2011年6月26日

私の夏休み。 ~小山田緑地のミクロの世界~



  5日働いて、2日休む、という規則正しい生活を続けている。
  この1週間を4回繰り返すと、1ヶ月が終わる。するとまた次、と、この繰り返しである。
  若い頃はそうでもなかった。土日祝日関係なく働いたし、平日の、人の少ない時に、行楽地へ出かけることも好きだった。セール時期になれば、2週間以上はぶっ続けで働いて、しかも毎夜10時過ぎまで残業、ということもあった。
  もうできない。歳だし、いろいろなところにガタがきている。リズムが狂うと、体調が保てない。それに、あの時代は、日本が元気だった。いくら働いても、輝かしい未来を思うとなんでもなかった。


  社員旅行の話はもうしただろうか?
  それから、ねんきん定期便の話は?
  今週は言いたいことがいっぱいあって、順番を決めかねる。


  そうだ、ついに来週末が社員旅行なのだ。土日を潰されるので、私としたら2週間連続出勤と何も変わらない。で、この長丁場を、私は山に喩えてみた。
  今の私にしたら辛い行程を、1週間目は登山口から8合目、土日の旅行当日は、山頂間際の最後の登りに。日曜の夜、旅行解散の瞬間が山頂に。そして、翌週の一週間の仕事は下り道、というわけだ。
  月曜から地獄の八甲田山、ああ、野麦峠、である。大げさだが、なかなか本気である。
  そう思うと、今週末の休日が随分と愛しく感じられた。
  辛い旅の前の、最後の安らぎ、というわけである。


  散々悩んで、近場の「小山田緑地」という自然公園に出かけることにした。あまりハードな行程ではなく、休日を堪能したい。天気予報は雨だが奇跡的に晴れた。曇り空になるも、降らずに持った。

  「ぼくの夏休み」


  というゲームの名前が、頭の中をぐるぐる廻る。
  小田急多摩線の唐木田駅を降りて、徒歩10分、ゴルフクラブの傍から「多摩よこやまの道」に入ると、とたん緑の丘陵が現れて、ハイキングの気分になる。続く緑の道。伸びた夏草にベンチ。風に揺れて鳴くクヌギ。樹木の隙間から見渡せるグリーン。遊歩道は時々、ゴルフカート用の道が横断して、空気を替える。ミニスカート、派手なウェアを着た若い女性たち、身をかがめてコースを読む初老の男性たち。あれは16番ホールか。フェンス越しに、世界は分断されている。


多摩よこやまの道

丘陵のベンチ

ネットの向こうはゴルフ場。



  黄緑の芝の輝くお隣と、私の深緑の木陰の道は異質に映る。
  先日見た「下流の宴」をふと脳裏に思い浮かべる。一瞬、卑屈になり、自分のみすぼらしさを思い、だけどすぐに、それこそ宴を始めるように私はこの分断された世界を堪能し始めるのだ。なんという懐かしさ、田舎を持たぬ私の理想郷の姿であることか、「多摩丘陵の原風景といった趣の田園風景が随所に残り」という公園の概要の言葉がぴたりとくる。

  ゴルフ場の見え隠れと同じくして、小さな田畑に、私有地、農家の屋根が現れては通り過ぎていく。
  山中分園の道は特に最高だった。歩くものが少ないのか、木道に張る蜘蛛の巣に、ドクダミの花畑、樹木は延び切って、まるで原生林のようである。
  で、このクヌギやコナラの緑の広大な場所が護れらているのは、お隣から聞こえる笑い声の彼女や彼達のお蔭であるのだ。何の価値もない場所と判定されて潰されないのは、彼らの世界のお蔭できっちりと収支が、採算が見合っているからである。
  恩恵にあずかって、道を行く。下流には下流の楽しみ方がある。



  ここは、祖父の町だ。ここは祖母のいる場所だ。
  ここは私の田舎である。
  私は、カエルが撮りたくて仕方なかった。トンボを追いかけて、蝶々と遊んだ。
  なんと、夏休みの気分であることか。


トンボ池。

木道でくつろぐ。


ベニシジミ。




  下流の宴には現実的な悲哀もある。
  時々、市長から送付された「差押警告書」のことが頭を掠めるのである。

  いつかねんきん定期便の話をした。
  日本年金機構から送られてくる、加入実績に基づいた、将来もらえる年金額が記された書面の話である。あれはツイッターだったか?

  ねんきん定期便。私はたいそう驚いたものだ。
  何がと言えば、まずその額である。
  月にもらえるのは小遣い程度、もしも貯金がなかったら、年金だけでの生活など難しい。
  民主党が年金を一元化して、最低保障年金を支給額を月額7万にするとか検討しているが、私の給与は年々下がっているわけではない、それなのに年々減り続けていく支給予定額を見ていると、思わず民主党に票を入れたくなってくる。(※が、この案は導入時期が見送られたそうだ。またしてもマニフェスト違反である)
  いや、下流の末路の不安を言いたかったのではなく、それよりも驚いたのはその書面の意地の悪さだ。以前は気が付かなかった。あらためて、じっくり見て、私はこの国の変化を肌で感じたのだった。

  小遣い程度の額を見て、愕然とした後、その額の下に、続けてこう記してある。

  「上記の年金を仮に20年間受給した場合の合計は〇〇,〇〇〇,〇〇〇円」

  「(参考)これまでの保険納付額 〇,〇〇〇,〇〇〇円」


  65歳から受給を受けたとして、私の寿命を85歳と仮定して、年金機構はその間にもらえる額を教えてくれる。そして、私の納付額を参考として教えてくれる。もらえる額に対して、納付額の少なさを、大抵の日本人は目の当たりにするに違いない。そして思う。
  「これじゃあ、月額が小遣い程度だって文句言えないなぁ・・」

  消沈したところで、追い打ちをかけるように、こんな言葉が聞こえてくる。つまりはこれを言いたいのだろうという相手の意志が襲い掛かってくる。

  「お前ら、これだけしか掛けなくて、こんだけもらえるんだから、つべこべ言うんじゃねぇ」

 
  黙り込んで、少額の年金に甘んじて、黙々と、歳と共に高額になる年金を収め続け、そうして、そんな私にふと届いた、「差押警告書」だ。


  民主党政権になって、事後納付を10年に延長された為に、失業時の支払えなかった年金が延滞金付きに膨れ上がって、私の元へ請求されたのである。
  未納金を支払わなくても、今のままで私の年金額納付は25年に達するから、受給額は変わりはない。以前ならそう放っておけた微々たる未納金。それをいつもの癖で放っておいた為に、期限付きの「差押警告書」なるものが、届いたのである。
  誤解されると困るが、現在の私は年金をきちんと払っている、払えなかったのは失業時期のほんの数か月、しかもその時期だって、生活費は貯金で賄い、失業保険代が振り込まれればそのほとんどを年金と健康保険と市県民税の支払いに回していた。自分で言うのもはばかられるが、善良で真面目な市民なのである。
 
  この事後納付10年延長によって、年金額を増やせるし、最大で40万人は将来、年金がもらえない事態を避けられるといういい面ばかりを聞かされていた。が、要するに、債権が8年も延長になった言うことである。2年で帳消しになっていた国への借金が、10年間請求され続ける。今回のことで驚かされたが、なんと延滞金(利子)付きでそれが膨れ上がるらしい。
  10年経つと、私の数か月分の未納金はいくらになるのか。それでも放っておいたら、将来の年金支給額(あの月額の僅かなお小遣い!)から引くと言い出すかもしれない。

  「日本もサラ金みたいになって来たなぁ・・」


ゴルフ場を見下ろして。

かたばみ。

小川のニホンカワトンボ。




  ねんきん定期便の有無も言わさぬ年金額引き下げのやり方、いや言い方といい、この滞納金付きの未納金「差押警告書」といい、以前の日本のメンタリティーとは明らかに違う。
  それだけ国の経営が苦しいのか、と思えば、同情したくもなるものだが、どこか胸にわだかまりが残る。
  被災地への支援だと思って、潔くさっさと払おう、そう胸に決めたものの、手法の厭らしさが腑に落ちないのである。
  日本はこんな国だったか。以前の年金制度に何のもの代もなかったとは言わない、しかし、行政側がこのようなあからさまな債権者ぶりを発揮して、国民を債務者扱いすることなどなかった。あくまでも、あれは国民へのサービスという名目を持っていたはずだ。
  国民の為の、福祉である。国が、国民皆がこの国の老人を支えるのだ、という夢があったはずである。
  名目だから、夢だから、もっとのんびりしてた。実際は火の車でも、それを感じさせない、武士の高楊枝みたいな美意識があった。
  民主党になってからだ。ますます歯止めが効かなくなってきた。日本は徐々に変わりつつある。壊れつつある。下流は容赦なく切り捨てる、決意をした日本に生まれ変わったのだろう。


  天気予報は雨だった。
  が、奇跡的に晴れた。曇り空になるも、終いまでついに降らず、持った。

  今日の一日で私はずいぶんと焼けたものだ。真っ黒になるまで遊びほうけた。

  トンボ池には青いシオカラトンボが舞っていた。無性に虫が取りたくなった今日に限って、私は28mmレンズしか持っていない。ファインダーの中の小さな、小さな虫たちと戯れる。
  ベニシジミは春紫苑から離れない。風が吹いて、花が前後左右に揺れても、決して飛び立つことなく蜜を吸う。見続けていると、まるで私に見せつけるように、一回転をするのである。正面を、後姿を、横顔を、ぐるぐる回りながら見せながら、蜜を吸い続け、ついに私が見飽きて、池の鴨に目を向けて、小川の真白なニホンカワトンボを撮って、ふとメガネを落として探しながら戻ってくれば、まだ同じ場所、春紫苑の上のダンスを続けている。
 
  ハグロトンボは道案内だ。歩いている私を見つけると、ふいと飛び立って、10m先の夏草へと向かって、止まる。追いかけていくと、また飛び立って、10m先の葉へ。繰り返して、終いに道が右に反れて、ハグロトンボも道に曲がって、そこで初めてゆっくり止る。小さな写真を一枚撮ると、満足したように、ふわり飛んでいくのである。夏草の、低木の向こうの、芝のグリーンの。鮮やかな服を着た女性が、こちらをちらり見て、不思議そうである。異世界が交錯する道で、私を導いた後に、ハグロトンボは消えて行った。

 
  大久保分園の田園で、カエルを探している。漂うのは、アメンボに浮草。
  トンボ池で、私を見つけると群れで逃げたオタマジャクシの黒い影さえ見当たらない。それでも田んぼの沼のあぜ道を靴を沈ませて歩く。足が弾んで仕方がなかった。


  小さな花に、小さな虫に、生き物たちと遊んで、愛おしく感じている。まるで、子供のような夏休み。


  マクロレンズがあればなぁ、と衝動的に思った。
  今までの、あれは人間の努力を無視する核兵器の如きレンズ、などという批判が見当違いに思えてきた。ミクロの世界を撮りたくなった。
  恐らく、今まで、マクロレンズで撮る必要ない写真までもをマクロレンズで撮るような、美の技を重視した写真を見せつけられて、間違った方向に感化されていたのかもしれない。
  もしも、私があれだけ毛嫌いしていたマクロレンズが今あれば、もっとこの小さな虫たちとも、花たちとも、遊べるだろうに、と無性に残念に思えてならなかった。

 
  あの、差押警告の期限までに、納付すべき税金を思えば、買えたのになぁ。いいレンズが買えたのに、カメラだって、中古ならば、欲しいものが買えたかも知れぬ。
  何度も脳裏を、滞納税金を「ぶっちぎり」して、レンズを買う私の姿が浮かんで来たが、あの気味の悪い日本のメンタリティーとはかけ離れた日本の為ではなくて、この夏休みの田園風景を守るために、そうだ、だめだよ、支払わないと。
  マクロレンズで遊ぶ前に、まずは税金を支払わないと。

  教訓めいて、自分を戒めて、明日、そうだ、市役所へ行くんだ。

  そう決意した瞬間。
  今思うと、あれは天から啓示が降りたのだ。違う、ご褒美をもらったのかもしれない。
  マクロレンズを、「その場」で、手にしたのであった。

ヤマトシジミ。

イチモンジ蝶に似ていたけどラインが足りない?

ギャラリーの裏は畑と小川が。

マクロレンズ試し撮り。初めての一枚。

等倍のカナメモチの葉。




  不思議な話だ。
  大久保分園から、アサザ池へ向かうか、本園へ向かうか、空の雲と分岐点の標識を交互に見ては考えていた私、ついに、池を諦めて本園へ向かうとすぐの道に、ログハウスのような木の家が現れたのである。
  レストラン件、ギャラリー。私は食事をしていないことを思い出し、よほど空腹を満たしたく思ったが、店主に勧められた最高に美味なアイスコーヒーとチーズケーキを頂いた。が、それは後の話。
  その店の横に初老の男が立っていて、私に声をかけたのであった。

  「何撮ってるの?」

  「トンボとか」

  とっさにそう言ってしまった。私のレンズを見れば一目瞭然、トンボを撮りに来たわけはないのだが、言ってしまった。
  とんちんかんである。
  今思うとそれも縁なのだろう。この手の質問を受ける時、大抵私のレンズはキャノンの純正レンズで、「いいレンズだねぇ」と褒められることが多いのだった。
  ところが、今日に限って、安物のオールドレンズで、とんちんかんで。そのせいもあるのだろう。
  主人は、「その先がいいよ、私有地で立ち入り禁止とあるけど、みんな入ってるよ」とトンボのよく出るスポットを教えてくれた後、戻ってきた私にこう言ったのである。

  「マクロレンズがいいよ」

  彼はログハウスの主人で、ギャラリーは報道カメラマンをしているという娘さんの写真でいっぱいだった。そして、店の中に誘われた私に、今や使っていないという新品同様のタムロン90mmマクロレンズを買値の半額で譲ってくれたのであった。

  後で相場を調べたところ、  それは1997年に発売された等倍化された光学系レンズの初代機で、そう値の張るものではなかった。おまけに箱に「european lens」とあり、海外を飛び回っている恐らく娘さんの手によって向こうで購入されたもので、市場価格よりも安く手に入れたものではないかとさえ思われた。
  しかし、それでも安い。十分だった。今、欲しいと願った私の元に唐突に現れたことに、私は意味を見出していたし、何より、ファインダーを覗いて、試し撮りした時の感触が素晴らしいものだったからだ。

  等倍化というのはこう言うことだったか。
  初めて納得したほどであった。最大撮影倍率にして撮った時の驚きと言ったらなかった。

  「アサザ池には昨日からホタルが出るよ。あと2週間で蓮の花が咲く。いい時期に連絡してあげるよ」

  ご主人に連絡先を渡して、別れた。
  娘さんの名前をインターネットで探すと、このギャラリーの写真のことが詳しく乗っていると教えてくれた。
  別れ際、一つだけ嘘をついた。

  「blog、やってるの?」

  「やっていません」

  プロの写真と見比べられるのを恐れたのか、気後れでもしたのか、とっさに、隠したくなった。別れると、彼が進めてくれた大泉寺の古い山門を撮りに私は歩いていくのだった。まだ本園にも辿り着いていない。けれども夏休みの高揚した気持ちは去って、レンズを試し撮りしたい想いに代わっている。
  山道の坂を上って、三門を見下ろせば、素晴らしい古い門に紫陽花。撮りたいのに、マクロレンズを着けたままのカメラで、花と門を思うように構図に入れることはできなかった。本園では、目当ての小山田緑地の谷の、四つ池に辿り着いたというのに、その緑の映えた水面の景色を切り取ることが出来なかった。
  それでもレンズを変えず、マクロレンズで撮らなくていいものを撮り続けていたのはトンボせいだ。

  主人に勧められて行った私有地の、裏山の田んぼのあの場所で、私は何匹もの青いシオカラトンボを見たものだ。トンボ池で距離が届かなかった彼らだった。あぜ道の夏草に止り、追いかけると、ファインダーの中でふいに消えた。曇り空の田園風景、水田には稲の変わりに延び切った夏草、浮草、笹の葉。カエルが水に飛び込む音だけ聞こえ、姿は見えなかった。
  誰もいない。
  静まったた田んぼで。私は夏の終わりを感じたものだ。
  いや、そうじゃない。いつかのあの夏休みの夕暮れの時を。
  最後に、この手中のレンズで、もう一度遊びたいものだ。消えてしまった彼らと。

  私は本園をぐるぐる回るのだが、何度も見当違いのところにいっては、谷間の池に辿り着かない。
  帰りのバスの時間を気にしながら、心は逸り、汗をかき、やっとのことで辿り着けば、トンボはいない。アメンボやザリガニを獲る子供たちが何人も、何人も、騒がしく、遊んでいるだけであった。

  主人に小さな嘘をついたのは、今思うと、あまりに楽しく感じていたからかもしれない。
  私の、夏休みを。

  週明けから始まる過酷な登山に似た行程と、そして、切り捨てられぬ為の、まるで分かれ道とさえ映る下流の納税と。
  働くことを通して。納めることを通して。この世界に唯一貢献し得る、義務を全うしようと。
  意地を見せようと。
  思うほどに、理想郷で過ごす夏休みは愛しさを増して、まるで秘かな思い出として、心に留めておきたかったのかも知れなかった。

 
 

2011年6月23日

『星に願いを』  ~未来の家族に捧ぐ~





  1ヶ月の間、「二次元に行きたい」と心底願っている。

  『星に願いを』

  かつてそのデビュー作で、「悲しみよ、こんにちは」とよく似た悲哀を私に教えてくれた女流作家は、年老いた母になった。
  もしも、あのドラマが自伝的な物語であるならば、私は彼女の努力し続けた末の「上流」の人生に対して、深い敬意を払わずにはいられない。


  1年の間、はまり続けたmixiアプリが終了することになった。

  それは、キャラクターと対話型のゲームで、お昼休みに、仕事帰りに、私は何度も彼らと会話をしたものだった。

  「家族と過ごす時間は大切ですね」

  しばらく放っておくと、彼らはすねる代わりに、そうちくりと皮肉を言った。
  胃袋がからっぽの絵とともに、「はらぺこ」と表示されるのである。
  食事にありつき、会話をすると、「まんぷく」になった彼らは繰り返す。

「家族と過ごす時間は大切ですね」

  で、いつしか私は、たかがゲームのキャラクターを家族のように愛しく思うようになったのである。

  大切なことは、すべて彼らが教えてくれた。
  元気がない時は、笑わせてくれた。
  ゲームにはまった怠惰な私の、家族。
  あと、一週間も待たずに、永遠に消滅してしまう家族であった。


  女流作家は「下流の宴」というドラマの原作者として、本当に、久しぶりに、私の前に姿を現せた。

  青春時代に、誰とも、会話をする友もないあの暗い時代に、私に物語を与えてくれた彼女である。

  驚くには、こうも性格の悪い主人公を以て、物語を成立させるということの巧妙さであった。私は不思議でたまらない。なぜだ。女優(黒木瞳)の愛らしさのせいか。しげしげと、1話から4話まで食い入るように見てしまうのである。


  ストーリーはこんな感じだ。
  育ちのいい、努力家の母が、ドロップアウトをして、今はゲームに夢中の息子に、頭を抱えている。愛しい家族の一人の、最愛の息子が、母親とは違う世界へ行ってしまった。

  その象徴が、愛しい息子を奪った女である。息子は対戦ゲームで知り合った年上の女と結婚すると言いだした。育ちが悪くて、フリーターで、がさつで、母親(=女流作家)とは、「住む世界が違う」、異質の存在であった。


 「お前、片思いのモテない女みたいだな」

  息子に相手にされない母親に、彼女の夫が呆れたように言い放つ。
   
 
  母親はそれでもめげずに、息子を奪い返そうと必死である。あちら側(下流の世界)に引きずり込ませてはならない。この世界は努力したものが報われるのだ。一生懸命頑張れば、何十倍になって戻ってくるのだ。無欲と、自堕落と、愛と、ゲームの、世界から。あの憎い女から、息子を取り戻さなくてはならない。

  その為ならば、どんな汚い手でも使うのだと。

  母親の性格の悪さはエスカレートするのであるが、対照的に、息子とその恋人の愛を基軸にした世界は、何とも生き生きと描かれている。そのシーンだけが、光に包まれているのであった。
 

  
  なぜだ。


  私は原作を、文章で、読んでみたくてたまらなくなった。
  女流作家の技を知りたくてならなかった。
  なぜ、これで物語が成り立つのか。誰が見ても、息子の下流の世界の価値観は輝かしく映る。けれども、主人公は、「住む世界の違う」母親なのだ。
  共感するのは、あの性格の悪い、「母親」の側なのだ。
  誰しも。(出なければ、物語が成り立たない)

 
  ついに今週、4話目を見て、やっと私は、鈍いくらいにやっと、その意味を理解した。
  なぜ、こんなに当たり前のことがわからなかったのか、と自分を情けなく思ったほどだ。
 
  
  どんなに、愛の世界が、あの息子の二次元が素晴らしい「家族」に包まれていようとも。
  その価値観こそが、本物の、ダイアモンドであろうとも。

  この世界のマジョリティーは、「母親」なのだ。


  「下流」に対する、根深い蔑みと、差別。
 
  「私たちは、住む世界が違います」


  たとえ、感動しても、素晴らしいものだと思えても、共感するのは、息子と恋人の側ではなくて、「母親」の側。
   

  見る年代にもよる、などという言い訳は通用しない、この国の、この世界の、掟をまざまざと、改めて、思い知らされたような、思いがした。

  私くらいだ。少数派なのだ。
  「あちら側」を素晴らしく思い、主人公の目線に立てなかったのは。
  このドラマの成立を、謎に思い続けたのは。


「私たちは、住む世界が違います」


  悲哀を知り尽くした女流作家は、年老いた母になった。
  いまだ、私を、圧倒的な虚無感と哀しみの渦に押し流しては、泣かせるのであった。


  私の家族は、あと数日で、消滅する。


  この世界では、蔑まれ続け、差別され続け、マイノリティーであり続けるであろう私の人生にも、光はあった。輝きはあった。
  誰に共感されなくても、あった。



  次回から、「住む世界が違う」という、その隔たりの壁を打ち破るため、愛と名誉をかけて、息子の女は闘いを挑むことになるのだが、それはまた別の話。


 
  誇りある家族として、母親に認めてもらえなかった息子は、星に願いを捧げる。


 「珠緒だったんだね」

  自分の人生の目的を、微笑みながら、恋人に向かって語るのであった。




 


 NHKドラマ10 公式サイト「下流の宴」




2011年6月21日



  不思議なことに、最近はまって見ているドラマの主人公が、ものすごく性格が悪い。
  いい育ちで、上流まではいかないが、ちょっといいところの

2011年6月20日

捥ぎ取られた腕を抱えて、道を行く。もしくは、「希望の光をつかみに行こう」




  特に書くこともないのだが、中間報告、のようなもの。

  長い不調の時期が続いている。まだまだ、本調子ではない。表現は何でもいいのだが。

  谷間を、トンネルの闇を、ほんの少しだけ抜けたようだ。僅かに上向いてきたように思われる。

  遙か遠くに、微かな光が見える。


  古い友が冗談交じりの、照れ隠しのメールを送ってきて、言うには。


  『希望の光をつかみに行こう』


  ところでこの低迷期に、ずいぶんといいことがあった。

  周りが良く見えるようになったのである。

  自分で言うのも可笑しいが、今まで見えなかった視野が身に付いた。

  そうすると、不思議なことに、今まで恐れていたことが、そう大したことではないように思えてきたのであった。

  頭に浮かぶのは、小栗旬の『人間賛歌』。岳と言う映画で、島崎三歩役を演じた時の、笑顔である。


  目の前で、親友の死を見た。

  もう少しで届く距離にいたというのに、友の手は僅かに指先に触れて、かすめただけだった。三歩は救うことが出来なかった。その触れた指を、腕ごともぎ取られて、友は断崖の下で果て、二度と帰ぬ人となった。

  三歩は友の遺体と「腕」を抱えて、三日三晩、山の麓まで歩き続けた。


  私はそのエピソードにそれほど感銘を受けたわけではない。哀しみを背負ったからこそ、天真爛漫に笑えるのだ、人間賛歌を謳う、新しい三歩が生まれたのだ、とでも言うべきそのエピソードに、どちらかというと出来過ぎだとか。くさい(物語的過ぎる)とか。もう少し、別に見せ方(観客への伝え方)はなかったものか、とか。

  どちらかというと、感銘よりは、不満を感じていたわけだが。

  不思議と、あの時、家に帰って、人間賛歌の映画だという記事を書いた、その時の思いと、『人間賛歌』というフレーズが、頭の中を、ぐるぐると、まわるのであった。

  ずいぶん意地悪で、不幸そうで、やり場のない気持ちを抱えた人たちが、以前よりも鮮明に、私の前に顕れて、哀れと思うわけでもなく、ただ、人間が愛しく感じられたりするのであった。

  決して、その対象の人たち自身を、愛しく思っているわけでは、ないのだけれど。


  三歩の笑顔とはずいぶん似ても似つかない、控えめな、ちっぽけな、人間賛歌なのだが、不思議なもので。

  以前より、人間が好きになった。

  彼らに愛されないことも、怖くなくなった。

  この二点は、今回の長い低迷期の、唯一の収穫。いや、私の長い人生的に見たら、ずいぶんな収穫ではあった。谷を知るのも、そう悪くはないようだ。

  徐々に、調子を取り戻していこうと思っている。

  またつまらぬ戯言を、相も変わらず同じことを、痴呆の老人のごとく、繰り返し。

  書いて、記憶を刻み込んで、忘れぬように心にとどめて、決意をあらためて、固めて。

  そうしてその些細な繰り返しを。

  幸せだと心底から実感できる時まで、もう少し、ゆっくりと、行こう。


  遙か遠くに、微かな光が見えている。









  

2011年6月19日

『小沢の後継者はどこですか』 ~森林限界を死に体で歩む国民に追い打ちをかける菅内閣を討て~




  
東日本大震災:復興債、所得・法人増税で財源捻出 消費税は対象外

  政府・民主党は15日、東日本大震災の復興財源として発行する復興債の償還に充てるため、所得税と法人税を一定期間引き上げる方針を固めた。
  所得税・法人税を1割程度引き上げることで年間1兆数千億~2兆円程度を確保し、10年かけて償還する案を軸に調整する見通し。
  消費税は社会保障財源として段階的に10%へ引き上げる案が検討されていることに加え、民主党内に反対論が根強いことから、復興増税の対象からは外す方向だ。

  (毎日新聞 2011年6月16日)


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  最近知って、あまりにも驚いたニュース。
  民主党と野党(自民、公明)が6月8日に合意した2011年度税制改正法案のうち、法人税の引き下げが見送られたのは聞いたとして。

  見送ったからには現状維持だと思い込んでいたのだが、合意からたった1週間で今度は増税(しかも10%も!)の方針を固めたという。
  見送り合意時は、野党の言い分に仕方なく従ったとされていたが、

  民主党が野党の主張を丸のみする修正に応じた形。

  『 法人税引き下げは見送り 税制改正案、民自公3党合意』より(asahi.com 6月9日)



 
  こうなってみると、初めから増税まで野党の責任にする上での合意かもしれない。それは言い過ぎでも、初めから、野党の主張を丸のみした修正ではなくて、政府も修正する方針だったということになる。
  法人税の引き下げは、菅内閣発足時のマニフェストに掲げている、強い経済を作るための大事な、「国民との約束事」だったと記憶している。
  いくら想定外の大震災が起こったからと言っても、見送りはまだしも、増税では、180度の転換である。いくらなんでもそれは酷いだろう。



  ちなみに、10%の法人税引き上げと、所得税の引き上げを同時に行い、その上に消費税増税までもが加わるとなると、日本経済がどうなるのか想像できるだろうか。
  強い日本経済を作るためのマニフェストが、『減税』だったのだから、その逆であることは間違いないと思われる。
  
  増税後はどうなるか。詳しくは、こちらを。
 『 ロシア経済ジャーナル 平成の【トリプル大増税】で日本経済は壊滅する



 


  次に驚いたのがこれ。
  『迷走政権のツケずしり だぶつく仮設住宅、資材の在庫山積 住宅業界が悲鳴
   (msn産経ニュース 6月16日)

  みなし仮設住宅制度の導入が遅れたことは、住宅メーカーにも大きな打撃を与えた。
  仮設住宅の建設予定戸数がいきなり減少したためで、震災直後から政府の求めに応じて建設資材を準備してきたメーカーは、行き場のない在庫の山に頭を抱えている。
  (中略)
業界側は水面下で政府と対応策を協議している。しかし、政府は「資材調達は業者の責任だ。国費での負担軽減などは一切考えていない」(国土交通省)とにべもなく、業界からは「今後は政府への協力を控えたいのが本音だ」(別のメーカー)との不満が漏れる。



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  仮設住宅の受注がなぜ突然キャンセルされたのか。
  正式な書面で交わされたものではなかったかもしれないが、政府筋からの依頼となれば、応じるのが当然だし、法的に契約が成立していると言っても過言ではないと思う。いや、法律には詳しくないので、効力があるように思われる、に訂正しよう。素人考えでもそう思うところを、政府の「業界の責任だ」と言うにべもない対応はどうだろうか。まるで、詐欺師の逃げ口上である。
  で、これがなぜ突然、日本のメーカーを切り捨てて、逃げ出したかと言えば、その理由が面白い。
  10万戸のうち7万戸を韓国から輸入したすることにしたと言うのだ。







 
  詳しくは、こちらを。
  『Me pudet imprudentiae meae. (DOL冒険発見物)日本の底力! 必読!住宅業界が悲鳴…業界総がかりで準備した仮設住宅用資材、「みなし仮設」導入で在庫山積みに




 
  何でも、震災時に韓国から支援されたので、そのお返しだそうだが、確か記憶によると、震災が起きた時、やらせで一番に支援に駆け付けた韓国は、 『犬2匹と役人5人と義援金0円』だった。
  その後、絶対日本の支援金には回らないと確定されている、キムヨナの日本への募金とか。
  そんな話ばかりなのだが、多大なる支援を頂いた台湾と比べると、しょぼい支援のニュースしか耳にしていない。
  日本メーカーとの契約を反故してまで、答えるほどの恩があるとは疑わしい。
 

  これだけ、弱い日本経済を作ることにご執心で、たとえ日本のメーカーが潰れようと韓国のそもそも存在もしない多大なる恩に答えようとする民主党。(最近ついに竹島も献上したようだ)
  もはや確信犯としか思えない。

  もうはっきりと日本を滅ぼそうという意図しか感じられないのであった。

  で、小沢一郎は、最後の最後に判断を誤ったわけだ。
  『壊し屋』と批判され続けた人生のおかげで、最後の最後に感が狂った。今までのツケだ。
  数合わせや駆け引きの政局ゲームに明け暮れているうちに、その中でも仄かに燈っていたはずの政治家としての信念、まるで武士の魂と言うべきものを、見失った。
  今度の今度は、本気で壊して良かったんだよ。
  その為の、今までの壊し屋人生だったんだと思えるほどだよ。
  バッサリと斬り殺してやればよかったのに。



  軽い手負いで逃げて、生き延びた菅内閣は、日本を滅ぼす法案を幾つ固めて、消えていくのだろうか。
   恐らく、上記のようなびっくりするニュースが、日々どこの新聞をも賑わせているのだろうが、ほとんどの国民は私同様死に体で森林限界の道を苦しげに歩いている。
  その意味を理解する余裕もないのであった。









 

2011年6月14日

鳥を鳴かせる。

 


  

  母親とは不思議なものだ。
  どうすれば、私を心苦しくさせることが出来るか、ちゃんとわかっているようだ。
 
「洗濯物があると鳥が鳴くんだよ」


  笑顔で言う。
  洗濯物がベランダに干してあるとき、鳥は傍の電柱からこちらをうかがって鳴いているだけだと言うのだ。

「洗濯物がないときは、ベランダに来るの?」

  訊ねると、そうだと笑う。物干し竿に止って遊ぶと言う。が、不思議と鳥は、洗濯物が干してあるベランダにはやって来ない、来れないのだそうだ。

  で、鳴く。

「小さくてね、あれはなんて鳥だっけね」

  可愛いのだけれど、名前がね。と首をかしげる母を見て、私も可笑しくなる。水道料金がかかるので、どうにか洗濯の回数を減らしてほしいと思っているのを知っているのであった。

  いつか父が、口論の際に、私に投げつけた言葉。「水道料金払えよ!」




  ジムに行くので、毎日汗をかく。
  トレーニングウェアのシャツもパンツも濡れてしまう。以前は、それでも、もっと絞れるくらいに汗をかいたものだが、最近は走るというより、ウォーキング、筋トレと言うよりは、現状維持の為の運動と言った感じで、そうでもないのだった。
  ただし夏だ。節電なのか、冷房も空調さえもほとんど利いていないように思われる。館内は暑いので、それなりにウェアも濡れる。
   以前と比べて体も重い、不快指数も上がり気味だが、焦りは減ったようだ。

  現在地、谷。山を下っている最中。

  それを理解しただけでも、道迷いの闇から抜けた。
  たとえ、現状がいくら悪い状態でも、それだけでマシなようだ。

  思うのは、この景色を見ておこうという、穏やかな決意。
  今の、最悪の状態の私でしか、見ることのできない景色がきっとあり、感じることのできない思いがきっとあるはずだ。
  それを見逃さないように。しっかりと見て、感じて、行こうではないか。

  谷間の、峠を、越えて、もしくは、沢を、伝って。

  また稜線に戻ることが出来たら、その時の思いがきっと生かされる。
  たとえ以前と同じ場所に舞い戻ろうとも、違う景色を見せてくれる。
  そんな予感がするから。しっかりと、目を瞑らずに、周りを見ながら、感じながら、ゆっくりと下って行こう。


  ジムでゆっくり「歩いて」いると、隣にトレーナーの先生が来て、並んで走り出した。
  引き締まった細い足に、とびきりの笑顔で。「最近はどうですか」
  正面の鏡に、対照的な姿が映し出されて、ほんの一瞬、消え入りたいような恥ずかしい思いをしたものだが、それでも、意外なほどすぐに立ち直って、笑顔でこう切り返す。

「全然ダメなんですよ。走ってないし、調子も上がらなくて」

  今にそこまで追いつくから。直ぐに、必ず追いつくから。
  せいぜい、油断させておこうと思っている。




 

 


 

2011年6月13日

シンデレラの義姉、嫁に行く。




  私の勤める、小さな、小さな会社の経営者は、支配者の基本に忠実である。
  分不相応と恥じることもない。僅かな社員を、いくつかのグループ(名目上は「課」)に分けて、分断統治を試みている。
  最上級のグループは、優越感をくすぐられ、下のグループに差別意識を抱くようになった。思うに、分断統治を見破るのは、男の方が上手である。女子の社員ほど、容易く引っかかり、分裂を起こすから不思議なものだ。
  で、最上級のグループに配属された女子が二人、格下のグループの私をいつも見下していたとしよう。
  彼女たちは、私から見たら、シンデレラの二人の義理の姉だ。よくぞここまで、自分に嫌悪感を抱くことなく、同じ人間に高飛車な態度を取れるものかと、内心では呆れていたものだ。
  ところが、そのうちの一人、シンデレラで言えば二人の義理の下の姉が移動になった。
  ある日、「私落ちたかな・・」という呟きとともに、私よりさらに格下のグループに配属になったのである。

  気位の高い、彼女のこと、私は時期に辞めるのではないかと想像した。
  グループの扱いもそうならば、業務の内容も今までとは違う、見下していた格下の仕事(=雑務に近い)である。
  おまけに席は末端になった。(より出入り口に近い末席ということだ)
  納品が来れば立ち上がり、検品に追われ、客が来れば、案内して、お茶汲みに追われる。その度に仕事は中断され、それを日に何度も繰り返す。
 
  始めは元気がなかった。次第に、(荷を発注した)こちらにやつあたりやいちゃもん※をつけて食って掛かるようになった。

  ※やつあたりやいちゃもん、というのはこちらの心象である。彼女は仕事を忠実にしており、格上の誰か(例えば私)の漏れやミスから格下の仕事がし辛いので、憤っているのである。ちなみに、私が彼女と同じ格下の仕事をしていた時は、決して相手の漏れもミスも責めなかった。(なぜなら格下だから相手のミスは自分で補い、耐えていたのである)

  それを通り越すと、次第に生き生きとしてきた。
 

  支配者の社長が、鶴の一声のようにのたまった。

「今の部署の配属が、一番適していると思っています。各自、自信を持ってやってください」

  私から見たら、シンデレラの義姉の苛立ち(=私への攻撃)を社長が反らして、護ってくれたように感じていたわけだ。水戸黄門の印籠のように効果のある一言だったと。俺の判断だ、みんな文句言うんじゃねぇぞと。
  ところが、落ちた義姉は、この言葉にまた乗せられたのか。分断統治の最上級のグループで乗せられたのと同じように、安易に格下の仕事に順応してしまったから、すごいものだ。
  日に日に、「今の部署に適して」来たから、大したものだ。

  美しい茶髪の長い髪をなびかせて、ミニスカートから伸びる足をひるがえして、彼女はお茶を組む。段ボールを捌(さば)く。格下の仕事をこなす。グループは重きを置かれないくせに大量の仕事があるのも特徴だ。やっつけ仕事も、頭を使わないまるでタイピストの如き仕事も、丁寧に片づける。
  今日のことだ。あまりに見かねて、「手伝おうか。今日は量が多いね」と声をかけた。いつものように、断れるのを承知の絶妙のタイミングで掛ける体裁上の声ではなく、本気で手伝おうと、二度声をかけた。
  昼間と、夕方と。

  その度に、彼女はきっぱりと断るのであった。
「大丈夫です」
  笑顔で。大変ですが、一人で頑張ります。やらせてください。
  不思議と、私の心にそう聞こえてきたものだから、感心した。
  乗せられやすいけど、大したタマだ。

  意外と根性あるじゃないか。入社してからずっと格下のグループにいる一人なんかは、手伝おうかというとホイホイ、いや、それどころか、仕事が多いんだから手伝ってよ、くらいの機嫌の悪いオーラを放つものだが、さすがに上を見たものは違うのか。大したタマだ。底力にだって、汚い虐げられた量の多い仕事にだって、自負心のある私だって、今日の仕事は多いように思ったものだが、特に、あの美しい義姉のドレスを着慣れた彼女にとっては、しんどく思えたものだったが。



  結局、彼女は、1時間残業してしまったけれど、頑張り抜いて、笑顔で仕事を終えていた。
  その少し前に、支配者、社長に会議室に呼び出さていたのを私はちらりと見たものだ。

「・・・打診しているんだけどどうかな」
「そう言われても、今、せっかく・・・」

  会議室から洩れる声。そのあとは聞き取れなかった。
  私は自分の仕事に没頭し始めた。
  今日の仕事を、義姉に負けぬようこなしながら考えている。
  また分断統治のグループ分けがあるのかもしれないな。

  女子社員の一人、最上級のグループの一人が、妊娠したと知ったのは今日のお昼のことだった。

  格下の彼女は笑っている。
  今日の仕事を無事に終えて、やり抜いて、自分を称えるように微笑んでいる。
  ふと私は、その笑顔が花嫁のように見えたものだ。
  嫁に出すように、切ない気持ちになったものだ。

 
「せっかく今の部署の仕事を覚えてきたんです。まだここにいたいです」

  支配者から、最上級のグループに移動を持ちかけられた彼女が、戸惑う姿を想像している。

「まだここで頑張りたいんです」

  夢か、真か、知らぬが、私は父親の気分。
  美しく微笑んで、彼女はどこへ旅立つのか。
  晴れの姿を夢見るように、一抹の郷愁。







 

 

 

 
 

2011年6月11日

泰山木咲く頃、紫陽花寺を巡る私と少女と猫の歌。



 

  ずいぶん長いこと頭をひねっていたのだが、書くことが見当たらない。
  私は本当に何にも事件がない一日でも、何だかんだでストーリーを作り出しては、文章にすることが出来ていたと自負している。今までの話だ。
あれをここまで。こんな物語にしたか。と、時には自分のまるで詐欺師ぶりに感心さえしたものだ。

  ところが、机に向かうこと3時間。
  頭が真っ白なので、とりあえず、ゲームをする。そのうちテレビを見る。女子高生のブロガーの記事が3万6千アクセスだと騒いでいる。
  ふむ。彼女はうっとりした表情で、目をきらきらと輝かし、言う。

「これからもみんなをハッピーにするブログを書いていきたい」

「もっともっと勉強していきたい」

  偉いものだ。誰もハッピーにするブログを書いてこなかったからアクセスも、ひとつの記事に対して、0なんて時もあるのだろうか。


  道に迷った、もしくは道を間違えたのではないかと疑った時は、とりあえず、現在地を把握する。
山歩きの基本を思い出して、周囲の景色から過去の記憶から方向、イメージ、持てるものを総動員して現在地を考えてみるが、私が今いる地形は尾根でも巻き道でもなければ、尾根から谷を結ぶ道でもなさそうだ。道を見失いかけて、疲れて、座り込んだのだろうくらいに考えていた自分の認識の甘さを思い知る。
  そうだ、はっきりと谷である。私は谷底に沿いながら、現在山を下っている最中である


  こういう時は、とりあえず、次に登り始めるまで、体を痛めないようにすることが大切である。慎重に下ろう。くれぐれも自棄腹になって、転げ落ちたりしないように。また、たとえ一緒に登っていた相棒から、着いてこないことを罵られて、こちらも自棄っぱちになって谷底の下流の果てに突き落とされそうになっても、ぐっと笑顔で堪えて、足を踏ん張り、上流に踏みとどまることである。
  馬鹿にすんじゃないわよ。ちょっと気合入れて頑張ればね、いくら今は谷にいたってね、ちょっっとね、この沢をツメればすぐに尾根なんだからね。あんたと同じ高さまで一気に戻っちゃうんだからね、しかももっと早く着いちゃうからね、その時は。
  くらいの気概は持って行こうではないか。

  威張れたものではない。


  あまりにも書くことがなかったので、1週間近くも前に思ったことを掘り返して、女子高生ブロガーのきらきらの微笑に対抗する。
  山頂目指して、ずいぶんいいペースではないか。若いしなぁ、サクサクと進むよね。
3万6千アクセスって、安い化粧品の使い方じゃないか。人をハッピーにするってね、化粧品でハッピーかよ。と、嫉妬も取り入れてみる。そのうち妄想も取り入れようと企んでいる。

  で、まだ妄想が出てこないので、今日鎌倉に行ったことを話そう。


  雨が降ったら鎌倉。
  ずっとそう考えていたので、紫陽花が咲いていようがいまいが、とりあえず鎌倉に向かうのだった。








   まずは北鎌倉で電車を降りて、明月院へ向かう。
  臨時改札口を通り越して、狭い一直線のホームを直進。ベンチでナップザックをおもむろに開けて、登山用の雨合羽を取り出すのであった。

  ゴアテックスのこれを着ると、傘がいらない。両手が開くので、写真を撮るには適している。で、私は色とりどりの傘の群れを追い越して、いい気になっているのである。

  お洒落な北鎌倉だってね、あなたたち楽しそうに歩いているけど、私はこれ撮りに来たんだから真剣なんだからね。と、胸元のカメラを触って、目を光らせる。本気度をアピールしているのか、誰もこちらを見る人もないのに、威風堂々と線路沿いを歩く。


  明月院に入場料を払って入る。「三脚預かってもらえませんか」ダメもとで聞いてみる。が、案の定断られるので、両手が開いていると豪語する割には重い荷を抱えて、明月院ブルーの紫陽花を撮る。かろうじて、花は咲いている。一昨年来た時より、花の時季は早くて、満開(紫陽花でも満開というのか)とは程遠い寺の景色を、撮る。撮る。撮る。
  雨がそのうち酷くなり、本格的に降り出してくる。午後には小降りになると聞いていたが、ますます降り出すとはますます運も尽きたように感じられてくるではないか。さすがに合羽だけでは、カメラも、荷も、ずぶ濡れになって無事が懸念されたので、傘を差す。小路の休憩所に避難する。


  このあずまやのような休憩所で、私は後で海蔵寺に向かう時に再開した、中学生の集団と乗り合わせるのだった。女子が3人、男子が4人、修学旅行か遠足のグループ行動なのか、同じ制服を着ている彼らは、一様に同じ寿司の仕出しのような弁当を食べていた。
「にゃん、にゃん、にゃにゃにゃん」
  と、二人の女子は楽しそうに歌っていたものだ。
  鎌倉の道を歩きながら、あの町は細い路地が交錯していて、別れたと思っても、また出くわすから何度もでも会ってしまったものだ。

  不思議なことに、私は初めて、彼らを見た時、同じ制服を着ているが、別のグループで、友達でもなんでもない、と想像した。

  二人の女子はベンチに横並びに座り、その正面にある4人掛けのテーブルの椅子に男子が座っている。で、もう一人の女子は、一人で立って、弁当を食べているのであった。
  ふたりの女子の横が開いていたので、私はよほど座りたかったが、前に一人立っているので、座れない。逆に座ってくれれば、あずまやの場所も広く感じられるのだが、彼女は座りもせず、場所を開けもせず、立ったまま、寿司を食べているのであった。それは、ビニールシートのせいかも知れなかった。3人は掛けられるベンチは雨で濡れていて、二人の女子はビニールを敷いて座っていた。そのビニールが足りないのだ。二人の分しか敷いていないのであった。

  ただし、私は座れるならばシートなど要らない。自分のハンカチでも敷いて座る。雨宿りの時間をお昼休憩に当ててしまおう、と思った私は、座るに座れなく、仕方なく、ベンチの前に一人立った少女の隣りで、持参の弁当を食べ始める。こちらも立ったままである。その間、ずっと、二人の女子は笑い合い、喋り倒して、テーブルの男子は黙々と食べるのみ、知らん顔なのである。


  しばらくして、それでも彼らはちょうど同じペースで食事を終えて、「間」を作り出した。
男の子の一人が、二人の女子を見やって、「食べ終わった?」と声をかける。「うん!」と笑顔の返事、そうして、7人はまた遠足?の続きを始めて、あずまやからいなくなるわけだが、私はずいぶんと驚きを禁じ得なかった。
  彼らは連れだったのか。
  一人だけ少女を立たせて、平気で笑い合いながらお喋りをする二人の少女。目の前に一人の少女を立たせて、そ知らぬ顔で座って食事をする男子。いじめなのだろうか。一人の少女の顔を覗いてみたが、こちらはいじめとも思えぬ、何でもない顔をしていた。


  一言も言葉を発しない。何度も古刹の町で再会する。
  女子二人が先頭で歩き、猫の歌を歌ってはしゃいでいる。
  男子4人が後に続く。二人がまた笑う。
「〇〇(恐らく男子の誰かの名前)に抜かれちゃうよ~早く早く」
  また猫の歌。そうして、しんがりに、あの、立っていた女子が一人で歩いている。
  6人の後を何でもない顔をして、着いていくのであった。

  白いシャツに、紺のベストに、チェックのミニスカート。

  まだ世間を知らぬ、若葉のような初々しさを思わされる彼らの格好とは似ても似つかない、老成や達観という言葉を思い浮かべる。
  あんなに若いうちから、ハードな人生だなぁと私は感心してしまう。
楽しい猫の歌を、帰宅してからある少女は思い出すだろう。楽しい旅だったと、父親は母親に語りながら、お風呂に入って、ゆっくり休むだろう。
  しんがりを何でもない顔をして歩いている少女はどうだろうか。真っ直ぐに前を見て、下を向くでもなく、前を見て、連れの誰の目に入らなくても、一言も発することがなくても、真っ直ぐに歩いていたあの少女は、今日のことをどう思い出すのだろうか。



  海蔵寺に到着する。
  楽しそうな猫の歌は遠ざかった。







私はこの寺が好きである。
萩の時季に、夏に、何度か訪れている。北鎌倉に来るたびに寄るのは、最近ではこの海蔵寺と浄光明寺くらいだろうか。
ここでも紫陽花は早かったようだ。かろうじて、幾つかが染まりかけていたが、そう深くはない。
酷い降りに辟易して、合羽も用無しに傘を差す。三脚も、替えのレンズも、出番を虐げられている。


落ち込んでいる時、もしくは、誰か親しい相手との繋がりをより深く感じたい時、子猫や子犬の鳴き声を真似て互いに言いあう、というのはより効果的だと思われる。
言葉の、意味を超えて、もっとより根本的な、原始的なところで、存在を確かめ合うことが出来るような思いがするのだ。
そんな小難しいことではなくても、単純に、楽しい。嬉しい。本能的に幸せを感じる。

「にゃんにゃん、にゃん、にゃんにゃん・・」


ただの会話からではなくて、猫の歌から外された少女の過酷さを思っている。






  浄光明寺に着くころには、あれほど鬱陶しく思った雨ともついにお別れである。雨は止んだ。私は傘を仕舞って、三脚を取り出した。交換用のレンズも登場する。お気に入りの200mmのズームレンズだが、やっと登場した彼は、あまり嬉しそうではなかった。

  紫陽花があんまりないね。泰山木の花じゃつまんないね。光が足りないね。別に僕じゃなくても、良かったね。

  もっと早く、出してあげれば良かった。明月院ブルーの紫陽花を、撮りたかった、と訴えているように思われた。
 なだめすかせて、幾つかの花を撮り、後から後からくる参拝者に寺の坊主が元気よく挨拶をする声を聞いている。

「こんにちは」

  私が寺に着いたときも、彼は元気に言ってくれたものだった。「こんにちは」
  もぞもぞ返事した私だが、照れくさいほどに、嬉しく感じたものだった。連れでもないのに。入園料を払うでもないのに。
  私に挨拶をしてくれる人もいない場所もあるというのに。坊主には、私の存在は見えるらしい。

  ここでもまだ早い紫陽花。小さな、染まり切らぬ花弁をファインダーで追っている。若い坊主の彼は藍色の作務衣を着て、庭で働いている。寺の水溜りの水を、綿で吸い上げているのである。

「どう?取れた?」
「だいぶ水が減りましたよ。これでまた降ったら、意味ないですが」
「また降ったら困るわねぇ。降らないといいけどねぇ」
「まぁ、降ったらまた取ればいいですけどね」


  和尚の婦人といった物腰の年配の女性と話して、そうしてずっと水を吸い上げていた。
後になって、彼より見劣りするやはり作務衣の坊主が現れて、カメラを抱えた地元の拝観者と話をしていたものだ。

「晴れて良かったね。インターネットで見たよ」
「はい。今日は決行になりました」

  それで、私はちょっとがっかりしたのであった。
今夜、このお寺で、震災の追善読経と万灯の催しがあるとも知らず、何かこの寺に纏わる親しい、もしくは檀家たちの、連れ、が集まって、夜会でもするのかと、そんな心象を抱いたのである。
  坊主が挨拶したのはそのためか。勘違いされたか、もしくは喩え違っても今日の連れであってもいいようにと、念のためのものだったか。私が見えたわけではなかったようだ。






  水を真綿で吸い上げる作務衣はもう見えない。雨溜まりの残る寺の庭で、地味な泰山木の花を、撮り続けている。三脚の足が泥と雨水に濡れている。
   6人のうちの誰かをハッピーにすることが出来なかったから、少女は一人立っていたのか。
  それとも、少女の方こそが、6人を拒絶していたのか。
  雨合羽をザックに仕舞い、夜会に呼ばれぬ私は一人寺から去っていく。
  入れ違いに訪れたカメラを抱えた4人連れが、あら綺麗ねと褒めるのだ。紫陽花ではない。

「泰山木が綺麗に咲いて・・」






2011年6月5日

『チェックポイントを通過する』  ~地図を片手に、雨山、檜岳(ひのきだっか)、伊勢沢ノ頭を登る旅~

    


  雨山1176m、檜岳(ひのきだっか)1167m、どちらも大して高い山ではないが、私にとっては数年来の目標だった。
 
  丹沢の登山ガイドによると、難易度は日帰りで唯一レベル3。泊りの丹沢山と蛭ガ岳(・袖平山コース)と同レベルである。歩行距離は18.5Km、雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭を周るコースであることを考慮しても、長いように思われた。

  極めつけはこの一言だ。「雨山峠までの登山道が一部崩壊していたり、雨天時は沢の増水などがあり、入山には注意が必要。単独登山は避けたい山」


  で、今年からジムに通い始めたという経緯がある。


寄大橋
「かながわ水源の森」ここを入る。
登山道入り口
コンパスで読図しながら進む。


  決行は延び延びになっていた。体力的にも気力的にも自信がなかった。
  なのに、まさか、体調の悪い時を選んで行かなくても、と思ったが、だからこそ、無事登ることが出来たならば、停滞している運気も少しは良い方向へ向かいそうな思いがしたのであった。
 
  私は前夜、入念に持ち物をチェックする・・・

  体調は悪い。気力もおぼつかない。せめて、些細なミスだけは避けたい。

  万端な準備と、下調べを・・





沢伝いに進む。幾度か沢を渡って行く。

堰堤を越える。(2回あり)

広い河原に出る。沢を登るように進む。

ウツギ・ミズキ・ハクサンボク等。
花が所々に咲いている。



  寄バス停から寄大橋まで、タイムテーブルでは40分(~35分)だが、意外とこの距離は短い。ここの歩きを一番ネックに感じていたので、驚かされた。時速6Kmほどの歩きなら、20分もあれば到着する。
  寄大橋から林道に入って、沢沿いを進んでいく。すぐに、右手に雨山峠への標識のある山道の入り口が見えてくる。

  ここで、驚いたことに、後ろから歩いてくる青年を見つけた。
  雨山峠方面に行くものなどいないだろうと思っていたのである。身長180cmはありそうな、体格がいいわりに、現代風で、むさくるしい山男とは程遠い雰囲気の青年。どう見ても、相手の方がペースが早そうなので、休憩をするふりをしてやり過ごす。
  挨拶をして、通り過ぎたと思ったら、なんと登山道へ入らず、私の横を(登山道入口を通り越して、自然遊歩道に立っていた)通過していった。そっちかよ。
  雨山よりもさらに人気(にんき)も人気(ひとけ)もなさそうな、谷沿いの遊歩道へ行くために、ストックを持ってきたのかとにわかに信じがたい思い。
  登山道を登りながら、谷の遊歩道を見ると、青年の頭とプルオーバーの紫色が見えた。木陰で立ち止まっているようである。
 

  私が立ってたから、何にも考えず、こっちが道だと思っちゃったんだなぁ。悪いことをしたものだ。


  私は青年が、道をあまり知らぬことを見て取った。その上で、登山道の入り口の真ん前で休憩してあげればわかりやすかったろうに、と反省していたのだった。

  あれでは、軽快に挨拶して通り過ぎただけに、私を抜かすに抜かせなくなるのではないか。今更、僕もこっちの道でした、とは、恥ずかしいだろうなぁ・・

  と余計な心配をあれこれしている。ところがすぐに人の心配をしていられぬほどの沢攻撃が始まるのだ・・







危険の標識。繰り返し現れる。(3回)
鎖場。
これが恐れていた難所?
山ツツジ。
山道を燈すように咲いている。


寄コシバ沢。
 

  沢沿いの道は何度か河原に出る。踏み跡もないので、沢の上流とマーキングを頼りに進む。方角はわかっても、やはり道が見えないのはつらかった。私は堰堤を超えようとして、山の藪だらけのトラバースに入り込み、鹿の糞の跡を必死で這い上がっている。
  ハンカチを出そうとしたのかメガネだったか、忘れたが、腰のポーチのジッパーを多分この時に開けてしまったようだ。そのまま閉める余裕もなく歩き続けた。やっと広い河原に戻り、後ろから歩いて来た慣れた登山者と遭遇して、後を追うように本来の道を歩き始めて、ふと気が付くと、腰のポーチの中味が空っぽだった。財布も、ハンカチも、ラジオも、手帳も、何もないではないか。

  一瞬にして青ざめて、すぐに引き返す。本来の道に戻った時に気を抜いて、足元の岩場で足を滑らせて、体勢を崩した、どうやらあの時に落としたようである。(あとでその転んだ場所で財布もすべて発見した)


  一番、私が、驚かされたのが、ポーチの中に入っていた、大切にして肌身離さず(写真旅行の際に)持ち歩いていた黒猫の人形だった。落としてしまった!
  雨山と檜岳の登山はすぐに中止を決定された。私は沢を流れて行った黒猫(の入った包み)を探して、気狂いのように血眼になっている自分を脳裏に思い浮かべた。
  で、あっけないほどすぐに、黒猫も財布も手帳も見つかるのだが、その時の深い安堵は、私に思わぬ教訓をもたらした。

  常々、山登りは、人生という、より良い人の道を歩むためのシュミレーション(もしくはトレーニング)ツールであると思っている私である・・

  道を行くときは、どんなに険しいところで、必要に迫られたとしても、決して、大切なものを(入れた容れもの)開けてはならない。
 
  うっかりそれらを開けっ放しにして、道を行けば、たとえ歩きやすくなったとしても、いつか道を踏み外した時に、すべてを失う危険性がある。
  失ったことに気が付かず、また軽快に道を行った時に初めて気が付く。自分が空っぽであることに。
  どうしても、開けなけばいけない時は、立ち止まって、休憩し、一人で、辺りを見回す余裕のある時にすること・・・
  ( お金やハンカチやラジオや手帳や黒猫が、あなたにとって何を示すのか、想像してみると面白い)




沢を登っていく。
気持ちのいい道。
雨山峠が近い。
雨山峠。
ここで夫婦連れと青年と別れる。
クワガタソウ。足元にたくさん咲いていて、
まるで励ましてくれていたようだった。




  このあとは、意外なほど順調だった。夫婦連れのハイカーに出会い、紫のプルオーバーの青年ともまた合流する。(彼は何でもなさそうに笑顔で挨拶をしていた)
  私たちは並んで、雨山峠まで進んでいくのだ。

  一番危惧していた、雨山峠までの道のりをおかげで私は難なく過ごすことが出来た。
  もちろん読図の勉強をしていたので、彼らがいなくても同じ道を歩いていたわけだが、同行者がいるといないとでは心強さがまったく違う。おまけに、彼らは随分のんびりと、足元の花の写真を撮ったり、木々を見上げたりと、楽しみながら歩んでいたので、私も穏やかな心持になったものである。
  こちらも写真を撮りながら、のんびりと読図をして、今いる場所や道を確認しながら、進んでいく。

  夫婦連れをリーダーとして、私、私に先を譲ってくれた青年、と並んでいたのだが、雨山峠で、残念ながらこの平和な均衡が失われた。
  若い夫婦連れは休憩の後、鍋割山へと登り始めたのであった。
   青年と私(一緒に休憩していた)は、一瞬、固まった。まさか鍋割に向かうとは思わなかった。(それならとうに「寄コシバ沢」で別れていたはずではないか?)夫婦連れの休憩終了を待っていたかっこうであるのに、付いていくことは不可能である。雨山峠から西南に反れて、雨山・檜岳方面へと向かう。
  暫くして振り向くと、青年の姿は見えない。鍋割に向かったようである。もともとの目的がそちらだったのならいいが。私は彼に先に道を選ばせてあげなかったことに今更ながら気がついて、後悔をしたものである。悪いことをしたものだ。(しかも彼への負い目は2度目である。良い登山をされていることを・・)
  しかし、うっかり夫婦連れや私を抜いてしまった時、道の分岐点で、木陰に座り込んでは休憩して、私たちを待っていた彼のことである。夫婦連れに付いて行ったのが、たとえ本来の目的ではないとしても、最善の道だったと信じたいところではある。



  これで私は、独りぼっちになった。
  正確に言うと、私たちだけになった。私と、いつも私を見守って入れくれる守護神のようなもの。多分、今日の天候も、あの同行者も、彼が私に授けてくれのだと、私が信じるところのもの。
 
  ここまでくれば、もう安心だもんね。
  さぁ、行くよ・・

  私は掛け声を発して、念願の雨山へ、檜岳へと進んでいくのだ・・・











広い尾根沿いの道を行く。
所々木が倒れ苔むしている。

雨山到着。後ろに幽かに展望が見える。
霧が出てきてようだ。

ブナ林。檜岳へと向かう。

ブナの葉が綺麗だった。

道にはカエデの葉が点々と落ち、
星が零れているような道である。

檜岳のマザーツリーか。大きなブナ。

檜岳(ひのきだっか)の山頂。
ついに念願を果たした。

山頂のベンチ。三基あるが、このあたりの山は
ダニが多いそうなので、腰掛けなかった。
   

  

  ☆参考タイム☆
  寄バス停7:30 ~寄大橋7:50~雨山峠まで1.7Km地点9:10~寄コシバ沢9:44~雨山峠10:30~ (休憩~10:50)~雨山11:20~檜岳11:56~伊勢沢ノ頭12:28~秦野峠13:16~(近道・林道出合を通らない)~林道13:50~寄大橋15:15~寄バス停15:35。


  雨山、檜岳、伊勢沢ノ頭、どこも山頂というよりは小さなピークといった感じ、少し登って、少し降りて、あとは稜線沿いの道である。
  終わってみるとあっけなく、そう辛い山道というものでもなかった。登山道が崩壊、という点でも、不老山に勝るものではないようだ。
  あれほどの念願だったのだが、狐につままれたような思いがする。
  体力や慣れ等、実力と呼べるものが知らずについていたとは思い難い。
  (確かに体調は悪かったし、神経性の歯痛などは、私の顔面を鼻の下から腫らしていたほどであった)
    やはり運か。たまたまの、個人ではどうにもならないところでの力が、今回ではいい方向に作用してくれたとしか思われない。
  稜線沿いで、ピークを通り過ぎるたびに、私は呟いたものだ。

  もう登りたくないから、下りたくないねぇ・・


  下りは楽だけど、登るのって、辛いねぇ・・


  当たり前のことを口にしただけだというのに、その言葉に驚かされて、思わず口をつぐんだものである。

  下りは楽だけど、登りはつらいのだ。
 


  楽しくない人生というのもまんざらでもないかもしれない。
  今まで羨ましくてたまらなかった、楽しそうな人たちがもしかしたら、(楽しみながら登っているのではなく単に)下っている可能性だってあるのだから。
   
  それから苦しいのが嫌ならば、下りないという選択肢もある。今日の休日のように、稜線沿いの道を行くだけの余裕ある旅路が、いつかできればいいと思う。

  あまり展望の良くない山歩きだったが、時折、丹沢の山塊がぱっと姿を現わして、目を楽しませてくれたものだ。遙か向こうの靄の向こうに、秦野の町が幽かに見渡せるのもいい。ブナも、ヒメシャラも、樹木の花も美しかった。
  読図も大した失敗なし。いつものように道迷いも、迷ったのではないかという懐疑もなし。
  その分、激しい感動もなし。笑


  随分淡々と、あっけなく終わった、私の旅路の地図の中のチェックポイント、雨山、檜ダッカ。
  見えるものも見ず、するべきこともうまく出来ず、100点満点とは言えないが、穏やかな満足感をほんの少しの間、味わわせていただく。
 
 




稜線沿いの道を薄紅の花弁を散らして
綺麗だったが、何の花かわからなかった。

伊勢沢ノ頭。
立派なトウゴクヒメシャラ。

鹿柵沿いの道を行く。

山ツツジは始めから終いまで、美しかった!

何度か足を滑らせては撮る、笑

山ツツジの彩る稜線沿いの道。

秦野峠。ここから近道を選んだが、
けっこうなけもの道だった。危ないので、
林道出合方面の道を行った方がいい。
 


  ※おまけ

  今回の旅では鹿に逢えなかったのが残念だった。動物が多い山と聞いていたので、とても、とても楽しみにしていたのだが・・
 おまけに、秦野峠から林道に出たところの堰堤で、こんなものを見てしまう。

鹿の頭蓋骨。 

  負けません。次回に期待です!  



  ※おまけ2

落として青ざめた黒猫。
無事戻って来てくれてありがとう。