2011年9月25日

空虚国の生活者 ~初秋の北鎌倉・海蔵寺、浄光明寺紀行~





  「ありはしない」と諦観していた事柄について、まだあるかのように夢見てしまった先週を経て、現実の、いつもの「生活」へと戻ってきた私がいた。
  すると、輝かしい筈であった生活は、何とも味気ない、色褪せたものと映るのであった。
  この日々を手にする為に、私がどれほど苦労と努力を重ねてきたか、などということはお構いなしだ。
  ひとしきり嘆いた、というより、脱力した後に、彼のラスコーリニコフだって、それを手に入れたのは、北端の地の鉄格子の中であったということを思い出した。
  囚人の生活に夢がある筈がなかった。生活の喜び以外がある筈がなかった。
  思い出したら、私はまた黙々と生きていくことを良しとして、以前とは趣を変えた、少し悲観的な諦観を得て、生活を始めた。荷を抱えて、道を歩き始めるのであった。


  新しいレンズを手に入れた。
  先日のTAMRON90mm F/2.8マクロに続いて、今度は広角、EF17-35mmF2.8LUSMである。
  何度かこのblogに登場するギャラリーの主人から譲り受けたもので、「おまけ」として、彼がもうとうに使う機会を失くしていた、カメラリュックやフィルター一式、レリーズ、クリーニングの道具などが付いてきた。
  多くは銀塩時代のもので、使い物にならなかった。が、欲しかったNDフィルターがある。リュックも私の体には合わないが、試しに使ってみよう、思い立って、レンズを3本、カメラに弁当を詰め込んで、家を飛び出した。

 
  目指すは、北鎌倉であった。咲き始めた彼岸花に、萩を撮りたいと思っていた。一昨年の北鎌倉で巡り合った萩と、彼岸花は、私にとって数少ない成功体験であった。その時の写真を見た、私を軽蔑する会社の同僚は、驚きを以て言ったものだ。「上手いね!」
  あれは、思いがけぬ心からの賛辞という体だった。まるで自分でも、その言葉を発したことに驚きを以ているかのような、戸惑った表情に見えたものだった。
  私はその時の快感を再び、今度は出来ればもっと多くの者から得たくて、あの日と同じ場所を選んだわけだが、不思議なことに撮りたい写真は、以前とは全く異なっている。



  その前に、言いたいことがあった。
  私はその一昨年と同じ浄光明寺で、彼岸花を撮っている際に、とある老人に出会ったのである。
  若者や、比較的若い部類の中高年層が多い中で、彼の「老人ぶり」は際立って見えた。みすぼらしいとさえ言えた。時代遅れの、まるで老人向けのシャツにスラックスにベスト、そしてノーブランドのリュックを背負って、肩を丸めて歩いている。足取りはゆっくりで、左右に傾き、ふとした些細なきっかけで倒れてしまいそうにも見える。なぜ、そんな老人に目が行くのかと言えば、彼がつい数分前、私が達観した「生活」の象徴に思えたからであった。

  日々を重ねて、平凡に年を取り、私は彼のように、老いる。
  休日に、もしくはたまの体調のいいある一日に、リュックを背負って、北鎌倉へと花を撮りにやって来るのだ。リュックの中には、手作りの弁当が入っている。たまの楽しみ、唯一の楽しみ。季節毎の花を撮る、それだけを支えとして、「生活」を繰り返している、老人。

  ふと私は彼がどんなカメラやレンズを使っていたか、まったく目にしていないことに気が付いた。
  (通常、興味がないのである)
  すると、どうしても見たくなったのである。なぜかと言えば・・















  北鎌倉と言えば、海蔵寺だ。
  私はこの寺がお気に入りで、季節の花を撮りに通っている。
  が、今日はさっぱりだった。期待していた萩も枯れていた。初め私はこの寺に辿りつく途中で何度も萩を見たものだから、何かの間違いで、まだ咲いていないのではないかと思ったものだ。
  が、よくよく萩の枝(蔦)を見ると確かに枯れた後がある。花弁は一枚も落ちていない。すでに掃きとられた後なのだろう。もしかしたら、今年は天候の不順か台風の影響で、この萩の葉が花を纏うことはなかったのではないかとさえ思われた。
  毎年、萩を楽しみにしていただけにこの寺で見れないことに失望を覚えた。境内には芙蓉が一心に咲いていたが、それも俗じみた変哲のない絵と思えた。私は最近読んでいる本の影響で、今日の海蔵寺を「空虚国(からくに)」と名付け、水穂の国を目指して、次の寺へと向かう。
  それが浄光明寺だった。
  萩も殆ど枯れ、彼岸花はまだ満開ではなかったものの、空虚国の後の私は満足して撮り始める。望遠ズームレンズ、マクロレンズ、広角の新しいレンズを全部試した。
  久しく写真旅行に出かけていないせいか、それとも新しいカメラリュックのお陰で荷が重かったせいなのか、私はすぐに疲れを感じた。短い時間に集中して撮って、もう帰ろうかと思った時に、前述の老人を見たのであった。


  以前私は北鎌倉のこの寺で数人の写真愛好家たちと知り合いになった。「北鎌倉には師匠が多いんだよ」とその一人が言ったものだ。
  写真好きなものたちが集まるのだろう。何かのサークル、写真の会かもしれない。また彼らと出くわしたら少々気まずいものだと懸念していた。老人を見た時、思わずそのことを思い出したのだ。彼は私が最後のレンズ、広角で彼岸花を撮っている時に、ふと振り向くと、3メートルほど後ろから三脚を立てて同じ花を狙っていたのであった。
  その眼光の鋭さに私はぎょっとしたものだ。
  「師匠」たちの総元締ではないか、彼こそが。そんな考えが脳裏をよぎった。
  私は飛びのいて、彼に彼岸花を譲り、自分は後から邪魔をせぬように撮ったのだが、おかしいもので、後ろからよくよく見れば、総元締の師匠のなんとみすぼらしいことか。
  前述したような老人のスタイルで、体型も、持ち物も、貧相だった。
  私は彼の眼光だけに惑わされたことになる。老人を見れば見るほど、つい数十分前達観した「生活」と彼とを結び付けて考える。自分の未来を見る、というよりは、やはり現在の、味気なく色褪せた生活そのものと思えた。
  私は彼の背後から、鼻を鳴らして、まるで見下すかのように、ひとしきり老人を観察した後、興味を失くして、浄光明寺の門を出るのだが、思い直して、また境内に戻るのであった。

  時刻は昼だ。お昼ご飯を食べていない。

  川沿いの高貴なせせらぎの音に満ちた住宅街で食事の場所を探すのは嫌だった。お気に入りの寺の境内で休ませてもらおうかと思ったが、ベンチの一つもない。(鎌倉の寺にしては珍しい)
  それで、仕方なく、また寺を出て、歩き始めれば、先ほどの目の前に老人が歩いているのである。
  今にも転びそうなこれも貧しい歩き方。なぜ、彼を師匠だなどと一瞬でも思ってしまったのか。
  ただの囚人のような生活者ではないか。
  ああいう眼光は覚えがある。私がまだマクロレンズも広角レンズも、純正の望遠ズームさえ持っていない時に、いや、三脚さえも父親のお古を使っていた、遠く感じられる過去に、良い機材を抱えて現れたカメラ愛好家たちの団体の前で、体裁を繕うために、ただその時持てる物をひけらかしていた時。こんなだけどね、私は本気でやってるんだからね。遊びじゃないんだからね・・あなたたちとは違うんだからね、とでも言いたげな、そのポーズと、実際の本気の想い。
  私は老人の眼光がその時の私と同じような、他者から相対化されることを拒むような、唯一の老人の抵抗であるかのように捉えたのだった。
  私の未熟だった、それとも本気だった、過去と重ね合わせて。
  そうして老人を憐れむような、心情を知り尽くしたような思いに浸って、ふと、そう言えば老人の機材を何も見ていなかったということを思い出した。

  彼は過去の私とは違う、「本物」であるかもしれなかった。
  その眼光にふさわしい、師匠の一人であるかもしれなかった。
  私の過去でも、現在でもなくて、「生活」の先に辿りつく、未来の姿であるかもしれなかった。
  で、私は確かめたくなったのだ。
  もしも、彼の眼光が本物か、唯一のものなのか。それで後を付けたわけだが、不思議なことに、彼は空虚国の海蔵寺に向かってまたしても私をがっかりさせた後で、ふいに消えてしまった。

  見逃すわけなどなかった。あの緩やかな足取り。デジカメを向けた女性の為に、木陰に身を隠したわずかの時間の出来事だった。
  初めはトイレかと思った。私は境内を探し回って、暫く待ってみたが、現れない。私が空虚国と名付けた今日の海蔵寺を一瞬で見抜いて、撮るべきものは何もない、と脇道から去ったのであろうか。またここまで来たのに・・と少々がっかりさせられて、それでも、石のベンチに腰を掛けて、周りで参拝者たちが飲み物を飲んだり、軽食を食べているのを目にするのであった。
  弁当など出し辛い北鎌倉であるというのに、食事をする場所を難なく与えられた思いがした。時刻はちょうど昼であった。生活だから、食事は大切だ。そのことを思い知らされたようで、可笑しく感じながら食事を終え、目の前の芙蓉を見ていると、いつの間にか、見失った老人が現れて、三脚を立てている。驚いた。

  私の真ん前、10mほど先の芙蓉の花を狙っているのだ。三脚をゆっくりと立てて、カメラをセットする。ポケットからレリーズを取り出して本体に付けている。同じく、PLフィルターを付けたようである。三脚も、カメラも、レリーズも、最新のものではなかった。三脚はそう頑丈そうではないし、カメラも当然のように銀塩。しかし愛着のある機材のようであった。老人は歩みと同じように、ゆったりとした一連の流れで、それらを取り出し、セットして、今度はファインダーを覗いてピントを合わせ、顔を上げて、芙蓉を見る。
  山門の階段を上ってきた若い男女と何やら話をしている。
  よほど聞きたく思ったが、声が小さく、内容までは聞き取れなかった。ただし、何かを(花の撮り方か、この寺の説明か)老人が男女に教えていることだけは口調でわかった。
  若い二人は丁寧に老人に礼を言って、その場を立ち去っていく。
 



  それで、私は満足したのだった。
  老人の声が、穏やかで、満ち足りたものであったこと。
  若い者に、教える術があり、彼らから感謝される存在であること。
  知り、諭すものであり、先ほど感じた鋭い眼光は消え失せて、愛に満ちた優しい目で、芙蓉を一心に撮っていたこと。

  ふと老人と目が合った。
  私はそ知らぬ顔で視線を外したが、もしかしたら、先ほどからずっと見ていたことに気付いていたかもしれない。
  老人が境内の奥に進んで行った。奥には何があるのか、空虚国ではなかったか。そうだ、立派な寺に、桔梗も、紅葉だってあるではないか。

  私はそのことに気付くのだが、それは後の話。今は、老人の真似をして、芙蓉の花を撮っている。
  不意に空から影が落ち、足元が翳る。鳥の羽音が聞こえる。またカラスだろう、そう思いながら顔を上げると、頭上を舞う鳥は鷺であった。目を見張り、急いで彼を追いかけていく。
  境内の裏手に辿りつくと、もうそこしか行き場はないというのに、老人の姿はなく、柵の向こうの池の前に蒼鷺が一羽佇んでいる。
  悠長に、姿勢を正して、ポーズを付けて、観客を満足させた後、彼は徐に池に近づき、首を伸ばして、窺うのだ。
  池には餌となる魚がいるのか。そうだ、食事の時間だ。
  蒼鷺にだって生活がある。
  彼の日常を絵のように見つめながら、繰り返すように写真を撮る。唯一の支えのように、ただ続けるだけであった。
 
 




 

2011年9月20日

日本沈没!?水責め日本にリーダー不在、ってどうなの?






  






  

  16日、紀伊半島を襲った台風12号の被害が「激甚災害指定」とされた。

  そんな甚大な被害も冷めやらぬ、明日、21日。今度は台風15号が列島を縦断すると言う。

  TVのインタビューで名古屋のご老人が目を丸くして答えている。

  「85年生きているけど、台風で避難なんてしたのは初めてだよ・・」


 
  予想雨量は、近畿・東海で500mm、四国で400mm、関東甲信で350mm、中国250mm、北陸東北で180~200mm。



  川は溢れ、海は大しけ、道路や家には浸水。
  水に浸かった街のニュース映像を見ていると、東日本大震災の津波の悪夢を思い出してしまう。


  またしても水責めか。
  未曾有の災害がまたやって来たというわけだった。

  (なぜ、未曾有の災害ばかりがこうちょくちょく起こるのだ?)


   
 日本は明らかに非常事態である。



http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210920049.html
 



  ところで、東日本大震災の被害で、岩手、宮城、福島の86調査地点と千葉の7地点が、「価格判定不能」として基準地価の調査が中断された。

  原発事故の警戒区域で立ち入りできないせいでもあるが、風評被害(放射能汚染)の影響もあるかと思われる。
  要するに、「値がつかない」状態であることに変わりはない。

  では頼みの綱の西日本はどうかと言えば、「激甚災害指定」なのだ。
  恐ろしいことに、農林水産省は20日、近畿・中国地方に大きな被害をもたらした台風12号による農林水産業関連の被害額を555億円(20日正午現在)と発表した。
  これはあくまでも12号時点の被害で、列島を襲う15号の被害が加わると、いったいいくらの損害になるのだろう。

 
  東日本は放射能、西日本は台風被害。
  どちらも全滅、とは言いすぎだが、ずいぶん大きな痛手を負ったものだ。



  で、先の復興費用や災害被害の影響はさて置いたとしても、現在の緊急事態に対して、政府はどういう対応をしているのだろうか。


  東日本大震災の時には、散々菅総理の危機管理の甘さを問われていた。
  野田総理は違うだろう。今回の台風だって、未曾有の災害であることには変わりはない。
  教訓を生かして、緊張感を持った対応をしてくれるだろう。
  と思いきや。

  一大危機に直面した国のリーダーは、


   ↓   ↓   ↓   ↓   (ここ。)









  日本にいないというから驚きである。
  (国連総会などに出席するため20日夜、ニューヨークへ旅だった)


  オバマ大統領や、韓国の李明博大統領と首脳会談をすると言うではないか。


  この緊急事態に、日本をうっちゃって、さて、米国でいったい何を話し合うのだろう。

  要求を受けたら、たとえどんな内容であろうとも、婉曲にさえも断れない状態にあるように思われるが、違うのだろうか。

 




  それにしても。

  (もう一度見て見る)





 

  何度見ても、この能天気さ、腹立たしいですね。

  今夜から明日にかけて。
  死者、行方不明者が何人でるのか。美しい自然がどれだけ壊滅するのか。
  すべて水に流され。
  日本が食糧危機に直面する、禍々しい序曲の時だというのに。


  何だかなぁ、この笑顔。


  (菅さんの後だから、とっても期待していただけに、残念です)


  どうか明日、紀伊半島が、東日本が、持ちこたえますように!


  神に祈って。








2011年9月19日

奈良と和歌山、山場を迎える。 ~土砂ダム決壊までの秒読み~





和歌山・田辺の土砂ダム、19日深夜にも満水の恐れ




  ついに来たるべき時が来た。

  和歌山と奈良の土砂ダムは今夜から明日にかけてが山場だ。

  (土砂ダムのライブ映像はこちらで見ることが出来る)



 
  気になるのは、16日からずっと土砂ダム決壊の恐れ、と「恐れ」ばかりを聞かされ続けていること。その割には(当初あと僅か10mm水位が上がれば溢れると言っていたが)、その後の降水量を鑑みてもずいぶん持ちこたえてくれているようだ。
  が、記事にもあるように、ダムが溢れた際の排水路の確保となる緊急工事は遅々として進んでいない。

  もう少し早い対応は出来なかったものか。

  台風12号の被害のあとに、台風15号、16号が続けてやって来るのは13日にはわかっていたはずである。
  (私自身は気象庁の発表を見逃しているが、13日には15号のニュース報道があった)

  赤谷地区に限って言っても、土砂ダムに通じる道路(これを排水路として使用するのだろう)の整備を19日1日で3キロの道のりのうち、1割の約300メートル分を終わらせている。
  13日から始めても7割、12号の被害のすぐ後(6日)から始めていたら3キロの道程すべてが終わっていたはずである。

  いや、いや、そうは言ってもやりたかったが、雨量が多くて工事が中止されたんだよ、と諭してくださることだろう。

  私も、工事が中断されたニュースは聞いたと記憶している。

  だが、国土交通省の関連報道発表を見るとどうも妙だ。

  http://www.mlit.go.jp/report/press/index.html (国土交通省報道発表資料)
  http://www.kkr.mlit.go.jp/typhoon12/index.php (台風12号関連報道のみ)


  台風12号のあとは、緊急調査として、まず現地の写真を撮っている。それから土砂災害の恐れのある緊急区域を定めて、避難指示をすぐ出せるように法改正の追加事項を確認。住民の安全を確保することを第一に考えてのことだが、この台風の多い時期だというのに、次の台風に備えての工事の指示が見当たらない。
  貯水位低下の要請くらいか、(でもそれは12号被害の捜索活動の為だし)、排水ポンプの確保もしているが、(実際の排水工事は?)あとは、ヘリで監視して、監視体制を強化して、先にもあげた緊急調査ばかりである。
  やっと工事着手の文字を見るのは、ニュース報道と同様に16日で、



平成23年台風12号により発生した河道閉塞箇所における緊急工事の実施について




 豪雨により工事を中断した日と同日なのである。

  土砂ダムが決壊した時の為の準備には早くから相当な時間を費やしているくせに、この二次災害(次の台風への備え)への対応はなぜこんなに遅かったのか。
  調査が必要で、どうしょうもなかったとしても、悔やまれるのは、この調査写真の天気の良さである。

土砂災害防止法に基づく緊急調査箇所写真について(9月7日)
台風12号により発生した河道閉塞箇所のヘリによる監視について(9月14日)

  こんな天気の良い日に、何も手を打たずに、写真を撮っていただけだとは・・






 


   震災の時の時の津波の報道と言い、今回の土砂ダムの工事と言い、どうも現政権のまるで被害の拡大を待ち望むかのような対応には、疑問を感じる。腹立たしさを禁じ得ない。

  等とブログを書いているうちに、雨足が激しくなってきたようだ。

  熊野(いや)地区の土砂ダムが、満水まで39センチと迫った!


  今夜は眠れそうもない。







 

人間の成長に欠かせないものってなんだ!? ~全人類と抱擁しながら、日本神話を勉強する~




  三連休だ。暇になったからブログでも書こうと思う。

  はるか昔に読んだドストエフスキーの小説にこんな話があった。
  主人公が地下室のような穴倉に閉じこもった生活をしている。(多分精神的な意味でだ)彼は人恋しくなると、ほんの時々穴倉から抜け出して、世界の人々と交流を交わす。
  大抵は知人のサロンである。そこで、うんざりするほど人間の嫌な面を見て、味わって、人類に幻滅する。ああ、寂しい、全人類と抱擁を交わしたい、などという馬鹿げた考えを捨て去って、また自身の穴倉へと戻っていくのだ。

  唐突にそんな物語を思い出したのは、ここ最近、隠居したかのような生活を送っていた私にもそんな経験があったからである。
  同窓会が2回あった。4年ぶりで友達と会った。同じく久しい間柄の友人から突如メールが届いた。
  一度目の同窓会では初恋(正確に言うと3度目の初恋)の相手と出会った。
  一週間後に、二人でドライブに出かけた。彼は言ったものだ。

「俺は長生きするよ。死に水を取ってやるよ」

「DNAは残した方がいいよ。まだ子供生めるから、産みなよ。あ、結婚するなら仕事はしなくていいよ。俺は食わしてあげられるからね」


  で、私は、専業主婦になって、小説を死ぬほど書く時間を与えられるという、夢を見たのであった。

  少し話が反れたが、それらドストで言うところの「全人類との抱擁」が、昨日でほぼ終了したのである。(あと残っているのは、久しい友人からのメールの続きくらいか・・)

 
  今日になると、私は悶々と、人類の嫌な面をことさら細かく思い出しては、抱擁なんてしてたまるかよ、けっ、といった趣で、自身の穴倉で無益な回想を繰り返している。


  人類との抱擁がくそ馬鹿馬鹿しい、と思われる主に腹立たしい出来事は以下の二つ。


  ①名刺を欲しいと、名刺を渡していない人類Aに皮肉たっぷりに言われたので、渡したら、人類Aは私に名刺をくれなかったこと。

  ②飲み会が「割り勘」なこと。1時間遅れて参加して、ツマミもほぼ食べず、ソフトドリンク2杯飲んだだけの私と、最初からいて、たらふく食っては酒を10杯以上飲んだ相手とが同じ金額ってどうなの?(そこは幹事気を使おうよ)何だか利用された感がある。

  穴倉へ戻るには、妙にせこすぎる回想だなぁ、と書いていて可笑しくなったが、 免疫のない人間が世界と接する時はそういう些細な出来事が妙に引っかかるのである。

  が、そんな腹立たしいことを帳消しにするかのような、人類って素晴らしい!という出来事も多々あった。帳消しどころか、そっちの方が上回ると思わる出来事をいくつか挙げてみる。


  ①名刺を渡してもいないのに、先に携帯番号入りの名刺を渡してくれたクラス会の同級生B。
    (ただし、奴は同じクラスの女子の四分の一くらいと過去確実にデキている)

  ②クラス会の後、終わるのを待っていたプロポーズ男との二次会に付き合ってくれた友人C。
   (ただし、彼女はクラス会の気を使わない幹事と同一人物。うわばみなので飲むのが目的と思わる節あり)

  ③・・・・

  む・・ もっと上回るほどたくさんの人類愛を感じたはずなのだが、哀しいかな、今すぐ出てこない。もっと回想を進めれば、死ぬほど湧き出てくると思われる。


  同じく、人類の抱擁の一つとして出かけた文京区でのアカデミックな「勉強会」。
  こちらで、似たような話を聞いた。
  つまり、嫌なことがたとえあろうと、それを上回る良いことがあるという・・

  神話の話である。


  私は子供の頃から、万葉集だの日本書紀だの古事記だの古典が好きであった。
  子供の頃、クラスの書庫に置いてある子供向けのそれを熱心に読んだのに、長年すっかり忘れていた。
  ここ最近、また読み始めて、なんとまぁ、こんな面白い世界があるとはと、目から鱗のように夢中になっているところである。



  で、日本の神話にこんな逸話がある。イザナギとイザナミの別離のシーン。二人が決定的に別れる瞬間に、「死」と言う存在(以前から世界からの消滅はあったのか、恐らく現世の死に近い概念か?)が初めて生まれる。

  その時に、黄泉の国に堕ちたイザナミが呪いのように言い放つ。

「愛しい人、これからあなたの国のものを一日に千人ずつ殺しましょう」


  すると、イザナギがこう答える。

「ならば愛しい人、私は一日に千五百人産みましょう」(※15000人生まれる産屋をつくるだろう)

  一つの禍があるならば、その1.5倍の誕生(建設)を以て補おうという考えだ。



http://www.muse-product.ecnet.jp/popkojiki1.html



  私は思わず、ははぁ、と唸った。
  日本の神話が、たとえ無意識レベルであっても、日本人共通の思想の根幹をなしているというならば、なんとまぁ、ポジティブな国民性が浮き彫りになる話であることか。

  不幸に嘆く時間があったら、その1.5倍の幸福を手にする努力をすることだ。

  私は、人類との抱擁タイムをこれから、1.5倍増やそうかと考え始めている。(ちょっとそこは意味が違うような気もするが・・)


  もう一つ、神話勉強会で、日本人の思想の根幹を成す話を聞いた。
  それが有名な、アマテラスオオミカミの天の岩屋戸の話だ。
  日の神である天照大御神が、岩屋戸に姿を隠したため、高天原(たかまがはら・天上界の意)も地上も暗闇に包まれた。
  世界が夜だけになって、禍々しい悪神、悪霊が現れた。
  混沌とし、絶望に包まれたその中で、人々はどうしたか。
 
  笑うのである。

  祭りを起こして、酒を交わして、どんちゃん騒ぎをする。踊り、舞い、歌う。あまりにも楽しそうな笑い声に、好奇心を抱いたアマテラスが岩屋戸から顔を出したところを、引っ張り出して、無事世界は救われる、と言う話。



http://www.muse-product.ecnet.jp/popkojiki1.html




  これは、誰でも知っていると思うが、それが私たちの源泉なのだ、と改めて認識すると、日本人の底力の凄さを思い知る。


  喪失を味わったならばそれを上回るものを得る。生み出そうとする。
  絶望の淵に立った時は、笑う。笑顔を以て挑めば、また世界は太陽に包まれる。


  しかつめ面、神妙な面持ちでいることが敬虔とされる異国の宗教と比べると、違いは歴然とする。

  日本人はマイナスをプラスで補う。産み、笑うことで、死をも、絶体絶命の危機をも、乗り越える。
 名刺男人類Aも同級生Bも友人Cも、ただの酒好き、軽い奴らではなくて、みんな真剣に世界と挑んでいるのだなぁ、と関心すらしてくるのであった。(それもちょっとこの場合の話とは違うような気もするが・・)


  ところで、勉強会で講師をしてくださった高森明勅(たかもりあきのり)先生の本を購入した。
  その本には、いや、勉強会でもお話があったのだが、神話は「出来そこない」のものたちが成長する物語である、と言うことを教えてくれているのである。

  出来そこないの神々が、お話を通して、天上世界の統治主体たるにふさわしい神格を完成する。それはそのまま、私たち人間が至らなさを克服して、成長するための手法にも通じるものがあり、私はたいそう感心させられた。

  古事記解説は以前読んでいたが、人(学者の方)により、こうも解釈が違うものか。
  私はこの本を読んで、以前見えなかった、神話の道筋がはっきりと見えたような思いがしたものだ。


  詳しくはぜひ、本で見ていただきたいが、思いっきり端折って言えば、成長に欠かせない要素は、愛と条理を兼ね備えたものとなる、ということである。


  愛だけでは、失敗する。
  愛なく、条理だけによれば、同じくだめだ。

  物事を成し遂げるには、両方が必要で、それを弁え、知り尽くして、行動できるものだけが、次のステージへと行ける。


  こんなに愛情深いのに、何で人類と抱擁できないのか、よ~くわかりました。
  逆に、条理を知っていても、愛のない人間は、私よりも成長が難しいだろうなぁと同情する。

  (そちらの方が兼ね備えるのは大変そうである)



  

  ああ、面白かった、日本神話。


  古事記漫画版も買ったので、ぜひ、秋の夜長に楽しませて頂こうと思う。








   




 





 




 



 


 

 


 

2011年9月17日

ダム決壊に委ねられた決戦の行方。



  紀伊半島で厳戒態勢が続いている。


  ※土砂ダム下流の警戒区域広がる 和歌山・奈良


RSOE EDIS - Emergency and Disaster Information Service



  土砂ダムが決壊するかもしれない、と思うと、心配でたまらない。
  どうにか持ちこたえてくれることを祈っている。


  米国のハリケーンから、日本やスマトラの地震から、先日の米国や韓国の大規模停電など、災害のニュースがずっと続いているようだ。
  異常気象に、落ち度による事故に、すべては偶然の産物とされているが、これら事件の点と点を繋いでいくと、何やら意図的であるような、不気味な線が浮かび上がってくるように思えてならない。

  現代の戦争と言えば、情報戦である。と言う、常識は実はまやかしで、私たちが情報を追いかけている間に、平和な世界ではすでに水面下での激しい戦いが始まっているのかもしれない。




米国東海岸のアイリーン

 
  ところで、 「地震を使った対日心理戦争計画」と言う米軍機密文書に、


  「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。日本人が国家を捨て、個人の生存を第一に考えるようにするためのショック療法ともいえる」

  とあるそうだが、この『ショックドクトリン』と呼ばれる手法は、非常によく出来ていると感心せざるを得ない。

  一生独身でいようと決意していた私ですらも、さすがに未来が不安になった。

  一人では混乱の時代を生き抜く自信がない。

  伴侶に、子供に、気の合わない友人まで、味方をとにかく何でもいいから一人でも増やして、身の安全をはかりたいなどと情けないこと(もしくは健全なこと)を考え始めるようになった。

  今までの根拠のない自信の源は、私の場合、神だった。
  この国の文化や経済がどれだけ廃れても、絶対的な無限の底力を信じてこれたのは、神の国だという確固たる自信が存在していたからである。

  いや、日本人にもしも底力なるものが在るとしたならば、それはDNAに刻まれた、まるで神話の歴史から私たちが始まっている者たちであるからだろうと。
  土地に根付いた神々が護ってくれているからだろうと。


  理論も理屈も超えた自信の大前提が揺らぎ始めたのは、やはり台風12号による大和と紀伊国の災害によるところが大きい。


  ※大和や紀伊国を襲った台風12号と防災週間の皮肉。


  東日本大震災よりも規模は小さい災害だとしても、私の中では、最も痛いところを突いてくる手厳しい攻撃だと思えたものだった。


 
  ニュースの続報はまだ入らない。


  まるで、警戒区域で決壊が起こるか否かが、この国と、私の未来を大きく変えてしまうことであるかのように、憂慮しながら結果を待ちわびている。


  深夜の雨音は、時折激しさを増している。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





  昨夜ここまで書いて、あまりに杞憂しすぎだと記事をボツにした。
  紀伊半島が神々がいる場所の大前提と思えたことも間違いならば、奈良や和歌山はそう簡単にやられないだろう。持ちこたえるに違いない、と前向きに思うことにした。

  が、朝になったら、接近した台風15号は停滞して、長期雨に恐れがあると言う。
 

 ※台風15号:各地で大雨 和歌山、奈良は厳重注意
 
   ※台風15号、沖縄で停滞 長期間雨の恐れ
 




 
 


    
  またか・・・


  確かに紀伊半島は台風が多いところだと言うが。

  

 
  持ちこたえられるか、杞憂では済まないような怖れを感じる。


  それにしてもTVは増税のニュースで持ちきりで、この緊急事態の緊張感がまったく感じられないが、それも不思議なことである。










 


2011年9月8日

ファーファが来たよ!





  ファーファが届きました。


  ファーファ購入の経緯はこちらへ→ 『花王の月は沈んだ、ファーファランドへ走れ!』


  まだ使っていないので、製品の良し悪しは報告できませんが、取りあえず。


  見た目が可愛すぎるので一筆。





  ファーファの箱が到着。開けると。




  (うちの猫です)



  じゃなくて、ファーファ製品がずらり。





  特に感激したのが、これ。





   洗濯ばさみハンガー(ブルー)


  ちょっと小生意気なポーズのファーファが何匹もぶら下がっています。



商品詳細情報
ファーファの洗濯ばさみハンガー(ブルー)とウルトラファーファベリーベリームスクのサンプル1袋(1回分)のセットです♪
洗濯ばさみハンガー 300mm×300mm×300mm
※一つ一つ仕上がりに違いがございますので何卒ご了承下さい。

中国製


 
  

  それからこの衣料用洗剤。



 
 

  期間限定!ファーファコンパクト洗剤 フィンランド 1.0kg


 
  妖精の住む森。エコ製法でCO2排出削減。北欧の童話風のファーファが可愛いです。



 商品詳細情報
 ●フィンランドでは、森には目に見えない妖精や精霊が棲んでいると考えられています。
●そんな深い静寂に包まれた森林をイメージした、清々しい落ち着きのある香りをお楽しみください。
●ハーバルグリーンやジャスミンの穏やかな香り。
●柔軟剤から生まれた洗濯洗剤。
●頑固な汚れをスッキリ洗浄しながら、天然柔軟成分がふんわりと心地いい肌ざわりに仕上げます。
●ドラム式洗濯機にもおススメです!



  
  また使用後に報告しますね!


fafaland
fafaonline
 




2011年9月6日

大和や紀伊国を襲った台風12号と防災週間の皮肉。





  台風12号。

  関東では想像していたほどの暴風雨もなく、時折の晴れ間さえあったのだ。
  のんきな私は一夜明けて、5日のニュースで惨状を知ったのだった。


  全国では35人が死亡、54人が行方不明。
 
  山間部の道路が寸断され、和歌山、奈良両県で1万人ほどが孤立。

  人口約4千人の奈良県十津川村は全村が孤立状態のまま。

  和歌山県で1万8千軒、奈良県で2400軒が停電。(9月5日asahi.com


  世界遺産の那智熊野大社(和歌山県那智勝浦町)も一部が埋没した。(台風12号 豪雨、世界遺産にも被害 9月5日中日新聞
  私が近々行きたいと願っていた熊野古道も被害を受けた可能性があるようで、明日から現地調査を開始するそうである。


  

  熊野古道。

  も、被害の可能性と聞いて、俄然私は腹が立った。

  それまでは嫌な予感がする、と言うくらいのものであった。
  と言うのも、台風12号が通過したのは、防災週間だったのを知っていただろうか。


  9月1日から一週間、日本では各地で防災のイベントが行われる。今年は大震災の後なので、尚更の盛り上がりを見せていた。
  そのイベントの一番最高潮の週末に、突如台風と言う不安な、防災とはかけ離れた災害が予報されたのであった。
  そして、実際に、冒頭に記したような決して多少とは言えない被害を、私たちにもたらしたのである。


  ちなみに防災の日の定義はこうだ。
「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」


  がんばろう東北、がんばろう日本を合言葉に、私たちが、いくら「上を向いて歩こう」としても、坂本 九の飛行機が墜落したと同じような皮肉を感じさせられる。

  いくら防災しても、無駄なんだよ、とせせら笑われているような思いさえする。


「 お前らに、台風も、津波も、地震も、防ぐことなど出来やしない」と。

 
   

  時速5~15Kmの異常なほどゆるやかな進み方。
  通常日本付近で西から東へ吹く偏西風に乗って北東に向けて加速する台風は、加速するどころか東北にフェーン現象の熱風を発生させるばかりだった。
  (偏西風は平年より北の北海道付近の上空で吹いていたのだ)


 
台風12号、タラスは気象操作されたか?:確かにその痕跡はある!?




    
  台風12号が気象操作されたものだという話もあるが、私はそこまでは断定できない。
  だが、ずいぶんと奇妙な話だとは思う。


  妙な台風に、よく出来たブラックジョーク。
  まるで、どこかの国の新聞の風刺漫画のようではないか。


  で、熊野古道だ。

  大和に紀伊国の被害である。











  がんばろう日本。がんばろう東北。

  どこまで私たちの気力を奪えば気が済むのか。


  現在の日本や日本政府に私たちをあざ笑うのは良しとして、(実際私なんかずいぶん愚かなんだしなぁ)
  何だか日本古来の神々まで笑われているような思いがしてきたのであった。


  なめんなよ。

  日本の神々をなめるなよ。



  見境もなく。
  頭に血が上った私は、自然現象の台風にカッカしている。
  被害がないといい。
  落ち着いたら。
  秋になったらきっと奈良に三重に和歌山に旅行へ行って、祈りの道を歩いてやろうと、心に決める。






2011年9月4日

花王の月は沈んだ、ファーファランドへ走れ!





  9月16日に花王不買デモがあるそうだ。

  高岡蒼甫氏のtwitter発言を発端に、フジのスポンサーだった花王がやり玉にあがり、叩かれまくり、今に至る。

  昔からよく使っていた洗剤、石鹸の由緒あるブランドなので、さすがに、花王叩きはヒステリーの類ではないかと、(経緯をよく知らないので)想像していた。


  が、ふと下の画像を見ると、なかなか、叩かれる方も酷いものだ。


  特に、親日国家タイでわざわざ「反日番組」、もとい、「日本を貶めるねつ造番組」のスポンサーをしていたというくだり。 

  国内だけならうっかりスポンサーになったけど、そんな番組だったの?  詳しい中身まで知らなかったよ、で済みそうな話だけど、わざわざ海外(番組)でとなると、ちょっと事情が違うように思われた。


  花王は確信犯ではないかと思い始めた。


 







  このデモ、興味のある方があったら参加してみてはいかがか。


  花王デモ詳細    ←※こちらに詳しく書いてあります。


  私自身の話を言えば、高岡氏の事件以来、フジテレビを見ていない。

  新報道2001くらいかな。以前は大好きなお笑い系の番組をよく見たものだが、最近はテレビ自体を見ないせいもあるが、特にフジを避けるようになった。

  なので、不買デモに参加しなくても、花王のCMを全く目にしていない。花王製品に好印象を抱きようもない。効果は同じだと思われてならない。


  上述のサイトの動画によると、ご丁寧にも花王の変わりとなる良質な洗剤を勧めてくれていて、あの熊のファーファがいいらしい。
  NSファーファ・ジャパン株式会社(エヌ・エス・ファーファ・ジャパン、英称:NS FaFa Japan Co.Ltd.)。
  全身の日産石鹸株式会社は、『旧日産コンツェルン系企業が再結集した日産・日立グループ(春光グループ)の日立グループに属する日本油脂(現・日油)のグループ会社の一社でもある。』(ウィキペディアより)


  そう言えばそんな洗剤あったなぁ、とHPを見に行くと、これがまた可愛らしい。









  か~わ~いい~~~

  ファーファランドに思わずうっとりであった。

  通販も出来るようなので、次回ぜひこちらで洗剤を買おうと思う。

  スーパーやデパートで見かけた際も、迷わずファーファブランドにしようと決めた私であった。





  皆様も宜しかったら、ファーファランドへ行ってみませんか?
→ NSファーファジャパン株式会社 http://www.nsfafa.jp/





 


 
 

2011年9月3日

 『いい国つくろう、何度でも』 ~敗戦の敗戦は勝利となるか?~




  1945年、8月15日、厚木飛行場に一人の男が降り立った。







  宝島社の広告が物議を醸している。


  この絵だけだとわかりづらい(失礼。若い世代はもっと微妙だと思う。)が、

  製作者の意図を読むと納得はする。



***********************************:


敗戦や災害など、これまで幾度となく苦境に直面してきた日本。
日本人はそのつど、不屈の精神と協調性を武器に国を建て直してきた歴史があります。
世界のどこを見ても、これほどしぶとく、強い生命力を秘めた国民は存在しないのではないか。
そんな気さえするのです。
「いい国つくろう、何度でも。」
この投げかけを通じて、
日本人が本来持っている力を呼び覚ましてみたいと考えました。

 
****************************************



  納得して、

  そうだ頑張ろう!
  本来の力を呼び覚まして、いい国を作るんだ、何度でも。

  と思うかというと、こちらも微妙である。


  敗戦の苦境に直面しても、不屈の精神で国を立て直したと言うが、この写真。
  連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーがやってきて、大日本帝国時代の悪い日本は終わりを告げたはずだった。日本は民主化に向けて走り出し、より良い国へと成長したはずであった。
  連合軍、アメリカ様の言うとおりに、「戦後レジーム」なるものに(体制を)変えて、天皇は人間になり、恒久平和を理念とする美しい憲法を大切にしてきた。


  なのにまたしてもの敗戦である。


  何度でも、って言われてもなぁ。よく、「敵の敵は味方」と言うけれど、ならば、「敗戦の敗戦は勝利」となるのでしょうかね。

  敗戦後、より良い国(コピーで言うところの「いい国」)と生るために、血眼の努力と不屈の精神力を使い果たしてまた負けたこの国は。

  (ええ?また負けたんだよ、それでも!)

  いい加減、思い知ったこの国は。
  今こそ戦後の体制を脱却して、本来の日本の姿に立ち戻り、勝利を得ることが出来るのでしょうかね。


  今、現在の時代の敗戦で、厚木飛行場に降り立った、マッカーサー元師は誰だろう。

  まさかあの日本の体力を奪うことにご執心の民主党政権の面子とは思えないし。

 
  もしもものすごい皮肉を込めてそう言っているなら、逆に笑えるのだけれど。
  (どう考えてもただの手下ですよね)


  「やつ」が悠々とパイプを燻らし、
  日本人の最後の戦いを興味深く見下しているさまを想像すると、
  空恐ろしくはあるのである。


  「負けないわよ」
  アニメのヒロインのように芝居がかった声で軽く口ずさみながら、
  心の中でこう言うのだ。


  「いい国つくろう、今度こそ」






 

 

 

野田新内閣発足に見る最重要課題とキーマン安住さんの『ふるさと復興』




  野田新内閣が発足しました。


  ↓ こんな顔ぶれ。







  何だか論評しようにも、ほとんど知らないお方ばかり。
  特に気になったのが、経済大臣の安住淳さん。


  首相官邸によると、9月2日発表の報告書・答弁書は以下の四つで、特に最新の総理指示では、財務大臣の役割が相当大きな比重が置かれているように感じられた。


  基本方針
  内閣総理大臣指示(円高への対応策について)
  内閣総理大臣指示(第3次補正予算編成について)
  初閣議の概要/「第三次補正予算及び円高への対応策にかかる総理指示」について




①東日本大震災からの復興の基本方針等を踏まえつつ、第三次補正予算にかかる要求をとりまとめる。
②復興対策の財源による財源確保等を固め、かつ税制措置の複数の選択肢の議論を進める
③円高の対応策



  ③は経済財政政策担当大臣にてとりまとめなんだけど、①と②は財務大臣の安住さん担当なんですね。
  特に②は「財務大臣が中心となってとりまとめ」なくてはいけないそうで。


  ここ数年、政治のニュースをよく見てきた方だと思っているけど、安住さんと言う政治家さんが国の復興の財源だの、税制措置の議論をしているところを目にした記憶がない。




  で、安住さんがどんな方か、ちょっとHPを観に行ってみました。


  ↓ こんな方。


http://azumi-jun.jp/index.html





  なるほど、野田新総理から『復興対策の財源による財源確保等を固め、かつ税制措置の複数の選択肢の議論を進める』のを任されただけあって、HPのトップページに、


  ふるさと復興


  です!


  お顔は彼に似ているみたい。また名前が出てこない。最近歳のせいか固有名詞が出てこないのね。

  そうそう! (またググった)



  大泉洋さんでした。
 






  気になるプロフィールは。


~~~~~~~~~

安住 淳 Jun Azumi

血 液 型A型
趣  味読書 ゴルフ
感銘を受けた本EXILE(家族の影響)、前川 清
好きな食べ物なす漬け、カレーライス、塩から、めかぶ、アワビ(やっぱり浜育ち)
家  族妻、長女、長男との4人家族

~~~~~~~~~


  ですって。

  子供の頃は「とにかくピストルが好きだった」らしく、 ↓ こんなお茶目なお写真も。





 
  いや、お茶目ですが、このポーズは、さすがに危ないだろう。
 ( 弾丸入ってなくても、死を連想させる写真をわざわざ載せなくても・・・)



  と、まぁ笑いのセンスもある方のようでした。


  肝心の財務系の経験はというと、
「ふるさと復興」の一文以外は、残念ながら見つけられず、



NHK社員時代のお写真


 様々な経験をお持ちの素敵な方のようでしたが、いまいち納得したようなしないような微妙なところでした。
 

 「財務大臣が中心となってとりまとめ」

  は大丈夫でしょうか。
  まぁ、官僚もついているし大丈夫でしょうか。




  願わくば民主党の政権時代に日本が潰れたり乗っ取られたり、
  経済が破たんしたり、
  なんて最悪の事態さえなく、無事やり過ごせればいいわけで。


  あと2年。
  日本持ちこたえてくれよ。


  とぶるぶる身を震わせながら必死の祈りを込めて、安住さんを応援したいと思います。






 

 

 



2011年9月1日

電気足りたから、もう使用制限やめよっか、って?今さらな話に思う。



 
  電力使用制限令が前倒しで解除された。

  あの、7月から(企業などの大口需要家に対して)義務付けられた、

  昨年実績よりも電力使用を15%削減

  しろという、

  出来なかったら罰金1時間に付き100万円

  という、例の経済産業省からの強制措置である。



  ニュースによると、制限令に違反したと報告のあった事業所は約400。

  ソニーや日産の一部の声を引用して、たかだか400でした、大した影響はありませんでした、

  とばかりに報道するマスコミとは裏腹に、へぇ、400もあったかと驚かされた。



http://www.youtube.com/watch?v=Ul-ssLj4zgY



  で、前倒しの解除だが、理由は昨年ほどには気温が上昇しなかったこと、それから国民の節電努力によるところが大きいのだという。

  思うにひとくくりで「国民」と言っても、一般家庭の節電努力などたかが知れているので、違反した400の事業所を含むすべての事業者たちの涙ぐましい努力があったのではないかと想像するわけだ。

  上の写真のニュースによると、違反した理由がまた泣けてくる。

  故意ではなくて、(故意は罰金対象)
  「自家発電機の故障」や「電力の監視装置に設定ミス」があった、
  などと、いかにもばればれの言い逃れをしているのである。


  この涙ぐましい努力の結晶のお蔭で、一部ではなくて、全体では、いったいどれほどの生産力を奪われたのだろうか。

  日本経済にどれだけのダメージを与えてくれたのか、この「強制措置」とやらは。



  去年ほど気温が上がりませんでしたから、前倒し解除します、って、なんだかなぁ。

  そういうことって、事前にわからなかったのかな。

  気象庁では、季節ごとの気温の予想があるが、今年は例年ほど気温が上がらないとか、それくらいは当然わかっていそうなものだが、違ったかね?

  なぜ、努力目標だけの数値ならまだしも、罰金まで課して事前に通知する必要があったのか。

  最大電力を昨夏より15%削減を求めることを「強制」にしなければならなかったのか。

  

  3.11の被害が拡大したのは、気象庁が津波の規模を過少に報じたことが原因だったという意見がある。

  私も同意見である。どう考えても、悪意、とまではいかなくても何かしらの作為が感じられる。

  今回の事前の季節予報を不透明にしたことも、同質の匂いを感じてしまうのであった。



  何だ、大したことなかったじゃん。電気も足りたじゃん。
 
  影響あんまなくて、良かったねぇー



  と笑い飛ばしたいところだが、あまりにも間抜けすぎて、事業者たちが泣けてきて、心の奥にもやもやが残るのであった。