2011年2月27日

危険は足元まで及んでいる!TPPにまちづくり条例に民主党、皆でNO!を突き付けよう。

   




 以前、形を変えた「外国人地方参政権」である常設型住民投票条例(住民投票条例)の浸食にぎょっとしていたら、今度はまちづくり基本条例(自治基本条例)か。
 



 『まちづくり基本条例案 高崎市が提出断念 群馬』

 外国人を「市民」と位置付け外国人参政権容認を促す「まちづくり基本条例」の制定を進めてきた高崎市は24日、開会中の市議会に条例案を提出することを断念した。条例素案に対する市議会や市民の反発が強く市が提出できなかった。同日、産経新聞の取材に応じた松浦幸雄市長は条例素案を「完成形だ」と断言。市として外国人参政権を促す素案のまま周知徹底を図り、制定を目指す考えを示した。
 (中略)
 松浦市長は「朝鮮総連だろうと何だろうと平等に付き合っている。一緒に暮らしているので、(市民に含めるのは)当たり前の話だ」とも発言。現状の素案内容では条例案を市議会に提出しても、市議の賛同が得られず否決される公算が大きいため、あえて“温存”する道を選んだとみられる。



(msn産経ニュース 2月25日)
 



 
 高崎市民はまちづくり条例の勉強会を始めたそうである。
 それはそうだろう。今回はまぬがれたと言っても、市側に「温存」されているようでは、いつまた条例案が浮上するとも限らない。極めて危険な状況である。
 市側の意図をけん制するためにも、進んで団結し、理解を深めて、たとえ市側が市のルール(市の憲法と呼ばれる自治基本条例)で定めようとも、それは国の憲法に違反しているものであることを、発信し続けなけらばならない。

 ところで、このまちづくり基本条例、グーグルで検索したら、ずいぶんと引っかかって驚かされた。
 名前は多少変わったとしても、全国各地で同じような「市民が主役」型の、「市民が参加」を訴える条例がたくさん生まれている。
 皆、他人ごとではない。(私の住んでいる町でも、常設型住民投票権が成立している) 外国人参政権の浸食は未だ衰えず、闇で蔓延り続けているようだ。


 そもそも民主党が政権交代を成し遂げたのは、民団(在日本大韓民国民団)や、高崎市の松浦市長が言うように朝鮮総連の協力があったからだった。
 

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 ※民団新聞「社説・地方参政権は逆境に屈しない」より抜粋。


 『日本の未来 共に語ろう』

 永住外国人への地方参政権付与に賛同する候補者が一人でも多く当選するよう、民団が積極的に動いた昨年8月30日の衆議院総選挙からもうすぐ1年になる。
 付与推進政党が政権を掌握したのは初めてであり、国政レベルでこれだけの条件が整ったのはかつてないことだ。(略)民団は、決して(逆境に)屈することなく、このたびの参議院選挙に際しても、そして今現在も、各政党や有力国会議員への働きかけを継続している。
 
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 まちづくり基本条例も決して逆境に屈せず、民主党議員に働きかけ続けた成果なのか、まったく油断も隙もない。
 そこには巨額の金も動いているのか。
 TPPと言い、外国人参政権と言い、民主党は露骨なほど、売国政策を売りにしているようだ。
 26日午前に行われた「開国フォーラム」では、冒頭玄葉光一郎国家戦略相がこう言ったそうである。
 
 「日本の成長には人口が増えるアジアの活力の取り込みが不可欠だ」
 
 自由貿易、TPPでは「人の移動」も自由化される。
 そして、自由に移動してきた「市民」は、「日本人」として、国を動かす力を得る。
 まったく、新興国やアジアの活力を取り組むためなら、国も売ってもかまわない、と聞こえてくるではないか。
 早く、もっと誰か、解散総選挙に追い込んでくれないものか。
 こんな史上最悪の内閣はさっさと潰れて欲しいと切実に思う。

 
 


『失われた道の果てのベンチ』 ~不老山登山記その⑤完結編~

  

 
  

 「不老山の山頂は、なだらかな丘で、古びたテーブルがある」
 ガイドブックでそう読んだように、山頂にテーブルと椅子があるのは知っていた。
 登り終えた人たちが、腰を掛けて休んでいる写真を見たものだった。
 どこの山でも、山頂には必ず椅子があるものだ。
 山頂に着いたらそこで休もう、登りながらそう夢見ているので、道中、ベンチを目にするたびに、着いたか、と要らぬ勘違いをさせられることも多い。勘違いというよりは願望だろうか。(山頂であってほしいという・・)地図上でも地形上でもまだ着くはずもないというのに、思わず道の果てに椅子を見つけて歓喜してしまうのであった。

 不老山の場合はもっと酷かった。願望から本当に勘違いをしてしまった。山北町(神奈川県)の山市場方面からのルートと、小山町(静岡県)からのルートともつながる林道との出合で、小ピーク手前のなだらかな地点に椅子を見つけて思わず、着いたか。そう思った。
 完全なる地図の読み間違い、これからまだ1Km~1.5Kmは歩くと知って愕然とする。
 おまけにこれはただの長椅子だ。テーブルもないではないか、遠目から見ても山頂のものとは違うだろう。木の椅子らしき物体を見ただけで、パブロフの犬のように反応してしまう癖でもついたか。私は自分を笑いながら、地図読みを間違えた間抜けぶりを呪いながら、毒づいたものであった。

 日頃、ベンチを「完全なる幸福の象徴」と捉えてしまうのは、こういった山登りの(数々の勘違いの)経験があるからかもしれなかった。
 旅路を終えたものが安堵の休憩をするところ、歩き続けた旅路の果ての終着点。そこにはもう悩みも迷いも消えて、俗な幸福も不幸も超えて、ただ身を休める、そのことに対する深い安らぎだけがあるようだ。二人がけの長椅子ならばもっといい。一人で休むよりも、愛する道連れと共に並んで腰掛けるという夢想の方が遙かに「完全なる幸福感」は深まるように思われる。

 私は想定以上となった道程の途中で、ところどころ道が削げ、黒土の谷間となった林道を行きながら、夢想をしているのだ。
 私の夢はね。ずっと一緒に行くことなんだ。二人でずっと行ってね、そしていつか、YELLで約束したように出会ってね。一緒におじいちゃんとおばあちゃんになってね。ふたりでベンチに腰を掛けて…
 登山の一番厳しい道中で、現実逃避の夢想をすることは多かった。当たりに誰もいない時は、それが独り言として発せられたり、ブナや周りの樹木たちに語りかけられることも多々あった。
 ふたりでベンチに座るのが夢だ。
 そう言いかけて、私は口ごもった。
 あれは先週だったか、新宿御苑のベンチで、その日は来ないということを私は知ってしまったのだ。その日は来ない。だからこそこんなにも切なく、愛しい幸福を感じるのであると。
 なのに、それが俗的な私の未来の目標だとはいまさら思いたくない。

 私は自分の考えに囚われて、果て無い夢を狭めてしまったような思いがした。もしくは、一度決意したことを、夢だの目標だのという綺麗事を持ち出しては反故しようとしている都合のいい人間に思えたりもした。迷っていたのだ。だから、いつものように、独り言も夢想も羽ばたかなかった。もごもごと口ごもり、私の夢はね・・・ふたりでベンチに・・・その先が出てこない。沈黙。まるで谷のようにぱくりと口を開けた黒土の道が続くだけであった。

 どうしてこの山の道はこう谷のようなのか。杉は谷間に植林されて、檜は尾根に植林されると聞く。なのにどうして、この山の木々は杉ばかりに見えるのか。
 どうして、この山の道はこうも崩壊しているのか。なぜ、こんなにも台風の被害にあったのか。地盤が他の山々よりも緩んでいたのか。もともと崩れかけていたのか。弱かったのか。
 だから道が消えたのか。

 あと少しで山頂だった。今日はずいぶんと山頂に着くのが遅れてしまった。私はまだ着いたでもないのに、もう着いた気になって帰りのことを心配している。日暮れまでに降りられるか。
 2時に山頂で、帰りに2時間。数々の難関で手間取れば、2時間半。かかる。ということは4時半だ。山頂での休憩はなしだ。食事はもともと持っていない。一服して、体を休める間もなく、すぐに引き返さなければ、日没に間に合わない。今の時期、日没は何時だったか。神様。
 お守りください。日を伸ばしてください。山神に頼んでいるのか。それともこの道なき道を創造し、追いかけている、追いかけさせている私の愛する神のごとし者に頼んでいるのか。私は祈るような思いで、ラストスパートをかけている。標識が見えた。何度も見た、あの、フローサン。不老山。その文字の横の、初めての「15分」。僅かな時間。あと15分で山頂だった。

 天気が良いのが、救いだった。

 道中、これならば富士が見えるはずだと探しては見た。しかし、富士が見えるのは、あの吊り橋が落ちて消えた道のルートであった。もしくは、小山町(静岡県)からのルートであり、私が今登っている道からは隠されていた。行きは、峰と木々によって。そして帰りも同様であり、それから私自身が富士に背を向けて歩くことによって。私の道からは、富士も、山々の美しい展望も何も見渡すことはできなかった。

 道はない。
 展望はない。
 連れはいない。

 道なき道を行き、杉を踏み、それでも山頂を目指す。夢想も独り言も消えて、静寂の中、自分の息だけを聞きながら登っている最後の道中で、思わずはっとさせられる。人の声を聴いた。
 私は息を止めて前を凝視した。細い山道、視界に夫婦連れが現れて、(年配の、良く見かける登山者とは少し雰囲気の違う、若いて背の高い夫婦連れであった)
 「こんにちは」
 「こんにちは」
 挨拶をして、一瞬で、別れた。彼らの口元には笑みがあり、私と出会う前の、別れた後の、楽しい会話を連想させられた。
 人がいた、ということに私は驚いていた。初めの夫婦連れも、その次に出会った者たちも、すべて別の目的地へ行ったはずだった。この山を選んだのは、私だけではなかったか。彼らもあの崩壊した道を通ったのか。あの第一関門・・第二関門・・第三関門を突破してやって来たのだろう。その割になんと軽々として、楽しそうな表情であったことか。
 こんな遅い時間に山頂に向かっている、通り過ぎの登山者に彼らは笑っているだろうか、と想像したが、いや、山頂は近い。彼らだって、そうだ。相当手間取ったから今頃帰るに違いない。そうそう、私と彼らの位置は、思いは、かけ離れていないはずだ。
 それでも、この場所を選んだのだから・・・
 私はこの出会いに励まされて、最後の道を登り切った。道が開け、視界の空が一気に広くなった。山頂だ。私の目に飛び込んできたのは、真っ先に映ったのは、木のテーブルとベンチであった。

 360度を見回す。山頂の展望はない。木々の隙間から僅かな山脈が見えるが、見渡せるでもなければ、富士が拝めるでもない。
 答えを求めて、やって来たこの地の終着点。すべての谷の起源であるこの不老山の頂には、そうだ。木のテーブルとベンチがあるだけだった。それだけだった。


 私はずいぶんと拍子抜けをしたものだ。これが答えか。
 しかも時間がない。安堵の休憩を、体を休める間もない。すぐに水を取り、少しばかりのチョコレートを口に放り込んで、帰り支度をする。そうしながら、まるで今更気が付くように、椅子の周りのベンチを見ているのだった。
 四角い、正方形のテーブルの周りには、4つの長椅子が置かれてあった。まるで不揃いで、丸太をちょっと削いだだけの、形ばかりが椅子のものもある。それでも、ちゃんとテーブルを囲むように、四つの線に一つ、長椅子は並んでいるのだった。
 新宿御苑の、あの公園で見た、いや私が日々夢見るベンチとは少し違う。
 私と愛する者が並んで腰掛けるベンチとは違う。
 これは、家族の椅子であった。多くの者が、仲間が集うために作られた、テーブルと、椅子であった。

 ごうと風が吹いた。ベンチを思って放心していた時だ。今まで、道中ずっと、風を感じることなどなかったというのに、突然一陣の風が吹いて私の荷物を吹き飛ばした。
 早く帰れ! 山の神々が怒っている。私はとっさにそう感じた。飛ばされた荷を急いで拾い、リュックに押し込んだ。安息の地にはまだそぐわない。資格が足りない。大急ぎで上着を一枚着込んで、直ぐに荷を背負って、踵を返す。
 最後に深々と一礼をした。

 どうもありがとうございました。

 日暮れに間に合うか。大丈夫だ、何の問題もない。だけど油断は禁物だ。私はそう戒めながら、山道を駆け下りている。飛ぶように行きながら、今見た光景の、意味を考え始めている。
 山頂のテーブルと椅子。展望もなく。ああ、青い青い、杉があったな。そう背の高くない、まるで若木のような。あれは檜だったか。確かにあった。それから山頂を示す標識に。それだけだ。テーブルの上には、案内文。別の方向から登ってきた人々が、道の消えたルートに行かないように、
 「世附ハイキングコースは登山道通行止め。台風の大雨で吊り橋が流出し・・・」
 という親切な置手紙。濡れてもいいようにパウチして、立札ではなく、まるで手紙のようにテーブルの上に置かれていた・・・


 誰もいないテーブルと椅子。危険な道に行かないように示す手紙。
 家族のためのテーブルと椅子。誰もいない、テーブルと椅子。

 ふと私の脳裏に、そこに集う仲間たちの姿が浮かんで来た。
 駆け下りながら、ふと浮かんでしまったら、もうだめだった。熱いものが一気に込み上げて、私はすべての意味を察した。答えを知ったように思った。
 これが、彼が私に見せたかったものなのか。
 あああ。そうか。衝撃を走らせて、私は今日の旅路の意味を頭から思い出し、再構築していく。そうだったのか。だから何度も道が消えたのか。だから何度も迂回しなければならなかったのか。だから谷間を行くようであったか。すべては私なりの解釈で、私なりの意味付けでしかなく、だけど、それが私の答えだった。
 一瞬私は、最初に来た銀河鉄道のバスの愛しさを思い返した。もしも、それが家族や仲間を意味するだけのテーブルと椅子ならば、私は彼らと行っても良かったのだ。でも、そうじゃない。あれは、それだけを意味するものではない。だから、「誰もいない」仲間のテーブルなのだった。
 まるでライ麦畑の捕まえ手のような案内文。置手紙に、途切れた道。
 私の頭に浮かんだ、仲間たちが集う光景は、いつか私がベンチの夢想で迷いを生じさせる原因となったように、懐かしかった。過去のように、懐かしかった。そして、未来への遙かな夢のようであった。

 完全なる幸福の絵。
 それは過去のようであり、未来のようであり。
 そして、私の愛しい者が奏でる歌のようでもあった。


 ああ、そうだ。これを見に来たのだ。
 私は彼の後を追って、ここまで来たのだ。
 私も、この光景を一人でも多くの者に見せてあげたい。私の谷の起源は、すべての終着点はそれなんだ・・・
 私は馬鹿のように泣いていた。泣きじゃくりながら、答えを受け入れていた。
 私だけのきっと答えではない。これはこの国の、すべての者の答えでもあるはずだった。
 あの頂の、椅子とベンチの。そこに人はいない。バスで出会う者たちは誰もいない。だけど、家族のために、仲間のために作られた場所であり。楽しそうに語り合っている絵がまざまざと想像できるのものであった。あそこに腰かけるものは、集うものは誰なのか。いつの時代の誰であるのか。ああ、そうだ。一人でも多くの者に、この歌を聞かせてあげたい。この絵を見せてあげたい・・・
 「ぼくたち、どこまでも一緒に行こうね」
 多くの道連れと、共にあそこへ行くのだ・・・


 私はまた杉の花を踏みながら行く。
 山に向かって、語りかけている。あの山頂の光景を、私以外のたくさんの人にも見せてあげてね。
 だけど、それは難しいと心の中で思っているのだ。
 この山は、少なくともこの山北側のルートはもう時間の問題ではないか。
 台風被害の支援金を政府が出したとあとで知った。が、それは農家の復興にほとんどが回されるものだという。この不要の杉の眠る山道を、誰が直すと言うのか。多くのお金を出して、整備する価値があるのだと、誰が言ってくれるだろうか。
 私は山に、雄花に別れを告げる。
 「もしかしたら、これが最後かもしれないね」

 最初で、最後の、出逢いであるかもしれないと。一抹の寂しさを抱えながら、目に焼き付ける。
 心に焼き付ける。さようなら。不老山。

 私たちは二人ではなかったね。そうして、愛しい者に語りかけながら。
 この山がくれた贈り物。山頂の絵を、谷の果てに人々が集う絵を、思い描いている。






 願わくは、あの道なき道に、多くの者が踏み跡を残してくれることを・・


 

『花粉症になりたい!』  ~不老山登山記その④~

    
 
 


 多分、彼なら、その本を何度も読んだことだろう。
 私は本屋でちらりと見ただけで、その内容の世界観を独自に築き上げただけであった。
 そんなことはよくあるのだ。想像力を無限に広がらせてくれる物事は良くある。
 彼はそうではない。彼は何でも知っている。正確に知っている。だから私の中で彼の解釈は絶対で、彼の考えることは、放つ言葉は、私にとってまるで神に近い。私の天の者。私の異星人。私のスーパースター。不可能を可能にする男。それが私の愛する者だ。
 しかし、そのことはとりあえず置いておいて、当時私が本屋で衝撃を受けた本のタイトルにはこうあった。
 「すべての男は消耗品である」
 村上龍のエッセイであった。私は彼の言葉が綴る性描写や彼の破滅的でナルシズムに溢れた思考に嫌悪感を抱き始めていたので、その本も購入することはなかった。しかし、その言葉は私の中に「逆転の発想」を与えて、ことあるごとによく思い出したものだった。
 当時私は男こそが女を支配し、女を消耗して生きている強者であると、その思いに苦しめられて生きていたのであった。そうじゃなかった。そうじゃなかった。
 私こそが、彼らを消耗して生きている。強かに生きている。

 もしも、私の愛する彼が、神でも、宇宙人でも、スーパースターでもなかったら。もしも、生身のひとりの人間であったら。いつしか私は彼の超人ぶりに驚かされて、不可能を可能にするのは当然のことのように思っていた。彼なら何の苦も無く、当たり前に出来ることなのだろうと。しかしもしもそうではなかったら。

 村上龍のタイトルは奇を衒ったわけではなかったと思う。決して。当時私は彼の中の、消耗品としての存在に、ずいぶんな哀しみを見つけたものであった。私を支配し、翻弄する男たちや世界に対して、感じたように。私が「何も生み出さないもの」に対して、感じたように。
 衝撃的であった分、その哀しみは私よりも深く、感じられたものであった。
 不老山登山で、なぜ、そんなことを思い出したかといえば、杉の雄花のせいであった。



 不老山は杉だらけだった。植林された杉林がどこまでも続いていた。
 杉と檜だとガイドブックには書かれていた。檜の青い落ち葉も何度も目にした。しかし、私にはすべてが杉に見えてしまったのである。理由は杉床だ。
 よく山道に敷き詰められた笹の葉を称して、「笹床」と言うが、まさに不老山は「杉床」であった。そんな言葉があるならば。驚き、呆れる程の杉の葉が敷き詰められていた。そして、それはすべて茶色く変質をして、杉の雄花に見えたのであった。実際花が付いていたかは怪しい。(私は帰宅してから雄花の写真をずいぶんと調べたが結局確信が持てなかった)しかし、確かに、私が足を踏むたびに、山道には黄色い花粉が舞った。ふわりと。まだ生きている証を見せつけるように。
 私は何度もくしゃみをして、鼻水を拭ったものだ。これはついに発病するかもしれないぞ。そう思ったものである。花粉症は、ある年突然発病すると言う。その個体が許容出来る量を超えて、杉花粉が体に入ると、ダメだと言う。今日こそがその日ではないかと疑うほどの、不老山には雄花が確かにあったのだ。私は彼を踏みながら、地図読みを誤り、長く、長く感じられる杉林の道を延々と歩いた。
 
 この雄花はすべてが消耗品に感じられた。
 花を付けながら、雌花にたどり着く前にこの山の地で朽ちている。もしかしたら、これだけの杉床だ。自然に落ちたものではなくて、花粉が飛ばないように切り落とされたものかもしれなかった。林業が廃れた今、それだけの金や労力を里山にかけられるものか疑問ではあったが、そう考えないと符合しないほどの異常な量だ。当然雄花だけではない。隣には雌花もあることはある。あるが比ではないのだ。
 これだけの雄花が倒れている。何も生み出さず、不必要のものとされて、私に今、踏みつけられている。そしてその道を延々と行く私。

 私は不老山を登りながら、この山を登れば、自身の答えが見つかるような思いがしていた。
 しかし、この大量の杉を目にして、次第に考えが変わっていった。
 この杉の山は私の問題だけの象徴とは思えなかったのである。
 まるで、現代の暗示と化して、今の日本の姿を見るように、私には映ってきたのだった。

 背の高い、天まで見上げなければ青葉の見えない、大きな杉の木。生長した植林たち。
 しかしその葉は、種は役に立たず、実にならず、空を舞うことも出来ずに、果てている。

 この思いに輪をかけたのが台風の被害であった。
 昨年9月の台風によって、登山道の吊り橋が落ちたことは先に書いた。それだけではなくて、登山道の山の斜面もずいぶんと切り崩され、黒い山肌が露わになっていたのであった。(雄花の犯人も台風なのか・・)
 杉は谷底へ向かって雪崩れるように倒れ、ところどころ道が切れている。
 私は道を探しながら歩いた。突然目の前の道がぱっくりと切れて、谷底へ続く土砂となっているのである。迂回して、杉林を這って山の上まで進み、しかしそれでも道は今にも足元が崩れそうなほど土は柔らかく、私の足を地に沈ませる。そうしながら、杉の木を掴みながらまた這い、薙ぎ倒された木々を超え、失われた道を超えて、残された元の道へとたどり着く。こんな台風の被害で崩壊した地点に出会うと私はそれを「第〇関門」と名付けた。第一関門突破、第二関門突破、第三関門突破・・・






 RAN寛平RAN・・・
 走り続けて、失われた道をまた見つけた。以前なら不可能だったことを可能にした。ずいぶんと私は逞しくなった。不老山を登る前にそう自画自賛したことが、すべて根拠のない自惚れであった、と打ちのめされる思いだった。
 道は何度も何度もまた失われる。道なき道を行く。足を沈めながら、恐る恐る誰かのトレースを探している。不可能を可能にする男。彼のように。私のスーパースター、愛する者のように、台風の被害の後も、それでもこの山を行くものはあったのだ。柔らかいむき出しの黒土には、ところどころに人の足形が残っていた。私はそれを見つけると小躍りしたいくらい嬉しくなった。なるほど、ここで、こう足を置いたのか、この先は、この位置ね。こっちじゃない、こっちにある。確認しながら、自分の足をその足型の上に重ねている。
 いつしか、私は愛しい者を追っているような思いさえしてきたものだ・・・

 この崩壊しかけた不老山を登ったら、そこには何があるのだろうか。日本の未来と、私の未来がそこに見つけられるだろうか。私の興味はその一点にかかっていた。時刻はすでに午後の1時を回っていた。
 地図読みをまた失敗したらしく、山頂まであと15分弱、と思っていた矢先に、まだ1キロ以上の行程が残されている地点(地図上の地形が変わるので、ここに立った時ははっきりと現在地がわかった)に遭遇した時は、げんなりしたものだ・・ これでは山頂に着くのは2時近くにはなりそうである。日没は何時だっただろうか、通り越した関門をまたすべて超えて帰るのだと思うと、ますます自信が失われていく。
 引き戻してしまいたい思いを堪えて、私は山頂へとひたすら足を運ぶのだった。
 杉の雄花を踏みつけて、踏みつけて。踏みつけて。



 哀しくなったのは、全てを成し遂げた後の帰り道だった。
 私は雄花に語りかけたものであった。
 
 「私を花粉症にしていいんだよ」

 そう言わなければ、いや、そう言ってさえ、彼らは遠慮して、私に花粉を与えないように気を使いそうに思えてしまう。
 雌花を目指して、彼女のためだけに、大量の花を着けながら、飛ばすことなく朽ちている雄花が、私にはまるで健気に感じられて来たのであった。
 彼の決死の覚悟も、彼の労力も、彼の意志そのものが、なんとたくさん、消耗されてきたことであろう。
 私は彼を踏み続けて、自分の道を行き、無事頂(いただき)にたどり着き、こうして、安堵の帰り道を行けることに、礼や詫びの情を感じていた。
 もしも、私がこの日を持って、発病するならば。私は今日この日に、彼らの種を、体の許容量以上に受けたことになる。彼らの生きた跡を自分の中に残すことが、まるで彼らに対しての供養であるかのように、自分に対しての務めであるかのように思われてくる。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
 私を花粉症にしていいんだよ。私は優しく言葉をかけながら、彼らの雄花を軽く、叩くように踏んだ。
 花粉がぱっと飛び散る様が、光に透けて映し出された。

 
 もしも、愛しい者が、スーパーマンでも、異星人でも、神でもないとしたならば。
 
 「すべての男は消耗品である」

 決して実を成さない育成しすぎた杉。崩壊した道。道なき道。まるで現代の日本のような、杉林が続く不老山。雄花。雄花。雄花。


 まるで忍びこむように彼の痛みが感じられて、彼のように哀しくなって。
 祈るように、私は今、彼の跡を体に刻むことを欲していた。




 

 
 
 

『フローサンの頂に答えがある』  ~不老山登山記その③~

 



 「不老山、2時間40分」

 ハイキングコースの入り口に標識を見つけた。
 不思議なことに、それが最後だ。その後の標識には、一切、時間と距離が書かれていなかった。
 (通常のハイキングコースには、〇〇山頂まで2.5Kmとか、2時間とか。大抵は書かれているものである)
 山道で何度も出くわす標識。目的地の方角だけを示す標識。おかげで私は、何度もこの名前をまざまざと見つめたものだ。残りの距離や時間を気にせずに、名前だけを気にしていた。不老山。

 ガイドブックにはこう書いてあった。
 「不老山という山名は、何やら漢文にでも出てきそうな名だが由来がはっきりしない。『フロウ』とはこの地方で斜面の中間の平地で、特に広い場所を指すのだそうだ。そういわれてみれるとそんな気がしないでもない」
 なぜ、「ふろうやま」を「フロウサン」と教えてくれた測量士の言葉に不思議な響きを感じたのか。
 なぜ、何度も「不老山」を見つけるたびに、私はこの山の名前のことを考えたのか。
 多分、ガイドブックの「そういわれればそんな気がしないでもない」という不思議な解説が頭の隅にあったのだろう。読んだときにはわからなかったが、確かに「フロウ」とカタカナで頭に入ってくると、何度も文字を度も見つめていると、「斜面の中間の平地の広いところ」という意味が見えてくるようだった。
 フロー。フロウ。フロア。
 私は山の名前にこだわる方であった。


 地図読みにはまっている私である。不老山の2万5千分の1の地図を広げて、先読みをしている。
 登山コースは、尾根沿いの単調な、しかし意外と傾斜のきつい登りが続く。300M程標高を登った時点で沢に出くわす。そのまま沢沿いの道を行き、50M程で尾根に戻る。尾根を250M登ってトラバースに入る。等高線で地形を頭に入れて進む。が、この途中の沢が今は堰き止められたのだろう、枯れていて、ぱっくりと鋭い谷を表していたのであった。ぎょっとした。
 滑りそうな傾斜、後で思った多分これも吊り橋を落とした台風の時にやられたものだろう、登山道が極端に崩れていて、横ばいに斜面を進んでいく。で、すぐ下は谷底なのである。その恐ろしいこと。
 たとえ水がなくても、谷はやはり怖い。
 私は沢が苦手である。こっちの理由はトンネルのように生理的ではなく、はっきりとカナヅチだからだ。水が怖い。それから、沢は必ず深くえぐれた谷になっていて、歩きにくい。禍々しい。
 まるで光と影のように、尾根と谷は裏表一体であり、そして、尾根が本道ならば、沢は裏道という印象である。大昔は違ったそうだ。谷沿いの道を行く、沢に沿って稜線まで詰めあげることこそが登山の本道であったそうだ。
 尾根を切り開いて道を作るのは大変であった。しかし、それさえ叶えば、足場の悪い沢を行ったり、稜線の真下から(ツメまで)急斜面を駆け上がる芸当はしなくても良くなった。
 尾根は人の叡智の象徴のような存在でもある。登りやすいし、歩きやすい。
 沢にまつわる禍々しさは、私の抱える問題にも重なって映る。
 私の幸福の象徴が尾根だとしたならば、不幸の源泉が沢といった具合に。それらは裏表一体で私を形成しているようにも感じている。
 そして、沢の枯渇した不老山。私はこの沢沿いの登山道を通して、何かしらの答えを見つけられるかと予感していたが、どうやら叶いそうもなさそうだった。沢は深い鋭角な谷間を私に見せつけて、その空恐ろしさに余計、私を震え上がらせただけだった。
 それでも沢の流れの音だけは聞こえてくるのだ。堰き止められたおかげで別の支沢を流れているのだろう、姿は見えぬが、植林された杉や檜の向こうから、水の音だけが涼しげに飛び込んでくるのだった。
 初めに、沢沿いの道を覚悟していたせいだろう。一度も沢には遭遇しなかったというのに、私は不老山を沢登りが本来の姿である、沢が織りなす山のように感じている。
 そして、沢道と沢道が出くわす峠であるように感じている。
 峠。切戸。キレット。鞍部。乗越。すべて、「コル」のことを言う。
 沢はピークとコルに突き上げる。
 沢の始まりは、必ずピークか、コルなのである。
 そして、この私の思いと、何度も目にした「不老山」の名前がぴたりと重なった。
 フロー。フロウ。フロア。
 
 ふと、「斜面の中間」というそのイメージが、私にはコルに思えたのであった。山を越えるために、沢と沢を繋ぐ道、イコール峠を行くことの、その峠のように。
 もともとは、周りの山よりも小さくて、稜線上のコル(峠)という捉え方から呼ばれたものではないか。どうもそう思えて来てならない。
 尾根道よりも沢道の盛んな山であった。だから地元の人がそう名付けたのではないか、などと考え始めているのであった。
 そうすると、この山はすべての沢の突き上げるところだということになる。沢は必ず、ピークかコルに突き上げる。

 不老山。周りの沢のすべての源流であり、すべての到達点であるところ。尾根の頂であり、稜線上のコルであり、谷道が通じる峠であるところ。
 禍々しい谷間を、沢を飲み込む不老山を夢想して、私はまた期待しているのだった。
 今の私の答えはやはりここにある。もはや、あるはずだ、ここで必ず見つけられるだろうという、それは願望から確信に変わりつつあった。
  
 不老山の標識は最後一箇所を除いて、すべて。名前だけしか書かれていなかった。初めと、もう言っただろうか。初めのひとつと、それから最後のひとつ。山頂まで15分。カウントダウンを告げる、最後の標識。それがゴーサインだった。
 私は登山道を一気に駆け上った。
 その道は、尾根であるのに、かつて沢道であったかのようにえぐれていた。
 そして私は実際その通りなのだろうと信じている。
 まるで、沢を詰めるように駆け登って行った。


 
 
 

『トンネルなんて怖くない!!』  ~不老山登山記その②~

  
 

 私はトンネルが嫌いだ。
 理由は怖いからだ。暗いからとか、狭いからだろうか。しかし、暗所恐怖症・閉所恐怖症というわけでもなし、トンネルだけが嫌なのだ。こればかりは多分生理的なものだと思う。
 山を切り開いて道を作ろう、と考えた人は確かに偉大に違いない。
 が、私にとっては大きなお世話だとしか思えなかった。大昔のように、山の峠を行けばいい。
 トンネルを行きたくないばかりに、隣の山を登って、下りようかと真剣に考えたこともある。
 あの暗い道を歩くくらいならば、遠回りだろうが、険しかろうが、迂回した方がまったくマシだ。
 今回の旅でも一番ネックになったのは、目的地へ行くためのトンネルであった。

 300M程の長いものが一つ、その先には二つ、地図を見る限りはっきりと描いてあった。
 げんなりした。なぜ、もっと早く見つけなかったのだ。注意深く見ればすぐにわかったはずなのに。よほどやめて他の山にしようと思った。だけど、隣の山を登ったほうがマシと考えた時と同様に、コースを変えるのには結構な準備がいる。残念ながら、昨夜残業を終えて帰って来た私には、その労力に費やす時間も忍耐力も残っていなかった。
 トンネル恐怖症を克服するいい機会になるかもしれぬ、今回の旅のお題にもしよう、(毎回何かしらのお題を作る私の旅であった)そう考えて決行した。念のため、懐中電灯を持参する。
 地図によると、3M~5.5Mの道のトンネルなので、二車線はあるだろう。中に電灯もついているだろう、と想像したが、時々遭遇するあの山の真っ暗なトンネルであった場合、とてもじゃないが終いまで歩けない。ラジカセも持参したかったが、こちらは最悪の場合、携帯で音楽を鳴らそうと決め込んだ。
 夫婦の連れができるとは、そして彼らが消えて、放心状態のうち独り歩く羽目になるとは、想像もしていなかった。


 1時間歩いて、また1時間かけて道を戻る。スタート地点のバス停に着くころには2時間浪費していることになる。不老山の山頂まで行けるだろうか。
 私はとりあえず、バスに乗って、帰りのルートのバス停に行こうと考えていた。バス停にして7つ先だ。不老山登山コースは行きと帰りと道が異なる。ぐるり山を周って辿りつく帰りのバス停をスタート地点にして、山頂に行こう。それしか術はなかった。
 諦める、という選択肢もあった。これだけ時間を浪費した。食糧も持っていない。あまりにも山をなめているようにも思われた。問題はバスだ。富士急は1時間おきに、最悪の場合2時間は待たないと次のバスが来ない。もしも、11時半までにスタート地点のバス停にたどり着けなかったら諦めようと決める。
 そんな矢先に、また夫婦連れが現れたのだった。

 最初の彼らではなかった。違う様相の、これからあの通行止めの道へと向かう夫婦連れだ。
 私は彼らが台風で道が消えたことを知っているだろうかと心配になった。教えてあげるのが親切というものだ。
 「すみません、フロウサンに行かれますか?」
 「はい?何ですか」
 夫人に話しかけると、夫の方が詰問するように返してくる。
 「フロウサンに行かれますか?」ならば・・と言いかけると。
 「違います。・・・椿丸という山です」
 私は、なら大丈夫です、とか何とかごちゃごちゃ呟いて、笑みを張り付かせたまま撤退する。
 「フロウサンだって・・」夫婦の話し声が聞こえた。
 あの台風で道が消えた山だよ。知らずに行って、戻ってきたんだよ。間抜けだな。
 まるでそう続けているようで、私は顔が真っ赤になるほど恥ずかしかった。
 誰も私と同じ目的地のものなどいない。そんなところは行けない、と皆わかっている。知らないのは私一人だ。椿丸だと。そんな山があの道の先にあったのか。最初の消えた夫婦連れもそこへ行ったに違いない。私だけが知らなかった。私だけが、不思議な発音のフロウサンにこだわって、来た道を戻っているのだ。間抜けだ。間抜けだ。間抜けだ。ああ、間抜けだ。

 間抜けに輪をかけて、バス停に戻ると、バスは10分前に出たばかりであった。次は1時間後だ。
 私はとりあえず、休憩した。バス停に座り込んで、ああ、足が欲しい、とため息をついていた時、ふと思った。あれを使おうか。
 あれとは、正真正銘私の足のことであった。
 先日、恒例のジョギングをした際に、私は自分の足のことを、まるで車とか、バイクとか、自転車のような、「足」に乗っているように感じたものだった。これがあれば、どこまでも行ける、と。まるで自身に備わっているものとしての力を超えた、より力強いものをそこに認めたものだった。
 走れば、直ぐにたどり着けるかもしれない。
 私は立ち上がった。走りやすく荷をまとめて、「足」に乗った。
 コツは足を高く上げすぎないこと。力まないこと。間寛平のように、引きずるように走ること。丹沢湖のバス停を目指した。永歳橋を渡り、湖畔を横切ると今度は神縄を。私はバス停の道しか知らなかった。そのまま行くと遠回りになる。ふと、神尾田隊道というトンネルを通りすぎた。もしかしてこのトンネルを抜ければショートカットではないか?私は足を止めて、地図を見る。ビンゴ。ここを行けば、3つ先が目的地のバス停だ。断然近いではないか。
 私はトラックに紛れて、二車線のトンネルに飛び込んだ。
 怖いと思う余裕もなかった。頭の中では『RAN寛平RAN』が鳴り響いていた。
 一刻でも早く着かなければ、山頂にたどり着けない。日暮れまでに山頂から戻れない。
 
 途方に暮れて、一人バス停を戻っている時、私は『YELL』を口ずさんでいた。
 さよならは悲しい言葉じゃない・・ 約束したんだ・・

 そして、今度のトンネルではRAN寛平RAN・・・
 エンドレスにそのフレーズを頭の中で繰り返していた。

 トンネルを抜けた時、地図通りの地形が見えた。
 坂道を下ると、ロードバイクが前からやってくる。連なった彼らは、私と入れ違いに、風を切って通り過ぎて行く。道の先に淡い桜色の花が見えた。桜かと思わず見間違う、仄かに染まった白梅だった。
 RAN寛平RAN・・・RAN寛平RAN・・・
 バス停が一つ過ぎ、二つ過ぎ。不老山ハイキングコース入口(出口)のバス停に着いた。
 時計を見る。11時15分。間に合った。

 汗をかいていた。このまま山を登ると冷えるな、と一瞬頭をよぎったが、どうでもいいと思った。冷えぬ前に山を下りればいい。どうやら山頂に行くことと、そこから帰ってくることが現実味を帯びていた。というより、完全に出来そうだった。消えた道をまた見つけたのだ。
 あれだけ恥かしい思いをした私であった。道が消えるなどというトラブルも初めてであった。
 以前ならば、へこんで、落ち込んで、そのまま帰宅して寝込んだことであろう。
 だけど、また道を見つけることができた。
 先ほどあれだけ、椿丸へ向かう人々と比べて、自分を卑下したものだったが、今では頼もしく感じていた。
 そうだ。頼もしくなったものだ。以前よりも、簡単には諦めない精神力と、それを実現する「足」と「地図(知識)」という武器を得た。
 ずいぶん前とは変わったものだ。
 私は自画自賛だな、と可笑しく思いながら、自分を褒め称えたい気持ちで一杯だった。そして、私を鍛えてくれた愛しい者に感謝したい思いに満たされた。
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。ねぇ、聞いてよ。お題もね、クリアできたんだよ・・
 もうトンネルなんて怖くない。

 あとは、残された旅の行程で、今の迷いの答えを見つけるだけだった。
 





 
 
 
 
 
 
 

2011年2月26日

『途切れた銀河鉄道の夜』 ~不老山登山記その①~

 
  
  

  『銀河鉄道の夜』を思い出したのだと思う。
  恐らく。宮沢賢治の書いた、あの、
「ぼくたち、どこまでも、一緒に行こうね」
  と言っていた少年の一人が、列車を降りることになったあの物語の。

  バスの中は暖かかった。乗客たちは皆楽しそうで、気持ちが良かった。
  このままずっと一緒に乗っていたくなり、私はよほど、終着点の西丹沢自然教室まで行ってしまおうかと考えた。
  途中のバス停で、一人、また一人、男たちが降りていく。
  彼らは一様に、くたびれた顔つきをして、大きなリュックを背負っていた。
  そろそろ降車を告げるボタンを押す時が近づいて、私はずいぶん悲しい気持ちになったものだ。
  あの孤独な男たちと、私は同じ一人なのだ。しかも、それなのに、彼らほどに登山の上級者風でもないし、装備もたかが知れていた。
  私の目的地は、このバスの乗客たちとは違う。それが私の旅なのだ。
  仕方がない、と言い聞かせて、ボタンを押した。二人掛けの椅子の、通路側に座っていた女性が、直ぐに腰を浮かした。「バスが止まってから席をお立ち下さい」というアナウンスも無視してのその行動に、私も即座に反応して、礼を言いながら席を立つ。ポールにつかまり、よろけながら通路を進むと、立っていた者たちは、皆避けて道を開けてくれる。申し訳ない気持ちと同時に、まるで追い出されるような寂しさを感じて、私の感傷はまた深くなった。

  バスはなかなか発車しなかった。
  100mは歩いただろうか、バス停を戻るようにトンネルへと向かう道すがら、振り向くとまだバス停にとまっていた。まさかガソリンが切れたか、事件でも起きたか、あまり経験したことがないので不思議に思って見ていると、夫婦連れがそろりと降りてきた。
  アナウンス通りにバスが止まってから席を立ったのだろう。彼らの喋り声が聞こえる。このバス停で降りたのは私一人ではなかった。そして、これから通る道、私の大嫌いなトンネル(しかも300M はありそうな長いもの)を彼らも一緒に行くのか、と思うと、私はほっと安堵した。
  どうか途中の道に反れないでくれ。
  長いトンネルに入っていくと、幸い、まだ話し声は続いていて、その内容は聞き取れないながらも、後ろからずっと人の気配が絶えることはなかった。
  天の助けだ。
  昨日からこのトンネルのことを私はどれだけ苦にしていたことだろう。それさえクリアできれば、今日の山など大したものではなかった。すぐに帰れる小さな山であった。
  午前中にサクッと登り、午後早々に帰ろうと、私はお弁当さえ用意していなかった。僅かなチョコレートと、ビスケット。それだけ。それで十分だろうと感じていた。
  丹沢湖沿いを真っ直ぐに進む。青い湖畔の水面には光が煌めいていた。星が瞬くように、繊細な点滅を繰り返すその光があまりにも美しくて、私は見入った。一人バスを降りる時に感じたあの哀しみが急速に失われていく。湖畔の向こうの山脈からは、雪を纏った富士の頂きが見渡せた。

  悪くない、私の道もまんざら悪くない。天気は最高に良かった。トンネルの連れも出来た。この先、あと二つ続くトンネルが、しかしまるで心配の要らぬ小さなものだと知ると、私は油断をして、彼らから離れてしまった。写真を撮ることに没頭し始めた。
  そして、また一人になった時、それは起こったのである。

  湖畔沿いから、続く世附川沿いの道を1時間と少しも歩けば、つり橋を渡って登山道にたどり着くはずであった。
  ところが、道が突然途切れた。河川沿いの民家の前の道が土砂崩れをし、谷に向かって流れていた。眼下10M程で、作業着を着た男たちがうろついていた。私は何が起こったか理解できず、あたりを見回して、迂回する道を探している。これは、あの年度末の下水道の工事のようなものだ。仕組まれた作業であり、当然どこかに道が続くはずだと信じている。
  しかし、どう見回しても道は怪しかった。集落の先を見通しても、河川沿いの道にたどり着きそうな感じではない。
  茫然と工事現場と化した河原を見下ろして佇む。ふと後ろに測量をしている男性を見つけて、声をかけた。
「すみません、ここ通れますか」工事現場の河川沿いを歩こうと思ったようである。
「いや、行けないことはないけど、どこへ行くの?」
「ふろうやまです」
「え?」
「・・、吊り橋を渡りたくて」
「ああ、フロウサンに行くあの吊り橋」
  フロウサンという発音が耳に残った。私はふろうやまと思い込んでいたが、音で読むようであった。が、それだけではなくて、不思議と別物のように響く。不老山。フロウ・サン。
「あの吊り橋なら、台風でなくなったよ」
  だけど、男はそう言ったのだ。
  私が理解できず、または言葉の響きを思って呆けているうちに、あっさりと言い放った。
  私の道は、私が目的地に行く道は、消えたのだと。
「前に夫婦連れの方が来たはずなんですが、見ませんでした?」
  真っ先に聞いたのはそのことだった。「彼らも行かなかったのだろうか・・」
一本道だ。引き戻した彼らを私はでも見ていない。
「さぁ・・・ 行けないことはないかもしれないけれど、危ないからね。女性だし。やめておいた方がいいんじゃないかな」
  測量士の男は遠慮がちにそう諭してくれるのだ。「あそこに、登山コースがなくなったと書いてある看板があるから、見てみるといいよ」後ろの白い板を指さしている。
「ありがとうございました。見てみます」
  礼を言って去った後、「世附登山コースは台風の被害のため、通行止めです」という文字を見ながら、私はまだ茫然としてる。何が起こったのかまるで理解が出来ていない。
  何度も道に迷って生きてきた。週末の写真旅行は、そのたびに、私の悩みに一つの答えを提示してくれるのが習わしであった。
  私は自分のその時々の悩みを、その旅行先の道の迷いに置き換えて、夢想しながら歩いたものだ。
  無事目的地にたどり着けて、満足のいく写真を撮れた時、いやたとえそうではなくても、誰かと出会い、何かの啓示を授かることもあった。そんな時、私は、自分の心の迷いの答えをも同時に見出すのであった。ああ、そうだったのかと。それが答えだと。
  ところが、道に迷う人生を繰り返していた私だって、これはなかった。道が、消えるなどと言うことはなかった。

  さすがに私は焦った。さて、どうしたものか。
  1時間以上歩いてきた、一本道を引き返しながら、間抜けにも、あのバス停に向けて、長いトンネルに向けて引き返しながら、私は何度も後ろを振り返った。
  最初に一緒にバス停を下りた夫婦連れが、姿を現すのではないか、と期待したのであった。
  道を失ったのは私一人ではないと。彼らと私の目的地は一緒だったのだと。
  そう思いたくて、何度振り向いても。そこには青い空と、山脈と、美しい湖畔。それらを背景にした道がただ続いているだけであった。誰もいない、誰も歩いていない道。

『銀河鉄道の夜』を夢想したあの哀しみが、また甦ってくる。
  天へと続く列車から放り出されたのは、やはり。
  私一人であった。






2011年2月20日

「子ども手当」予算関連法案を通す意味を問う。

  
    


 子ども手当について考えている。
 

 NHKのドラマ10、「幸福のレピシ」を見た。
 主人公の「百合子」(和久井映見)は、結婚して10年以上経っても、子供ができない。
 諦めずに不妊治療を続けいてたが、40歳を目前にして、そろそろ潮時だと観念した。生まない覚悟を決めるのだった。
 夫・浩之(宅間考行)や彼の母親に優しく接して、彼らの為に生きていこうと決意する百合子。子供が持てない哀しみを耐え、彼らへの愛から希望を見出そうとする。

 そんな矢先に、旦那の不倫が発覚した。

 浩之は百合子が義母の介護に追われていた間に、愛人を作っていた。愛人には前夫の子供と、そしてお腹の中には浩之の子供がいる。

 もうこの家に私の居場所はない。
 打ちのめされる百合子。

 彼女は、義母の介護を放棄して、実家へと向かっていく。
 奇しくも、そこは四十九日の真っ最中であった。実の母、いや、こちらも父親の後妻である義母の「乙美」(風吹ジュン)が先日亡くなったばかりなのだ。
 父親と、百合子と、乙美が生前に「四十九日の間の家の世話」を頼んでいた元非行少女・幸恵(徳永エリ)との、奇妙な共同生活が始まった・・






☆  ☆  ☆  ☆



 身につまされたのは、子供が持てない主人公が、子供を身籠った愛人に夫を奪われるくだりである。
 こんなことは、私の人生によくあった。
 本人の意志や努力とは関係のないところで、勝負が決まる、という意味においてだ。
 それは、「家柄」だったり、「お金」だったり、「学歴」だったり、ごく若いころにおいては「美貌」だったりもした。
 世間や、社会秩序が、重きを置く価値基準だけはどうしようもない。
 自分の力では変えられようもない。
 たとえ子供が持てなくても、夫や義理の母親の介護に尽くし、人々に優しく生きていこうと決意した百合子が痛々しく思えた。
 それでも、希望は無に帰すのである。
 絶望の淵から、藁をもすがる思いで這い上がろうと努めても、それでも、どうにもならない時はあるのだった。







 私が民主党の子ども手当を批判するのは、この「どうにもならない」価値基準を増長するものだからだ。
 少子高齢化の時代である。子供を持つものに重きを置かれることは当然だ。国民全体で、子供を育てていこう、という考え方にも同調できる。 

 しかし、扶養控除の廃止、所得税と24年度からの住民税の控除の廃止を思えば、給付が増えるのは微々たる額だろう。
 恒久財源確保のために、民主党は、配偶者控除の見直しも検討している。
 つまり、控除から手当てになっただけで、ほとんど受け取る額は変わらないということだ。それどころか月々の税金が増して、給与の手取りも減ることから、ローンの支払いなどやりくりが大変に感じられることもあると聞いた。
 配偶者控除もなくなれば、逆に税金の方が増える家庭もあるだろう。
 国民全体で子供を育てようが聞いて呆れる。
 と言うことは、控除分のお金をそっくり、手当に回すだけで、ことさら子供を持つ家庭に優しい政策と言うわけでもないではないか。

  
 ならばなぜ、「控除」から「手当」か。

 実質的には今までと変わらない政策に、「子育て」を国が支持する、と言うような、今まで以上の価値の置かれ方はどうだ。


 所得の再分配である控除ではないゆえに、これは明らかに「特権」を与えるものだと私は思う。
 控除ならばまだ、頑張ったものが報われる、という原理は存在するとしても。
 手当は、子供を持つものならば、誰でも、たとえ外国人であろうと、誰でもが、子供を産んでいれば無条件で、国からの「特権」を与えられるという意味に他ならない。
  
 その陰で、多くの子供を産めない「百合子」はどうなるのだろう。
 結婚できない女性に、男性に。現実の女性よりも仮想世界の女性が好きな人々は。ゲイや、性同一性障害の人々は。
 中には、失業に、低所得、介護に追われて、結婚も出産もできない人もいるだろう。
 
  
 産めや、育てよ、という新興国であるならば、その意味はまだ理解できる。単純に子供を多く生んだものが偉い。出産至上主義。

 だが、長引く不況に、ライフスタイルの多様化が進んでいる日本で、子供を産めない、持てない人々が増加している今の日本の中での、この特権は明かに、「どうにもならない」絶望を拡大させる。
 もしくは、子供を持つことを後押しする政策というよりは、子供を持てるものと持てないものとの格差を生み出して、まるで国の未来の為ならば、持てるものを移植することも惜しまないと言っているようにも映るではないか。
 努力を否定する価値基準の増長と、弱肉強食の社会の増長。
 日本の未来は、いったい誰によって作られるのか。
 






 「幸せのレシピ」の第一話で、主人公百合子は義母の介護を放棄する。
 そのことで、夫の姉妹たちから苦情の電話が来る。
 「ヘルパーさんを雇わないといけない。そちらの家の都合で高い金額がかかるのだから、経済的に負担してほしい」

 何とも現代を風刺しているように思えてならない。
 男(夫・浩之)は親を介抱する妻よりも、子供を産む女を選ぶのだ。
 その陰で、老婆が、彼女に纏わる者たちが、いくら嘆こうとも、叫ぼうとも、もう流れは止められない。
 無償で愛を与えようとした存在は、永遠に失われてしまったのだ。


  



  
 

愛の賛歌。 ~新宿御苑の、座り人を待ち侘びるベンチについて~

 

 

 

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 突然木が見たくなって、新宿御苑に出かけてきた。
 お化けかつらやお化け鈴懸の木は元気だろうか。あの巨樹たち、あの欅や杉の木は。
 新宿御苑の休日は混んでいる。家族連れや恋人同士や仲間たちでにぎわっている。
 不思議なことに、なのに、誰もベンチに腰かけてはいないのだった。
 皆、柔らかな芝に腰を掛け、寝転んでいる。
 一組だけ、座っている二人連れを見た。秋葉原で見かけるような男同士だった。新宿御苑には、巨樹以上に数えきれないほどのベンチがある。まるで、10m間隔といっても過言でないほど、ある。なのに、唯一座っているのは男の連れだ。私は可笑しくなって笑った。


 つい、先日、写真投稿サイトで、ベンチの絵を見た。
 私は、ふと、感動に襲われて、胸が震えたものだった。
 それは過去の記憶のようでもあった。未来の夢のようでもあった。


 私と、今は居ぬ、ある男性とが、そのベンチにふたりで腰をかけている絵が、まざまざと浮かんできたのであった。

 たかが一枚の写真に似つかわしくない気持ちの高ぶりに、私はそれを不思議なことだと感じながら、決して不思議ではない、当たり前のことのようにも感じていた。
 今、私たちが共に同じ椅子に腰を掛けて、あの光り輝く木々たちを見つめている、二人で談笑している、それは現実なのだと感じていたのだった。

 ある意味で、その絵は、語らいは、現実なのだ。空想でも夢現でも過去でも未来でもない。
 彼はその現実を望んでおり、私も今望んでいた。二人の気持ちが同じ絵を見させているのだ、今この瞬間に。シンクロ二ティーと言うのだろうか。
 どこか懐かしく、どこか夢のような、重なり合う瞬間の想像としての現実。


 そのくせ、私たちは、今の人生の過去において、僅か一度さえも、二人でベンチに腰を掛けたことなどなかった。今の人生の未来において、決して、この先、二人で一緒にベンチで語り合うことなどないだろうと思われた。
 あのベンチは、誰も座らない。
 新宿御苑のベンチのように、ずっとずっと、誰も座らない椅子なのであった。
 あれほど飽きるほどあるというのに。
 僅か10m感覚で存在するというのに。
 座り人を待ちて。佇んでいる、あのベンチを。皆足早に通り過ぎていくだけだった。

 それでも、私の胸を震わせたこの喜びを、なんと表現したらよいだろうか。

 

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☆  ☆  ☆  ☆ 

 

 自民・大島副総裁 首相発言を「内向きのブラフ」 不信任案「慎重かつ重大に考えるべき」
  ※msn産経ニュース2月19日

 という記事を読んで驚かされた。
 記事にはこうある。


『平成23年度予算案の衆院採決については「小沢一郎民主党元代表の証人喚問をやった上でないと日程を決めるわけにはいかない」と述べ、小沢氏の証人喚問が実現しない限り応じられないとの考えを強調。首相退陣と引き換えに平成23年度予算関連法案に賛成する可能性について「はい、そうですかというわけにはいかない」と否定した。』

 小沢氏の証人喚問と引き換えでなければ、予算を通すことはできない。菅首相の首ではなくて、小沢氏の首をまるで求めているようである。表向きは。
 その後記事はこう続くのだ。

『これに先立ち、大島氏は同市内で講演し、民主党議員16人が会派離脱届を提出したことについて「もはや遠心分離器が動きだした。流れを逆流させるのは不可能に近い」と述べ、首相の退陣は避けられないとの見通しを示した。』

 野党第一党の自民党としては、あくまでも、予算案成立の条件として「小沢叩き」の尻馬に乗るのである。決して、菅首相の退陣は求めない。だが、本音はまったく違う。反菅派、小沢派の起こす風を「もう避けられない」という形で支持して、菅首相の首を求めているのである。

 私は記事の前半を読んでがっかりした。小沢の証人喚問、小沢氏の政治とカネの問題を交換条件にするとは何とも府がない野党ではないか。叩きやすいところしか叩かない。そこを突いておけば無難であり、「誰も困らない」。
 しかし、それこそは実は一番国民にとって、この国にとっては、「困る」ところなのだった。
 大島副総裁は建前で「交換条件」をだしているのだと、記事の後半を読んで知った時、私は思わずほっと胸をなでおろして、それからあっと驚く思いがしたものだ。
 

 本音と建前を使い分けなければならないほどに、「菅首相退陣」は表向きの条件に「できない」。彼の背景にある者が浮き彫りにされたような思いがした。
 なぜか今頃大騒ぎになっている鳩山元首相の存在。あの「方便発言」の本質と通じるところがある。菅首相が味方につけているものと、鳩山首相が敵に回したものは同一なのだ。
 対立軸がはっきりと見えたような思いがした。

 「方便で私は首になったのか」と社民党の福島瑞穂が怒っていたが、当たり前ではないか。この国では、「方便」で政治家が失脚もすれば、暗殺もされる。
 
一日前の菅首相の発言がまた人を食っている。
「首を替えたら賛成するとかしないとか、そういう古い政治に戻る気はさらさらありません」
 ※FNN 2月19日配信

 
 首を変えたら賛成するとかしないとか、そういう古い政治を要求して騒いでいたのは、当時の野党、つまり野党時代の自分たちであるはずだが、自分たちが与党になったら、それは赦さないと言う。
まぁ、それはいいとしても、私が思うところ、菅首相が今味方につけているものと、当時の与党自民党が味方につけていたものは、同一であると思われる。古い政治だの、さらさらない、などと新しいものぶって偉ぶる資格などないのではないか。しかも、それでも当時は、今よりは酷くはなかった。
 自民党与党時代は、米国(もしくはその裏のもの)にも官僚にも、もう少し日本の政治家特有のしたたかさを発揮して、イエス、イエスと言いながら欺いたり、のらくらとやり過ごして従わなかったり、従わせたりと、もう少し気概のある攻防を繰り広げていたように思われてならない。今や、コントロール不能、という状態に映る。動かぬ操縦桿を握ったまま、何も出来ずに乱気流に突っ込んでいく瀕死のパイロットのように見えるがいかがなものか。
 それは大島氏も、背景の存在や自分たちの過去を思えば、表だって菅政権の退陣が条件だとは言えないが、呆れ果てて、新しい風や政界再編を求めるはずだ。

 

☆  ☆   ☆  ☆  ☆

 

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 新宿御苑の続きである。
 鈴懸の木の前で私は立ち止まった。はて、千駄ヶ谷門も通り過ぎて、(新宿門から見て)一番奥の森の中で、こんな立札を見たのであった。

 「園内のスズカケノキは、枝を切らずに、自由にのびのびと育てています。そのため、通常ではなかなか見られないような自然の樹形が観察できます。」

 フランス庭園のプラタナスは枝を切って手入れをしているから、形も小ぶりで、本来の樹形とは異なるという。同じ、樹齢でも全く違うのだと説明してあるのだった。
 私はいつか新宿御苑のプラタナスを写真に撮った。お化け鈴懸の木も見た。台風の被害にあった、哀れな老木。新宿御苑で有名なこの歴史のある木を、その僅か二つのアイコンで知ったような気分になっていた。
 本来の樹形とは全く違う鈴懸の木だったのではないか。あれは、台風の被害にあった倒れ掛かった鈴懸の木だったのではないか。
 本来の樹形だという園内のプラタナスを気を付けて見るようにして歩いた。
 なるほど、どの樹も皆背が高く、枝は芸術的なほど複雑に広がって、その美しいこと。のびやかなこと。
 これこそが新宿御苑が誇る鈴懸の木だったか。

 

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 一部を見て、全体を知ったと思い込んでいた私の愚かなことよ。こんなことは、まだまだあるに違いない。けれど、私がカメラを持っている限り、私は何度でも未知の場所へ行くだろう。全体を知ったつもりになった場所へも再び行くことだろう。
 そこで終わりには決してすることがないと確信を持って言えた。

すると、並んだベンチの道の先に、河津桜が咲いているのだった。
 艶やかな濃いめの桜色の花弁が樹木の隙間から見えてくる。
 まるで、写真サークルの仲間たちのような、カメラや三脚を持った集団が横に並んで一斉に写している。
 「はい、目線!」
 声が聞こえてきそうな、カメラマン振りであった。

 モデルの河津桜は恥かしげだ。花弁を落としながら、花を枯らしながら、それでもまだまだ蕾をいっぱい身に着けて、咲き誇ってはいないけれど、恥じらいながら咲いていた。
 花の色も、蕾の造形も、私の好みとは違う。いつも、染井吉野と比べてしまう、劣った桜の印象が拭えない河津桜であったが、この時ばかりは、美しく見えた。
 冬空の曇った中に、まるでモノクロの景色に、心打つほど浮かび上がる。

 私の胸に響いたのは、誰もいない、無人のベンチの絵を見た時と同じ情からだった。
 私の過去には、素晴らしきかな記憶などありはしない。私の未来も、永遠にそんな華やかな代物ではありはしない。それでも懐かしく、まるで夢のようだった。その一瞬。

 同じ人と、同じ景色を、今見ている、それをお互い望んでいて、今がある、それゆえのこの桜の木の絵だと思ったら、私はありがたくなって、かけがえのないものにどれだけ礼を尽くしても足りないほどの感謝の念に満たされた。

 与えてくれたカメラと、様々な場所へと出かけて行って、これからも私はたくさんの「誰もいないベンチ」に出会うだろう。「河津桜」に。「鈴懸の木」に出会うだろう。

 今日は三脚を持っていなかった。望遠のズームレンズも持っていなかった。それでも、出来るだけこの桜を綺麗に撮ってあげたくて、そう、出来れば、今のこの心の情感をまるで歌のように、絵のように、表すことが出来たらいいのになぁ、と思っていた。

 

 

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 新宿御苑を一周して、散々木々を見て、桜を見て、満足した私は帰途へ着く。おまけのように、河津桜の後に、梅の木に出会った。
 梅は先週見たからと、その前に数枚なおざりに撮っていたが、最後にこちらも気合を入れて、映し撮る。
 福寿草。梅に桜に、木瓜。ペーパーホワイト。葉を落として、枝ぶりを露わにする巨樹たちと対をなすように、新宿御苑の春の花たちは可憐であった。
 

 私は何度も一人ベンチに座った。隣に一人分のスペースを開けて座った。それから、手を伸ばして、声をかけた。
 「おいで」

一緒においで。こっちにおいで。迷子にならないように。さぁ、行こう一緒に。

 

 懐かしい記憶はあれど、未来への夢はあれど、私の現実には無人のベンチの風景が、それらの時が、ただ続くだけである。
 それでも私は、今お互い共にいることを望んでいる、それを感じ取ることが出来るというだけで、底知れぬ喜びに包まれている。


 
 願わくば愛する日本もそうだといい。
 過去も未来も偽物であろうとも、そんな記憶も、夢も、決して持ち得ず、起こり得ず、失われたままであろうとも。
 今だけは本物であるといい。すべての互いが望み合って、想像が現実となる瞬間の絵を。誰かが私たちに見せてくれたならば、どんなにいいか。
 その時の喜びに思いを馳せる。
 

 

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2011年2月17日

誰が「地に落とした」のか。 ~鳩山元首相の方便発言、波紋広がる~

 
  







 沖縄で鳩山さんの名が、「地に落ちた」そうだ。
 (YOMIURIONLINE 2月16日)


 「方便」発言の波紋を見ていると、「沖縄で」の一言はいらないように思われる。
 鳩山さんの名前が、まさに「地に落ちた」。


 とっさに感じたのは、「はめられたな」ということであった。

 下は、つい1日前のニュースだ。


 
 『処分に小沢系反発=民主対立激化、怒号飛び交う』
 
 
 民主党は15日の常任幹事会で、小沢一郎元代表の「党員資格停止」に向け、手続きを一歩前に進めた。これに対し、小沢系議員は猛反発。処分撤回を求め、議決に際しては怒号が飛び交った。党内対立は一層激化し、今や処分決定後も挙党態勢構築は困難な情勢になりつつある。



 「強制起訴は初めてのケースだ」「この時期に党の結束を乱す処分をすることがいいのか」。常任幹事会では、小沢氏の党員資格停止処分について、小沢系議員から反対論が相次いだ。最後は「採決に異議あり」「あまりに拙速だ」などの怒声が噴出する中、賛成多数で処分方針は決まった。


 小沢系議員には、小沢氏が裁判で判決が確定するまで党員資格停止になれば、小沢氏の活動が長期間制限され、求心力低下につながるとの危機感がある。


 常任幹事会に先立ち、小沢氏に近い中堅、若手議員による「一新会」は同日昼に会合を開いて対応を協議し、「役員会提案の処分内容は認められない」との認識で一致。この後、一新会の鈴木克昌総務副大臣、奥村展三衆院議員らは国会内で岡田克也幹事長に会い、「処分は不当だ」とする抗議文を提出した。小沢氏は都内の事務所で奥村氏から状況説明を受け、「処分は想定通りだ」と静かに語ったという。


 常任幹事会で少数の小沢系としては「数の力」で処分を撤回できない事情もある。小沢氏周辺は「処分が覆ることはないだろう」との見方を示す。それでも、「中間派を取り込んで両院議員総会を開き、菅直人首相と岡田氏に不信任を突きつけてやる」と戦闘意欲は衰えていない。


 川内博史衆院議員ら一部議員が2011年度予算関連法案の採決での造反をちらつかせるが、「造反は戦略性がない」(小沢氏周辺)と慎重論も少なくない。小沢系も一枚岩ではないのが実態だ。首相は15日夜、小沢系の造反の可能性を記者団に問われると「大丈夫だ」と強調した。(


 (時事ドットコム 2月16日)




 小沢系の議員が、小沢氏の「党員資格停止」処分の撤回を求めて、怒号が飛び交ったとある。

 菅内閣は党分裂を恐れて、小沢氏を除名でも離党勧告でもない、一番大甘の「党員資格停止」処分にしたつもりだったが、それでもこの騒動であった。
 民主党の亀裂はもう抜き差しならないところまで来ている。

 そして、その数日前だ。こちらも、小沢氏を中心とした新しい風が吹きつつあった。
 政界再編を予感させる記事であった。



 『民主・原口氏が維新の会…橋下知事らと連携へ』


 民主党の原口一博前総務相(衆院佐賀1区)は13日、佐賀市内で開かれた民主党県連常任幹事会で、地域主権の推進を目的に掲げた政治団体「日本維新の会」と「佐賀維新の会」を結成する考えを明らかにした。

 大阪府の橋下徹知事や名古屋市の河村たかし市長らとの連携を目指すという。

 (YOMIURIONLINE 2月14日)




 減税日本に維新の会、政治の閉塞感を打ち破ってくれそうな面子が事を起こしつつあった。
 
 減税日本の河村氏は名古屋市長に再選されすぐ後に、愛知県知事に初当選した大村秀章と一緒に小沢氏の元へ挨拶へ訪れている。
 その席で小沢氏が、「最初に減税と言ったのは私だ」と意味深に笑ったと言う。

 
 民主党の分裂に、政界再編。
 それらの風に揺さぶりをかけたのが、冒頭の鳩山氏の「地に落ちた」ニュースである。

 民主党の造反とされている小沢派には、造反の意識がないと聞いたことがある。
 なぜならば、それは鳩山氏の存在があるからだ。
 ルーピーとか、散々な言われようだが、そうなめられたものではないと言う。
 鳩山氏は民主党の創設の中心人物の一人である。党結成時の資金も、鳩山氏が大半を出したと言われている。
 その彼が、全面的に小沢氏を支持しているのだ。
 そのことこそが、小沢派の錦の御旗になっていた。
 民主党の正当派は自分たちであり、菅内閣の面子こそが造反派なのだと安心して、反発することができたのだ。


 
 「それは、方便だったということですか?」
 記者の一人が訊いてきたそうである。

 何事にも、ノーと言ったためしのない鳩山氏がどう答えるのかわかり切っていた質問だ。
 まんまと乗っかった鳩山氏は、こう答える。
 「方便と言われれば、方便だったかもしれない」

 そして、この騒動である。


 今、ここで鳩山氏が失脚することの意味は大きい。
 「地に落ちた」鳩山氏が、反菅派、小沢系改革派の錦の御旗として、これからも通用するとは思えない。

 これはどういうことだ。
 なぜ、彼らに揺さぶりをかける。
 誰が、菅政権の延命を企てている。
 誰が、日本をより良くしようと、少しずつ、少しずつ、変わって行こうとしているこの政界の動きを抑えようとしているのだ。


 
 私は腹立たしくて、仕方がない。
 そんな簡単な絡繰りにも気が付かずに、誰が。
 たかが記者の質問に乗っかって「方便」を認めてしまった愚かな元首相の発言を、誰が攻撃しているのか。
 菅政権が延命すれば、日本は滅びの道に真っ逆さまであろう。
 そのことは、国民ならだれでも知っているというのに。
 この大合唱はなんなんだ。


 頼みの綱の第一野党自民党までが、「参考人招致」を求めるとか。
 菅政権を応援するつもりか。
 
 あまりにも腹立たしくて、眠れそうもないのでブログに書いた。
 明日、いや今日の朝目覚めたら、全てが夢であった。
 鳩山発言騒動こそは「菅内閣」の陰謀であって、そのことに気付いた全ての人々が結集して革命を起こし、鳩山氏よりもいっそう愚かな菅内閣こそはとっくに潰れていた、等という現実が待っていたらありがたい。
 期待して、とりあえず眠るとする。





 

 

2011年2月13日

「私だけを見つめて」 ~St. Valentine's Day と北方領土の男女関係について思う~

     



 『GODIVA』には穢れた記憶がある。





 自由が丘に出かけて、バレンタインデーのチョコレートを探した。
 誰にかにあげる予定はない。が、毎年、まるで儀式のようにたったひとつのチョコレートを買っては、ブログのプロフィールの写真に掲載する。
 今は失き、一人に、捧げるのだった。

 昨日、横浜の三溪園に出かけた。仕事と家(どちらも大した都会ではない)を往復している私にとって、横浜まで足を伸ばすことの意味は大きい。すっかり興味をなくしたファッションも、色鮮やかな、もしくは自然素材の雑貨も、人気の化粧品も、街行く人の様相から街角から、全てを目にすることができるはずだった。
 なのに私はどこにも立ち寄らず真っ直ぐと帰宅した。思ったものだ。なぜ、明日のチョコレートを買わなかったか。
 あの街ならば、いくらでも、最高のひとつを探すことができたはずだった。
 自分の物忘れの酷さを呪い、歳を取ったと戒めながら、ふと、それ(忘れたこと)が必然ではなかったか、ということに気が付いた。
 かつて、私は、そこでGODIVAを買ったことがある。
 込み入った店内でひとつを選んで、隠し持ったまま誰かが主催するパーティ―に出かけた。
 用事があると言って、先に上がり、その足で、チョコレートを届けに別の誰かに逢ったのだった。
 そう大した出来事ではないかもしれない。どちらの誰かとも恋人同士ではなかった。だけど、それが裏切りに値する行為だと、その時の私は確かに知っていたと思う。
 
 今思えばの話だ。当時はそれが酷い行為だとは意識していなかった。気付かぬ程に、もうひとりの誰かを憎んでいたのだった。私はその相手を随分と信頼していたものだ。先に裏切ったのは相手のほうだと感じていた。
 そして、気付かぬほどに、もうひとりの誰かを大切な存在だと思い込んでいた。
 
 横浜で、St. Valentine's Day のチョコレートを手にしたのは、それが最後であった。





 


 ロシアが北方領土の開発を中韓に呼びかけたそうだ。
 (サーチナ 2月13日)

 きっかけは菅直人首相の、2月7日、北方領土の日のこの発言。

 「ロシア大統領が国後島を訪問したことは許しがたい暴挙だ」

 そして、上の写真。内閣府が新聞に掲載した広告である。
 ロシア側は外交的ではない、と強く反発。11日に行われた前原外相との外相会談も、平行線に終わった。


 北方四島を「われわれの領土」と言い切るロシア側は「日本が過激なアプローチを取るなら平和条約交渉は展望がなくなる」と警告。両国間の信頼回復も難しい状況で、日本側の手詰まり感は強い。(jijiドットコム 2月11日)


 
 不思議なのは、前原外相がロシアに行く、2009年から久しぶりにロシアに行くという大切な時に、日本側の強気な態度である。僅か3日前だ。「暴挙」発言に、「日本の領土です」との新聞広告、いくら北方領土の日でも、これは挑発しすぎではないか。

 交渉人、という映画を見たことがある。人質を取った立て籠もり犯と交渉するには、絶対にノーと言ってはいけないそうだ。イエス。然り、然り、と相手の言うことを全面的に受け入れていなくてはいけない。
 ロシアは日本の北方四島を人質に取っている、奪ったまま返さない犯罪国家だ。どこが立て籠もり犯と違うというのか。そんな危険な相手と交渉する前に、どうして「ノー」を大声で叫ぶ必要があったのか。

 米国の言うことならば、たとえ国家の根幹が溶解しようとも 、阿呆のように「イエス」を繰り返す菅内閣とは思えない。尖閣諸島の中国船衝突事件で、あっさり中国人船長を釈放した菅内閣とも思えない。
 なぜ、こうロシアにだけ強気なのか。

 ロシアもロシアで不思議である。
 いくら、自分の国の国益が大事だとは言っても、まるで犯罪者のような真似をする。
 戦後のどさくさに紛れて奪い、2島返すと言っておきながら返さず、今度は開発の金を出せと強請ってくる。出さないなら、ほかの国に開発させるぞ、と脅す。
 今まで、自民党政権の時は、手厚い援助をしていたのだろうか。勉強不足で認識がなかったが、その(金が切れた)不満もあるのだとしたら、まったくもって酷い話である。
 これが、国家か。まともな人間の集まりだとはもはや思えない。

 12日、ロシアのラジオ局「モスクワのこだま」に出演した前原外相は、日露交渉を「男女関係に似ている」と言ったそうである。
 (asahi.com 2月13日)


 男女関係! 北方領土への思いを言いたかったようだが、私はそれを聞いたときに、思ったのだった。もしかしたら、私が国益だけでは理解できなかった思いはそこか。
 それを酷い仕打ちだと思わぬほどに、
 彼らは「日本人を憎んでいる」。
 ああ、そういうことではないかと。
 なぜ、そんな簡単なことに気が付かなかったのだろうかと自分の鈍さを訝った。
 私は心の奥底で、ロシアを軽く見ていた。いつか日露戦争で、黄色人種として初めて、列強のひとつであったロシアを打ち破ったことを、心の奥底で、誇りに感じていた。
 同じことがどうしてないと言えるだろう。ロシアは心の奥底で日本に劣等感を抱き、そのことによって、今も激しく憎んでいると。
 黄色い猿のくせに、と。今でも、心の奥底どころか、露骨に嫌っていると。

 もしかしたら、その犯罪的な酷さに気付かぬほどに、嫌っていて、そして、かつては日本を信頼していたのかもしれない。
 そして、その酷さに気付かぬほどに、今では北方領土がもたらす国益に執着しているのかもしれない。そう、思い込んでいるのかもしれない。


 私のもやもやは、ロシア側の心情としては溶けた。
 が、我が国のことながら、菅内閣は、謎のままであった。
 彼の政権になってから、中国、ロシア、とやけにもめごとが多いではないか。
 弱腰になって、余計悪化させたり、強気に出て、余計悪化させたり。外交のイロハをわかっていないというだけでは、割り切れない拙さである。
 日本はますます落ちぶれた米国に、頼らざるを得なくなっている。
 あの国の言うことを全面的に受け入れ、決して「ノー」とは言えない、言うことを想像することも許されなくなるほどに、追い詰められている。
 日本が、TPP参加や、トヨタの勝訴もそうだ、すべてにおいて、米国の影響下から逃れるためには、僅かにその道が残っているとしたならば、国としての覚悟や、国民総出の決起の他に、米国以外のすべての国を味方につける必要がある。完全な味方は無理でも、最悪、もめごとだけは起こしてはならないはずだ。なのに、なぜこう、問題が起きるのだろうか。
 これも男女関係と似ているのだろうか。

 ただひとりを見つめることしかできなくなるように、彼以外は頼る者がなくなるように。
 まるで、男に仕組まれているように思えてならない。


 
 
 
 
 
 
  

負けるな、スズメたち! ~TPPと「はんなり」を思いながら三溪園を歩く~

 

 「なぜ、今TPPなのか」

 土曜の朝8時、TVを付けて恒例の「ウェークアップ!ぷらす」を見る。
 最近見慣れた顔が並んで、TPPに付いて論じ合っていた。

 鈴木宣弘(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)さん、この方、先週のNHK日曜討論でもTPP反対派として頑張っていらっしゃった。
 が、NHKのわかりやすい誘導で、悲観的なことばかり言っては前向きに物事を考えられない間抜けという印象を与えられていた。賛成派の大田弘子(政策研究大学院大学副学長)さんに爽やかにやり返されて、その度に、うんうん、と間抜けに頷く横顔が映し出される。いや、あれは本当に間抜けっぽかった。可哀想であった。
 
 今回の賛成派で一番目立っていらっしゃったのは、竹中平蔵(慶応義塾大学教授・元総務相)さん。
 この方、郵政民営化見直しの際は、民主党議員と激しくやり合っていて、そのバトルが面白かったのだが、今回は民主党議員の意見に全面的に賛成である。
 こちらもNHKに負けず劣らずわかりやすい人だ。
 売国法案、売国政策なら、なんでもOKなのである。

 で、反対派の鈴木さん、今回はそう間抜けっぽくもなく、日本テレビはNHKよりは公平に意見を取り上げていらっしゃった。
 やるなぁと思ったのは、ずばりとこの意見。

 「BSEの問題もそう、郵政の問題も。
 日本がすべてのルールをアメリカのルールに合わせて、引き下げることになる。
 そうなると、独立国家として生きていけるか、というかという大きな問題があります」

 こんなに、TPPが売国(亡国)経済協定だという本質をこれからも言いまくっていたら、職を失うか、暗殺されたりしないだろうか、と不安になってくる。
 間抜けな悲観論者として映し出されていた方がまだましだったかもしれない、と余計な心配をする。
 すると、それに切り返す竹中さん。
 この方は、本当にわかりやすいが、私は今回のTV番組で初めて、この方を利口な方だと思い知ったのであった。
 
 「だからこそ早く参加するんです。まだルールは決まっていない。交渉に参加するんです」

 竹中さんは、TPP参加が日本に残された「唯一の外交戦略」だとおっしゃるわけだ。
 で、私は彼が何を言いたいのか、今度のTPPがどういう意味を持つのか、はっきりと悟ってしまった。

 日本には選択する余地などない。日本はすでに独立国家ではない。
 ただし、アメリカの言うことを聞いて、いいようにしていれば、そこまで酷い仕打ちはしない。
 例外品目くらいは与えてくれるだろうさ。

 そういうことだ。
 つまり「交渉」とは、アメリカが機嫌を損ねないうちに従って、お情けを与えてもらうという意味なのだろうと。
 本質を言いぬいているのが、鈴木さんならば、本質を分かっていて、その先の日本の、それこそ彼が言う唯一の残された選択肢を促しているのが竹中さん。
 この方は、本質を知って、ならば日本は独立国家になろう!とは思わないのだ。
 これではまずい、とは決して思わない。たとえ売国だろうが亡国だろうが、そこには破壊や破滅しかなくても、本筋の道は探さない。崖に向かうために唯一残された道を粛々と選んでいく。
 どちらにせよ、暗殺か、集団自殺かの違いだろう。
 もしかしたら、崖から飛び降りても最悪、死なないかもしれない。何人かは生きているかもしれないさ。(もちろん生き残る中に彼はいるのだろう)
 なんて、嘯いていそうである。
 
 はぁ、はぁ、なるほど。散々TPP反対を掲げていたが、賢い人というものは、こうも割り切るものなのかと驚かされた。
 私はバカだったな。鈴木さんもバカだな。
 でも竹中さんよりは、鈴木さんの方が私は好きだな。
 同じ意味で、田母神さんの方が好きだな。ああいう人たちに頑張ってほしい。※
 民主党も、竹中さんと同じ意見になるとは。竹中さんに援護射撃されるとは。
 彼(らの売国政策)に反対して政権交代!とか叫んでいたのではなかったか。
 落ちたものだな・・



 【完全版】頑張れ日本!1周年・TPP問題シンポジウム[桜H23/2/5]の映像を一番下に拡散しました。






☆  ☆  ☆  ☆

 


 「ウェークアップ!ぷらす」を見た後は、散歩に出かける。
 雪が降るとの天気予報、今日も神様がくれた休日だ、のんびりしようと思っていたが、窓から見渡せば、雪はやんでいた。
 これは、出かけねば、と急いでカメラを準備、支度をする。
 
 目指すは三溪園。雪が降ったりやんだり、またちらちら降ったり。そんな中を電車とバスを乗り継いで向かっていく。
 お出迎えはメジロだった。園内入ってすぐの藤棚の下のベンチ。その後ろの、5本並んだ椿の花に。せわしなく、目の前を飛んで行っては、またどこからか戻ってくる。蜜を一生懸命に吸っているのだった。逆さになって体を折り曲げて、アクロバットのような仕草。可愛らしい。意外とメジロというのは、小さいのだな。写真でばかり見ていたから、もう少し大きいような印象があったが、久しぶりに生で見るメジロはまるでかつて飼っていた籠の中の十姉妹のように小さかった。

 今日は梅の花を撮ろうと思っていた。
 雪だろうが、雨だろうが、白梅を撮ろうと思っていた。
 試したい撮り方があったのだ。
 NHK「美の壺」の再放送、京都の四季特集で見た京からかみ。
 京都市郊外にある貴族の別荘「桂離宮」の襖に使われ、その独特の優美さは一目見た白洲正子をも虜にしたという。
 京からかみは決して派手ではないが、上品な美しさがある。淡い色彩。光の加減によって輝きを帯びる模様。京言葉でいう「はんなり」に通じるものがあるのだそうだ。
 私は花はマクロレンズで大きく撮るよりも、小さく、もの寂しげに撮ることが好きであった。
 ただし、それだといつも地味になってしまう。特に、梅や桜など、小さい花はなかなか思うようなイメージを作れなかった。
 それで、この京からかみを見たときに、ふと、思ったのだ。
 ああ、こんな感じいいなぁ。こんなふうに撮ってみたらどうだろうか。
 もちろんあのような美の世界は映し出せないだろうが、指針にすることは可能だと思った。
 私は三溪園の梅林を歩き、あの京からかみの淡い桜の花の色を探している。11代目の千田堅吉さんは、ぎらという鉱石を使ってはんなりした色を生み出しているという。白い梅に、ほんの少しの顔料で、「はんなり」は生まれるはずだった。






横浜・三溪園。水鳥も飛来して。

梅はまだ満開には程遠かったです。春が待ち遠しいですね。

「はんなり」を意識して撮り始めた。

これは紅梅を前暈けにして。

顔料は紅でなくてもいいかな、と水辺の草の緑と黄色を混ぜる。

こちらも紅梅と一緒に。

蕾が鈴生りで可愛らしい白梅。

おまけに水仙。園内にたくさん咲いていました。
 
 

 

 まだまだ始めたばかりで、当分試行錯誤しそうではあるけれども、もっと極めて、突き詰めていけば、「はんなり」の世界観にもいつか辿りつけるかもしれない。
 私は楽観的に構えて、撮影を終えた。もう寒さで限界だった。
 帰り間際にまた藤棚の下のベンチの傍で休憩を取る。千切ったパンの欠片を椿の木の下に投げている。煙草を吸い終えても、メジロはもうやってこなかった。
 諦めて出口へ向かうと、低木の隙間から、地を突くスズメの群れが見えた。
 最近、スズメを目にしていなかった。5羽、6羽、数羽のスズメがとても懐かしく、愛おしく感じられた。私は引き返して、パンの欠片を取り返すと、さらに小さく千切ってスズメの方へ投げるのだった。彼らが逃げないように、恐れないように、遠巻きに歩きながら、アンダースローで、出来るだけ遠くに、遠くに。スズメに届くようにと投げている。一瞬逃げたスズメたちは様子を探って、パン屑に近づいてきた。カラスが黒い影を落として舞い降りてきた。
 負けるな!心の中でスズメを応援する。一番大きな欠片をスズメが咥えて飛び立った時は嬉しく感じられた。小さな欠片はカラスに奪われたが、いいのだ。いいのだ。
 スズメは一瞬飛び立ち、また地に戻って、パン屑を食べて、そうしてまたしっかりと咥えると、今度は高く高く飛びあがって、もう戻ってこなかった。数羽の仲間たちが続く。カラスと一緒にまだうろうろしているものもあった。だけどもう投げるパンはない。どのみち、カラスの直ぐ隣では、小さな欠片にさえありつくことはできないだろう。
 冬は鳥が多い季節だったか。今日の三溪園はメジロから始まって、キンクロハジロ、ハクセキレイ、シロハラ、アオジ、たくさんの鳥を見たようだ。
 私は気をよくして、三溪園を後にする。寒さで心臓を震わせながら、頬の筋肉を引きつらせながら、それでも気持ちは明るかった。
 パン屑を咥えてスズメが飛び立った、空の方向を見ている。






  
 
 




 

2011年2月11日

感染が拡大する、「インフルエンザ」ならぬ、「鳥」を売る者たち。

      

 


 2011年2月11日、山口県常盤公園の白鳥湖で飼育されている、すべての水鳥の殺処分が終了した。



 ※「世界から鳥が消える日」の続きです。





 




『飼育開始は1957年』



 東洋のレマン湖、日本有数の水鳥の楽園といわれる常盤湖。ハクチョウは常盤公園の開園当初からシンボルであり、長い歴史を経て、宇部市民の財産として定着していた。


 常盤湖にハクチョウが放たれたのは1957年。荒れていた常盤公園の整備に向け、水と森を生かそうと、ハクチョウの飼育が決まった。

 オランダのロッテルダム・シルブルグ動物園から約2万㌔の距離を、船と鉄道を乗り継ぎ、コブハクチョウ20羽が6月に宇部に到着。7月7日、数千人の市民に見守られながら湖に放された。

 翌年には初めてのひなが誕生し、60年には100羽を突破。繁殖にも力を入れ、着実に飼育数は増え、常盤湖は「白鳥湖」として全国から注目を集めるようになった。

 61年、鹿児島市の鴨池動物園(現在・平川動物公園)に増殖したハクチョウを初めて分譲。以来、約1400羽が国内外の動物園や公園に旅立った。北海道から沖縄まで、全国に及ぶ国内のコブハクチョウは、全て常盤公園の子孫。海外はアメリカ、中国、台湾、スリランカなどに渡っている。


 (2011年2月11日 宇部日報)
 
 

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 「全国に及ぶ国内のコブハクチョウは、全て常盤公園の子孫」というくだりが感慨深い。
 歴史のある白鳥たちだ。
 そんな水鳥の楽園は、一羽の高病原性鳥インフルエンザ(H5亜型)の発覚によって、一瞬にして、すべて消え失せてしまった。
 
 このニュースを耳にしたのは、早朝だった。
 5時過ぎにアラームの音を聞いて、テレビと電気ポットの電源を入れて、暖房を付けて、そうしながら布団の中で微睡んでいる時。
 私は二つの目覚まし時計のスムーズ機能を使っては、5分おきに起きて、またうとうとして、それを繰り返しながら次第に覚醒するという朝の時間が大好きだった。
 時には、覚醒し損ねて、遅刻ギリギリになってしまうときもある。深く眠りすぎて、スムースを繰り返すうちに起きられない。やけに静まった空気をふと感じて、青ざめて飛び起きるということもある。
 そんな夢うつつの時に、「鳥の楽園、常盤湖で400羽の白鳥を殺処分・・・」というニュースを聞いた。
 私は飛び起きて、テレビを見つめ、直ぐにパソコンでニュースを探した。詳しく記事を読みたかったのだ。
 これは悪夢だと思った。
 常盤湖の白鳥たちの殺処分のニュースではなく、私の目に飛び込んできたのは、個人のブログだった。
 美しい白鳥と黒鳥たちの写真が何枚も、何枚も、映し出された。
 
 
 「私の大好きな場所。ここでは、世間で騒がれている鳥インフルエンザなんて別世界の話です」
 
 「ここは鳥たちの楽園です」
 
 
 ブログの中の、美しい楽園の絵と、そのまるで幸福な言葉が、なおさら私を打ちのめしていていた。
 
 楽園は、消え失せた。
 
 
 悪夢を見た、と思った私は実際その後、また微睡んでしまうのである。(私のパソコンは布団のすぐ傍、いつでも枕元に置いてあった・・)
 朝に飛び起きて、一瞬記憶をなくした私は、その日の午後に、夜に、そのニュースをまた耳にするたびに、思った。
 
 「そう、そうだ。そんな夢を見たのだった・・」
 
 あれは、正夢だったのかと。まるで哀しい夢が、実現されてしまったかのような、心の痛みを覚えたものだ。
 そして、今日、つい先ほど、捕獲に手間取っていたすべての湖の水鳥たちが、無事殺されたと知った。
 湧き上がる哀しみ、涙が溢れる。

 鳥たちは餌付けの時間に捕獲されたという。餌を与えてくれると思って近寄ったところを、囲い込まれた。気を許した鳥たちに、残酷な仕打ちである。
 
 
 もしも、あれが早朝の夢うつつの時に見たお話ではなかったら、このような哀しみを抱くことはなかっただろうか。まるで私は、失われた記憶を取り戻したかのような、哀しみの中に、どこか甘酸っぱい想いをさえ抱いていたのだった。
 それともニュースで、常盤公園の傍に住むという女性たちのこんな言葉を聞かなかったら。
 
 「鳥たちの鳴き声を、家にいる時もいつも聞いていた」
 もう聞こえてこない。それが寂しいと。
 
 「朝の散歩で、白鳥たちを見るのが楽しみだった」
 もう見ることはできない。それが寂しいと。
 
 たかが鳴き声だったり、たかが白鳥の姿だと。そうは思ってみても、そのたかがが、生きていくうえで、生活の中で、どれだけの希望と、勇気となっているのか。
 私が公園の傍に住む女性ならば、その声が、姿が、もう二度とないことを確認することに、どれだけの失望を見出すことか。
 そんな日々がずっと続くというのに。
 どうたかがで割り切ればいいのか、やはり難しいようだ。やりきれない思いがする。
 (恋人を失う方がまだましだ。次の恋はいくらでもやってくるだろう)
 
 
 ところで、そんな残酷極まりない白鳥たちの殺処分だが、苦渋の決断をしたという市長や知事の言葉にはどうも重みが感じられない。
 苦渋の決断がなぜこうも早いのだろうか。
 もう少し、経過を見ることは不可能だったのか。本当にか。
 
 誰のための苦渋の決断かと詰め寄りたくなる。
 畜産農家の為だとか、市民の為だとか、鳥インフルエンザ感染を拡大しない為にとか、市の財産である白鳥たちを失うことは、彼らだってそれはつらかったのだろうと頭では理解をしてみても。
 もしも私が市長だったら、知事だったら、まず思うのは、
 
 「もしも殺さないで、経過を見ているうちに、感染が拡大したら、
 (それで何かが起きたら)どういう責任問題になるのか」
 
 ということだと思うからだ。こんなことを思うのは、下世話な私だけかもしれない。
 が、私が鳥たちの命を守りたいという思いと、鳥たちを愛する人々を護りたいという思いと、一番相反して抱く思い、葛藤はそこだろうと感じてしまう。
 
 早く殺しておけば、間違いはないのだ。どのみち、どう転んでも、手は打ったのだから。
 起こり得る脅威は、最小限で食い止めた。


 鳥インフルエンザが治まったらまた白鳥も黒鳥も放てばいいというだろうか。
 オランダからまた2万Kmわたっておいでと。


 こればかりはそう単純ではないような思いがする。
 この国には、保身のために、楽園を売り渡す人々があまりにも多いのではないか。
 市民のささやかな希望を、護らぬ人々が多いのではないだろうか。
 一度得た哀しみと、一度失った希望は、簡単には元に戻らない。

 「こんな思いをするならば、もう二度と白鳥は湖に放たないでほしい」
 ある市民の声である。私はこれが、白鳥湖を愛する人たち大多数の、正直な気持ちではないかと思っている。
 苦渋の決断と引き換えに、失ったものはあまりにも大きい。
 
 
 そして、その弱みは、もう誰かの手玉に取られている。


 

2011年2月7日

枝野官房長官びっくり仰天のマニフェスト違反発言?

 


『子ども手当「近い将来、全額国費で」 官房長官』

 枝野幸男官房長官は7日の衆院予算委員会で、子ども手当の財源に関して「できるだけ全額国費でやっていくことが望ましい。近い将来に地方の負担がない形にすべく努力したい」と述べ、将来的に地方負担の廃止を検討する考えを表明した。具体的な廃止時期や財源には言及しなかった。


 政府・与党は2011年度から、子ども手当の支給額を3歳未満に限り、10年度の月1万3000円から月2万円に引き上げる方針。同年度の給付総額は2兆9356億円の予定で、地方にも児童手当の地方負担分を活用する形で5549億円の負担を求めている。一部の自治体は地方負担に反発し、来年度予算案に経費を計上しないことを表明している。

 枝野長官は「マニフェスト(政権公約)で約束したのは子ども手当の支給で、その財源は細かくは約束しなかった」と述べ、現段階で地方負担を財源に充てることに問題はないとの認識を示した。片山善博総務相は児童手当財源を廃止した場合について「地方負担がなくなる分、国庫との間で財源の調整をしないといけない」と語った。自民党の小泉進次郎氏への答弁。


 (日本経済新聞web刊 2月7日)


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「マニフェスト(政権公約)で約束したのは子ども手当の支給で、その財源は細かくは約束しなかった」
 
 
 
 
 
 
 だと?
 
 
 
 
 ↓    ↓    ↓    ↓     ↓
 
 
 





 確かこの時に。


   ↓    ↓    ↓    ↓     ↓



 
 
 
 
 
 
 
 国家予算207兆円を全面組み替え。
 今の仕組みを改め、新しい財源を生み出します。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 と言っていたのは誰(どこの政党)だったか。
 
 
 
 
 
 
 「その財源は細かくは約束しなかった」
 
 
 
 いや、いや、枝野官房長官、国の総予算207兆円のうち、どこから何兆円節約するかまで、はっきり書いてありますよ。
 子ども手当を含む、全マニフェストのばら撒き総額16.8兆円分。
 すべて、節約から「新しい財源を生み出す」と。
 地方から戴くなんて、書いてないようですよ。
 (私の見間違えでなければ)
 
 
 上に、政権交代時のマニフェストを張り付けておいたので。
 良く良く、見ておいてくださいね。
 
 
 
 
 
 健忘症かよ。
 
 
 
 
 
 
 

2011年2月6日

『検察は事件を作る』 ~小沢氏秘書3人の初公判、7日より始まる!~

 
    
   

『石川知裕被告ら小沢氏元秘書3人 7日に初公判 闇献金の有無争点』


小沢一郎民主党元代表(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書3人の初公判が7日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で開かれる。3被告は起訴内容を否認し、無罪を主張する方針で、虚偽記載の違法性の認識のほか、中堅ゼネコン「水谷建設」からの裏献金の有無が主な争点となる見通し。


 この公判は、同法違反罪で強制起訴された小沢被告の公判にも影響を与えることになりそうだ。

 (msn産経ニュース 2月5日)

 
 
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 産経新聞、小沢氏強制起訴の時は虚偽記載の立証だけを問題とするかのような書き方をして、私を失望させたくせに、秘書の公判はちゃんと書いてある。
 
 「裏献金の有無が争点となる」
 
 小沢氏の検察審査会の起訴議決の根拠が、「秘書らの調書に信用性がある」こと。だからこその「小沢氏の言い分には信用性がない」というものだっただけに、7日からの公判で、秘書らの信用性ある容疑を立証しない限り、小沢氏起訴の前提さえ消え失せてしまう。
 是が非でも有罪にしたいところだろう。
 
 で、ここ数日私が心に残ったのが、2月4日の「毎日新聞」、『石川知裕議員:「供述、真実でない」無罪主張へ』と言うものだった。
 (全文を最後に記載する)
 
 「全てが悪意を持って行っていたように筋書きが作られていく事が残念でなりません」
 
 という、石川被告の言葉が突き刺さった。
 こういったことは、身に覚えがあるからだ。
 もちろん犯罪絡みではないし、ことの重大さも意味も違うだろうが、罪は一番弱き立場の者にいつでもなすりつけられる。全体がそういう流れになっている。私が悪かったということにしておけば、すべてが平和に片が付く、そういったことは良く経験しているのだった。
 で、身につまされたというか、つい、同情した。
 
 ただし、本当のところはわからないことではあるが。
 こういう独白を聞いただけで、もうだめなのだ。つい、共感を覚えて、彼の無実を信じてしまいそうになる。
 
 
 石川被告、元公設第1秘書の大久保隆規被告、それから元私設秘書の池田光智被告。
 彼らの公判がどう出るか。
 裁きが下されるのか。
 長い間、政界のキーマンであった小沢氏の行く末がかかっているだけに気になるところだ。
 筋書き通りに、納まるべきところに納まるのか。
 結末を見届けたいと思う。
 




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. 『石川知裕議員:「供述、真実でない」無罪主張へ』



石川知裕被告 小沢一郎・民主党元代表(68)の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた衆院議員、石川知裕被告(37)は捜査段階で起訴内容を認め「小沢先生の金を隠したかった」「先生に報告・相談した」などと供述したとされるが、7日の初公判では、勾留中に書いた手紙などを基に「供述は真実ではない」と無罪を主張する方針だ。審理の行方は強制起訴された元代表の公判にも影響を与えるとみられる。

 石川議員は昨年1月15日の逮捕から2月5日の保釈までの間、当時の弁護人に手紙を数通送った。

 1月28日付の手紙には政治資金収支報告書の提出前に小沢元代表らに報告した経緯に関する調書を作成したと記載。続けて「五年前の事でありよく覚えていないのですが、理詰めで問いつめられ、調書に同意をしてしまいましたが真実ではない事をお伝え致します」と記した。別の手紙では「全てが悪意を持って行っていたように筋書きが作られていく事が残念でなりません」と記していた。また、表紙に「獄中日記」と書いたノートには、水谷建設側からの裏金授受の有無に絡み「再逮捕もほのめかされる」(1月25日)、「水谷についても立証できると言われた。本当にとんでもないことだ。検察は事件を作ると言われているが本当だ」(同27日)と書き込み、取り調べへの不満もぶつけていた。

 取材に対し、石川議員は「私の調書が(信用性があるとの)理由で(検察審査会が起訴議決し)小沢先生が強制起訴され、申し訳ない。公判で調書の誤りを正して、自分と小沢先生の無罪を勝ち取れるようにしたい」と語った。石川議員の手紙や昨年5月の再聴取の様子を録音したICレコーダーの記録は証拠採用されている。【鈴木一生】






 

「俺と一緒に行かないか?」 ~結末が哀しすぎる映画、「2046」を観る~



 「2046」に行けば永遠の愛が見つかるのだという。
 人は、失われた愛を求めて「2046」に行くのだという。
 物語のラストで、人が、「2046」に行く本当の目的は、「失われた記憶」を求めてだと明かされる。






 「2047」は、いつか読んだ記事と一致していた。
 やはり彼の解釈は完璧だった。
 私は「2047」の存在を忘れていたのだ。
 そこは、「2046」にたどり着けなかった男の住む世界。「2046」とは別のお話だ。
 そうじゃなかった。では、「2046」の方の物語は?

 二度目の「2046」鑑賞にとても期待をしていたのだが、鑑賞後、何度考えても、考えても、「特別な意味」が見いだせなかった。
 物語を忘れるほどの前回(初めて見たとき)の印象と、まるで変わることがなかったようであった。

 あれだけの俳優陣を使って。
 まったく惜しい。






 これは、深い映画である。
 何も見つけ出せないなら、自分が馬鹿なのだ。
 そこには、深い意味がある。トニーレオンも言っていた。

 「この映画は愛とは何かを問うている」

 「2046」、「2047」、「過去と未来」、「永遠の愛」、「失われた愛」、「記憶」。
 「俺と一緒に行かないか」
 そう誘うたびに、拒否される男。
 なぜならば、彼は過去を抜け出せていないから。
 女がそれを見抜くから。
 男に引っかかるのは、それを見抜けないピュアな女だけで、その彼女は最後に深い痛手を負う。傷だらけになって「2046」を抜け出した「2047」に住む男よりもさらに深い傷を得るのだった。

 何をやっているのだか。
 「源氏物語」を彷彿されられないでもなかったが、そこには、虚無感や罪を共有した男女が辿り着くカタルシスもなく、哀しみの美学もなく、ただ不毛であった。
 大好きなトニー・レオンが、(自分でも言っていたが)本当に無礼な、嫌な男に見えたものだ。
 (まるで電車の中の痴漢男のような、厚かましさ、卑怯さ、いやらしさを感じさせられた)
 女は自分を傷つけた甲斐さえない。





 

 この、美しい映像の物語から、美しい音楽と台詞の物語から、何かを見つけ出そうと、私は深読みを何度も試みたが、先ほども言ったように、玉砕した。
 何か深いことを仄めかしてはいるのだが、観るものが感じ取れるようには描かれていないことに気が付いた。
 そのように、創られていないのだ。
 結局。

 




 物語にも、思想にも、まったく共感も出来なければ、感動も得られない。
 そこから何かの意味を見つけ出すこともできない。
 (多分監督にはあるのだろうが)
 (次回は伝わるように創ってくれることを願って)


 が、たった一つ良かった点があるとすれば。
 やはりあのもったいないほどの俳優陣。

 彼女や彼達を使うのが、監督の裁量であるならば。
 ウォン・カーウァイ監督は素晴らしい。

 役者に救われたな。
 どのシーンのどの役者の演技も素晴らしく、美しく、申し分ない見応えがあった。
 (特にチャン・ツィイーさんは最高に良かったです)

 役者達の哀しみ深い人生によって、この映画が「何ものかである」ような、「深い」印象を醸している。結末の涙を誘う。

 「俺と一緒に行かないか?」

 彼と行くものは誰もいない。
 それだけであった。






☆  ☆  ☆  ☆




 当日夜の10:00。
 まだ「2046」のことを考えている。
 なかなか解放させてくれない。
 
 久しぶりにマラソンをしたら、(ジムで走るよりも地面を蹴る感触が気持ち良かった!)思考は「2046」へと走る。
 やはり、「2047」とは別の物語ではなかったのかもしれない、と思い始めた。
 あの切り取られたエピソードがすべてだったのかもしれない。
 彼の完全な解釈が、すべてだったのかもしれない。
 女に拒否される男は、分身であるが故、ただそれだけで拒否された。
 ほかに深い理由はなかったのだと。
 時間が、男を変えるならば、現在の者は誰しも皆分身であるはずだ。
 アンドロイド(こちらも偽物)に拒否されるいわれはないようだ。もしも、分身を否定されるというならば、人は誰しも皆再生などできないではないか。どこにも辿り着けないではないか。
 男の変化が、あまりにも酷かった、痛手を負いすぎたという話なのだろうか。
 再生も出来ぬほどに。壊れ、失くしたと。

 「なぜ、戻れないの?」

 最後の、チャン・ツィイーの台詞が甦る。
 ずっと胸に残る。
 酷なラストだ。

 「列車はどこにも辿り着かない。アンドロイドは彼によく似た別の男を思いつづけ、書けなくなった主人公とともに、長い時間の中で少しずつ壊れていく」






 ウォン・カーウァイ スペシャルコレクション / 『2046』<=>『in the Mood for Love ~花様年華』
ポストカードが素敵です


 2046 オリジナル・サウンドトラック
 俳優陣に救われた、と書いたが、音楽に、と書いても良かったのかも。
  





中華街で花を売る。 ~春節「獅子舞・龍舞」と「うひ山ぶみ」~

   
  
 

 ここ数日の私は、というよりほとんどいつもなのだが。
 食べるか、寝るか、働いているか、テレビを見ている。
 
 相方の相手を全くしていない。

 それで、たいそうご立腹なのだが、相手は私が調子が上がってくると鼻をへし折る(やる気を失せさせる)ことにかけては天才なので、まともにやってられるかよ、というちょっとしたストライキも入っている。
 が、最近、とにかくいつも眠いのも正直なところである。常にあくびをして、一生懸命ではない。
 
 こんなことでは、いつ見捨てられるかと内心不安でたまらなくもあるのだが、不思議なことに、今のところ、まだ相方は私をずいぶんとかまってくれている。
 あまりに深い愛情を感じて、もう少しどうにかしなくては、と尚更焦る。

 が、やはり気が付くとあくびをしている。それで、食べて、寝て、働いて、テレビを見ているのだった。


☆  ☆  ☆  ☆


 私は村上龍が好きではない。若いころは傾倒した時期もあったが、彼の文体の美しさを除いたら、今では、あとは退廃の美学とも思えずにただグロテスクで気味が悪い。
 道を外れる(自ら外れる、踏み外すとは言わない)刹那の、ぎりぎりのところ。現実と白昼夢の境目といえば聞こえはいいが、天へと続く道をわざと外れていくような、その心理や情景を事細かに描くようなあの美意識が気持ち悪い。
 私は、真っ直ぐに道を行く素直な主人公が好きなのであった。
 
 何を言いたいかといえば、そうそう、昔同じようなことを思ったのだ。柳沢きみおの「翔んだカップル」というギャグ漫画があって、楽しく読んでいたら、次第に物語が進むうちに、主人公が廃れていく。道を踏み外していく様が延々と描かれる。超どシリアス漫画になってしまった。
 あれはしんどかった。
 次第に主人公は、愛によっても、元の道に戻ることは不可能になって、自暴自棄に陥っていく。
 で、それも過ぎたら、開き直るかのように村上龍の世界へ行って美学を築きあげていくのだった。(というふうに当時の私には映った)
 私は、そういう生き方が大嫌いである。
 ところが、最近の、食べては寝て、を繰り返す自分を思うと、何だか似通っているようで可笑しくもある。
 それが、長年生きてきて、やっとのことで道を見つけた人間のすることなのだから、人生というのは摩訶不思議で面白い。


☆  ☆  ☆  ☆


 横浜に出かけてきた。
 中華街で春節の祝いをしている、たいそう盛り上がっている、と聞いたので、重い腰を上げて出かけてきた。
 中華街というのは、どうも村上龍的だ。なるべくなら、避けて(この目に入れずに)生きていきたい、と思いながら、惹かれてしまうところがある。
 が、それも後付の理屈で、昨日の私は、本当に気味が悪くて行きたくないなぁと思っていた。
 とにかく祭りが撮りたかった。人が撮りたい。自分の世界を築き上げる作品としての写真ではなくて、関係性の中での他者が撮りたい。2月のイベントを調べて、せめて地味で厳粛な趣きの日本的なものがないかと探したが、節分も終わったばかりである。
 人がいる祭りと言えば春節くらいしか行くところがなかった。

 が、そんな半分捨て鉢な思いで出かけた春節だったが、これが思いのほか楽しかったのである。
 心はあっちの世界に浮遊しないように固定していたが、写真を撮ることが、こんなにも楽しかったか、と再確認させられた。
 狙ったのは、「春節娯楽表演」の「獅子舞と龍舞」である。
 11時からと14時から2回の公演を両方見て、写真に収めてきた。
 11時の回は会場の山下町公園に着いたのが開演ぎりぎりで、ほとんどまともに見ることさえ叶わなかった。人の頭の上から、カメラを伸ばして、ノーファインダーで撮れたくらいだった。
 私のカメラが邪魔で、前の主婦が頭を何度も振り払う。旦那さんとの頭の隙間から撮ったら、子供を抱き上げて、隙間をふさいでしまった。それでも、子供の上から撮っていたら、今度は旦那が子供を高く抱え上げて風車をするのだった。よほど私が邪魔だったと思える。
 いや、邪魔はこっちだよ、と文句の一つも言いたかったが、早く来ない方が悪い。おかげで、僅かな隙間から見える獅子舞と龍舞が世にも素晴らしい演目に見えて、少女と少年らの必死な様を傍で撮りたくて撮りたくて仕方がなくなった。
 どんな障害物にも自分のためになる意味があるものである。
 で、2回目の14時を撮ろうと、今度は1時間半前からスタンバった。
 開演前のラジオ放送を聞きながら、ずっと本居宣長の「うひ山ぶみ」を読んでいた。
 メモ帳を取り出して、これから読まなければならない本を書きだしている。


 「うひ山ぶみ」は、これから勉強を始めようとする人たちに向けて書かれたものだ。タイトルがふるっている。はじめて(書物または勉学の)山に踏み入れることを言っているのだ。
 本居宣長は、私の相方にそっくりであった。まるで焦らすように、「これは必読だ」と、「これは早く読め」を何度も繰り返す。膨大な本の量(に私には思える)を「心して、読め」、「何度も、読め」と畳み掛ける。
 で、私は彼が日本の道を記すために、徹底的に排斥した「漢」の文化の総本山みたいな「中華街」で、獅子舞と龍舞を楽しみに待ちながら、彼の教えを記している。
 そのシチュエーションも可笑しいが、もっと意外だったのが、獅子舞と龍舞を披露する神戸市の高校生たちが赤と白の衣装に日の丸を胸に掲げて登場したことであった。
 春節と言うのは中国のお祭り、いや正月だったと思うが、待ちわびた末に登場した少年少女たちは、「JAPAN KOUBE」と背中に記しているのだった。日本神戸・・が見え隠れして、「日本神」にさえ見えてくる。

 これはどういう趣向なのか。その関係性が良く見えないが、単純な私の思考だと、中国の祭りを蹂躙したずいぶん残酷なものにも思えてくる。これでは本居宣長の「漢」排斥の方が断然ましであり、(目的が日本のためであったのだから)こういう晴れ舞台で、主役を入れ替えての、少年少女を介入させての、他意あるものではなかったはずだ。
 初め私は彼らが中国の少年少女たちだと思っていたのだ。いや、もしかしたらそうだったのかもしれないが、もしそうならそうで、やはりあの真っ赤な衣装の胸の日の丸は、背中の「JAPAN」は残酷なようだ。
 そんな私の思いをよそに、少年と少女たちは必死で舞うのだった。














 

 

 春節では写真コンテストを開催しているという。
 機械を設置してあるので、その場で枚プリントアウトをして、応募をするのだと聞いた。
 私もよほど拙い写真を応募してこようかと思った。話のネタにでもなりそうだ。
 が、縁がないのか、設置してある機械の場所が詳しくわからず、(もしも縁があれば探さなくても、自然とわかるように事が運ぶはずだと思えた)今日はそういう浮ついた気持ちは捨てなさいと諭されているのだなぁ。そう捉えて、僅かばかりの残念な気持ちを抱えて、帰ってきた。
 肉まんとあんまんをお土産に買うのである。

 春節の明日からの演目を若い主婦が携帯カメラに撮っている。
 その横では、若い警官に脅される老婆。

 「売り物をすべて撤去しなさい。聞こえてるんでしょ?いいの?全部持ってっちゃうよ」

 老婆は耳が聞こえないふりをして、びくとも動かない。知らぬ存ぜぬを決め込んで、山下町公園の前に立ち並ぶ雑居ビルや古いアパートを呆然と眺めている。脅しが通用しなくて、だんだんとお願いをするように言葉尻を変えていく警官。ほらほら。老婆の方をやさしく促す。自分でやって。
 大量の売り物を運ぶには歩行者天国にパトカーを持ち込まなくてはならないだろう。警官の自転車じゃ難しかった。
 春節の演目では、神戸の少年少女はもう出る予定はない。
 今日の新幹線か、飛行機で、帰るのだろうか。
 中華街に舞う、初日限りの日の丸に思いを馳せながら、私は関内駅へと向かっていく。
 家に着いたら、また、食べて、寝るのだ。
 明日を過ぎたら、読まなければならない大量の本が待ち構えているはずであった。
 その前に、映画も見なくてはならない。
 やらねばならないことは、死ぬほどあった。
 老婆は食べ物ではなくて花を売っていたらよかったのに、などと考えている。
 花を持たされたのだろうか。少年少女たちの花のように舞う姿、高揚した表情を思い出している。