
 人を求めていたのだ。偶然にも、地元の見知らぬ婦人が道を示してくれた。好意で良く撮れる写真スポットを教えてくれた。これに乗らない手はない、と思われたのだ。
 
 「道沿いに行かないで、団地の中を通って行って、幼稚園を右に曲がるの」

 ご婦人はどうすれば近道を教えられるかしら、とずいぶん悩んだ風で、考えながらそう発言した。
 団地を突っ切っていけ、と確か3回程言ったのだ。
 私は団地が嫌いである。子供のころ住んでいた記憶を、まるで部落差別を受けた忌まわしい過去のように思い出すと、以前記事にも書いた。それで、ご婦人の団地団地・・を少しばかり不快な気持ちで聞いていたのだが、おまけにしばらく行けば西十間橋の人だかりがすぐに見えて、その向こうにオリンピックの看板が頭一つ飛び出して見えていた。
 川沿いに行けば、直ぐにつくだろう。わざわざ団地の中を突っ切る必要はなかったのだが、ご婦人の好意を思い出し、団地を突っ切ると、もしや少しでも近いのかもしれない、と思い直して、私は団地の道を行く。
 結局、団地側からオリンピック店内に入ると、結局は屋上に行くためのエレベーター(これも花屋の隣のエレベーターに乗れとの指示あり)は遠くて、先ほど西十間端から見た川沿いの入り口から入ったほうが近い、という好意台無しのオチであったが、私はなぜかご婦人の言う通りにしたことで満足していた。
 たまたまご婦人と会って、スカイツリーの写真スポットを教えてもらったのも、この道を行くのも、お互いの好意だけではなくて、何かしらの必然の作用が働いており、そのことに対する義務を無事に果たしたような思いがしたのかもしれない。
 やれやれ。無事に下見は終えた。後は夕方、もう一度ここに来るだけだ。

 私は今度こそ、浅草へ向かう。
 この後、浅草に向かっているつもりが葛飾へ向かっており、しかも延々とずいぶんと歩いており、今更浅草へ戻れそうもないので、曳舟駅まで歩いて、都営浅草線で浅草まで行くというぐだぐだの迷い道となるのだが、なぜか今日に限ってその迷い道も楽しかった。
 私は迷わぬために、地図を見たり、バッグの中の魔法のコンパスを取り出すでもなく。
 迷ったら迷ったで、いいや。と構えて、散歩を楽しんでいる。
 途中で、神社を発見してお参りをする。境内には梅が咲いていた。末社が二つに立派な神輿蔵がある。香取神社という神社で、之も思わぬみつけものという思いだった。


皇國に惹かれて、お参りに。

紅梅の向こうにはスカイツリーが。

白梅もある。木々には梅の木の名札があった。


 あまりのんびり散歩しすぎたので、夕陽のスカイツリーが怪しくなってきた。
 急いで、仲見世通りを見て、浅草寺を参拝。浅草の個性あふれる裏通りを通り過ぎて、千葉屋さんの大学いもを食べる。
 千葉屋さんの大学いもは、マイミクさんから進められて初めて試したのだが、これが美味しい。
 出来立てのアツアツをほくほくと戴いた。


千葉屋さん。行列ができている。

昼食代わりの大学いも。美味しかったです。


 ずいぶん遅い昼食となった。浅草裏通りの駐車場の隅に腰かけて、大学いもを食べる私。
 先ほどと同じだ。曳舟駅まで歩きながら、下町の住宅街の道を本を読みながら歩いていた私。
 年のせいなのか、どう思われるか、恥ずかしい、という感覚が減ってきているようだ。

 
 『かくしてドイツ軍部は敵としてのユダヤを識別した。
 ところで、ユダヤはゴイム(異民族=ブタ=家畜人)に対して総力戦を遂行している。
 ゆえにドイツ民族もまた国際ユダヤに対して、国家総力戦で対応せざるを得ない、と結論付けた』
 (「ユダヤの日本侵略450年の秘密」より)



 『ヒューマンキャトル(家畜人)』
 という言葉が何度も出てくる。
 そうだ、まるで私のようだ。今日一日で読み終えたこの本の佳境と、今日の私の小旅行の佳境が重なっていた。私は家畜のように、露地で芋を頬張って、まだ諦めきれずに、浅草の裏通りを巡っている。
 今、本は「第三次対日侵略戦争」のくだりである。
 日本終焉の「第四次・・」も、日没もそう遠くはない。急いで押上げまで戻らなくてはならなかった。



浅草寺へ。

香の煙を仰ぐ人々が溢れている。

相変わらず人が多い。みな祈りに向かう。

浅草寺からもスカイツリーがよく見える。



 私はよほど、このまま夜まで浅草を撮っていようかと思ったものだ。
 なぜ、オリンピックに戻って、夕陽のツリーを撮らなければいけないのか、と疑問を感じた。
 (私は東京タワーは好きだが、スカイツリーはそう好きではない)
 ふと、戻らなくていいような思いがしていた時、露地からまた浅草寺を周り終えて、とりあえず「浅草の写真」に気が済んでしまった。
 もう撮りたいだけ撮った。あとは夕陽のスカイツリーだけだよ。と、いう状況に、なった。


 『日本民族は、
  戦争は終わった!
  二度と戦争はイヤだ!
  永遠の平和を!

    と思っているのだが、それこそ典型的な家畜の平和幻想なのである』
 
 



浅草の裏通り

花やしきが見えている

花やしき裏口付近。桜の名がついた怪しげなホテル。

新春浅草歌舞伎。




仲見世通り。



 日本は第二次世界大戦においてボロボロに負けて、主権を奪われた。
 何度もユダヤの計画を誤らせたしぶとさも、ついに途絶えたかのように見えた。
 日本人に残された道は、勤勉に働くことだけだった。
 厳重な監督下で、世界の工場製産者の役割を与えられて、この道を行くしかすべがない。民族の可能性は消え失せた。働くこと以外は。
 そして僅か数十年で主要な工業分野で欧米に追い付き、今にも追い越す勢いを見せ始めたのだった。

 『日本は民族的自信をと回復し始めた。
 そして、それを一心に体現した民族の指導者、田中角栄が登場した。
 昭和47年、角栄は政権を握り、独立後20年にして達しされた経済成長をもとに、日本の独立回復に向けて、一歩を踏み出した。

 (ユダヤは)四たび、日本民族の底力、潜在的エネルギーを見誤ったことになる』


 戦後、昭和40年代の話にふさわしい町並みだった。
 押上の商店街は、まるで荒廃し、未だかつての昭和がそのまま残されているようである。
 当時は最先端だったのだろう、商店街の色鮮やかな広告入りの電灯は埃と垢で風化している。ところどころは壊れて、朽ちて、歩道に落ちてきそうである。
 浅草の賑わった仲見世通り、そしてあの露地との差はどうだ。
 昭和の味わい、というよりは、まるで昭和の化石に見える。今日の本ふうに言うならば、昭和のゾンビか。私は可笑しくなる気持ちを抑えて、団地へと走っている。
 もうずいぶん陽が傾いていた。暖かい空の色に染まっている。急がないと、
 「うす淡く染まったオリンピックの屋上からのスカイツリー」
 を見逃してしまう。夕焼けは刻一刻、色が変わる。一瞬一秒が勝負だろう。
 
 
 なのに私は団地の中を走っていた。
 下町の、都会のマンションが立ち並ぶ今日、めずらしいそれらを飛ぶように行くと、児童公園の遊具に、自転車置き場の屋根に、芝にひっそり咲いた水仙に、関連なく目に飛び込んできて、幼い時のことを思い出さずにはいられなかった。
 公園での夏祭りや、自転車をなくしたこと、団地の前の田んぼのあぜ道、森や草花に、カエルの合唱に。
 立ち並ぶ箱型の家は、ヒューマンキャトルの檻にふさわしかった。
 家畜のように、貧しかった戦後日本の私はここで生活をしていたのだ。
 それが、もう何も望むべくもない、支配された民族としての定めだとも知らずに。

 それでも、平和だった。
 ずいぶん楽しかったものだなぁ。

 私は若き日の父や母や、まるで幸福の記憶として再現される幼い日々の出来事が、幾つも、幾つも、過ぎっていくのだった。
 今にもあの団地の窓から、母が手を振るような思いがした。
 学校へ行く私の姿が道から見えなくなるまで、母は良く窓から顔を出して、笑顔で見送ってくれたものだ。


 オリンピックの入り口からエスカレーターに飛び乗る。トイレに行きたかったが、思わず我慢をする。撮り終えたらゆっくり行けばいい、そう思って。おかげで、私は感傷に浸る余裕さえなかった。

 ご婦人の言うように、「ここ」から見るスカイツリーの場所と、夕陽の沈む場所は幾分かずれている。おかげで、ツリーの背後の空は「淡く染まって」いて、ぎらぎらとした夕焼けというわけではないようだ。
 私は団地の中に浮かび上がるスカイツリーを、我慢できなくなるまで見続けている。
 なぜこんなに高い電波塔を、たてなければならなかったのだろうかと考えながら。

 なぜ、今スカイツリーなのか。恐らくそこにも利得絡みの経済的な意図は当然あるのだろう。しかしそれ以前に、電波うんぬん以前に、そのブームはなんだろうかと。
 なぜ、みなああも浅草寺へ向かうのか。無宗教だと称して、ただのブームだと称して、日本各地のパワースポットに、森に、山へと向かうのか。


 『日本民族の底力、潜在的エネルギーを見誤ったことになる』

 
 敵を知らぬと著者は言う。そうかもしれない。誰が本当の敵なのか、私にもまだわかっていない。だから誰もが無自覚なのかもしれない。
 でも、だからこそ魂を隠すことなら、闇のものにも負けやしない。
 
 これは未来への挑戦状だ。

 そんな風に思いながら、象徴としてのスカイツリーの、その完成する時に思いを馳せる。




西十間橋より望んで

オリンピック屋上から見たスカイツリー

 


 

  
 

2011年1月21日

「外交政策はない」という外交演説。 ~「愛と誠」式日本崩壊に備えて国学を学ぶ~

   

 
 「日米同盟の再出発」掲げる 菅首相が外交演説



外交演説をする菅直人首相=20日午後、東京都千代田区のホテル



 菅直人首相は20日、東京都内のホテルで財界関係者や各国駐日大使らを前に外交・安全保障政策について演説した。昨年6月の内閣発足後、菅政権としての包括的な外交演説を行うのは初めて。日米同盟を基軸に据えるとともに、「平成の開国」を掲げて経済・資源外交を進める考えを改めて打ち出した。


 演説では「5本の柱」として(1)日米基軸の再出発(2)アジア外交の新展開(3)経済外交の推進(4)地球規模の課題への取り組み(5)安全保障環境への日本自身の的確な対応を表明。

 首相がこの時期に外交演説に踏み切ったのは、「外交政策が定まらない」という批判への危機感からだ。
 (asahi.com 1月20日)

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 菅政権になって初めて、外交・安全保障政策についての演説を行うと聞いていたので、どんなことを話すのかと楽しみにしていた。

 ※首相外交演説の要旨



 が、何度読んでも、具体的な道筋がさっぱり見えない。
 努力目標をただ掲げているだけである。



 
 首相がこの時期に外交演説に踏み切ったのは、「外交政策が定まらない」という批判への危機感からだ。(冒頭ニュースより)




 踏み切った目的を絶対忘れているに違いない。
 外交演説を聞いたらますます不安になった。
 これでは更なる批判は免れないだろう。

 一つだけわかったのは、東アジア共同体うんぬん・・という政権交代時の外交方針は綺麗さっぱり消え失せて、米国寄り一辺倒に戻ったということだ。



 今思うと、鳩山・小沢政権の時は良かった。
 彼らの売国的な怪しい闇法案を叩いていれば良かった。

 菅政権になってからは、私が思い出すのはなぜか「愛と誠」という大昔の漫画である。

 影の大番長(確かツルゲーネフを読む美女だった)を倒したと思ったら、それは終点の大番長ではなくって、更なる影の影の大大番長が出てくる、続々と出てくる。
 敵がますますでかく、強くなって、戦いに終わりがない。という、あの最終的には誠が死ぬまで続く漫画を、泣き叫ぶ愛の気持ちで、思いを馳せている。


 菅政権は無能無策だというだけで、努力目標も大義名分も立派だし、鳩山・小沢政権みたいに突っ込みどころも少ない。
 ただその裏で、以前よりももっと、もっと危ない方向へ進んでいるということが漠然とわかってしまうから恐ろしい。
 そして、背後にいるのは米国だ。
 (そして、米国の背後にいるのは?)
 鳩山さんを操っていたのは小沢さん、というレベルとは全く違う。
 菅さんを操っているのは・・
 もしくは前原さんを操っているのは・・


 手に追えない。
 あまりに想像したくないせいか、ばかばかしいと思考停止してしまった。
 とりあえず、私は黙々と勉強することにしよう。
 日本、もしくは日本民族という共同体が崩壊するときに備えて。
 国学を学びたいと思っているのである。


 Amazonから届いた本に、一冊ずつ、丁寧に、へその緒を付けていく。




 

2011年1月19日

まるで夜明け前の日本と「学ぶということ」。

 

  先日読んだ「鋼鉄の叫び」で、「共同体離脱の拠り所」がこうあった。


 「教育」


 私は、教育という言葉は好きではない。
 どうせならば、「学び」。「学ぶということ」。
 それだけが人を絶望から救う道だと信じている。

 それが共同体離脱の拠り所ならば、なるほど、それは絶対の答えだろう。




 


 Amazonから本が届いた。
 いつだって、本が届いたときは、嬉しい。もどかしく包みを開ける。

 が、今回は、現れた本の美しさに喜びが倍増した。
 古本だから安いものだというのに、ずいぶんしっかりとした装丁。薄いビニールを被ったハードカバーのA4版、文庫ばかり読みなれていると尚更大きく感じる。

 本居宣長が求めたという道が、ここに凝縮されているのだ。
 そう思うと胸が高鳴った。

 
 本はいい。

 まるでずっと、ずっと夜明け前の日本。
 まるで国学者たちの苦難の歴史が、ずっと続いていたとしても。

 学びにはやはり希望がある。



 一燈提げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うることなかれ。
 ただ一燈を頼め。


 宣長の書が暗夜を照らす道となってくれることを願って。





 
 

2011年1月18日

「どうなる、米中共同声明?! 日本の行く末は?」

 


 昨日、ドル基軸は、

「過去の遺物」

 発言をして、びっくり仰天させてくれた胡錦濤国家主席。






 一転して、今日は米国の大歓迎(予定)に酔っている。


 「国賓」待遇に、オバマ大統領夫妻主催の「公式晩餐会」。



 (胡錦濤内心の声)

 「・・・しめしめ」


 「500億円を使っただけのことはあった」

 ※『米で500億円の契約締結 胡主席の訪問控え中国』


 
 
 「あとは、首脳会談後に共同声明を出すだけだ・・」

 
 


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『胡錦濤中国国家主席訪米 共同声明の行方は…どうなる「核心的利益」』




 在ワシントン外交筋によると、中国側は「首脳会談後の共同声明を訪米の成果とするため、とりまとめにこだわっている」という。


 だが、首脳会談を2日後に控えた17日の時点でホスト国の米政府は共同声明を出すかどうかを明確にしなかった。「文面をめぐって双方の溝が埋まらず交渉が難航している可能性」(同筋)が指摘されているからだ。

 特に両国が神経を使っているとみられるのが、米中2国間の信頼関係に関する項目で「相互の核心的利益の尊重」という文言を明記するかどうかだ。

 2009年11月、オバマ大統領が訪中した際、米中共同声明で中国が台湾やチベットに関して使う「相互の核心的利益の尊重」を明記した。だが、「この文言が南シナ海の内海化を正当化する中国側のよりどころとされ、米国側を驚かせた」(外交関係筋)との見方がある。

 (msn産経ニュース 1月18日)




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 米国と中国の共同声明で「相互の核心的利益の尊重」という一文が書かれるかどうか。
 
 日本の未来もそれでずいぶん変わってくるように思われる。
 
 第三次世界大戦は気が早すぎるとしても、とりあえず。
 
 尖閣諸島は買われてしまいそうだ。
 
 
 
 
 ※中国の革新的利益
 
 1.台湾
 2.チベット
 3.新疆(ウイグル)
 4.南シナ海・東シナ海
 
 
 
 
 
 
 
 
 どうにか、その一文だけは入れないでいただきたいものだ。
 
 (それはそれで怖い気もするが)
 
 オバマ大統領のめちゃくちゃフレンドリーな対応な割のこの。
 
 
            ↓     ↓    ↓    ↓    ↓    ↓
 
 



 
 めちゃくちゃ気のない顔。
 
 
 
 
 
 
 
 
 に期待してます。
 
 
 
 (オバマ大統領宜しく!)
 
 
 
 

2011年1月17日

死神伝説、始動!  ~第三次世界大戦も近いか?~

   
   


『与謝野に恐怖の“死神伝説” 党内外から大ブーイング!』


 菅直人首相(64)がサプライズ抜擢した与謝野馨経済財政担当相(72)に、党内外から大ブーイングがわき起こっている。自民党比例で復活当選しながら、自民党やたちあがれ日本を次々と離党して菅政権にすり寄った政治姿勢に、「大臣病患者」「永田町のユダ」という異名が定着しつつある。さらに、与謝野氏を閣僚に起用すると、その内閣は短命に終わるという“死神伝説”すら、ささやかれ始めた。

 (zakzak 1月17日)


 
 
 
 永田町のユダ。
 
 
 は酷いだろう。いくらなんでも。
 
 本当のユダをなめすぎている。
 
 
 
 
 と思いつつも、「死神伝説」面白すぎです。
 もしも事実ならば、菅政権を滅ぼすために、天が遣わしてくれた刺客か。
 
 ぜひとも死神ぶりを発揮して、大活躍して欲しいですね。
 
 
 
 
 
 もう一つ今日は、目玉が飛び出すくらいぎょっとした記事を読みました。
 こちらも死神を思わせます。
 
 
 
 『中国主席:ドル基軸「過去の遺物」』


 【ワシントン斉藤信宏、草野和彦】18日から国賓として米国を訪問する中国の胡錦濤国家主席は、米紙ウォールストリート・ジャーナルとワシントン・ポストの書面インタビューに応じ、08年の金融危機がドルを基軸としてきた現在の国際通貨システムの「欠陥に根ざし」ており「統制の欠如」を示していると指摘。「現行のシステムは過去の遺物」と切り捨てた。国際通貨システムについてはサルコジ仏大統領がドル基軸体制の転換を主張し、「今年の20カ国・地域(G20)首脳会議など国際会議で議論する必要がある」と述べるなど新たな国際通貨制度を模索する動きが広がりつつあり、胡主席の主張は波紋を広げそうだ。

 (毎日jp 1月17日)







 
金融危機はドルを基軸としてきた現在の国際通貨システムの「欠陥に根ざしており、
 
 
「統制の欠如」を示していると指摘し、
 
 
 
「現行のシステムは過去の遺物」
 
切り捨てた。
 
 
 
 
 すごいなぁ。中国、いや、胡錦濤国家主席さん。
 よりにもよって、米紙ウォールストリート・ジャーナルとワシントン・ポストで言うか。
 
 
 第三次世界大戦も近い。
 
 
 と、思わずぞっとした記事だった。
 
 
 
 それにしても胡錦濤国家主席さん。
 死神にしては、お肌ツヤツヤですね。
 コラーゲンも脂肪もたっぷり、といった感あり。
 与謝野さんも負けずに頑張っていただきたいです。
 
 
 
 
 
 
  

小沢神話には少なくとも夢がある。 ~ぼくには夢がある小沢一郎、報道2001に出演!~

   
    

『絶対正義は勝つ。お天道様が見てる。』


 16日、報道2001で小沢一郎氏がそう言ったらしい。
 小沢さんの正義は微妙だが、後半の『お天道様が見ている』という言葉は大好きである。
 もしも、小沢さんが正義であるならば、お天道様は必ず報いてくれると信じている。

 この報道2001、惜しくも前半を見逃したが、一番見たかったTPPについて話しているところをしっかりと見ることができた。(その後、見逃した前半はYouTobeで確認http://www.youtube.com/watch?v=8jyaTB3xvhI、後半は映像が見当たらなくて残念だ)



 TPPに反対していると言われる小沢氏が、どのように発言するのか聞きたくてならなかった。

 以下、小沢氏の発言を抜粋。




「基本的に自由貿易論者です。日本は自由貿易によって最もメリットを得る国」


「ただ、農業ばかりをやっているが、農業ばかりではないんですよ。
金融からサービスから全部なんですね」


「農業は生産額からすると多くはない。(約7兆円)農業がシンボリックに取り上げられる」





 小沢さんは、農業の問題の是か非かでTPPを判断しようとする風潮に疑問を呈している。
 物事はそれほど単純ではない、むしろ農業よりももっと重要な問題がある、と言いたいようだ。
 
 


「多くの人が安全に生活できるシステムを作ったうえでの自由競争にする。準備が何もなくて、ただ自由化にすればいいとなると、ますます格差社会、格差がひどくなっていく」

「弱肉強食になる」



 
 何のために政権交代したのだ。これでは小泉路線の延長だ、と言ったところか。

 次に驚かされたのが、これは本当は政治論だから言ってはいけないんだけど、と前置きしてのこのセリフ。




「アメリカの一つの世界戦略なんですね、その一環なんですよ。TPPというのはね」

「そう言う面も政治の大事な場に携わっている人は、それぞれ国益を主張しているわけだから、そこをきちんと考えたうえで、国内、国民の生活を考えて(略)やらないといけない」


「アメリカは一度金融で失敗したわけですから、またこれで起死回生を狙っているかもしれない」





 
 日本がTPPに参加するためには、
 
 ①米国産牛肉の輸入制限解除
 ②郵政民営化の見直し

  を米国から求められる可能性が大きい。 http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/101110/fnc1011100034001-n1.htm


 その後、やはり産経新聞で、米国が①の条件を緩和してきた、除外品目も検討してもいいと譲歩してきた、という記事を読んだと思うが、郵政民営化の見直しについては、各誌口を閉ざすばかりで、TPP参加になればすべての国民の郵貯が米国債に化けるのは確実だと思われる。
 
 TPPが米国の対日食糧(穀物)戦略の視点から考えて、危険だということもさることながら、やはり小沢氏がうっかり(?)口にしたように、金融やサービスの規制緩和(というより撤廃)は大きい。
 なぜ、米国の金融危機を救うために、日本がわざわざ「TPPに参加させてもらわ」なければならないのだろうか。
 また、先日私が感動した与謝野氏の経済財政担当相の起用は、迫りくる第三次世界大戦に備えて、「米国に戦費提供」するという大目的達成の為に「消費税アップ」に血道を上げているという話すらある。
 (※板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
 日本の国益の為ではなかったのか。
 誰の国益のためのTPP参加なのか。 
 
 
 亀井静香元大臣が言うはずである。
 
 今の民主党・・・
 
 
「みっともない!みっともない!みっともない!」
 
 
 郵政改革法案を進めている国民新党はTPP参加に猛反対している。
 米国に奪われる前に、早く法案を通して、国民の虎の子350兆円を護ろうとしている。 (農業7兆円と比べるといかに大きな額か!)
 
 (※国民新党HP http://www.kokumin.or.jp/seiken-seisaku2010/yuuseikaikaku.shtml





 
 これらのことを考えて、小沢一郎氏が、本当は言ってはいけないんだけどというこのセリフをもう一度聞いてみる。

「アメリカの一つの世界戦略なんですね、その一環なんですよ。TPPというのはね。」



 小沢氏は強制起訴から有罪判決となるだろうか。
 (離党勧告に必死の菅内閣のなんという見当違いのあほらしさ!)
 背後に米国がいるとしたら、お天道様はどちらに転ぶのか。
 正義の判断を下せるものか。
 たとえ人間の叡智の世では裁かれ追放されても、それでもお天道様は見ていました、彼には幸せな老後や輪廻が待っていました、なんて、そんな救いの言葉は聞きたくはないものだ。
 小沢一郎にはもう一度表舞台に立っていただきたい。
 彼がこの試練を乗り越えて、本当に、心の底から、日本の国益を思う政治家の代表として再生し、活躍してくれる姿を、ぜひ見たいものだと思った日曜の夜。
 さて、結果はどうなるものか。


  

 

2011年1月16日

沢のツメを読む。 ~今年初めての山、大野山で富士を見る~

  

  
 
  
 1月13日、衆議院議員・与謝野馨さんが、自民党比例代表で復活当選してから2度目の離党届を提出した。
 今度は、除名処分にならなくて良かったなぁ、などと余計な心配をしながら。
 もう一つ余計な心配的に気になって仕方がない、「たちあがれ日本」の公式HPを見に行く。





↓  ↓  ↓  ↓




 やっぱり、消えていました。


 何だかこうなると微妙に中心ではなくなって、富士山も寂しそうである。

 

 与謝野さんが第2次改造内閣で経済財政担当相に起用されたことについて、思った以上の反響が出ている。
 もともとたちあがれ日本が民主党との連立を拒否した時点で、こうなることは目に見えていたような思いがしたので、私としてはそちらの方が意外だったが、晩年を汚したとか、男だてを売ったとか散々な言われようである。
 そうなのだろうか。与謝野さんが打倒したかったのは、鳩山・小沢政権時代の民主党であって、自民党とほとんど変わらない菅政権なんて、古巣に帰るようなものではないか。
 大好きな政策とか財政再建とか、やりたくてやりたくてたまらなかったのだろうなぁと察してしまう。
 シルバー議員定年になっても諦めずに動いた甲斐はあったというものだ。
 と、私は彼の中に男の気概と言うか、ブレのなさを感じてしまうのだが。
 どんなに批判されても、日本の財政再建のために頑張っていただきたいとは思う。

 (最後歯切れが悪いのは、一抹の不安がやはりあるためか。富士山が寂しそうだからか・・)

 いや、与謝野馨さんと言えば、与謝野論文(外国人地方参政権問題に対する見解)で以前ずいぶん勉強させていただいた。
 読んでも100%意味が分かっておらず、その後でもちんぷんかんな記事を書き続けていたものだが、何度かめかに読んだときには、やっと真意がわかったりと、ずいぶん懐かしく感じられる記憶である。
 財政再建だけではなく、出来れば、こちらの見解も民主党さんにご指導してあげていただきたいものだが、そちらは難しいものだろうか。もし叶うならば、こんなに心強いものはないというものを。
 こんなニュースを見つけて、足元から迫りくるような不安を感じていたところである。


 『22市町に外国人住民投票権 自治体の無警戒さ浮き彫りに』
 
 市政の重要事項の是非を市民や定住外国人に直接問うと定めた「市民投票条例」の制定を目指す奈良県生駒(いこま)市のほかに、事実上の外国人地方参政権容認につながる条例を制定している自治体が少なくとも22あることが8日、産経新聞の調べで分かった。条例をめぐり、外国勢力の動きが見え隠れするケースもあった。国家意識が希薄になる中で、国籍条項を顧みず、なし崩しに走る自治体の無警戒ぶりが浮かぶ。
 (msn産経ニュース 1月8日)



 「国家意識が希薄になる中で」、「なし崩しに走る自治体の無警戒ぶり」というくだりが引っかかる。
 民主党政権が国家意識が希薄だというのは鳩山前首相時代に感じていたが、私はそのいわゆるポストモダニズム的といわれるようなあり方を、米国の隷属国家であり続ける日本の構造に拒否を叩きつけるような形で生み出されたものかと思う節もあったのだ。鳩山さん(と小沢さん)はとんだタヌキだったのではないかとか。
 が、今菅政権で米国追従の形に戻った時に、またしても形を変えた外国人参政権は浸食を深めて、国家意識の希薄は途切れることなく進んでいる。
 これはどういうことなのかと。
 このままでいくと日本は、誇らしき「単一民族、単一国家、単一言語の」大和民族の国から、米国のような多民族国家に変わってしまうのではないか。
 もしも日本の構造が米国的に変わっていくとして、その方が日本のためにも良しとして改革されていくとして、決定的に違うのは、日本人はアメリカのような個人主義の国ではない。
 集団主義的な社会で、共同体の総意を自らの意志とする時に、その集団が多民族ばかりだったとなるとどうも都合が悪いように思われる。
 そうなった時にはそれとも、集団主義的社会も共同体も壊れて、個人主義の国民ばかりになっているのだろうか。
 米国人みたいな他人の干渉を嫌う個人主義の国民ばかりになって、その時初めて日本の独立でもあるというのだろうか。
 隷属国家から解放されて?日本のアメリカ化は完了しましたと。

 すごいなぁ。日本消滅=日本独立。日本の再生=日本の終焉。ってことか。
 何だか考えていると、ぞっとするのだか、希望が持てるのだか、良くわからなくなってくる。
 
 とりあえず私は寂しげな富士山を慰めに、富士を見ようと小さな山へ登ってきた。

 今年初めての登山である。地図読みの勉強をしているので、標高1000m以下の小さな山ばかりを目標にしている。2万5千分の1の地図とコンパスを片手にふらり登る。
 大抵は急登りと言っても、距離にして1Km、標高にして150mくらいしかないので、あとは緩やかな傾斜に斜面沿いのトラバース道を鼻歌交じりに歩く。
 地形を確認するために何度も地図を見る。現在地を確認する。コンパスをセットし直す。
 その繰り返しだ。
 沢の等高線は苦手だ。
 地図読みの本でも、沢の項目だけはすっ飛ばして読んでいた。地形図を見る気にならない。
 なぜ、こんなにも沢が嫌いなのか。尾根は大好きだ。わかりやすいし、歩きやすいし、理解しやすい。沢はさっぱりちんぷんかんぷんである。わからないから勉強していても楽しくない。
 ところが山は、特に日本の山はそこが美しいところなのだが、この尾根と沢が裏表一体なのであった。尾根があるところには必ず沢がある。沢があるところには必ず尾根がある。
 尾根をもっと知りたければ、沢をよく知らなければならなかった。
 私は山へと向かう、町へと戻るローカルな電車の中で、沢の項目を必死で読む。地形図に目を通しながら、少しでも理解しようと、わからないところを何度も読む。
 
 沢をイメージする時は、木をイメージするとよい。空に向かって枝を広げるように、沢は上に向かうにしたがって、本流から支流に流れて、別れて、広がっていく。
 突き上げるのは、必ずピークか、コルだ。
 沢の終点は山頂か、もしくは山頂と山頂の間(稜線上)のくぼみである。
 
 今日の目的地、大野山の山頂に着くころには、私はこんなことを呟いた。
 「これは山じゃないな」

 いつものように結界がなかったのである。鹿柵やイノシシ除けの柵を言うのだが、人と獣の世界の分け目は、文字通り里と山との分かれ目であった。空気が変わる。景色が一変する。
 深い森の中に足を踏み入れる、あの厳かな感じ。
 そういったものが一切なくて、大野山は人里がずっと山の山頂まで続いている、そんなところなのであった。山頂が牧場という観光地であったのも手伝っているのだろうが、それだけとは思えない。登っている間ずっと、学校があり、民家があり、杉の植林、舗装された登山道。人の匂いが消えないのだった。
 小さな山といっても800m近い標高があれば、もう少し山らしいものだが・・
 不思議に思いながらも、それでもそんな「山ではない」大野山にも沢はある。尾根道のすぐ横を除けば、ぱっくりと尾根が切れて、下には枯れた沢が見えているのであった。
 尾根と沢は光と影みたいだ。どちらが欠けても存在しない。

 標高が650mを超えた地点から、雪が見え始めた。溶けずに残っているのだった。牧場の牛を見るのを楽しみにしていたのだが、さすがにこの寒さでは牛も風邪をひくのか一頭もいない。
 禿山のようになった山頂の駄々広い草原には雪が薄く残り、吹く風は四肢を凍らすほど冷たい。
 それでも、急いで降りられないのは、あまりにも富士が見事に見えたからであった。
 山頂について一言、私は「富士、でけぇ」と叫んだものだ。
 大野山から見る富士は、とても身近で、大きく映った。南側には金時山に明神ガ岳、その向こうの相模湾も素晴らしい眺望なのだが、北側の丹沢湖も素晴らしい眺望なのだが、私はそれらの景色よりも、西側の富士にくぎ付けなのであった。
 今日は曇っているから山頂からも絶対見えないだろう、そう予想していただけに嬉しかった。
 曇り空から、まるで暗雲が降るように富士の山頂にかかっている。一瞬、禍々しく思えたものだ。まるで、きのこ雲のように見えなくもない。
 ところが、不思議と刻々と空は変化を見せて、富士の周りだけが青く透けるように変わっていく。
 きのこ雲のように思えた黒い、富士へと繋がる渦は、今では天からの入り口のように見えている。








 綺麗だなぁ。
 私は他のものを撮るのを忘れるほど、富士のその不思議な空ばかり撮っていた。
 見たままの美しさをどうしても捉えられない。露出をアンダーにしたり、ハイキーにしたり、試行錯誤するが、上手く写し取れない。
 地上と私の住む町とまるで繋がっていた大野山。そして、その山頂から見た、天と繋がる富士の山。
 私はこれらがいい前兆であるような思いがした。
 これから始まる、登山の旅にとって。今年からの私の生活にとって。
 結界がない、ということは、自由に行き来ができ、より高いところへも成長できるような思いがした。
 しかし半面、何か物足りなくて、仕方がなかった。
 あの厳かな、空気が変わる瞬間が恋しくてたまらない。
 沢は必ずピークかコルに突き上げるように。山には必ず尾根と沢があるように。
 裏表一体で形成されたあの富士山の美しさが目に焼き付いて離れなかった。
 もう少し地図読みの勉強をしたら。そうだ、沢のことをもっとよく理解したら。
 きっと今度は深い、深い、山へと旅立とう。
 いつかのようにつがいの鹿にまた会いたいものだと考えていた。

 
 
 

  

2011年1月14日

「開国」論に惑わされるな。TPPに注意せよ!その3

 
  

  
「開国」論に惑わされるな。TPPに注意せよ!
  「開国」論に惑わされるな。TPPに注意せよ!その2  の続きです。
 

 

年次改革要望書(ねんじかいかくようぼうしょ)は、日本政府と米国政府が両国の経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書で、毎年日米両政府間で交換される。「成長のための日米済パートナーシップ」の一環としてなされる「日米規制改革および競争政策イニシアティブ」に基づきまとめられる書類であり、正式には「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」(The U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative)という。





 サッカーの試合を見ようとして、深夜に目を覚ました。テレビをつけると、菅首相が目を輝かせて叫んでいた。


「もし、野党の皆さんが、いろいろな理由を付けて、積極的に参加しようとしないのであるならば、そのこと自身が、歴史に対する、反逆行為だ」

 
 税制や、社会保障の改革において、超党派の議論が必要だ、と訴えているのである。

 私は、なぜ彼が「歴史」を持ち出すのか、一瞬耳を疑った。
 しばらく考えて、歴史的に鑑みて、今この政権下で改革をすることこそが日本の財政を立て直すためのリミットであり、それが日本の国益に最大限に適っていること(=新しい日本の歴史)なのだ、と言いたいのだろうと想像した。
 その歴史の1頁を邪魔するものは、日本の歴史の反逆者なのだと。

 菅首相はこぶしを振り上げんばかりに熱く叫び、その様はまるでいつか見たことがある小泉元首相にそっくりであった。
 そう思ったとたんに私は、胸がむかむかして、頭に血が上ったのである。
 政治や、改革に情熱をかけて、それこそ政治生命をかけて挑む姿は、小泉元首相だからこそ似つかわしく感じられたのであって、たとえ同じ路線だと誰が批判しようとも、菅首相とは決定的に違う。

 お前が真似をするな。
 熱いふりなどするな。

 そう私はテレビに向かって心の内で叫んでいた。
 
 歴史に対する反逆行為をしているはお前ではないかと。


 政権交代を果たして、鳩山・小沢内閣が日米規制改革委員会を廃止したというのに、TPPに参加しようとしているのは誰だ。
 それは自民党政権が10年かけて改革してきた日本の形を、一瞬で、一足飛びで、変革してしまうものではないのか。
 アメリカの国益にかなう日本の姿に、それこそ日本の歴史を省みることもなく。
 お前が、日本の歴史に対する反逆者じゃないのか。


 今こそ、開かれた国へ。菅内閣が掲げる23年の目標。そのTPPについて学ぶうちに、私はこの問題が日本の農産業崩壊以前に、恐ろしい本質を持ったものであるということに気が付いた。
 多少遅すぎた感もあるが、農業のことばかり心配して、または知識不足で、理解できていなかったのである。
 問題は関税撤廃よりも、加盟国間がありとあらゆるサービス(貿易)や基準認証において整合性を持たせるということ。両国の経済発展のために改善が必要だと考える相手国の規制や制度を、すべて取っ払ってしまうという性質だ。
 要望であるうちはまだ可愛かったというものではないか。しかも、TPPのターゲットは今のところ日本だけだとしか思えない。参加国を見回せば、相互間の経済発展などまったくもって見込めない。
 こんな詐欺のような経済連携協定を結んで、我が国を売ろうとしているものに、熱く叫んでほしくなどないものだ。


 もう一度言う。
 歴史に対する反逆行為をしているのはお前ではないか。



 私はTPP参加に断固反対する。
 米国は自国の財政を立て直すために、戦争を巻き起こそうとしている節がある。
 中国漁船衝突事件や、北朝鮮による延坪島砲撃事件で一番得をしたのはどこの国か。
 そして、比較優位の原理を言うならば、有事の際はどこの国でも食糧(農産物)に特化していたいのが本音ではないのか。
 なぜこの時期、みすみす工業製品だけにシフトする必要があるのだ?

 菅内閣が、本当に熱く、情熱を持って、この国の国益を思っていてくれるならば、あの映像が本物であるならば。
 そしてもしもマスコミも同様であるならば、国家国民一丸になってこの経済協定への参加を一刻でも先送りしていただきたいと切実に願う。
 それが日本を救う最善の道だ。
 それではどうしても貿易立国として孤立してしまうというならば、両国にとって実りのある、二国間によるEPAを結び、それを以て経済協定を進めていっていただきたい。
 


 
 
 
 
 

 

2011年1月10日

忠信よ、読者よ。目覚めよ日本人! ~「鋼鉄の叫び」著者からのメッセージを読む~

  
【書評倶楽部】登山家・野口健 『鋼鉄の叫び』鈴木光司著




■共同体離脱の人間の拠り所


  ひとりの人間が拠(よ)って立つ基盤とは何か。ひとつには、家族や学校、職場、地域社会、国家など共同体があげられると思う。人は一人では生きていけない。何かしらの共同体への所属や関わりの中で生きていくことのできる社会的な存在である。

  日本人は、集団からはじき出されることを極端に恐れるという特性を持っている。要するに「村八分」に対する恐怖である。ゆえに、個人が疑問や異論を抱いても、集団が醸し出す見えない鎖のような雰囲気が無言のプレッシャーを与え、「その場の空気」に従うことを余儀なくされる。

  このような「集団と個人の力学」について本書は「特攻隊の編隊を自らの意思で離れ、生還した人間」である峰岸泰三中尉という人物にスポットをあて多角的に迫っている。


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  産経新聞に記載されていた登山家・野口健さんの書評を読んで、ぜひとも読んでみたいと思い、即座に購入した。

  共同体離脱の人間の拠り所とは何か。
  『共同体から離脱した人間は、何を拠り所に生きていくことができるのか。本書は、こうした極めて普遍的かつ日本的な問いに対して、ひとつの答えを提示している。』と野口さんは結んでいる。
  私は答えを求めて、頁をめくった。早く答えを知りたくてもどかしい思いであった。

  愛だの、家族、だの、綺麗ごとでの答えはすぐに想像がついた。
  しかし、『答えを提示している』と言ったのが登山家の氏であること、それと共同体を離脱した者(本書でスポットを当てている人物)が、特攻隊の編隊を離れた者であること、この2点が私の判断を誤らせた。
  それはあまりにも厳しい答えであるように思えた。登山家を極めるということも、あの大日本帝国時代の共同体の掟を自ら捨てるということも。
  綺麗ごとでは済まされない、何かとてつもなく壮大な、「死を覚悟した者にしか見えない」究極の価値観であるような思いがした。
  そんなものを手に入れられるならば。それが見えるならば、たとえ集団から「村八分」にされようと怖いものなんかない。もう一人で戦っていける。
  私は祭日の今日、その答えを見つけようと必死で頁をめくったのだ。

  ところがだ。
  物語途中から私の意気込みはあっけなく挫折した。
  後半は惰性で読み続けるに至ってしまった。
  挫折した最大の要因は、特攻隊の編隊を離れた主人公・峰岸泰三中尉の心理描写である。
  確かに彼は、特攻隊を離れた。
  が、それは自らの意志というよりは、「様々な偶然が重なった末の命がけの選択」でしかなかった。いや、そういうふうに、書かれているのだ。
  偶然が重なったことこそは必然であり、「逼迫(ひっぱく)した状況の中で決断しようとするとき、人間はすでに心の内にある願望に従って、計器を読もうとする傾向にある」と説明されるように、意志が確かにあったというふうにはされている。
されてはいるが、あくまでも表向きは偶然に離脱した。せざるを得ない状況であった。
  私はもっと、そんな自我に対する言い訳もできぬほどに、はっきりと、偶然も必然もへったくれもなく、ただ共同体離脱を選び取ったその過程が書かれているものかと思い込んでいたのだ。
  こんな逃げ道を残した意志など、私が想像した厳しさとはかけ離れている。
  こういう書き方で話を進めるならば、先は読めているものだとその時思い知ってしまったわけだ。

  実際、物語の中ではもう一人の主人公、こちらはバブル崩壊後のテレビ局で働くディレクター雪島忠信が、特攻隊を離れた峰岸大尉の番組の企画を通すのに四苦八苦していた。
  「特攻を扱うのは厄介なテーマ」だの、「遺族にも微妙な問題だから各方面の配慮が必要」だの、「信ぴょう性が疑わしく事実関係の裏付けがあやふや」だの「日本人のキャラクター云々を取り上げるのは政治の問題」だの、各番組部のプロデューサーに突っ込まれる。
こういう冷静な批判を読んでいると、私には鈴木氏の曖昧さが手に取るようにわかるように思えてきてならなかった。
  なるほど、こういう書き方しかできなかったわけですねと。
  皮肉に映ったのは、企画が通ったのは、共同体を離れた峰岸中尉が、別の共同体で成功を収めていたからというオチなのだが、それは置いておいて。
  作者は一番訴えたかったであろう峰岸中尉の「離脱した人間の拠り所」さえも、曖昧な、ヴェールに包んだようなエピソードでしか告げられていない。
  よほど多方面に配慮したものと思われて、これでは読者は作者が何を言いたいのかさっぱりと理解できないのではないかと思えたほどだ。

  一応、もう一人の主人公雪島忠信プロデューサーの拠り所は「愛」であると提示はされる。
  不謹慎なことに、この主人公は人妻と不倫をし、その結果、テレビ局をやめなくてはならなくなるという、そういう形での共同体からの離脱を余儀なくされる。
  失楽園と失業が、特攻の編隊を離れて旧日本軍を離脱したもう一人の主人公の人生とシンクロされるわけで、いくらなんでもそれを(読者の共感を得るために)同じ次元において、物語を進めるのは特攻隊員を愚弄しすぎているのではないかと心底驚かされた。
  「鋼鉄の叫び」というのは、そうか、下半身のことを言っているのか、とこちらも不謹慎に笑えてしまえたほどである。
  この小説を読んで、去勢された羊のように会社の檻の中で日々生きている中高年のサラリーマンにとっては、ずいぶんと励まされる小説だったのではないかと想像する。
  失楽園の描写もそうならば、最後に「何をやっても生きていける」と檻を飛び出すさまも、爽快といえば爽快だ。
(かといって、このご時世にずいぶんと無謀なそそのかしのように思えたものだが・・)

  で、話を戻して、もう一人の、本当の主人公峰岸泰三中尉である。

  多分作者は、失楽園主人公の方は受け狙いか、多方面への配慮であって、本当に書きたいのはこちらであったと想像するわけだが。

  彼は、偶然が重なって、編隊を離脱を余儀なくされた。
  で、それは、思えば自らの意志であったのだと、無人島で過ごしながら考えている。
  なぜ、死よりも生を選んだのか。
  その理由は何度か伏線のように書かれていて。
  一つは、恋人の存在と彼女が自分の子供を身ごもったという事実。(特攻の数日前に知らせれている)
  もう一つは、友人の軍医少佐から、
  「日本はこの戦に必ず負ける。だからこそ戦後の日本にこそお前のような男が必要なんだ」
  と何度も忠告されていたことである。
  システムではなく、人が国を動かす。だから、彼のような存在は死んではいけない。自分の役割を自覚しなくてはいけない。峰岸中尉は何度も少佐から、そして少年の日の忠信の父からそう言われている。
  だからこそ、中尉はギリギリのところで無意識に生を選んだのだと小説は示唆している。
  ところがだ。

  生き残った中尉は、またしても偶然が重なって、恋人と自分の子供の元へは戻らない。
  敗戦後の日本復興のために、何をするでもなく、そもそも日本に戻らない。

  で、何をしていたかといえば、米国でネイティブアメリカンを代表する思想家となって、インディアンの地位向上のために「強じんな意志力で目的達成に努めていった」のである。

  ここに至って私はこけた。何のために、共同体を離脱してまで、生きたいと願ったのだ。インディアンの為だったのか。もうハチャメチャだなぁ、と苦笑いをして。
  その時、ふと、あの作者の奥歯にものの挟まった書き方を思い出したのだった。
  このインディアンの為という思想こそが、「日本復興の彼の役割」だったのではないかと。私は作者の意図をそう置き換えて、改めて物語を読み返すのだった。


  中尉は小説を書いて問題提起をした。インディアンたちは生きる目的が見つからないという虚無状態にあると見抜いたのだ。
  かつて彼ら部族はバッファローの群れを追って大地を遊牧していた。彼らは土地を所有するという観念を持たず、草原、山、川、岩、動物、植物など、自然界にあるものすべてひとつにつながっているという一体感が生き方の根源を成し、生きているという実感は大草原に展開するバッファローの群れを追って疾駆する時の興奮によってもたらされた。
  ところがバッファローが絶滅し、リザベーションという檻に閉じ込められて、貧しくてもどうにか食べていけるという状態に陥った時、かつてバッファローを追った時に得られた生の躍動感をどうやって得ればいいのかという、切実な問題が浮上した。
  西洋人たちはバッファローとの格闘がなくても生きていけるだろうと言う。もちろん生きていくことはできる。しかし、それは人生の輝ける一瞬を放棄した生であり、中尉に言わせれば、緩慢な死へのルートに乗ったも同然の生き方なのだ。
  バッファローは19世紀末にほぼ絶滅されてしまったのであり、もはや取り戻すことはできない。情報量に勝る西洋文明が世界に浸透するのは、物理学におけるエントロピー増大則に鑑みても理の当然であり、これを敵とみなして立ちはだかるよりも、コンフリクトを繰り返しながら、両者統合のさらなる上位概念を形成することによって、活路は開かれるだろう。
  失われたものを懐かしみ、そのままの形で取り戻そうとするのではなく、成熟した文明の中に、かつてバッファローによって得られたと同様の躍動感を得る方法を模索する以外なかった。
  過去は戻らないという制約の中、未来には何が必要かと考え、中尉は教育であると答えを出す。
(ほぼ原文のまま)

  そして、中尉は、インディアンたちのリーダーとなって、彼らの意見をまとめ上げ、アメリカ政府を相手にして、インディアンの自立を求めるための闘争を始めるのだ。

  バッファローが絶滅したのも西洋文明のせいだと言えばいいのに、自然現象のような書き方をしながら、しかし西洋文明にはかなわないから新しい価値観を探すのだと言っている。
  何重に奥歯にものを挟めばいいのかとげっそりするが、このバッファローを日本における様々なものに置き換えると、話はぴたりとはまるだろう。
  「戦争」でもいい。「軍隊」や「憲法」でもいい。「主権」でも構わない。
  中尉はインディアンの自立を確立する戦いに挑んだ。そして、その戦いが、日本のために役立つであろう、もしくは日本のために続いていくであろうことを、ラストの中尉と失楽園男・雪島忠信の出会いが予想させている。
  雪島忠信は何のために生まれたのか。中尉がいなければ決して今存在することがなかったその存在が、鋼鉄の檻を突き破って、咆哮する様を私は夢想する。
  まぁ、まわりくどいが、よくできた物語であった。
  さすが構想30年、と作者を褒め称えたい。




2011年1月9日

「小説・フランス革命Ⅳ」を読みながら姉の家の猫を撮りに行く日。

 

 

 

IMG_9919これ

 

 Amazonから注文していない本が届いた。

 1冊は身に覚えのある本だった。確かにこれは頼んだものだ。
 しかしもう1冊は記憶がない。「Amazonのやつ、間違えやがった・・」


 本を買うときは中古品を買うようにしている。新品を買うと、Amzonは宅配便で送ってくるので、平日も休日もほとんど家にいない私は受け取ることができない。不在通知を何度も見た。着指定や再配送の手配を何度もした。嫌気がさしたころ、郵便で送ってくれる中古品にたどり着いたというわけだった。
 それならポストに入れておいてくれるから、いつでも受け取れる。
 たとえ新刊の本でも、新品の方が安い本でも、マーケットプレイスの出品者から買うようにしているのだった。

 出品者は全国津々浦々様々である。
 思わずこんな遠くから!と驚かされる場合も多々ある。古本専門店もあれば、個人名義の方もいる。私は本が届いたら必ず、封筒の差出人(大抵はショップの印)の部分を切り取って、それを古本の一番後ろの、カバーの下に隠すようにして糊で貼りつける。
 誰から来たからなんだというわけでもない。二度とその差出人を目にすることもない。(気味悪がられてると困るから言うわけだが、相手にこだわっているわけではないのだ)
 ただ、私の以前に誰かが読んだ本。それが巡り巡って私の手に届いた。私が見知らぬ土地から遥々とやって来た。そんなえにしに思いを込めて、これから私に新しい世界や価値観を与えてくれるであろう本に思いを込めて、私はその儀式を大切に行うのだ。「お前のへその緒」をつけておくからね。なんて時には語りかけながら。

 今回のAmazonが間違えた本は、差出人が個人名だった。本の裏表紙につけるには大きすぎるレターパックの文字。厚紙だし、印鑑でもない。
 おまけに中は本しか入っていなかった。Amazonの注文番号が書かれた納品書もない。
 私は去年頼んで未だ届いていない本が1冊あったことを思い出している。たぶん間違えたのはあそこだ。出品者は覚えていないが個人名義で送ってきたのだ。そう結論付けながらも、めずらしく差出人の名前にこだわっている。

 それは以前の恋人と同じ名前だったのだ。

 漢字は違うが、4文字の名のうち、3文字が同一の音だった。
 何度も本を見直すうちに、私は彼に「へその緒」をつけることを諦めた。
 あの去年注文した本がどうなるか、誤配送されたと連絡が来るか、それとも少し遅れているだけでそのうちちゃんと届くのか、それを確認しなくてはと思っている。
 もしも、それが届くのならば、この本は私の住所を知っている「別の誰か」が私に贈ってくれた本なのだ。そして、私はその可能性が99%であろうと確信していた。なぜか?

 

IMG_0181これ

 

 2011年、1月7日。
 報道ステーションの特集でこんなものを見る。

『日本の山林を買い漁る中国、その狙いは…』

戦後の植林事業から50年。日本の山は、伐採期を迎えている一方で、相続の時期も迎えた。衰退する林業、そして高額な相続税。多くの山の所有者が、山を手放そうとしている。去年、日本で初めてとなる山林売買のサイトが開設され、全国の山の所有者から問い合わせが殺到している。こうしたなか、いま、日本各地の山で、目的がはっきりとしない外資による買収の話が持ち上がっている。去年末、北海道全体で、合わせて820ヘクタールもの山林が外国企業に買収されていたことがわかった。そのうち約4割が砂川市の山林だ。買収された山林のほとんどは、水土保全林に指定され、重要な水資源となっている。買収の目的は何だったのか。取材を進めていくと、香港に行き着いた。http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=10647

 

 中国、特に大河のない北京では、深刻な水不足が続いているという。
 しかし、だからと言って中国資本が日本の水源林を求めて山林を買い漁っているというのは、ただの都市伝説だという意見も聞かれる。
 日本の山を買い漁っている投資家が中国人だという証拠はない。ましてやたとえ中国資本の企業だとしても、中国が必要としている水は農業用水と工業用水であって、飲用水程度の量ではとても足りない。そんな大量の水を海外から船を使って輸入しようとしても、採算が合わない。(だから中国ではないのではないか?という意見・・)
 中国でなかったらどこの国(外資)が日本の水源林に目をつけるのだろうか。と思うものだが、それこそが思考停止であり、ただ「何をするかわからない国」と中国を色眼鏡で見ては断罪する、非常に危ないものなのだと。 (「中国人が日本の森を買い漁る」という都市伝説より)

 都市伝説か真実かは置いておいて、私が報道ステーションを見て一番驚いたのは、水源地として登場する様々な山林の美しさであった。
 特に三重の大台町、澄んだ清流が薄く広がり、まるで手の届く底から水が湧き出ている。そこにパイプを通して水を取るというのである。山はいらないから、水源地だけを売ってくれと山林所有者に連絡があったと。
 山々と水源林の景色が見事であっただけに、パイプを引いて水を取る、そのための設備のために景観が奪われる、もしくは消滅するという想像がとてもグロテスクに思えたものだ。
 犯人が中国人かどうかは都市伝説だとしても、日本の水を狙っている、たとえ日本の景観がなき者になろうとも水を欲しているものは確かに存在している。
 そうして、上記サイトから「日本の水源林の危機」という東京財団政策研究部の提案書を読んで、もしも水事業のすべてが民営化されたら。その事態を想像させられてぞっとしたものだ。

 「官業払い下げ」は、我が国は20年にわたってその改革努力がつづけられている。その結果、我が国では公共水道技術者が毎年1,500人ずつ減っている。コスト削減、市場原理の導入、権限は国から地方公共団体へ。官から民へ。大筋では間違っていない」(「日本の水源林の危機」14Pより)

 水道事業が民間になったら中国資本が乗り出すのではないかとか。何せ市場原理の導入だから、お金があればだれでも買えるのだしとか。破たんしそうな地方自治体ならば外資だろうが喜んで売ってしまうのではないかとか。永住外国人の地方参政権付与法案もやはり危険だ。あれは国政には関係なく地方の個別の政策レベルの決定だから良し、という意見だって、権限が地方に移ったらなんでもありになるだろうとか。
 思考停止になればまだましだというものを、私は飛躍した想像をしては、憂いている。
 そして、「何をするかわからない国、中国」という選択肢も、それは断罪だと思考停止をせずに、それなりに考えなくてはならなかった。

 判断したいことは山ほどあるというのに、この国のニュースはほとんど何も教えてくれない。
 毎日、私はブログのネタを探して、ニュースと新聞に目を通すのだが、先日ふと限界を感じた。
 ニュースを追っていても意味がないのではないか。

 

IMG_0132これ

 

 2011年、1月8日。
 最近猫を飼い始めた姉の家に行く。
 猫の写真を撮りに行ったのだ。電車を乗り継いで、バス停までの道を歩けば、安い、安い、商店街。中国ともこれならば戦えると勘違いするほどの低価格の商品が立ち並ぶ。
 商店街を抜けたらそこは駅名と同じ名前の寺だ。参道は長い階段。香の煙が立ち上がる。まるで山の上に寺の本堂が現れて、私は見上げて聴き入る、ライブのような経の音が。スピーカーから、日本語ではない発音で響いては、腹に衝撃を与えるのだ。
 猫は私を見るとシャーと鳴いた。爪をほんの少し立てて、引っ掻く真似をした。
 時々懐いて、指をなめたり、ころり転がって腹を見せたり。
 最後の最後は、やっぱり眉毛を爪で掻いた。不思議なことに、二人でいると猫は懐いて見せる。姉の子供たちが混じると、強気に出るようだ。私は掻かれた眉毛に痛みを感じながら、猫と別れて帰宅したものだ。
 帰るとすぐに写真を見て、何とかピントの合っているものを、姉と子供たちに送って見せる。
 まるでブランド猫に見えるねと、子供たちが褒めたと姉から聞いた。

「私も写真を撮りたい」

 上の子供がそうつぶやいたと聞いて、それが何より嬉しく思えた。
 ミュージカル、素敵なダンスを見ると、自分も踊りたくなるものですよね。以前聞いた言葉を思い出して、頬を緩める。あの経の音をまた聴きたいものだ。できれば録音したいライブだった。

 

IMG_0194これ

 

 2011年、1月9日。(8日深夜)

 革命について考える。
 今まで平成維新と言っていたか。革命という言葉を使ったことはなかったか。
 新聞ではなく、それらwebニュースではなく、誰かが作った掲示板で、「平成日本のジャコバンクラブ」という言葉を、今、見ている。
 
 『平成日本のロベスピエールとも呼べる英雄である』

 ロベスピエールが英雄だったのか、私はまだよくわかっていない。ルソーを目指したジャコバン派のリーダー。晩年の一年間は事実上の独裁者としてフランスを支配し、粛清による恐怖政治で多くの反対派を断頭台に送ったため「ルソーの血塗られた手」と呼ばれた。(ウィキペデイアより)
 間違えてAmzonから送られてきた本。表紙にはルソーによく似た青年が映っている。
 フランスの上流階級の者たちは皆こういう格好をするものか。ウィキペデアの絵とはまるで違う顔に見えたものだった。
 革命とは、積極的な問題解決方法だと以前考えたことがある。否定でもなく、肯定でもない、第三の選択肢が革命なのだと。
 誰もが寝静まった夜に、私は私に送られてきた本を贈られてきた本だと信じている。
 革命について考えている。


 ロベスピエールが英雄だったのか、いかれた独裁者だったのか。
 なぜ本は私のところへ届いたのか。たとえその裏表紙にへその緒を貼ることが出来なくても、たとえこの国のものが何も教えてくれなくても、それなりに考えなくてはならなかった。
 判断しなければならないことは山ほどある。

 思考停止に陥らず、ダンスを踊り続けなければ。そうだ、とびっきりのを踊れるようにならなくては。あの経のような音がいい。たとえ猫の爪に掻かれても。
 すべての思いがすべて一つに繋がっていると思える夜に、まるで屁理屈を言うように、まるで下手なダンスを踊っている。
 それでも、Amazonの本は返さないつもりだ。

 

〇〇様
いつもお世話になっております。
今回発送させていただきました商品に間違いがございました。
大変お手数ですが、着払いで弊社まで発送いただけないでしょうか。
また今回発送が遅れました事も重ねてお詫び申し上げます。
大変申し訳ございませんでした。


 
 

 

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